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2006/08/24

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  • 明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約④

    明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』要約④第四章証果求めるべき真理を明らかにしそのために発心し、戒定慧の修行により、ついに煩悩を断じて菩提を証得し涅槃に到る、これを証果という。三学に小乗大乗があるように、証果にも小乗の証果、大乗の証果の別がある。第一節小乗の証果小乗の証果に、声聞と縁覚と仏果との別がある。第一、声聞の果位四向四果の別があり、この八位とは、預流向、預流果、一来向、一来果、不還向、不還果、阿羅漢向、阿羅漢果であり、初めの二位は見惑(我見をもととする身見、辺見、見取見、戒禁取見、邪見)を断ずる十六心の内十五心までを断ずるのが預流向で、預流果は見惑を断じ尽くし四諦の真理を証得して得られる。のちの六位は思惑を断じて得られる。欲界の思惑に九品があり、その六品までを断じて一来向があり、六品を既に断じたる...明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』要約④

  • 明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約③

    明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』要約③第三、正定一世間禅、世間禅とは、四禅定、四空定などをいう。十善戒を護り、坐して気息調和し、身心端静にして定に入りても、人の身心の相を見るので欲界定といい、そこからさらに進み、身の感覚を超えて虚空の如く安穏になるのを初禅の未至定という。そして、欲界など下の境界を厭い、未だ寂静に到らぬので「麁」であり、精妙に苦悩を脱していないので「苦」であり、障礙を出離していないので「障」であると観じて、先に進み、上の境界を得ると、麁動なく寂静にあるので「静」であり、苦縛を脱して静妙なるが故に「妙」であり、迷いの世界に留まろうとする障りを離れ出ているので「離」であると観ずるのを六行観という。これにより、欲界定から初禅に、さらに二禅、三禅、四禅へと到る。さらに四空定も六行観によって成就...明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』要約③

  • 明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約②

    明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』要約②第三章修行発心にとどまって修行することがなければ菩提を得られず、衆生を教化することもできない。我が仏教において、修行とは、戒定慧の三行であり、戒とは身口意の悪行を制止し善行を行ずることであり、定とは内心を寂静にして煩悩を制止することであり、慧とは顚倒せる邪見を捨て正見正智を得ることである。第一節戒聖行我が仏教において戒を論ずるに種々の門があるが、それら一切の戒は皆十善をもって根本とする。身業を戒めるものに、不殺生、不偸盗、不邪淫。口業を戒めるものに、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌。意業を戒めるものに、不慳貪、不瞋恚、不邪見がある。されど、これら十業はその源は一心にゆきつくものであり、ただその業の顕れるところについて十善戒の名目が設けられているに過ぎない。一心が真理...明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』要約②

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