南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
[ 高知県高知市鴨部能茶山 ]森田久右衛門は山崎平内と共に、土佐に招かれた大坂(大阪)の陶工・久野正伯の弟子になり、土佐尾戸焼窯の基礎を築いちょります。元の墓は、三ノ丸山一帯の開発により、能茶山の方に改葬されちょります。山崎平内 - 土佐尾戸焼の租の一人 2011-12-06森田久右衛門は名は光久と言い、寛永18年(1641)に生まれちょります。先祖は近江の佐々木氏じゃそうで、佐々木光頼が天文年間(1532~55)に戦乱を避け...
首切り地蔵 - 伝承じゃと山田氏一族・山田監物長秀の墓があった場所とか
[ 高知県香美市土佐山田町栄町 ]撮り貯めた写真からのネタです。絶版になっちょった市原麟一郎・著『山田・南国伝説散歩』を手に入れ、見寄ったら記憶にあるお地蔵さんが「首切り地蔵」として掲載されちょり、子細が分かった次第ながです。首切り地蔵(抜粋)ここは談議所城主で、長宗我部国親の軍勢と戦って破れた山田監物の墓のあったところだという。【 参考・引用 】 土佐伝説散歩シリーズ5 『山田・南国伝説散歩』 市...
勝海舟夫妻の墓 - 千束周辺の風光を愛し遺言により此処に眠る
[ 東京都大田区南千束 洗足池公園内 ]勝海舟(1823年から1899年)は、官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中、洗足池畔に憩い、風景にうたれ、その縁でここに別荘を構えました。後に海舟の遺言で、屋敷裏の台地に葬られたと伝えられます。妻である民子の墓は、後に青山墓地から移設されました ...【 参考・引用 】 大田区ホームページ:勝海舟夫妻の墓 大田区文化財 勝海舟夫妻の墓勝海舟、諱は義邦、初め麟太郎、後に安房...
一夜建立の岩屋 - 四国八十八ヶ所第24番札所・最御崎寺奥の院
[ 高知県室戸市室戸岬町 ]現在は、室戸スカイラインを登って行ったら、第24番札所・ 最御崎寺に行けますけんど、本来は、徳島の方から来て、此処から遍路道を登って行くと仁王門に辿り付くがです。一夜建立の岩屋は、その遍路道の登り口傍にあるがです。 一夜建立の岩屋空海(弘法大師)が一夜で建立したと伝えられる岩屋で、現在、最御崎寺の奥の院。寺伝では、空海が唐からお持ち帰りになった石像が安置されていた場所。明治初...
「ブログリーダー」を活用して、オンチャンさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。