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函館 Glass Life https://blog.goo.ne.jp/ise5678/

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む50代店主とスタッフの 仕事と趣味と日常の奮闘日記!

ise5678
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2007/07/09

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  • 鎌倉殿の13人、人材豊富な北条家!!

    義時には正室がいるので、これからの八重をどう描くのかと思っていたのですが、まさか千鶴丸と同じ様に川で亡くなるとは川で流されまいと必死に岩にしがみつく鶴丸をみて、亡くなった千鶴丸の姿が重なって見えたのでしょうか?思わず「千鶴」と口にした八重ですが、夢遊病者の様に鶴丸の許へ…仏に肉体を与えたと言われている仏師・運慶も登場しましたが、運慶の彫った仏像と川で亡くなった八重がだぶって見えたのは僕だけでしょうか?最後は仏様の様な顔をしていたに違いありませんところで…ドラマ後半の重要な役どころ北条時房が登場しましたね連署として義時、泰時を支えた傑物だと個人的には思っています頼朝が旗揚げした時には10歳位だった筈です。最初は時連と名乗っていた様ですが、烏帽子親の三浦義連から一字を貰ったのでしょうね比企一族が滅亡した後、二代将軍...鎌倉殿の13人、人材豊富な北条家!!

  • 初真子!!

    この色、艶今年初、全長32cm、知内産の真子鰈です知人のH氏から頂いた物ですが、この時期としてはかなりの上物こんな時はスプリングバレーですね粉山葵を少々。何故か?練り山葵好きなんですよね~初真子!!

  • 鎌倉殿の13人、秀衡の奇策!!

    人を信じ過ぎる弟と人を信じられない兄兄弟としての情は有っても共存は出来そうにありません首桶の前でも猜疑心を露わにして罵るのかとばかり思っていましたが、ドラマとは言え、首桶を抱え嗚咽しながら話しかける頼朝を見ていると何か切ないものを感じますよね何とか秀衡の許へ辿り着いた義経でしたが、安住の地とはなりませんでしたね八カ月後に秀衡が亡くなりますが、亡くなる間際、義経を担ぎ頼朝に対抗する様に遺言を残しますが…秀衡は遺言だけでは心許なかったのでしょうか?考えられない様な奇策を言い残したと言われています何と、自分の正室と長男・国衡を結婚させるのです。国衡と泰衡は父・秀衡の目から見てもかなり険悪だったのでしょうね曲がりなりにも、この結婚により国衡は泰衡の義父となる訳です。窮余の一策ですが、国衡と泰衡の相続争いは収まった感じが...鎌倉殿の13人、秀衡の奇策!!

  • 鎌倉殿の13人、天下一のバカ殿様・後白河!!

    「まるで平家を滅ぼすためだけに産まれて来られたお方じゃな!!」北条時政が呟いた言葉が、義経の全てを言い表している見たいですね破竹の勢いで平家を追い詰めてゆく義経ですが、果たして頼朝はそれを望んでいたのでしょうか?頼朝は長期戦を考えていた節があります。安徳天皇と三種の神器を何としてでも取り戻さなければいけなかったのです勝ち負けだけではなく、勝ち方が問題だった気がしてなりません。平家を追い詰め、降伏の機会を与え、天皇と神器を無事に取り戻さなければ負けなのです頼朝と義経の対立はその事が原因だったのではないのでしょうか?平家を滅ぼし、意気揚々と凱旋した義経にすれば、何で頼朝に怒られているのか理解出来なかったのかも知れませんねそこを突いたのが、老獪な妖怪・後白河乳人の信西にさえ「天下一のバカ殿様。」と言わしめた後白河兄・...鎌倉殿の13人、天下一のバカ殿様・後白河!!

  • 鎌倉殿の13人、総大将・範頼!!

    一の谷の戦いから屋島の戦いをスルーして一気に壇ノ浦の戦いに突入ですね屋島での那須与一が扇の的を射た話も当然スルー。壇ノ浦の戦いでの平家の勇将・知盛の奮戦ぶりなども見たかった気がしますし、二位の尼が安徳帝に言ったとされる「波の下にも都が御座います。」も聞けませんでしたね展開が早過ぎて少し戸惑いを覚えますが、主人公が北条義時で、これからがドラマの佳境に入るのですから仕方ありませんよね鵯越も捏造だったので壇ノ浦での八艘跳びも捏造するのかと思っていましたが、そこだけはかろうじて八艘飛びもどきを見れたので…主力部隊を率いていた範頼ですが…平家との戦いでは義経の陰に隠れた感がありますよね歴史的には全くと言ってよいほど目立たない人物ですしかし、頼朝の代理として総大将を任せられたのは範頼です義経はあくまでもサブの搦手軍を任され...鎌倉殿の13人、総大将・範頼!!

  • 鎌倉殿の13人、粛正の始まり!!

    源氏の棟梁としての立場を確立するためには手段を選ばない頼朝義仲を殺し次は甲斐源氏の一条忠頼目的を達成する為にはなりふり構わない冷徹な頼朝です実の弟達も例外ではありません義経も活躍すればするほど粛清される側になるのです。御家人達は、いつ自分が粛正されるか分からない緊張感の中で生きているのですそういう状態が長く続く筈がありませんよね。頼朝は落馬した怪我がもとで亡くなったと言われていますが、おそらく暗殺だったと個人的には思っています鎌倉殿を挿げ替えれば、そんな世の中を変える事が出来ると思った人物がいても不思議有りません人物達かも知れませんが…遂に頼朝は義高の処断を義時に命じましたね許婚とは形だけのものとはいえ、11歳の若者の首を刎ねなければいけないのですから過酷な命令です義時が変わったとすれば、おそらく、この事件が分...鎌倉殿の13人、粛正の始まり!!

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