2007年5月
今日また母が入院した。旅行に行って以来、食欲が落ち、また5kgも痩せて元気がなくなったので、点滴をしてもらうため、と本人は言っていた。でも、夜になると腹部や背中の痛みが強くなるという。 旅行に行って食欲が落ちたのは、しばらく食べていなかったのに、急に大判焼き(友達が持ってきてくれた。学生時代の母の好物だったらしい)を1個丸ごと食べたから。その夜からいきなり調子を崩し、帰りの飛行機はへとへとだったようだ。 でも、母の故郷に連れて行けたこと、友人に会えたこと、恩師のお別れの会に出席できたこと。それは、母にとってとても嬉しい思い出になったに違いないのだ。 病院で調べてもらった結果、特に癌が大き..
母が今日退院した! 今朝病院に行ったときには「今日じゃないけど今週中には 退院できるから・・」なんて言っていたのに。 夕方電話をもらったときは、早々に退院して、近くの温泉に 行ってさっぱりして、なんと駅のチケットセンターにいる、 とのことだった。 「九州へのチケット手配した?まだだったらやっとくから」 今日は1日ばたばたしていて、夕方までチケットどころでは なかった。そこで、退院したての母にチケットの変更手続き まで頼んでしまった私・・・。 日・月と母と九州へ旅行に行ってくる。九州は母の故郷で、 日曜日に同窓会があるとのこと。 入院する前から母の分のチケ..
先週月曜日から入院していた母は、入院前はかなり具合が悪く、 「もうだめかも・・・」などと弱気になっていた。 後に聞いたところ、お腹全体が痛く、食欲もないし、お通じその 他も調子が悪く、ついには熱まで出たので、これが最後かも・・。 と思ったのも無理はない。 しかし、病院に行ったら、先生に「いや、顔色からすると、 まだまだだから・・・」と笑われ、さらに胆管を拡大するために 入れていたステントを取り替えると調子がすっかり良くなり、 「原因はステントが詰まって、胆汁が上手く流れなかったから だって。取り替えたら、調子がすっきりしたよ〜」 と嬉しそうに電話があった。 その後、水を飲..
先週月曜日から入院していた母は、入院前はかなり具合が悪く、 「もうだめかも・・・」などと弱気になっていた。 後に聞いたところ、お腹全体が痛く、食欲もないし、お通じその 他も調子が悪く、ついには熱まで出たので、これが最後かも・・。 と思ったのも無理はない。 しかし、病院に行ったら、先生に「いや、顔色からすると、 まだまだだから・・・」と笑われ、さらに胆管を拡大するために 入れていたステントを取り替えると調子がすっかり良くなり、 「原因はステントが詰まって、胆汁が上手く流れなかったから だって。取り替えたら、調子がすっきりしたよ〜」 と嬉しそうに電話があった。 その後、水を飲..
私は母の看病をしながら生きるということについて 考え続けた。 「何故私はここにいるのだろう」 「どうしていきているのだろう」 「いったい生きていて何がおこるのだろう」 もちろん、今不幸なわけではない。でも私が生きていなくても おそらく世の中にはたいした変化がないだろうな、と思う。 でも、私は生きる。 生きていくということは、これから何かをしなくてはならない からだと思うからだ。 なすべき使命をまだ終えていないからだと思う。 人はそれぞれ使命を持って生まれてきている。 母は私を生んでくれた。私はまだなにも生み出していない。 生みだすのは子供とは限らない。..
随分久しぶりの更新となった。母の様子は相変わらず・・と いいたいが、4月末から1週間ほど入院し、検査を受けた。 γーGTPと白血球の数が上がり、熱が出たためだ。 しかし、検査をしても原因ははっきりせず、抗生物質で熱が 下がったのでまた自宅に帰ってきた。 しかし、それからどうも胃腸の調子がよくない様子。 また、寝ていると下にしたお腹が痛むそうだ・・・。 抗がん剤の治療は久しく行っていない。 だんだんと弱ってきている様子が少し悲しいが、 昼間は相変わらず出歩いていて、温泉に入って入るときは 幸せそうだ。今日も根津神社につつじを見に行き、家に 帰って少し休んでから近くの温泉..
2007年5月
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