南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
小川保馬 - 東洋暗殺犯探索中の井上佐市郎殺害関与と、近藤勇捕縛に関わるとも
[ 高知県安芸郡芸西村和食甲 ]光平屋敷とその一族和食下中地区に光平屋敷と呼ばれている所がある。そこは剣豪として聞こえた尾川為十郎の生家で、為十郎は尾川姓を受け継ぎ五百人方となり、藩主の供をして江戸に出て武芸を学んだ。特に柔術が得意で、その門弟は清岡治之助(二十三士副隊長)を始め千人に及んだと言う。為十郎の長男・平川光伸は下横目付を務めていた。京都在勤中、吉田東洋暗殺犯人を探索中の同職、井上佐市郎を...
箕越の猫神社 - お寺の悪戯猫が可愛がってくれた和尚さんに恩返し
[ 高知県須崎市多ノ郷甲・蓑越地区 ]須崎市の向山の東の端の蓑越地区に、猫を祀る猫神社と言う小さな祠があるがです。神社名は、そのものズバリのユニークなネーミングの猫神社で、伝説が残っちょります。『須崎市の昔話』から、二題、御紹介します。 箕越の猫神社昔、吾川郡名野川と言う村の某寺で猫を飼いよったと。飼猫は年を取るにつれて赤毛の大猫になった。この猫は、毎晩和尚さんの衣を着て、小僧に化けて川原に出て他の...
毛利久八吉次 - 祖父は備前小倉城主・毛利壱岐守吉成の弟・豊前巌石城主・出羽守吉雄
[ 高知県高知市本町五丁目 ]毛利久八吉次 の父は,、豊前小倉城主・毛利壱岐守吉成の弟で豊前巌石城主・出羽守吉雄の子・出羽守吉勝といい、父は慶長8年十二月二十二日筑前若松で亡くなっちゅう。加藤清正に三百石で抱えられ、熊本藩第2代藩主・加藤忠広にも仕えるけんど、寛永9年(1632)5月22日に藩主・加藤忠広が江戸参府途上、品川宿で入府を止められ、池上本門寺にて上使・稲葉正勝より改易の沙汰を受けるがです。寛永10年(1...
[ 高知県高知市堺町辺り ]土佐の戦国時代、現在のはりまや橋交差点の南西方向の一角に、国澤将監が城主じゃった国澤城があったとされちょりますが、現在、当時の面影を残すものはなんちゃー残っちょりません。当時のこの辺りは鏡川の湿地帯じゃった場所で、僅かに盛り上がった中州のような場所に、城と言うより砦のような構えじゃったと思われるがです。城主・国澤将監は本山氏の幕下の将也。・・・・・永禄3年(1560)元親、潮...
[ 高知県香南市香我美町岸本 ]赤岡漁港近くの堤防から、東に約2.3Km先に見える姫倉城址(月見山)ながです。 戦国時代は安芸氏の勢力下で、安芸氏の武将・姫倉豊前守と姫倉右京の居城で、現在の香我美町と夜須町の境を南北に連なる尾根の南の端の、月見山の標高約68mの山頂部に築かれちょります。 築城時期は不祥じゃけんど、「姫倉化粧の清水跡」と言う伝承に城を築いたとある。辰の口にあったようじゃけんど、今は埋め立てら...
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