ロスの大規模山火事の現場で、路上で乗り捨てられた車が邪魔で消火などの緊急車両が通行できない状況になっていて、これが山火事を広げてしまっている。すなわち自家用車で避難した人たちが道路に溢れて渋滞し、そこに火の手が迫ったため、車を乗り捨てて避難した。それだけなら問題ないのだが、皆、車を駐車モードにして(タイヤが固定され)、キーをはずしてそのキーを持ち帰ったため、通行の邪魔をして動かせない車が道路に溢れたのだ。大規模災害時に、車を道路に置いて避難する場合、どうすべきか定められている。しかもそのやり方は通常の行動レパートリーにないもの。なので、それがどれほど周知されているか気になっている。日本では大規模山火事よりも、地震や津波を想定するといい。まず道路の走行車線を開けて路肩に寄せる。道が狭い場合、歩道に乗り上げて...大規模災害時に車を乗り捨てる場合
心をサブシステムの複合体とみなす「心の多重過程モデル」では、明晰な意識過程はシステム2、知覚されるが意識過程をスルーするのはシステム1、知覚されない過程をシステム0としている。このモデルにおける言葉の正しい意味での”無意識”はシステム0、すなわち自律神経・内分泌・免疫過程に限定される。一方システム1は、認知過程における周辺意識から無自覚過程に相当する(条件づけメカニズムが発生)。すなわち科学的心理学の立場では、フロイト的な「無意識」は想定されない。では逆に精神分析(フロイト以降を含む)における「無意識」は多重過程のどこに配置しうるのか。それを考える時、もちろん「無意識」を実体視するフロイトの説明を無視し、「無意識」とされる心理現象(防衛機制・転移・夢など)を個別に検討する。フロイトは、そもそも心の本能的部...「無意識」はどこにあるか:多重過程モデルにおける位置づけ
法政大学で韓国籍の女性学生がハンマーで学生たちを襲った事件。動機は、仲間はずれに遭ったためらしい。一番の問題はこの学生のメンタルにあるだろうが、この学生の立場が気になった。この犯人が留学生かどうかは不明だが、今年度の私の卒論生に韓国の留学生がいて(日本語は普通に使える)、選んだテーマが「外国人留学生の孤独」だった。その学生自身、当学科唯(たった)一人の留学生ということもあり、一人で行動することが多く、孤独を強く感じていたようだ。もちろん大学として制度的な受け入れ態勢はとっている。具体的には、学生生活を支援するボランティア学生が複数名つき、日本文化を体験する目的で毎年皆で1泊旅行をする(大学からの予算・教員付添)。ということは最低限そのボランティアの学生たちとは仲良くなれ、実際私の卒論ゼミにはそのボランティ...外国人留学生の孤独
10日10時現在、東京の私設「本駒込気象台」での露点温度が-11℃になっている。露点温度は、暖気/寒気移流のような、太陽光に影響されない大気の温度指標に使えるのだが、-11℃という値は、確かに今季一番の寒気下にあるにしても、実際の気温は7℃なので東京の”寒気の値”としては低すぎる。同時刻の東京よりも気温が低く、今雪が降っている愛知の私設「日進気象台」の露点温度は-3℃と、東京よりずっと高い。実はこれが露点温度の欠点で、露点温度は温度(気温)と湿度(大気水蒸気量)が合成した値なので、温度だけでなく湿度の指標も兼ねているという二義的解釈が必要。今の東京が降雪中の愛知より、気温が高いのに露点温度が低いのは、東京の相対湿度が26%とやたら低い(乾燥している)ため(愛知は89%)。もともと気温が氷点下になりにくい東...露点温度が-10℃以下になっているのは
本日1月7日は、一年で最初の節句である「人日(じんじつ)の節句」。この日は”春の七草”を粥で食べるという。これは5世紀の中国(東晋)の『荊楚歳時記』に載っている風習で、19世紀に明治政府が五節句そのものを廃止したのだが、こうして民間で古代からの伝統を大切に守り、21世紀の日本でも実施されるのだから面白い。スーパーに行けば「七草粥セット」が490円で売られていて、それを買って、卵入りのレトルトの粥と混ぜる。お茶漬けの元を入れて味付けをしたら意外に満足できた。正月のお節に飽きた腹には、こういう野菜いや野草中心のシンプルな粥が新鮮。次の節句は3月3日の「上巳(じょうし)の節句」。この日は缶詰めでいいから桃を食べよう。その前に「節分」があるが、似非伝統の”恵方巻き”とやらは無視する。七草粥を食べる
年末にインフルエンザのワクチン接種を受け、年明けの今日、コロナワクチン接種(7回目)を受けた。いずれも居住区の補助で無料。しかも、近所の最寄のクリニックで予約無しで受けれた。いずれの感染症も大流行中で、前者は姪が年末に感染して40℃以上の熱を出していた。また勤務先の学生たちの間でも患者が多いので、これから業務的に彼女らと接する前に予防策をとっておきたい。私はもちろん「反ワク」デマに惑わされず、コロナ禍を6回のワクチン接種で無傷で過してきた。ワクチンも、微弱な毒素を接種することでむしろ抵抗力が高まるというホルミシス効果の1つであり(筋トレも同じ原理)、毒素を微弱でも拒否するという1次関数的単純思考では理解できない現象だ。ホルミシス効果は生物を強靭にする複雑ながら確かなメカニズムで、この効果を活かした生物こそ...7回目のワクチン接種
睡眠トラブルの中でも”不眠”に悩む人が最も多い。私自身、大学生の時は日が昇るまで眠れない時が続いたので、後述する自分なりの打開策を取って、結果的に不眠を克服している。まず睡眠に入るにはどうしたらいいのか、一般論を示そう。メルロ=ポンティは「人は眠る時、まず眠る真似をする」と言ったが、まさに眠る真似、すなわちあたかも自分が眠っているかのような心身の状態を実現することで入眠が導かれるのは確か。ただしそれは体を床に横たえ、閉眼するだけでは足りない。眠れない時に思わずやってしまう「寝返り」という体動をまずは制止する。体動は目覚めさせる運動になるからだ。それゆえ、意識的に手足を固定し、静止姿勢を維持する。次いで、思考を停止する。あれこれ考えると頭が冴えてしまうから。具体的には頭に浮かぶイメージ表象を動画で展開させる...睡眠を得る方法
正月三ヶ日は近所の氏神詣以外は家に籠り、4日に外出始めをする。今年は巳年にちなんで弁天様を詣ようと、ネット検索したら、台東区三ノ輪付近に2か所あるのでそれらをハシゴすることにした。一つ目は、荒川区南千住にある中島弁財天。ここは商店街の脇にあり、最近まで銭湯の女湯の中庭に祀ってあったものだという。さらに元を辿ると伊勢亀山藩主の屋敷内の弁天池の中の島に祀ってあったといい、それが名前の由来だ。寺の境内にある石仏と違ってお顔がきちんとした作りになっており、美仏リストに加えてもいい(上写真)。二つ目は、三ノ輪を越えた先、旧吉原(台東区千束)にある吉原弁財天。ここは江戸時代以来の遊郭吉原が関東大震災で火災に遭い、遊女たちが熱さで逃げ込み溺死した弁天池があった所。手前の吉原神社は稲荷などを合祀しているが、その先の弁財天...弁天巡りと下谷七福神
年末に撮り溜めした「バス旅」(テレビ東京)を観て、改めて思うことがあった。まず、長距離を歩いて大変な思いをするのはメンバーの3人だけでなく、それに随行するカメラ・マイクを持ったスタッフたち。重い機材を持っての長距離歩行なのだ(彼ら用の車も随行しているはずだが、メンバーの会話の撮影が必要)。そして「バス旅」のメンバーは(対抗する鉄道旅も)、なぜ3人なのか。そもそも日本では旅には「弥次喜多」という2人パターンが伝統的に存在していた。ところがそれを踏襲せず、1名増えた状態を構築し、それがうまくいっている。なぜなのか。実は、2人事態と3人事態とでは、質的に異なる対人場面であることが私を含めた一部の研究者が指摘している。それは”集団”の最小単位すなわち集団の定義に関わる問題でもあるのだが、ここではその問題には立ち入...バス旅が”3人”であることの意味
毎年、元日は儀式を大切にし、元日を含めた”三ヶ日”はあえて儀礼的無為を貫き通すことにしている。すなわち、意地でも和服で通し、仕事に一切触れず※、また混む初詣にも行かず、食事はおせちと餅の繰り返しで、昼間から酒を飲み、関東戦国史の本を読む。※:「学問に正月(休日)はない」という考えは確かにあるが、あえてそこから離れることで、新鮮な発想に切り替えるメリットがある。ついでに、寝る前は、湖池屋の「のり塩」特大サイズ(195g.普通サイズの3.25倍)を寝酒の肴にしながら、年末に撮り溜めした「バス旅」(千葉成田から青森龍飛先)を4回に分けて観る。今回読んだ本は、昨年に続いて『戦国武将列伝(関東編下)』。いわゆる”国衆”(戦国領主)の網羅的紹介で、史料による経歴・事績の記述で終始される。彼らは領地の維持(あわよくば拡...例年通りの三ヶ日を過ごす
新年あけましておめでとうございます。本年も皆様にとってよい年でありますように。日本の正月、とりわけ元日は、1年で最も特別な日として、神聖な心持ちで神妙に儀式的に過す日で、それを大切にする日本人であることを堪能する日でもある。正月は、特定の宗教臭さもなく、むしろ太陽に対する地球の公転の期日として普遍的視点で祝えるのがいい。それは神道に内在する普遍性※を実感できることでもある。※:神道に内在するのは日本人としての民族性だけでなく、少なくとも北東アジアに共通する宗教的普遍性があり、それは自然宗教において呪術性に退化しない方向としてのよいサンプルを示している。すなわち呪術性も閉鎖的民族性あるいは物語を強要する教義性もない、万人を受け容れる普遍宗教としての神道を体験できる。すなわち、例年通りに儀礼的にすごすことが元...2025年元日を過す
常時気象観測している私設「本駒込気象台」(東京都文京区)と「日進気象台」(愛知県日進市)の月間値を月末に筆写しているのだが、今月(2024年12月)の本駒込気象台の降水量がなんと「0mm」だった(厳密にはあと6時間残しているが)。2017年から記録しているのだが、降水量が「0mm」だった月は過去にない。念のため気象庁のアメダスの今月の月間観測値を確認したら、「東京」(千代田区)は0.5mm(19日に降水(初雪?))で、「練馬」(練馬区)はやはり0mmだった。ちなみに「本駒込」の月間の最低湿度は21%でこれは平年並み。また現在の平衡含水率は9.1%で、木材は非常に乾燥している。日進気象台でも12月の降水量は1.4mmで、こちらは2007年以来の観測で過去最低(12月でも2桁が普通、多いと3桁)。幸い、両地と...月間降水量0mmを記録
2024年の自分(周辺)を月別に振り返って見る。1月:母と深川不動に初詣。個人で日本橋・千手の七福神巡りのハシゴ。甥の成人を祝う。姉とその息子(甥)がローマから来日し、父の23回忌を半年前倒し。2月:入試を終えると時間が空くので、恵那峡・浜名湖に泊り、暇にまかせて『大菩薩峠』を読みはじめる。3月:実質春休みなので、愛知・東京・群馬の郷土博物館巡りに費やす。月末に長年配信していた自分のHPサイトが閉鎖された(なので記事の一部をこちらのブログに移行)。4月:長年行きそびれていた岡崎城に行く。帰省中に母が貧血で倒れた。5月:久しぶりの高尾山。定期的な茶臼山カエル館訪問。6月:27年ぶりに教え子と再会。7月:今の家に住んで10年目。その地で40.3℃の高温、2時間で99.4mmの雨を記録。8月:国会図書館に通って...2024年を振り返る:個人編
年末恒例、今年を振り返ってみる。先ず世相編。今年は初っぱなの元日(元旦ではない)に、能登半島地震の洗礼を受けた。東京宅でもはっきり揺れ、テレビではアナウンサーが避難を叫んでいた。能登半島は、9月にも大雨被害を受けて災害のダブルパンチ。景気低迷と人口減少が続く日本の、幹線ルートからはずれた半島部であるだけに、復興が遅れがちとなっている。そして今年の夏も暑かった。しかも5月から10月までの半年間が夏といってもいい状態。私は冷房の効いた図書館に通うだけで、レジャー的な外出をする気がなかった。選挙も印象に残った。オールドメディアの影響力がなくなり、候補者個人の情報発信の力が発揮された。衆院選では、それまで存在感がなかった国民民主党が一挙に主役に躍り出たのは、私にとってはうれしい事。まだ野党癖が抜けていないが、いず...2024年を振り返る:世相編
多くの人が直面している「年賀状じまい」の問題。私もこの時期になると「年賀状じまい」が心に浮かぶ。そもそも年末のクソ忙しい(正月気分でない)時に精神的・作業的負担がかかり、しかも郵便料金も値上がりしたので経済的負担も増えた。実際、私宛にそれを通知されたこともあるが、別になんとも思わなかった(むしろ先を越された感)。あえて「年賀状じまい」を宣言する事自体にまだ抵抗感があるため、こちらから申し出るより、先方から通知される方が気が楽。結局、今年も決心がつかず、例年どおりの賀状書きをした。私は表(おもて)面の宛名と住所は手書きで、裏面に定型的あいさつと毎年変える写真と近況は印刷し、それに手書きの添え書きを加える。相手の住所氏名を書いていると、相手の顔が思い浮かばれ、そして裏面の添え書きにその思い浮かんだ相手に向けて...年賀状じまいに迷う
冬至の今日は、「冬至の年筮」と言って、易者はこの日に来年を占う。易学研究会の顧問である私も、例年通り、自宅で筮竹を捌いて、中筮法で来年の世相を占ってみた。得た卦は「火風鼎」だが、五爻が変爻だったので「天風姤」に変わる。すなわち来年の前半は「火風鼎」で、後半が「天風姤」とみなせる。すると、来年前半(鼎)は、新しい機運に乗ってよく、例えば国政で言えば減税の方向を進めてよい。ところが後半(姤)、思わぬ女性が出現して混乱をもたらす。国民民主党の党首はすでにこの問題は解決済みと思えるので、別の問題だろう。これについては自分自身も気をつけたい。2025年の易占結果
大学”教員”としての年間最大のヤマは、4年のゼミ学生たち全員の卒論を指導をして、提出まで見届けること。ウチの学部は、2月に卒論発表会をやるため、その抄録集の印刷作業が必要なので、提出期限が他学部と比べて1ヶ月ほど早く、年末の20日。提出期限日の本日、最後の提出者を見届けた。心理学科なので、卒論は、個々でテーマを決め、それに基づいて調査や実験を実施しデータを分析して考察する(理系だとテーマは研究室で与えられ、個人はその分業を担当)。指導教員はゼミ生全員に分析法や文章の指導(添削)をするので、教員自身の負荷もかなり高い。それが終わったのだから、自分自身が解放感を得られる。しかも年末の冬休みも迎えるので、解放的な年末気分になれる。おっと、自分の論文の校正作業があった。卒論提出2024
昨日は休日出勤予定だったので、その翌日は小慰労として東濃中津川の定宿温泉を予約していた。昨日は出勤が解除されたが、その代わり棲み家の大掃除をしたので、その小慰労に名目変更。この宿はとにかく湯(浴室)が気に入っていて、それだけを目的にすればよく、豪華な食事は選ばずに素泊まり(7500円)でいい。日曜の晩なら、夕食は併設のクア施設のレストランでアルコール入れて2000円に抑えられる。朝食は室内の電気ポットでカップ麺(カロリー・塩分の低いパスタ)。その分起床はゆっくり。もっとも今は卒論の追い込みに当たるので、宿でもネット経由で論文チェック(校閲)はせざるを得ない。ということで、真の慰労はまだ先の話。小慰労の素泊まり温泉
煤払いの翌日の今日、予定していた大学の業務がなくなったので、急遽名古屋宅の大掃除に取り掛かる。まずは窓を開けて、マスクをして、化繊のハタキで家具のホコリを取る。床の掃除は、ハンディ掃除機で簡単にすむ。以前は、これを手動でやっていた(ホウキとチリトリ)ので時間がかかった。キッチンは油を使わないので、水垢取りで終わる。風呂もトイレも以前よりは簡単に終わる。要は余計なものを室内に置かない(そこが汚れる)こと。だから便座カバーもつけていない。風呂での洗髪は浴槽内で石鹸で済ませ(ついでに下着も洗濯)、あとは石鹸類を使わないので油汚れが発生しない。それに通常の入浴時にシャワーで浴室の壁を洗っていればいい。名古屋宅で大掃除
昨日、職場で冬のボーナスが支給された。支給額は、昨年と同額。ところが社会保険料など控除額が増えた分、手取りが4千円ほど減った。10年前と比べると、支給額そのものは増えたが、同じ理由で手取りは1万円ほど減っている。その間、諸物価は上がっている。これが給与生活者の現実であり、「103万円の壁」の先にある問題の本質部分。ボーナスもらったが
前記事を受けて、システム2内の二重性を前提にシステム3の話をしたいのだが、「心の多重過程モデル」におけるシステム0から2までの下位過程をおさらいしておきたい。私は「心」を”生体の情報処理機能”と定義する。これは人を対象とした心理学の枠を超えた広い定義であるが、人間における”心”の拡大でもある。そもそも生物そのものが遺伝情報によって構成され、それを再生産する存在である。また個体の生活自体も情報を通しての環境との相互作用で、この段階で生命活動としての最も基盤的な情報処理活動としての心「システム0」が作動している。システム0の主機能は、外界から分離された被膜内の内部環境の維持(恒常性維持)である。この機能は従来は”心”とみなされていなかったこともあり、あえて0というナンバーになる。当然ながら、システム0は脳組織...心の多重過程の概説:システム0〜2
「おじさんパーカーがダサい」と評した女性コラムニストに、ホリエモンやひろゆき氏が反論していて、この段階では女性たちの過剰なおじさんバッシング風潮に辟易している私も反論に同調気味だったが、ファッションデザイナーのドン小西氏の「ファッションは景色でもある」という見解に、決定打を打たれた思い。私が「自分を景色として見る」見解に初めて接したのは、はるか昔(10代の時)、つげ義春の漫画「ほんやら洞のべんさん」だった。大雪の中であくせくする主人公の漫画家と民宿主人のべんさんの行状について、主人公は「景色の点景としてみたら、さしずめどんな趣なのかしら」と自分たちを振り返ったセリフが、心を打った(つげ作品には、こういう衝撃的なセリフと再三出会う)。自分の振る舞いを、景色の一部として客観的に評価する視点があることを初めて教...おじさんパーカーと電車内化粧
私の「心の多重過程モデル」が、心を単一の現象ではなく多重過程とみなすように、そのサブシステム(システム0〜3)もまた単一過程を前提としない。自分の心が1つだと考えているのはシステム2(明晰意識)だけを経験している自我の思い込みである。その「自分の心」に一番近いシステム2が単一過程でないという問題に注目する。まさに自我は自分の心(明晰意識)をリアルに経験している。その経験そのものが、経験する自我と経験される意識の2つ過程の照合なのである。この2つの過程を「モニター機能」と「想念機能」としてみる。想念機能は思考やイメージ表象活動。モニター機能は、知覚、行動、想念などへの集中(モニター)を配分する活動。この2つは、日頃は一体化しているが、本来的には相互に独立して作動できる。つまり、この2つの機能は日常では一体化...システム2を構成するモニター/想念機能
その第一報に耳目を疑った中山美穂さんの死。浴室でのヒートショックが原因らしい。つまり本人にとっても突発的な出来事だった。自営業だと半強制的な健康診断がなく、自覚症状がない循環器系の疾患は放置される。実は”入浴”は、身体にとっては温度環境の激変という物理的ストレッサーである。循環器疾患を抱えた人がそれにさらされると、強烈なストレス反応が引き起こされる。だから実際、自宅内では浴室での死亡例が多い。母の知人で2人が入浴中に亡くなっているという。我が実家でも、冬季は脱衣所となる洗面所に温風ヒーターをつけ、入浴前と入浴後に急な温度変化にさらされないようにしている。もちろん湯温が高いとそれだけでストレッサーとなる。それと、入湯する前に、たっぷり掛け湯をすること。当然ながら、酒に酔った状態で入浴しないこと。できたら、上...入浴中の死を防ぐ
こんな夢を見た。小田急ロマンスカーの特別車両を前にしての会場で、乗車券購入者がじゃんけんに勝つとグッズをもらえるというイベントをやっていて、私もそれに参加する。じゃんけんの相手は会社側の若い女性(実在する女性ではない)。結果は以下の通り。1回目:あいこ…多分パーかグー。2回目:チョキのあいこ…こちらのチョキが指が閉じていた(半ばパーを出すつもり?)。3回目:こちらがチョキで相手がパー…自分でチョキを出そうと意図したのではなく、通常のじゃんけんでやるように、あえて意図をせず、指の勢いに任せた。この結果私が勝ち、自販機から出てくるグッズをもらうことになった。その後の夢のなりゆきよりも、目覚めてからこのじゃんけん勝負が気になった。なぜなら、私は相手の出す手を予想できなかったから。すなわち、夢の中の相手は現実の他...夢でじゃんけんをした相手
買おうかと思っていたAirPodsPro2(Apple)がアマゾンでセール(5000円程値引き)だったので迷わず購入ボタンを押した。なぜ買うつもりになっていたかというと、ノイズキャンセル効果に聴覚補助効果が加わったから。Apple製品は、AppleWatchの心拍測定機能など、今や医療補助機能に定評(信頼性)がある。中度難聴(耳鳴も併発)の私は、日常生活で他者との会話に困難を感じる場面がある(対面はいいのだが、会議が困る)。そういう場合、1万円前後の集音器を装着して、会議に臨むが、完璧ではない。ちなみに「補聴器」はバカ高い(約10倍)割に、性能が集音器に毛の生えた程度なので、実用性とコスパの観点から、補聴器から集音器に鞍替えする人が多い。ただ集音器の欠点は、周波数帯の個別調整ができないこと。その結果、不必...AirPodsPro2の聴覚補助効果を確認
愛聴しているラジオ番組「安住紳一郎の日曜天国」で、ここ2週間、視聴者の寝言が話題となっており、寝言録音アプリで録音された実際の寝言の音声が紹介されている。それを聞くと、口調はもちろんのこと言っている中身が理路整然としていて、単なるうなり声ではない。ところが、夢と違って本人は全く覚えていない。研究によると、寝言は夢と違ってノンレム睡眠中の現象で、夢の中で喋っているのではない(夢の中の発言なら、寝言はずっと続いているはず)。確かに夢見のレム睡眠中は、体中の筋肉が弛緩しているので、金縛りの時がそうであるように、声を出すことも口を開くもともできないはず。「心の多重過程モデル」を構築中の私は、夢は無意識ではなく、自我以外のシステム2が見せている(自我はそれを見ている)と思っている。なぜなら、夢のストーリーの創造性は...寝言を言う主体
いよいよ12月(師走)となった日曜。昨晩の高校同窓会の酔いもすっかり醒め、予定通り、神奈川で開催されている「運慶展」を見にいく。この展示は横須賀美術館と金沢文庫(写真:ポスター。運慶作大威徳明王)との共同開催なので(あと鎌倉国宝館も協力)、その2箇所に行く。運慶は奈良(大和)出身ながら、鎌倉武士たちの支援を受けて、東国鎌倉周辺の地にも作品を残しており、それらが一堂いや二堂に会するのだ。まずは三浦半島突端の観音崎に程近い、横須賀美術館。京急の馬堀海岸駅からバスで向かう。房総半島の富津岬・東京湾観音を対岸に望む東京湾の要衝・浦賀水道を見渡せる公園にあるので、芝生に寝そべるだけでも来る価値のありそうな所。しかも併設のレストランも人気。あと週刊新潮の表紙で有名だった谷内六郎館も併設。もっとも私は運慶展を”はしご”...2つの運慶展をはしご
毎年この時期に開かれる、(今は亡き)東京都立秋川高校の第八期の同窓会(八期会)が、例年通り同窓生が営んでいる築地のイタリアレストレランで開催された。私のように遠方からの参加者のほか、今回初参加すなわち50年ぶりの再会の同期生を交えての、同窓会となった。そして、ここ数年、避け難い「訃報」の報告がある。昨年物故者の黙祷を仕切った僧籍の仲間が、その対象になってしまった。50年振りの参加者によると、亡くなる前日に元気な姿で会っていたという。酷暑の中での横死であったらしい。その他にも、体調が慢性的に悪くて出席できる状況にない者も複数いる。もちろん出席者の中にも体の痺れを持っている者や、脳梗塞の経験者もいる。まさに生死の境にいる年代だと痛感する。だからこそ、なお一層、互いに会えることに意味を感じる。こういう存在論的問...秋川高校八期会2024
『自分とか、ないから:教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版)1500円+税著者しんめいp氏は、東大法学部を出ながら、仕事ができなくて無職になり、さらに離婚して、実家に引きこもって、東洋哲学の書を50冊読んだという。これは、その結果達した境地の本。このタイトルを見て、もちろん仏教の「無我」や「空」のわかりやすい解説だとわかるので、これ絶対学生に読ませたいと思い、即座に大学図書館に注文した。20歳前後の学生って絶対”自分”にこだわって、”自分”に悩んでいるから(心理学科の学生はなおさら)、その”劇薬”(東洋哲学に対する著者の言葉)となるに違いない。そして図書館から配架したとの知らせを受けたので、まずは自分が本学で最初の読者になった。そもそも、その道の専門書を10冊読めば、その道についていっぱしの専門家と...『自分とか、ないから』を学生に読ませたい
毎年、この時期に年賀欠礼の喪中はがきが届く。同じ人から2年連続で届いたこともある。私とその知人たちがともに歳を重ねるにつれ、喪中の対象が変化していく。昔あるいは、最近でも教え子の場合は、「祖父・祖母」ばかりだったが、そのうち「父母」すなわち親(義理の親)の喪中が中心となった。大抵は父→母の順で、「母」の場合は享年90歳過ぎが多くなった。親の死を迎えることは子として必然だが、昨日届いた喪中はがきは対象が「妻」だった。配偶者の死の知らせは心が痛む。すでに子は独立しており、彼はマンションに転居した(単身生活を送るのだろう)。そういえば昨年は「子」(娘)があった。しかも亡くなったのは1月。しばらく正月を祝う気持ちになれないだろうな。かように、歳を重ねるにつれ、間接的ながらも、人の死に接することが多くなる(それに対...喪中はがきをもらって思う
今朝、愛知日進の露点温度が-3.3℃に下がった。東京文京でも-1.7℃とやはりマイナスを記録。完全に”冬”の露点温度となった(露点温度はその空気で可能な最低気温を示す)。もちろん、気温もそれに応じて1桁台に下がっている。思えば、露点温度が10℃に下がったのが10月19日、0℃台になったのが11月8日。先週末、やっと夏物をしまって冬物を出した。11月が秋から冬への移行月とすると、純粋な秋は10月だけ。冬は12-2月の3ヶ月なので、冬から春への移行月は3月で、純粋な春は4月だけ。そして夏(気温が30℃)が長くなり、5−9月の5ヶ月も続くようになった。かように四季が二季化している。露点温度がマイナスに
日曜に業務があるため、帰京せずに名古屋にいる。昨日、大学院の論文審査を終え、目の前にあったプレッシャーがなくなった。開放感に浸りたいが、土曜は天気が芳しくないので、出かける予定も入れてない。なので、いつもより遅い目覚めて起き、テレビを見ながらゆっくりコーヒーをのみ、11時に早めのランチを食べに商店街のある駅前に行く。基本朝夕2食の自炊生活なのだが、休日は朝を摂らない代わりに、昼くらいはあえて外食にしたい。駅前の商店街で、一応、惣菜店やスーパーのランチも見て回る。これらのランチは確かに安いのだが、プラケースに入ったそれを自宅に持ち帰ってレンチンして食べるのはどうも味気ない。いわば、空腹を満たすため、あるいは栄養補給のため、という義務感での食事になってしまう。プラケース食を買って帰るとすれば、やや高めの握り寿...幸せのあんかけスパ
龍樹は哲学・論理学者でなく、宗教者であるから、その目的は、何かを論証することではなく、人々に救いをもたらすこと。すなわち、菩薩道の”抜苦与楽”であり、それをもたらしたので、龍樹”菩薩”と言われている。その彼が言いたいことを私の「心の多重過程モデル」※で代弁すると、大切なのは、空という概念についてあれこれ考えることではなく、言語的思考すなわちシステム2そのものへの執着を離れることにある。※心の多重過程モデル:”心”を以下のサブシステムからなる高次システムとみなす私のモデル既存の「二重過程モデル」(システム1・2)を上下に拡張したもの。システム0:覚醒/睡眠・情動など生理的に反応する活動。生きている間作動し続ける。システム1:条件づけなどによる直感(無自覚)的反応。身体運動時に作動。通常の”心”はここから。シ...空とは何か3:思考する心
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