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  • 幼馴染

    久しぶりに地元の幼稚園からの友人と話した。私は中身が昔から変わらない。これが久しぶりに会う友人を戸惑わせることを知っているので気を付けているが、彼は独身で美容室を経営するせいか、相変わらずの調子で話せる。彼の家に遊びに行った時、弟を抱えたお母さんがお宮参りに出かける所に出くわしたのを覚えているが、その弟が還暦だというし、お母さんも今年亡くなったそうである。脊椎狭窄症を患って彼は来年店をたたむという。美容学校時代、パーマの練習台にさせられ酷い目にあったことを思い出した。店名は私の命名である。技術に自信はあっても、センスが時代に付いていけないという。そう考えると私の場合は、見る人にどう見えるかはともかく、新作が未だ人生上の最突端だ、と思えるのは座頭市のセリフとは真反対に〝良い渡世だなぁ“と思うのだが、目が慣れ...幼馴染

  • 奇妙な現象

    昔からお馴染みの奇妙な現象である。部屋を片付けよう、と頭の隅に、ちょっとよぎっただけで、創作意欲が溢れ出し、作り始めずにいられなくなる。これは生まれついてのもので、鼻が低いとか足が短いと同様、私にはまったく責任はない。粘土を切らしたタイミングで部屋の片付け。よって粘土購入を我慢し注文せず。来月は浄土宗の寺のために法然と、臨済宗の大燈国師の頭部を同時に作り始めようと考えている。2人ともふっくらした人物である。目が慣れるのを防ぐためにも複数の人物を並行して作った方が良い。となればもう一人、流れから作ろうと思ったばかりの僧侶ではない人物も考えたい。風に吹かれて思わぬ方向に行きがちだが、それもまた良し。考えるな感じろである。奇妙な現象

  • 私とは何ものか?

    先日の初入院、オペ室に向かうエレベーター内で看護師に「検査ですか手術ですか?」と訊ねるくらい呑気であった.死の床で、あれを作れば良かった、これも作れば、と苦しむことを長年恐れていた。その策として日頃変化を続け、先週にさえ戻りたくない、となるよう心掛けて来た。その恐れの原因が、小四で読んだ大人向け『一休禅師』の〝門松は冥土の旅の一里塚〜”であったことにも最近気が付いた。その時イメージした雲水姿の一休が完成直前で、これで何かあったらあまりに話が出来過ぎている。と完成させずに入院した。2年前の40周年記念『Don’tThink,Feel!寒山拾得展』(ふげん社)以降〝私とは何ものであるか“という命題に急速に向かっている実感がある。入院はあと2回を要する。私とは何ものか?

  • 反省点も己の内側から

    いずれ作ることになるであろう大燈国師は「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。伽藍や経本、熱心な読経や長時間の坐禅、質素な食事などに禅があるのではない。野外でたった一人、ボロ小屋で野菜の根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」そう思うと、需要などお構いなしに、ボロ小屋で野菜の根を煮るように、やっては来た。独学我流でやっているうちに、人間も草木同様自然物、肝心な物は備わっている。考えるな感じろで行くことに決めていた。禅の修行は外から教えてもだめで、その人の内側から目覚めてこなければ本当の力にはならないという。禅の修行も坐禅もする気はないけれど。初めての入院を期に、ギアを一段上げることは決めていた。反省すべきことさえも禅の修行同様、外から教...反省点も己の内側から

  • 乞食大燈像

    坐禅もしたことない私だが、大燈国師に対し、日々興味がつのっている。白隠禅師が『乞食大燈像』を描いているが、臨済宗中興の祖に対し失礼だが、文人画的な絵画作品は私の好みではない。禅画の味わいというのは判るのだが、ホントのことをウソのように描きたい私としては、まずは何を置いても、実像にこわりたい。となると、蘭渓道隆の時と同様、国宝の頂相を立体化して、リアル版乞食大燈像こそ私の出番だろう。ちょっと汚な過ぎではないか?との意見が出たなら、その時は、白隠禅師の作を示し、だって中興の祖がこう描いているのだから、といっておこう。乞食大燈像

  • 退院後を想定したプラン

    小四で読んだ大人向け『一休禅師』は朧げながら風采がやたらが汚いというイメージが残っている。一休が尊敬する人物に大徳寺の開山、大燈国師がいる。五条大橋の辺りで乞食の中で20年暮らした人物で、一休は中身は偉大だったり高貴なのに、敢えてそんな境遇の中で生きるような人物が好きである。あの汚さは憧れの国師に準じたのではないか。横目の肖像画の謎も、先日書いたようにおそらく大燈国師の横目の頂相をミーハー的に真似したと思しい。そんなことを考えていたら、ラインが見えて来て、もう一人作るべき、僧侶ではない人物が浮かんだ。何んでも後回しにグズグスしているのに、こんな決断だけ瞬時に決まる。こうして枝葉を伸ばし、気が付くと予定と違う知らない街角に一人立っている、という私の人生上、お馴染みのことになりそうである。初の入院経験をきっか...退院後を想定したプラン

  • 一休と同じ見解

    『一休「狂雲集」の世界(柳田聖山人文書院)に達磨大師が少林寺の巌窟で、面壁坐禅をしていると、雪積もる中、後に第二祖となる慧可が弟子入りを志願する。しかし達磨大師は相手にしない。そこで慧可は、自分の左腕を肘から切断し、決意のほどを示す。この話は普通は慧可の側から見るのだが、一休の受け取り方は違い、雪の中に一晩中立ち尽くす弟子の求道心の厳しさ、その清潔さよりも、寒い岩壁に座り込んで、慧可が来ても振り向きもしない、この男はなんという冷血漢だろうといっている。に笑った。私も雪舟の『慧可断臂図』を見て、同じことを思い、達磨大師を振り向かせたからである。さらに慧可は、その場で己の腕を切り落とす決意の割に泣き出しそうな顔をしているのも納得がいかなかった。一休は一方で開祖達磨大師に尊敬の念を表している。一休と同じ見解

  • 一皮剥けることなく退院

    初の入院は検査のつもりだったが、事に向かうエレベーター内で付き添いの看護師に「検査ですか手術ですか?」「まぁ手術です。」経験者から痛くないことは聞いていた。痛くなければどうということはない。とはいうものの、台に固定されながら、映画『フランケンシュタイン』の雷鳴轟くシーンが浮かぶ。助手が最低のボンクラであった。手首からパイプ掃除のワイヤーが繰り出されるような気配。2度ほど胸苦しい感じがあった。帰りはストレッチャーに乗せられながら天井眺め『ベン・ケーシーのオープニングだ!』一休の『狂雲集』を読んで、一皮剥けた顔で退院の予定は、そう簡単に剥けなかった。明日は燃えるゴミの日である。一皮剥けることなく退院

  • ホントのことをウソのように描く

    実景とフィクションを織りまぜてうたうのが一休禅師の詩の特色だそうである。私が初めてギャラリーで写真を発表した時、人間の実写と勘違いした編集者がいた。そこからまことを写すと称する写真に対して、長い時間をかけて抗い続けることになった。紛らわしい物を作っていると思われているかもしれないがウソをホントのように試みたのは、洒落でやってみた古今亭志ん生一度キリである。やってみた本人にも人間の実写に見えるが、そんなことは大したことではない。陰影を排除するようになりハッキリ判ったのは、私の目指すところは〝ホントのことをウソのように描く‘’ことである。そう考えるとAIなど実に野暮なものである。ホントのことをウソのように描く

  • 一休にひと休みの意味はない

    人生初の入院。最初に身長が縮んでいてショック。一人の爺さんが部屋を変えて、大部屋に私一人。検査入院のつもりでいたが、診療計画書を見たら『労作性心筋症』。治療になっている。症状の脚の浮腫は看護師が二人見に来た。間違いなく、パソコンの前に椅子座って作業を始めた翌日からなのだが。検索して出てくる胸の痛みなどの症状はまったくなかった。症状が出なかったから進んでしまったのか、早く見つかり良かったのか、はなんともいえない。一休宗純の、女性に対する独特な思慕や中身は立派なのにあえて過酷な境遇に身を置くボロボロな人物好き、などについて考える。消灯時間も迫り本日は早めにお開き。一休にひと休みの意味はない

  • 一休

    一休宗純、あと塗り直しのところで止める。完成させて入院『狂雲集』を読み一皮剥けた顔して退院、というプランを立てていたが、完成させておくと、妙な覚悟をしてるようなので、退院してから完成させることにした。背景の撮影場所も決めてある。一休完成で、展示予定の作品は終わる。その後、浄土宗の寺のために法然の制作に入る。しかし、臨済宗の頂相のような解像力?のある肖像は残されていない。もっとも古い、全ての肖像画の元になった肖像を私も参考にすることになる。極楽など私はまったく興味がない。画像まで制作する予定はない。一休

  • 肖像

    尊敬すべき人物の、大事な頂相が何種類もあり、顔がまちまち、立体像にしても同様。何百年間もそうしてきたのだろうけれど。信じることこそ大事なのだ、ということなのか、真実は人の数だけあるというし。しかし、師の面影、姿形を教えそのものである、という意志のもと、克明に制作した絵師、画僧の想いは?と思うのである。そこに打たれて、禅宗の頂相が人像表現の究極、と考えるようになった。鎌倉の円覚寺の開山無学祖元は木像を一目見るなり、その説得力に、これが無学祖元だ、と他の頂相の類を一切見ることなく参考に制作した。つまりあくまで私の主観でしかないのだが、私としても40数年作って来た渡世上の決め事というものがある。私としては、あくまでそれに準じるしかない。肖像

  • 全て自分自身に

    92、3年頃、初めて写真作品を発表するために、自分の作った人物像を撮影していた。それは盲目のブルースマン、ブラインド・レモン・ジェファーソンだった。外光が三角形を描き面白い。念の為、人形三脚全てそのままにして、翌日同じ頃に、同じ自然光の入り具合で撮ろうとファインダーを覗いたが、何も変わっていないはずなのに何かが違う。初心者の私は理由が判らず首を傾げた。そして、あれから食事もしたし酒も飲み、テレビも観たし風呂にも入り就寝もした。つまり昨日と変わったのは私自身だ、と気が付いた。シャッターチャンスも外側になく自分の中にある。写真を始めた最初の段階で、すでに何かが芽吹いていた。そうこうして作家シリーズに転向した頃には、外側にレンズを向けず、眉間に当てる念写が理想、と何十年もいい続けることになった。しかしそこまでい...全て自分自身に

  • 一日

    母のいるホームは病院を併設している。先日ワクチン接種の予約のメールが着ていた。それまでは自動的に打つことになっていた、しかし打っても何回か陽性になった。無症状ではあったが。ところが理由は判らないが、そこの病院はワクチンを扱わないことになったので、打つ人は他の機関で、なんてメールが着た。シャレコウベを竹竿の先に掲げる一休、京の街をご用心ご用心と歩き回り、門の間から突っ込んだりしたらしい。正月に迷惑な話である。背景の撮影場所を決めた。今後作家シリーズでの江戸川乱歩のような立ち位置になりそうである。しばらく一休和尚を軸に制作を進めることになるだろう。一日

  • 今夜はスーパームーンだそうだが、まるで興味がない。夜道を歩いていて今夜は皆既月食だったな、と思いながらも見上げないくらいである。なのに夜空を描く時は、隙間があると、つい満月を掲げたくなる。訳の判らない空間に地球が浮かんでいるなんて考えたくない。昔は死ぬことと宇宙の果てについて考えないようにしていたが、死については、無邪気に作りたい物を作っていると、もっと怖い〝作りそびれ“があるので、それを避けるために寿命のことを意識する年頃になって来たので普通に馴染みのテーマとなった。夜空は相変わらず見上げない。例外といえば室内から、窓越しに見る月は安心である。月

  • 私の描いた絵図

    死の床で、あれやこれを作れば良かった、と身をよじり苦しむことを若い頃から恐れていたので、先の制作のことは、せいぜい3作程度にして、それ以上のことは考えず、途中挫折の可能性を低くする策を講じることにしたが、浮かんでしまうものは仕方がない。腹が減りゃ食いたいものが浮かぶのと同じで防ぎようがない。私の描いた絵図。雲水姿の一休和尚を完成させ入院。入院中一休の『狂雲集』を読む。一皮むけた顔して退院。次の段階の制作へ。奮闘努力の末、ここに至ったのはあの時入院したおかげである。と遠くを見る目をし、己の不摂生をノーカウント化。私の描いた絵図

  • まるで幽霊ではありませんか?

    小学校入学以来、始業のチャイムを無視して図書室を一時出禁になってまで人物伝の類に夢中になり、その挙句に人物を40数年作って来たけれど、常に対象は他人だったから気が付かなかったが、結局は“自分とは何か?”が知りたかったんだ、と思うに至った。それもこれも今のモチーフを手掛けるようになり、先日大燈国師の言葉を知っての話である。死にそうになってガリガリになって退院して来た亡父が、スポーツ新聞を手に水戸黄門を観ていた時の違和感、ショックは、自分とは何か?などどうでも良さそうで、某漫画ではないけれど、それではまるで幽霊ではありませんか?という恐怖に近かった気がする。まるで幽霊ではありませんか?

  • 狂雲集の事

    映画などは、いつどこで、また誰と観たかによって印象が変わる場合があるだろう。私が初めて女性と映画館で観た映画は当時ライオンの食事風景が話題となった『グレートハンティング』(75)であった。初めての入院で何を読むべきか。一休宗純の『狂雲集』は引越しの際、一休和尚を作ることになるとは夢にも思わず処分してしまった。はらわたの奥まで好色で詰まっている、と本人がいってる一休の一面に触れるべきかグズっていたので、この際にと、別訳版を注文した。〝お経を読んでいさえすれば、坊主なんてものは一生食いっぱぐれない。適当に恥をかき、無知を承知でいれば大金は入る。そこへもってきて男色に遊び、ついでに尼さんをものにしていれば、陽春(堺の陽春寺)の一室でほとばしる「白雪」だっていつもピュッピュと飛ばせて気持ちいいことかぎりない”『狂...狂雲集の事

  • ナイスチョイスか否か?狂雲集

    一休和尚に草鞋を履かせる。小四で知った一休の〝門松は〜目出度くもあり目出度くもなし”が思いの外、死生観に影響を受けていたことに最近気付いた。自分のやることが〝自分とは何か“ということに繋がるのは結構なことである。ところで、先日の造影剤のCT検査の結果、来週、生まれて初めて入院することになった。私が二十代でもっとも熱中したジャズマンはチャーリー・パーカーである。今だにこの世の音ではない、と考えているが、当初、セッションに参加しても、ドラマーにシンバルを投げられたりしていたパーカーだが、レスター・ヤングのレコードを携え山にこもり、降りて来たら演奏が一変していたという。十字路で悪魔と契約したブルースマンの話を彷彿とさせる。私はというと、一休宗純『狂雲集』を携え入院しようと考えている。ナイスチョイスか否か?狂雲集

  • 私なりの人物像

    それにしても、たとえば寺の開山様が頂相や頂相彫刻がいくつもあって、そのいずれもが別人の如く顔が違う、人の数だけ真実はある、とはいうものの、手を合わせる側は、何で平気でいられるのだろう.と私はどうしても思ってしまうのである。作る対象が作家だろうと僧侶だろうと人間である限り、アプローチの仕方は変わらない。幼い頃から三遊亭圓朝を知る、鏑木清方が描く三遊亭圓朝が顔やプロポーションが写真と違うのは何故か、と迷えば気になって明治期の演芸誌をあさってみたり、写真がこうだからと、いって油断はしない。今後も日本人を騙し続けるだろうから、生きている間、ことあるごとにいってやろうと思うが、夏目漱石は痘痕だけでなく、鷲鼻を修正させていたし。という訳で、私如きがとは思いつつ、私なりの人物像を作って行きたい。私なりの人物像

  • 一休和尚

    一休禅師は、作家シリーズ以降で、様々な理由でポイントとなる人物になりそうである。小四からの行きがかりもあるし、その時目にした“門松は冥土の旅の一里塚”が私の死生観に多少影響を与えて来たらしいことも感じつつある。男専門で作って来たが、普通の顔ではないところもやり甲斐もあれば作り様もある。実像にこだわるのも顔の話であって、出来てしまえば私の描くイメージに合わせてもらいたい。一休はスズメを飼っていたそうである。確か名前も着けていた。一休と雀など絵になるだろう。最近雀を見ないな、と思っていたら、今日買い物帰りに目の前に一匹。興味がないから見逃していただけなのだろうが、改めて見ると上から見下ろすせいか頭が案外大きい。スマホを取り出す間もなかったけれど。一休和尚

  • 一休の横目

    横目でこちらを観る墨渓作といわれる一休像は、小四で読んだ『一休禅師』にも載っていた。〝門松は冥土の旅の一里塚〜“の一文と共に、当時活躍した俳優左卜全そっくりの顔は印象に残っているが、通常の頂相同様、目が前を向いていたならこれほど小学生の私にインパクトを残さなかっただろう。ところで最近、感銘を受けた禅僧が京都大徳寺の開山大燈国師である。一休が尊敬した人物だが、国師と入れ替わるように一休は生まれ、直接の交流はない。乞食と共に20年過ごしたという人物で、その国宝の肖像画が、これがまた横目なのである。一休が写真でいうと撮影者を凝視しているのに比べ、大燈国師の視線はさらに外を向いている、という違いがあるものの、しかめっ面と共に印象的である。あくまで素人考えだが、一休は尊敬する国師を真似て、そうしたということはないの一休の横目

  • 男の貌

    40数年間、男性特に中年から老人専門で作って来た。自分が男だから女性には責任が持てない。同じ製法、材質、サイズで、同じ土俵に男女を並べられる気がしないのである。初出版の『乱歩夜の夢こそまこと』(廃版)の時、丁度制作中、撮影でお邪魔した乱歩邸で、乱歩の蔵書を調査中の新保博久さんとその件でお話ししたおり、「黒蜥蜴ができる女性なんかおりますかねえ?」だよなあ。仕方なく女賊黒蜥蜴を作ったが男性像の2倍近い1メートルになってしまった。それはともかく。小四で目にした墨渓作といわれる一休和尚の顔は、何という顔であろうか。左卜全そっくりだと思った。実見して感銘深かった男の顔といえば、双眼鏡で眺めた来日公演のジョン・リー・フッカーである。床が揺れる観客の熱狂。それを椅子に座ったまま、まるで餌を求めて大騒ぎの池の鯉を眺めるか...男の貌

  • 方向音痴作、道開きの神

    電車に乗るのは数ヶ月ぶりである。先日CT検査をしたばかりで、腕には造影剤の点滴の跡が大きな鯉に付けられたキスマークみたいになっている。本日は結節があると肺。一年前だったろうか、膵炎の検査で来たところである。地下鉄出口1分というのに方向音痴を発揮、遅刻して2時間近く待つことになったので、念の為早く出発。なのに地図を忘れる。スマホを見たって判らない。迷った記憶だけが残る風景。しかしちょっとしたこと思い出し。40分前に到着。前回と今回の違うことが一つ。スマホの待ち受けに『半憎坊大権現』。海難、火事だけでなく様々な災難に霊力を発揮する。何より中国より帰国の禅師を荒れる東シナ海から無事九州まで導いだ半俗半僧の道開きの神である。知り合いのトラック運転手や韓国に旅行する友人、白内障手術する、なんて連中にも勧めた。本日ご...方向音痴作、道開きの神

  • 一日

    頭で考えたことはことごとく外し、感じたままで行くと必ず結果がよい。単純に頭の出来の問題といえばそれまでだが、どこに向かっているのかは判らなかったが、誰が書くのか何かシナリオめいた、筋道のような物が感じられた。そうこうして人間も草木同様自然物、肝心なものはあらかじめ備わっていると思うようになった。陶芸家を目指していた頃、狐の鳴き声が聴こえるような、岐阜の製陶工場に務めたり、茨城の4キロ四方人が住まない廃村に住んだことがあるが、慣れて仕舞えばどうということはなく、むしろのんびりしてしまい、創作意欲は薄れた。自分自身が自然物であるなら、何も周囲を自然に囲まれる必要はない。季節になり前の通りを祭りの神輿が通り「うるせえな。」なんて呟いているくらいが私にはちょうど良い。筋道の行先は、というと“自分とは何か?”らしい...一日

  • 書店の店先で一休禅師

    子供の頃、年寄りは何で平気で笑っているんだろう。もうすぐ死んじゃうのに?と思っていた私は、缶蹴りなどして入り込んだ下町の路地から見える、裸電球の下でガッチャンガッチャン機械で何か作っている老夫婦の背中が暗い寂しいものに見えた。考えて見ると、LED電球の下で一人、縁もゆかりもない、七百年前のツルツル頭を作る私はどう見えるだろう?とちょっと笑った。午後用事のついでに母の顔を見に行く。小3でお世話になった『世界偉人伝』を下さった田中先生が、学年主任に「子供の絵じゃない」といわれたのに戦ってくれたのは覚えていたが、◯子だったか◯代だったは覚えていなかった。大人向けの『一休禅師』を判る訳ないから、と止めたことは覚えており、やはり、買い物帰り、書店の店先で、店主と立ち話している断りにくい状態で私はねだっていた。書店の店先で一休禅師

  • 自分とは何か

    昨日、冠動脈の造影CT撮影。点滴の造影剤が熱いので、血の巡りが思いの外早いことに驚いた。いつ心筋梗塞になってもおかしくないといわれたし、一年前は膵炎を疑われたが、意外と平然としていた。寒山拾得以降、私はこれで良かったのだ、と確信を得ていたことが多分大きい。死の恐怖を遠ざける一番の方法が、日々変化し、上書きつづけることだと思って来たが、その理由が、小4で読んだ一休の〝門松は冥土の旅の一里塚~“が原因ではないかと最近気付いた。そして導かれるように、まさに今、その場面の一休和尚を完成させようとしている。自分の打ち込むことが、自分の正体を明らかにすることになる。人見知りの私は、発表などせず、遊びに来た友人に「どうだ、良いだろ?」なんて生きて行ければどれだけ良いか、と昔は思っていたから、トドのつまりは、その興味に尽...自分とは何か

  • 寒山拾得の前と後

    10年前の今日、Twitterで「いつか寒山拾得を作るつもりでいる。仕上げはオイルプリントで」と呟いたことが判明。当時は最後、主な作品をオイルプリント化して終えるものと考えていた。その後、夜の夢こそまことな私を写真上、自由を阻害しているのは陰影だ、と陰影を戦犯扱いし始め、年のふげん社〝三島由紀夫へのオマージュ男の死”展での無観客の飯沢耕太郎さんとのトークショーで、次は何を?の質問につい寒山拾得と答えてしまった。ずっと先に、というつもりだったから、ちょっと気の利いたことを?と口走った臭い。ところがふげん社が拾得が普賢菩薩の化身であるところから名付けられたことを知った。こういうのを意味ある偶然として、必ず乗ることにしている。2年後の寒山拾得展が果たして、初個展から40周年であった。寒山拾得の前と後

  • 一呼吸

    様々作っていたので、後回しになっていた一休和尚が最終仕上げに入る。これでようやく小学四年の時に、大人向けの『一休禅師』を読んでイメージした雲水姿の一休和尚が立ち現れることになる。足したのは肩に乗せた酒の入ったひょうたんだが、幼稚園児の頃か、TV時代劇で八名信夫が肩に乗せた瓢箪の酒を首を曲げグビッと飲んでいたのを採用。ウィキペディアによると『紅孔雀』か?禅宗の高僧の肖像画(頂相)は曲彔という椅子に座り沓を脱いで斜め45度ということに決まっていて、そのエピソードなどを絵画として描き残すという習慣はないらしい。なので視覚化されていない手付かずモチーフに溢れている。しかしだからといって頭に血を昇らせて、だったら私が、というのも。バレエを一度観ただけで、翌年ニジンスキーで個展をやってしまった頃とは残された時間が違う...一呼吸

  • 一休の横目

    昨日は一日検査。動脈硬化が見つかり、心筋梗塞などいつ起きてもおかしくない、とのことで、近々再検査。一昨日ネットで過去のドラマ『不毛地帯』で副社長の岸辺一徳が心筋梗塞の発作で倒れたのを観たばかりである。『青春デンデケデケデケ』でも心臓発作で死んでたけど。それにしても長い時間待たされていると、幼い頃から私を支配するヘソ下三寸に居るもう一人の私が勝手に事を進めているのが判る。まるで妊婦が胎児に早く取り出せ、と腹を蹴られるが如し。〇〇国師と〇〇天皇が対座する、これまた名場面も制作可能だろう。七百年可視化されていないとすれば、私がやらなければ今後もされないだろう。一休和尚の有名な横目でこちらを見る肖像画の横目の理由の仮説を思い付く。一休の横目

  • 譲れない渡世上の筋

    いずれ作ろうと考えている禅師は、やはり国宝の頂相が残されている。ところが今回も蘭渓道隆同様(その頂相が事実を伝えているとするなら)彫像はまるで別人である。やれやれというしかない。漫画原作のドラマの主人公がいっていた。真実は人の数だけある。一休像のように頂相と頂相彫刻が明らかに同一人物を前に作ったような例は珍しいのかもしれない。よって再び、斜め45度の肖像画のみを元に制作することになる。結果、数百年礼拝の対象になって来た立体像に対して私如きが異を唱えることになってしまうが、元にするのが、そもそも寺の所有する開山の頂相ということで、もう気にならない。私にも渡世上の譲れない筋というものがある。譲れない渡世上の筋

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