写真と野球は違いますが、野球が好きなのであくまでイメージとして野球に例えて書きたいと思います。ピッチャーが投げるボールが被写体、自分の使っているカメラがバットです。ピッチャーが投げるボールは多種多様なのが写真の面白いところなんですね。その中で自分の打ち易そうなボールは好きな被写体と言えます。実際、ヒットになりやすいです。ただ、ここで言うヒットは自分で見てであって、誰かの客観的な評価とは別と考えます...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
主観と客観という言葉がありますよね。とても簡単にですが写真にあてはめてみました。主観=写真家の思い、感情、客観=カメラが写した事物・・・です。これがどうしてもズレてくるんですね。そして悩んだりガッカリします。大切な写真の場合はそうなるのは仕方がないのですが楽しみのための写真ならそのズレを楽しんでもいいのではと思います。思うように撮れなかったと、切り捨てようとするカットの中にもしかすると「いい写真」...
撮影してきました。...
今のデジカメはものすごい機能が満載ですよね。そこで気になっていることがあります。ふつうの順番としては、自分が撮りたいものがあってその機能のある機種を見つけて使うと思うのです。被写体⇒カメラです。でも、その機能のすごさを証明するためにそれに合った被写体をさがす・・・そんなこともあるように思います。カメラ⇒被写体です。勘違いかもしれませんが、そんなことが気になるところが写真というメディアの特殊なところだ...
久しぶりに電車に乗りました。久しぶりにたくさんの生の人を見ました。ただマスクの人が多かったので、表情はアウトフォーカスでした。コロナ禍でシャイな人が増えたのでしょうか。それはそうと暖かくなってきたのは喜びです。ただ、写真を撮り歩いて帰ると足が「アタ、タ、タ」となるのが悲しみです。...
用事で布施へ出かけたついでに近鉄布施駅周辺で撮影してきました。「ついでに写真」が好きなんですね。...
写真は「違う!」ということが大切だと持っています。違うというのは否定することではありません。在るものを否定することなんてできません。プライベートな違和感みたいなものに気づくということなんですね。「何かが違う」写真はシャッターを押すという、一見肯定することをしないと撮れないですがそれは物理的なことであって、違和感を受け入れることではないのです。単に受け止めるだけでも写真は撮れるのですから。よく「好き...
「自分が見せたい物がちゃんと見えれば、他は黒くつぶれたり白飛びしていてもいい」という意見があるんですね。主役というのでしょうか、それが分かれば脇役や背景はちゃんと見えなくなってもいいということだと思います。主役が黒くつぶれたり白飛びしていてもいいというわけではないですよね。個人的にはいい写真にはいい脇役が写っていると思っています。それが何か、自分で判断するのが難しいので出来るだけトーンは飛ばしたり...
理屈の上では光の反射率0%が黒です。反射率100%が白です。ということは反射率50%のグレーが中間、つまり標準の反射率になりますよね。でも現実の世界(自然界?)は光の反射率は3%~96%なのだそうです。真っ黒はなくて限りなく黒に近いグレーなのです。真っ白はなくて限りなく白に近いグレーなのです。反射率3%から倍々にしてみます。3%→6%→12%→24%→48%→96%こうすると12%→24%の中間は18%になりこれが写真の教科書な...
人はもともとワンパターンな存在だと思います。だからその人と安心して付き合えるのです。会うごとにその人が別人格だったら大変です。二重人格、いえ多重人格だったらその人と付き合おうとしたらおそらく気が変になるでしょうね。写真も表現として付き合おうとする時、ワンパターンでもいいのではないでしょうか。器用にいろいろな表現ができる写真家もいますが器用さだけが写真表現に求められているとは思えません。器用に見える...
「伝える」とか「伝わる」とかそのような文言をよく見ますよね。コミュニケーションが気になる時代なのでしょうか。それだけコミュニケーションにズレが、ギクシャクがあるのかもしれません。上手く行っていたら話題にならないのですから。だからテクニックを学ぶ必要が生まれるのだと思います。でもコミュニケーションって相手次第なんですよね。まずどんな相手かによって変わってきます。たぶんテクニック化出来ないのではないで...
むかし、写真の先輩から「ネコや子供の写真を撮っていてはダメだよ」と言われました。もちろん、家族を撮ったファミリー写真や家族同然の人がったワンちゃんやニャンちゃんの写真のことではありません。ネコや子供の写真はほとんど誰でも好意的に見ますから被写体に依存してしまうからです。あくまでスナップ写真として見せるなら極力、ネコや子供は撮らないようにしようと固く、固く心に決めたのです。そして今、あの決心はどこへ...
写真の撮り方の本などでは「画面がゴチャゴチャしていると伝わりにくいのでちゃんと整理して撮りましょう」とよく書かれていたりします。たしかに正論だと思うのですが最近になって「整理」というのは少し違うのではと思うようになりました。「そこ」は既に「そうである」訳ですから、仮に人間側から見てゴチャゴチャしていても「そこ」は「そうである」ことに落ち着いているのです。ゴチャゴチャがあるからこそ「そこ」なのではな...
私はマイペースで写真をやっているし、周りに写真をやっている人もいません。それで最近の写真の傾向などの情報は主にネットや雑誌を見て得ています。ただ、インスタとかはあまり見ないですね。ネットはブログ関係が性に合っています。カメラ雑誌の入選作品を見て気になっていることがあります。作品の傾向が似通っているんですね。カメラや被写体に影響されるのが写真ですから当然なのかもしれません。ただ、フィルム写真の時代は...
ガーリーフォトからファミリーフォトへ。自分繋がり関係写真。私の周り重点関心写真。私の好き写真。私の楽しいこと至上写真。そして・・・私の家族、見て見て写真。かつては自分の家のことをわざわざ写真に撮って知り合い以外の人には見せなかったような気が・・・私、私、私・・・「私」は大忙し。...
みんな同じ顔に見えます。眼医者さんに行ったほうがいいかもしれません。...
人の写真を褒めるのは、時には上から目線のようになることもあると思います。褒められればうれしいのですが理由も言わずにやたら褒められると逆に居心地悪くなったりします。本当に?いいと思ってくれているの?人の写真をけなすのは相手のほうが上だと感じているからのせいもあると思います。自分負い目を悪口でごまかしているのですが理由もなくけなしているのは自分の劣等感からきているのです。本当のところは、いい写真だと認...
通りすがりの○△□240210・いつものことだから いつものことだけど 2
人間の悲しみ。それは、目に見えるものしか見えないということ。もう一つの目は想像力だと思うのだけれど適切に想像してみるのはとても困難。たいていは実像からかなり離れた妄想がほとんどだと思う。その妄想が大半の人たちで共通している。それをみんなは常識と呼んでいて、だからなんとか世の中は動くことが出きている。そもそも人間の目自体にバイアスがかかっているのだからゴチャゴチャが絶えないのは仕方がないのかもしれな...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 3
まあいろいろあるけれど世の中、少しずつ良くなっていっているという意見もありますよね。そのまま受け取ると、マイナスが減ってゆき、プラスが増えてゆくことですから後から生まれる人が得ということ?になると思います。たしかに、どんどん世の中、便利になっています。昭和から見たらSFの世界が目の前に広がっています。でも、街なかで、テレビで、ネットで見る人の表情、マスクしているとよく見えないので、思い違いかもしれま...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 2
かつて、いいえ最近まで「森山大道スゴイ!」と思ってきました。写真を始めた若いころなんて、ほぼ神格化していましたね。でも森山さん、有名になるにつれ、「ん?」と思うようになってきました。スゴイことは変わりませんが。当たり前です。自分と比べたら病院行きを勧められるでしょうね。ただ、森山さんの写真ってデザイン的なんだなあと感じるようになったのです。「写真よさようなら」という写真集がありますが「デザインよこ...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 1
写真に「正解」はないと言いいながら写真について「勘違い」していることがあると言う意見がありました。でも「正解」はないのだから「誤解」もないのでは?と思ったのです。あるのは写真ついてのひとりひとりの「解」だけだと思うのです。正解がないところが写真の面白さなのですからひとりひとりの解=撮った写真が違っていいのだと思います。あとは、その「写真」を自分を含めて、人がどう思うかなのですがその「写真」はニッコ...
写真はたくさん撮れば撮るほど撮り足りなく感じるところがあります。たぶん写真という胃袋は容量無制限なのだと思います。それが写真にとって健康にいいのかはよく分かりません。アートは体の健康とは別のところにあるのでしょうか。健康を気にし過ぎるのも不健康な気もしますが。...
カッコつけた言い方になりますが世の中、そもそも何か分かっていないことだらけではないでしょうか。「健康」、「幸せ」など分かったようでよく分からないのですが、何よりも「人間そのもの」について、誰も分かっていないのだと思います。「たぶん、こうだろう」ということでホントは分かっていないのに事を進めるしかないのです。「そういうことにして」進んでゆく世の中が混乱するのは当たり前のように思います。アートや写真に...
撮影しました。...
「カメラは撮った人も写している」という言い方があるんですね。それに対して「カメラはレンズの後ろにいるカメラマンは写らないでしょ?」と言うのは野暮なんですね。その写真を撮った人の工夫の跡や、上手く伝わらせようとする努力の気配が写真から感じられると言うことなのですから。それでも、撮影の事情の分からない人にはその写真を撮った人がいることしか伝わらないのも事実だと思います。写真は誰が撮ったかではなく誰がそ...
人は勘違いする生き物だと思うのですが、今回はらしくないことを書きます。たとえば幸福とは「なるもの」と思っていますよね。その「なる」は「成る」ですから「カタチ」ができます。そのためその「カタチ」を維持しようとします。でもそれは反幸福ではないでしょうか。「カタチ」の無くなることの不安が付きまとうからです。幸福は人の思いで成るものではないのかもしれません。人の思いとは関係なく、気が付いたらここに居るので...
主人公が五感を失ってゆくテレビドラマがあります。味覚、嗅覚と失い、現在は触覚を失っています。でも、物を掴んだりはできているんですね。そのあたりは考察して描かれていると思うので「そうなんだ」と思って見ています。そもそもそんなこと想像したくないです。五感のうちで触覚がいちばん世界との接触で大切だろうと思うのです。それでいちばん最後に失うのが触覚だと思っていましたがちょうど真ん中の3番目でしたね。残され...
写真撮影を突き詰めれば「距離」なんですね。まず焦点距離 つまり画角を決めないといけません。画角は写したい範囲のことですから基準になります。その写したい範囲はどれだけ離れればいいか、あるいは近づいたらいいかで決まります。つまり撮影距離です。そしてファインダーなりモニターを見るのですがしっくりこないことってありますよね。この場合、心理的距離に異和を感じているのでレンズを変える、焦点距離を変えるより撮影...
「カメラを始める」というのは不思議な言い方ですね。カメラというのは器械ですが、「クルマを始める」とは言いませんよね。同じアートの油絵だと「絵筆や絵の具を始める」とは言いませんが音楽だと「ギターを始める」と言います。そう考えると写真は音楽のほうに近いのかもしれません。ただギターは音楽で使う楽器の一つですがカメラは写真一般をカバーできます。「カメラを手に入れて写真という趣味を始める」というのは冗長なの...
「いい写真」について書かれていることを読むといい人でないと撮れないのかなあと思ったりします。撮る相手の幸せを願ってシャッターを押すなどという写真家さんもいるんですね。そうだとすると「オレ、失格やなあ」と落ち込みます。人間性?・・・写真とは直接には関係ないと思いたいです。自分を語るために撮る写真、家族のことを見てもらうために撮る写真、好きなモノだけを撮る写真・・・個人的にはお子さんの写真の投稿はどう...
「いい写真は誰にでも撮れる」というコピーをよく見かけますよね。でも「いい写真」って何を指しているのでしょうか?「いい人は誰にでもなれる」とよく似た響きがします。でも「いい人」って誰を指しているのでしょうか?私も若いころ、「私さんって、いい人ね」とよく言われました。老いて気づきました。「どうでもいい人」だったんですね。そうなんです。「いい写真」って人それぞれの考え方で決まるのです。だから「いい写真は...
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写真と野球は違いますが、野球が好きなのであくまでイメージとして野球に例えて書きたいと思います。ピッチャーが投げるボールが被写体、自分の使っているカメラがバットです。ピッチャーが投げるボールは多種多様なのが写真の面白いところなんですね。その中で自分の打ち易そうなボールは好きな被写体と言えます。実際、ヒットになりやすいです。ただ、ここで言うヒットは自分で見てであって、誰かの客観的な評価とは別と考えます...
観光地などに出かけて綺麗な景色を前にしてカメラでひたすらにパチパチ撮っていることってありますよね。せっかく、遠出してやってきたのに、それではその風景に浸れないのではと、思っていました。いいえ、今でも一応はそう思います。ただ、少し考え方が変わってきました。風景以外でも、例えば音楽で言えばロックのライブでの撮影です。ライブの撮影の経験はないのですが、やはりカメラを持って撮影しているとロックの音楽そのも...
写真でいう感想とは予め決められたマークをポチすることでもなく☆の数を選ぶことでもないのではないでしょうか。なぜそのマークをポチしたか、なぜその数を選んだか目に見えるカタチで自分の言葉にすることだと思うのです。それを誰かに見せるためではなくても、それを誰かに伝えるためでなくても・・・ですね。ポチしただけ、選んだだけでもいいのかもしれませんが自分が意識化できるかが大切なのではないでしょうか。ただの好き...
行ってきました。...
「文句ある?」と言われた時、3つの反応が思い浮かびます。一つ目は「いいえ、納得で、何も言うことありません」です。二つ目は「はい、自分はこう思います」です。そして三つめが「何となく違和感があるけれど、今の自分には言葉に出来ない」です。議論のための議論では水の掛け合いになるので夏などにはいいにしても、一年中というわけにはいきません。やはり、お互いの実感からの議論が必要ではないでしょうか。写真でもいろい...
写真ではよく「思いを伝える」と言われています。ではこの「思い」とは何を指すのでしょうか?大きくは次の2つに分けられると思います。①「思い」は「感情」のことです。コミュニケーションを重視します。コミュニケーションの対象はふつうは身の回りの人たちですがSNSなどを通じて不特定多数の人たちのことも多くなりました。時には自分のこともあります。思い出の瞬間の感情をより鮮明に自分に伝えてくれるからです。言葉はその...
20代に突入したころ、写真を始めました。それから半世紀以上経ったのですが、飽き性の自分がよく続けられたなと思っています。そんな私ですが、30代の半ばごろに突然、「モノクロはもう辞めた」とカラーに切り替えました。そんな日々を、年齢的に無理して首筋を傷めない程度に振り返ってみると20代、30代にも自分なりに「いい写真」は撮れていたと思います。あくまで自分基準の「いい写真」ですが「あの頃のほうが、いい写真を撮れ...
写真史としての名作は一定の評価はされているのですが今、有名な写真家にしても登場当初というのでしょうか初めて作品として写真を発表した時には酷評された人もいたのです。写真の世界の価値観みたいなものは時代とともに変わってゆきます。写真の世界に吹く、世間の風は気まぐれなのです。その時代の気分次第で、ヨイショされたり、ブーイングされたり・・・世間というのは怪物みたいなものではないでしょうか。...
自分の「好き」を撮りましょうと言われています。でも、自分の「好き」に疑問を投げかけるのが写真だと思うのです。自分の「好き」にケチをつけることではなくもう一度見直すということなんですね。「好き」と思い込んでいるだけかもとか「好き」と思い込まされているだけかもとか。まあ、いちいちそんなことをやっていたら疲れますからたまにでいいと思いますし、あえてやらなくてもいいとは思いますが・・・。...
写真が難しいのは立体を平面として見ることに慣れていないことも理由の一つだと思います。写真を撮ることには今の時代、スマホなどで小さいころから当たり前に行っているので「写真なんてチョー簡単!」と思ってしまうのですね。フィルムカメラの時代ですら、他のアートから「写真なんてカメラが撮ってくれるんだからいいよね」なんて思われていました。「写真なんて、ラ~ラ~ラ~♪」だったのです。でも、自分でカメラを本格的に...
行ってきました。...
写真をするのに才能は必要なのでしょうか。写真がアートだとしたら音楽や絵画のように才能が必要になって来ます。でも、あえて写真をアートだと思わなくてもいいと思うのです。たしかに、写真のセンスがいいなあと羨ましくなってくる人っていますよね。バズっている写真などを撮っている人たちが思い浮かびます。そうできるのは写真の才能があるからと言えるのですが、バズる写真だけが写真でないことは言わずもがなです。楽しみ方...
撮影しました。...
「暗黙の了解」というのがあります。わざわざ断らなくても通じることですよね。でも、今はそうではなくなってきました。「個人の感想です」ーふつう感想を述べるのは個人だと思うのですが。「CM上の演出です」ーこんなのマネする人がいるの?そして・・・「写真はイメージです」ー写真=実物なんてありえないのに。なんだかメンドクセー世の中になったものですね。...
写真に写っているからホントだろうから写真に写っているからウソかもしれないへ写真にとって激動の時代になったなあと昭和カメ爺はシミジミト思いながらシジミの味噌汁をすするのです。...
昔、正確には大昔、テレビドラマの主題歌に「七つの顔のおじさんのホントの顔はどれでしょう?♪」という歌詞がありました。今考えると、それは七つの顔のどれもホントの顔でもあり、ウソの顔でもあり、ホントかウソかはどちらでもいいことのように聞こえます。それぞれの顔で難題をカッコよく解決して、視聴者をスッキリした気分にしてくれればよかったのですから。まあ、ドラマがどんな内容だったのかは忘却の彼方なのですが、懐...
写真の投稿だけです。...
写真関係のSNSの記事を見ていると、ある言葉をよく見かけるようになり、気になって来ました。「私」関連と言うのでしょか、「私」以外に、「私」「わたし」「僕」「ぼく」「自分」「じぶん」などですね。そのような言葉が目につく記事の特徴は、その人が食べたもの、飲んだもの、家族や友だち、友好な関係の人たちなど、プライベートな写真が多い気がすることです。ふつうSNSは不特定の人たちに向けて発信されるものですから、その...
つくづく写真というのは被写体しだいなんだなあと思います。それでアレブレボケ写真は文句を言われたのです。肝心のどんな被写体が写っているかが分からないことで見る人を落ち着かなくさせました。人は落ち着かないことは嫌ですからイライラしてボヤいたのだと思います。その代表ともいえる森山大道が世界的な写真家になったのですが、それでも写真というのは被写体しだいなのは変わらないと思います。「いい写真」というのは写真...
デジカメが上手に撮れ過ぎてくるとフィルムカメラの上手く撮れなさが魅力的になって来る・・・揺れ動くカメラマンゴコロですが、次はどこへ向かうのでしょうか。下手は嫌ですが、上手くても面白くない・・・人間カメラマン相手にカメラたちも大変だなあと思います。...
木造世代なので今のまるでSFのような世界は馴染めません。昔はお寺や神社は苦手だったのですが今は落ち着ける場所になって来ました。ただ、ここは外国の人が多くてやや落ち着けなかったのです。...
写真は好き嫌いがハッキリするメディアだと思います。好き=撮りたいもの、嫌い=撮りたくないものですね。ただ、現実の光景には好きと嫌いが共存しています。そこでテクニックです。ボカします。明るいレンズを開放気味にしたりします。覆い焼きします。レッタチで周辺を黒っぽくするイメージです。飛ばします。潰します。ちょっと、怖い言い方です。見えなくします。好きなものの後ろに嫌いなものを隠します。トリミングします。...
街歩きの動画を見ていると情報量で言えば写真は叶わないなあと思います。なにしろ動画は写真=静止画の大量集団ですから数では勝てません。戦う前から要白旗なのですね。では写真は動画に勝てないのでしょうか。そんなことはないと思います。今のところ、よく分からないのですが写真には「余白の魅力みたいなところがあると思います。まあ、争う必要もないのですが。...
今年も「危険な暑さ」がやってきました。写真で「危険な暑さ」を撮影やレタッチで工夫すれば表現出来ますよね。でも、それは「危険な暑さ」を連想させるだけで写真そのものが「危険」であったり「暑」かったりするわけではありません。人間の想像力はスゴイと思います。...
かつて、カメラのファインダーのピント合わせやオートフォーカスの測距点は、画面の真ん中にありました。そのことは何を意味するのでしょうか?人は写真を撮ろうとする時、何も考えないと、無意識に撮りたいものを画面の真ん中に持ってきますよね。当然と言えば当然だと思います。画面の隅っこに小さく撮ろうとはふつうは、しないです。そうなんです。「日の丸構図」は写真撮影の原点と言えます。「日の丸構図」については、いろい...
当たり前にあることは話題になりません。当たり前には古さが付きまとうからです。人は新鮮さを求めます。写真も新鮮さが楽しませてくれます。新しいカメラ、新しいレンズ、新しい被写体・・・でも、新しいには時間という非情なヤツがやってきます。新鮮さというラベルを剥がすのです。見慣れた光景・・・退屈です。写真に撮って、新鮮な光景に変身させたとしてもやがて飽きてくるのです。写真を続けるには「当たり前」を「当たり前...
主張には根拠が必要と言われています。自分の言いたいことは主観的なのでそれを裏付ける客観的で正当な理由が要るのですね。写真も「こう撮れ!」みたいなことが言われます。どうしてかと訊くと「なぜならみんな(多くの人)が、いい写真と言ってくれるから」のような返答が帰ってきます。少し理屈ぽくなるのですがある根拠にはその根拠を支える別の根拠が必要ではないでしょうか。そのことは堂々巡りを意味しています。正論が複数...
用事で出かけたついでに「新石切駅」周辺と「石切さん(石切神社)」周辺で撮影してきました。お天気で暑かったので意識を失う前に帰ってきました。...
ChatGPTに「さん」を付けることってあるんですね。対話型なのでそうなのでしょうか。いずれ人格みたいなものを備えることを見越しているのでしょう。近い未来、相談するのにいちばん信頼のおけるのがChatGPTになるのかもしれません。自分の写真作品の評価を尋ねたりも出来るですね。フォトコンテストの審査員に選ばれることもありそうです。そうなると、自分の応募した自信作が落選したら憤懣の向けようはなくなるのです。フォトコ...
写真展などでキャプションとステートメントと言う言葉が使われます。どちらも文章なのですが詩なども使われるようですがとても簡単に整理してみました。キャプションは説明文です。それで客観的に分かりやすく書く必要があります。作品の理解を助けるために書かれるのですから難解な文章はNGです。いっぽう、ステートメントは声明文です。それは意思表示であり主観的なモノです。自分の写真観みたいなモノを今回の作品で反映させた...
私は多感、と言うより冷や汗の多い「多汗」な時代に写真を始めたので、どうしてもそのころのことが基準になります。デジタルの時代になったのにフィルムの時代の考え方から抜けられません。一時は「デジタルもフィルムも写真には変わらへん」と思っていました。でも、最近はデジタルとフィルムは明らかに違う、別のものではないかなと思い始めています。ただ、自分自身はこれまでのような写真を撮り続けると思っています。...
写真はボケやX構図で遠近感を出せますよね。絵画では遠近法と言うようです。写真は平面の画像なので実際には目から等距離にあります。それを前後に感じるのですから人間の目っていい加減なんやなと思います。...
「散歩」とは辞書的には気晴らしや健康のためにブラブラ歩くことと説明されています。でも、本来は特に理由などなくただ歩きたいからするもののように思います。季節や時間帯や天候などや距離・歩数は関係ないのです。まあ台風や大雨の時は向いていないと思いますが。数百メートルでも散歩は散歩です。嫌になったら止めればいいのですから。健康のためとか、1万歩歩くことが目標とかは散歩が手段になっている気がします。私の写真...
最近のことはよく知らないのですがアルバムというのを、紙のプリントで残している人ってどれくらいいるのでしょうか。スマホやネットのストレージのケースが多いのかもしれません。上手く整理しておけば、紙のアルバムみたいに、かさばらないですよね。でも、ネットだと思い出が宙ぶらりんのように感じます。紙のほうが、思い出がそこにいてくれるように感じるのですが今は、そんなことはない時代になったのでしょうね。...
森山大道さんたちが発表していたアレブレボケ写真のようなカットが、国鉄(今のJR)の観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)」に使われたのは、アレブレボケには旅情を誘うところがあったからではないでしょうか。森山さんには中平卓馬という写真仲間がいて、同じようなアレブレボケ写真を撮っていました。中平さんはアレブレボケ写真が観光キャンペーンに使われてからはアレブレボケ写真から離れ、写真を図...
撮影カットをレタッチでトリミングするとデザイン的な写真になるような気がします。...
私自身、いまだによく分かっていないのですが写真は現実をそのままそっくりに捉えることではなく写真という、もう一つの現実を捉える手段のように考えたほうがいいのでは?と思っています。もう一つの現実、つまり再現とか、表現とかいう言葉とは違う写真が捉え得る何か、リアリティーみたいなことではないのかなと思うのです。「いわゆる現実」とは違う「もう一つの現実」を捉えることが出来るのが写真というメディアのように思い...
観光などで初めての場所に行くと見るものすべてが新鮮に映りますよね。それで写真を撮ると興奮状態ですからいわゆる撮らされている結果になりあまりいい写真は撮れないよという意見があります。宿泊できるのなら初日はカメラを持たずにブラブラ歩いて、自分の目でチェックしてゆくようにしましょうと言われています。そうすると2日目にカメラを持って出かけることで冷静に観光地を見れるのでいい写真に結びつくということですね。...
時々「ローアングル」と「ローポジション」が混同されていることがあり、気になっています。地面近く、低いところでまっすぐ水平方向に撮るのは「ローポジション」での撮影なんですね。よく言われる「子供目線」とか「ペット目線」は「ローポジション」のことだと思います。いっぽう、下から上方向にに撮るのが「ローアングル」での撮影です。ビルの屋上で、真上に旋回するヘリコプターに向かって撮るのが「ローアングル」での撮影...
ウジェーヌ・アジェという写真家がいます。写真史では必ずと言っていいほど出てくる人です。画家になりたくてパリに出てきたのですが、画家ではなく写真家として「美術家のための資料」にとパリの街を撮り集めることで生活の糧にしました。生活は恵まれなかったみたいで死ぬまでパンと砂糖とミルクを常食としていたというカッコいい写真家だったと思います。アジェには他人事だからそんなふうに言えるんだと怒られるかもしれません...