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函館 Glass Life https://blog.goo.ne.jp/ise5678/

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む50代店主とスタッフの 仕事と趣味と日常の奮闘日記!

ise5678
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2007/07/09

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  • どうする家康、家康暗殺計画??

    佐和山に隠居した三成ですが、家康はこの機に乗じて伏見城から大阪城西の丸に移っていますドラマでは…上杉景勝の謀反の噂が広がると茶々が家康を焚きつけていましたね裏では三成には軍資金を与え、上杉討伐に向かった家康の隙を突き挙兵させ、そればかりか、家康に「三成が怖い。」と手紙まで送るとは稀代の悪女そのもの茶々ばかりではなく、上杉景勝も毛利輝元も家康を廃除して実権を握ろうとしていた節もあります家康が単に言い掛かりをつけ上杉討伐をした訳でもなさそうです。特に輝元は連絡を受けてから僅か二日で大阪に到着したと言われていますやる気満々ですよね秀吉ですら岡山から戻るのに十日も掛かっていますが、それより遠い広島からなので驚きの速さです勿論、陸路と海路からの違いがあるにせよ当時としては異常な速さです輝元の意気込みを感じますね武将...どうする家康、家康暗殺計画??

  • どうする家康、因果応報!!

    秀吉の遺言に従い五大老・五奉行による政治が始まりましたね殆どの大名が、幼い秀頼を担いだ政権運営が長くは続かないと思っていた筈です五大老の中でも、上杉景勝や毛利輝元などはさっさと自国に戻っていますよね次の戦に備えていたと見られても不思議ありません家康は跡取りの秀忠を江戸に戻し伏見城で政務をとっていた見たいです織田信長・信忠親子の二の前にならない様に、京都と江戸に分かれているところを見ると不穏な空気を感じていたのでしょうか?前田利家が生きている間はどうにか収まっていましたが、亡くなると歯止めが利かなくなります「皆、貴公が怖いのよ。貴公は腹を括るしかない。」と言った利家の言葉が全てを物語っている様な気がします利家も生きている間は秀吉の思いに沿う動きをするしかありませんが、亡くなった後は家康が天かを治めるしかない...どうする家康、因果応報!!

  • どうする家康、豊臣政権のナンバー2!!

    秀吉が遂に最後の時を迎えます家康を呼び出し、「うまくやりなされや」と後を託した秀吉ですが、天下の事よりも秀頼の生末しか頭にない様でしたね稀代の英雄秀吉も老いには勝てない様です「秀頼は、あなたの子だとお思い?」と問いかける茶々。てっきり、実の父親を告白するのかと勘繰りましたが、「秀頼は私の子。天下は渡さぬ」と…「あとは私に任せよ、猿」と言い放つ様は、亡き母・お市を彷彿させます茶々の言葉を聞き何故か笑みを浮かべる秀吉ですが、もしかして、秀頼が自分の実子だと確信しての笑みなのかも知れません絶命した秀吉を抱きしめ泣き声を上げる茶々ですが、秀吉に対する愛情が無かった訳でもなさそうでしたね単に情だけなのかも知れまらせんが、心の奥底は凡人の僕には理解し難いものがありますところで…家康は朝鮮従軍から除外されていますよね。...どうする家康、豊臣政権のナンバー2!!

  • どうする家康、秀吉の子供??

    秀吉の心に入り込んでいる茶々ですが、今度は家康の心にも入り込もうとしていましたねそこに登場したのが家康の側室阿茶局。茶々VS阿茶の戦いの始まりです唐入りを何とか止めようとする家康ですが、「図に乗るなよ。わしは太閤じゃ。その気になれば、徳川くらい潰せるぞ。」と逆に脅しをかけられますそんな秀吉に怯む事無く「かつての底しれぬ強さがあった秀吉ならばそんなことは口にすまい。」「目を覚ませ、惨めぞ、猿。」と…そんな一触即発状態で登場したのが、すっかり忘れ去られていた足利義昭義昭の何とも言えないキャラクターのお陰で二人の言い争いも中断となってしまいます二人の争いを知ってか知らずか、義昭の語った「てっぺんは独りぼっちじゃ。」「信用する者を間違えてはならんのう。」の言葉に秀吉も我に返った様でしたね家康に対し、「わしを見捨て...どうする家康、秀吉の子供??

  • どうする家康、氏綱の遺言!!

    北条家を潰し、遂に天下人となった秀吉の暴走が止まりそうにありませんね息子・鶴松が病死してしまいますが、その悲しみを糧にするかの様に高笑いを始め、「次は何を手に入れようかの。」と囁く下り…精神的に壊れていく人間の愚かさを感じてしまいます欲望でしか悲しみを補う事が出来ないものなのでしょうか?死ぬまで秀吉の暴走は止まりそうにありませんね戦が無くなった後の平穏な世の中を維持する術が秀吉には無かったのかも知れません。ところで…小田原北条氏の初代は早雲ですが、早雲は伊勢宗瑞と名乗っています姓を北条と称したのは、傑物と言われた二代・氏綱からですね氏綱は54歳で亡くなりますが、26歳と若い跡取り・氏康に遺訓を残していますその中に、「義を守りての滅亡と、義を捨てての栄華とは天地格別である」とありますお家大事の戦国の世にあっ...どうする家康、氏綱の遺言!!

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