昨日、職場で冬のボーナスが支給された。支給額は、昨年と同額。ところが社会保険料など控除額が増えた分、手取りが4千円ほど減った。10年前と比べると、支給額そのものは増えたが、同じ理由で手取りは1万円ほど減っている。その間、諸物価は上がっている。これが給与生活者の現実であり、「103万円の壁」の先にある問題の本質部分。ボーナスもらったが
前記事を受けて、システム2内の二重性を前提にシステム3の話をしたいのだが、「心の多重過程モデル」におけるシステム0から2までの下位過程をおさらいしておきたい。私は「心」を”生体の情報処理機能”と定義する。これは人を対象とした心理学の枠を超えた広い定義であるが、人間における”心”の拡大でもある。そもそも生物そのものが遺伝情報によって構成され、それを再生産する存在である。また個体の生活自体も情報を通しての環境との相互作用で、この段階で生命活動としての最も基盤的な情報処理活動としての心「システム0」が作動している。システム0の主機能は、外界から分離された被膜内の内部環境の維持(恒常性維持)である。この機能は従来は”心”とみなされていなかったこともあり、あえて0というナンバーになる。当然ながら、システム0は脳組織...心の多重過程の概説:システム0〜2
「おじさんパーカーがダサい」と評した女性コラムニストに、ホリエモンやひろゆき氏が反論していて、この段階では女性たちの過剰なおじさんバッシング風潮に辟易している私も反論に同調気味だったが、ファッションデザイナーのドン小西氏の「ファッションは景色でもある」という見解に、決定打を打たれた思い。私が「自分を景色として見る」見解に初めて接したのは、はるか昔(10代の時)、つげ義春の漫画「ほんやら洞のべんさん」だった。大雪の中であくせくする主人公の漫画家と民宿主人のべんさんの行状について、主人公は「景色の点景としてみたら、さしずめどんな趣なのかしら」と自分たちを振り返ったセリフが、心を打った(つげ作品には、こういう衝撃的なセリフと再三出会う)。自分の振る舞いを、景色の一部として客観的に評価する視点があることを初めて教...おじさんパーカーと電車内化粧
私の「心の多重過程モデル」が、心を単一の現象ではなく多重過程とみなすように、そのサブシステム(システム0〜3)もまた単一過程を前提としない。自分の心が1つだと考えているのはシステム2(明晰意識)だけを経験している自我の思い込みである。その「自分の心」に一番近いシステム2が単一過程でないという問題に注目する。まさに自我は自分の心(明晰意識)をリアルに経験している。その経験そのものが、経験する自我と経験される意識の2つ過程の照合なのである。この2つの過程を「モニター機能」と「想念機能」としてみる。想念機能は思考やイメージ表象活動。モニター機能は、知覚、行動、想念などへの集中(モニター)を配分する活動。この2つは、日頃は一体化しているが、本来的には相互に独立して作動できる。つまり、この2つの機能は日常では一体化...システム2を構成するモニター/想念機能
その第一報に耳目を疑った中山美穂さんの死。浴室でのヒートショックが原因らしい。つまり本人にとっても突発的な出来事だった。自営業だと半強制的な健康診断がなく、自覚症状がない循環器系の疾患は放置される。実は”入浴”は、身体にとっては温度環境の激変という物理的ストレッサーである。循環器疾患を抱えた人がそれにさらされると、強烈なストレス反応が引き起こされる。だから実際、自宅内では浴室での死亡例が多い。母の知人で2人が入浴中に亡くなっているという。我が実家でも、冬季は脱衣所となる洗面所に温風ヒーターをつけ、入浴前と入浴後に急な温度変化にさらされないようにしている。もちろん湯温が高いとそれだけでストレッサーとなる。それと、入湯する前に、たっぷり掛け湯をすること。当然ながら、酒に酔った状態で入浴しないこと。できたら、上...入浴中の死を防ぐ
こんな夢を見た。小田急ロマンスカーの特別車両を前にしての会場で、乗車券購入者がじゃんけんに勝つとグッズをもらえるというイベントをやっていて、私もそれに参加する。じゃんけんの相手は会社側の若い女性(実在する女性ではない)。結果は以下の通り。1回目:あいこ…多分パーかグー。2回目:チョキのあいこ…こちらのチョキが指が閉じていた(半ばパーを出すつもり?)。3回目:こちらがチョキで相手がパー…自分でチョキを出そうと意図したのではなく、通常のじゃんけんでやるように、あえて意図をせず、指の勢いに任せた。この結果私が勝ち、自販機から出てくるグッズをもらうことになった。その後の夢のなりゆきよりも、目覚めてからこのじゃんけん勝負が気になった。なぜなら、私は相手の出す手を予想できなかったから。すなわち、夢の中の相手は現実の他...夢でじゃんけんをした相手
買おうかと思っていたAirPodsPro2(Apple)がアマゾンでセール(5000円程値引き)だったので迷わず購入ボタンを押した。なぜ買うつもりになっていたかというと、ノイズキャンセル効果に聴覚補助効果が加わったから。Apple製品は、AppleWatchの心拍測定機能など、今や医療補助機能に定評(信頼性)がある。中度難聴(耳鳴も併発)の私は、日常生活で他者との会話に困難を感じる場面がある(対面はいいのだが、会議が困る)。そういう場合、1万円前後の集音器を装着して、会議に臨むが、完璧ではない。ちなみに「補聴器」はバカ高い(約10倍)割に、性能が集音器に毛の生えた程度なので、実用性とコスパの観点から、補聴器から集音器に鞍替えする人が多い。ただ集音器の欠点は、周波数帯の個別調整ができないこと。その結果、不必...AirPodsPro2の聴覚補助効果を確認
愛聴しているラジオ番組「安住紳一郎の日曜天国」で、ここ2週間、視聴者の寝言が話題となっており、寝言録音アプリで録音された実際の寝言の音声が紹介されている。それを聞くと、口調はもちろんのこと言っている中身が理路整然としていて、単なるうなり声ではない。ところが、夢と違って本人は全く覚えていない。研究によると、寝言は夢と違ってノンレム睡眠中の現象で、夢の中で喋っているのではない(夢の中の発言なら、寝言はずっと続いているはず)。確かに夢見のレム睡眠中は、体中の筋肉が弛緩しているので、金縛りの時がそうであるように、声を出すことも口を開くもともできないはず。「心の多重過程モデル」を構築中の私は、夢は無意識ではなく、自我以外のシステム2が見せている(自我はそれを見ている)と思っている。なぜなら、夢のストーリーの創造性は...寝言を言う主体
いよいよ12月(師走)となった日曜。昨晩の高校同窓会の酔いもすっかり醒め、予定通り、神奈川で開催されている「運慶展」を見にいく。この展示は横須賀美術館と金沢文庫(写真:ポスター。運慶作大威徳明王)との共同開催なので(あと鎌倉国宝館も協力)、その2箇所に行く。運慶は奈良(大和)出身ながら、鎌倉武士たちの支援を受けて、東国鎌倉周辺の地にも作品を残しており、それらが一堂いや二堂に会するのだ。まずは三浦半島突端の観音崎に程近い、横須賀美術館。京急の馬堀海岸駅からバスで向かう。房総半島の富津岬・東京湾観音を対岸に望む東京湾の要衝・浦賀水道を見渡せる公園にあるので、芝生に寝そべるだけでも来る価値のありそうな所。しかも併設のレストランも人気。あと週刊新潮の表紙で有名だった谷内六郎館も併設。もっとも私は運慶展を”はしご”...2つの運慶展をはしご
毎年この時期に開かれる、(今は亡き)東京都立秋川高校の第八期の同窓会(八期会)が、例年通り同窓生が営んでいる築地のイタリアレストレランで開催された。私のように遠方からの参加者のほか、今回初参加すなわち50年ぶりの再会の同期生を交えての、同窓会となった。そして、ここ数年、避け難い「訃報」の報告がある。昨年物故者の黙祷を仕切った僧籍の仲間が、その対象になってしまった。50年振りの参加者によると、亡くなる前日に元気な姿で会っていたという。酷暑の中での横死であったらしい。その他にも、体調が慢性的に悪くて出席できる状況にない者も複数いる。もちろん出席者の中にも体の痺れを持っている者や、脳梗塞の経験者もいる。まさに生死の境にいる年代だと痛感する。だからこそ、なお一層、互いに会えることに意味を感じる。こういう存在論的問...秋川高校八期会2024
『自分とか、ないから:教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版)1500円+税著者しんめいp氏は、東大法学部を出ながら、仕事ができなくて無職になり、さらに離婚して、実家に引きこもって、東洋哲学の書を50冊読んだという。これは、その結果達した境地の本。このタイトルを見て、もちろん仏教の「無我」や「空」のわかりやすい解説だとわかるので、これ絶対学生に読ませたいと思い、即座に大学図書館に注文した。20歳前後の学生って絶対”自分”にこだわって、”自分”に悩んでいるから(心理学科の学生はなおさら)、その”劇薬”(東洋哲学に対する著者の言葉)となるに違いない。そして図書館から配架したとの知らせを受けたので、まずは自分が本学で最初の読者になった。そもそも、その道の専門書を10冊読めば、その道についていっぱしの専門家と...『自分とか、ないから』を学生に読ませたい
毎年、この時期に年賀欠礼の喪中はがきが届く。同じ人から2年連続で届いたこともある。私とその知人たちがともに歳を重ねるにつれ、喪中の対象が変化していく。昔あるいは、最近でも教え子の場合は、「祖父・祖母」ばかりだったが、そのうち「父母」すなわち親(義理の親)の喪中が中心となった。大抵は父→母の順で、「母」の場合は享年90歳過ぎが多くなった。親の死を迎えることは子として必然だが、昨日届いた喪中はがきは対象が「妻」だった。配偶者の死の知らせは心が痛む。すでに子は独立しており、彼はマンションに転居した(単身生活を送るのだろう)。そういえば昨年は「子」(娘)があった。しかも亡くなったのは1月。しばらく正月を祝う気持ちになれないだろうな。かように、歳を重ねるにつれ、間接的ながらも、人の死に接することが多くなる(それに対...喪中はがきをもらって思う
今朝、愛知日進の露点温度が-3.3℃に下がった。東京文京でも-1.7℃とやはりマイナスを記録。完全に”冬”の露点温度となった(露点温度はその空気で可能な最低気温を示す)。もちろん、気温もそれに応じて1桁台に下がっている。思えば、露点温度が10℃に下がったのが10月19日、0℃台になったのが11月8日。先週末、やっと夏物をしまって冬物を出した。11月が秋から冬への移行月とすると、純粋な秋は10月だけ。冬は12-2月の3ヶ月なので、冬から春への移行月は3月で、純粋な春は4月だけ。そして夏(気温が30℃)が長くなり、5−9月の5ヶ月も続くようになった。かように四季が二季化している。露点温度がマイナスに
日曜に業務があるため、帰京せずに名古屋にいる。昨日、大学院の論文審査を終え、目の前にあったプレッシャーがなくなった。開放感に浸りたいが、土曜は天気が芳しくないので、出かける予定も入れてない。なので、いつもより遅い目覚めて起き、テレビを見ながらゆっくりコーヒーをのみ、11時に早めのランチを食べに商店街のある駅前に行く。基本朝夕2食の自炊生活なのだが、休日は朝を摂らない代わりに、昼くらいはあえて外食にしたい。駅前の商店街で、一応、惣菜店やスーパーのランチも見て回る。これらのランチは確かに安いのだが、プラケースに入ったそれを自宅に持ち帰ってレンチンして食べるのはどうも味気ない。いわば、空腹を満たすため、あるいは栄養補給のため、という義務感での食事になってしまう。プラケース食を買って帰るとすれば、やや高めの握り寿...幸せのあんかけスパ
龍樹は哲学・論理学者でなく、宗教者であるから、その目的は、何かを論証することではなく、人々に救いをもたらすこと。すなわち、菩薩道の”抜苦与楽”であり、それをもたらしたので、龍樹”菩薩”と言われている。その彼が言いたいことを私の「心の多重過程モデル」※で代弁すると、大切なのは、空という概念についてあれこれ考えることではなく、言語的思考すなわちシステム2そのものへの執着を離れることにある。※心の多重過程モデル:”心”を以下のサブシステムからなる高次システムとみなす私のモデル既存の「二重過程モデル」(システム1・2)を上下に拡張したもの。システム0:覚醒/睡眠・情動など生理的に反応する活動。生きている間作動し続ける。システム1:条件づけなどによる直感(無自覚)的反応。身体運動時に作動。通常の”心”はここから。シ...空とは何か3:思考する心
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