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日本書紀の年代移動⑴ 欽明紀の大将軍男麻呂と推古紀の雄摩侶
型吹亀甲文紺色坏 慶州天馬塚 6世紀 類例は4世紀頃の東地中海から黒海周辺、南ロシアなど広く分布しているが、東アジアでは唯一の出土例とのこと。 『ユーラシアの風新羅へ』より 日本書紀は、古代の情報が豊富に綴られた重要な書物である。しかし、その記述には、様
2024/05/29 21:45
隋書倭国伝の俀は倭の異体字
隋書の倭が俀と表記されていることについて、これは倭国のことではなく、俀国という別の国があったという解釈が繰り返されている。だが、一般的には俀は倭に修正されて記述されている。岩波文庫も『隋書倭国伝』である。図書館で「隋書俀国伝」と検索しても出てこないとこ
2024/05/26 09:30
縄文時代の遺跡から見つかった青銅刀子 山形県三崎山遺跡
縄文後期住居跡から出土した青銅製の刀子 (山形県遊佐町三崎山遺跡) 詳しくは、文化遺産オンライン(こちら)をご覧ください。 縄文時代に青銅器などあり得るのか、とお思いの方も多いはず。研究者の中には、当初、戦時中に中国から持ち帰ったもので
2024/05/21 19:27
縄文時代に大陸棚地からやってきた移住民
図はDNA分析から日本人の成り立ちの研究をされる篠田謙一氏作成の4万年前の海岸線と人類の移動ルートを表したものである。 この三つのルートが、ほぼ定説のようになっているが、よく見るとこの図には気になる点がある。それは現在の海岸線とともに、氷期の海水面の低下で
2024/05/17 08:05
古代史の近畿一元論と大差のない縄文一元論
(写真は、新潟県長者ヶ原考古館の説明パネル) 弥生時代のみならず、1万年あまりの縄文時代も移住者が自分たちのエリアを開拓しては、既存の集団と交流をし、文化を発展させていった。こういったことは当たり前のようであるが、研究者の多くには不思
2024/05/13 08:32
高松塚古墳絵画の男性が持つのはポロのマレット
天理参考館の中国唐の時代、乗馬ポロを楽しむ女性を描いたもの。おそらく、彼女の右手にマレットが握られていた。このポロが高松塚古墳絵画にも関係している。 同じ古代史の会で奈良新聞の方から、うれしい知らせが届いたので、転載させていただきます。 向かって右側の
2024/05/09 08:17
縄文一万年のマラソンレースの実相
写真は、富山県南砺市埋蔵文化財センターの玦(けつ)状耳飾り 大陸始原の遺物と考えられる。1.縄文時代が1万年続いたという誤解 よく縄文時代は1万年以上の長い期間続いたという、世界に類を見ないことだといった表現を目にすることがある。しかしこれは、ちょっと奇妙で
2024/05/08 06:54
弥生時代の遺跡と遺物の分布の濃淡が示す移住民の故地
1.後の加耶の地からやって来た弥生移住民 最初の弥生時代の移住者は、半島のどこからやって来たのだろうか?それを示す分かりやすい図がある。支石墓、松菊里型住居(住居の形が円形で中央に穴があり、その両脇に2本の柱がある)、丹塗磨研壺、石包丁という渡来の代表的な
2024/05/03 17:19
オープンした滋賀県伊勢遺跡史跡公園見学
2024. 6月1日(土)史跡めぐりハイキングのご案内JR栗東駅改札口午前10時30分出発→伊勢遺跡史跡公園(学芸員さんに解説をお願いしています)※雨が降らなければここで昼食 → 皇大神社→大宝神社→JR栗東駅乗車、草津駅経由、手原駅下車→栗東歴史民俗博物館→栗東自然観
2024/05/01 00:15
2024年5月 (1件〜100件)
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