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河は流れる~90代元国鉄マン九州諸所の紹介ブログ https://pikapikaclass.blog.jp/

昭和一桁生まれ男性。九州在住【南向庵】です。趣味パソコン、写真撮影、文章を書く事。ブログ立ち上げと管理は家族が手伝っていますが、文章は全て本人によるものです。

南向庵
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2022/06/06

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  • 心のサプリ①

    毎日新聞の日曜版には海原純子さんの「心のサプリ」という連載物の随筆が掲載されている。心療内科が専門というだけあって、心の問題を中心に的確な問題提起と対処法が論じられており、私の愛読文のひとつとなっている。ある日のテーマは【「自分しかいない」という思い】と

  • カラオケ

    国鉄予算管理室時代のある日、予算管理室長と門司局経理部長を兼ねるSさんがやって来た。「今年の忘年会では3曲ずつ歌って貰う、皆準備をしておくように。」とのこと。Sさんは冗談も云わない只々厳しい人だったから、皆顔を見合わせた。何か思うところがあったのだろう。そ

  • 批判と論調

    最近は署名入り記事が掲載されるようになってきた。時代の要請であろう。昔の話であるが、毎日新聞のコラム欄に、中村秀明記者が書いた次のような記事があった。【福田さんに欠けていたもの】「年も年だ」と語った福田康夫さん。「男は一度勝負する」と言って、実際は何度も

  • 酒にまつわる話

    晩酌を始めたのは門司局で設計業務をやっていた頃からだ。疲労回復・睡眠時間確保の補助手段。以後、酒とは縁が切れなくなった。利き酒の技も腕があがった。小倉・紫川のほとりに一杯飲み屋があった。店主独りでこだわりを持って経営している店。ある日のこと。この店で社長

  • 長男の場合③

    妻は長男にひたすら牛乳を飲ませ、サッカーに没頭させた。大きな身体になったのは努力の結果と言えようか。彼が高校生の時私の異動が発令され、気がかりながら鹿児島に一人残すこととなった。幸いにも適当な下宿先が見つかったのは有難かった。進学先は他県の国立大学。いい

  • 長女の場合③

    長女が幼稚園の時、電子オルガンを購入した。弾き慣れていないので、拙い。横で見守る妻が「音の粒がそろっていない。」と叱り飛ばす。付き切りでの厳しい指導。妻は小学生時代、NHKの児童合唱団に属していた。音楽が好きだったようだ。私が係長に登用された時、一戸建ての宿

  • 競争と協調

    規制緩和には光と影の部分がある。それに伴う痛みや負の部分への配慮も必要ではないだろうか。JR初代社長は競争することで進歩があり、勝つためのノウハウが蓄積されるという考えだった。だが、競争するには相手を選ばねばなるまい。同一業種の二社を傘下におき身内同士に

  • とかく人事は難しい②

    Bさんは地方国立大学卒である。出身校は高等工業専門学校から大学に昇格した学校。土木工学を学ぶ先輩からの牽きが強い。彼は国鉄入社後、早速先輩達からの牽きを受けた。保線区長を一度経験した後、線路分区長や助役という現場を経験することなく、本社保線課や九州総局へ異

  • とかく人事は難しい①

    Tさんは学業成績が素晴らしかったらしい。小学時代は常に級長。旧制中学は五年制だが、四年終了した時点で高専に進学した秀才だ。国鉄に就職してからも順調に栄進。定年退職後、私と同じA社に入社。その経歴が考慮され、支店長に任命された。着任にあたって部下の次長4人を

  • 壱岐に行く②

    曇天で時折雨が降ってきた。寄り道した所以でもうすぐ陽が落ちそうだ。壱岐の代表的な景勝地という〈左京鼻〉はパスし、海辺に並んだ六体の〈はらほげ地蔵〉を拝観することに。いつ頃、なんのために設置されたのか判らない、というから想像するしかないのだが、朝鮮あたりか

  • 壱岐に行く①

    10月6日、宮崎観光に壱岐観光の参加申し込み状況を聞く。10月22日催行分は満席。11月26日分はキャンセル待ち13名という。交渉の結果前者への参加OK、ただし単身参加だから追加料金が必要と。即金で2万960円を支払い、契約完了。催行日の前日、添乗員さんか

  • 転身 第二の職場へ④

    総務の諸君は社内規定に従って、先輩の仕事ぶりを参考にして日を送っている。考え方・やり方は勝手に変えられない。その習性が身についているのだった。二、三の例を挙げてみたい。株主総会の議事録がない。商法違反だが、関係者にその意識があったかどうか。人事についても

  • 転身 第二の職場へ③

    新社長・Kさんは九州大学を卒業している。学歴そのものは目立つほどではないが、級友によれば「別格」と称される頭脳の持ち主であったらしい。その著書は中国語に翻訳され、教科書に採用されている。先祖は安土・桃山時代、度々豊臣秀吉に茶会に招かれたという、有名な豪商で

  • 前社長について②

    会社の為、諸々の成果を出すに及んで、前社長の私を見る目は確実に変化していった。最終的にはすっかり信頼して頂いたと思う。平成7年に73歳でこの世を去られたが、病床に伏せておられた時、「俺が死んだら南向庵君に連絡しなさい。」「昼間だったらここに。夜だったらこ

  • 前社長について①

    初めての部長会議出席の折、入社以来7か月間考えていたこと、今後取り組みたい項目を述べ、前社長を激怒させたことは前述した。氏がA社の専務として着任したのは昭和47年だったという。本社社屋を見て「この建物を建て替えなければならぬ。」「この地に骨を埋める気で頑張

  • 菊花展再訪

    Yさんが作り上げた菊花鑑賞会が10月28日から開かれている。お誘いがあり、都合もついたので11月初めの「Yさんを囲む会」に参加した。友人のN君も同行。なんと三十数万もするというカメラを持参している。いやはや高額すぎて私がアドバイスする状況ではない。さて菊花群

  • 目が潤む

    NHKラジオの深夜番組で、ペギー葉山の【歌と人生と介護】という講話があった。夫君・根上淳の余命がいくばくもないという時、ペギーは「彼が幸せいっぱいだった頃を思い出させ、明るく送り出そう」と割り切ったらしい。個室の壁一杯にスター然とした根上淳の他、山本富士子・

  • 転身 第二の職場へ②

    「君!僕のやってきたことを否定するのか?」社長の怒気を含んだ声。それでも私は諄々と話しを続けた。「そんなことはありません。いつ潰れてもおかしくない会社をここまで立て直された。銅像を建てても良い、という方もおられます。立派です。しかし今、日本の経済情勢を見

  • 転身 第二の職場へ①

    昭和61年5月、建設業・A社に再就職した。職名は企画室長。総務部8名の末席に座るのだから、平の一員だろう。月末に給与明細を頂いた。その低賃金に驚く。「ばかに安いですね。」と、思わず部長にむかって口にしたほどだ。これではいけないと思う。低賃金は社員の士気に影

  • 国鉄時代振り返り②

    50歳の声を聞くと、もう国鉄生活はホームストレッチである。この時期、企画の仕事を担当させて頂いた。メインテーマは「九州の国鉄の将来展望」であった。各部門に過酷な条件を設定し試算した結果は散々で、展望のなさに改めて愕然としたものである。検討結果は再建監理委

  • 国鉄時代振り返り①

    思い起こせば、国鉄生活の前半、およそ15年は土木屋としての人生だった。昭和37年、長崎県地方を襲った大災害で駅舎や線路が流出し、機械化土木で復旧工事を施工したことがあった。国鉄九州で初めてのPC桁設計を手がけ、夜間の僅かな列車運行間合で架け替え工事を完了し

  • 長男の場合②

    妻は長男の栄養補給に余念がなかった。幼い頃から度々扁桃腺を腫らし熱を出した為、「丈夫な身体になって欲しい」という一念で一日二本の牛乳、その他しっかりと食べさせていた。身体を動かすことも大切だ。彼はサッカークラブで皆と一緒に走り回り、長身の故ゴールキーパー

  • 長男の場合①

    妻が帰宅した。その日は、小学1年生の息子の授業参観日。帰るなり口を開く。「私、恥ずかしかったわ。」「何があった?」尋ねると、詳細は以下の通りである。先生「答えが判った人は手を挙げて。」息子「はい、はい。」声が大きい。先生「〇〇(息子)君!」御指名。息子、

  • 若山牧水

    宮崎出身の歌人に【若山牧水】が居る。心情や日常の表現が瑞々しく、自然の美しさ・儚さを詠った作品に引き付けられる。また清廉な人柄が伺い知れて、これは宮崎県民の特性ではないか、と思ったりする。彼は生涯の三分の一を旅人として彷徨いながら、故郷の風景を懐かしんだ

  • アクもまたよし②

    「仕方なく調味料を入れ仕上げたが、これが思いもよらぬ美味しさ。主人に『味はどう?』と尋ねると『今日のはコクがあってなかなか美味いね。』と。ふふふ。どうやらアクが味を引き立てたらしい。アクは悪と決めつけていたが、そうでもないようだ。人間だってアクの強すぎる

  • アクもまたよし①

    随筆は易しいようで難しい。文章の長さではなく、短いそれで核心を突いているのが好まれるように思う。その中でも最も肝要なのは、人の心を打つことではないだろうか。喜びや悲しみ、強さ優しさ、さらには思いやり等がユーモアやペーソスに包まれているなら最高だ。そういう

  • さらば国鉄⑤

    せっかくの両先輩からの申し出であったが、私は「『幹部に一任する』と言ってA社に決めましたので。」と答えた。「そうか・・」「参考までにお聞きしますが、どの会社に斡旋して下さるつもりだったのですか?」「本社が東京のB社だ。九州支店長のポストだけどな。」「ありが

  • さらば国鉄④

    私が国鉄を去る決心をした時、大学の先輩二人が揃ってやって来た。「A社に行くらしいが、あんな会社でいいのか?」「俺たちが世話しようか?」と気遣って下さったのである。話は少々横道にそれる。新制大学の最初の卒業生が世に送り出されたのは、昭和28年である。国鉄では

  • さらば国鉄③

    発令後の仕事に関してだが、大部分の権限は東京の新幹線総局にあり、地方のそれは殆どないに等しかった。ただ責任だけは重い、という状況である。また、難問も抱えていた。職員の【配置転換】である。「職員の半数を関西地区に転勤させよ。」との命を受けたのである。本来そ

  • さらば国鉄②

    新幹線・九州管理部次長に任命された後、事件が発生した。小倉~博多間に不審物が取り付けられたのだ。詳細を聞いてみると、左右のレールが金属線で結ばれて時限装置がついており、列車が近づいてくる時間帯に作動し始め、停止信号を現示する仕組みらしい。もし起爆などして

  • さらば国鉄①

    昭和59年、国鉄の民営化は避けられない情勢になってきた。あとは全国同一会社か、分割か、という問題である。そういう情勢の中で昭和60年の春、私が所属する九州総局には「廃止」という結論が下された。我々はどこかに転属しなければならない。私の場合、大分か、熊本か

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