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甲子大黒天本山のブログ https://onogawa-daikokuten.jp/

ブログで仏教的な生き方を模索しています。日々、大切にしていきたいことを書いています。

副山主
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住所
米沢市
出身
米沢市
ブログ村参加

2008/09/28

  • 見たことのない景色を

    その場所に立ってみなければ見えない景色というものがあると思っています。たとえば親になって上司になって、はじめてその気持ちが分かるということがあります。相反する立場にいると、なかなか相手の気持ちが分からないものです。そのための苦悩や衝突があるものです。人間関係のトラブルのほとんどは相手の立場や感情を理解できないことから生まれてくるものです。いかに文明が進歩しても、目の前にいる相手の気持ちを理解することは永遠の課題です。 子が成長して親になる。部下が昇進して上司になる。時間と共にその立場になれば、あの時の相手の言動を理解できるかもしれません。ですが、そうではない場合もあります。ですから、私達は今の…

  • 日本人が消滅する

    昨日の新聞の見出しに「日本人、過去最大75万人減」とありました。1年間で私が住んでいるような市が10も消滅したことになります。戦争や災害があってもここまで人口が減ることはないのかもしれません。人類の歴史においては繁栄を極めると没落してしまいます。ローマにしても平家にしても我が世の春を謳歌していると、知らないうちに滅亡へのカウントダウンが始まっているものです。日本もバブルを謳歌したのはずいぶんと昔のことなのですが、もしかしたらそこから滅亡への道を歩み始めていたのかもしれません。 今の生活に充足や幸福を感じられなければ、少子高齢化に歯止めをかけることはできません。表面的な問題ではなく、その根底にあ…

  • 自分でたどり着いたもの

    仏教などは保守的なイメージがありますが、もともと仏教も各宗派も最初は新興宗教でありました。長い年月が経つことで新興から既成となり保守的な体制に変わっていきました。私などは新しいことに挑戦したいほうで色々な試みをしております。ですが、やってみると今までのスタイルが良かったと思い至ることがあります。それは色々やってみたからこそ納得して分かることなのかもしれません。個人的には何もやらずに同じことを続けるよりも、様々な経験をしてからたどり着いたもののほうが価値があり大切にできるのではないかと思うのです。 伝統文化の世界であれば簡単に新しい挑戦などできないかもしれません。先人が守り伝えてきた伝統というも…

  • ストレス加減

    疲労が溜まり鍼にいってきました。鍼の先生はストレスの有無も分かるようで、私の頭に手をやりながら「職業柄かストレスは溜まっていませんね。」と言われました。はたして職業柄なのか、それとも私の法務に対する姿勢なのか考えさせられました。もともと私は寺院の長男として生まれた瞬間から職業選択の自由を剥奪されたようなものでした。弟は自由なのに、私は不自由だと嘆き跡を継ぐことには否定的でした。 ですが、いつの間にかレールに乗ってしまい今では住職となり楽しく参拝者の皆様をお迎えしています。もし、高校までと同じように嫌々やっていたとしたら相当のストレスが溜まっており鍼の先生も驚いたことでしょう。人生には変えること…

  • 次のステージへ

    住職になって3年が経ちました。おかげさまでコロナ禍にあっても忙しく法務に専念すべく、様々な役割を退くようにしています。副住職の頃は外の世界で様々な経験をして学ぶべき時期だったと思います。そしてお寺の世界ではなく、地域の活動に参加したからこそ、今までの自分にはなかった多くのことを学ぶことができました。これからは外で学んだことを自坊に活かすべき時期なのだと思うのです。 外の世界は楽しいもので、役職など面倒だと思うこともありますが、やりがいのほうが大きいものです。その使命感や充実感は大きいのですが、反面本業からの現実逃避にもなりやすくバランスが大切でもあります。人生には様々な経験が大切だと思うのです…

  • 冬の時代をどのように過ごすのか

    新型コロナウイルスも落ち着いているようで安心しています。何度となく波が押し寄せ終息の兆しがありませんでしたが、3年ぶりに以前の生活に戻りつつあるようです。この3年間はまさに冬の時代でした。観光業や飲食業は耐えるしかないというのが正直なところだったのではないでしょうか。ですが、例年よりも自由な時間はあったと思います。その時間をどのように使ってきたかが大切だと思うのです。 冬の過ごしかたによって、春以降が大きく違ってくると思うのです。冬の間にどのような種をまいたかによって、春の芽出しから秋の収穫まで変わってきます。誰しも苦しいのは同じだったと思いますが、そのなかでの過ごし方が問われます。逆境に耐え…

  • 命の砂時計

    人の命は無限ではありません。誰しもその刻限を知らないまま生きているわけですが、限りある命をいかに使うかが大切だと思うのです。そのことを意識して生活しているのと、意識しないで生活しているのとでは、大きく違ってくると思うのです。若い時は意識できず時間を浪費したとしても、どこかのタイミングで気づかなければなりません。命の有限性に気づくことで、自分の命と向き合い大切にできるようになるのではないでしょうか。 命の砂時計が減っていくことは悲しいことではありません。落ちた砂の数だけ私達はたくさんの経験をして生きた証を残しているのですから。他人と比べることなく、自らが満足できる生き方を心がければよいのです。動…

  • 心に巣くう原因菌

    祈りを伝えるのが私の仕事だと思っているのですが、目には見えない祈りをどのように伝えるべきなのか難しいものです。社会には目に見えて触れられる物が氾濫しています。そういったものは分かりやすく伝えやすいものです。精神的なものよりも物質的なものにシフトしていく時代にあって、いかに祈りの効用を伝えるべきなのか。ですが、祈りは体験してみなければ分からないものであり、また続けていかなければ深めていかなければ、本当の素晴らしさが分からいものでもあります。 私は朝晩の祈りを続けることが大切だと考えています。朝には「今日も一日よろしくお願いします。」という謙虚な祈り、夕べには「今日も一日ありがとうございました。」…

  • 新たなる出会いに向けて

    新生活が始まる季節となりました。期待と不安が重なる複雑な心境かもしれません。新しい出会いもあることでしょう。最初のうちは人間関係にも緊張が伴うものですが、少しずつ信頼関係を築き安心で楽しい関係を作っていきたいものです。金子みすゞさんの「こだまでしょうか」という作品があります。「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。(中略)こだまでしょうか、いいえ、誰でも。 今の自分が思っていることは、不思議と相手も同じように思っているものです。自分が不安な時は相手も不安に思っていますし、自分が相手のリアクションを待っているときは相手も待っています。大切なことは自分から踏み出…

  • 言葉の量と質

    「過ぎたるは猶及ばざるが如し」といいますが、会話においても話し過ぎると、かえって相手に伝わらないことがあります。説明が長すぎると集中して聞くことができなくなりますし、感情的に話すとお互いの感情が衝突しますし、理屈に過ぎれば嫌気がさし、なかなか自分の想いを伝えることは難しいものです。簡単明快に伝えるのが理想なのですが、伝えたいと思うほど、言葉が多くなり複雑になってしまいます。 大切なことは相手を信じて自分の想いを託することだと思うのです。すべてを伝えようとするのではなく、相手に考えてもらうことも必要です。読書でいえば行間を読む感覚、会話でいえば暗黙の了解のような、お互いに相手の心を理解しようとす…

  • 良縁の根底にあるもの

    寺院経営は商売ではありませんが、一道は万道につながると考えています。寺院もコロナ禍にあり大変だと耳にすることが多くあります。行政の支援はありませんし、社会的な同情も期待できません。普段から税制的にも優遇されていますし、社会的にも寺院に対する批判や不満は少なからずあるものです。ですから、危機的な状況も自分で乗り越えていくしかありません。コロナ禍が一段落しても、地域のお祭りや葬儀の形式などは元に戻ることはないのかもしれません。 大きな時代の転換期にあり、新たなる魅力や役割を作り出していかなければなりません。寺院にあっても参拝者を増やそうとか売上をあげようと考えるのは危険です。その発想は相手のことを…

  • 見せ方の工夫

    薬にも副作用がありますが、私達の言動にも良い面と悪い面が備わっています。自分で良かれと思っても、相手にもそれが伝わるとは限りません。それを評価するのは相手なのですから。相手がこちらの悪い面にばかりこだわっていれば、せっかくの良い面は隠れてしまいます。不思議なもので、良い面が強調される人と、悪い面が強調されてしまう人がいます。そこは性格であったり人間性によるところです。 どうせなら相手に良い印象を与えたいと思うものです。そのためには自分の良い面と悪い面を理解し、上手にコントロールしなければなりません。相手と話していても今の自分が良い面を出しているのか、それとも悪い面が出てしまっているのか、状況を…

  • 会話の極意

    人間関係は会話から作られていきますが、こちらの想いがなかなか伝わらないものです。よく「何回も言っているのに、まるで伝わらない」という嘆きを聞くことがあります。言う人と聞く人には大きなギャップがあるものです。言う人は自分の想いを整理することなく相手にぶつけますし、聞く人は自分を否定する言葉は拒否し都合の良い部分だけを聞くものです。そのため会話のキャッチボールが成り立たなくなるのです。 大切なことは自分の想いを、相手が理解できるよう、受け入れられるよう、共感できるように伝えなければなりません。この創意工夫がないと相手には伝わらないものです。何もしなくても自分の想いを理解してもらえると考えるのは、相…

  • あたりまえに思う

    冬は結露の季節でもあります。雪国ではファンヒーターを使うことが多く、あまり乾燥することはないのですが、結露に悩まされます。そこで電動の結露取りを使ってみたところ、今までの時間と手間は何だったのかという便利さでした。ところが今年その機械が壊れてしまいました。電動に慣れてしまい、もとの不便さに戻れなくなっており、新しいものを購入することにしました。慣れてしまうと、あってあたりまえになってしまいます。通販で気に入らなければ返品可能なものがありますが、手に入れてしまえば手放したくなくなる心理をついています。 この「あたりまえ」という感覚に違和感を感じることができないものです。そのため負の感情や悪習を改…

  • 失ったものより、これからを

    何かを得るということは、何かを失うことだとよく言われます。ですが、得たものは目の前にあり理解できるのですが、失われたものは存在しないものでもあり、その重要性に気づくことは難しいのかもしれません。たとえば浪費され失われた時間やお金は意識されにくいものです。また、今の人間関係や仕事によって失われた関係やチャンスも同じです。 失われたものを考えはじめると、今の生活に自信を持てなくなってしまいます。「もしかしたら、もっと良い人生があったかもしれない」と考えてしまうことは危険です。人間は過去に戻ることも、違う人間になることもできません。結局は今の自分がすべてなのです。自分が選んできた人生に自覚と責任を持…

  • アイディアの源泉

    テレビでうどんの特集をしていたのですが、珍しいきつねうどんを紹介していました。餅巾着のようにきつねの袋のなかにうどんが入っているものです。インパクトがあり、今まで見たことのない斬新な発想でした。店主はお客様に笑ってほしくて考えたとコメントしていました。店主のこの想いこそが大切なのだと思いました。 売上や話題ではなく、お客様に笑って幸せになってほしいという想いがアイディアの源泉だと思うのです。このうどんも一目見れば単純なものです。ですが、私の知る限りでは今まで誰も考えつかなかったものです。どうすれば笑ってもらえるかを突き詰めていった、ひとつの答えなのだと思います。大手の飲食店はマーケティングや多…

  • お金でお願いすること

    市場経済の象徴のようなアメリカにあっても、以前は社会規範を主とした生活をしていたそうです。ところが、いつしか信頼よりも金銭が社会の主になっていったそうです。日本においても人間関係は縮小するばかりで、その穴を埋めるかのように何事においてもお金を払ってお願いすることが常態化しています。 お互いさまということで周囲にお願いしていたことも、今ではサービスとして業者にお願いしています。葬儀などはまさにそうで以前は村や隣組でおこなっていたのが、葬祭業者に任せるばかりです。時代の流れといえばそれまでなのですが、無償でお願いするよりも、お金を払ったほうが楽だと思ってしまう感覚には注意しなければならないと思うの…

  • 万全の準備と練習

    ある設立総会の打ち合わせをしました。人により考え方も違えば、立場も経験も違いますから、事前の調整は必須になります。これによって本番ではスムーズな議事進行が可能になります。何事においても事前の準備や練習が大切です。これができるか、できないかによって、人生が大きく違ってくることもあります。 準備や練習は誰でもできることなのですが、実際にやっている人は少ないのかもしれません。頭の中でイメージしただけで本番に臨むと思わぬ失態があるものです。段取り8割といいますが、事前の調整や準備をして、本番に向けての練習をして、本番での成功率を高めたいものです。また、準備や練習ができる人は反省もでき、毎回成長していく…

  • 欲との戦い

    多くの人間は自分は欲に負けることなく、適切に制御できると思っています。ですが、その多くは過信であり、たとえ大人であっても意外と弱いものです。「こんなはずではなかった」という後悔の多くは自らの欲への敗北なのです。古今東西、様々な宗教や哲学は欲への警鐘を鳴らしています。仏教では欲を悪魔と呼んでいますが、恐るべき存在なのです。 欲への誤解はいろいろありますが、ギリギリのところで自分は大丈夫だと思ってしまいます。「あと少し、もう少し、大丈夫だ」と自分から悪魔に近づいていくのです。それこそ悪魔の策略とも知らずに、気づいた頃には手遅れになっています。また、もっともらしい言い訳を作っては悪魔の誘惑に乗ってし…

  • 迷惑動画に思う

    飲食店などの迷惑動画のニュースを見ていたのですが、コメンテーターがそもそも自分が迷惑行為をおこなっているという自覚がないと発言していました。動画の削除依頼もあるそうなのですが、反省してではなく、炎上して迷惑だからという依頼なのだそうです。こういった状況では動画に限らず、迷惑行為をなくすことは難しいものです。 考えてみれば、悪いことをしているという自覚があれば、一般人であれば平然とはできないものです。ヤンチャな若者と話してみると意外とやさしかったり素直だったりするものです。しかし、自分を制御できないこと、そして善悪の区別がつかないため、非行や犯罪が起こってしまうのでしょう。これは教育の責任でもあ…

  • ありがた迷惑

    ありがた迷惑ということがあります。本人は親切のつもりでしているのに、こちらからすれば迷惑であるということです。たとえば頼んでもいないのに手伝ってもらって、かえって仕事が混乱して遅くなってしまうことがあります。親切の押し売りとはいいませんが、悪意はないためかえって困ってしまうものです。 どうして、こういうことが起こるのかといえば、自分の善意に翻弄されてしまうからです。行動の前に自分の想いと行動が相手のためになるかどうかを考えなければなりません。何も考えない衝動的な善意はかえって迷惑なものです。自分ではなく、相手の立場に立って考えることで、適切な親切をおこなうことができるのです。 子供を甘やかすこ…

  • その時を

    何かをしたいと思っても、すぐにはできないこともあります。忙しい現代人は優先順位の取捨選択を迫られ続けます。そのため自分のことは後回しになり、仕事や家族中心の生活が長く続くものです。ですが、ようやく自分の時間が取れる時期が訪れます。その時に何もすることがなく時間を持て余すことがないよう、今のうちから「やりたいことの種」をたくさん植えておきたいものです。 たとえ今はできなくても、やってみたいと思うことがあれば、その時が来るまで、その想いが持続するようにすることです。関連する本を読んでみたり、本格的には挑戦できなくても少しずつはじめてみたり、準備しながら想いを高めていくことが大切だと思うのです。思い…

  • 理想や模範の体現

    冬などは、あと30分ほど寝ていたいと思うことがあります。では30分早く眠れば快適に起きられるかといえば、そうではありません。1時間早く眠っても、朝になれば同じようにあと30分と思うものです。これは人間は理屈で生活していないことを表しており、自らの欲というものに大きく左右されていることを示しています。朝になれば眠いものは眠いというのが正直なところです。 日々の生活とは本音を押し込む生活なのかもしれません。眠い、面倒、怖い、嫌い、さまざまな思いを上手にコントロールしながら、大人として適切な生活をしていかなければなりません。自らの弱さに負けない生活とも表現できると思うのです。それを不自由な生活と考え…

  • 私のスタイル

    最近「あなたはアクセルとブレーキのバランスが良い」と言われました。もちろん運転のことではなく、性格的な特性のことなのでしょう。この発言を受けて自分なりに考えてみました。私の場合にはアクセル4のブレーキ6の割合ではないかと思うのです。5:5だと拮抗してかえって決断できなくなるかもしれません。4:6であることで慎重に物事を進めていくのが私のスタイルです。 攻めるタイプの人ならば8:2や7:3という割合かもしれません。アクセル中心だと時流に先駆けチャンスをものにできるかもしれませんが、早計に陥りやすくチャンスよりもリスクをつかむこともあります。欲にかられることなく、ブレーキとアクセルのバランスが大切…

  • 春を迎えるために

    今年は雪が少なく楽だと思っていたら豪雪地帯らしく一気に積もりました。降り始めるとやむことなく積もり続けています。朝には約2時間の除雪が終わると、最初のところはすでに数センチ積もっています。朝昼晩と3回の除雪が必要になり、屋根の雪も重くなり除雪の合間に雪下ろしもしなければなりません。明日には立春を迎えますが、東北の春はまだ先のようです。この雪によって、雪国の人間は辛抱強くなっていくのでしょう。 良くも悪くも何事も続くものです。ですから、耐えるしかない時もあります。何も悪いことをした報いということではなく、普通に生活しているだけでも、大変なことが重なることもあります。不平不満はかえって苦しくなりま…

  • 仕事のモチベーション

    先月、輝かしいキャリアから離れて新たる道を歩もうとしている方とお会いする機会がありました。転職が一般的となっていますが、これ以上ないような職をあえて辞する感覚は一般的ではないのかもしれません。大多数の人は安定を求め仕事をし、転職者の多くは現状への不満からです。自分の夢や目的のために新たなる道を開拓しようとする気概は素晴らしいものです。 自己に対する絶対的な自信があればこそ安定を求める必要がないのかもしれません。ある意味、お金のために生きる必要のない人です。お金に縛られないと夢や義を求めて楽しく仕事をすることができます。仕事が辛いということがなく、残業も休日出勤も苦になりません。周囲から見れば理…

  • 意識を高めることで

    当山の総本山近くに隋心院というお寺があります。修行の帰りに拝観したことがありますが、最近ネットで小野小町ゆかりの寺院であることを知りました。小野小町が開湯した温泉街にある寺院の住職としては、そのことを知って拝観したかったと思いました。知っていることで満足度も大きく違ったはずなのです。 今なら事前に様々な情報を得ることができるようになりました。学校の予習ばかりではなく、何事も事前にチェックしておくことで迷うことなく見逃すことなく、知らないで行くよりも多くのことを得ることができます。もちろん、周囲へのうんちくは迷惑行為になります。あくまでも自分がより感動するため満足するための予習でなければなりませ…

  • 賢者の生活

    賢者は外に幸福を求めることがありません。外に求めることは自分の幸福に条件をつけることになります。資産が1億円なければ幸せではない、部長に昇進できなければ幸せではない、子供が早く結婚し孫の顔を見せてくれなければ幸せではない、様々あると思いますが、達成できるかどうか分からない目標を幸福の条件としてしまうと、達成できない現状は幸せではないことになってしまいます。また、多くの場合においてこのような幸福の条件を求める人はいても、努力と忍耐によって何としても達成しようとする人は少ないものです。多くの人にとっては願望であって、いつまでも遠いところにあるものです。 考えてみれば、こうして生きているだけでも奇跡…

  • 仏教的経営のすすめ

    昨年逝去された稲盛和夫氏は自らの経営に利他の精神をもって臨みました。大河ドラマになった渋沢栄一氏は論語の精神を経営に活かし、他にも偉業を為した経営者の多くが経営哲学や生き方として仏教などの思想を体現することで成功されたと思うのです。そのポイントは、いかに自らの欲を抑えるかということです。 経営者であれば儲けたい、楽をしたい、有名になりたいなど様々な欲が生まれるものです。ですが、そういった欲に飲まれてしまうと、破滅へとつながってしまいます。どのような仕事であれ、自らを抑えて顧客、取引先、社員、社会を優先することで、正しい仕事ができます。そのためには古来より人々を支えてきた思想を学び実践することが…

  • 不自然な社会

    健康に不安があれば病院で診てもらえばいい、喧嘩をしたら素直に謝ればいい、問題があれば解決すればいい。何事もシンプルで簡単なのに、それをわざわざ複雑にするのが人間というものです。あたりまえのことを、あたりまえにおこなえば不安も苦悩もなくなります。人間は自然な状態を維持できれば幸せなのです。ところが、現代社会は不自然なものが横行しています。 たとえば食事は添加物が盛りだくさんのものがたくさんあります。教育も本来の徳目が失われ時流に便乗した教科が次々に登場しています。会社や地域でも年長者による指導が難しくなり、世代間のギャップは埋めがたくなっています。家庭でも協調よりも個性が重視され、同じ屋根の下で…

  • 一意専念

    一意専念という言葉がありますが、何事においてもひとつのことに集中して臨みたいものです。現代は様々な選択肢があります。しかも、そのどちらが良いのか、やってみなければ分からないものが多く、結果が分かるまで時間がかかることもあります。そのため、たとえひとつを選んだとても、はたして自分の決断が正しかったのか不安になることもあります。 心が定まらない状態で頑張っても、なかなか成果はあがらないものです。そのためますます不安になり効率も集中力も落ち結果は遠のくばかりです。私はどちらを選ぶかよりも、選んだものを「これで間違いないと」信じ結果が得られるまで頑張ることです。そのためには、まず自分を信じることです。…

  • 幸・不幸の原因

    この世界には4つのタイプがあると思っています。1、自分の幸せの理由が分かっているタイプ2、自分の幸せの理由が分かっていないタイプ3、自分の不幸の理由が分かっているタイプ4、自分の不幸の原因が分かっていないタイプ 幸福の理由が分かっている人はいつまでも、その幸福を持続することができます。幸福の理由が分かっていない人は、現在たまたま幸福なのであって、幸福・不幸の波に翻弄されます。不幸の理由が分かっている人は、その不幸から抜け出すことができます。不幸の理由が分かっていない人は、いつまでもその不幸が続くことになります。 現在の幸・不幸の原因や対処が分かっているならば、幸福を持続させ不幸を回避することが…

  • 共通の常識感覚

    テレビ「ノンレムの窓」で代行社会を見ました。代行業が普及した社会でプロポーズもお互いに代理人に頼み、結婚の挨拶でも本人達も両親もみな代理人だったというストーリーです。現在でも会社を辞める時など前日まで普通に働いていて、突然代理人が来て退職の処理をするということを聞きます。たしかに会社を辞めるということは気まずいかもしれませんが、ご縁があり働いてきた会社であり、お世話になった会社なのですから、相応に礼節を尽くすべきなのです。 面倒なことがどれだけできるかが大人の条件ともいえます。嫌だから嘘をつく、誰かに頼む、知らないふりをする、いずれも良識ある大人の行動とはいえません。面倒なことや嫌なことが成長…

  • 恐れることはなく

    パトカーを見ると何故か緊張してしまいます。何も悪いことをしているわけではないので、堂々としていれば良いのですが、条件反射のように気まずい思いをしてしまいます。人生においても善く生活していれば、何も恐れる必要はないのです。生きていれば不安や自己嫌悪が伴いますが、そういったものに翻弄される必要はありません。堂々としていれば良いのです。 杞憂という言葉がありますが、善き生活をしている人はあまり心配をする必要はないのです。この世界は因果応報です。悪き種をまかなければ、悪しき実はつかないのです。大切なことは善悪の種を見極めることです。悪しき種をまきながら、そのことを知らずにいれば原因の分からないトラブル…

  • 成人の日に

    成人の日がありましたが、その歴史は浅く昭和になってから始まったようです。さらに昔であれば元服という儀式もありましたが、大人になる儀式は世界中にあるようです。近年の成人式はヤンチャな衣装で暴れる姿が報道されますが、少数派だからこそ目立つのでしょう。もっと大人としての自覚や責任に目を向けた報道をしてほしいものです。 人に成ると書いて成人です。私達はありがたくも人として生を受けましたが、まずは生存本能でのみ生きる存在でした。そこから教育を受けることで、本能や欲望を抑えて正しい判断や行動ができるようになっていきます。成人とは、一人でも自らを律して生活できるようになることであり、社会や周囲に対して貢献で…

  • 新春に

    新年あけまして、おめでとうございます。新年を迎えると厳かな気持ちとなり、希望に満ちた想いで今年一年頑張ろうと思います。その気持ちをいつまでも見失うことなく精進したいと思います。今年もご愛読ください。 人生、苦あれば楽ありといいますが、どちらも選り好みすることなく、存分に楽しむことで、より豊かな人生を歩むための栄養になるのではないかと思うのです。苦の時は不平不満ではなく、前向きに歩むこと。楽の時は傲慢ではなく、感謝の気持ちで歩むこと。おだやかに安定した生活とは苦楽に翻弄されない生活だと思うのです。 苦楽は避けることのできないものであり、どちらかだけということはなく、けして平等ではないかもしれませ…

  • 一年の速さよりも重さを考える

    師走も大詰めあっという間の一年でした。肌寒くなってからの2か月間は特に早かったように感じます。ですが、一年の速さよりも一年の重さを考えたいと思います。一日一日が大切なのですが、忙しく過ぎ去ってしまう一日について考えるのは難しいように思います。やりくりしても30分~60分ほど自分の時間を作ることができれば良いほうです。ですが、一日30分×365日になれば182時間と30分の時間になります。これだけの時間があれば、どんなことでもできるのではないでしょうか。 忙しく時間がないのが現代人ですが、多忙に屈することなく自分の時間を作り、そこから自分の人生を作っていなければなりません。大切なことは、たとえわ…

  • シンプルな言葉のなかに

    七仏通戒偈の一節に自浄其意という言葉があります。自分の心(意)を浄めなさいという教えです。私達の心は野原のようなもので何もしなければ次々に雑草が生えるかのように雑念が生まれてくるものです。その雑念が心のなかで繁殖してしまうと何も見えなくなってしまいます。そのため正しい思考や判断ができなくなってしまうのです。 参拝は心を浄めるという意義もあります。非日常の世界に身を置くことで、日常生活のなかで繁殖した雑念を払うことができます。心を整理整頓することで、今まで雑念で見えなくなっていたものに気づくことができるのです。雑念の根っこは簡単に取り除くことはできないので、つねに生えてきた雑念を刈り取りながら根…

  • これからの生活

    まもなくクリスマスですが、日本人にとっても待ちに待ったイベントです。仏教も儒教も外来の宗教でした。それが日本に伝えられそれぞれに定着していきました。日本古来の神道も外来の宗教と争うことなく今日まで続いています。この日本人の宗教への寛容性は素晴らしい徳性だと思うのです。すべての宗教を敬い生活のなかで融合しているのです。 アジアは多神教であり、様々な宗教が共存しています。森の宗教とも呼ばれ、豊かな土地の宗教は寛容な性質を持つといわれます。対して砂漠の宗教は厳しい環境で生きていくために寛容よりも厳格さを持つといわれます。生活環境により宗教の性質も変わるものです。これから世界はますます厳しい環境にさら…

  • 癸卯の意味と心得 令和5年(2023年)

    令和五年は【癸卯 みずのと う】の年です。【癸】はもともと「はかる」という意味であり、測るための基準や道筋という意味に変わっていきました。季節は十干の最後であることから冬を表し、草や葉がなくなり見通しが良くなることで、今まで見えなかったものが現われる年でもあります。それは次の十年に向けた新たなる課題でもあります。その課題解決に向け道筋をつけていかなければならない年となります。 【卯】は門を開いた形であり、天門が開いて万物が繁栄する年です。門の先にある新たなる世界は未開であり、開拓していかなければなりません。競争も激しくなりますが、全体的には活性化する年になります。競争に流されないよう、自分なり…

  • 新たなる心

    植物は根から栄養を吸収し成長していきます。私達人間も栄養を吸収し成長していかなければなりません。体については適切な食事、運動、睡眠などで成長していきます。大切なのは心の成長だと思うのです。体と比べれば見えるものではなく、方法も複雑なため体ほど誰しも平等に成長していくことはありません。どのような栄養を吸収すれば良いのか考えなければなりません。 体と同じくバランスの取れた栄養を心がけなければなりません。心といっても向上心、慈悲心、センス、道徳、教養など多岐にわたります。それぞれに備わったものもありますが、それ以上に磨く努力が欠かせません。大人になり心の成長を放置してしまうと、錆びついてしまいます。…

  • 冬将軍の到来に

    冬将軍が到来し、いよいよ除雪の季節となりました。当地においては、雪はあたりまえで11月から雪の準備はしていました。ですが、いざ降り積もる雪を見ていると気分は沈んでしまいます。ですが、いかに雪を恨んでも、どうしようもありません。雪も台風も地震も人間の力の及ぶものではありません。我々は自然の恩恵と脅威を受け取るしかできないのです。 地元では11月になると挨拶で雪が話題になります。今年はどうなるのか。皆さんそれぞれのことをおっしゃいますが、一様に雪が少ないことを願うのですが、たまに雪がなければ米沢ではないと、雪を嫌がらない人もいます。そういう人は雪が降り始めても、落ち込むことはないのでしょう。もしか…

  • 被爆国の道

    防衛費の増額が検討されているようですが、現在の経済危機にあって他の予算を削ったり増税してまで必要なのか考えさせられます。私は防衛費に予算を使うならば、国際貢献に使うべきだと思うのです。各国との関係を強化することで、日本に手を出したら世界中が黙っていないという雰囲気が大切です。 どこの地域や団体にも「あの人に頼まれたら」とか「あの人のためなら」という人がいると思います。義理人情があり、自分のことよりも全体や相手のために頑張っている人です。日本もそういう国にならなければなりません。今回のウクライナ侵攻も世界中の国々が団結することができれば、ロシアもあきらめるしかありません。各国に利害や思惑があるか…

  • 物事の根底にあるもの

    最近、どのような企画をおこなうかよりも、誰がおこなうかのほうが重要だと思うようになりました。その企画自体よりも、どれだけ責任をもって継続できるのか、どれだけ周囲が協力してくれるのか、こういった条件を満たす「人」のほうが大切なのです。どんなに素晴らしい企画でも、最初から順調に進むわけではありません。トラブルがあっても、思うような成果があがらなくても、途中で投げ出さない責任感や忍耐力が求められます。また、一人でできることは限られています。たくさんの人が協力してくれることで、より大きな企画となり、成功につながっていきます。 企画は未熟でもかまいません。正しく続けていけば、必要なものは自然とついてくる…

  • 単調な毎日のなかで

    NHKで料理番組をたまたま見ました。大根料理でしたが、基本的な調理から工夫まで短時間でよくまとめられていました。大根は一般的で基本的な食材だと思いますが、毎回の調理を見直してみると、いつもの味がさらに美味しくなるのかもしれません。同じ食材でも同じように調理し続ける人もいれば、テレビや本を参考に改良や工夫を重ねる人もいます。毎日のことであればあるほど創意工夫によって大きく違ってくるのではないかと思うのです。 日常生活の大半は同じことの繰り返しです。その同じことをいかに楽しめるのかによって、生活の豊かさが変わってくると思うのです。料理も工夫やアレンジですが、生活も人生も同じでありたった一度の人生を…

  • いつか必ず役に立つ

    サッカーワールドカップ日本代表の試合は惜しかったわけですが、あの試合を見て悔しいと思った子供たちが、次の新しい景色を見せてくれるのではないでしょうか。日本中が一体となり盛り上がった素晴らしいワールドカップでした。またサポーターの試合後のゴミ拾いも称賛されています。日本人の美徳を世界に知らしめた素晴らしい取り組みだと思います。 自然と公共の掃除ができるのは小学校から掃除をしているからだと思います。近年はお金を払っているのに、どうして掃除をさせるのかという愚かなクレームもあるそうですが、掃除も立派な教育であり何があっても続けてほしいと思います。同じように給食の給仕の経験があるからこそ、災害時の炊き…

  • すべてをかける

    「二本の矢を持つことなかれ」という言葉を知りました。失敗しても次があるという慢心と、この一本にすべてをかけるという覚悟を比べれば、数の優位など意味がなくなります。応援で練習のつもりでやれと聞いたことがあります。リラックスして臨めという意味なのでしょうが、緊張感も必要です。ひとつのことに、どれだけ集中して覚悟を決めることが大切だと思うのです。 私は筆を持つ仕事ですから、長いこと書道に通っていました。ですが、何枚も練習をして一枚の作品を作るよりも、毎回本番の朱印や御札を書いたほうが上達するように思います。「失敗してもいい、次がある」と思ってしまうと、なかなか上達しないものです。本人を目の前にして本…

  • 私のプライド

    中国ではゼロコロナ政策に対するデモが頻発しているようです。もう我慢の限界といったところでしょうか。中国政府もゼロコロナ政策の転換を示唆したようで、世界中に影響を与えている政策がどのように変わっていくのか、気になるところです。以前の中国ならば、デモに屈することなく制圧していたことでしょう。体面を重んじ、間違いを求めるようなことはありませんでした。 意地を張るから苦しくなるのです。素直に謝ってしまえば、間違いを認めてしまえば、すべてまるく収まるのに、それができない人が多いものです。時間が経つほど、できなくなりますから、とっさに反射的に非を認めることが大切ではないかと思うのです。宿題にして持ち帰るの…

  • 悲観的に考えて楽観的に

    当山の起源となる山岳信仰について学ぶため現地に足を運んでいますが、現在は跡地となっています。明治前後の廃仏毀釈によって、建物はすべて失われてしまい、難を逃れた仏像が当山に伝えられています。周辺の歴史を調べると同じように消失した寺院もあれば、建物はそのまま神社になったところもあります。今回参拝したところはいち早く神社になったことで、貴重なお堂や文化財が残されていました。 廃仏毀釈という日本における宗教弾圧のなかで、信仰を護るのか、本堂や文化財を護るのか。難しい判断だったと思います。何を大切にするのかという選択であり、正しい答えがある問題ではありません。どちらも失うものは大きく、苦渋の決断だったと…

  • 自分をアップデート

    サッカーワールドカップで強豪ドイツに勝った日本代表に日本中が歓喜したことでしょう。私の場合には熱烈ということはなく、勝ってほしいけれども、現実は厳しいかと思っていました。ですが、勝負というものは分からないものであり、先入観や固定観念に縛られてしまうと、正しい判断ができなくなってしまいます。相手を過剰評価しても、自分を過小評価してもいけないものです。 正しい評価というものは難しいものです。大切なことは「やってみなければ分からない」と考えることなのかもしれません。やる前からあきらめるよりも、勝負してみることです。経験してこそ、漠然とした思いを具体化するためにも経験が必要なのです。経験によって今の自…

  • コロナ禍の無常観

    なかなか終息しないまま第8波が到来しているようです。ある調査でコロナ禍における価値観の変化として無常観が増加もしくは定着したという結果がありました。現代の生活が意外と脆く儚いものであるという認識が強まったのではないかと思います。まさか未知のウイルスの流行が世界中で3年間も続くとは誰も思わなかったことです。 コロナ禍により今まで当たり前だったことが制限されるようになりました。不自由な生活を強いられ、生活や将来に対する不安も増大しました。無常感も増大するのは自然なことだと思うのですが、そもそもこの世界は無常なる世界なのです。人類は文明の発展によってそのことを忘れていただけなのです。 仏教は無常を根…

  • 探求型学習のその先へ

    あまり共感できませんが、小学校から探求型の学習が取り入れられています。私などはまず基礎学力をつけてからの探求であり、詰込みと非難する前に基礎を大切にするべきだと考えています。以前の論語の暗唱などは基礎だけではなく道徳にも通じ生涯の宝となる学習だったと思っています。ゆとり世代が非難され、新しい学習が取り入れられましたが、現在はまたゆとりに戻ってしまったような印象を受けます。 探求とは、自分なりの答えを導き出す能力だと思うのです。ところが、現代は安易な答えに安住している人が多いように思います。どうせ頑張ってもしかたない、もう私の居場所なんてどこにもない、何をやってもつまらない。これらの答えは安易す…

  • 熱意と準備

    私は何事も熱意と準備だと考えています。できる人ほど熱意があり陰ながらコツコツと準備をしています。そしてチャンスが巡ってきたならば、即座につかむことができるのです。できない人は普段から何もせず、チャンスが巡ってきても言い訳をして終わってしまいます。やりたいことがあり、そのための努力や準備ができ、チャンスに挑む勇気があり、結果を得られるのだと思うのです。 活躍している人ほど、見えないところで頑張っているものです。外野は勝手なことを言いますが、そういったものに左右されることなく、自分の信じる道をひたむきに歩んでいる人は強いものです。厳しい道を歩む人ほど、より大きくなっていきます。楽な道など選ばず、厳…

  • 信頼関係の基

    交通ルールを守らなければ事故になります。子供の頃は交通教室で、大人になれば教習所で交通ルールを学びます。大多数の人間が交通ルールを守ることで安全安心な通勤通学が実現します。人間関係においては、交通ルールの代わりに道徳があります。交通ルールと同じく、大多数の人が道徳を尊重すればトラブルなく安らかに生活することができます。 道徳は算数などとは違い自然と身につけていくものです。本を読んで学ぶということでもなく、年長者に怒られたり、失敗や反省から学んでいくものです。生活のなかで学び実践していくものです。道徳は言語のようなものでもあり、共通の道徳を持ち合わせていれば、暗黙のうちに理解共感できるものです。…

  • 無機質社会の輝き

    先日ある記念式典が無事に終わりました。1年以上前から会議を重ね準備を進めてきたわけですが、刻々とその日が近づいてきて、当日はあっという間でした。コロナ禍にあり規模縮小や祝賀会の中止ということもありますが、なんだか物足りない寂しさを感じました。ですが、終わってしまえばそういうものなのでしょう。旅行などでも、出発前のワクワク感のほうが楽しいのかもしれません。 本番を迎えれば淡々と終わってしまうとしたら、頑張っても頑張らなくても同じなのかもしれないと考えてしまいます。ですが、事前の様々な心配や苦悩がありトラブルがあり、それらも含めての本番なのだと思うのです。同じイベントでも立場によっても関わり方によ…

  • ミサイル発射

    不満が高まってくると、すべてを投げ出し絶縁したくなることがあります。とんでもない仕打ちを受けたわけではなく、個人的な被害妄想に近いような不満なのですが、自分のなかに渦巻く負の感情は道理も良識もすべて破棄させようとします。しかし、すべて断絶するような行動に出てしまえば、もはやそこに留まることはできなくなってしまいます。] どのよう時であっても愚かな行動を制御しなければなりません。すべてを投げ出したくなっても、行動につなげてはいけません。短気は損気といいますが、愚かな行動のつけは自分のところにやってきます。ほんの少しの忍耐が足りないことで大きな後悔を背負うこともあります。いかに心が荒れていようとも…

  • 儚くとも豊かに

    人生の歩み方はそれぞれで良いと思うのです。目標に向けて懸命に走り続ける人、急ぐことなくのんびり歩む人、遠回りしながら景色を楽しむ人など、人により年代により環境により様々です。大切なことは自分なりの信念や哲学を持つことだと思うのです。それは後悔しないためのものです。他者と比べて自分の人生を考えれば、優越感や劣等感や後悔が生まれてくるものです。 自分が納得できれば、それで良いのですが、周囲と比較することで自らを苦しめてしまうことがあります。「隣の芝生は青く見える」といわれるほど、周囲が気になり良く見えるものですが、自分を捨てることも、誰かと人生を交換することもできません。与えられた条件と環境のもと…

  • 批判社会からの脱却

    私はちょうど昭和と平成の狭間の世代です。昭和の価値観も平成の価値観もどちらも理解できるような気がします。昭和は良くも悪くも長く日本に根付いてきた価値観の終焉期といえるのかもしれません。戦争・敗戦・発展・崩壊と目まぐるしい時代にあり、人々の価値観も大きく変化していきました。 平成になると負の時代となり、不況を背景に社会の価値観も批判が主流になってきたように思います。メディアにより責められ変化を求められ、無言のプレッシャーが社会を覆いストレス社会は加速していきました。政治も労働も教育も価値観も批判され、どうして良いのかもわからず、迷走した30年といえるのかもしれません。 これからの日本社会を考えれ…

  • 亀のような歩みでも

    映画「線は、僕を描く」を観てきました。分野は違えど筆を持つ者として共感できるところが、たくさんあり感動しました。もう少し早ければ、もう少し時間があれば水墨画はじめてみたいとも思いました。「もう少し」というのが言い訳だとは思いながらも、現実は時間的余裕がありません。実は10数年前に水墨画のサークルに通ったことがありました。興味本位のためすぐに辞めてしまったのですが、いまさらながら続けていればと思いました。それなりに10年続けていれば、ご朱印の幅がさらに広がっていたことでしょう。日頃から尻に火がついたように頑張っていれば機を逃さず邁進できるのですが、本気になれなければ成就の機運は遠のいてしまいます…

  • 苦界のなかで

    テレビでヤングケアラーの特集を見ました。それまで言葉は知っていても、どこか遠い世界のことであり、実感がありませんでした。今回は介護をする若者と介護される親を映像で見て、その苦悩を聞いて、涙があふれそうになりました。誰も望んで介護をするわけでも、されるわけでもありません。しかし、そうしなければならない現実がありました。 現代の日本にあって、こんなにも理不尽なことがあるのかと思うのですが、同情するのは失礼だと思いますし、何か具体的に手助けできるわけでもありません。世界に一つだけの花の歌詞に「一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」とありますが、肥沃な大地に落ちた種も…

  • 巡礼とは

    来月、大学生に三十三観音巡礼の法話をすることになり内容を考えています。慈悲を司る観音様ですから、せっかく巡礼をするならご利益を求めるばかりではなく、三十三の観音様を巡りそれぞれから慈悲の心をいただくことが大切だと思うのです。観音巡礼から帰ったならば観音様のようになっていたというのが理想なのです。 仏教とは仏様になる教えというのが本来の意味だと考えています。信仰の対象である仏様に自分も成れるというのが仏教の特徴です。簡単なことではありませんが、仏様に近づこうとすることが大切です。社会に出れば嫌味な上司、陰口ばかりの同僚、無責任な後輩など様々な人間がいます。しかし、その人達を自分が思うように変える…

  • 奇跡を味わう

    どうしてもバランスの取れない字に苦戦していました。書いても、調べても、どうも上手く書けませんでした。そこでふと確認したことは書き順でした。書き順が間違っており、正しい順番で書いてみると、今までのことが嘘のように書けるようになりました。書き順ひとつをとってもバランスよく字を書くために開発されたものであり、漢字の奥深さに感心させられました。 何事にも正しい手順というものがあります。この手順を間違うとなかなか成就しないものです。うまく進まない時には自分がおこなっている手順について順番や抜けがないか確認してみることです。うまくいかない時には必ずうまくいかない原因があるものです。その原因に気づくことがで…

  • 宝在心

    当山の宗旨は真言宗であり開祖は弘法大師です。大師の言葉に「仏法遙かに非ず。心中にして即ち近し」とあります。悟りというものは、どこか遠い世界にあるのではなく、自分の心の中にあるという意味です。仏教といえば厳しい修行や難しい学問というイメージがあるかもしれませんが、実はそうではなく最初から自らの心に備わっていることに気づくためのものなのです。仏教だけでなくは古今東西の様々な宗教や哲学は人間の幸福というものは外に求めるべきものではなく、自らの心を満たすことが大切であると説いています。この共通性は表現が異なっていても真実は一つだということが分かります。 外界の財宝よりも、心中の宝のほうが素晴らしいと思…

  • 人間を学ぶ

    神仏の御心を知らなければ、それに適った生き方はできません。仏教の教えとは仏様の御心に適った生き方をするための教えともいえます。その生き方の実践は仏教的な幸福への道でもあります。ただ闇雲に学ぼうとしたり修行しようとするよりも、物事の根底にある核心的な部分に意識を向けなければなりません。 人間関係においても相手の心を知らなければ円滑な関係は築けません。お互いに相手の想いを理解し行動することが大切です。長年、一緒にいると何も言われなくても相手のことが分かり、自然と動けるものですが、それくらい相手を熟知しているわけです。これは、ただ長い時間を一緒にいるだけではなく、お互いの共感の積み重ねによるものだと…

  • 新たなる自分

    朝晩、寒くなってきており近くの山では紅葉も進んでいます。冬が近づくこのタイミングは複雑な気分になります。名残惜しさと雪の心配と、寒暖差とともに募っていくものです。何事においても「途中」が嫌なものです。真冬になれば、どん底になれば、あとは開き直るだけなのですが、マイナスに向かっていく過程が大切であり、そこで踏ん張ったほうが良いのか、いっそ落ちてしまったほうが良いのか、分からなくなることもあります。 気持ちの切り替えが大切なのです。何事も心からはじまります。気持ちをリセットして、新たなる気持ちで進まなければなりません。ところが、このリセットが難しいのです。自分ではリセットしたつもりでも、リセットし…

  • 信じて待ってみる

    この社会に対して憤慨したり失望することがあります。そういった人々の想いが人類の進歩につながってきたと思うのですが、基本的に人間が作り出す社会である以上は完璧であることはありません。社会に対する憤慨や失望は、正しくあるべきだという思いがあるからです。理想と現実を区別せず混同してしまうと、マイナスの感情に支配され心が安定しません。 社会を善悪や正誤で計るべきではないのかもしれません。社会は完成されたものではなく、いわば発展途上にあり失敗を繰り返しながら成長していきます。憤慨しても失望しても、仕方がないのです。牛歩のように遅い歩みでも信じて見守るしかありません。戦国時代や明治時代と比べても現代の生活…

  • 見られたくない部分

    「天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず」という言葉が老子にあります。天の張る網は粗いように見えても、けして逃すことはないという意味です。天はちゃんと我々のことを見ており、悪いことをすれば罰がくだり、良いことをすれば加護が得られるものです。たとえ時差があったとしても、因果応報の理から逃れることはできません。正しく因果と向き合うことが大事なのです。天だけではなく、社会も周囲も見ていないようで見ているものです。ただし自分が見てほしいと思うところではなく、逆に見てほしくないと思うところが見られるものです。ですが、その部分が大切なのです。課題や問題のない人はいません。その課題や問題をそのま…

  • 御心に近づく

    夕方のお参りでは順調だった一日とうまくいかなかった一日と同じようにお参りするのが難しいものです。順調だった時には素直に感謝できるのですが、不調だったり失敗した時の感謝は難しいものです。そもそもどのように感謝すればよいのか。不調も失敗も授かりものであり、意味があると考えることもできますが、そのように考え心から感謝できるようになるには人間的な成長が不可欠です。 ご利益があれば信じ、なければ信じないというのは表面的な信心だといえます。そこから進んでご利益があってもなくても、変わらぬ信心を養うのが修行というものです。それはご利益を求めるのではなく、どのような一日であったとしても感謝できる心であり、自ら…

  • 心を重ねて

    小学校の記念誌を担当していますが表紙の色を決めるときに多数決を取りました。最後の2択になったときに、ある編集委員から「この色は小学校の象徴であるイチョウの黄色ですね」という発言がありました。それを聞いて、それまで青色が優勢だったのが、逆転して黄色に決まりました。物語や人の想いが加わることで違って見えるようになるものです。 物には心がありませんが、それを作った人や使う人の心が宿ることがあります。大量消費の使い捨てではなく、長く大切に使われるものほど、たくさんの想いが宿るようになります。その想いを知るか知らないかで、見方が大きく違ってきます。昔は良い物を長く使う文化がありました。SDGsは最近の言…

  • 答えは後から

    人生における選択肢に絶対的な正解はなく、そのため誰しも迷いながら生きているものです。あらかじめ分かっていれば、選びやすいのですが、「やってみなければ分からない」というのが実際のところです。ですが、分からないということは、可能性があるということでもあります。自分の可能性を信じること、そして誠実に頑張ってみることが大切だと考えています。 人生は理不尽なもので、必ず意味があると言われても、その時点では理解できないものです。ですが、5年後や10年後に、もしくは20年後に気づくことができたり、価値が生まれることもあります。もちろん、すべてに価値が生まれるわけではなく、不平不満ではなく、たとえ理不尽なこと…

  • 関わりのなかで

    忙しい日々か続いております。法務に専念できれば良いのですが、俗世につかり様々な役割を与えられております。自ら望んだものもあれば、押し付けられたようなものもあります。どれも仕事量以上に期待やプレッシャーが負担になることがあります。近年は仕事もほどほどにプライベートの充実を求める傾向もありますが、なかなかそうはいかないものです。 私はどのような仕事であれ関わったならば、できる範囲ではあれ頑張りたいと思っています。個人の楽しみよりも、地域の様々な関わりのなかに楽しみを見出したいと思うのです。活躍できる喜び、居場所がある喜び、忙しいと愚痴ることができる喜びなど、面倒だと思うことなく関わっていくことで得…

  • 謙虚という宝物

    順調な時ほど実は落とし穴が多いのかもしれません。油断していると、すぐに落ちてしまい一瞬の栄光に終わってしまいます。逆に逆境にある時にはどん底にいるわけで、これ以上は落ちることがありません。覚悟を決めて頑張るしかありません。ところが頑張ってはいあがっていくと、苦労したことも忘れて調子に乗り、また落とし穴に落ちてしまいます。 調子がいいと、すべて自分の能力だと勘違いして周囲への感謝を忘れてしまいます。何をやっても上手くいくと勘違いして準備や根回しを怠るようになります。問題や心配があっても何とかなると不都合に目を向けなくなります。みんなが理解してくれていると勘違いし独断や説明不足に陥ります。他にも様…

  • リニューアルのご案内

    甲子大黒天本山のホームページをリニューアルしました。今後も内容を充実させ、様々な情報を発信していきます。是非、ご覧ください。https://onogawa-daikokuten.jp/

  • 成功者の視点

    日々の反省ということについて考えさせることがありました。写経では朝には「今日も一日よろしくお願いいたします。」夕べには「今日も一日ありがとうございました。」という祈りが日々の安寧につながると法話をしております。朝は今日も一日頑張ろうという誓いであり、また見守ってくださいという祈りです。夕べは今日一日への感謝であり、そして反省が含まれなければならないと思うのです。 反省がないと自分の失敗や欠点に目がいかなくなります。都合の良いことばかりになり、成長がなくなります。そのため問題や課題がそのまま放置され、結果的に何事もうまくいかなくなります。感謝と反省の両輪が必要だと思うのです。さらには良かったこと…

  • チャンスをつかむ人

    「考えるよりも先に体が動く」と聞くことがあります。これは思慮がなく思いついたらすぐに行動する無鉄砲という意味なのか、それとも考えすぎて行動しない人への嫌味なのか、捉え方はそれぞれだと思います。思考と行動のどちらが大切なのか。もちろん両輪なのですが、強いて言えば結局行動しないのであれば、まず行動したほうが良いのかもしれません。動き始めると必要なものは、あとからついてくることもあります。 今回のテーマはチャンスをつかむのは一瞬の判断ということです。チャンスが到来した時に迷っていてはもちろんですが、考えている暇もないかもしれません。スマホで検索したりマニュアルを探す時間はないかもしれません。現時点で…

  • ミックスジュース

    あまりジュースは飲まないほうなのですが、最近は色々なミックスジュースが出ているようです。単独の味よりも、上手に合わせればより深い味わいになるのかもしれません。素材の相性や配合などメーカーの発想と技術の見せどころです。人生においても様々な経験が合わさることによって、より豊かな人生になるのではないかと思うのです。 順風満帆に歩むのも良いのですが、失敗があったり、寄り道があったり、避難したり様々あってかまいません。絶対の正解はなく、本人が納得できればそれが正解になるのです。「あの時に失敗したから今がある」とか「あの時の経験は無駄ではなかった」と思えるような、不本意ながらも負けずに頑張った経験や、あえ…

  • 日本を信じる心

    濃厚接触者になってしまい参拝者の受け入れも休止しなければならなくなりました。ご予約いただいていた参拝者もありました。当日、お越しになっても会って対応することができず、立て看板にて説明し、外から電話をいただくしかありませんでした。せっかく来ていただいたのに、楽しみにしていただいていたのに、何もできずに帰っていただくのは私としても無念でした。ですが、文句を言われるどころか、こちらを気づかっていただき、本当にありがたかったです。 日本では10人に1人がクレーマーといわれ義理も人情もない日本になったと嘆かれますが、今回のことで私はまだまだ日本も捨てたものではないと思いました。社寺仏閣に参拝するような人…

  • 引力の法則

    惑星には引力がありお互いに引き合って太陽系が成り立っていますが、人間もそれぞれに引力を持っており、引き合ったり反発したりしているようです。引き寄せの法則というものがあります。今回のテーマと同じなのかは分かりませんが、その人が望むことよりも、その人が持っている属性と同じものを手繰りよせるのかもしれません。 善意は善意を引き寄せ、悪意は悪意を引き寄せます。同じような人間が集まるのもお互いの引力によるものかもしれません。良くも悪くもお互いの属性が増幅され、個人ではできないところまで到達します。集団の力の根底には類似する属性があり、知らず知らず同じ属性に惹かれていってしまうのです。 人間は同じような環…

  • 根本を見つめる

    枝葉の議論という表現があります。意味としては表面的な議論に終始し、根本的な解決につながらないといったところでしょうか。植物は根があり茎があり葉がありますが、私達は桜といえば花を見て、紅葉といえば枝葉を見るわけで、目につくところに目がいってしまうわけです。 これは植物ではなく問題に対する場合も同じだと思うのです。問題がある場合には、どうしても目につきやすい部分と、なかなか見えてこない部分もあります。必ずしも目につきやすい部分が問題の解決につながるとは限りません。草刈りをしていると表面の草を刈っても根が残っているため、しばらくするとまた生えてきます。根本的な根の部分を解決しなければ、同じ問題が再燃…

  • 恐れるに足りず

    失敗や叱責があれば、誰でも落ち込んでしまうことでしょう。人として、この社会で生きていれば誰でも経験することでもあります。偉人伝に掲載されている人でも同じように失敗があり怒られていました。考えてみれば失敗も叱責もあたりまえのことなのです。誰もが経験するあたりまえのことを恐れる必要はないのかもしれません。 失敗も叱責も歯医者も試験も陰口も敵意も避けることはできず、誰もが経験することでもあります。それらを喜ぶことはできませんが、恐れる必要もありません。まして恐れるあまり逃げる必要もありません。虫歯になれば歯医者に行くのが正しい選択です。失敗を恐れるよりも、挑戦してみること、そして失敗したら謙虚に反省…

  • 是非も及ばず

    織田信長が明智光秀に襲撃されたときに「是非も及ばず」と言ったそうですが、その意味は是非を論じても意味がないといったところでしょうか。本人の気持ちは分かりませんが、歴史的評価からすれば信長の自業自得ともいえるのかもしれません。戦国時代はじめての天下統一を目前に部下によって死地へと向かうわけですが、その無念はいかほどかと思いますが、「是非も及ばず」の言葉通りに仕方がないわけです。 現代社会においても理不尽なことはあるもので、それをいちいち論じていてもどうしようもありません。すでに起こってしまっことに対して、それが善か悪かと考えることよりも、誰の責任かと断定することよりも、まずは対処するしかないので…

  • 苦言or難癖

    以前は、なんでもOKというか、快い返事の人間でした。思うことはあっても、何も言わず認めるというか、黙認していました。些細な違いといっても、その差を埋めることは意外と難しいものです。お互いの納得が理想としても、結構なハードルでもあります。 相手の間違いや問題を指摘することは特に難しいものです。冷静に話し合うことには忍耐が求められ、円満な解決には相当な人間力や信頼関係が必要です。それなら見ないふりのほうがお互いに楽だと考えていました。ところが、そういう関係では無難ではあっても、成長や信頼はないものです。指摘すること、特に相手が気づいていないのならば教えてあげることが大事だと思うようになりました。 …

  • 最善の策

    面倒だからやめてしまおう。日々つい考えてしまうフレーズです。ですが、思いとどまるため、私は「今こそ試されている」と考えるようにしています。たとえ誰も見ていなくても、天が見ており、自分が見ています。面倒なことを避けて通る人間なのか、それとも面倒なことでもちゃんとできるのか。自分に負けず、天に誇れるようありたいものです。 素直に謝ることができるのか、困っている人がいたら声をかけられるのか、落ちているゴミを拾えるのか、妥協せず目標に向かえるのか、すべて試されていると思えれば、頑張ろうという気持ちも芽生えるものです。どのようにして自分を支えるのか、奮い立たせるのか、そのやり方はそれぞれだと思いますが、…

  • 親ガチャ

    恩に報いると書いて報恩なのですが、私達はまずこの世界に人間として生まれただけで感謝しかありません。誰しも自分の意志で生まれてきたわけではなく、神仏や父母より与えられた命なのです。最近は親ガチャという言葉が注目されているようですが、私は共感することのできない言葉です。たしかに1億総中流社会といわれたのは過去のことです。現在は子供の貧困やヤングケアラーという問題もあります。 社会は平等を目指しますが、平等ではないのが現実です。100人いれば100人の人生があり100人の事情があるものです。ただ私は上下優劣ということはないと考えています。お金があれば幸せかといえば、そうではありません。親によって人生…

  • 働くことの意義

    経営の神様と称えられた稲盛和夫さんが逝去されました。昭和を代表する経営の神様は松下幸之助さんですが、昭和の経済成長期だからこその快挙と評する人もいます。ですが、稲盛さんはバブル崩壊後の平成においても卓越した手腕を発揮され、自らが創業された京セラやKDDIはもとより、日本航空などの再建にも尽力されました。 私が尊敬するのは現在主流となっている数字重視の経営ではなく、人間の心を重視した経営で成果を出し、さらにはその伝道にも尽力されたことです。コンサルタントに洗脳され社員をコストと考えたり、社会的責任を軽視し自社の利益に奔走するのは、表面的な数字に翻弄されているからです。稲盛さんは熱意や志が大切だと…

  • 因果のこころ

    因果とは原因と結果のことです。まれに偶然という風が吹くこともありますが、基本的にこの世界の出来事はすべて必然だと思うのです。何事においても、相手や社会を責めるのではなく、自分に原因があると思うことが大切です。相手の責任にしてしまった時点で、自分ではどうすることもできなくなり、不満や心配に翻弄されるばかりになります。相手を変えようとするのではなく、自分が変わろうとすることで道が開けます。 すべて自分のこととして責任を持とうとすることが大切です。善き種をまけば幸福の花が咲きます。辛い時ほど自分を信じて幸せの種をまかなければなりません。幸福は突然に舞い込んでくるものではなく、今の自分が明日の幸・不幸…

  • やっと終わった1日では

    その日暮らしとは江戸っ子ではありませんが、その日に稼いだお金はその日に使い、いつまでも貯まらず、今の生活から抜け出すことができないというイメージがあります。ですが、最近のその日暮らしとは、目標も充実感もなく日々生活をしている人というイメージがあるようです。物質的なその日暮らしか、精神的なその日暮らしかの違いといったところです。 1日24時間はすべての人に平等に与えられていますが、その時間をどのように使うは千差万別です。1日が「もう終わってしまった」という人もいれば「やっと終わった」という人もいます。前者は忙しくとも楽しかったり充実していた感想です。後者はつらく厳しい1日が終わってくれたという感…

  • 布施のこころ

    仏教の修行に布施行があります。布施とは単にお金を支払うことではなく、執着や打算を捨てる修行であると思ています。人間は本能的には自分中心の生き物です。ですが、理性や道徳を学ぶことで、社会や周囲と調和した生活ができるようになります。調和とは自分のことと同じように相手のことも考えられることで得られるものです。また、家族という最も親しい関係から親戚や友人などへ調和の輪を広げていくことも大切です。 自分が満たされて喜ぶ段階から、相手の喜びを自分の喜びにできる段階に成長しなければなりません。相手を満たそうとする想いや行動が大切だと思うのです。それを打算なくできることが布施なのです。見返りを求めることなく、…

  • 本来無一物から幸福への道

    私達はどのような人であれ裸で生まれてきて裸で死んでいきます。人生は様々であっても、最初と最後は同じであり、等しく尊いものだと思うのです。今生の世においていかに財をなしても地位を得ても、それを来世に持っていくことはできません。財や地位が無意味ということではありませんが、執着しないよう翻弄されないようにしなければなりません。 人は幸せになるために生きていますが、物やお金そのものが幸福なのではありません。お金がなければ幸せになれないというのは妄想であり、自分の幸せに条件をつけないことが大切です。物的・外的な条件から解放されると、生きることが楽になります。先々の不安よりも今を楽しむことができるようにな…

  • 人生に無駄なし

    最近、自転車を乗るようになりました。運動不足を実感しており、何か気軽に始められる運動として自転車をチョイスしました。まだ1カ月くらいですが、体調が良くなったような気がします。疲れなくなった、モチベーションがあがった、腰の調子も良くなったと相乗効果があります。まずは雪が降るまでは続けたいものです。 よく心身といいますが、心と体は連動しています。ストレスや心の病にも運動は効果的だと思います。体を動かすことは、心の運動にもなり、心に溜まったストレスなどのマイナス物質を排出する効果があります。掃除にも運動のような効果があります。体を動かし掃除をすることで目に見える汚れだけではなく、心の汚れもきれいにな…

  • 過程、誠実、結果

    コロナ感染拡大のなかでも法務で忙しいお盆となりました。良くも悪くも新型コロナウイルスに慣れつつありますが、今まで以上にご参拝いただけるありがたさを実感しております。令和2年4月より本格的に住職として奉職したのですが、まさに感染が拡大する初期でした。この先どうなるのかという不安と迷いを抱いての船出だったのですが、大黒天の導きと、参拝者の皆様とのご縁によって今日があります。 人である以上、この先どうなるかは分からないものであり、不安や迷いは必然といえます。ですが、自分を信じ、今できることに最善を尽くしていくしかありません。先を見るのではなく、今を見ること。できないことを考えるのではなく、できること…

  • お盆だからこそ

    まもなくお盆を迎えます。春と秋の彼岸は自らの修行というのが本来の意味合いですが、お盆はご先祖様の供養のための期間です。お墓に行ってご先祖様をお迎えして、家では家族や親戚が集い、それぞれの近況などを報告し、感謝の祈りを奉げます。テレビ番組で有名人のルーツを探る企画がありましたが、ご先祖様は無数に広がっていくものです。そのなかの一人でも欠けていれば、今の私はなくいただいた命のバトンに感謝しかありません。 家族の凄惨な事件はなくなるどころか、かえって増加しているように感じられます。会社ならば退職でき、夫婦ならば離婚できますが、親子関係は切れるものではありません。昔ならば勘当や絶縁といって親子関係を切…

  • 変化に対する挑戦と感謝

    生活環境も人間関係も変わることなく今のままが良いと思うのですが、諸行は無常であり変化を拒否することはできないものです。たとえ転勤や就職という大きな変化はなくとも、日々、年々、少しずつ変わっていくものです。ある日、気になって振り返ってみると大きく変わってきたものだと実感するかもしれません。それが生きるということであり、成長であったほしいと願うものです。 人間は安定を求め変化を嫌います。変わらないことが安定とはいえませんが、そのように錯覚してしまうものです。安定とはどのような変化があろうとも、翻弄されることなく自我を保てることだと思うのです。諸行無常の世界にあっては変化を親しき友として交友を深めな…

  • あなたの波動は

    霊的な話ではないのですが、人の波動的なものを感じることがあります。それはプラスのエネルギーを持っている人とマイナスのエネルギーを持っている人です。プラスの波動が強い人と接していると楽しくなり、またもっと頑張れと背中を押されているような気にもなります。マイナスの波動が強い人と接していると、イライラしたり疲れてしまいます。人間はお互いに影響し合いますから、それぞれの波動も交差するのでしょう。 日々、私はどちらのエネルギーを主に生活しているのか考えさせられます。「楽しい」と「疲れた」どちらが多いのか。「ありがたい」と「つまらない」どちらが多いのか。「よかったね」と「うらやましい」どちらが多いのか。日…

  • 智慧で乗り切る

    山形県もはじめて1日の新規感染者が1000人を越えました。今までにない感染爆発ですが、行政からの行動制限はなく、戸惑いながら夏休みに入り、お盆を迎えようとしています。感染予防と経済活動の両輪を強調されますが、行動制限に伴う全国規模の経済保証を賄う財源に乏しくなっているのかもしれません。官民ともにコロナ終息後の負債は大変なものになっていることでしょう。 今回で7回目のコロナ波を迎えましたが、何事においても波はあるものです。人生は山あり谷あり平地ありですが、一喜一憂することなく上手に乗り切りたいものです。平均すればバランスが取れるものです。ところが、良い時は短く感じられ、悪い時は長くいつまでも続く…

  • 実修実証

    当山は真言宗の醍醐派に属しております。醍醐派は弘法大師・空海を宗祖として仰ぎ、弘法大師の孫弟子にあたり醍醐寺を開山された理源大師・聖宝を開祖とします。また、修験道の役行者・神変大菩薩をも祖とし修験道と密教を融合し現在に伝えている宗派です。理源大師は「実修実証~入りて学び出でて行なう」という教えを残しておられます。山伏は山中を仏の胎内と考え修行をおこない、下山しては日常生活に戻ります。山中での修行によって会得したものを、日常生活に行動として還元していくのです。それは自分ばかりではなく、周囲や社会をも教化・感化していくものでなければなりません。そのための修行なのです。 人生において大切なことは実修…

  • バトンをつないで

    昨年まで部長を務めていましたが、後進に譲り一歩引いた立場で行事に参加してきました。急激な第7波のため例年とは違う形となりましたが、様々な工夫があり楽しい行事となりました。今回、心がけたことは自分の時とは比較しないこと、なるべく口を出さないこと、心配しないことなどです。任せたならば、任せきることが大切だと思うのです。 現役の頃は役職の責任とプレッシャーで大変だと思い、引退すれば解放されたにも関わらず寂しいと思うものです。ですが、1人が頑張り続けるよりもバトンをつなぐことのほうが大切だと考えています。同じ人間がやっていると、いつの間にか同じことばかりになってしまいます。早すぎず遅すぎず絶妙なタイミ…

  • 短所の緩和

    いつも自分が正しいと思うことは傲慢だと思うのです。私などは何を言っても何をしても、これで良かったのかと思い悩むことが多くあります。それがストレスとなり自分を苦しめる原因になってはいけませんが、日々の言動を確認し反省することは必要だと思うのです。人間は年を取るほど傲慢になりやすいものですが、「実るほど頭の下がる稲穂かな」という言葉(歌?)がありますが、学徳が深まるほど謙虚になるたとえとされます。賢い人ほど謙虚なものです。 反省があるからこそ成長があると思うのです。知識を増やすのではなく、人間力を磨くことが大切であり、そのためには社会生活のなかでの反省が必要なのです。反省は自己嫌悪のためにするもの…

  • グレーゾーン

    グレーゾーンという言葉を聞きます。様々な意味で使われているようですが、そもそも人間は善意と悪意、精進と怠慢、信頼と不信など相反する性質を抱える存在です。仏であり、悪魔であり、そのどちらにもなり切れない存在なのです。そのために、どれだけ悩み苦しむのかは誰もが経験することであります。どちらかで固定できれば楽なのに、そうではないところが人間の特徴であり魅力なのかもしれません。 人間はいかようにもなれる存在なのです。地獄の鬼と恐れられた人間が、いつしか丸くなり仏のようになることもあります。劣等生とバカにされていたのに、いつしか社長として頑張っている人もいます。神童と呼ばれていた少年がやがて道を外れ罪を…

  • 新興宗教の罠

    テレビでは連日ある新興宗教が取り上げられています。多くの人がどうして、あんな宗教にはまってしまうのかと不思議に思うかもしれません。ですが、人生には様々なことが起るもので、特に不幸や困難な出来事に遭遇すると、人間は自分以外のところに原因を求めようとするものです。そこに宗教との接点があり、新興宗教は積極的にそういう人を探して勧誘するものです。声をかけられた宗教がどういうものか分からないまま、自分の理不尽な疑問に答えを与えてくれると、信じたくなってしまうものなのです。 私達は不幸や困難な出来事に遭遇すると、「どうして私ばかりが」と落ち込みますし、憤慨しますし、その原因を探そうとします。ところが、その…

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