曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
祖師西来意(そしせいらいい)は禅の代表的な公案のひとつであります。『無門関』第三十七則の中に一人の僧が趙州和尚に問うた言葉であります。「如何なるか是れ祖師西来意」(大意:達磨大師が遠路、インドから中国
“末後の句”を説くのは、人間が“明るい世界”から“暗い世界”に入り變る時である。“死”は“暗い世界”へ行くのかと思へば、“生”の世界にいる時の方よりも、一層明るい彌陀の巧妙遍照の極楽世界であるかも知れない。「同條
【頌】頌に云く。末後の句、君が為に説く。明暗雙々底の時節、同條生や共に相知る。不同條死、還って殊絶す。還って殊絶す。黄頭碧眼、須く甄別すべし。東西南北、帰去来。夜深けて同じく看る千巖の雪。【解釈】巖頭
この問僧もそれがわからないので、夏末即ち夏安居(こころやすらかに暮らすこと)の期日の終りの頃(夏安居といふのは四月十五日から七月十五日まで三ヶ月間、禪宗では、安居して修行をする慣はしになっている)再び
すると僧は、「嶺南より来る」と答へる。「嶺南には有名な雪峰和尚が居られるが、この和尚を訪問せられたことがありますか」と巖頭は尋ねた。僧は「曾て到る」(いったことがあります)「何の言句かありし」(その時
昨日は文豪 三島由紀夫先生の 憂国忌がありました。昭和四十五年十一月二十五日、東京市ケ谷で有名な《三島義挙》が行われた。当時高校生だった私は、ある二部構成の講演会で『三島由紀夫の真情を語る』講師:伊澤
すると僧は、「嶺南より来る」と答へる。「嶺南には有名な雪峰和尚が居られるが、この和尚を訪問せられたことがありますか」と巖頭は尋ねた。僧は「曾て到る」(いったことがあります)「何の言句かありし」(その時
それまで雪峰は坐禅をしていると、天界から何かインスピレーションといふものが送られて来て、それによって悟が得られるのだらう位に思って怠らず坐禅をしていたのであらう。しかし悟といふものは外から念送されて来
「僧、後に巖頭に到る」といふのは、雪峰といふ人は巖頭和尚と共に徳山和尚の下で修行した相弟子である。年齢は雪峰の方が巖頭よりは二、三年上であったらしいが、法の上からいふと巖頭の方が先輩で、巖頭の導きによ
【解釈】雪峰住庵の時といふのは、南嶺といふ所に庵を結んで暫く隠遁生活をしてをった時のことである。二人の僧が遠くから段々近づいて来て門の外から拝んでいるので、見て、庭におりて、門まで来て「手を以って庵門
【本則】擧す。雪峰住庵の時、両僧有り、来って禮拝す。峰来るを見て、手を以って庵門を托して、身を放って出でて曰く、是れ什麼ぞ、僧亦曰く、是れ什麼ぞ。峰、低頭して庵に帰る。僧、後に巖頭に到る。頭問ふ、什麼
【本則】擧す。雪峰住庵の時、両僧有り、来って禮拝す。峰来るを見て、手を以って庵門を托して、身を放って出でて曰く、是れ什麼ぞ、僧亦曰く、是れ什麼ぞ。峰、低頭して庵に帰る。僧、後に巖頭に到る。頭問ふ、什麼
「『もし一絲毫(いっしごう)の解路(げろ)あって、猶ほ言詮(ごんせん)に滞り、尚ほ機境(ききょう)に拘らば、盡く是れ依草附木(えそうふぼく)』の浮浪靈だ」と垂示しているのである。その意味は、もし一筋のほそい絲ほ
武道でも囲碁でも初段とか二段・三段……八段・九段・名人……といふ風に段階をつけて修行の現在の状態に目安をつけておかねばならない。佛教でも大僧正とか、僧正とか阿闍梨とか、いろいろの段階を設けてその僧侶の修行
親鸞も「善悪総じて存知せざるなり」といっているのである。人間による善悪の批判は、必ず相對的批判であって、各人が各自の立場から見て“これが善である”といふけれども、また別の立場から觀れば、Aが“善”とみとめ
「をんな其の樹を見れば食ふに善く、目に美麗しく、且つ知恵からんが為に慕はしき樹なるによりて遂にその果を取りて食ひ、亦之を己と偕なる夫に與へければ彼は食へり。是に於て彼らの目偕に開けて彼らその裸なるを知
第五十一則 雪峰是甚麼(これなん)【垂示】垂示に云く。纔(わずか)に是非あれば、紛然として心を失す。階級に落ちざれば、又模索すること無し。且(しばらく)く道(い)へ、放行するが即ち是か。把住(はじゅう)するが即
北斗星は地球の北半球に輝き、南十字星は地球の南半球に輝いているけれども、これとてもアイディアの表現であり、佛性が輝いているのであるからその「位殊ならず」である。たまたま颱風南方より来って白浪滔天の物凄
「狛子に佛性ありや」と、これを難解の公案にした坊さんもあったけれども、狛子(犬ころ)が犬ころであるのは、“犬ころ”のアイディアが宿っているからである。アイディアのことをキリスト教の聖書では、“コトバ”と称
【頌】頌に云く。鉢裏飯(はつりはん)、桶裏水(つうりすい)。多口の阿師(あし)も嘴を下し難し。北斗南星、位殊(くらいこと)ならず、白浪滔天平地(はくろうとうてんへいち)に起こる。擬不擬(ぎふぎ)、止不止(しふし)、
その三昧に於て念ずる言葉及び觀ずる實相は次の通りであるーーー「我れ普く我が全身を觀ずるに此身このまま普賢の身なり。六牙の白象上に乗り、花辯が悉く如意寶珠なる蓮華の寶座に坐し、合掌の内に如意寶珠を持し、
それでは具體的に静坐鎮魂してどのやうに觀ずるのであるかといへば、生長の家では“觀普賢菩薩行法”といふ神想觀があって、次の如く自分の身を普賢菩薩であると觀じ、その普賢菩薩も身を構成するすべての細胞を普賢菩
この一塵中に世界あり、その世界の中にもまた世界があり、その世界の中の一塵中にもまた世界があり……その各々の世界にまた毘盧舎那如来が説法していられる。何重にも幾重にも重なってあらはれているのが實相である。
以上は『華嚴経』の“世間浄眼品”の一節であるが、“盧遮那佛品”はその一節を受けて、妙法界の一切處に充ち満ちてい給ふ如来身ーーー「盧遮那佛は衆海の中に於いて正法を演説していられ」といふのである。「正法を演説
「無盡平等の妙法界は、悉く皆如来身に充満し、取無く起無く永く寂滅なるも、一切の帰とならんが故に世に出でたまへり」無盡に、つくるところなく無限に展開している世界であるが、悉くその本質は平等に如来の大生命
本当の世界平和には、本当の日本人の魂が“八紘一宇”世界の人類は皆仲間だ!
旧ブログ“あずさわ日記より” 實相は一味平等であるーーと考へるのは「一」に執着したのである。「人類愛々々々」と抽象的人間に愛著し、日本人であることを忘れている人も「一」に執著したのである。吾々は日本人
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以上は『華嚴経』の“世間浄眼品”の一節であるが、“盧遮那佛品”はその一節を受けて、妙法界の一切處に充ち満ちてい給ふ如来身ーーー「盧遮那佛は衆海の中に於いて正法を演説していられ」といふのである。「正法を演説
「無盡平等の妙法界は、悉く皆如来身に充満し、取無く起無く永く寂滅なるも、一切の帰とならんが故に世に出でたまへり」無盡に、つくるところなく無限に展開している世界であるが、悉くその本質は平等に如来の大生命
われわれの人體を例にとって言へば、微細の細胞が四百兆余も集まってこの人體はできている。その細胞はまた一層微細の分子の集合體であり、その分子は原子の集合體である。その原子は更に素粒子が集まって出来ている
【本則】擧す。僧、雲門の問ふ、如何なるか是れ塵々三昧。門云く、鉢裏飯、桶裏水。【解釈】塵々三昧ーーー三昧といふのは一つの目標に心を集中して、それ以外無心無我の境になることである。禪宗でいへば坐禪のこと
かうして大解脱門に入り、大解脱を得るのでなければ、禪の目標とする佛祖釋迦牟尼如来と肩を並べ(權衡)、教への乗り物(綱領)に同船せる同胞たちの中に龜鑑すなはち模範となることは出来ないのだ。かうして大解脱
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの