膵臓がんと診断された著者。「抗がん剤別の副作用」「味覚障害でも食べられたもの」といった具体的な事柄を詳細に語る。示唆に富む内容が多く多くの方にオススメしたい、必読書だ。
2019年の食道がん告知から現在までの私の経験を紹介。抗がん剤・放射線療法、これらの副作用や治療内容を詳しく。闘病記だけでなく、おススメ本の書評、やってよかった、知らずに損したお役立ち情報も。
抗がん剤2回目の準備検査、そして外泊:(食道がん化学放射線療法2回目の入院)
化学放射線療法2回目の入院。木曜入院で各種検査を金曜にやって、土曜に一時外泊し日曜夜に戻る。放射線照射最終日・静脈カテーテル留置をやった。放射線の影響で出なかった声が出たが脱毛は続いている。
抗がん剤2回目の準備検査、そして外泊:(食道がん化学放射線療法2回目の入院)
化学放射線療法2回目の入院。木曜入院で各種検査を金曜にやって、土曜に一時外泊し日曜夜に戻る。放射線照射最終日・静脈カテーテル留置をやった。放射線の影響で出なかった声が出たが脱毛は続いている。
告知後や手術前は不安や心が落ち着かない。そんな時のために自分自身で心を落ち着かせる方法を知っておく。ここではメタ認知・コーピング、そして5分後のことだけ決めるという3点を紹介。
がんの告知で混乱して当然。私が実際にやった心を落ち着かせる方法
告知されたら、誰でも頭の中が混乱します。私は「それほど遠くないうちに心は落ち着く」「2、3日以内に死ぬものではない」と、はっきり口に出して自分に言い聞かせました。
食道がん化学放射線療法2回目:入院そのものは慣れたが副作用は続く
食道がんの抗がん剤・放射線療法での入院2回目だが、4月にESDで入院をしており合計で3回目。しかし入院1回目の化学放射線療法の副作用があり、今までとは違う。
グリーフケアを知るなら必読:(書評)悲しみの中にいるあなたへの処方箋
グリーフケアとは。最愛の妻をがんで失った著者を襲ったのは想像を絶する悲しみ。死別の悲嘆とは?立ち直るためにどうすればいいかなど、グリーフケアについてがん専門医がまとめた。
食道がん化学放射線療法副作用:最初の3週間の副作用をまとめてみた
2019年7月18日から土日を除く20回の放射線照射、7月22日から4日間24時間連続の化学療法を行った。ここでは、いつから副作用が始まったのか、開始3週間までについてまとめた。
食道がん放射線副作用はいつから?:喉が強烈に痛い・声が出ない・皮膚の赤み
放射線照射7回目が終わった頃に副作用としてのどの痛みが始まった。照射12回目が終わって、声がほとんど出なくなった。15回目頃には首の部分に赤みが出てきた。ここでは、放射線副作用の初期の頃の状況についてまとめた。
食道がん抗がん剤副作用が始まった:便秘・ひげが生えない・脱毛開始
食道がん抗がん剤1回目の入院中から便秘は続いていたが、退院4日目からひげが生えず、退院12日目にどっさりと脱毛した。副作用が本格的に始まった。
抗がん剤4日目からの3日間 副作用や身体の変化は?(食道がん化学放射線療法1回目の入院)
食道がん抗がん剤(FP療法)の4日目からの3日間のまとめ。想定していた大きな副作用や体調の変化はなかった。詳しい抗がん剤の副作用や身体の変化についてまとめた。
抗がん剤3日目。副作用で吐き気があり、薬をもらって吐き気は止まった(食道がん化学放射線療法1回目の入院)
食道がん抗がん剤3日目。一日中、点滴に繋がれているだけで治療に変化はない。副作用がいつ始まるか不安だが、吐き気としゃっくりが短時間あっただけだ。
がん闘病中は断捨離をしよう。普段より時間があり、自分自身を見つめられる時期だからだ。今回は詳しい実践方法を書いた。残る家族に迷惑をかけないためにも断捨離だ。私は食道がん告知から1年半後に一通りの治療を終え、その頃から断捨離を開始。遺る家族に迷惑をかけたくない一心だった。
がん闘病中は断捨離をしよう。普段より時間があり、自分自身を見つめられる時期だからだ。残る家族に迷惑をかけないためにも。私は食道がん告知から1年半後に一通りの治療を終え、その頃から断捨離を開始。遺る家族に迷惑をかけたくない一心だった。
人生初の抗がん剤2日目。副作用は無し!!(食道がん化学放射線療法1回目の入院)
食道がん抗がん剤2日目だ。しゃっくりが少し出ただけでそれ以外は特に副作用はなかったが、これは一日を終えたからこそ言えること。この頃はいつどんな副作用が出るか、まだまだ不安に思いつつ一日を過ごしていた。
人生初の抗がん剤。副作用は何もない、いつから?(食道がん化学放射線療法1回目の入院)
人生初の食道がんの化学療法、抗がん剤初日。忘れられない日になると思っていたが、副作用は何もなく、いつもと変わらぬ一日。副作用がいつから始まるのか不安は消えない。
これは本当に役立った!:投与スケジュールや副作用など、食道がん化学療法でもらった書類や資料
食道がん化学療法(FP療法)を始める前に何種類かの書類をもらった。その中で重宝した・役立ったのが日程が書かれた投与スケジュール、副作用がいつ頃に始まってどのくらい続くかといった一覧表の2つだ。
月曜からいよいよ抗がん剤。副作用はいつからか、私には効くのか:(食道がん化学放射線療法1回目の入院)
木曜に入院、金曜は放射線照射だけ。土曜朝に一時帰宅し、日曜夕食後に病院へ戻った。抗がん剤の前夜だ。副作用はいつからで、いつまでか、動けないほどしんどいのか、私には効くのかなど不安ばかりだ。
人生初の放射線治療と抗がん剤の静脈カテーテルをやった(食道がん化学放射線療法入院1回目)
食道がん化学放射線療法の最初の入院日。初日から放射線照射をやった。また抗がん剤(FP療法)のため中心静脈カテーテルもやった。
抗がん剤の副作用をいつまで我慢する?:(書評)抗がん剤 10の「やめどき」~あなたの治療、延命ですか? 縮命ですか?
抗がん剤の副作用が辛い、やはり再発した、など抗がん剤を続けて良いか判断に迷う時がある。本書の考え方を知ることで、抗がん剤に対して違う視点が見えてくる。
食道がん化学放射線療法入院直前の様子:内視鏡でのクリップ留置と放射線科でのマーキング
告知から123日目の今日、放射線科で最後の準備。マジックで胸やわき腹にマーキングして、最後のCT撮影。あとは食道がん化学放射線療法の本番を待つだけ、という段階まで来た。
3月初旬に食道がんを告知され、初めての診察と各種検査、そして、確定診断のためのESDによる切除、その後の検査など、初めての診察から約4ヶ月間の支出を概算してみた。これから化学放射線療法が始まるため、この費用は含まれていない。
化学放射線療法にすると決めた後、血液検査・内視鏡検査、内視鏡で食道にクリップ設置、CTで本格的な放射線治療の準備、消化器内科診察、入院予約など、今日は多忙な一日。なんとも入院が現実味を帯びてきた。
がん闘病の残りの時間に何をするか。凄い見本がここにある:(書評)僕の死に方 エンディングダイアリー500日
流通ジャーナリスト金子哲雄氏が、がん闘病中から死去までの最後の一ヶ月間で書き上げた作品。最後まで自分らしさを貫き、治療の記録だけでなく、生前に葬儀や戒名などを準備した。がん闘病中に何をするか。一人の生き方を知る必読書。
クリニカルパスとは、ネット上で多く公表されており、検索で事前に入手できる。何日目にどんな検査や治療があるかといった予定、退院日・入院期間がある程度、把握できる。
セカンドオピニオンを終えて、主治医に食道がんの化学放射線療法をやると伝えた
セカンドオピニオンで他の大学病院の腫瘍内科で、主治医の病院の消化器外科と放射線科で話を聞いた結果、化学放射線療法をすると決めた。このことを主治医に伝えねばならない。抗がん剤をやってもらうのは主治医なのである。それが今日だが、もう告知から100日と2日が経過している。
食道がんセカンドオピニオン終了後、消化器外科と放射線科で話を聞いた
セカンドオピニオンを終えて、今の病院で化学放射線療法にすると決めた。しかし消化器外科や放射線科の専門医の話は聞いていない。そこで、セカンドオピニオン前に主治医にこの二つの診察科の面談をセットしてもらっていた。それが今日だ。
適当な芸能人のがん闘病記ではない:(書評)「だから、生きる。」つんく♂
歌手・音楽プロデューサーのつんく♂を襲った「喉頭癌」は彼の声を奪った。本書は違和感、診断、声帯摘出、仕事復帰に至るまで、彼を支えた家族、それまでの歌手人生、新しい人生について赤裸々に綴っている。
食道がんのセカンドオピニオンのために大学病院へ。セカンドオピニオン費用として最初に32,400円を窓口で支払った。この記事では私がやった背間とオピニオンのやり方について説明する。
食道がんステージⅠは外科手術と化学放射線療法のいずれかだ。主治医は外科手術をすすめたが妻の「セカンドオピニオンは?」の一言から模索の日々が始まった。
告知から27日後、家族全員が集まり子供たちに私ががんであることを伝えた。私も落ち着いていたが、子供たちも静かに聞いてくれて、30分で終わった。しかし、彼ら彼女たちは少なからず動揺していた様子だった。
食道がん告知から一ヶ月近くが経過した。「やっと一ヶ月」でもなく「もう一ヶ月」でもない。「濃い一ヶ月」・「非日常的な一ヶ月」という感じだった。ただ、食道がんのステージがまだ不明のため、やることは限られていたと共に、まだまだがん患者としては「新人」だった。
告知直後はわずかな身体の異変が気になる。「明日には治っている」と思っていたものが「この痛みは、もしかして転移!?」となる。精神的に辛い時期だ。
ニュートリノ観測でノーベル物理学賞は確実といわれながら、がんで世を去った戸塚洋二氏。本書は戸塚氏が余命を宣告された後、ひそかに匿名でつづっていたブログを編集したもの。巻末には立花隆氏との対談を収録。この対談が掲載された2008年8月号の発売日に、戸塚氏は世を去った。
「食道がんステージⅠ」 病理検査結果が出た(告知から67日目)<br />
途中にゴールデンウイークがあり少し時間を要したが、食道がんESDの入院から約3週間の今日、病理検査の結果を知った。食道がんステージⅠだった。リンパ節まで腫瘍は到達していたとのことだ。早いもので3月9日の告知からもう2ヶ月以上が経過した。
2019年4月16日(火曜)にESDをやって、ESDが終わった火曜夜から水曜までの2日間、食道が痛い痛いとボヤいていた私。それが、痛みが和らいだ木曜から、暇だ!のボヤきに変わっていた。そしてお陰様で、4月21日(日曜)の午前に退院。予定通りか一日早いくらいだ。痛みはほぼない。まだ始まったばかりの食道がんの治療だが、まずは祝!「退院」でいいだろう。
食道がんESD後の夜から食道の痛みが始まりその翌日もかなり痛かった。3日目は点滴で痛みは弱まった。4日目からは、大きめのものを食べると痛みがあるくらいだ。 4日目以降「ここまで回復すると、もう退院してもいいでしょう」と思い始める私。昨日、一昨日と痛い痛いと弱気になっていた私はどこへ行った。まぁ単純な自分でよかったけども。今回は一気に4~6日目を書く。
3日目の昼食が30時間ぶりの食事だが、食道が痛い。重湯が文字通り「重い」。痛み止めが違うものになって、痛みは夕方には弱まった。夕食時のリンゴジュース、どこにでもある普通のものだが極めてうまかった。
食道がんESD入院2日目・ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)やりました
いよいよ食道がんESD当日。それほど緊張もせず、絶飲食だったが空腹にもならなかった。かといってESDが楽しみというわけでもない。ただ、ESDのあと、食道あたりに痛みがあった。告知後、初めての痛み。このときは弱気になった。
がん告知から38日目に食道がんESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)で入院
2019年4月15日(月曜)、食道がんのESDのため大学病院へ入院。告知されてから38日目に最初の入院で、かかりつけ医は早い方だと言っていた。私にとっては、救急で入院して以来、人生二度目の入院だ。
当初、医師の説明から、かなり早期のがんであると思っていた。しかし、内視鏡検査の結果、SM2で、リンパ節転移の可能性が50%あると診断された。結果として、ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)なるものをすることとなった。ここで、この内視鏡検査結果について少し詳しくまとめた。
食道がん治療のため、PET/CT検査や血液検査などをやって今日は内視鏡検査。その後に診察で私の食道がんの現状がある程度は明らかになるはず。最初の診察の雰囲気からステージ0なのかなとおぼろげに考えていたが、そうではなかった。そしてこの日のうちに入院日も決まった。
PET/CT検査も未知の世界なので事前にウェブで調べた。実際にやってみるとウェブとまったく同じで、難しくない。着替えて、注射して、1時間ほど横になって、CTのような機械に30分ほどで終わりだった。全体で4時間程度を要したことや、28,000円くらいで結構、高かった点は痛かった。
2019年3月9日(土曜)に食道に腫瘍が見つかった旨の電話を受け、3月11日(月曜)にかかりつけ医がいる病院で紹介状をもらい、翌12日に大学病院へ初めて行った。3月9日から日曜以外は病院通いで、まぁ最短で物事は進んでいるが、私の頭は追いついていない。
2019年3月9日(土曜)に、健康診断の結果として「悪性の腫瘍が見つかった」と突如として病院から私の携帯に連絡があった。その旨をまず妻へ連絡。その後、病院に行って紹介状をもらい、そのことについても妻にメールした。
2019年2月27日。年に一回の健康診断も終盤になり、内視鏡の検査が始まった。検査中、医師はなぜかいらだっていた。そして、約10日後の3月9日13時、突如として病院から連絡があった。
このブログは、2019年に食道がんと診断され、現在に至るまでの私の経験を紹介するサイト「がんケアネット」をブログ形式で書いたものです。
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膵臓がんと診断された著者。「抗がん剤別の副作用」「味覚障害でも食べられたもの」といった具体的な事柄を詳細に語る。示唆に富む内容が多く多くの方にオススメしたい、必読書だ。
2019年初春に食道がんを告知され、化学放射線療法の治療を晩夏に終えた。2019年末時点で、副作用はまだ残っているが、特別な一年を終えようとしている。そこで、がんになってから思うこと、やったことなどをまとめてみた。
2019年8月24日に食道がん化学療法の2回目を終えて退院した。その後、8月末から9月にかけては2週間おきに血液検査などで通院したが、大きな問題は見つからなかった。そして10月、突然の胸の下部分の痛みが始まった。一時は救急外来にも行ったが、内視鏡検査の結果、単なる胃潰瘍だった。
土日を除く40gy/20回の放射線照射、2回に分けての4日間24時間連続の入院での抗がん剤を行った。抗がん剤終了後から半年間に経験した副作用について時系列でまとめた。
抗がん剤中、吐き気や副作用がいつ襲ってくるだろうかと不安に思っていた。医師や看護師に聞くと、すぐに「人それぞれですからねぇ」との答えばかり。わかってはいるのだが、大丈夫ですよとか、最終日くらいですかねぇ、などの一言が欲しかった。
2019年7月と8月に食道がん化学放射線療法を行った。抗がん剤(FP療法)で2回入院、入院時と通院で40gyの放射線照射を20回。これらの支出が約24万円だった。
食道がん抗がん剤2回目の退院は一日早かった。退院した日は、告知から169日目で5ヶ月と少し。最初の抗がん剤開始から、34日目。ここまで重大なことは無く順調だったと思う。
食道がん化学療法の入院2回目の3~4日目。放射線による喉の痛み、耳鳴り・吐き気・しゃっくり・便秘といった感じで副作用が酷くなってきた。心身ともに落ち着かないが、倦怠感や強い吐き気、終日ぐったりと横になることがないだけでもありがたい。
食道がん抗がん剤2回目の入院2日目。放射線照射でのどが痛く、朝から痛み止めが変わった。痛みが面から点に変わった。恐る恐る飲み込むことが前提だが、それでも嬉しい。また、この頃から耳鳴りが固定化した。
がんよりも仕事。最後まで女優を貫いた川島なお美。肝内胆管がんの治療法を探し求めたセカンドオピニオン。信頼できる医師と臨んだ腹腔鏡手術、夫への遺書。最後まで「川島なお美」を演じきった女優の生き様。
2019年8月19日、2回目の抗がん剤(FP療法)で入院。1回目の抗がん剤で吐き気や倦怠感がほとんどなかったため、今回もこれらの副作用については不安ではない。脱毛は抗がん剤一回目から始まっている。
化学放射線療法2回目の入院。木曜入院で各種検査を金曜にやって、土曜に一時外泊し日曜夜に戻る。放射線照射最終日・静脈カテーテル留置をやった。放射線の影響で出なかった声が出たが脱毛は続いている。
化学放射線療法2回目の入院。木曜入院で各種検査を金曜にやって、土曜に一時外泊し日曜夜に戻る。放射線照射最終日・静脈カテーテル留置をやった。放射線の影響で出なかった声が出たが脱毛は続いている。
告知後や手術前は不安や心が落ち着かない。そんな時のために自分自身で心を落ち着かせる方法を知っておく。ここではメタ認知・コーピング、そして5分後のことだけ決めるという3点を紹介。
告知されたら、誰でも頭の中が混乱します。私は「それほど遠くないうちに心は落ち着く」「2、3日以内に死ぬものではない」と、はっきり口に出して自分に言い聞かせました。
食道がんの抗がん剤・放射線療法での入院2回目だが、4月にESDで入院をしており合計で3回目。しかし入院1回目の化学放射線療法の副作用があり、今までとは違う。
グリーフケアとは。最愛の妻をがんで失った著者を襲ったのは想像を絶する悲しみ。死別の悲嘆とは?立ち直るためにどうすればいいかなど、グリーフケアについてがん専門医がまとめた。
2019年7月18日から土日を除く20回の放射線照射、7月22日から4日間24時間連続の化学療法を行った。ここでは、いつから副作用が始まったのか、開始3週間までについてまとめた。
放射線照射7回目が終わった頃に副作用としてのどの痛みが始まった。照射12回目が終わって、声がほとんど出なくなった。15回目頃には首の部分に赤みが出てきた。ここでは、放射線副作用の初期の頃の状況についてまとめた。
食道がん抗がん剤1回目の入院中から便秘は続いていたが、退院4日目からひげが生えず、退院12日目にどっさりと脱毛した。副作用が本格的に始まった。
化学放射線療法2回目の入院。木曜入院で各種検査を金曜にやって、土曜に一時外泊し日曜夜に戻る。放射線照射最終日・静脈カテーテル留置をやった。放射線の影響で出なかった声が出たが脱毛は続いている。
化学放射線療法2回目の入院。木曜入院で各種検査を金曜にやって、土曜に一時外泊し日曜夜に戻る。放射線照射最終日・静脈カテーテル留置をやった。放射線の影響で出なかった声が出たが脱毛は続いている。
告知後や手術前は不安や心が落ち着かない。そんな時のために自分自身で心を落ち着かせる方法を知っておく。ここではメタ認知・コーピング、そして5分後のことだけ決めるという3点を紹介。
告知されたら、誰でも頭の中が混乱します。私は「それほど遠くないうちに心は落ち着く」「2、3日以内に死ぬものではない」と、はっきり口に出して自分に言い聞かせました。
食道がんの抗がん剤・放射線療法での入院2回目だが、4月にESDで入院をしており合計で3回目。しかし入院1回目の化学放射線療法の副作用があり、今までとは違う。
グリーフケアとは。最愛の妻をがんで失った著者を襲ったのは想像を絶する悲しみ。死別の悲嘆とは?立ち直るためにどうすればいいかなど、グリーフケアについてがん専門医がまとめた。
2019年7月18日から土日を除く20回の放射線照射、7月22日から4日間24時間連続の化学療法を行った。ここでは、いつから副作用が始まったのか、開始3週間までについてまとめた。
放射線照射7回目が終わった頃に副作用としてのどの痛みが始まった。照射12回目が終わって、声がほとんど出なくなった。15回目頃には首の部分に赤みが出てきた。ここでは、放射線副作用の初期の頃の状況についてまとめた。
食道がん抗がん剤1回目の入院中から便秘は続いていたが、退院4日目からひげが生えず、退院12日目にどっさりと脱毛した。副作用が本格的に始まった。
食道がん抗がん剤(FP療法)の4日目からの3日間のまとめ。想定していた大きな副作用や体調の変化はなかった。詳しい抗がん剤の副作用や身体の変化についてまとめた。
食道がん抗がん剤3日目。一日中、点滴に繋がれているだけで治療に変化はない。副作用がいつ始まるか不安だが、吐き気としゃっくりが短時間あっただけだ。
がん闘病中は断捨離をしよう。普段より時間があり、自分自身を見つめられる時期だからだ。今回は詳しい実践方法を書いた。残る家族に迷惑をかけないためにも断捨離だ。私は食道がん告知から1年半後に一通りの治療を終え、その頃から断捨離を開始。遺る家族に迷惑をかけたくない一心だった。
がん闘病中は断捨離をしよう。普段より時間があり、自分自身を見つめられる時期だからだ。残る家族に迷惑をかけないためにも。私は食道がん告知から1年半後に一通りの治療を終え、その頃から断捨離を開始。遺る家族に迷惑をかけたくない一心だった。
食道がん抗がん剤2日目だ。しゃっくりが少し出ただけでそれ以外は特に副作用はなかったが、これは一日を終えたからこそ言えること。この頃はいつどんな副作用が出るか、まだまだ不安に思いつつ一日を過ごしていた。
人生初の食道がんの化学療法、抗がん剤初日。忘れられない日になると思っていたが、副作用は何もなく、いつもと変わらぬ一日。副作用がいつから始まるのか不安は消えない。
食道がん化学療法(FP療法)を始める前に何種類かの書類をもらった。その中で重宝した・役立ったのが日程が書かれた投与スケジュール、副作用がいつ頃に始まってどのくらい続くかといった一覧表の2つだ。
木曜に入院、金曜は放射線照射だけ。土曜朝に一時帰宅し、日曜夕食後に病院へ戻った。抗がん剤の前夜だ。副作用はいつからで、いつまでか、動けないほどしんどいのか、私には効くのかなど不安ばかりだ。
食道がん化学放射線療法の最初の入院日。初日から放射線照射をやった。また抗がん剤(FP療法)のため中心静脈カテーテルもやった。
抗がん剤の副作用が辛い、やはり再発した、など抗がん剤を続けて良いか判断に迷う時がある。本書の考え方を知ることで、抗がん剤に対して違う視点が見えてくる。
告知から123日目の今日、放射線科で最後の準備。マジックで胸やわき腹にマーキングして、最後のCT撮影。あとは食道がん化学放射線療法の本番を待つだけ、という段階まで来た。