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2022/08/15

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  • ちょっといっぷく34――ミエナイチカラ

    幼いころ家が貧しかった。ろくに食べる物がなく、毎日腹をすかしていた。ひもじかった。そんなある夜、夢を見た。亡くなった祖父母が出てきて「ついておいで」と言う。言われるがままに後についていくと大きな料亭だった。中に入ると、すでに亡くなっている叔父や叔母、親戚の人々が集まって賑やかに食事をしている。祖父が「さあ、おまえも遠慮せんと、たんと食べ」。祖母が「これおいしいで」と言いながら次々と料理を勧めてくれる。空腹だったのでみんな食べた。久々の満腹感だった。朝になり目が覚める。「なんや、夢あったんか」しかし、なぜか満腹感は残っていた。それからは、食べるものがなくとも、ひもじいとは思わなくなったという。友人の話である。「蓮(はす)と鶏(にわとり)」(『金子みすゞ童謡全集』より)泥のなかから蓮が咲く。それをするのは蓮じ...ちょっといっぷく34――ミエナイチカラ

  • ちょっといっぷく33――せやさかい

    とある駅のプラットホームで、けっこうかわいい女子高生が友達と話している。「うちかてな、そんな女やと思われたないやん。せやさかい、ぱしーっと別れたってん」話している内容もさることながら、実にきれいな大阪弁だと感心した。特に「せやさかい」が良い。「せや、思い出した」「せや」は〈そうだ・そう〉。「雨降るさかい、傘持って行き」「~さかい」は〈~だからと強く念を押す〉。「せやから・そやから」は単なる〈だから〉で弱い。彼氏ときっぱりと縁を切るには「せやさかい」でなければならない。意外なところで純粋の大阪弁に出会って、コウノトリを発見した気分。動物だけではなく、言葉にも絶滅危惧種がある。※大阪市立図書館デジタルアーカイブよりちょっといっぷく33――せやさかい

  • 畑――みしる

    「見知る」ではない。「キュウリをみしる」である。れっきとした正真正銘の関西弁である。辞書には〈みしる=むしる(毟る)がなまったもの。=引っ張ってちぎること〉とあった。関西圏の周りの三重県や香川県では〈みしる=むしる=魚の身をほぐすこと〉とある。違う!草はむしる。「草むしり」で正しい。しかし、野菜はみしる(収穫する)。それが正しい。「金銭をむしる」のように「むしる」には良くない意味がある。だから、野菜に関しては「みしる」でなければならない。ちなみに、焼き魚の身は「せせる」である。ひたすら草をむしり、野菜をみしった八月も、もうすぐ終わる。二上山に昇る朝日を見ながら思ったことである。畑――みしる

    地域タグ:富田林市

  • 畑――人人

    夜中に家に帰ると、外で誰やらかが呼ぶ声がかすかにする。なにかあったのかと恐る恐る外に出たが誰もいない。耳をすましてみるとかすかな声で「おーい、おーい」という声。声はどうやら庭の方からしている。行ってみると誰もいない。しかし、確かに声はする。鬼門にあたる所が草むらになっていて、声はそこからする。しかし、人影はない。地面・・・土の中から「おーい、おーい」。怖いもの見たさで10センチほど掘ってみると・・・。人・・・。人の形をした人参だった。中国の昔話である。中国、韓国で作られる薬用人参の根は人形をしている。『李時珍』には「人参其の根の人の形の如きは神の有るなり」とある。そこから人参は万病に霊験あらたかなものとして栽培された。『兼葭堂雑録』という本に、延享四年(1748)六月にシャム人(タイ人)が日本に持ってきた...畑――人人

    地域タグ:富田林市

  • ょっといっぷく32――大日本

    明治時代末頃の商品ラベル。昔の大阪土産の定番の一つ「をぐら屋の昆布」。戎橋筋が本店なので、これはのれん分けされた店のもの。当時の日本の国名は「大日本帝国」「大日本」「大日本国」が使われていた。1905年(明治38年)9月4日の日露戦争終結後から大日本国も列強国の仲間入りをし、イケイケの時代だった。世界に負けてはいられなかった。どこの国にマッタケ売るねん!日本一には違いない。岡山(吉備)でしか作ってないやろ!世界一には違いない。日本以外でどこの国が作ってるねん!※東京大学付属図書館アーカイブより(明治時代の博物学者である田中芳男(1838-1916)が収集・所蔵したもの)ょっといっぷく32――大日本

    地域タグ:大阪府

  • 畑の盆踊り

    高くそぴゆる通天閣やネオンまたたく道頓堀 こ掛けた願いも御堂筋仲のよいよい中之島西に安治川天保山遥か東にそびゆるは生駒信貴山二上山その連峰の吹きおろし河内平野の遠近に紅提灯の灯がゆれりゃ河内音頭の三味太鼓おじいちゃんやらおばあちゃん男前やら別姉さん差す手引く手も色模様浪花名物盆踊り河内音頭で踊りましょうヨイトコササノヨイヤサッサ雀百まで踊ろじゃないか三十四十は巣立ちの雛よ花の盛りは五六十くよくよしゃんすなお身に毒気から病が出るわいな河内音頭で浮き浮きしゃんせまめで達者で皆さんよこころ楽しく踊りましょうヨイトコササノヨイヤサッサ※音頭は初音家賢次師匠畑の盆踊り

    地域タグ:大阪府

  • 俄――ハテ? ハーテ? ハテ!

    「ハテ、ハテ、ハテ」とつなげてオチにするのが河内俄だが、三つの「ハテ」は同じ調子ではない。「ハテ?」〈小さな疑問〉「ハーテ?」〈大きな疑問〉「ハテ!わかったわい。オチ」〈感嘆〉「ハテ」とツッコミを入れてオチをつける型が初期の大阪俄にあることから、河内俄が大阪俄に伝わったと結論したが、確証があるわけではない。一歩ゆずって、「ハテ」でオチをつけた大阪俄が南河内に伝わったとも考えられる。どちらにせよ、江戸時代の元文・寛宝の頃(1740年頃)には河内俄は存在していたことになる。「ハテ」でオチを付ける〈大名俄・狂言俄〉の後に〈そりゃなんじゃ俄〉が登場する。〇白い障子紙を貼った行燈(あんどん)をすっぽりとかぶった男が三人ほど、仰向けに寝ている。一人が出てきて、「そりゃなんじゃ」とたずねると、中から「フカのかまぼこ」〈...俄――ハテ?ハーテ?ハテ!

    地域タグ:富田林市

  • 俄――ハテ! わかったわい!

    大阪俄が生まれる前から、南河内には素人による狂言を真似た芝居〈物真似狂言〉が行われていた。もちろん、南河内に限らず全国各地に存在していただろう。出雲の阿国は三十郎という狂言師を夫に持ち、それに傳介(でんすけ)という狂言師くずれの男が加わり、三人で狂言仕立ての芝居を踊りの合間に入れていたという。しかし、オチはなく、最後は座員全員の総踊りでしめくくっていた。念仏踊りや風流踊りに〈物真似狂言〉が加えられたものが〈歌舞伎〉になる。〈物真似狂言〉にオチがつくと〈にわか〉になる、河内俄の一例を紹介する。銭形平次(平)・子分の八五郎(八)・男右手から男が出てくる。真ん中で突然苦しみだす。見ると胸に包丁が刺さり血がたらたらと流れている。男は中央で一分ほど苦しみ、バタと欄干に顔を乗せて、死んだように倒れる。そこへ、平治の子...俄――ハテ!わかったわい!

    地域タグ:富田林市

  • 俄――観阿弥と楠正成

    歴史カデゴリーの『その16室町――【番外編】』で、能楽師の世阿弥と一休和尚の話を書いた。今一度そのときの「春やんの楠家系図」を示す。伊賀上野の上嶋家本『観世系図』に、能楽の観阿弥の母は〈河内国玉櫛庄橘入道正遠の女〉とある。この〈橘入道正遠〉という人物は、『尊卑分脈』の楠家系図によれば楠正成の父の正遠である。とすれば、正遠の女(娘)は正成の妹ということになり、観阿弥は楠正成の甥にあたることになる。だとすれば、すでにその当時から、南河内では能・狂言を見る機会があったのかもしれない。南朝と縁の深い大塔村に惣谷狂言が残っているのもなんらかの因縁が感じられる。当時の狂言は、一字一句もセリフを間違えてはいけない現代の狂言とは大きく違っていた。まだ台本が存在せず、おおまかな筋立てをもとに、大部分をアドリブで演じていたよ...俄――観阿弥と楠正成

    地域タグ:富田林市

  • 俄――南河内の芸能文化

    悪性の風邪がはやったとき、村人が総出で囃し立て、疫病をもたらす風邪の神を村から追い払うという風習があった(風の神送り)。それを題材にした〈狂言俄〉を紹介する(『古今俄選』より)。能狂言の言葉で。男「まかり出でたるそれがしは、この辺りの者でござる。殊の外悪い風邪がはやって、人々を悩ましておる。人のために、賑やかに囃し立て、風の神を送ろうと存ずる」ドラと太鼓の鳴り物ドンデンドン・・・男「風の神送ろ」ドンデンドン男「風の神送ろ」ドンデンドン風の神がよろつきながら出てくる。風の神「こりゃかなわんワイ。逃げるが先じゃ」風の神が向こうへ逃げようとすると、後ろから大勢の医者が出てきて、医者「行ってはならん。行ってはならん。行くまいぞ。やるまいぞ」『諸艶大鑑』巻七(井原西鶴)の中の風の神送りの挿絵民俗学者の西角井正大氏が...俄――南河内の芸能文化

    地域タグ:大阪府

  • 俄――惣谷狂言

    奈良県大塔村(現五條市大塔町)の天神社に「惣谷(そうたに)狂言」という郷土芸能のがある。文化庁『篠原踊・調査報告書』には、復活の当初からこの狂言を三度にわたり調査した民俗学者の本田安次氏の言葉を引用している。――惣谷狂言はもと、能の間々ではなく、風流踊りの間に行われてきた狂言である。後に歌舞伎狂言に展開していくその直前のかたちを伝えたものである――。※「風流踊(ふりゅうおどり)」とは、中世芸能のひとつで、鉦・太鼓・笛など囃しものの器楽演奏や小歌に合わせて様々な衣装を着た人びとが群舞する踊りである(ウィキペディアより引用)。広い意味での〈にわか〉の一種。歌舞伎がどのように変化したかを簡単にまとめると、①江戸時代の初め頃(17世紀初め)出雲の阿国という女性が演じる〈かぶき踊り=女歌舞伎〉が京で人気を集める……...俄――惣谷狂言

    地域タグ:大阪府

  • 俄と狂言

    大阪俄の元となった「住吉祭りの男」の俄〈流し俄〉から数年後の元文(1736~)になると、風呂敷や暖簾(のれん)などの身のまわりにあるもので能楽の狂言の扮装をした、八幡大名と太郎冠者による〈大名俄・狂言俄〉と呼ぶものが登場してくる。狂言の声色で主人「太郎冠者はあるか」太郎「ハァー、お前にございます」主人「主人にいとまもこわずに、なんじはいづ方へ行きたるぞ?」太郎「住吉へ参りました」主人「言語道断。憎いやつながら、許してくれるぞ。して、住吉になんぞおもしろいことはなかりしか?」太郎「ハア、何ぞかを土産にと思い、反り橋を求めてまいりました」主人「なに、反り橋とや。それは一段と珍しい、どれどれ」太郎「これでございます」主人「ナニ、これは雪駄(せった=ぞうり)ではないか。ハテ?」〈ツッコミ〉太郎「ハテ、裏が川(革)...俄と狂言

    地域タグ:大阪府

  • 畑――少年

    終戦記念日の夜に、ヌートリアに根元から掘られたサツマイモ。少しくらいは地中に根が残っていて、再生してくれるのではと期待していたのだが、儚い夢に終わった。そこへきて、今度はイチジクの枝をポッキりと折られた。カラスが実を地面に落とそうと枝に乗ったのだ。泣きっ面にカラスである。遠くで鳴るパトカーのサイレンの音さえいまいましく聞こえる。77年前、人々は日々鳴り響く空襲警報のサイレンに恐れおののいていた。『国立国会図書館月報』(654号2015年10月)の中の記事。終戦の年(1945)の少年雑誌『週刊少国民』が紹介されている。上は7月29日号で、山の上などで敵機の来襲を監視する少年監視哨員の写真である。下は9月2日号で、「食糧増産に流す汗」と題して、野菜を抱えた笑顔の少年の写真。わずか一か月でこんなにも変わるものか...畑――少年

    地域タグ:大阪府

  • ちょっといっぷく31――三名山

    日本の南画(文人画)家のスーパースターといえば、江戸時代後期に活躍した谷文晁(たにぶんちょう)。『開運なんでも探偵団』に再三登場するが、本物はまず出てこないことで有名だ。その代表作が、文化9年(1812年)に著した『日本名山図会』。日本の代表的山岳89座が描かれている。その89座の中に、なんと、南河内の三つの山が選ばれている。まずは最高峰の金剛山(1125m)羽曳野丘陵の麓を通る巡礼街道から見た景色だろう。右手の町は富田林寺内町。お次は葛城山(959m)そして二上山(517m・474m)高い方の雄岳が左にあるので大阪側から見たもの。手前が太子町の山田、竹ノ内峠。「三上山」とあるのは文晁の大ボケ。文晁の鑑定品に贋作(がんさく=にせ物)が多いのは、作品に押す落款(らっかん=ハンコ)を弟子たちに自由に使えるよう...ちょっといっぷく31――三名山

    地域タグ:大阪府

  • 畑の花②

    写真で構成できるブログは余計な説明をしなくてすむので便利だし、お盆の暇つぶしにはちょうどいい・・・と思いながら撮ったのがコレ。オクラの花。ワタの花とよく似ている。それもそのはず、どちらもアオイ科に属している。アオイといえば、「ひかえ、ひかえ!これが目にはいらぬか」の徳川家の三つ葉葵の家紋。オクラやワタの葉とはかなり違う。フタバアオイという草の葉をデザインしたものだ。畑の中でフタバアオイとよく似た葉はコレ。サツマイモ・・・。そう思って近くに寄って見ると・・・。根元が掘り起こされているではないか!二株・・・三株・・・四株!やりやがったー。ヌートリアの仕業。せっしょーな!お盆に殺生するなよ!畑の花②

    地域タグ:大阪府

  • 畑の花①

    今、畑で一番多く咲いているのは無花果。「それってイチジクの実やないかい!」と叱られそうだが、この実がイチジクの花のつぼみ。もうニ、三日おいておくと、パカッと割れて、中から花が出てくる。我々が食べている実の中心の白い部分が花。見慣れない花だが、綿(ワタ)。綿花である。これが丸い実(コットンボール)になって、秋になると、パカッと割れて、白いワタが出てくる。綿の中に黒い種がいっぱいついている。その種を取ると布団のワタになる。あるいは糸にして機(はた)で織ると木綿(もめん)の生地になる。「河内木綿」の名が残るように、河内地方は綿の産地だった。綿を植えて育てる人〈農民〉、綿を加工する人〈職人〉、綿を売る人〈商人〉、綿を買う人。これだけで経済がなりたっていた。経済とは、お金が回るだけではなく、人も回らなければならない...畑の花①

    地域タグ:大阪府

  • ちょっといっぷく30――ゆらぐ③

    囲炉裏、釜戸、風呂、ストーブ、焚き火、ランプ。昔は燃やさなければ生活出来なかった。今は、日常の生活の中で燃やすことがなくなった。ちろちろと燃える炎とは無縁の生活だ。だからか、焚き火することを目的にキャンプに出かける人もいるという。キャンプの焚き火、闇の中の炎には〈1/fゆらぎ〉の癒し効果以外にも、〈色彩効果〉や〈集中効果〉、そして、みんなで一つの炎を囲んでいるのだという〈一体感効果〉がある。枕もとに置く小さな行燈(あんどん)に青い紙を張ったものを百個作る。新月の闇の夜に、一つの部屋に数人が集まり、作った百個の行燈に蠟燭(ろうそく)を灯す。一人一人が怖い話をして、そのたびに蠟燭を一本消していく。百の話が終わると、蠟燭は消さずに、闇の中で皆が一本の蠟燭に集中する。その蠟燭が消えると怪異が起こる。「百物語」とい...ちょっといっぷく30――ゆらぐ③

  • ちょっといっぷく29――ゆらぐ②

    夏の真昼の炎天下、人も車も通らない。樹々はそよともゆらがない。「ゆらぎ」の無いものにヒトは不愉快を感じる。だから、クソ暑い。そんな中で、そよと吹いた風のゆらぎを言葉にすると詩になる。なぞなぞなァに、たくさんあって、とれないものなァに。青い海の青い水、それはすくえば青かない。なぞなぞなアに、なんにもなくって、とれるものなァに。夏の昼の小さい風、それは、団扇ですくえるよ。(『金子みすゝ゛全集』より「なぞ」)団扇(うちわ)の風やそよ風には微妙なゆらぎがある。だから気持ちいい。風鈴ちりちり鳴りました赤ちゃんすやすや睡(ね)ましたよ風鈴ちりちり鳴りました赤ちゃんにっこと笑います夢のなかでも風吹いて風鈴ちりちり鳴ったでしょう(童謡作詞:川路柳虹)そよ風が吹く森の中の木漏れ日の下で、小川のせせらぎを聞いているとさぞかし...ちょっといっぷく29――ゆらぐ②

  • ちょっといっぷく28――ゆらぐ①

    極めて危険な日が続いている。立秋になり暦の上では秋なのだが途轍もなくクソ暑い。そんなとき、窓辺につるした風鈴が揺れ、チリリーンと音をたてる。なんとなく涼しくなる。「チコちゃんに叱られる」によると、「風鈴の音→風が吹いた→涼しい」という条件反射だそうな・・・。しかし、もう一つ理由がある。人の心拍の間隔、ろうそくの炎の揺れ、電車の揺れ、砂浜に打ち寄せる波の音、小川のせせらぐ音、小鳥の鳴き声、木漏れ日、蛍の光り方。などを聞いたり視たりしたとき、ヒトはどのような気持ち、気分になるか?なんとなく心地よくなり、心が癒される。ヒトの身体は規則正しく動いているのではなく、微妙に揺らいでいるという。だから、川のせせらぎや風鈴のような、規則正しい音や動きの中に微妙に不規則なものが調和したものに共鳴し、いい気分になる。科学的に...ちょっといっぷく28――ゆらぐ①

  • 俄の原型

    江戸時代になり、世の中が落ち着きを取り戻す。すると都市に人口が集中してきて、庶民が娯楽をもとめるようになった。歌舞伎=慶長八年〈1603〉出雲阿国――江戸に中村座〈1624〉落語=元禄期〈1700頃〉京に露の五郎兵衛、大阪に米沢彦八、江戸に鹿野武左衛門が登場俄=享保末〈1730頃〉住吉祭りの男が登場――大阪俄へ。「俄とは落語が立って歩くなり」という古川柳がある。扮装するか、小道具を持って街に出て、一言で落語のようなオチを付ける。歌舞伎のように踊りや歌の素養はいらない。落語のように知識や話芸は必要ない。一般庶民にとってはうってつけの芸である。俄はあっという間に大阪市中に広まっていった。★「俄じゃ、俄じゃ!思い出した(思いついた)!」と囃して通りを歩く。誰かが「所望、所望(やってくれ)」と声をかけると、一言で...俄の原型

    地域タグ:大阪府

  • 畑――波静か

    畑では、方向を表す左と右は使わない。「おい、鍬はどこにある?」「南のあぜ道に置いてあるよ!」自分から見て右側は、相手にすれば左側になる。そこで、互いに共通の「東西南北」を使う。東西南北は「絶対方位」。左右は自分を中心にした「自己中心方位」だといえる。その癖がついているので、人に道を聞かれて「そこの角を東へ・・・」とつい言ってしまう。道をたずねている人は東西南北も分からっていないので、道案内は自己中心方位の左・右を使うのがよい。カーナビは自働的に自己中心方位にしてくれる。自分の進む方向=前を上にしてくれる。だから、次の角を左右のどちらに曲がればよいのか分かりやすくなる。物事を左右前後だけでとらえていると、自分の進む方向しか考えない自己中心的な人間になってしまう。どこかの国の大統領がよい例だ。逆に、万国、誰に...畑――波静か

    地域タグ:大阪府

  • 畑で一番美しい花

    戦国時代にカンボジヤで採れたある野菜がポルトガル船によって日本にもたらされた。その時、中国の南京を経由して来たことから南瓜という名もついた。というわけで、カボチャを収穫して来た。もう少し付け根の茎がコルクのようになった方が良いのだが、この暑さで葉茎が枯れ始めてきた。そこで致し方なく収穫。といっても、すぐには食べない。一か月ほど家の中で寝かせて追熟させる。採ったばかりのカボチャは澱粉(デンプン)のままで甘くない。追熟させることで水分がとぶとともに、デンプンが糖分(=甘さ)に変わって美味しくなる。スーパーで売っているカボチャは心配ないが、道の駅や産直市場で売っているものには、切り口がみずみずしいものがある。「新鮮だ」と思うが、追熟されていないので美味しくない。茎がカリカリに乾燥してへその緒のようになっているの...畑で一番美しい花

    地域タグ:大阪府

  • 入魂式口上

    前に使っていたパソコンのデーターを整理していると、懐かしいのが出てきた。我が町の地車新調の入魂式で上げた「口上」の原稿である。普通に上げれば5分もかからないのだが、例によって(昔は30分ほどやったことがある)、改行部分ごとに余計なアドリブが入るので、15分ほどやっただろうか。猛暑の暑気払い、疫病退散に、思い出・記録として残しておく。東西、東西と鳴り物をばうち鎮めおき、一段高こうはございまするが、不肖私ええ歳こいて、不弁舌なる口上をもって申し上げます。富田林は広いとこ東にいただく金剛山。西に長きは羽曳丘陵。平尾の峠で東を望めば、朝日が昇る二上山。南の方(かた)には喜志の宮。北の方には平・尺度。峠下れば、外環状。並んで走る近鉄電車。新家、喜志駅打ち過ぎて、商店街をちゃらちゃらと、高野街道横切れば、左に木戸山、...入魂式口上

    地域タグ:富田林市

  • 俄と風流

    「突然で一時的な、仮装、物真似などの、笑いを目的とした、戯れ、遊びを〈にわか〉と言うようになった」と定義した。しかし、全国の祭礼で行われる「にわか」を調べると様々である。。①山車・屋台をにわかと呼ぶもの②仮装・即興・滑稽な踊りをにわかと呼ぶもの③神楽舞の中の演目をにわかと呼ぶもの④囃子・囃子唄をにわかと呼ぶもの⑤祭り全体をにわかと呼ぶもの⑥作り物・短歌・川柳をにわかと呼ぶもの⑦地歌舞伎をにわかと呼ぶもの⑧滑稽な寸劇をにわかと呼ぶもの「祭礼の中で行われる人々の工夫」が「にわか」ということになる。実は「にわか」という言葉が使われる前、この「祭礼の中で行われる人々の工夫」を「風流(ふりゅう)」と呼んでいた。古文で習った「ふうりゅう」とは少し違う。・風流(ふうりゅう)=しみじみとした情緒(貴族のもの)・風流(ふり...俄と風流

    地域タグ:大阪府

  • 畑――おひたし

    ここ四、五日は午後になると夕立しそうな雲行きになるのだが、結局降らない。「こぼれ種コーナー」の青シソは根の張りが浅いのかしなびてきた。水の好きな里芋は下葉が裏返って「水をくれ!」と悲鳴をあげている。そこで今年初の「おひたし」を決行。隣にある田んぼとの畔をぶち抜いて畑に水を入れ、水浸しにするのである。これを勝手に「おひたし」と呼んでいる。炎天下に上から水をやると日中の炎天で蒸れて、せっかく出来た小芋を腐らせることがある。根から水を吸わせるおひたしが良い。水を入れている間はひたすら草抜き。除草剤は出来るだけ使わないようにしているので、春夏は作業の三分の二が草抜き。ただし、「おひたし」をやってしまうと、田んぼの水に混じった雑草の種を蒔いているようなものなので草抜きは追いつかなくなる。六時から始めて一時間半ほどす...畑――おひたし

    地域タグ:大阪府

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