今年の4月6日の西武戦、西武の渡邉勇太郎はソフトバンク打線に打ち込まれ8点を失って5回途中降板した。ベンチに戻った渡邉の頬を、西口監督がつまむような仕草がテレ…
「完全成功報酬型営業代行」株式会社セールスジャパン社長井崎勝司の「今日の一言」です。
株式会社セールスジャパンは、「完全成功報酬型」営業代行会社として、2008年10月営業を開始しました。「初期費用ゼロ」「ランニング費用ゼロ」の「完全成功報酬型営業代行」ですので、大変ご利用しやすいと思います。新規販路開拓に是非ご活用下さい。社長ブログについては、「今日の一言」を毎日更新予定です。
市場経済には、『神の手』が存在する。 需要が高まり、好景気で経済が過熱すると価格があがり、自然と経済は鈍化する。逆に不景気になると需要が衰え、供給過多とな…
1992年10月26日、森西武と野村ヤクルトが激突した日本シリーズ、4勝3敗の西武優勝が決まった。プロ野球の歴史に残るような大接戦で、最終回決着が4試合と…
人の判断基準には、その行動が『得か損か』と『正しいか誤っているか』がある。例えば、飲食店で食い逃げするのは、食い逃げする側の『得だから』する行為。食い逃げ…
日本シリーズ第二戦、オスナは、やはり見事なピッチングを見せてくれた。前日の不甲斐ない投球を、小久保監督が『点差が開いたので…』と養護発言をしたことで意気に…
1974年の「江夏の21球」には、もう一つの物語があった。 この年の日本シリーズ広島対近鉄、3勝3敗で迎えた最終戦、広島抑えの切り札・江夏は最終回4-3で…
長い野球の歴史の中で、審判が泣く姿を始めてみた。 2010年6月2日、デトロイトでのタイガースとインデアンスの試合、タイガースの先発アーマンド・ガララーガ…
古田敦也は、立命館大野球部の中尾監督に日ハムスカウトから『上位指名で行く』と連絡が入った為、ドラフト当日を心待ちにしていた。大学も会見用のひな壇を設置し垂…
1961年、近鉄はプロ野球記録の103敗を喫し、千葉監督を解雇して阪神・毎日で長距離打者として活躍した別当薫を後任とした。別当監督は、チーム改革の第一弾と…
西武時代デストラーデに「日本のオジー・スミス」と評された守備の名手・奈良原浩は、上田監督に請われて日ハム移籍後、主将に任命されている。 小久保が、巨人で初…
1995年、「頑張ろう神戸」でオリックスが快進撃、優勝を飾った年、仰木監督に冷や汗をかかせたのは、ロッテであった。 前年最下位のチームを立て直そうと、広岡…
最近、球場で見られなくなったものが二つある。乱闘と野次だ。昔は、死球が当たるよく乱闘になっていた。昭和の時代では、3試合に一度程度、両軍入り乱れての騒ぎが…
1987年、長期低迷期の南海が珍しく優勝争いに加わった。8月末時点で首位西武にが手の届く位置。南海ファンは、10年ぶりに色めき立ち、西武との決戦を迎えた。…
昔、保険会社に勤めていた頃、支社や支部の状況は、清掃係の人に聞くと良く分かった。支社長や支部長、その部下の人達に聞いても良い事しか言わない。逆に、その組織…
1989年の日本シリーズは、巨人が近鉄に3連敗の後4連勝して逆転勝ちした。切っ掛けは、3連敗後の近鉄の加藤哲郎投手の「巨人は、パリーグの最下位・ロッテより…
ホークスの試合前のシートノックは、「世界一美しい」と言われるが、その評価を受けるようになったのは、鳥越コーチの頃である。 試合前、前日どんなに大敗しようと…
CSのファーストステージは、予想通り劇的展開だった。 佐々木が打てず初戦を落とした日ハム、2戦目も小島に抑えられ、追い詰められた日ハムが、9回1死から万波…
山川が入団して一番大きな影響を受けたのは、中村晃だ。 守備率996ゴールデングラブ賞4回、打率3割超え3回、生涯打率も279の名選手だ。右の長距離砲が欲し…
2018年の宮崎キャンプ、ノムさんがやって来た。達川コーチが甲斐を「捕手について勉強させてもらえ。」と呼び、ノムさんに、「こいつは、野村本を殆ど読んでます…
黒沢映画の代表作「七人の侍」は、1954年のベネチア映画祭で銀獅子賞を獲得。2018年、BBCが発表した「史上最高の外国映画ベスト100」の7位にランクさ…
小久保監督は、41歳の誕生日が引退試合となった。対戦投手はオリックスの西。「直球だけで勝負するとかは止めて欲しい。」といっていたが、西が一世一代の快投で、…
今年のセリーグの混戦は、阿倍巨人が制した。 実は一年前、阿倍監督の就任会見を聞いていて、「もしかしたら、名監督になるかも…」と予感めいたものがした。彼の「困…
名将・中嶋監督が辞任した。『3連覇中に出来ていた全力疾走が、自分がいくら言っても出来なくなった。マンネリを感じた。』のが辞任の理由だ。確かに、今年のオリック…
モイネロが防御率1位を決めた。今年から先発転向し、25試合登板、163回、11勝5敗、防御率1.88の堂々たる成績だ。 リリーフ時代から、防御率は1点台、殆…
91年に阪神から移籍してきた盗塁王・大野久がこんなことを言っていた。「阪神でもそうだったが、ダイエーでもライバルは口をきいてくれなかった。一度も話したことが…
小久保監督が新人監督として年間91勝の新記録を樹立した。 90勝以上は延べ13チームあるが、ホークスが6度、西武が4度、巨人は2度である。「強い時は、手が付…
「ブログリーダー」を活用して、セールスジャパン社長井崎勝司ブログさんをフォローしませんか?
今年の4月6日の西武戦、西武の渡邉勇太郎はソフトバンク打線に打ち込まれ8点を失って5回途中降板した。ベンチに戻った渡邉の頬を、西口監督がつまむような仕草がテレ…
西武の強力『表ローテ3枚』との対戦、初戦をモイネロで落とし、「残り2試合、今井と隅田では3連敗もあるかも」と覚悟したが、見事に連勝してカード勝ち越しを決めた。…
4月末で借金7、ダントツの最下位だったホークスが首位決戦スイープで遂に日ハムを捉え、ゲーム差なしの2位に浮上した。 首位決戦初日は、有原が徹底的に低めのフォー…
関西万博に入って来た。マスコミが散々叩いていたので、盛り上がりが欠けるかと思ったが、どうしてどうして。朝から長蛇の列だった。色々な見どころがあったが、一番印象…
知略にたけた黒田官兵衛は、非常に柔軟な戦略を立てていた。 1577年の英賀合戦では、毛利方5000に対し官兵衛の兵は500。このピンチに敵方が長時間の船旅で疲…
柳町が遂に首位打者に立った。 神宮球場では試合後、選手たちは観客席の前を通ってバスに向かう。その時にファンの反応がよくわかる。激しくヤジられることもあるし、拍…
鉄拳制裁というと星野監督かと思ったら、長嶋監督も西本や角を殴っていたらしい。大事な場面で四球を連発し信頼を裏切ったりすると、ベンチ裏で『命まで取られんだろう。…
昔の南海ファンには『長嶋二度泣き』という話があった。 立教大学時代、ホームランの新記録を作って活躍していた長嶋に、鶴岡監督は立大先輩の大沢(後の大沢親分)を通…
昨日の楽天戦、8回5つの四球で逆転した。逆転勝越しの四球を選んだ川瀬が、ベンチにガッツポーズを見せ、ベンチも大いに盛り上がっていた。 そういえば昨年の契約更改…
昔の名将・三原監督は、敵選手を決して褒めなかった。 その理由を、娘婿の中西太氏が次の様に話していたことがある。『私が監督になった時、親父がこんなアドバイスをく…
意識の方向を変えるというのは、非常に重要だ。 野村監督が南海時代、阪急の速球王・山口高志攻略の為に『高目に手を出すな』と指示した。山口の高目の速球は滅法速く、…
2015年、プレミア12準決勝の韓国戦、侍ジャパンの小久保監督は、投手交代を間違え敗退した。 グループリーグは圧倒的な強さで5戦全勝。準々決勝も圧勝で迎えた準…
沢村賞と最優秀救援投手のダブル受賞は、NPBの長い歴史の中で摂津正しかいない。その摂津が、『先発と中継ぎとどちらが好きですか?』と聞かれ、『間違いなく中継ぎで…
7番降格後の山川の打撃が少し変わった様に見える。 日曜日の先制犠飛は、高目の球を『はらう様に』打ったセンターフライだったし、昨夜の最終回のヒットも、いつもの強…
牧原大成が泣くのを始めてみた。 昨日、延長12回サヨナラで念願の5割復帰を決めた。これで3.5差でエスコンに乗り込み、首位叩きに挑める。サヨナラ打を打った牧原…
落合が星野中日に移籍した時の会見を今でも覚えている。『男心に男が惚れた。「巨人を倒したい」という監督の夢を手伝いたい』その時点で二人の関係は、まさに蜜月だった…
プロ野球で消えた球団が数多くある。特にパリーグには、西鉄、毎日、東映、阪急、南海等殆どの球団が姿をけした。当時のファンにすれば、いつまでも忘れられない郷愁を感…
美容業界では『美人の心理』というのがあるらしい。整形にやってくるのは、不美人よりも『十分美人なのになあ』という人が多いというのだ。 容姿に自信のある人は、益々…
又吉が嶺井に『もしかして、ドームに住んでるの?』と冗談を言っていた。そのくらい、嶺井はよく練習する。他の選手が球場入りした時には、もうアップは終わっていて、汗…
母子家庭で育ったノムさんや甲斐は、『苦労して育ててくれたお母さんの存在が自分の活力源だった。』と言っていた。 実は私の母も、父が亡くなってからは大変苦労して私…
ホークス物語101 09年、秋山ホークスがスタートした。08年最下位のチームを引き継いだ秋山監督は『1点を取り、1点を守り抜く』守りの野球を目指すと宣言した…
ホークス物語100 『野村監督と王監督、どちらが怖かったですか?』 両名将にエースとして仕えた事がある西村龍次投手は『間違いなく、王監督です。勝負への執念は…
る ホークス物語99 ダイエー球団は、球団買収時『南海色を消す』方針を打ち立てていた。応援団は、南海旗の球場への持ち込みを禁止され、南海ホークスの歌も演奏自粛…
ホークス物語98 清原が高校時代尊敬していたのは王監督だ。『巨人に行き、王監督の指導を受けて世界記録に挑みたい』と公言していた。 85年、ドラフト史上最大…
ホークス物語97 96年のドラフトは、伝説のメンバーが指名できた。 1位松中、2位井口、3位柴原、4位倉野、5位岡本。その後のホークスを支える歴史に残るドラ…
ホークス物語96 2007年、小久保裕紀が帰って来た。 04年、巨人に無償トレードされた小久保は、リハビリを続けながらキャンプから全力投球した。誰よりも早く…
ホークス物語95 『パナマウンガー!』のズレータをご記憶だろうか。 2003年、小久保離脱の穴埋めとし、カブスから補強した。阪神との日本シリーズ初戦のサヨナ…
ホークス物語94 2006年7月、ホークスに再び激震が走った。王監督に胃癌が見つかり、休養に入るというのだ。翌日から森脇コーチが監督代行となった。 チームは…
ホークス物語93 2006年3月、第一回WBCが開催された。 松井・城島・井口は、所属チームとの関係で出場辞退となり、イチロー・松中・多村・川﨑・西岡ら『ス…
ホークス物語92 2005年のロッテとのプレーオフは死闘になった。前年同様、第1ステージで待たされたホークスは、先に2つ落とした。 第3戦、4-0でリード…
ホークス物語91 2005年、『目指せ世界一』のスローガンの下、ソフトバンクホークス元年がスタートした。 『金は出しても口は出さぬ』オーナーは、王会長を…
ホークス物語90 2004年10月13日、ダイエー本社は経営が行き詰まり、産業再生機構に支援を要請した。ホークスは、国営の産業再生機構ホークスになるのではと…
ホークス物語892004年は、松中にとって天国と地獄を味わった年になった。 7月15日、西武戦の対松坂、2回左中間に先制ホームラン。逆転を許した4回には右翼…
ホークス物語88 2003年、福岡ドームの光景がガラリと変わった。 女性ファンが増えたのだ。それまでは、主に野球観戦は男の趣味だった。福岡ドームの声援も、男…
ホークス物語87 2003年3月6日、小久保は本塁突入時、大怪我をした。全治6か月の重傷。アリゾナでのリハビリに入った。これは試合中の事故。当初、治療費は球…
ホークス物語86 甲子園球場に行くとビックリすることがある。 レフトスタンドに陣取ると、左中間にまで阪神応援団がいる。彼らは非常に統制が取れ、ライトスタンド…
NPBドラフトには93~04年まで逆指名と自由獲得枠があった。ホークスは、小久保・松中・井口・永井・篠原・和田・新垣・馬原などその年のトップアマを獲得した。…
ホークス物語83 私の娘は秋山ファンだった。小学生のころ、秋山が打席に立つと、メガホンを叩いて応援していた。切っ掛けは、秋山のバク宙ホームインにビデオを見せ…
96年ドラフト1位の斉藤和巳が入団した。元々、ルーズショルダーを持っており、肩痛と闘いながら、トレーニングしていた。走るだけの毎日。先輩からは『契約金泥棒』…