ZZR1400を軸に、ドイツ語圏(ドイツ・オーストリア・スイス・南チロル)の情報を発信。
総走行距離は2372キロでした。予定より600キロ近く少ないのは中南欧を大きく左周り(ベネチア経由で北上)して南チロル経由で帰らなかったです。理由は最終日前日から最終日にかけて全域で雨の予報だったからアルペンの峠街道を避けたのです。統計上、日本人ライダーのアルプス街道で亡くなった数は、ドイツ人ライダーの100倍以上になる(母数を考慮すると)のはいろいろな理由があるのですが、その一つは日程が詰まっていて諦められないで無理をするから、があります。スイスのある峠では、たった一つの峠ですが、去年までに100人近くのライダーが数百メートル落ちて亡くなっています。今回、南チロルに寄れなかったのは大変に残念なことでした。"予報には当たり外れがあるのに、よく我慢できたわね"と女房に言われましたが、"お前は俺の女房だけれども、娘...総走行距離2372キロ
スクリーン上のステッカーはスロべニアのもの、下はオーストリアのもの、イタリアは高速上に料金所があります。クロアチアでは下道だけ使いました。ステッカーのある国は割安、ない国は割高です。スイスは一回でも高速を使えば一年分のステッカーを買わねばなりません。各国の高速料金
最終日、ドイツ最南端から帰国してドイツ人たちの長期夏季休暇の最終日(偶然にも日曜日)の大渋滞に巻き込まれ、ドライブインで休憩した後で"南無三"でアウトバーンに再進入してしばらくして雨と雷のMIXに遭遇、既に4ヶ国横断で走行距離500キロ越えしていて疲れていたのですが、橋ゲタの下に避難して両者とも乗車したままハザードランプ出して一計中に、12.4V、12.3V、12.2V、と電圧表示の値が下がってきて、後ろからチラ見していた女房が不安がり始め、既に19時を回っていたのですが、思い切って次の出口の街で宿を見つけることに。こういう際には雨やスクリーンで視界が悪い上に、問い合わせに宿屋にバイクを寄せる時に、石製のツルツルの段差や大袈裟な道路のペイント、駐車場全体に敷き詰められた砂利、この晩は運悪く土地のビール祭りが重な...2019/09/03
今日は土曜で、クロアチアでもドイツの様に寝坊がお決まりです。8時半頃に港の市場に買い物に行った女性たちの帰りを待って、10時頃から軽い朝食、院長先生は早起きして息子さんとショートツーリングに出かけていたようです。14時過ぎからはグリルを始めて、最初はスープからでした。`メインはバルカンでポピュラーなチバブチチ(日本語表記は微妙にちがうかもですが)を中心に色々、です。食後は院長先生の青春バイク歴を披露してもらい、若い女性達は海水浴に、私は月曜からの天候不順を避け明日中に一気に帰宅する為に、午後寝を始めてさっき起きたところです。帰路は各国境での混雑を避けつつ、最速ながら遠回りになるルートを院長先生が選んでくれたのですが、いずれにしても900キロを超えるようなので、本当にくたびれてしまったらどこか途中で投宿するかもし...朝食のような、昼ご飯のような...
タンデムの意味、普段はタンデムしないとか、決してタンデムしないとか、タンデムする相手がいないとか、タンデムばかりしているとか、状況は色々だと思いますが、"意味"について考える事ってあまりありませんでした。今度の夏季休暇は別に仕事と結びつけなくても自分のバイクでも来れたんでが、女房の方から"バイクで行かない"って誘われて、彼女の"渇き"を察し、咄嗟に"うん"と言ってしまったんです。本当は2013年の大きなバイク事故以来、長距離や二人乗りは避けていたんです。長い時間走っていると、どうしても想い出しそうで、怖かったが本音でした。K1600GTLは、発売当時の長距離テストランの印象では好印象でしたし、現在所有しているバイクにABS付きが無く、女房を乗せたくは無かったんです。それで、2016年にマイナーチェンジを受けたK...タンデムの意味
今日までの走行距離は1356キロ、まあ往復で約3000キロ位はいくでしょう。帰りは2日かけて山道以外を行く予定ですが、総重量約550キロ(2人で2週間分の荷物)なバイクの燃費はほぼカタログ通りで、初期型に無かった"R"(バック)はなかなかです。走行距離1356キロ
クロアチアの大昔のアルファベット(少なくとも1100年頃)は、我々が知っているラテン語系のアルファベットとは似ても似つかぬものでした。左下の石板に刻まれている文字がそれです。クロアチアの初代王は700年頃、この教会は1100年頃に建てられたものだとか。海水浴場に行く途中の丘にありました。2019/08/30
今日は早々に仕事を終えて、午後はクロアチアの海岸でノンビリしました。スイカは、近場のキャンプ場付近で老夫婦がガラス張りの大型冷蔵庫に切り置きして売っていた切り身を食べやすいように斬り込み線をいれてもらったものでした。値段は48クナ(邦貨で約800円)でした。気温は32度、水温は20度以上あったと思います。ここは既にアドリア海の一部、水は大変に透明感があってインフラも整っている海水浴場です。帰りの途中の丘からの展望はこんな感じです。夕食はボンゴレでした。クロアチアの海
晩御飯は鯛でした。赤ワインと合わさって"養殖ものではない"とことさら強調された"野鯛"は淡白そのものな味で、デザートの冷えたスイカに"日本では塩をかけて食べるんです"に院長先生を始めどよめきが起こり、全員が試した挙句の"賛否両論"はいつもの反応でした(笑)。晩御飯は鯛
外国にでていく、これは欧州の小国に生まれ育った人達にとって日常的なテーマなようです。この港町にもこんなに立派な劇場がありますが、院長先生の娘さん曰く"ドイツに出て行かなかったらこの劇場の1歌手として今の数十分の1の収入しか得られんかった"とのこと。また父親の事は"父は外に出て行く勇気がなかった、母は出て行きたがっていたが父に従ってこの国に残った"とのこと。途中で見た院長先生の総合病院はこの劇場位に大きくて、街外れの丘に立つ豪邸を見る限り、"出て行かなくてもよかったのでは"、とも思えますが、上を見ればキリがりません。彼女にはもう一人姉がいて、父親の病院でインターンしているそうです。街には父親のカイエンで連れてきてくれました。外国に出て行く
院長先生の娘さんとその連れ合いに案内してもらっていますが、くたびれたのでスイーツのカフェで一休み中です。ここの給仕のお兄さんはクロアチア語、英語、独語、伊語が話せて我々とは独語でやりとりしていました.港町スイーツ
2千キロもの海岸線を持つクロアチア、島も千を数えるそうで、港町なんて1年かけても見切れないでしょうが、そんな一つに来ています。港町には、屋根のあるマーケットがあって、魚、肉、チーズに棟が別れていました。魚はこんな感じです。2019/08/29
昨晩にスロベニアからクロアチアに入国、ここは2千キロ近い海岸線を持ち、欧州の中でも夏のバカンスのメッカな一つ、帰独寸前まで写真のBMW乗りのお宅に連泊しています。彼は地元の病院の院長さんで、娘さんは今やクロアチア一のオペラ歌手として世界中で歌っていて、息子さんは医大生、乗っているクルマはカイエン、典型的な勝ち組家族ですが、すごくフレンドリーです。女房はイタリアの音大を卒業したばかりの頃から彼の娘さんを知っていて、彼女は普段はドイツの我々の地元の街で暮らしています。クロアチアのBMW乗り
スロベニアは大変に小さな国、強国や周辺国、異教徒国等に翻弄され続けた歴史を経て、最近ではユーゴスラビアの呪縛からの解放がありました。首都市中のお城の中には長く宗主国だったハクスブルグ家(現オーストリア)の紋章が至る所にありますが、完璧な修復を経ているお城の中で、壁面にあるドイツ語表記やハクスブルグ家の紋章はほったらかしにされていて、意図的なメッセージを訪れる者に伝えていました。スロベニアの誇り
朝ごはん、昨日の朝は時間が押していて簡単に済ませました。道々いろいろと試しつつ、昨晩からはクロアチアです。地図上のここまでの片道は千キロちょっとですが、実際のルートは遠回りの連続になり5割増になっています。朝飯
この建物は首都にある総合大学の図書館でした。大学生の数は約7万人、この国全体の人口は名古屋や札幌と一緒な約200万人ですから、卒業生は永遠にどこかで繋がりがある感じでしょう。スロベニアは旧ユーゴスラビアの一部でしたが、旧共産圏で一番にユーロの導入を許された国で、欧州の他の小国同様に英語の理解度は大国ドイツの比ではないほどに高いものがあるようです。スロベニアという国
これは市内を散策していたら偶然にラーメン屋さんを見つけて食べたスロベニア製ラーメンです。これは味噌ラーメンで日本で言うワンコイン×2的な値段、完食しました。こっちは女房が食した柚塩ラーメンで、魚系ベースなスープでした。注文時に、魚系ベースのスープか、肉系か、それともダブルにするか訊かれて戸惑ちゃいました。替え玉もOKで、湯切りも見事なてさばきだったんです。店内はこんな感じ、調理してくれた彼はこちらコック歴9年、ラーメン屋歴4年、スロベニア人です。スロベニアで食べたラーメン
K1600GTL、出たばかりの頃に南チロルへテストツーリングをしました。それは数日間なものでしたし、タンデムではありませんでした。今回は2週間近くでタンデム、距離的にも当時の3倍以上です。まだまだテストは続きます。K1600GTL
首都リュブリャナの夜、と言われても、"どこ?"でしょう。スロベニアの首都です。大変に綺麗な街並みで人気な観光地の一つです。この国は昔は何度も通過しただけで、旧市街に足を踏み入れたことはありませんでした。長くウイーンに住んでいた弟が"是非そこで泊まって旧市街で夕飯をゆっくりしてみたらいいよ"と言って泊まりを用意してくれたのですが、ユーロ圏の割にドイツの物価の半分ほどでスロベニア飯を堪能出来ました。山道+高速ミックスを約400キロ、途中観光で2回も市街地でウロウロし、やっと着いた首都の縁の宿の駐車場が大型バイクにややこしく、ヘトヘトになり、やっとありついたメイン皿をがっついてしまって、デザートのスロベニア製チーズケーキの写真しかありません(苦笑)。首都リュブリャナの夜
オーストリア製チキンカレー、食べた場所はスロベニア入国前のドライブイン、作ってくれたのはそこでは働くハンガリー人コックの彼、でした。大変に美味しかったので、オープンキッチンまで戻ってその旨を伝えると、喜んでくれたので、写真も撮らせてもらいました。ドライブインだと皆が先を急いでいるので味への期待感も薄く、とにかく"出して"、"入れて"、出発するになりがちです。オーストリア製チキンカレー
初心者ほど野外に出たがる、そうです。しかし、基本ができないうちは屋内馬場でみっちり練習させるようです。"俺にも教えて"と言ったら"じゃー先ずは木馬だな"と言われて"むっ"ときましたが、想像より本格的なもので納得しました(笑)。屋内馬場
ここ(弟のとこ)は大抵な事が"Doityourself"的、乗馬学校でありながら農家のようでもあり、ちょっと戸惑います。豚さんたち鳥さんたち朝ごはんの際に泊まりがけできている子供達に、"昨日は何個卵を見つけたの?"と成果を確認していたのは新鮮でした。見つけた卵は発見日を鉛筆で1個1個に記して古い順にゆで卵器にかけていました。自給自足的な生活
オーストリアで定番な食後のデザート的な存在の"団子"ゲルムクヌーデル。今日の昼ご飯は"団子ずくし"でした。メイン料理は塩味系の肉炒め的な中身やチーズ入りや、皮にほうれん草を練り込んであったりで、大人4人と子供4人が満腹になった量、特に子供達と先生は午前中は近場を2時間ほども馬で散策して来たので、とっても空腹だったようです。団子は煮たり、蒸したりで、ゲルムクヌーデルは以下の蒸し器で仕上げていました。これは調理途中の画像です。ゲルムクヌーデル
昨晩は弟と乗馬学校の女性講師と女房と4人で彼がとっておきのスコッチを出してくれて語り尽くしたかのような夜でした。0時頃に女性講師がダウン、2時過ぎに女房がリタイヤ、弟との話が終わったのは朝方の5時前。1年に一回会えるか会えないかですし、知り合って30年以上経っているので残された時間は互いにせいぜい20年ちょっと、積もる話は山てこ(苦笑)です。後悔することたくさんありますが、楽しかったこと、幸せに思えたことも決して少なくありません。でも、積もる話は後悔とセットなことばかりです。彼は違う女性との間に2人の娘が居て、その間に違う女性が居て、ここ10年近くは25歳ほど若い娘さんと一緒です。言葉を尽くして伝えられること、たくさんあります。しかし、人の世には"分かっちゃいるけど止められない"で、何度でも同じ様なプロセスを経...語り尽したかのような夜
友、遠方より来たる。で弟が用意した初日のビール6Lがあっという間になくなったので、地元の造り酒屋に2L瓶7本を買いに行ったついでに、いろいろ面白い話を聞けました。この御仁は8代目当主、年間生産量は6万リットル、全て地元(半径30キロほど)で消費されるそうです。3日で20Lのビール
オーストリアで乗馬の学校をしている弟(生粋のオーストリア人ですが)を訪ねてみました。広大な敷地の中に施設があるのですが、田舎も田舎の低山のてっぺん近くにあります。今回のツーリングに使用したバイクはk1600GTLの新車、2週間2人分の荷物満載です。ただ、車載のナビが、大昔に使っていたが今は裏道になっている"こんなのあり?"と女房がいぶかったほどのクネクネの細道、最後の頃は"本当にこの先に目的地が来るのか?"と自信が失せて、2人とも乗車したまま弟に電話すると"反対側の道は自分達だって通らない"とのこと。女房が怖がるといけないので自らを奮い立たせて"大丈夫大丈夫、道は間違っていないって"と言って再出発したのでした。ここが翌日の午前中に撮った乗馬学校の縁、職住接近で大きな施設です。まだ"建設中"ですが既に長く営業して...心細かった夜
遊覧舩、これはKönigsseeの遊覧舩ですが、全部で17隻あって左奥の建物で1棟2隻収容できるようです。燻製の川魚は途中下舩した箇所で食して、帰りの別の舩に乗って帰ってきました。この湖の周りは断崖絶壁的に囲まれていて、歩きで行くには本格的な山登りのテクと装備がないと何処へも行けないようです。チケットを買う際に"くれぐれも最終便に乗り遅れないように"と念押しされ、乗舩してからその理由が風景から自明になりました。これが舩からの光景です。遊覧舩
これはツーリング第一日目の夜に食べたドイツ風ハンバーグステーキです。メニューには"ジプシー風"とありました。ツナギ無しのほぼ挽き肉100%なハンバーグ、地元のビール1Lと美味しく頂きました。久しぶりに心身共に弛緩できた夜でした。これがここの地ビールこれが女房が食べたキノコ料理です。ドイツ風ハンバーグステーキ
ドイツの端、ほぼオーストリアな場所にあるKönigssee、ここで食べた川魚です。燻製にしてあって、目刺し感覚で食べれました。女房はもっと巨大な魚を食べていました。2013年の交通事故後に初めてな夏季休暇、知り合いの所を泊まり歩く的な感じの学生時代的なツーリングですが、"ねえ、バイクで行かない?"って言ってきたのは女房の方でした。川魚を食べる
ドイツのアイスは大企業の市販のアイスの他は、大抵は「イタリア系」の手作りのお店で、「イタリアンアイス」を冷凍ケースの中から掬って「何玉で幾ら」かで勘定して売っています。どんな規模のお店でも10種類以上は品揃えがあります。1玉1ユーロ以下はまずなく、2ユーロを超えるお店は何か特別な材料を使っていて違った客筋を掴んでいます。写真のアイスは「ヨーグルトアイスパフェ」で6ユーロ、この店舗には客席がなく、容器は使い捨てのプラスチックでした。量的には普通ですが、学生の街に行くと増し増しなボリュームになります。ドイツの大学街は市の全人口の三分の一近くが学生なんていう例もあり、どの国でも学生には「ボリューム」で購買意欲をそそります。家族持ちは家の近くのスーパーでキロ単位で気に入ったアイスを箱で買いますが、6ユーロあれば2〜5キ...ドイツのアイスは安くて美味しい!?
この写真は先日のミュンヘンの常設の野外ビヤガーデンでの光景です。左側の小屋は15メートルほども長細くて色々な料理を注文してセルフで会計に進んで広大な敷地に密集している空きテーブルで飲食する仕組みです。大きなレストランも敷地内にはあって、ビール1杯(通常1L)でセルフなら約1ユーロお得でチップも要りません。小屋の端の大きな戸棚の中にはビールを木樽から注いで貰う際に自分で売り場に持っていく洗浄済みの空ジョッキがたくさん収納されていて、画面中央のコンベアのような装置はジョッキの洗浄機です。しばらく観察していましたが、使用済みのジョッキを集めたり、洗浄したり、それを戸棚に戻したりする人たちがチームでいる様でした。ドイツでも他の地域のビヤガーデンだとグラスやジョッキ一個に付き1〜2ユーロほどの保証金(返却の際に全額が返金...セルフ
これは料理の得意なドイツ在住の友人(日本人)がトルコ食料品店で鯵を見つけて(2匹で邦貨で約100円だったとか)開いて調理した写真です。ドイツの日本飯屋さんではまずお目にかからない料理(もしかすると、今では冷凍食品として入ってきているのかもですが...日本飯屋さんに行く機会がほとんどなくなって久しいのでその辺の最新情報は不明です)、最後に食べたのは名古屋の新空港で国内線の乗り継ぎの際に食べた昼ごはんとしてだったと思います。日本にいた頃は「定食屋にあれば食べる」程度でしたが、食べる機会が滅多にない現在の状況ではその料理の得意な彼が羨ましい限りです。これが調理する前の鯵たちだったそうです。鯵のフライ
この写真は、もし「そのものズバリ」を知らなくても、名刺から推測して「扇子立て」だと分かるでしょう。しかし、女房の同僚のドイツ人女性が日本に行った際に貰ったものだとか。旦那が日本人と知っていたその同僚の問いが欧州でのLINE的存在のWhatsAppで、同僚→女房→私、と回ってきたようです。なぜ名刺があったのか分かりません。こんなに綺麗な扇子立てをあげた日本人は扇子自体をあげなかったのでしょうか?もしかするとお土産として扇子と別に同梱されていた扇子立ての意味をその同僚は分からなかっただけかも知れません。こちらでも洒落た扇子を持っている女性は居ますが、片付け方はいたってシンプル、「閉じて引き出しに放り込む」です(女房がそうです・笑)。ちなみに、公の場所で扇子を使う男性は、誤解を恐れてか(笑)、見たことがありません。女房の同僚の問い
一仕事後の後で、ミュンヘンで有名なKöniglicherHirschgarten(俗称ヒルシュガルテン)で、リブロースの夕食をしています。ビールで有名な地のビヤガーデンで一滴のアルコールも呑めません(泪)。高価なテスト車両(2輪)を運転して帰らねばならないからです。しかし今夜は大学時代の友達とここで会う約束になっていて、違う種類の喜びがあるので一勝一敗です(笑)。ヒルシュガルテン
混んでいたので、"食堂車に座って行こう"としたのですが、サッカーファンの一団で一席も空いておらず、予約した席へ持って行くものを頼んでいたら、通りかかった車掌さんが"横の一等車はガラガラですから飲食の間は座っていていいですよ"って言ってくれました。そんな粋な計らいに嬉しくなったのでした。こういう、穴に落ちた後でハシゴを掛けてもらったような日は何か良い事がありそうな気がします(笑)。二等車の切符で一等車に座る
今日はミュンヘンに出張です。ホーム駅のホーム上(笑)で独版新幹線(ICE)を待っていると、駅内で旅客の移動を補助するカートが目の前で突然に止まって、眼前で妙齢な女性が目にいっぱいの涙を溜めて叫んでいました。運転していた駅員が後を向いて"どうしたんですか"と尋ねると、"パニック寸前よ"のお応えの直後に"線路に落ちるかもしれないって思ったの"と言われた駅員は"そんなことは起こりませんよ"と言いながら私を一瞥したので、私も同意の視線を返すと安堵したかのように運転を再開し、数メートル先でその女性を丁寧にカートからおろしてあげると無表情で戻って行きました。正直言えば、"少し危ないかな"とは思ったのですが、彼女の反応がある種のラインを超えたものなのかどうかは分かりません。ただ、電車をボーッと待っていた私にはちょっと驚きの出...パニック
欧州に来て、喫茶(カフェ)の本場で何万杯もコーヒーを飲んできましたが、日本で想い出深い喫茶店があります。場所は東京の渋谷ですが、新婚旅行でも立ち寄って、女房が「日本に来て一番美味しいコーヒー」と言ったお店です。当時に日本中で泊まり歩いたホテルの朝食での「飲み放題コーヒー」にヘキヘキしていた彼女が救われたコーヒーでした。写真(撮影者不詳)はその喫茶店の名物サンドイッチです。数年前にも同じものを食べてみましたが、40年以上変わらぬ美味しさでした。日本に行った際にはできるだけ寄るようにしていますが、いつ行っても高品質なコーヒーが飲めるお店です。ところで、ドイツには「アイスコーヒー」は滅多になく、日本でのアイスフロート的なものが稀にあります。夏場の日本人以外の来客にアイスコーヒーを出すと飲むのですが、褒められた覚えがあ...想い出深い喫茶店
これはあるユースホステル(オーストリア)で相部屋になった若者たちです。ユースホステルはドイツで生まれて世界に広がったシステムです。ここには3泊しましたが、朝ごはんは望外に良くて、昼飯用への包み物もし放題、果物も丸ごと数種類あって、「若者の味方(笑)」って感じでした。今のレートで邦貨で約1万円(3泊4日・朝飯付き)切っていたかと。各部屋にはシャワーとトイレが付いていて、鍵付き大型ロッカーもベットの数だけあって、部屋は鍵がかけられ、各自に鍵が渡されます。深夜に仕事をせざる得なかったのですが、Meeting室の鍵を開けといてくれた配慮もしてくれて助かりました。飲み物やスナックの自動販売機もあって快適に過ごせました。自身はドイツのユースのメンバーですので、ドイツ内のユースホステルなら割引や各種の優待(優先予約など)を受...ユースホステル
これは「バナナスプリット」のつもりです。実は子供の頃からの大好物なものの一つです。昼前に台所でバナナの束を見つけ「昼飯抜き、そのココロは、バナナスプリットを食べるから、それも長大なものを」でした。写真では分かり難いですが、バナナ2本の縦割りとバニラアイス6玉の間には「滑り止め」の為にサクランボの飴煮がバナナにたっぷりかけてあり、真ん中の緑色はゼラチン(甘いです)です。濃いめのエスプレッソで口濯ぎしながらの完食でした。大好物
この日、「宝物探し」が趣味なロルフさんに誘われて夕食を食べに行きました。そこはドイツで流行りな「モンゴルレストラン」で、モンゴルと言ってもモンゴルとは無縁な感じなのですが、巷ではそう言う人が多いんです(笑)。どのレストランも規模が大きくて、100人は楽勝、中には5百席以上なものもあります。ここはその中間な感じでした。初めて行ったレストラン、それも自宅から公共交通機関を乗り継いで90分はかかる場所にあったのですが、17時半の開場前に着いて一番先位に入ったら受付の人(下の写真)が「おお、XXX〜、随分と久しぶり、元気だったのか〜?」と話しかけてきて、最初は「?」だったのですが、よく見ると前に住んでいた場所の隣村にあった中華食堂の店主でした。ひとしきり立ち話すると、そのお店は彼の持ち物だそうで、「出世したね〜」と言う...成功物語、悲恋物語...
弁当、昼はよく弁当を持っていきます。圧倒的に「コメ飯」が多いのですが、今までに色々な弁当箱を使ってきました。夢の弁当箱はインドあたりで標準な多層式(4段重ね前後)で最上部に丈夫な取っ手の付いたものです。カレーは無論、味噌汁やデザートなども自由自在でしょう。ドイツでもそのような弁当箱は洗練されたものが手に入りますが、持っていくのが大変そうです。重量的にはリュックとどっこいになってしまうのかも、です。本末転倒、と言う言葉が思い浮かびます(笑)。また、食べた後に邪魔くさい感じです。いつだったか、日本に帰った際に「ドカベン」を探したこともありましたが、見つけることができませんでした。平べったいプラ製の弁当箱は百花繚乱にありましたし、そのい幾つかは実際に使ったのですが、熱い物、揚げ物、などやはりプラ製は「何かが溶け出して...弁当箱探求
これはある市内の丘の上にあるビヤガーデンです。日本ではビヤガーデン(英語読み)と言うと思いますが、ドイツ語ではBiergarten(ビアガルテン)です。そして下の写真は、特に南ドイツでは定番な「ドイツ風肉入り餃子のポテト・サラダ添え」です。大抵は19時頃から23時頃までに3L前後を友達たちとワイワイガヤガヤとおしゃべりしながら、最初の頃に何か一品を食べる人が多いです。ただ、日本でのような「ハシゴ」はなく、自分の皿のものを「分ける」とか、何品もオーダーしてシェアするといったこともありません。「所変われば品変わる」で、両方の良さを知る者としては「郷にいれば郷...」で、まあ楽しければOKでしょう。ドイツ式ビヤガーデン
この食べ物は「どのように分類すればいい?」と、対面する度に考えてしまいます。間食的なスナックとしてはカロリーあり過ぎ(多分、カツ丼一杯ほどは十分にあるかと)、名前にカレーと付いていますがせいぜいカレー粉が少し振ってある、それも時間とともにケチャップに呑み込まれて視認できなくなる、なんてものはカレーと言えません(笑)。では、「何飯?」かと言えば、朝飯ではない、昼食?まあそれもありでしょう。夕食?うーん、何か物足りないそして少しさ寂しいような侘しいような気になります。経験的に言えば、中途半端な時間にビールを外で呑み始めて何やら小腹が減ってきたけれどもガツンと食べたくはない、しかしそれなりのウエイトのあるもの、しかもビールの味を邪険にせず、むしろ引き立てるようなものが欲しい時、つまりピーナッツをつまみながらのビールで...カレーソーセージ
ハンダ付け、最初にしたのは中学生の時でした。トランジスタなどの足をピンセットでつまみながら(熱を逃がす為)悪戦苦闘しました。最初はどこかで何かが熱破壊されていて音が出なかったり、だったと記憶しています。中学の頃は1年間だけ男子は「技術」女子は「家庭」に分かれて、1週間に2時限まとめて同時刻に別授業がありました。その際に3球スーパラジオを板金加工も含めて自作したことがあって、授業の担任から「音が出たら5、出なくても4」と言われて張り切ったのですが、音は出ませんでした。原因は「真空管ベースだから」とダラダラとハンダ付けして何らかの部品を熱破壊させてしまったからかも知れません。写真は仕事で使う音響用のケーブルの末端のオスメスプラグをハンダ付けしているところです。対向で3線あるので向きを誤ると機器が動作しなくなり、現場...ハンダ付けの妙(怪?)
この御仁は義弟のミハイルです。前の記事のスイスの仏寺の僧侶のミハエルさんではなく、女房の妹の旦那です。義妹は病死していて彼は数年後に再婚しましたが、お互い「義弟」「義兄」と紹介し合う仲です。ちなみにドイツ語では「義」としては「弟」や「兄」の区別はありません。週末のツーリングはこのミハイルに会う為でした。彼は北ドイツでプロテスタントの教会を預かる牧師です。この写真は、日曜の彼のミサの後で私が帰郷する前の腹ごしらえとして彼が今の奥さんと行きつけているイタリアンで昼食をご馳走してくれた際のものです。彼と初めて知り合ってから今年でちょうど30年になります。我々は今回初めてお互いの奥さん抜きで2日間ほどいろいろな話(昔話やこれからのこと)を十分にすることができ、充実した2日間となりました。知っているようで知らない、直接そ...義弟のミハエル
ドイツでは「カツレツの目玉焼き乗せ」はたまにあります。このレストランでは「ハンブルグ風カツレツ」という名前でメニューにありました。日本でもおなじみな「ウィーン風カツレツ」風な薄いカツレツに目玉焼きが2個、それも一つ一つ焼いた目玉焼きをカツレツの上に重なるように乗せてありました。また、ウィーンあたりでは必ず添え物として付く縦にざく切りにしたレモンも1つではなく2つでした。ただ、レモンの搾り汁をカツレツの上にかけようとするとカツレツ全体を覆っている目玉焼きをめくらねばならず、「トンチンカン」気がしました。「美味しかった?」と訊かれれば「普通に美味しい」と答えられるレベルではありました。普段はこの組み合わせは食べないのですが、ツーリング中は「普段食べないものを食べる」はままあることです(笑)。カツレツの目玉焼き乗せ
先週末は久々の長距離ツーリングに出ていました。距離的には往復で約900キロほど、しかし明確な目的がありました。それは400キロほど離れたところで牧師をしているSchwager(義弟)を訪ねたのです。久々のバイクの運用の為(髪の毛を短めにしておかないと余計に暑く感じる)に、普段は公共交通機関で行く床屋さんにバイクで行ったのですが、事前にバッテリーは八割方も充電しておきました。しかっり着込んで自宅の車庫前に後向きにバイクを引き出し、押し上がれないほどの勾配があるので隣人の車庫前におケツを向ける形で坂を斜め左に一生懸命に1メートルも押し上げ(でないと進路が確保できない)、サイドスタンドを出して乗車し、よっこらしょと体勢をまっすぐに立て直して、エンジン始動。しかしセルは何度回しても弱々しく、急遽の策でもう一台ある(ナン...久々の長距離ツーリング
見本市でも学会でも、数日間に渡って朝から晩まで参加すると、夕飯に難儀します。万の数の参加者たちが会場近くの飯屋さんのキャパ超えするので、宿屋に宿泊する遠方からの参加者たちは翌日も早い(参加するにせよ、帰郷するにせよ)ので、大抵は「連日同じようなもの」をかきこむことになります。写真は首都ベルリンの郊外の義母の家に常識的な時間(22時頃)迄に会場から電車・電車・バスを乗り継いで着かねばならなかったのに、会場を出られるのは19頃、帰還プロセスには2時間は必要でしたから、どうしても「帰路で食べて帰る」ことになります。大きな乗り継ぎ駅の建物の中には飯屋さんが何店かある事がありますが、この写真はそんな一店でした。基本は「ケバブ屋」ですが、焼きそばと薄カツの組み合わせにビールのオマケが「癒し」でした(笑)。こんな日が何日も続...かきこみ飯
この方は、俗名をミハイルさんといい、ドイツ人で、彼はスイスにある仏寺のお坊さんで、法名はBODHINANDOです。彼とは長距離電車での移動中に知り合ったのでした。ひとしきりお話しして、いつかスイスの彼が居る寺を訪ねて行く約束をしましたが、10月にスイスで用事があるので、その際に1日余裕を持って彼の寺に行ければ良いな、と考えています。日本にはスイス人の禅寺の和尚さんが居て、彼にもいつか会いたいと思っています。女房は禅寺での食事、特に応量器に興味を持っていて、私もあの究極なコンパクトさに実用性と精神性への深い配慮を感じています。ドイツ人のスイスの仏寺のお坊さん
夕飯は日本流に言えば「スパゲッティ・ミートボール」なのですが、私が一方的に「あっ、スパゲッティ・ミートボールだ〜」と30年近く言い続けていただけで、この日本飯の様なドイツ飯に付いて真顔で女房に訊いたことがありませんでした。で、遂に問い質したところが、「あんたがいつもそう言っているけど、ドイツでも稀にこういうのを作ることがあるわよ」でした。ただ、昔から肉類が安く豊富に出回っているので、ひき肉が主役になり難いお国柄、今日も何らかの小さ目に割いた肉片を別途焼いても良かったそうですが、私が懐かしむのでミートボールにした様です。ミートボールの怪
朝、出先でブラブラしていると「日本のパン屋さん」を発見、コロッケ・焼きそばパンとカレーパンで朝食しました。ドイツでは複数の炭水化物の組み合わせはまず無いので、懐かしい食べ物でした。焼きそばパンを食べたのは実に中坊以来でした。味が「超薄め」に思えるのは普段はドイツ飯に慣れしたんでいるせいでしょう。ドイツでは、加齢するほどにタンパク質を多く摂り、糖質制限はしてはいけない、と言われています。昼はドイツ飯でタンパク質を摂ることにします(笑)。日式な朝食
今日と明日は出張で、夕飯はTACOS(タコス)でした。相手に「夕飯はどうします?」と訊かれて、数日前にスペインの「タコスの歴史」というシリーズものをドイツのNETFLEXでドイツ語字幕で観ていたので「タコスでお願いできれば」と言っておいたので、わざわざ手巻きできるお店に連れて行ってくれたのでした。しかし、何か違和感がありました。スペインのドキュメンタリー映画で観ていたものに比べると、「迫力不足」な感じが否めなかったのです。牛や豚を丸ごと解体して、直径1メートルを超えるような銅製の大鍋で昼夜煮るとか、大型の回転串に何十枚も薄肉を重ねたものを炭火で焼き上げるとか、数メートルもの巨大アロエの薄皮を肉の間に敷き詰めて地中で一晩中かけて蒸し焼きにするとか、がこのレストランの皿の上には見えなかった(笑)からかもです。まあ、...違和感
これはドイツのある歩行者天国の随所に設置されている「ゴミ箱」です。見かけは低容量ですが、実は大容量なんです。というのも地下に巨大なゴミ溜めがあって、なかなか一杯にはならない仕組みです。地下の規模がどうなっているのかは、XX公社な管理団体にいつか訊いてみたいと思います。ドイツではテロがあろうが、どこかの要人が来ようが、ゴミ箱を無くしたり、コインロッカー等を封鎖したりは、ありません。ドイツのゴミ箱
最近はノートを持ち歩いていなくて、どうしても携帯で用を済ませられない時は、五円玉で大きさの比較している超小型PC(5V駆動)を、他の目的で持ち歩いている部品らと出先で結合させてPCとして使うことがあります。折りたたみのスタンドも、折りたたみのキーボードも、無線イヤホンも、外部電源も携帯用で、画面は動画撮影に使うフィールドレコーダーで画質はフルHDです。4〜5時間は仕事ができて、OSはLinux系のUbuntuの18.04LTS、MSオフィス対応の互換ソフト類も入っていて、日本語入力もサクサクです。マウスやマウスパッドは自宅では使わなくなったもの、タバコ箱大のようなPC本体の値段は邦貨で約4千円程度です。世界最小(級)なPC
これはドイツのアルパカ牧場での一コマです。「アルパカと一緒に牧場の周りの森道をお散歩する」がブームになっています。時間的には1~2時間ほど、グループ別にインストラクターが一人付いて、一人一頭の名前の付いたアルパカを渡され、その際にたずなの持ち方やアルパカとの歩き方(なるべく左の真横)などのレクチャーを受け、いよいよ出発です。「癒し」の効果があるようで大人たちに人気なイベントですが、子供たちには誕生会などのイベントとして2~3人の子供に一頭、それぞれの親たちが一緒にお散歩していくようです。日本語で言えば、「キャー、かわいい~」なんていうドイツ語でのフレーズが乱れ飛んでいたのは屋内で品定めしていた時迄で、いざ一緒にお散歩に出てみると、小型のラクダのような顔したアルパカがその華奢な体格に似合わずちょっと強情で警戒心旺...アルパカの親子
ショートツーリングでの一服、と言ってもタバコとかコーヒーとかではなく、暑い日のパフェはオツです。今年の夏は特に暑くて晴天が8月に入るまで続くという俗な長期予報があって、その根拠はドイツの農民の経験則(Siebenschläfer)に寄るらしいですが、ドイツで生まれ育っていないので実感が湧きません(笑)。それよりも猛暑の中で頰張るパフェの方に現実感があります(笑)。ショートツーリングでの一服
これは我が家で毎日食べている朝食用のパンです。近所のパン屋さんは6時過ぎから開いています。閉店法の関係で普通のお店は日曜は開けないのですが、パンは「毎日食べるもの、それも焼きたてを」のポリシーがドイツにはあってか、日曜日も午前中は開いています。基本、ドイツのパンは、個人でもチェーン店でもスーパーでも、ガソリンスタンドのものでも、業務用のパン焼き機が「ドーン」とあって、できるだけ「焼きたて」を提供しています。個人商店以外ではパン種は本店などで用意して早朝の3時過ぎ頃から支店網に配達している様です。こんな大きなパンを買うときには、半分とかでもOKで、丁寧な対応でその場で切ってくれます。我が家では子供が遠隔地の大学に行っているので夫婦二人で1週間に2個という感じ、ドイツの一般家庭では電動パン切り機も普及していますが、...ドイツの朝パン
これはいつか食べたラザニア。美味しんですが、とても高カロリーです(笑)。グラタン皿の中に盛り上がるほどに詰め込んでグツグツと煮焼いた一品。満足度max、特に冷える冬の夜に左端から崩し喰いする時間は至福です。ラザニア(但し、ドイツ風)
今日は結婚記念日です。29回目のそれの日で、女房と付き合い始めてから31年、知り合ってから37年、私はまだ還暦前ですので長く感じます。でも、37年は「あっという間」だとも思えます。今晩は村のレストランでささやかな宴です、と言っても席を予約してあって夕食を一緒に摂るだけですが。2013年に交通事故を起こし、2017年には闘病し、社会復帰したのは最近ですが、その間に実に色々とありました。今日は街中の花屋さんで花束を作ってもらって、女房の仕事帰りに一緒に乗って家に帰って行くので、待ち時間に昼間から一杯やっています。このビヤホールは一度入ってみたかったのでこの際に実行してみました。今晩はワインと決めている(女房はビールを飲まない人なんです)ので、今の内に1Lほど引っ掛けております(笑)。「昼ビール」は実に美味いです、は...結婚記念日
長い長い休止の後、投稿を再開します。事故、闘病を経て、どうにかこうにか再起した証として日記を付け始めることにしました。ドイツは「森の果物」な季節、写真は住んでいる村で採れた「木苺」です。赤いのはラズベリー(ドイツ語ではHimbeere)、黒っぽいのは黒苺(ドイツ語ではBombeere)。日本でも馴染みのあるブルーベリーはドイツ語ではHeidelbeere、所謂「木苺類の実」には、他にもJohannisbeere(和名スグリ)、Stachelbeere(英名グーズベリー)、Preiselbeere(和名こけもも)、などがありますが、ドイツでは「そのまま」かジュースとしてあります。「スグリジュース」は日本での「オレンジジュース」的な定番で大抵のレストランにあります。こういう「森の果物」は村はずれの畑の販売所で午前中...木苺
久しぶりの記事アップです、間が空いてしまったのは「超多忙」だったからで、何もかもがいっぺんにやって来て、アタフタしながら処理に当たっています(泪)。写真は、出先の居酒屋(ドイツ国内)で数時間ねばった際の夕飯です。料理名の読みは「ケーゼスペッツェレ」で、南ドイツでよく食べられているこの麺料理は脇役の「付け合せ」である事が多いのですが、チーズを混ぜオーブンで焼くとグラタンの様に主役を張れます。これが「うまい」んです。初体験前は「こんなの」とも思いましたが、食べ慣れるとこれだけで十分な気になるから「不思議」です。フォークですくうようにして口元に運びながら何十回にも分けて食べました。南ドイツの麺料理(Käsespätzle)
パン屋に行ったら、女房に頼まれなかったパンも買って来てしまいました。どんなパンかというと、写真左の小皿の上にある「揚げパン」です。Pfannkuchenと呼ばれるホットケーキに似た生地で形を作り、フライパンの上で焼くのではなく、鍋に張った油で揚げて砂糖をまぶしたモノです。南ドイツ地方(Bauernkrapfen)では謝肉祭が近ずくとパン屋さんに並びます。これを見かけると小学校の給食でカレーに次ぐ人気があった「揚げパン」を想い出し、勘定が終わる直前まで、「買うか買わないか」を迷いまくった末に、「抗し切れない」何かに押し切られて、買ってしまうのです。女房は理由を知っているので今更何か言う訳ではありませんが、春になったらツナギを着て再出走したい身にとっては、あと5キロの減量が必須なので、いつになく迷いの淵は深かった気...抗し切れない想い出
頂きものの「ふりかけ」、ふりかけと言えば全国区なそれ、旧軍でも採用されていたというあれ、今回のものは地方色強い一品でした。でも、これが「旨い」んです。酒の肴に、スナックに、ご飯に掛けて、お茶漬けにして食べています。最近、長期な出張で家を空けてしまいましたが、クリスマス直前(一日前の夜更け)に帰還して「堤防の決壊の様な事態」を回避(苦笑)しました。久しぶりに対面した女房殿は少し他人行儀でしたが...結婚以来、家に居ない際には「毎日の電話」を励行、実は今日は結婚25年目の銀婚式な日でして、久しぶりに女房と一緒に夫婦水いらずな夕食に出て行く予定です。あれこれありましたが、やっと折り返し的な25年です。交際期間を含めると27年、その前の6年間は写真や話などでは知っていましたから、知り合って33年目です。既に互いの親と一...ふりかけ
これは都市部での郵便配達人が使っている自転車です。補助輪は普段は上がっていて走行に支障なく、配達する際にわざわざスタンドを立てる必要がないようです。後ろの荷台下にはバッテリーが詰まっているようで、「電動アシストの自転車になって本当に楽になったよ」は、電車の踏み切りが上がるのを待っていた写真のおじさんの弁でした。「日本にもこんな自転車たくさんあるでしょう?」と訊かれたので、「郵便配達の分野ではドイツほど多くはないかと...」と歯切れ悪く答えると、やっぱりドイツ人なので直ぐに突っ込んできて「どうして?」と切り返えされ、「日本はドイツほど働く人に優しくないだろうということですよ」って言い切ると、「そうか~、ドイツは確かに欧州でも一番くらいに働く人に手厚いよね」で、踏切が開いたので、「じゃ~ね~」みたいな雰囲気でバイバ...ドイツポストの自転車
最近、以下のレシピをYoutubeで見つけ、半信半疑で「その通り」に作って見た所「大当た~り~」でした。味は、あのXX屋の牛丼に酷似していて、生姜も近所のドイツの大スパーの寿司モノコーナーで見つけた瓶詰めのものを千切りにして乗っけてあります。今日で5回目くらいな自家製牛丼、家族にも好評で、蓋した鍋に入れたままでも直前に煮立たせれば2日間は温っかご飯にかけて食べられます。美味しくて2杯目を我慢するのが辛い...です。http://www.youtube.com/watch?v=LSxbFzvXBjAドイツで食べれるXX屋の牛丼
süßigkeit ( 読み: ジューシッヒカイト / 意味: 甘いモノ )
日本で「スイーツ」なる単語が流行っているとか。ドイツ人で英語が分かる人には「あっ、ジューシッヒカイト」って直感できますが、ドイツでは「スイーツ」と言わず、"ジューシッヒカイト"と言います。それが複数になれば"ジューシッヒカイテン"となり、外国人には「まさか甘いモノを指す単語とは!?」な硬い語感です。今日の昼にサテンで食したスイーツが写真のsüßigkeitです。ブルーベリーの一つ一つがプリプリして、イチゴも充分に冷たくて、土台の生地がまた違う甘さを持っていて、しかもサクサクでした。これに合う飲み物はエスプレッソです、自分的には。優れた甘いモノは、体だけでなく心も癒してくれるのが実感できる一品でした。süßigkeit(読み:ジューシッヒカイト/意味:甘いモノ)
ドイツのスーパーで売っている殻付きのエスカルゴは12個入りですが、この写真はフランスの飯屋さんでの殻無しの12個で4倍の値段でした。雰囲気は全然違います、家で食べるのとは。これは「前菜」の如くでしたので、主菜、デザートと続き、エスカルゴには白のワインをグラスで合わせて貰いました。原発の街での仕事、それもホテルの窓から結構まじかに見えます。夕食後もホテルのロビーで仕事は続きます。昨日開けたスーパーで買ってきたボルドーワイン(2006)、昨夜と今夜で1本呑んでしまう感じですが、書き物はどうした事かはかどります。エスカルゴ
仏に出張中ですが、写真は泊まっているホテルでの朝食です。題を最初に「仏の朝食」としましたが、これは、多分、仏の一般的な朝食とは言えない「(自分の)仏での(ある日の)朝食」ですので、自明な部分(括弧)は省きました。仏の家庭での朝食で自信を持って言えるのは、「フランスパン」と「バター」だけで、コーヒーは温ミルクを混ぜてカフェオレにする、かも、位です。他の要素は家庭によってまちまちでしょう。我が家の朝飯も一応ドイツ式ですが、外国の観光ブックの中にある様なモノではありません。このホテルは日本での「ビジネスホテル」級で設備は近代的です。ホテルの等級が星があと1つ2つ上がると全く違った様相の朝食になりますが、それもやはり「仏の朝食」とは言えません。仏での朝食
今夏の出張先で撮った一コマ。「ああ、こんな所をタンデムで走ったり、一服したり、食事したり、泊まったり、したら、さぞ愉快だろうな」って考えていました。最近はこんな写真の瞬間でもライダーと後ろの相棒の間では無線で会話が成り立っていることが多くなりました。オーストリア、スイス、イタリア、フランスのアルペンなんかを同行していたのですが、40以上の峠道を10日間で次々と越えていくが目標でしたが、実際には30峠位で終わり、しかしこうなると、もう「数」などに拘るライダーは皆無で、笑顔で一杯な夕飯と酒盛りの夜練が連日続き、朝は朝で心地良い疲れとその日への期待感で、平均年齢50歳以上(詳しくは言わない・笑)男女がニコニコしていました。皆さん、「一生の思い出」となったようです。タンデムの快
日本語のWikipediaには以下の様な由来が書かれています。----------1960年代、イギリスで唯一の24時間営業だったロンドンのカフェ、エースカフェにロッカーズとよばれる若者達が、改造されたオートバイで毎夜のように集まって、店のジュークボックスにコインを入れて曲が始まると同時にスタートし、曲が終わるまでにカフェに戻ってくるという公道レースを行っていた。改造されるベース車両はノートンやトライアンフ、BSAなどのオートバイであった。当時はロッカーズこそがカフェレーサーであったが、その文化が世界中に広まり、現在の日本でもオートバイの改造スタイルの一つとして認知されている。----------南ドイツのシュッツッツガルト近郊には全長10キロを超えるようなレースコースがありました。今では一般道になっていますが...カフェレーサー
「久々の1400GTR」と言っても自分で乗っている訳ではなく、追い抜かれざまに挨拶した御仁の事です。彼はあっという間に詰めてきて、慌ててデジ一を手にとってONして何とか撮影でき、一旦千切れましたが料金所(イタリア内)で見かけましたが、次もあっという間に消し飛んでいってしまい、しかし、しか~し、なんと高速上のガソリンスタンドの脇で電話中の彼を発見。給油の必要は無かったので窓を開けてゆっくり走りながら「良いバイクですね」って言うと喜んでいるようでした。乗っているバイクを褒められて良い気分にならない人は稀だと思いますが、1400GTRはあらゆる意味でBMWツアラーを凌駕できたバイクです。K1600GTLだけがこれに対抗できる感じですが、最高速と加速で1400GTRに軍配上がります。この御仁のバイクはトラコン付きの第二...久々の1400GTR
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