chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • ヘーゲル『哲学入門』 第二篇 論理学 第七節 [論理学と真理]  

    ヘーゲル『哲学入門』第二篇論理学第七節[論理学と真理]§7DieWissenschaftsetztvoraus,dassdieTrennungseinerselbstundderWahrheitbereitsaufgehobenistoderderGeistnichtmehr,wieerinderLehrevomBewusstseinbetrachtetwird,derErscheinungangehört.(※1)第七節[論理学と真理]科学としての論理学は、自己自身と真理との分離がすでに止揚されていること、すなわち精神がもはや『意識の学(精神現象学)』において考察されるような仕方で〈現象〉に属していないことを前提としている。DieGewissheitseinerselbstumfasstAlles,wa...ヘーゲル『哲学入門』第二篇論理学第七節[論理学と真理] 

  • 書評:小室直樹『日本人のための憲法原論』

    書評:小室直樹『日本人のための憲法原論』小室直樹氏は、日本国憲法の問題を、日本人が西洋的な憲法理念を十分に理解・共有していないことに求めています。それは、「憲法の理念」が日本社会に対して外から導入された単なる規範であること、すなわち外在的な観念であることを前提にしています。しかし、このような憲法理念を外在的な基準として位置づける理解そのものが誤りだと思います。ヘーゲルの『法の哲学』の立場においては、「国家理念」はあくまで内在的に展開する実体として捉えられます。国家とは、民族・文化・歴史が倫理的な実体として自己展開していくことによって初めて形成されるものです。したがって、小室がいうような「理念の不在」を、日本社会にとって外的な理論や思想を単に「理解」し「取り込む」ことによって解決すべき問題とするのは、国家理...書評:小室直樹『日本人のための憲法原論』

  • 2025(令和7)年06月03日(火)雨。聖書とヘーゲル哲学

    2025(令和7)年06月03日(火)雨。聖書とヘーゲル哲学久しぶりに終日雨が降り続いた。X(ツイッター)@myenzykloでノートを取りながら、ヘーゲルの宗教哲学の最終章「第三部絶対宗教Ⅲ3一般的現実性への精神的なものの実現」(木場深定訳)の個所を久しぶりに再読する。「問題はただ、感情の内容が真理であるかどうか、それは思考において真実の内容として証示されうるかどうか、ということだけである。哲学は主観そのものが感じるところのものを思考し、そして感情と折り合うことを主観に委ねる。このように感情は哲学によって拒否されはしない。むしろそれはただ哲学によって真実の内容を得るのである。しかし思考が具体的なものに対して対立し始める限り、思考の過程はこの対立を克服して、これを宥和に到達させることである。この宥和が哲学...2025(令和7)年06月03日(火)雨。聖書とヘーゲル哲学

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、SORAさんをフォローしませんか?

ハンドル名
SORAさん
ブログタイトル
作雨作晴
フォロー
作雨作晴

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用