曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「あずさわ日記」に準じて新たに 「あずさわたより」を開始いたしました。 同じく光明思想の発信をとおして、 自己啓発のお役にたてればうれしいです。
一塵のうちに微細の國土があり、その國土の中の一微粒子の一塵一塵ひとつひとつの中に佛刹(佛の國土)があって、そのことごとくの國土中に毘盧遮那如來流が獨坐大説法してい給ふ。尊師ご在世の頃の大説法を懐かしむ
しかしまた此の僧は、「この大雄峰といふのは百丈山のことで、百丈和尚が毎日座禪して、われこそは宇宙大生命とひとつだと自覚するのが獨坐大雄峰なんだ」ぐらいにしか悟っていないらしいのだ。一塵のうちに微細の國
華嚴經の“盧遮那佛品”に、「彼の一切處の盧遮那佛は衆海の中に於いて正法を演説したまふ。一塵の内に於て、微細の國土は一切の塵に等しく、悉く中に於て住す。一々の塵の中に一切の刹を現ず……」とあるが、この一塵を
さて以上の某僧の問に對して百丈和尚の答は、「獨坐大雄峰」といったのであるから、これは、まことに素晴らしい。この“獨坐大雄峰”の大雄峰とは普通禪家の解釋の本を読んでみると、百丈和尚が毎日座禪していた百丈山
彼は問ふ。「如何なるか、是れ奇特の事」と。“奇”は奇蹟であり、英語でいへば miracle であらうか。What is the thing of miracle and wonder?(一體特別驚嘆すべき奇蹟とはどんなものですか)と問ひかけたのである
彼は問ふ。「如何なるか、是れ奇特の事」と。“奇”は奇蹟であり、英語でいへば miracle であらうか。 What is the thing of miracle and wonder? (一體特別驚嘆すべき奇蹟とはどんなものですか)と問ひかけたの
第二十六則 百丈奇特事 【本則】擧す。僧百丈に問ふ。如何なるか是れ奇特の事。丈云はく、獨坐大雄峰。僧禮拝す。丈便ち打つ。【解釈】この第二十六則には“垂示”がなくて、直ぐ本則から始まっているのである。百
昨今、国政では宗教と金銭との関わりで混迷して居るらしいです。しかし全く見当違いの認識だと思います。禅宗の公案に「祖師西来意如何」達磨大師は何の為に西国からやって来られたか?(その真意は人間は何の為に生
見てもみず、聞いても聞かず、心に何ひとつ把まぬから、“位”を離れて、立つときは立ち、坐るときは坐り、起るときは起る、宗教家だといふ位にひっかかって、無暗に薬剤や醫術や栄養劑を排斥することもない。雨が降っ
【頌】頌に云はく。眼裡の塵沙、耳裡の土。千峰萬峰肯て住せず。落花流水、太だ茫洋。眉毛を剔起して何の處にか去る。【解釋】日本には“見ざる”“聞かざる”“言わざる”といふ“三猿”の喩語があるが、“眼裡の塵沙”といふ
某掲示板「神とは」の中でスレッド主の方のコメントがあり、稚拙ながらお答えさせて頂きました内容が面白かったので、ご紹介いたしましす。Q: 哲学者デカルト(1596~1650)は、「神の存在証明」を行った。人間は有限
「それでは結局のところは、どうなんだ」といふのが、「畢竟如何」である。この問に對して蓮華峰庵主はまた自分で答へて「しつりつ、横に擔うて人を顧みず、直に千峰萬峰に入り去る。」といったといふのである。しつ
「それでは結局のところは、どうなんだ」といふのが、「畢竟如何」である。この問に對して蓮華峰庵主はまた自分で答へて「しつりつ、横に擔うて人を顧みず、直に千峰萬峰に入り去る。」といったといふのである。しつ
【本則】擧す。蓮華峰庵主、拄杖を拈じて衆に示して云はく、古人這裡に到って、什麽としてか肯て住せざる。衆無語。自ら代って云はく、他の途路に力を得ざるが為なり。復た云はく、畢竟如何。又自ら代って云はく、し
“撃石火”といふのは、昔は燐寸もライターもなかったので、火打石を鉄片で撃つと火花が一瞬飛ぶ、その火花をホクチに點火して燈を點じたり、炭火をおこしたりしたものである。その撃石の瞬間の火花はアッといふ間に消
"祖師西来意如何"禅宗の公案に そんな言葉が有ると言います達磨大師が わざわざ西の果てからやって来たのは、どんな意味があるかと言います。師の解釈に依りますと、「おまえは何の為に生まれて来たんじゃ」と言う
それゆえにこの“垂示”には、資本主義下の經濟的行き詰まりで物價騰貴をおさへることが出來ないで苦しんでいる國民の前でそんな常套な需要供給理論など説いたのでは「流俗に堕して」大衆に何の感銘をも與へることは出
首相といふ“位”の上から庶民を見おろして演説した。そして資本主義の經濟原則で今まで大いに儲けて、つひにその金力をもって自民党総裁選に打ち勝った「その資本主義成功者」の“位”の上に載った儘での演説での犠牲と
私はNHKの放送で三重縣かどこかの體育館で話された田中総理の代表演説である其の經濟の基本原則論をきいたのであるが、國民はそんな經濟の基本原則などよりもこの不況下のインフレをどうしてくれるかを知りたかった
自民黨の田中内閣の角榮総理の如きも、その金権政治で、その日本列島改造論で、土地価格及び政策関連物資の高騰を引き起し、それが連鎖運動を起こして庶民の日常必需品がすべて暴騰し、貨幣の流通價値の低下から、正
位牌とか卒塔婆には、人の戒名をしるした最後に“之霊位”などと書いてあるのをよく見受けるのであるが、これは、祭祀される靈魂の“立つところ”といふやうな意味である。しかし靈魂は位牌や、卒塔婆などの位置に何時も
第二十五則 蓮華庵主不住 【垂示】垂示に云はく。機、位を離れずんば、毒海に堕在す。語、群を驚かさずんば、流俗に陥る。忽ち若し撃石火裏に緇素を別ち、閃電光中に殺活を辨ぜば、以って十万を坐断して壁立千仭
潙山の悟りの心境かくの如くで、一寸の隙もないが、しかし一戦も交へないで歸るのも不見識だと、劉鐡磨は「猶金鞭を握って歸客に問ふ」「歸客」とは、實相の世界からの戻り客だ、潙山和尚のことだ。潙山に對して「五
いつの時、いつの戦いひ、その持場が其のまま安樂浄土にして、自己は即ち天兵であり、天人なのである。善い哉、潙山和尚の身を倣って、「至る處、此處大會齋」の實相を示せること。そこで流石の劉鐡磨も潙山の金剛の
ひとたび宇宙の實相を觀、ここが文殊菩薩の道場であり、住吉大神の龍宮城であり、そこに常に平和と戦場たるとを問はず、凡聖、賢愚、道俗にかかはらず、一切のものが既に具備されているといふ事實を自覚すべしといふ
話は横に外れたやうであるが、横に外れたのではない。劉鐡磨が「來日臺山に大會齋あり、和尚還って去るや」と尋ねたーーーその五臺山の大會齋とは實相世界の無限供給ん風光を象徴して謂ったのである。すなはち竜宮海
一つの同一戦争でも西欧側よりすれば利己主義的爪牙の争闘であるものが、日本的立場よりするときは聖戦である。ここに彼らは利己主義をいひ、日本は宇宙大生命の聖意を戦ふーーー爰に現象的勝敗は別として、實相に於
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曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの
曰く、「至道の本體なるものは、南北東西烏飛び兎走ると、無限の空間に充塞し、無邊の時間に貫通して、所謂る無量の光明であるからして、盡十方至らぬひまもなく、天を該ね地を括りて、一草一葉の上にも其の全眞露現
「天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超」えるものは宇宙の當體であるのである。『碧巖録』のやうな禪の公案をあつめた本では、趙州和尚がたびたび好んで用ひる「至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんじゃく)」の語句の「至道
第五十九則 趙州語言【垂示】垂示に云く、天を該ね地を括り、聖を越え、凡を超ゆ。百草頭上に涅槃の妙心を指出し、干戈叢裏(かんかそうり)に衲僧の命脈を點定(てんぢゃう)す。且く道へ、箇の什麼人(なんびと)の恩力
飛ぶものは墜落す」と形容してある。これは趙州和尚のやさしい言葉のうちに機鋒の峻嶮なること獅子吼にたとへて、趙州和尚が一聲高く聲を出せば、百獣怖れをなして縮み上って聲も出なくなる。“至道無難”の問題で趙州
【頌】頌に云く、象王哮吼(こうく)す、無味の談、人口を塞断(そくだん)す。南北東西烏(うと)飛び、兎走る。【解釋】これは趙州和尚を讃めた言葉である。『大般涅槃経』の徳王品に「大涅槃は唯大象王、能く底を盡す、
『新撰谷口雅春法話集』第六巻(『善と福との實現』)に「牝鹿の脚の話」といふ章がある。自分の脚を“牝鹿の脚の話”となしその牝鹿の脚にのれば人間は自由を得るといふ寓話である。そして、“牝鹿の脚”に乗って自由自
すると、彼女は短期間のうちに元通りの肥胖した肉體となり元の木阿彌になったといふ二つの實例を擧げている。「至道無難」といふ場合の無難な「至道」といふのは、そんなに安手あがりの安易の道であり、本能のままに
わたしは今「白鳩」誌に、荒俣芳樹君と共譯で、ウイリアム・ホルナディ博士の講演集の録音テープ『神をわが内に生きる』の和譯を連載中であるが、その七月號掲載分の中にアルコール中毒患者がホルナディ博士の指導を
けれども趙州和尚はさすがである、「五年かかっても、それを私は言ひ解くことはできない」(五年、分疎不下)と正直に答へているのである。生長の家の携帯用聖典のなかに『聖光録』(新編)といふのがあって、その第
ところで、趙州はこの問いに對してかう答へた。「隋分前のことだったが、ある人が(會て人有りて)私にそれと同じ事を問うた事がある。その問の意圖が直ぐわかった。問ふのは無理もないと思ったが、『五年、分疎不下
第五十八則 趙州時人窠窟垂示はなくて直ぐ本則が掲げられている。【本則】擧す。僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀擇、是れ時人の窠窟なりや否や。州曰く曾て人有りて我に問ふ、直に得たり、五年、分疎不下なること
ついでに、逃げださうといふ揀擇の心を棄てて、「獨坐宇宙の一枚巖」の心境になり「絶對生活」に入った倉田百三氏はその後どうなったかといふと、心の動揺が消えると共に、自分の身體内の生理作用の擾乱も消えて、さ
しかし、これは揀擇ではないのであって、“獨坐宇宙の一枚巖”の心境に於ては、「自分のほかに宇宙はなく、宇宙のほかに自分は無い」自分自身が“絶對者”であり、“宇宙”であるから境對から揀擇(えらびとり)のありやうが
それに對して趙州が答へた語が「天上天下唯我獨尊」である。これはまことに適切な答であって、本當は「天上天下唯我獨存」の意味である。天上天下に唯我のみが獨存するのだから、揀(えら)び取るべき對立も外界もない
やがて、その對立が消えて、宇宙の動きと一枚巖になり、不動なること大磐石となった心境を、倉田氏は「絶對生活」といふ語で表現していられた。對立がある生活に於ては、我と彼との對立があり、“心”と“境”との對立が
倉田氏自身の心が「獨坐宇宙の一枚巖」の心境となり、すべての對立が消えて、動かざること大磐石の如くなると、氏の周囲にあらはれていたすべての動揺も振動も消えてしまった。無論、文字が二重に見えることもない。
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
そして今まで危険から“逃げ出さう”“逃げ出さう”とばかりに考へていたのを一轉して、逃げ出す卑怯な心境から、來るものすべてをそのまま素直に受ける心境になったのである。“逃げ出さうとする”心境は“追ひかける者”又
やがて自分の住む世界が地震のやうに動いている。何時屋(いつや)の棟が崩れ落ちるかわからないやうに家が振動する。危険でたまらないので、家から逃げ出して外に出ると、戸外の地面も動いている。ひどい地震で、いつ
それについて思ひ出すのは大正末期及び昭和初期時代の日本の文豪倉田百三氏のことである。氏は大正五年『出家とその弟子』と題して親鸞聖人を主人公とし、唯圓坊をワキ役にした戯曲を發表して一躍、名作家となったの