シャンタル・アケルマン『ブリュッセル 1080コメルス河畔通り23番地 ジャンヌ・ディエルマン』における生活空間の崩壊
ジャンヌ・ディエルマンは、夫と死別し、娼婦として働きながら息子を育てており、タイトルはジャンヌの住むアパートメントの住所を指したものである。一地点をピン留めするようなタイトルの通り、ジャンヌはそのアパートメントを中心とした生活圏、そしてその生活のルーティンから逃れられない。カメラはジャンヌの周囲に固定されており、3日間に渡ってその生活を映し続ける。
ピエル・パオロ・パゾリーニ『アポロンの地獄』再経験されるオイディプス
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督による1967年作『アポロンの地獄』について。オイディプスは巨大な闇に出会う。それは不信仰であるが故に見えていなかったものであり、その闇が大きすぎるがために、オイディプスは世界から自分を閉ざす。自分の目を潰すことによって。
ピエル・パオロ・パゾリーニ『奇跡の丘』は何についての映画だったのか
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督による1964年作『奇跡の丘』について。キリストの誕生から復活までをネオレアリズモ、ドキュメンタリー的な方法で撮った映画。セリフは聖マタイのゴスペルからそのまま取ってきているらしく、それが原題 「The Gospel According to St. Matthew(聖マタイによって語られたゴスペル)」にそのまま反映されている。それらのそっけなく感じられる背景に加えて、映像がドキュメンタリー的で淡白なこともあり、キリストによる一連の出来事に対して距離をおいた上で、一つの事象として観測的・客観的に撮っているように思われる。そうだとすれば、この主題と方法を選んだ意図が重要なように感じられる。
ピエル・パオロ・パゾリーニ『マンマ・ローマ』捻じ曲げられない運命
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督による1962年作『マンマ・ローマ』について。おそらく戦争孤児であり娼婦として生きていくしかなかったマンマ・ローマが、息子であるエットレを自分とは違う階級へ抜け出させようとする。そのために、娼婦の仲間と協力して息子に上流階級向けのレストランの仕事を得させ、息子を自分のような女性から離そうとする。
ピエル・パオロ・パゾリーニ『アッカトーネ』予め定められた役割
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督による1961年作『アッカトーネ』について。タイトルにもなっているアッカトーネはピンプであり、愛人を売春婦にすることで働かずに収入を得ている。アッカトーネのような人々にとって、働くとすれば重労働しか選択肢がなく、労働しながら生きることを選べば労働に一生縛られて生きることになる。一方で労働を拒否すれば、アッカトーネの周囲の人々と同じように盗みや賭けなどによって生計を立てる、もしくは乞食として生きる生きるしかなくなる。
野原位監督による2022年作『三度目の、正直』について。役割、自分自身で内在化した理想像による日常的な抑圧についての映画のように感じる。 その役割を他者に押し付ける心理の根源には子供や妻に対する「自分のものだ」という所有の感覚がある。主人公はその所有による被害者であると同時に、その所有の感覚を内在化している。自分の子供という実現しなかった所有に縛り付けられており、過去生まれるはずだった子供の記憶をも含めて手放すことを拒否している。主人公は記憶喪失となった誰か別の親の子供と出会い、その子供を擬似的な自身の子供として共に生活することを通して、その子供、そして生まれるはずだった子供を手放すことができるようになる。所有による束縛から二人を自由にする。その記憶喪失の子供の実の父親は映画内ではすでにその所有的な感覚から自由になっており、主人公が行き着く先はその父親と重ねられる。
アニエス・ヴァルダ『カンフー・マスター!』再生産される社会・関係性
アニエス・ヴァルダ監督による1987年作『カンフー・マスター!』について。40代の女性であるマリーと、その子供の友達である10代の少年であるジュリアンという、恋愛の時期が終わりつつある人とそれが始まりつつある人の間の恋愛を軸とした映画となっている。
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