2024年に入ってから、ぼくの転職騒動でいそがしくてぼんごぶろぐの更新が滞っていました。でも落ち着いてきたのでぼちぼち再開します。いつも読んでくださる方、どうもありがとうございます。 0.5のおばさん さてぼんごさんの最近の話。 ぼんごさん
腎炎うん10年、パニック障害うん10年と人知れず戦ってきた「ぼんごさん」の争いの記録を綴っています ぼんごさんが腎炎を患ったこと、パニック障害を患ったこと、それでも楽しく過ごしている最近のこと、を中心に日々の様子を書いています
2024年に入ってから、ぼくの転職騒動でいそがしくてぼんごぶろぐの更新が滞っていました。でも落ち着いてきたのでぼちぼち再開します。いつも読んでくださる方、どうもありがとうございます。 0.5のおばさん さてぼんごさんの最近の話。 ぼんごさん
2023年夏。友人ががんで亡くなった。44歳。一番辛くて一番視野が狭くてどうしようもない高校時代に、一緒にいてくれた人の死。年齢にしては身近な死を多めに経験している自分でも、どうしようもない喪失感に襲われた。悲しみは心の底からいつでも湧きあ
高3の冬が来て、ぼんごの人生にも受験シーズンというものが訪れていた。その、受験シーズン真っ盛りの12月の半ばの平日のこと。ぼんごはひとり、人もまばらな午前のデパートで寝間着を買っていた。これから入院するのだ。 ドクターストップ ぎりぎりでい
腎炎が寛解となってから、なんでも好きな事をしていいと言われていた。親からも医者からもそう言われた。 しかし、何でもやっていいと言われても、できそうなイメージを持てることが何ひとつ無いのが現実だった。何をやるにも体力がいる。 いくつか試してみ
高校の半ばごろはぼんごのそれまでの人生において精神的にどん底の時期だった。原因のわからない悩み高校の頃はまだまだ自分の不調がパニック障害によるものであることを知らなかったから、自分の身体に何か重大な異変が起こっているのだという不安に常に悩ま
私にはなりたい職業があって、行きたい学部があったけど、結局体やお金の都合もあってパスをした。職業とは無関係の三流大学の文系学部に入って、卒業する時にきちんと就活もしなかったので、その後ずっと事務系の仕事を非正規ですることになった。そのことを
高校生活も大半が過ぎた。この頃、ぼんごが何か異変を抱えていることは家族の間では公然の秘密のようになっていた。でも、なぜそうなっているのか誰にもわからないし、ぼんごも言おうとしないので、得体の知れない不安は募るばかりで、いつかは破裂するのがわ
ぼんごさんと高校:ぼんごさんと保健室のおばちゃんと記念公園②
前回の続き。どこでもないどこかへ平日の昼間、人気のない記念公園の公衆便所の個室に、ぼんごはいた。なんでこんなことになっているのだろう。なんで自分はこうなんだろう。なんで世の中は自分を突き放して回るのだろう。昔は、病室や看護師さん、お医者さん
ぼんごさんと高校:ぼんごさんと保健室のおばちゃんと記念公園①
謎の体調不良が頻発するようになってから、ぼんごはすっかり保健室の常連になっていた。教室で気持ちが悪くなると、先生に断って教室を出てゆくことが常態化していた。自分に視線が集まっているような気がして、いつも背中が重かった。一緒3年生のいつかのこ
学校に行っていないことについて、事情聴取をうけることになったぼんご。お父さんとお母さんを前に、がちがちに緊張していた。(前編はこちら)過呼吸おこる「学校から連絡があって、あんたが学校に行っていないって言われたんだけど」みたいなことを皮切りに
高校2年と3年はぼんごの人生にとってどん底の日々で、どれくらいどん底かというと辛すぎて記憶が曖昧になるくらいどん底だった。この記事と次の記事を書くときも曖昧な記憶を手がかりに辛い事を思い出してもらっていて、それは今現在のぼんごにとっても全く
頭はぼさぼさ、服装は適当、目は半開き。遅刻が多い、欠席が多い、早退が多い。身体の中では謎の体調不良が今か今かと出番を待ち構えており、ぼんごもそれに意識的になって、どうにか大人しくしていてくれと願うばかりで他にできることもなく、学校に行けるか
パニック障害を発症しているということを全く知らずに高校生活を謎の体調不良とともに過ごすぼんごさん。体調不良のために友達の誘いに付き合えないとか、授業を受け続けられないとか、学校に行けないとか、そういった悔しい日々が日常と化していた。心配「来
「物語」について、また最近知った「ナラティブ・アプローチ」について思うことを。物語の役割物語とは身の回りの混沌に秩序を与える考え方が形になったものだ、と、若い頃に習ったことがある。このときの混沌というのは、身の回り何気ない生活様式の安定を妨
2022年も高速で過ぎていった。体調面で言えば相変わらずという面もあり胃腸を壊したり、年末歯軋りで歯根膜炎になったり。腎炎は去年とそう変わらないが、良くはならない。パニック障害に関しては既に治療のフェーズは過ぎ、今は減薬。ベンゾの減薬はなか
ある教科の小テストを通じて、先生に異変を感じ取られたぼんごさん。先生に呼ばれて、謎の体調不良のことを自分の言葉で語りはじめたのだった。遮ることなく、先生はぼんごの話を飲み込んだようだった。この時の会話に関してぼんごが覚えているのは「自分が自
高2のころのこと。その日は授業を受けられていたぼんご。ある科目で小テストがあった。そのテストでぼんごは、解答欄のほかに自由欄があるのを見つけた。勉強のことで先生に質問したりする欄だとわかっていたが、そのわずか15センチくらいの自由欄はどうも
ぼんごさんのIgA腎症は2022年12月現在も寛解の状態である。十年くらい前に蛋白尿が増え地域でそれなりの大学病院の腎臓内科に通ってステロイドパルスの治療をしたが、その後は大きな変化はなくて、数年その大学病院に通ったあと、通っていても積極的
高校の頃も腎炎は寛解を保っていた。とはいえ激しい運動は制限されていて、水泳とか持久走とか、体力的に消耗する運動は禁止されていた。病院から診断書をもらって学校にもそれは連絡されていたということだった。体育の先生しかし、高校の体育の授業では種目
あれは小学校の頃のこと。腎炎で入退院を繰り返していた幼少期のこと。思い出してみればちょっと悲しかったなという出来事があった。花いちもんめ中休み、ぼんごはクラスの友達と校庭で遊んでいた。何人かで、2組に分かれて並び、手を繋いで、花いちもんめで
パニック障害(診断はまだまだ先のこと・・・)による体調不良について、この頃のぼんごは、自分の状態を周囲に説明することをすっかりあきらめてしまっていた。何度説明しても先生には叱られるし、友達も次第に冷たい目線になってくるし、お母さんには何を言
高校2年ごろのこと。ぼんごはアルバイトをしていた。校則がどうだったか忘れた。学校の友達にもしている子もいたし、たぶん大丈夫だったのだろう。お金を得て、服を買ったりCDを買ったり、普通の学生がするようなことを自分もしてみたかった。ティッシュ配
目が覚めて、また朝が来たことを知った。朝ご飯は食べず、とりあえず制服に着替えて、家を出た。駅で発作駅について、体調の異変を感じた。見えない敵が襲ってきたのだった。腹痛、気持ち悪さ、めまいが来る。ああまたか、とぼんごは悟る。何かを考えて過ごす
最近のことをつらつらと。生きる始まりがあれば終わりもあるわけで、人生は、始まった以上必ず終わる時を迎える。何があってもその時が来れば終わりで、自分の意志ではそれをどうすることもできない。老若男女、どこの国でもどんな身分でも、大富豪でもお金に
高校生活に疲れ切ってしまったぼんご。謎の体調不良が続いてまったく改善の見込みが無く、毎日を過ごすのが手一杯で、そのうち自分の行く末にまで気が向かないようになってしまっていた。ハート型の壁自分って浮いてるよなあと流石に自覚もあったようだ。高校
ぼんごさんと音楽、前編は外で聞く編としてお届けしました。「外出は戦争」と言っても過言ではないほど毎日の登校が苦痛でしかなかったぼんごにとって、自分を鼓舞してくれる強く勢いのある激しい音楽は一種の増強剤のようで、これらの音楽の力を借りられたこ
音楽が嫌いって人はいるのだろうか。いるらしい。三島由紀夫がそうだったらしい。曰く音楽は「触れてくる」ものらしく、僕なりの解釈で言えば、作曲家の精神の影響をこれでもかと浴びせられることで自分の精神にも確実に影響が出るので、これを嫌ったらしい。
謎の体調不良が付きまとって離れなかったぼんごの高校生活は、破綻するかしないかのぎりぎりの状況になってしまっていた。普通の高校生活はとうに破綻していて、そのころは、高校生活を続けられるかどうなのかという境界線上をふらふらと彷徨うような状態にあ
つい最近のこと。気に入っていたズボンに穴が開いてしまったので、新しいズボンを求めて出かけることにした。服は服屋で実物を見て買いたいぼんご。僕たちは、どこにでもある庶民的な服屋さんを眺めて、破けたズボンの代替品を物色して歩いた。良さげなやつを
あれは高校2年生のこと。パニック障害の症状が一番ひどかった時期のこと。ぼんごの就学態度がおかしい、ぼんごの体調がおかしい、ということはもはや学校中の常識になっていたらしい。いつも目が半開きで眠そうで、何事にもやる気がなく、表情はうつろで、と
パニック障害の発作(診断がくだるのはまだまだ先のこと)が起きたとき、ぼんごは保健室に避難することが増えた。保健室の先生は若い先生で、ぼんごに優しく接してくれる人だった。安心できる場所症状が出てから保健室へ行くわけだが、気持ち悪さ、腹痛、めま
謎の体調不良を抱えて高校生活を過ごしたぼんごさんの、ありがちな学校生活はこんな感じだった。体調不良のために学校生活が上手くいかない、のだが、そもそも学校にたどり着くこと自体が難事だったのだ。学校へあと少し朝は普通に起きて、家族と同じ時間を過
最近の出来事をすこし書いてみます。モゴ・サン・モゴ・サン先月、韓国ドラマの「マイ・ディア・ミスター 私のおじさん」を見ていたぼんごと僕。めちゃしぶい良い声の中年のおじさんと、借金を抱える若い女性の人間模様を中心とした物語で、派手派手しい演出
謎の体調不良を明確に認識していた高校生のぼんご。学校へ行く代わりに、何度も病院に行った。Sabotage朝、制服に着替えてから、すこし遅れて登校すると親に伝えたあと、両親が仕事に出払うのを確認してから保険証をこっそり持ち出して、制服のまま病
高校に入って1年間、ぼんごはは新しい環境に慣れる努力をした。腎炎は寛解を迎えて何をしても良いと言われており、普通の一員に混じって暮らし始めたものの、壁のない生活のなかで、いったい自分に何ができて何ができないかを再度定義するような時間だったの
現在、blog内では高校時代にパニック障害の症状が出てきているところをやっている。この症状の原因がパニック障害だということが完全にわかるまでに、約3年はかかったと思う。その間、もちろんずっと発作がでていたわけではないが、予期不安のせいでコン
結論から言えば、ぼんごは高校生になってから「パニック障害」という病気を発症していた。(参考:厚生労働省:パニック障害・不安障害)パニック障害とはパニック障害というのはこころの病気のひとつだ。その症状は突然やってきて、ぼんごが経験した症状の一
高校に通い始めて半年くらいか。ぼんごはよく体調を崩すようになっていた。吐き気、めまい、息苦しさ、動悸、力が入らない、といった症状が急にやってきてはぼんごを襲った。よく症状が出た場所は電車で、次いで教室で起こった。これらの症状は、出始めたとき
ぼんごさんは基本的にいつも緊張している。 外見上とくに緊張している風ではないが、見えないところでいつも力が入っていて、何もしていなくても、肩、腰、首、のような凝りやすい部分がいつも凝っている。日常の緊張ぼんごさんは日常生活レベルの活動でも身
胸の高鳴りを感じる、胸がドキドキする、なんて言葉がある。いずれも、心地よく鼓動が高まっている状態のこと。楽しいこと、嬉しいこと、または武者震いするようなことが眼前に起きていて、心臓の動きがそれらの事柄によって活発になっている、良い状態なのだ
発作になると「息苦しさ」も症状となる。いくつもある発作の症状のうち、この症状は苦しさの度合いが高く、苦しくなるまでの時間も早いので、一番つらいのでは、とぼくは想像している。人間だれしも、緊張や心配で息苦しさを覚えることはあるでしょう。ああ今
ぼんごさんの発作には、いくつかの症状がある。めまいもそのひとつだ。めまいとはめまいにはいろいろなタイプがある。ぐるぐる回るタイプ、ふわふわ浮く感じのタイプ、くらっと頭が揺れるようなタイプなどなど。原因にもたくさんの種類があって、耳に原因があ
ぼんごさんの発作には、いくつかの症状がある。急に吐き気をもよおすこともそのひとつだ。お腹が気持ち悪くなり、胃が勝手に動きだすようで、お腹の中に渦巻いていたなにか呪わしいものが、食道を伝って身体の内側から体外へあふれ出してくるような感じ。吐き
はじめて発作を起こしたのは電車の中だった。それからは、電車の中で何度も何度も発作を起こした。この発作の原因はまったく謎ではあったが、電車に乗っているとき、とくに降りる駅に近づいてきている数駅前あたりが危ないということを、ぼんごは嫌でも理解し
ぼんごは通学途中にたびたび体調を悪くした。なにか特定の事象への反応ということではなくて、いきなり謎にやってくるもので、自分自身、この発作がなぜ起きていて、どうすれば回復するのか、どれくらいで去ってゆくのか、これ以上ひどくなるとどうなるのか、
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2024年に入ってから、ぼくの転職騒動でいそがしくてぼんごぶろぐの更新が滞っていました。でも落ち着いてきたのでぼちぼち再開します。いつも読んでくださる方、どうもありがとうございます。 0.5のおばさん さてぼんごさんの最近の話。 ぼんごさん
2023年夏。友人ががんで亡くなった。44歳。一番辛くて一番視野が狭くてどうしようもない高校時代に、一緒にいてくれた人の死。年齢にしては身近な死を多めに経験している自分でも、どうしようもない喪失感に襲われた。悲しみは心の底からいつでも湧きあ
高3の冬が来て、ぼんごの人生にも受験シーズンというものが訪れていた。その、受験シーズン真っ盛りの12月の半ばの平日のこと。ぼんごはひとり、人もまばらな午前のデパートで寝間着を買っていた。これから入院するのだ。 ドクターストップ ぎりぎりでい
腎炎が寛解となってから、なんでも好きな事をしていいと言われていた。親からも医者からもそう言われた。 しかし、何でもやっていいと言われても、できそうなイメージを持てることが何ひとつ無いのが現実だった。何をやるにも体力がいる。 いくつか試してみ
高校の半ばごろはぼんごのそれまでの人生において精神的にどん底の時期だった。原因のわからない悩み高校の頃はまだまだ自分の不調がパニック障害によるものであることを知らなかったから、自分の身体に何か重大な異変が起こっているのだという不安に常に悩ま
私にはなりたい職業があって、行きたい学部があったけど、結局体やお金の都合もあってパスをした。職業とは無関係の三流大学の文系学部に入って、卒業する時にきちんと就活もしなかったので、その後ずっと事務系の仕事を非正規ですることになった。そのことを
高校生活も大半が過ぎた。この頃、ぼんごが何か異変を抱えていることは家族の間では公然の秘密のようになっていた。でも、なぜそうなっているのか誰にもわからないし、ぼんごも言おうとしないので、得体の知れない不安は募るばかりで、いつかは破裂するのがわ
前回の続き。どこでもないどこかへ平日の昼間、人気のない記念公園の公衆便所の個室に、ぼんごはいた。なんでこんなことになっているのだろう。なんで自分はこうなんだろう。なんで世の中は自分を突き放して回るのだろう。昔は、病室や看護師さん、お医者さん
謎の体調不良が頻発するようになってから、ぼんごはすっかり保健室の常連になっていた。教室で気持ちが悪くなると、先生に断って教室を出てゆくことが常態化していた。自分に視線が集まっているような気がして、いつも背中が重かった。一緒3年生のいつかのこ
学校に行っていないことについて、事情聴取をうけることになったぼんご。お父さんとお母さんを前に、がちがちに緊張していた。(前編はこちら)過呼吸おこる「学校から連絡があって、あんたが学校に行っていないって言われたんだけど」みたいなことを皮切りに
高校2年と3年はぼんごの人生にとってどん底の日々で、どれくらいどん底かというと辛すぎて記憶が曖昧になるくらいどん底だった。この記事と次の記事を書くときも曖昧な記憶を手がかりに辛い事を思い出してもらっていて、それは今現在のぼんごにとっても全く
頭はぼさぼさ、服装は適当、目は半開き。遅刻が多い、欠席が多い、早退が多い。身体の中では謎の体調不良が今か今かと出番を待ち構えており、ぼんごもそれに意識的になって、どうにか大人しくしていてくれと願うばかりで他にできることもなく、学校に行けるか
パニック障害を発症しているということを全く知らずに高校生活を謎の体調不良とともに過ごすぼんごさん。体調不良のために友達の誘いに付き合えないとか、授業を受け続けられないとか、学校に行けないとか、そういった悔しい日々が日常と化していた。心配「来
「物語」について、また最近知った「ナラティブ・アプローチ」について思うことを。物語の役割物語とは身の回りの混沌に秩序を与える考え方が形になったものだ、と、若い頃に習ったことがある。このときの混沌というのは、身の回り何気ない生活様式の安定を妨
2022年も高速で過ぎていった。体調面で言えば相変わらずという面もあり胃腸を壊したり、年末歯軋りで歯根膜炎になったり。腎炎は去年とそう変わらないが、良くはならない。パニック障害に関しては既に治療のフェーズは過ぎ、今は減薬。ベンゾの減薬はなか
ある教科の小テストを通じて、先生に異変を感じ取られたぼんごさん。先生に呼ばれて、謎の体調不良のことを自分の言葉で語りはじめたのだった。遮ることなく、先生はぼんごの話を飲み込んだようだった。この時の会話に関してぼんごが覚えているのは「自分が自
高2のころのこと。その日は授業を受けられていたぼんご。ある科目で小テストがあった。そのテストでぼんごは、解答欄のほかに自由欄があるのを見つけた。勉強のことで先生に質問したりする欄だとわかっていたが、そのわずか15センチくらいの自由欄はどうも
ぼんごさんのIgA腎症は2022年12月現在も寛解の状態である。十年くらい前に蛋白尿が増え地域でそれなりの大学病院の腎臓内科に通ってステロイドパルスの治療をしたが、その後は大きな変化はなくて、数年その大学病院に通ったあと、通っていても積極的
高校の頃も腎炎は寛解を保っていた。とはいえ激しい運動は制限されていて、水泳とか持久走とか、体力的に消耗する運動は禁止されていた。病院から診断書をもらって学校にもそれは連絡されていたということだった。体育の先生しかし、高校の体育の授業では種目
あれは小学校の頃のこと。腎炎で入退院を繰り返していた幼少期のこと。思い出してみればちょっと悲しかったなという出来事があった。花いちもんめ中休み、ぼんごはクラスの友達と校庭で遊んでいた。何人かで、2組に分かれて並び、手を繋いで、花いちもんめで
高校の半ばごろはぼんごのそれまでの人生において精神的にどん底の時期だった。原因のわからない悩み高校の頃はまだまだ自分の不調がパニック障害によるものであることを知らなかったから、自分の身体に何か重大な異変が起こっているのだという不安に常に悩ま
私にはなりたい職業があって、行きたい学部があったけど、結局体やお金の都合もあってパスをした。職業とは無関係の三流大学の文系学部に入って、卒業する時にきちんと就活もしなかったので、その後ずっと事務系の仕事を非正規ですることになった。そのことを
高校生活も大半が過ぎた。この頃、ぼんごが何か異変を抱えていることは家族の間では公然の秘密のようになっていた。でも、なぜそうなっているのか誰にもわからないし、ぼんごも言おうとしないので、得体の知れない不安は募るばかりで、いつかは破裂するのがわ