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  • 山藤章二と隠しテーマ

    一度だけ、ほんの遊びで試したのが、どれだけリアルに作れるか。それが都営地下鉄のフリーペーパーの表紙の古今亭志ん生だった。しかし想像した通り、私が作りました、と私を知らない人に見せても、作ったというけど、この何を作ったというのか?と黙るだけで、せいぜいただのカメラマンになってしまう。カメラマンだとしても、私がいつ火焔太鼓を背負った志ん生を撮ったというのだろう?まあそれは想定済みだったので、一回きりの試みである。いくら最高作だ、という人がいても、そもそも人を撮った実写と間違われて以来、作り物と判るように、人形にサインを彫り込んで撮ろうか、と本気で思ったくらいで、やろうと思えばやれることさえ証明出来ればどうということはない。もう一つ。初めていうが、山藤章二以外の方法で、志ん生を描く方法はあるぜ。というのが個人的...山藤章二と隠しテーマ

  • 大根煮 2

    野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である“『大燈国師遺誡』人間も草木同様自然物、肝心なことはあらかじめ備わっていると思っていた。考えるな感じろで打ち込むことさえ出来れば、自動的に自分とは何か?解明に向かうことになるのではないか。そんなところに、己の中にこそ仏はある。という禅宗モチーフに至るべくして至ったと感じていた。そもそも他人と自分を比較することなく、需要も関係なく、やって来たが、野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て過ごしたとしても〜。七百年前の禅師の表現が妙にリアルで言い得て妙と笑って良いものかどうかよく判らない。大根煮2

  • 大根を煮る

    橋の下で乞食を二十年したという禅師は「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。伽藍や経本、熱心な読経や長時間の坐禅、質素な食事などに禅があるのではない。野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」と説いているそうである。思わず付いて行きますといいたくなった。七百年前の人だけど。長い間、単に行き当たりばったりのつもりでいたが、実は自分とは何か、という一点に向かっている自覚が明らかにある。特に寒山拾得以降「これで良いのだ。」の意を強くしている。一休からまた一人、重要な人物に枝葉を伸ばすことになりそうである。そろそろ大根煮てみよう。大根を煮る

  • 一休和尚雨宿り図の事

    先日書いた『一休和尚雨宿り図』。橋の下辺りで、一休と横並びに乞食や夜鷹、当時なら遊女、白拍子というところか、と野良犬など横並びに並べたいと考えているが、昨日書いた、一休が尊敬した二十年橋の下で乞食をしたという禅師、そのメンバーにどうか、と調べると、一休は禅師の没後の生まれであった。以前制作した古来より画題となって来た、三教一致の禅の精神を表したという『虎溪三笑図』も仏教の慧遠、道教の陸修静、儒教の陶淵明の時代は合っていない。ここに居るマクワウリを食ってる乞食はあのお方では?なんていうのが洒落ているかもしれない。その場合、禅師の頂相はふくよかだが、乞食らしく、なんて余計なことをすると誰だか分からなくなってしまう。ここまで来ると某禅師の制作はすでに決めているようだし、どうせ私のことだから、完成まで内緒のまま作...一休和尚雨宿り図の事

  • 第一級の人物?

    幼い頃から伝記、人物伝が大好物で、夏休みなど図書室から本を出来るだけ借り出し、隣家のいちじくの木の木陰の縁台で本を読み耽ったものである。まあ当時の小学校の図書室の伝記などというと戦前からの嘘っぱちが多い訳だが、見てきたように書いてあるので、現場を見た人が書いていると思い込んでいた。もう目も悪いし、制作に関係のない本は買わない読まないことにしているけれど、この期に及んで、未だに人物伝の類は読んでいる。人物を作る時、ビジュアルイメージの重要性は実は氷山の先っぽくらいといっても良い。小四の時に読んだ一休禅師を今作ることにより明らかになることがあるかもしれず、それほどインパクトがある人物だが、その風狂僧一休が尊敬したという禅僧がいる。師から悟りを得たことを認可された後、師の命で、橋の下で二十年乞食をしたという。四...第一級の人物?

  • 枝葉と鮫の歯

    こう見えて私自身は、地道に枝葉を伸ばすように今に至っている、と考えている。あるいは思い込んでいる。唯一、発表する気などなく、ただやってみたい、とヒートアップしたのは、野島康三のピグメント技法に一目惚れし、オイルプリントを独習したことで、枝葉が伸びるようにとはいえなかったが、結果的に、現在の手法、陰影のない一種のピクトリアリズムの遠因となったのは間違いがない。一休宗純を作っていて、その枝葉の連なりとして、ある禅師が気になっている。実に興味深く魅力的な人物のわりに、墨蹟などは残されているが視覚化されている要素が少なく、手掛けるべきモチーフが私に向かって両手を広げているように見えている。考えないようにしていても、一休が佳境に入った隙を狙って縦列に並んだサメの歯のように、次は俺の出番だ、と出っ張って来るのであった...枝葉と鮫の歯

  • 一休和尚VS

    一休宗純は、女色男色飲酒あからさまな告白をしている。まさに自他共に認める風狂僧である。以前本物の蛸と格闘する葛飾北斎を作った。その調子で七十過ぎの和尚が、本物の女性と絡んで。なんて私なら可能である。蛸より女性の方が話が通じるし。しかし可能だからといって、どこで発表するのか?もっともかつて、発表などせず、遊びに来た友人だけに「どう?良いだろ」なんて生きて行けたらどんなに良いか、なんて考えていたし、実際未発表に終わった作品はかなりある。私が生きてる間は公開せず、といい残して、という趣向も、そろそろ考えておくのも良いかも知れない。十返舎一九は死ぬ前に身体に花火を仕込んでおいたというし。一休和尚VS

  • 巨大怪獣のジレンマ

    最近の怪獣映画がずっと気にいらなかったのは、近代兵器に対応させるためだろう、巨大になり過ぎ、宇宙怪獣ならともかく、地球上の成分で出来ている以上、あの大きさ、動きはありえないだろう。なので過去の話にするしかないと思っていたので、戦中の話にしたゴジラは納得であった。ところで。最近の大谷翔平の打って走る姿を見ていると、巨大怪獣と同様のことを感じてしまう。特にこちらは地球上でも日本の成分で出来てる生物なので、その大きさスピードに、余計違和感がある。しかしこちらはノンフィクションなので、しょうがないから、ただ唖然として笑っているけれど。巨大怪獣のジレンマ

  • 一休の雨宿り

    先の制作のことを考えないことが、あれをこれを作れば良かった、と寿命が尽きる時、途中挫折の可能性を低めることになる、と心得ているが、出物腫れ物ではないが、浮かんでしまうのは仕方がない。制作の順番が逆になったが、これから作る雲水姿の一休がその晩、髑髏枕に酔い潰れている『一休和尚酔臥図』は江戸の絵師であり太鼓持ちの英一蝶の同名作をヒントに制作したが、他にも背中の火炎を濡らさぬように傍に置いて滝に打たれる不動明王など、その着想が好きである。中でもいくつか同種の作があるのがあり秀逸なのが『雨宿り図屏風』である。ある屋敷の軒下で、様々な職種の人々、馬までが雨宿りしている。禅の精神を表しているかのようだが、これを一休を真ん中に、橋の下あたりで乞食や夜鷹、傀儡師、野良犬などでやりたい。そのため用済みで処分してしまうべきも...一休の雨宿り

  • サディスティックな気分に

    お寺というものは一年中何かしら催事があるので、いまだに展示の会期が決まっていないのだが、予定していた作品は一休宗純で終わる。臨済宗の僧ではあるが関東には縁がなさそうだし、すでに2カットは制作済みなので、なくても構わないのだが、雲水姿の一休はおおよそ出来ているし、なんといっても有名人である。それでもトンチ小坊主のイメージしかない人も多いだろう。最初の作家シリーズの個展に稲垣足穂を出品したが、髪の長い美少女が「これイナガキタルホなんですか?」と指を刺しいった。お星様キラキラのイメージでもあったのだろう。困惑の表情にサディスティックな気分になった。サディスティックな気分に

  • 嘘臭い現世の夢

    ここ数日、画像制作している夢で目が覚めるのだが、これがあまりにリアルである。元々私の夢では登場人物、シチュエーションは出鱈目でも、私自身はいかにも私らしいことしかしない。いかにも私らしい死体の隠し方だったりする。なので朝から飲酒してリズムを変えようとしたが、すぐ覚めていまい効果がない。特に本日は夢から覚めたと思ったら大谷、6打数6安打3本塁打2盗塁10打点51/51。夜の夢より現世の夢の方がウソ臭い。次の一休和尚は、これまでの人形制作者としての来し方を顧みるにつけ、江戸川乱歩と並んで重要な人物となるのではないか、と考えている。グヤトーンを久しぶりにアンプに繋いでを横に置いて弾いたりしてのんびり最後の修正をする。嘘臭い現世の夢

  • 鰯の頭と渡世上の義理

    紙幣に人像が使われるのは、偽造防止のため人の顔の違和感に人は気付くからだそうだが、確かに花鳥風月では、多少違っていようと一般人は簡単には気が付かないだろう。建長寺の開山(初代住職)を斜め45度の肖像画をもとに作ったのは、その頂相が師であり教えそのものである、という思いに打たれたからである。しかし没後七百数十年の間に作られた全国の禅師像を見ると全国に残された像を見ると、噂話、あるいは噂話さえ聞かずに作られたとしか思えない像ばかりである。つまり造幣局と違い、信じることが肝心であり、鰯の頭でかまわない、ということなのだろうか。私は私の渡世上の義理?としてどうしても我慢ができないでいる。鰯の頭と渡世上の義理

  • 一休禅師

    母が読んだって判る訳ない、と反対したのに、私が何回か用いた策、買い物帰りに母が書店の店主と立ち話ししている、拒み難いタイミングでねだったに違いない大人向け『一休禅師』。何故読みたかったのか、その理由が不明であったが、おそらくこうだったろう。産休の代用教員だった田中○子?先生が、私があまりに伝記、偉人伝の類を貪り読んでいるので、3年が終わり、退職の際に、書店の袋に入った『世界偉人伝』を内緒で下さった。そこにおそらくトンチの小坊主とはイメージの違う一休が載っていたのだろう。これしか理由が思いあたらない。先生は学校という漢字の覚え方についてこういった「点、点、点カンムリ子、木六バッテン好き?嫌い?」大きな脂身の入っおかずと脱脂粉乳の給食さえなければ好きなんだけど。脱脂粉乳を現在の低脂肪乳だと思ったら大間違いであ...一休禅師

  • 一休

    小学生の頃、年寄りはもうすぐ死んじゃうのに、なぜ平気で笑ったり、買い物かごぶら下げて歩いているのだろう?と思ったが、そんな頃、母にねだって大人向けの『一休禅師』を読み、“門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“という言葉にホントだ!と驚いた。毎年大晦日のブログで昨年思い付かなかったこと、出来なかった物ができたか、を振り返ることにしている。何も変わらなければ、ただ一年、死に近づいただけであり、こんな怖いことはない。その恐怖に打ち勝つには、変化を続け、先週にすら戻りたくない。となるしかなく、変化してこそが生きているということだ、とモチーフから手法から長い旅路の果てに変化を続け今に至っている。私を支配続けてきたこの思いは、小四の時に目にした“門松は~”が原因ではないか、と寒山拾得を手掛けて以來薄々感...一休

  • 大権現制作終了翌日。

    目が覚めパソコンのモニターを確認し、昨日の出来事はホントだった、と確認し顔を洗って飲酒を始める。雷鳴轟く東シナ海の揺れる船の帆柱の先端に立ち、霊力を発している天狗みたいな異人を完成させた知人がいたなら聞いてみるが良い。翌日は朝から飲酒すべきだ、と必ずいうだろう。次々に新作を完成させているようだが、ずっと被写体制作だけに専念し、そのために弓の引き絞り効果、というものが効いている。本来なら作っては撮影し、と繰り返したいところであったが、我慢をし、より快感を高めよう、という企み、というのは半分だけ冗談だが、出所後の高倉健が飲む一杯のビール同様の効果はあった。予定している最後の一作は、雲水姿の一休宗純である。大権現制作終了翌日。

  • 半僧坊大権現見参

    連日明け方までかかり、船の帆柱の先端に立つ、天狗状の人物を作っていた。荒天の東シナ海。当初浮世絵のように斜線で雨にしようと思ったが、直線の雨では暴風感が出ないので辞めた。そのかわりの雷光を。なので久しぶりに強い陰影で稲光としてみた。陰翳があると写真に見える。考えてみると、散々まことを写すという写真にあらがい続けて来たが、実は作ったものに陰影を与えて、この世の物の如くにして散々利用して来た私であった。なのに実写に間違われて、これは私が作ったのだ、とムカついてみたり。まあ、すべて過ぎた話である。半僧坊大権現には厄難消除、海上安全、火災消除、良縁生成就のご利益があるとされるが、独身の方向音痴制作の大権現は果たしてどうであろうか。半僧坊大権現見参

  • 帆柱

    頭に浮かんだイメージを正確に作り、目の前に現れれば、まずは成功であり、やっぱり私の頭の中に在ったなと満足する。なので頭に浮かんだものがつまらなかったら、それは一般の写真家が、モチーフあるいはロケ地の選択の失敗、みたいなことになる。昨日、半僧坊が先端に立つ、帆柱に滑車をつけて背景にカミナリを配せば完成だ、と書いていた。滑車でもないと電柱の先端に立っているようである。つまり船の帆柱は円柱だと思い込んでいた。遣隋使、遣唐使船、などの船を調べてみると、補強のためなのかは知らないが、帆柱は貼り合わせの四角柱なのである。今回は雷光による陰翳があり、足元の滑車のデイテールまで作る必要はないが、荒れる東シナ海を、元王朝末期の中国から脱出する禅師を導く3メートルある半僧坊の勇壮な姿だ、なんて顔をしていたら、見る人によれば、...帆柱

  • 完成間近

    今半僧坊を作っているのはおそらく地球上で私だけだろう。そう思う時、間違いなく何かが湧き出ている。杖を持つ天狗的人物が忍者のように胸元で刀印を結んでいる。睨んでいるのは行く先の博多であろう。私ほどの方向音痴が猿田彦的な道ひらきの神を作るというのも妙な気がする。あらかじめまさに暗雲たれ込める背景を作ってあったので快調に進み、明日は帆柱に付いている滑車にロープを作り最後に稲妻を加えれば完成である。完成間近

  • 半僧坊佳境

    陰影を排除するに際し、新版画の連中はどう対処していたのだろうと、図書館で眺めて見ると、都合により、室内、屋外、様々描き分けている。川瀬巴水など、名前が自体が水びたしなだけに水の表現が秀逸である。私も使い分けよう。稲光の中で、陰影がない、というのも冴えない。帆はおろしているだろうから、多少でも帆柱に見えるように滑車を着けよう。半僧坊はすでに帆柱の先端に立っている。最後に画面を縦断するぐらいの稲妻を描いて完成ということになるだろう。半僧坊佳境

  • 雷鳴轟くプアマンズ鰻丼

    足腰を別にすれば数値的には最近好調であり10年以上風邪もひいていない。以前は冬にTシャツ一枚でモニターの前。寒くなってきたな。何か着ろよ、風邪ひくぞ、なんて風邪をひいていた。小学校の図書室、始業のチャイムが鳴っているのに読んでる本が辞められない。治らないものである。あえていえば少々貧血気味というので、最近、サバの水煮缶に16穀米、麺つゆ、酒少々で炊き込みご飯を一月近く食べている。缶詰ならではという意味でサバの水煮は缶詰の名作であろう。二日目がさらに美味い。セブンの缶詰が臭みもなく、こちらも良く食べる国産イワシ味噌煮でやってみたら、ちょっとした“プアマンズ鰻丼“の趣に。山椒をを降って食べた。こちらはその日のうちに。陰影のない手法だが、雷鳴轟く半僧坊の一点だけ、極端な陰影を出すことにしようと思う。雷鳴轟くプアマンズ鰻丼

  • 一日

    大谷はいよいよ50/50が現実的になってきた。最近は撃たれたピッチャーの表情が呆れて苦笑というより、これで自分も大記録に名前が残る、という笑顔に見えてしまう。半僧坊の着彩を済ませ、夜撮影しようと思ったが、身体の奥に疲れが溜まっているのがわかり手が止まる。この疲れにはアルコールしか届かないし、今まで一回しか二日酔いをしたことがない私は良く知っている。二日酔いをしないこととカフェインが効かないことと何か関係があるのだろうか?扇風機を止めようと思った記憶はあるが、例によってピストルに撃たれたように寝た。一日

  • 危うきに近寄らず

    半僧坊は雷鳴轟く荒天の中、元王朝末期の中国から帰国する禅師を無事博多まで導く。考えてみると一種のヒーローではある。3メートルもあるし、火伏せ海難除けの霊力もある。この歳になってヒーローを作ることになるとは思わなかった。雷鳴轟くは、私が勝手にいってるだけであるが、浜松方広寺のユーチューブの法話によると半僧坊登場の場面で帆柱の上に、という和尚様の一言を私は聴き逃さなかった。当初船のへ先に立ち、東シナ海を博多に向けて船を導いてる場面を考えていたのだが、帆柱のてっぺんであれば、石塚式ピクトリアリズムの大の苦手とする水、まして大荒れの海などに触れないで済む。中国の深山風景を手のひら大の石ころで作れる石塚式だが、陰影がなければ反射、輝きは描けず、最難関が水である。もっとも明治大正の日本画の大家が、禅画などで人間の顔を...危うきに近寄らず

  • 次のターゲット

    半僧半俗3メートルはあろうかという半僧坊である。中国は元王朝時代、七年の修行の末に帰国する無門元選禅師(後醍醐天皇十一番目皇子)だったが、元王朝も末期、脱出に近いものだったようだが。東シナ海は雷鳴轟く悪天候に見舞われる。禅師が観音経を唱えていると半僧坊が現れ、船を導き無事帰国することができた。そして禅師が開山となった浜松の大本山方広寺の守り神となった。火災が起きて伽藍が焼けても半僧坊のお堂は焼けず、全国的に火伏せの神として有名になる。明治時代、建長寺に分霊され、最深部の絶景の場所に天狗の像に見守られ祀られている。予定しているのは帆柱の先端にすっくと立ち霊力を発する半僧坊である。まさに私が手がけなければ誰がやる、というシーンであろう。次のターゲット

  • 怒涛の制作

    無学祖元、袖から龍、膝上に鳩で充分、と思いながらも白鹿も配した。思い付いた時、季節になり角が生え揃うのを待って動物園で鹿の撮影を、と書いたのを覚えているが、けっきょく鳩だけ本物になったが縁日のヒヨコみたいに青い鳩で違和感はないだろう。写真の主役は被写体である。長い期間被写体の制作に費やし、お盆あたりから怒涛の写真作品制作。達磨大師1、蘭渓道隆3、無学祖元2が完成となった。蘭渓道隆天童山坐禅図は長辺2メートル超、あとは長辺150センチを予定している。3時間しか寝ていないので飲酒して早めに寝る。怒涛の制作

  • 瑞鹿山

    昨晩、蘭渓道隆と蒙古兵の陰影はないけれど立体感はある、という方法が行き当たりばったりで、なぜそうなったか判らないままであったが、蒙古兵に刀を向けられる無学祖元に立体感がなく、並んでいると合わない。睡魔と戦いながらなんとか方法を思い出し、撮影だけ済ませてピストルに撃たれたように寝る。朝再開。やはり今後はこれで行こう。大リーグボール3号改というところか。とにかく1カットで私の作品と判る江戸川乱歩のような“文体“を持たなくてはならない。『猟奇王』の漫画家川崎ゆきおが亡くなった。川崎ゆきおでさえ、自転車に乗って喫茶店でコーヒー飲んでたよな、と思いながらモニターの前に座り続ける。袖口から龍が現れ、膝の上には青い鳩が2匹。これで無学祖元の言い残した通りで完成のはずだが、私の“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“が顔を...瑞鹿山

  • 無学祖元に龍に鳩に鹿

    昨晩、蘭渓道隆と蒙古兵の陰影はないけれど立体感はある、という方法が行き当たりばったりで、なぜそうなったか判らないままであったが、蒙古兵に刀を向けられる無学祖元に立体感がなく、並んでいると合わない。睡魔と戦いながらなんとか方法を思い出し、撮影だけ済ませてピストルに撃たれたように寝る。朝再開。やはり今後はこれで行こう。大リーグボール4号というほどのこともなく3号改とでもしておこう。夜の夢こそまことな、江戸川乱歩のような“文体“を持たなくてはならない。『猟奇王』の川崎ゆきおが亡くなった。川崎ゆきおでさえ、自転車に乗って喫茶店でコーヒー飲んでたよな、と思いながらモニターの前に座り続ける。袖口から龍が現れ無学祖元に絡みつき、膝の上には青い鳩が2匹。ここまで出来た、ここで完成のはずだが、さらに白鹿を配してみたい。無学祖元に龍に鳩に鹿

  • 鳩サブレ

    円覚寺の開山無学祖元は、来日前、龍と青い鳩を伴った神が何度も現れ「我が国に教えを伝えよ」と告げられた。龍は禅師の袖に入り、鳩は膝の上に。そして元寇の敵味方を祀るために創建された円覚寺の開山として招かれる。鶴岡八幡の鳩を見て、あれは八幡の使いだったのだ、と悟った。もし自分の姿を刻むことあれば、袖から龍、膝上に鳩を、と伝えたとも聞くが、円覚寺の木像は椅子の背もたれに龍と鳩が刻まれている。そこで三島由紀夫制作の際、三島にウケることしか考えなかった私は禅師にウケようと、袖口から龍、膝上に青い鳩を配したが、竜は穴からウツボみたいなので、で禅師の背中を回って横から顔を出すことにした。先日蒙古兵と蘭渓道隆を、どう撮ったか思い出したので、蒙古兵との無学祖元を撮り直した。着け放しのテレビから、鳩サブレは鶴岡八幡の鳩のイメー...鳩サブレ

  • ずっと眺めている庭

    生まれてからずっと眺めている庭。飼ってる亀は、あまり逃げ出すので目立つようにペンキで色塗って、甲羅に穴をあけ鎖で繋いでる。妙な色の花が咲いたり変った形の虫がいる。鳥も変な声で鳴いている。どれもこれも図鑑をいくら眺めても出ていない。友達に話しても信じないので、だったら見に来いよ。だけど何度行ってもたどり着けないという。一緒に行こう、ウチは親が働いているのでおやつは出ないけど。しかし手をつないでも、気が付くと私一人になっている。毎日虫や鳥や花が変わるので写真で撮っておこうと思うけど白黒じゃなあ。百科事典に載ってる絵を見ると、キリコとルソーが惜しいけれど違う。これはもう自分で描くしかない。この描き方を知っている大人はいないに決まっているから、自分でやってみよう。そうこうしたら40年が経ってしまった。だけどだいた...ずっと眺めている庭

  • 臨剣の偈

    考えるな感じろ、とへソ下三寸辺りにいるもう一人の私に任せきりにしていると、気がつくと知らない街角に立っていた、ということになる。寒山拾得2と行くつもりが、蒙古兵など作っている。今年元寇750周年だそうだから、それで作りました、という顔をしておこう。思えば作家シリーズは長く続けたが、私小説嫌いから、それなりのラインナップになったが、陰影を排除した今となっては、作家の描くイメージが生臭く感じる。思えば物心ついて以来、興味の対照は人間の姿形、その有様であり、それは今も相変わらずで、なので仏像には興味がない。今のところ臨済宗ばかりなのは、禅宗でも臨済宗が克明な師の頂相を残して来たからで、つまり写真資料が豊富的な意味が大きい。無学祖元と蒙古兵がほぼ完成したので、無学祖元の正面向いた坐禅姿にかかりたい。二匹の鳩に、袖...臨剣の偈

  • カフェイン効かない体質

    目が覚め着け放なしのモニター画面を見ると、画像の切り抜き作業の途中で力尽きていた。コーヒー抹茶、学生時代薬局で売っていた錠剤、残念ながらカフェインが効いた経験がない。振り返ると、日々同じことをしているつもりで、ちょっとしたニュアンスに違いが出てきて40数年、独学我流者の、恐ろしく地味な、ショートカットなしの変化である。それに伴い、モチーフも変化してきた。先日からの、蒙古兵と蘭渓道隆の変化に気がついたが、臍下三寸が無意識でやっていることだから理由が判らない。まあいつもこの調子である。解明できれば、熟考の末やりました、という顔をする。今年はどうやら元寇750周年らしい。来日前の無学祖元が元寇を恐れて誰もいない寺で一人坐禅していると、現れた蒙古兵に刀を向けられる。しかし微動だにせず漢詩を詠む。蒙古兵は刀を納め去...カフェイン効かない体質

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