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河は流れる~90代元国鉄マン九州諸所の紹介ブログ https://pikapikaclass.blog.jp/

昭和一桁生まれ男性。九州在住【南向庵】です。趣味パソコン、写真撮影、文章を書く事。ブログ立ち上げと管理は家族が手伝っていますが、文章は全て本人によるものです。

南向庵
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2022/06/06

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  • 名誉駅長の委嘱式で

    2017年6月13日、JR九州・宮崎が主催するその式に出席する為、宮崎駅から東に向かって歩いていた。ふと見ると路傍に大振りのアジサイが色鮮やかに咲き誇っている。湿気を帯びたその風情がなんとも言えないので、ためらうことなくカメラのシャッターを押す。会場である

  • 昭和解体④

    〈生産性向上運動〉が展開された時、私は区員180名の八代保線区長だった。そのテーマを聞いて「やらねばならぬ」と思ったのだが、上司から「なぜ動かんのか」「鉄労を設立させ、国労からシフトさせんのか」との話があったときは失望そのもの。〈生産性向上運動〉とは隠れ

  • 昭和解体③

    背景には1870年代に勃発したプロイセンとフランスの戦いがある。普仏戦争(1870年7月19日~1871年5月10日)↓この戦争ではプロイセンが勝ったのだが、その時プロイセンの参謀総長モルトケは勝因について「鉄道は国家なり」と宣言し、世界は鉄道に注目する

  • 昭和解体②

    主人公・三人組は全員東大卒で いわゆる本社採用学士。気が強く、地方のことはあまり気にしない。私とのやりとりがあった某氏の例を挙げてみよう。氏が本社経理局の調査役の頃。氏は利益第一主義。九州の下級線の保守状態は最悪だった。脱線事故が起こりそう、修繕費の予算

  • 昭和解体①

    長男がやって来た。【昭和解体/牧 久著】※という分厚い本を置き、「まだ読み終わってないので次回持って帰る」と言う。内容は国鉄民営化の経緯である。父親が国鉄職員だったから国鉄のことに興味があるのだろうか?昔の私だったら一気呵成に読んだだろうが、今はそうでな

  • 帯状疱疹

    腰、背中、腕の痛みに耐えきれず、皮膚科の先生に診て頂くことにした。先生は一目見るなり「こりゃあ 帯状疱疹だよ。」と。治療方法として注射、コバルト照射、塗り薬を受けることに。帯状疱疹の説明書も戴いた。説明書を読むと「4週間から8週間で治癒する」とある。更に読

  • 野菊の如き君なりき

    国鉄に就職し現場に配属された時、二本立て・三本立ての映画を年間百本近く観た。【野菊の如き君なりき】は切なかった。伊藤佐千夫の〈野菊の墓〉が原作だ。その著書を夏目漱石は激賞したが、文芸評論家は酷評した。確かに氏が本領を発揮した短歌とは文章力に差があり、決し

  • 攻防の顛末②

    その情報源は局の某課長だった。その課長は情報を漏らすことで人間関係を作り上げ、労務関係を円滑にする手段として利用する、という考えだったに違いない。私はその様な策をとることなく、施設・土木関係者の人事を発令した。それがAの恨みを買い、遺恨が残ることとなった。

  • 攻防の顛末①

    薩摩の芋蔓・肥後の引き倒し、という。薩摩の場合は信頼する人を皆で押し上げ、引っ張って貰うという意気込みがある。今でも鹿児島県人会というのは全国的な組織である。肥後の場合は周りに突出する人間がいた場合、その足をひっぱるケースが多い。幕末の肥後藩士・横井小楠

  • 伴侶を偲ぶ④

    彼女の60歳を超えてからの関心事は、母の介護と真宗のお寺で説法を聞くことだった。その他に趣味としての歌があった。歌の場合、三代目海沼実先生の指導を受けるようになってからはCDやテープの類を整え練習に余念がなかった。ちなみに三代目海沼実先生とは、戦後の日本童謡

  • 伴侶を偲ぶ③

    もうひとつの特性は一途さであろうか。刺繍・パッチワーク・草木染め・藍染めとその趣味は変遷したが、それぞれ一定のレベルに到達したのはその一途さが因であったろう。私が再就職してから、彼女は骨董の世界にのめり込むことになる。骨董屋に足繁く通ううち、その店の奥さ

  • 伴侶を偲ぶ②

    北九州市小倉出身の作家に岩下俊作氏が居る。氏の代表作【富島松五郎伝】は映画化され唄にもなった。「口も荒いが気も荒い」は小倉の風土をデフォルメしているのか、そうでないのか。小倉生まれの伴侶は、周りの人々に対する思いやりもあったが、物怖じしない性格だった。そ

  • カルメン故郷に帰る

    印象的な映画作品を挙げる。日本初のカラー映画【カルメン故郷に帰る】。製作1951年、大映配給。監督・脚本、木下恵介。キャストは高峰秀子・佐野周二・笠智衆・小林トシ子・井川邦子他。この映画には軽いカルチャーショックを受けた。子供の頃に木から落ち、すこしばかりお

  • 延岡・鮎やなに行く②

    N君は早速焼酎二合を註文している。私はかっぽ酒。銘柄は延岡地酒の【千徳】という。生まれて初めてのかっぽ酒(※)である。※かっぽ酒とは青竹の筒に酒を入れ、囲炉裏や焚き火で燗を付けたもの。気の毒だが、運転担当のF君にアルコールを飲ませてはならない。またの機会が

  • 延岡・鮎やなに行く①

    ミニ同窓会の席上、鮎ヤナに行くつもりだと呟いたら、N君が「俺も行く」と言い出した。更にはF君も「俺も行く」と言う。N君は独り暮らしだから時間を持て余している。F君は旅行好きでマイカーを運転し北海道・本州を一周してきた豪の者。話は決まった。秋風がそよぎ始めた十

  • 八代にて

    熊本に来て二年後に八代の保線区長に着任した。そこでは勢力争いの厳しさに閉口する。流れには三つある。一つは穏健常識派。無関心を装っている。二つは国労・社会党派。これは厳しい。三つは組合系に反発し公然と立ち向かうグループ。トラブルが絶えない。前任の区長はどう

  • 熊本にて

    熊本に左遷されたからといって、落ち込む余裕はなかった。驚くこと、反省することが多かった。当時の私は土木関係には多少の自信があったが、経理関係には弱かった。勉強する機会が少なかった故でもある。ある日曜日、主計課の某係長が工事課の担当者に諸々の質問をしたが、

  • 抜擢と左遷⑤

    後日談として、保線系統は私の受け入れに前向きだったらしい。鹿児島本線の、どこでも南向庵君の希望する保線支区長に、ということだったらしいが、私の耳に入ることはなかった。もっとも、私が応諾するかどうかは別の話である。反省材料としてアドバイスは課長に直接、とい

  • 抜擢と左遷④

    北九州・福岡地区の各駅頭にはダイヤ改正の時刻表どおりに列車は動かない、臨時列車のお知らせは次の通り、という掲示物や短冊が林立した。門司局全体の恥だった。責任者である工事課長の責任が問われた。本社採用の課長は三十歳少々で若かったが、鉄道建設公団へ出向となり

  • 抜擢と左遷③

    時が流れ、部長、課長が交代する。そして昭和43年10月の白紙ダイヤの時を迎えた。白紙ダイヤとは列車時刻表を白紙に戻し、全面的に改訂しようとするもの。実施にあたっては列車の行違い停車場の新設や、新型車両の投入等がある。工事課案件で、長崎本線での行違い設備新

  • 抜擢と左遷②

    どういう試験になるのか判らなかったが、ともかく勉強した。K補佐は私に対して面接の模擬試験を特訓して下さった。一次試験の初日は技術。自信はあったが、殆ど満点だったらしい。二日目は労務管理。この部門はあまりよくなかった。施設部の総務課長から「もっと勉強せねば」

  • 抜擢と左遷①

    門司局工事課の課長交代。新任のT課長が言ったという。「南向庵君はどこにいる?」「日田の線路分区長をやっています。」「すぐ、呼び戻せ。」かくて、再び門司局工事課に。T課長は相当の切れ者だったし、太っ腹でもあった。なにしろ三十歳ばかりの二級課員に土木部門の近代

  • 日田へ②

    仕事は少々楽になるかと思っていたのだが、そうでもなかった。着任したその年から久大線の軌道強化工事が始まった。工事計画の策定・資材関係・助勤計画・勤務関係その他事務関係が諸々。事務職が欲しいので要員配置を願い出たところ、いいだろう、その代わり班員を減らせと

  • 日田へ①

    門司局工事課在籍中は多忙を極め、疲れ果てていた。次第に体調がおかしくなり、体重は五十キロを割り込んだ。激務から解放されたい一心で、課長に「現場に出して下さい。」とお願いする。そして日田(※)の線路分区長として着任。この分区、三つの線路班があり職員数24名

  • 秋の西都原

    畏友M氏からお誘いがあり、一緒に西都原の古墳群を見物に出かけた。目玉はコスモス群だが、その他に土曜から日曜にかけて開催される古墳まつりにも興味がある。出発に先立ち、インターネットでコスモスの開花状況をチェックしてみると、台風21号・22号の影響を受け、惨憺

  • 九州のポンペイ④

    さて潜竜駅の復旧工事以降、難しい仕事が割り当てられるようになり、身も細る思い。週に二日は帰宅できない状態であった。そんなある日、同僚の某氏に転勤の辞令が下り、助役として他県に異動した。彼の設計した工事は私が担当せよ、との指示。が、多忙ですぐにチェックする

  • 九州のポンペイ③

    C案とはいっても搬出土量は二万㎥ほど。大型の土木機械を使用しなければ年内に完成しない。ところが九州にはそれがない。係長は東京の工事局に話をつけ、必要機械を手配して下さった。東京オリンピック開催直前で新幹線・東京~大阪間の盛土工事に目途がついた時だったから、

  • 九州のポンペイ②

    施設部長は激怒した。「この線路は北松浦郡の人達にとって生命線じゃないか。」「早く、安く仕上げる工法を議論しようというのに、何を言うのか。」「お前の出る幕じゃない。経理部長はどこに行った?呼んでこい。」主計課補佐はすごすごと部屋を出ていった。安く、早くはC案

  • 九州のポンペイ①

    昭和三十七年の梅雨時、長崎本線は豪雨に見舞われ大災害が発生した。保線区だけでは対応できないので、現場の仕事が出来る工事課員は殆ど出動した。私に声がかからなかったのは最年少だった故だろう。数日後、松浦線の潜竜駅(現在の松浦鉄道西九州線潜竜ケ滝駅)で大災害が

  • 多忙な日々⑤

    昭和三七年、嘉麻川の橋梁改良設計を命じられる。ここは遠賀川の上流で複線の筑豊本線が走っている。延長は百三十メートルばかり。予算は今のレートで二十億円程度だろうか。計画書を見て思ったのは構造が私の感覚に合わないということ。K補佐に計画を変更したいと申し出たが

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