オーストラリアに30年。その半分は愛犬との暮らしでした。2月に癌に屈服し、ついに虹の橋を渡った愛犬との闘病生活と思い出、そしてオーストラリア生活を交えて気の向くままに書いてみました。
オスカー君の癌は一日一日オスカー君の小さな体を犯していく。とめどもなく。。
オスカー君は裕福な農場で10匹のワンコたちと自由奔放に育った。私達のところに来て本当に幸せだったろうかとおもう。ただ、ただ、あの時はかわいくそしてハッチ君のお遊び相手がほしかった。
ステロイドの効果がなくなりつつあるのオスカー君の病状にでてきた。食欲、便秘、足と、癌が身体のなかを動きはじめた。
オスカー君の悪性リンパ腫が身体に広がり始めた。少しづつ少しづつ、小さい体を侵略しつづけていく。
生検の結果が待ち遠しかった。1週間が1年のように感じた。しかし、待ったかいがあった。結果は陰性だった。
自分の乳がんの検査結果も心配だったが、オスカー君にそろそろ症状がではじめた。6週間といわれて4週間目にはいる。
病院からやっと我が家、オスカー君の元に戻った。ところがまた問題が。全く今回は次から次へとついていない。しかし、オスカー君の状態はとりあえず安定していた。
長い長い乳がんの外科的生検の1日半が終わって。無事退院し、愛犬の待つ家路につく。
長い一日も終わりに近づく。簡単に日帰りで済むはずの乳がんの外科的生検手術が全身麻酔の副作用で入院となる。
やっと外科的生検手術が終わって家に戻れると思ったら、全身麻酔の副作用がひどく入院となる。
長い長い一日になった。手術前の問診、処置、その間に待ち時間が長々と入り、ついに、手術室に入室して、外科的生検手術を受ける段階になった。
乳がんを調べる外科的生検。長い一日となりそうだ。まずは生検前の処置。ワイヤリングといって、胸の手術箇所を示す、針金を胸にいれる処置を手術前にしなくてはならなかった。
ついに外科生検の日が来た。これで、乳がんかどうかが100%わかる。病気のオスカー君を残して気がかりだったが、オスカー君がまだ元気に見えるときに済ませておきたかった。その日に戻れるからと安心してでかけた。生検までの病院の様子を書いてみました。
犬好きでもなかった私が犬を飼う決心したこと。。そして犬なしの生活が考えれなくなった。
獣医が抗ガン治療をしないならステロイド剤が良いと処方してくれた。そのおかげで、なんとか毎日を過ごせている。ステロイド剤の効果は4週間から6週間だそうだ。もうすぐ4週間がたつ。ステロイド剤を使っていても少しずつ弱っていくのがわかるし、体のあちこちにこぶにようにリンパが固まっている。ここは夏だし、朝と夕方はカートに載せて散歩に連れていくことにした。オスカー君は水が大好きだ。オスカー君を家に初めて連れてきたとき水のみ用においておいた小さな容器に体を丸めて入って嬉しそうにしていた。ドッグショーに連れていったとき、私がちょっと人と話しているあいだにショーの会場にいくつもおいて水の入った大きな洗面器のようなものにちゃっかり座っていて回りの人の笑い者になった。海で前旦那と一緒に泳いだり、私と一緒に水になかを歩いたり。。。とにかく水がすきだ。引き潮であればカートで水際までいけるので、ママはワンコ・ウーバーの運転手です。このカートはオスカー君が足を引きずるようになってから買ったが、気持ち良いのか、最初は乗りたくなるとわざわざ私の前でビッコをひくようになった。(笑)その時はこんなことになるとは思わなかった
癌と診断がくだった。泣いて泣いて泣きつくした。ただ、泣いている時間はないと実感したときからオスカー君のための生活が始まった。
周りは時が来れば、自然にわかるというけれど、安楽死を考えなければいけないのはつらい。
悪いときには悪いことが。。私の胸にしこりが!!
恐れていた時がついにやってきた。オスカーの診断が下った。
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