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  • AIの時代に

    AIの進歩には驚くばかりだが、例えば奇跡のような現象が起きているのに茶の間で頬杖ついてテレビのマジックショーを観ているような状態にすでになっていて、AIのおかげで本当の奇跡が起きる可能性が一つ失われてしまったかのような気分が拭えないでいる。かくいう私も「デジタルってなんでも出来るんですね。」などとあっけらかんといわれる事があるが、実はペトペトペトペトと、化け猫が夜中に行燈の油を舐めるが如き要領で、粘土で形作ったものが主成分である限り、奇跡の起こる余地があると信じている。またそれが見る人の潜在意識に届くのではないか?未だにずっと粘土の質感丸出しのままなのは、私が作ったという無意識の表明だろう。AIの時代にこそ届くと思いたい。AIの時代に

  • 臨剣の頌(りんけんのじゅ)

    南宋時代の中国、元寇を避け、ある寺で無学祖元が坐禅をしていると蒙古軍が侵入してきて剣を突きつける。しかし微動だにせず『臨剣の頌』あるいは『臨刃偈』とよばれる漢詩を詠むと蒙古兵は感銘を受け、礼をして去ったといわれる。七百年前の名場面で、瞬間イメージが浮かんだ。検索してもビジュアル化された気配がなく、即座に制作を決め、昨日まで爪の先ほども考えたことがなかった蒙古兵を作ることになった。これが私の紆余曲折のメカニズムである。架空のブルースマンを作っていたはずが、40数年の旅路の果てに禅宗の高僧を作っている。挙句に鎌倉幕府に脅威を与えた蒙古兵を建長寺内に並べようとしている。今時、北条時頼と蘭渓道隆が対座しているところを作る、なんて地球上で私だけだろう、などと夢想しているうちは良いのだが。臨剣の頌(りんけんのじゅ)

  • 印刷された事実

    当初その技術水準から南宗で描かれたものでは、といわれていた国宝である蘭渓道隆の頂相が、現在は建長寺内で生前描かれた事が明らかになっているようである。全国には建長寺を訪れ、模写したに違いないものもあれば、遠く噂話だけを頼りに制作されたとしか思えないものも多く、まさに十人十色の様相だが、それぞれの土地で手を合わせる人々にとっては、それは間違いなく大覚禅師である。『ミステリと言う勿れ』で主人公の久能整がいう〝人の数だけ真実があるが事実は一つ“この場合の事実とは唯一生前に描かれた頂相を指すだろう。私はというと印刷された事実だけを元に制作した。私がなぜこの頂相に、これほどこだわることになったのか、このミステリについては制作することによってしか解明出来ないが、私にとって必ず重要な理由があることを経験上知っている。印刷された事実

  • 自覚を促されて

    YouTubeでさまざまなお寺の法話を拝見していて、その貫禄から随分歳上の方と思っていたら、ほぼ同年代なんてことがある。他人と自分を比較しないのは良いことだが、新入社員が入って来ることも、子供が大きくなることもなく、粘土と向き合ってばかりで自分が歳を取っている自覚が希薄なのがいけない。だから腰痛、神経痛、視力の低下、身長が縮んでて驚いたろ?今年はすでに冠動脈のカテーテル手術を2回。政治家、犯罪者が恐ろしく歳下でがっかりしたり、昨日もネットからのコンビニの文書のプリント方法が判らず、外国人の従業員が忙しそうで聞くこともできずトボトボ帰って来たろ?と様々な方面から自覚を促してきたではないか。という話である。自覚を促されて

  • 目が覚めると一休禅師

    一休禅師の長辺1.5メートルのプリントを鴨居から垂らしている。朝目が覚めギョッとするが。被写体が4、50センチほどの人物なので、それが人間大、あるいはそれ以上に拡大することにより別な世界が立ち現れる。サンディエゴ写真美術館の館長だったデボラ・クロチコさんに、写真作品というより大きくプリントした方が良い、といわれた時は理解出来なかったが。「私と同じようなアプローチをしている作家はいますか?」と聞くと、ちょっと考えて紙に書いてくれたのがシンディ・シャーマンだった。?つまり居ないということだな、と。実をいうと私には男性写真家は皆狩人のように見えて苦手意識がある。歳上の人シンディ・シャーマンはもっとも好きな写真家の一人であった。目が覚めると一休禅師

  • 一休和尚なかりせば

    雲水姿の一休和尚は笠を持っているが、そういえば欠けていたな、なおそう、と思って出してきたが、和尚が横目で細かいことは気にするな。」という。法衣を削っているうち粉にまみれた。チリ埃を積もるままに任せてみたが、こうなあると、あまり関係なくなって来た。見方によれば汗が乾いて塩を吹いたように見えなくもない。しかし設定は正月の京都である。すると再び「細かいことは気にするな。」この一休、作り初めたのはいつだったか、実はふげん社の個展時から顔が別人となっている。つまり何年も細かいことを気にしてきたので、もう笠が欠けていようが塩吹いていようがどうでも良い。思えば一休にたまたま陰影を与えて、鎌倉室町の陰影を与えられて来なかった人物にはむしろ陰影、立体感を、と一変したのも、一休なかりせば。一休和尚なかりせば

  • 抑え難い願望

    作家シリーズの江戸川乱歩のように、作品として今後も活躍してもらいたい人物が一休和尚だが、まずは小四の時に読んだ『一休禅師』のイメージの雲水姿である。瓢箪を肩にしているのは、3、4歳の頃、TV時代劇『紅孔雀』で八名信夫がこうやって酒をガブガブやっていたのを覚えていた。私の中には見る人を笑わせたい、という願望が押さえ難くあるが、ユーモラスな発想が好きな元禄の絵師に幇間でもあった英一蝶がいる。シャレが過ぎたか島流しにもなっている。一蝶に『一休和尚酔臥図』という和尚が往来で酔いつぶれている作品があり、ならば、と髑髏を竹竿に掲げて正月の京の街を歩くという嫌味なことをしたその晩に、酔いつぶれているところを以前制作した。長辺1、5メートルにする必要は感じないので今回は出品しないけれど。抑え難い願望

  • 40数年で6人

    建長寺の開山大覚禅師像を抱えて建長寺に行った時、三門を前に、30年は修行のため、山を降りないと禁則を立てていた慧遠法師が話に夢中になり、うっかり虎溪の石橋を越えてしまって我にかえって笑っている『虎溪三笑図』のような状態であった。もっとも私の場合は、笑うどころか満開の桜がまるでテイッシュペーパーに見えた。初めて坐禅をしたのが、その日の鎌倉禅研究会の椅子に座ってのことという有様である。そんな私を支えたのは、七百数十年前の開山の一枚の頂相に感銘を受けた、幼い頃からの人間への私の視点、感覚である。人物の肖像から、この種の感銘を受けたのは、40数年の間でチャーリー・パーカー、村山槐多、ヴァスラフ・ニジンスキー、九代目市川團十郎、一休宗純、蘭渓道隆の6人しかいない。40数年で6人

  • 活躍するのは一度だけ

    今までの個展ならば、まだデータをああだこうだやっているに違いないが、今回は一点を除いて約1メートル✖️1、5メートルのプリントなので、余裕を持って進行しなければならず、土俵際の粘りを発揮している訳にはいかない。もう何年も被写体の人形は、参考程度にしか展示していない。特に1カットのためだけに作る場合は写るところしか作らず、同じポーズを再使用することはないので、首だけ引っこ抜いて身体部分は処分してしまう。しかしホッペタ膨らませて己の分身を口から吐く鉄拐仙人では流用のしようがないし、コンビの蝦蟇仙人も、私がついカエルじみた顔に作ったので再登場の機会はやって来ることはないだろう。活躍するのは一度だけ

  • そろそろ解明を

    およそ医者というものは、患者が喜びそうなことばかりいうのはダメである。叱られながら昨日初めてヘモグロビンA1Cが5台に。他に思い当たることと言えば、不信心者のくせに、ここ2年、まるで面壁修行の如く七百数十年前の禅師を、坐骨神経痛で3週間ほとんど天井見て暮らした時も、その頭部を一時も離さず制作した効果かもしれない。個性的ではあるが一枚の痩せた禅師の肖像画に対し、何故こんなことになったのか首を傾げるばかりだが、師の教えそのものである、という前提で描かれた念を、内容も解さぬまま受信してしまった、としか考えられない。小学校の図書室で始業のチャイムにも読むのを辞められず騒ぎをおこすほど人物伝を読み耽り、またずっと人の形、様相に対する興味も変わらない。何故そうなのか、そろそろ解明したいところである。そろそろ解明を

  • 想像上の風景

    建長寺では一部の方々が、中国の大覚禅師の生誕地を訪れているようである。鎌倉時代、当時の最新の中国文化を日本に伝えたのは日本からの留学僧、あるいは来日した大覚禅師や仏光国師だったわけで、雪舟も絵画を学びに訪れたが、日本とは違う風景に「ほんとにこうなってたんだ。」とびっくりした画僧もいただろう。『蘭渓道隆天童山坐禅図』は縦2メートルにプリントした。天童山は栄西や明全、道元も修行した山だが、あくまで私の創作である。虎を見たことがなかった日本の絵師たちが描く虎は、どうしても身近な猫じみてしまうことなどを想う。想像上の風景

  • 達磨大師図

    達磨大師はインド人であるが、私の周囲の人達に聞くと、中国人だと思っている人がほとんどである。確かに数ある大師像はインド人には見えない。そこで昨年、その点を意識し、まとう衣も袈裟の原型説を聞いてサリー調にした。しかし達磨大師が登場する『慧可断臂図』があるし、制作後に陰影が描かれなかった時代の人物に陰影ないのは当たり前であり、立体制作者として、むしろ陰影を与え、立体感のある表現にすべきだと気が変わった。石塚式ピクトリアリズム、などと最終的な手法と考え7、8年続けて来たけれど。思いついたらすぐ変化するのは、新作が一番といい続けるためには絶対必要である。せっかくなので会場入口のウエルカムボードに使おう。長嶋茂雄が亡くなった。小学校の遠足で印旛沼方面に芋掘りに行った時、バスガイドがここが長嶋選手の実家ですといったの...達磨大師図

  • 自然に積もるチリホコリ

    子供の頃読んだ大人向け『一休禅師』の和尚は、とにかく汚い雲水姿というイメージが残っている。二十年間五条橋の辺りで物乞いの中で暮らした、という一休が尊敬した大燈国師の影響があるのかもしれない。また一休の出自に対する複雑な思いも影響しているかもしれない。それはともかく。その雲水姿の一休の汚れを、窓際の埃っぽいところに放置して、チリホコリの積もるままにして撮影した。乾燥中にホコリが着いているのを見て思いついたのだが、風狂僧一休禅師に、汚しの塗装というのもなんだかそぐわない気がした。当然触れば取れてしまう。上手く定着出来るかは判らないが、試しに艶消しラッカーを注文してみた。自然に積もるチリホコリ

  • 作り続けるしか策なし

    実在者は散々作って来た。説話上の仙人など自由に作れるし完成も早い。最後はこれで行くつもりでいたが、建長寺の開山蘭渓道隆の生前に描かれた唯一の肖像画(頂相)を見て気が変わってしまった。写真、肖像画を参考に長い間制作して来たが、この肖像の何が私をそうさせたのか、それを知るには作るしかない。臨済宗では頂相は、師の教えそのものとして弟子に託された。その思念が七百数十年後の、この不信心者に伝わってしまったのか。完成した像を携え建長寺の三門をくぐる時は、すっかり我に返っており、満開の桜が桜に見えず、まるでテイッシュペーパーのように見えた。しかしここ何年か、理由はともかく、私ほど毎日穴の開くほど禅師の頂相を見つめ続けた人間は建長寺にもそう居られないのではないか?何かしら頂相から受け取ったのは間違いがなく、それが何かを知...作り続けるしか策なし

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