今回は1911年に起こった辛亥革命 シンガイカクメイ と、その後に続いた中華民国の時代について考察します。 辛亥革命と日本の期待 1910年の韓国併合の翌年に発生した辛亥革命は、清朝の帝政を打倒し、共和制国家である中華民国の成立を促しました。日露戦争で日本がロシアから満州の...
江戸時代より酷い重税国家日本、今日本は政治的指導力が欠如しており現状のままではもっと酷い苦しみを味わうことになります。長期低迷を打破し未来を切り開いていく指導力を求め、全自民党国会議員に提言していきます。よろしくお願いします。
①帝国憲法の作成に大きく関わったのは、何といってもドイツ憲法を学びにドイツに留学した伊藤博文ですね。ドイツの大学で、第一条は〇〇、第二条は□□と学ぶのですが、それがまるで高校の授業のようで実につまらない。そんな内容は本一冊あれば事足りてしまうのです。「俺は一体何をやっているん...
① 日本は島国でずっと鎖国してきたせいで、外交は下手くそ というイメージがあると思うのですが、この明治の初期の頃の外交は、実はすごいのです。日本の周りには、日本よりはるかに経済力も強いし軍事力も強い国ばかりなのに、今の主体性がなく遺憾砲しか打てない外交なんて、一切やらないのですよ...
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今回は1911年に起こった辛亥革命 シンガイカクメイ と、その後に続いた中華民国の時代について考察します。 辛亥革命と日本の期待 1910年の韓国併合の翌年に発生した辛亥革命は、清朝の帝政を打倒し、共和制国家である中華民国の成立を促しました。日露戦争で日本がロシアから満州の...
日本は、1910年から1945年までの朝鮮統治期において、朝鮮半島を日本の一部と位置づけ、日本内地に準じた政策を推進しました。この統治期には、日本からの財政支援や技術導入により、インフラ整備や社会システムの近代化が進展しました。 これに伴い、人口は 1300万人が2600万人...
今回は、日露戦争のわずか6年後の1910年に行われた 日韓併合 について見ていきたいと思います。 ①日韓併合の背景:大韓帝国の実情と日本の安全保障 日韓併合は、日本が武力で一方的に制圧・占領したものではなく、当時存在した 李氏朝鮮の最後の姿である大韓帝国が、日本の統治下に入る...
今回は、日露戦争後のアメリカにおける対日感情の変化と、それが後の日米関係に与えた影響について見ていきたいと思います。 ①日露戦争で日本がロシアに勝利すると、アメリカは日本に対して脅威を感じ始めます。ポーツマス条約(1905年)によって、日本は南満州鉄道の利権や遼東半島の租借権など...
今回は日露戦争後の世界情勢ということで、アメリカと中華民国を中心に、ざっくりみていこうと思います。 ①まずは、アメリカです。日本が日露戦争で勝利し、南満州鉄道株式会社を設立すると、アメリカの鉄道王ハリマンは、日本に対して共同経営を持ちかけてきます。これに対し、伊藤博文や桂太郎とい...
日本の勝利への世界の反応などをまとめてみます。 ①インド初代首相ネルー: 「私の子供の頃に日露戦争というものがあった。その頃のロシアは世界一の陸軍国だった。世界中は、ちっぽけな日本なんかひとたまりもなく叩きつぶされると思っていた。アジア人は西洋人にはとてもかなわないと思っていたか...
今回は、日露戦争を世界がどう見たかについて述べてみたいと思います。 ①日露戦争というと、日本の教科書では1ページか2ページぐらいで余り大きく扱われることはないと思いますが、実はこれは世界史的な大事件なのです。何と言っても外せないのは、世界史で初めて有色人種が白人種を打ち破った...
日露戦争1と2で述べたように、陸と海の両方で勝利を収め、アメリカのルーズベルト大統領の仲介でロシアを和平条約を結ぶことになりました。これが有名なポーツマス条約です。 ①ところが、交渉は初めから荒れに荒れます。ロシアが日本が要求した賠償金の支払いを拒否したためです。ロシアの言い分は...
前回は陸での戦いについて述べました。 今回は海での戦いについて述べたいと思います。 ①日本海海戦は東郷平八郎率いる日本の連合艦隊と、ロシアのバルチック艦隊が戦った世界史に残る有名な戦いです。結果だけを見ると、戦艦8隻を含むバルチック艦隊をほぼ壊滅させ、日本側の被害は水雷艇3隻...
①すでに解説したように、朝鮮国王が自ら政権をロシアに献上したこと(なんと売国奴な国王か)により、実質的に朝鮮はロシアの支配下となります。さらに、領土的にもロシアは朝鮮北部に攻め込み制圧してしまいました。その上、ロシアは満州の兵力を強化し朝鮮にも軍事要塞を造り始め、このまま放っ...
①今回は日露戦争の原因について見ていきたいと思います。 大きく分けて二つの原因があります。 一つは、当時の清国と朝鮮が余りにも弱かったこと、更に強くなろうとする意志はかけらほどにもなかったことです。 もう一つは、超侵略国家ロシアの目が清国と朝鮮に向いていたということです。 日清戦...
①三国干渉の後から、日本国内では、迫りくるロシアの脅威から日本をどうやって守っていこうかということで、二つの意見が対立します。 一つは、ロシアに土下座をして、「お願いします、日本に攻めて来ないでください、何でもしますから」とロシアにひたすらお願いをすることで、日本を侵略の脅威...
①日清戦争に負け弱わさを猛アピールした清国は、ヨロッパ諸国に領土大半を取られることになってしまいました。そうすると、国内では「白人どもめシナから出ていけ」という人たちが現れます。この人たちが起こした反乱が義和団事件です。 義和団というのは、当時清国で流行っていたカルト宗教みた...
①日清戦争で負けた挙げ句、外国の力を使って遼東半島を取り戻した清は、当然ロシア・ドイツ・フランスから見返りを求められることになります。力を貸してもらったわけですから、当然と言えますよね。 その上、日清戦争では清が自国の弱さを猛アピールしていますから、当然白人たちからは足元を見られ...
日本に類似の危機が迫っているのでは? ①アメリカ大陸の東の端に到着した白人は、原住民を殺し尽く しながら、1890年にはアメリカ大陸の西の端に到達することになります。日清戦争の4年前の出来事です。そして次の新しい土地を開拓すべく、今度は太平洋の島々に目を向けていくこと になります...
日清 戦争の講和条約である下関条約の結果、1895年に日本は清国から台湾を譲り受けました。今回はその台湾統治について述べていきます。 ①台湾と言えば、親日国として有名ですけれども、最初から日本を歓迎していたというわけではありません。当時の西洋列強による植民地支配というのは、現地人...
日清戦争で勝利した日本は、台湾や遼東半島などの領土を得ましたが、今回はその後の話です。 ①日清戦争でボロ負けした清国は、こともあろうにロシアに泣きつき、日本を遼東半島から追い出そうとします。 その結果、ロシア・ドイツ・フランスの三カ国から、「日本は東アジアの平和のために、遼東...
①日清戦争が始まってすぐから日本が戦争を優位に進めると、それを見た大院君は「あれ、日本の方が強くない?」ということで、早速日本にすり寄って来て、新政権を作ります。で、日本の指導のもと様々な改革を行うはずでした。その中の6つを上げてみましょう。 1.人身売買の禁止(それまでは...
26-8で東アジアは朝鮮という事大主義(強い者につく)のせいで、日本がまったく必要のない争いに巻き込まれて迷惑していたということを述べました。今回はその続きです。 ①明治27年、26-8のたった2年後です。朝鮮で今度は東学党の乱というのが起ります。東学党というのは、朝鮮で起こった...
福沢諭吉は朝鮮の近代化に力を貸し、時には自分の命を危険にさらしても、朝鮮の近代化を支援しようとしたにもかかわらず、裏切られ続けることになりました。「脱亜論」というのは、支援し続けているにもかかわらず、一向に近代化する気配すらない朝鮮に対する福沢諭吉の諦め、いわば敗北宣言のようなも...
③イギリスのアフリカ進出 1875年のディズレーリ内閣によるスエズ運河会社買収以来、イギリスはアフリカ分割にもっとも積極的に関わった。19世紀末にはエジプトのウラービーの反乱、スーダンのマフディー教徒の反乱の鎮圧し、さらに南アフリカではケープ植民地政府がオランダ系白人入植者の...
①19~20世紀前半に欧州列強によるアフリカの植民地化が展開され、ほぼ全土を分割された。19世紀前半までのポルトガル・イギリス・フランスなどのヨーロッパ勢力のアフリカ進出は、海岸部に交易拠点を設け、内陸の現地首長らと黒人奴隷貿易を行うという形態をとっていたが、19世紀中頃からアフ...
1)清(中国) 1662 年以降、中国を支配した満州族の清は、イギリスとのアヘン戦争やアロー戦争の敗北を契機に列強に不平等条約を締結させられ、外国の圧力を受けた。特に日清戦争の敗北後は、ロシア・イギリス・フランス・ドイツなどによって鉄道の敷設権や要地の租借権を奪われ、半ば植民...
③弾圧と虐殺 列強は植民地支配への反乱については、きびしい弾圧と虐殺でのぞんだ。 ・イギリスは、1857年に起こったセポイの反乱に徹底的な弾圧を加えた。当時のイギリスの『タイムズ』紙は「キリスト教会の破壊1に対し100のヒンドゥー寺院をたたきこわせ。白人殺害1に対し、老若...
③弾圧と虐殺 列強は植民地支配への反乱については、きびしい弾圧と虐殺でのぞんだ。 ・イギリスは、1857年に起こったセポイの反乱に徹底的な弾圧を加えた。当時のイギリスの『タイムズ』紙は「キリスト教会の破壊1に対し100のヒンドゥー寺院をたたきこわせ。白人殺害1に対し、老若男女...
15世紀の大航海時代で世界に進出した西欧列強は、やがてアジア全域を植民地化した。彼ら白人帝国主義国はいかなる侵略行為を行ったのか? ① 掠奪と搾取 ・350 年にわたりインドネシアの香辛料など独占的に収奪したオランダは、19世紀に入ると、強制栽培制度を導入し、耕地の半分にわたって...
①帝国主義とは、19世紀後半からイギリス・フランス・ドイツ・アメリカ・ロシア など欧米の列強が植民地を求めて、他国家や他民族を侵略・支配・抑圧する活動や政策を指します。 では何故植民地を求めたのでしょうか?それは19世紀後半に起こった第二次産業革命にその原因があります。イギリス産...
第一次世界大戦とは、1914年から1918年にかけて、ヨーロッパにおいて三国同盟側と三国協商側の間で行われた人類史上初めての世界戦争です。この戦争について概観してみましょう。 1.なぜ、第一次世界大戦は起きたのか? ①列強の対立②民族の対立 ③サラエボ事件 2.第一次世界大...
①世界主要国であるイギリス、ドイツ、アメリカ、日本、中国、インドについての面白いグラフを見つけました。西暦0年から1900年代までの世界主要国の GDPの推移にみるグローバル経済史の流れ です。クリックしてご覧ください。このグラフから、次のことが読み取れます。 西暦0年:アジアの...
①日露戦争を少し客観的に眺めると、 ロシア 対 イギリス+アメリカ の構図が見えて来ます。 日本は朝鮮半島へのロシアの南下を阻止するのが国防上の最大の理由でしたが、イギリスやアメリカにとってはロシアの極東アジアにおける強大化を阻止することが主な課題でした。 当時世界の覇権を握...
①江戸時代後期、日本に多くの西洋列強の船が来航するようになりました。彼らは日本の市場で自分たちの商品販売を求めており、あわよくば植民地にしてしまおうと思っていました(帝国主義)。 実際に清はアヘン戦争に負け香港をイギリスに奪われています。江戸幕府もそのことを知っており相当...
後退していくイギリスに代わって 、新たに世界の覇権国家となっていくアメリカと日本の関係についてみていきましょう。 ①江戸時代にペリーが黒船に乗ってやってきたのは、友好的に貿易関係を結ぼうとやってきたわけではありませんでした。 産業革命によって飛躍的に進歩したイギリスやフランス、ロ...
1902年 ロンドンで日英同盟が調印される。 1904年 日露戦争(-1905)。英国は日本の戦争国債引受などで支援。ロンドン金融界のユダヤ資本が弱小と思われていた日本の国際を引受けてくれたのが切っ掛けとなり、日本は戦費調達ができた。 露海軍が日本船と誤認し英国商船を撃沈さ...