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  • 6月30日であろう 〜村娘ファンタジア〜

    目の前を歩いてきたお嬢さんの服装が随分と異世界な町娘スタイルで可愛らしかったのでわたしの異世界転生スイッチがONになってしまって、すぐさまSpotifyで「ザ・なつやすみバンド」のファンタジアを再生する。 するとたちまち世界はほんの少しビビッドになって、あらゆるものがキラキラした魔を宿す。意識は現実を理解しながら正しく否定して、あいまいになったそれらに妄想のテクスチャを縫い合わせる。するとだんだんアスファルトを踏む感触がふあふあしてきて、おそらくスーパーを目指していたであろうわたしは目的さえも見失ない、立ち止まり、再考する。 そうだ、明日はカーマの日だからパネの実と葡萄酒を市で買って、それから…

  • 6月29日であろう 〜ファンの役割〜

    どんな世界にも「すき」と「きらい」がある。わたしが最近ハマっている『Vtuber』の界隈にも、その絶対的な2択はもちろんあって、色々なSNSで、彼ら/彼女らは「すき」と「きらい」の渦中にある。いわゆる「きのこ・たけのこ戦争」みたいなものが毎日のように起きていて、それだけ世に浸透してきている、と言えば耳障りは良いのかもしれないけど、やっぱり自分の好きな方々を交流する場が、紛争地帯みたいになってしまうのは非常にロシアな気分になってしまう。きらいならきらいでそこで完結してしまえばいいのに、どうして「きらい」から「アンチ」に進化してしまうのだろうか? Vtuber好きなら一度は耳にしたことがあると思う…

  • 6月28日であろう 〜起きて5秒の思考戦〜

    夜職の友人がいて、時々わたしが絶対寝てるであろう時間帯(深夜2時とか)に連絡をしてくることがある。何してる?といった無味無臭の質問が多くて、たぶん酔っ払っているのでこういう水みたいな何でもないやり取りを本能的に求めているのだと思う。もしかして本人的には返答なんてどうでも良くて、日常と非日常のコントラストを眺めているだけなのかも。大抵は気が付かないまま寝ているか、メッセージをみて力尽きてしまうのだけど、たまには相手に「なんじゃそりゃ」と思わせたい。水のはずがチャミスルだったみたいな、びっくり感とナナメウエの返答だけが、物語を作るのだ。なんだけど、いつ来るかもわからない、ましてや寝起き5秒で気の利…

  • 6月27日であろう 〜モノを落とすということ〜

    唐突に鶏皮の話をする人が居たとして、わたしは鶏皮については焼き鳥か、鶏皮ポン酢くらいしか話すことがない。そう考えると、彼ら(鶏皮)または彼女ら(鶏皮)について、恥ずかしながらわたしは何も知らなかったのだ。鶏皮のことを知らない。なんだかそれが、まるで正しい教育を受けていなかったように思えてきて、鶏皮と、恐らく鶏皮が凝着しているであろうモモ肉に対して、鶏皮を繋ぎ止めていた一個の生命に対して、想いを馳せる。嗚呼、鶏皮。鶏皮。要は、道端に落ちている落とし物のお話。 ピカソのらくがき 落とし物、というとネガティブなイメージが付きまとうけれど、私のイメージは逆で「ピカソのラクカギ」みたいな美しいものだと思…

  • 6月26日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 大きなかぶ完結編。 ふたたびカブと向き合い、家族のために立ち上がったおじい。しかしねこはだめだ。これが悪手だった。いぬがねこを呼んできたので完全に心が折れてしまったのだ。空は知らずに青く照り、カブはすくすく育ちましたとさ。

  • 6月25日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 絵本を整理していたら、大きなかぶに魅せられてしまった。かぶの抜けないおじいの哀愁。男は背中で語るのだ。おばあの慰めも、今は届かない。

  • 6月24日であろう 〜ふかふかのりんご〜

    #好きだった給食 わたしの地元はいわゆる「りんごが有名な県」で、特に田舎の方は、どこの家庭も大抵は親戚がりんご農家だったりとか、何かしらのりんご関係者と繋がりがあった。だもんで、子どもの頃は毎日のようにりんごを食べておりました。当時一緒に住んでいたおじいもご飯時には、一日一個のりんごは万病を遠ざけるんじゃ、と毎日毎日ハト時計みたいに教えてくれて、わたしはその教えを忠実に受け止めて毎日毎日シャクシャクシャクシャクりんごをかじっていた。シャクシャクシャクシャク。そして、唐突に飽きた。 毎日りんごシャクシャインの儀は、小学生のわたしからりんごのありがたみを奪い、蜜に舌を飽きさせてしまうのに充分すぎる…

  • 6月23日であろう 〜日記欲〜

    日記欲が止まらない。 だれに向かって、何のためにか、わたしにも分かりませんがきっとこれは私にとって大事なことなのだと直感する。理解は出来てはいない。他人の日記を読むのも楽しい。なんていうか、さんまの”わた”みたいな、クセになる味だ。人間というエンタメは、上っ面だけでは物足りない。日記はなんだかその物足りない部分が垣間見える気がする。普段からグミばかり相手取るわたしは、そのドロドロとしたわたの部分に安心する。グミ人間にも内臓ちゃんとあるなって。日常に無い苦味が、でっぷりとしたガワにマッチした良い味わいになる。でもたまにドーナッツみたいな人間もいて、そういう人は日記を読んでもよくわからない。甘そう…

  • 6月21日であろう 〜王の余韻〜

    子どもの誕生日から一夜明け、あじさいの色が美しく映える6月の朝。我が子は未だに王冠を被って、本日の主役!と書かれたタスキを着けている。どちらもダイソーで買った当日を賑やかすためのアイテムだったけど、大層お気に召したらしい。昨日は甘々の甘で、考えつく限りの傍若無人で酒池肉林であった「王の体験」を引きずっているのだろう。朝からぐるぐるストロー付きのタンブラーにオレンジジュースを入れて、ソファーにふんぞりかえってトムとジェリーを見ている。よく見ると、わたしのサングラスまで引っ張り出して装着していて、昨日より随分とパリピ感があった。昨日であれば、かしずいて巨大な葉っぱで仰いであげても良いのだけれど、王…

  • 6月21日であろう 〜いそがしい焼肉〜

    近所にある焼き肉屋さんはとても美味しくてリーズナブルでもあり、さらにはからくり屋敷でもあった。 以前、この店に子どもを連れてきた時、誤って掘り炬燵の下にコップを落とした時があった。幸い、中身は何も入っていなかったのですが、落とした瞬間に何故か掘り炬燵の側面がカバの口みたいにパッカリと空いて、コップを飲み込んでしまった。その後、何事もなかったかのようにカバの口は閉じられてしまい、店員さんにそのことを伝えると、ウフフと笑って代わりのコップを出してくれた。きっとこの焼き肉屋さんでは、そういったからくりが横行していて、慣れっこなのだろう。子どもは忍者の家みたいだと喜んでいて、わたしも盆と正月がいっぺん…

  • 6月20日であろう 〜スケスケのドメイン〜

    今週のお題「わたしのドメイン」 パンティの人気上位3つを当てる千鳥さんの番組をケタケタ笑いながら見ているとき、何気なく開いたはてなブログのお題が「わたしのドメイン」であるからして、ドメインを知らないわたしは、パンティの刷り込み効果により雛鳥のごとくドメインが原初のセンシティブなワードで大淫靡であると認識した。ふんだんにレースをあしらったスケスケのドメインは、あろうことか人間のいちばん柔らかな心情を濫がわしく全世界に露呈させ、ドバイにある超ど級の建築物みたいに、人類の恥部意識感覚体をかき集めて作られた非常にけったいなマグニチュード58.0クラスの激しい愛欲が身体をちぎらんとする程に込み上げてきて…

  • 6月19日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 光と影。激と静。表裏一体ツインネコ。めちゃくちゃ威嚇されたけど写真は撮らせてくれる、慈愛と観念のツインネコ。ふたつの花弁は、ツユクサのような美しさであった。

  • 6月18日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 クソデカプチプチを見つけた。きっと巨人の梱包材なのだろう。それとも地底には小人族がいて、わたしたちを梱包するために開発した兵器がこのクソデカプチプチなのかもしれない。ふみ心地はあんまり良くなくて、デカすぎるプチプチはプチプチしがいが無いという学びを得た。

  • 6月17日であろう 〜賞味期限の魔女〜

    「年上の後輩のおばちゃんが、賞味期限切れたお菓子ばかりくれるんだけど魔女なのかな?」 友人からLINEが来て、そりゃあ魔女案件だね、とわたしは返す。でも魔女だから、負の賞味期限なのかもしれない。なんてったって、相手は魔女なのだから、俗人が定義した数字ではなく、ちゃんとお菓子と対話してそのお菓子が究極的に美味しくなる瞬間を魔術的に見極めた結果、単に賞味期限という数字を超えてしまっているだけで、むしろそこから善の賞味期限が始まるに違いない。善の賞味期限は人知を超えたスーパーフードの指標なのだ。 「でも、グミなんだよ?」 賞味期限の切れたグミはいやだなぁ。やっぱり賞味期限って大事だ。魔女がくれるお菓…

  • 6月16日であろう 〜なんでもない日〜

    今日はどうやら和菓子の日らしい。朝の情報番組が美味しそうな和菓子を美味しくいただいているのをみて、わたしも負けじとパイの実をかじる。和菓子の日にせめてもの敬意を払い、飲み物はあっついお茶にする。わたしはあんこが苦手なのだけど、何故和菓子を美味しそうと感じたのだろうか。少し意識が宇宙に飛んで、流石は和菓子の日だなって思った。 そもそも今日は何の日なんだろうか。インターネットで調べてみると、今日は手羽トロの日らしい。要は手羽元から骨を完全に取り除いた美味しいに特化したモードが手羽トロらしい。さっきパイの実を食べたのにもうお腹が空いてくる。冷凍庫を開けたらチンするやきとりが入っていたけど流石にやめた…

  • 6月15日であろう 〜ペンギンのゆくえ〜

    子どもがマインクラフトというゲームをしていた。レゴブロックみたいに世界を想像するゲームで、せっせと牧場みたいなものを作っている。どんな牧場を作っているのか聞いてみたところ、人間牧場を作っているらしい。牧場の柵にはスイッチが設けられており、押すと火矢が発射される仕組みで、悪いどろぼうが来たときに作動させるらしい。その説明のあいだに、無実の3人が火矢で死んだ。 これは良くない!と思った。わたしが知らぬ間に、我が子は独自のイカゲームを構築しているではないか!この世界観は20年早い。まっとうな道へ導かねばならない。我が子にはまだ、人間社会を構築するものが愛であると信じていて欲しい。とりあえず今度の休み…

  • 6月14日であろう 〜本棚と成長〜

    今週のお題「本棚の中身」 はじまりは、確かベタに「ももたろう」だったと思う。次がカラスのパン屋さん。子どもが生まれたときに、ロココ調の大変可愛らしい、ちいさな本棚を買った。少しずつ絵本を増やそうと思っていたら、その話を聞いた父が絵本30冊セットを買ってきて、いきなり半分以上埋まって笑ってしまった。現在、その本棚は寝室に置いていて、子どもが寝る前に好きな本を一冊選んで、それを読むことが我が家のナイトルーティンになっている。けれど毎日ローテーションで繰り返し読んでいると、子どもなりに一軍と二軍の絵本に別れてきて、一軍の絵本ばかり読むようなった。特にストーリーと言うよりは、イソップ物語に出てくる妙に…

  • 6月13日であろう 〜シンデレラ・ステップ〜

    いつもはベッドに入ると5分で入眠出来るのですが、今日は中々寝付けなかった。ひつじを数えるような早さで、自分の寝れない理由を考えてみる。すると、5ひつじ目くらいで人間力が低下していることに気がついた。これは良くない。人間力の低下は生命力の低下であるからして、何か楽しいことをしないと生ける屍になって地球破壊願望に苛まれてしまう。全てを憎んで、たぶんきっとおそらくたぶん、わたしは大変イライラしてしまう。では楽しいこととは何だろうか?考えて、1ひつじ目でコンビニをくわえた羊が脳を横切る。反射的に何故コンビニなのか考えようとしたけれど、無粋な行為と思い止まる。何年わたしはわたしをやってきていると思ってい…

  • 6月12日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 ダイコンが余っていたので、大根おろしスープを作った。はじにあった大根のかたまりが何だかうさぎの形に見えたので、のりで顔を作ったらうさぎ大根温泉になった。わたしもたまには温泉宿でのんびりしたいものである。

  • 6月11日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。旅行のお土産を持って、友達が家に遊びに来てくれた。何でも、高名なお寺で売っている呪いの藁人形らしい。嫌われているのだろうか?もし誰かに使うことがあるのなら、その時は愛でころしたいな。ブスッと。

  • 6月10日であろう 〜表現の限界〜

    たすけて。ルンバがベッドの下から出てこなくなった。這いつくばって、ベッドの下から手を伸ばすけど、もう少しというところで手が届かない。なんどやっても届かない。というか、ルンバが意志を持ち始めた。手が届かないギリギリのところでUターンするようになった。壁ないじゃん、そこに。わたしの手を華麗に回避するルンバ。届かない。押してダメなら引いてみろ作戦も試してみたけど、よほど居心地が良いのだろう。同じところをクルクル回って喜びを表現している。なんていうか、急に表現の限界を感じた。何故なら、このルンバとの格闘は10分は続いていたのです。手を伸ばす、届かない、手を伸ばす、Uターンするを20回はした気がする。途…

  • 6月9日であろう 〜きらきら〜

    日記なのだから、当日の「できごと」を書いて然るべきなのかもしれない。そっちの方が、なんとなく生きている。文書に血が通っている。けれど新鮮な「できごと」を調理するのではなく、記憶の冷蔵庫から冷やっこい「上野」を取り出す。上野はまだ霜が付いておらずつるつるとしていて気持ちが良く、わたしは安堵感を覚える。だから、目を閉じる。五感の一つを閉じて始める追憶の旅。わたしの上野の追憶の旅。 上野動物園では、長い足でヘビを踏みつける鳥が飼育されている。長い足でヘビを踏みつける鳥は、ヘビだけじゃなくて小型の哺乳類や昆虫など幅広い動物をその長い足で踏みつけるらしい。長い足でヘビを踏みつける鳥は、まるでバレリーナの…

  • 6月8日であろう 〜寿司職人が来るよ〜

    商店街を散歩するのが好きだ。 おそらく商店街の重鎮であろう、お肉屋さんのメンチカツをオヤツ代わりにかじりながら歩いていると、なんだか自分が物語の一部になれる気がする。自分の何気ない散歩が、虎の威を借りる狐みたいに「さくひん」に昇華されて、少し心地が良い。普通の昼下がりが、淡い昼下がりになるみたいな、そんな小洒落た背景に。 美しいみどり色したクリームソーダがディスプレイされた喫茶店の前を通ると、貼り紙を見つける。まさか閉店?こんなにクリームソーダが似合う喫茶店なんて、他にはないのに。勝手に絶望を感じて貼り紙を覗き込んでみると。 「○月×日 15時〜 寿司職人が来ます!」 えぇ!?あの寿司職人🍣が…

  • 6月7日であろう 〜お題に気付かされた日〜

    今週のお題「夏物出し」 子どもが産まれてからというもの、夏には田舎に帰ることが我が家の風習になっていた。それまでは、自分の予定を優先させていたので、少なくとも毎年決まった時期に帰省することは無かったように思える。特に実親と仲が悪かったという訳ではないけど、「子はかすがい」という言葉は夫婦間だけではなく、親子の間も取り持つ言葉なのかも知れない。ドアを開けた時の両親の笑顔と、照れ臭そうにちいさく挨拶をする我が子の距離感は確かに愛と呼ばれるもので、その距離感は、わたしと両親の積み重ねて来た弛み無いアンサーのように思える。 せっかくの帰省なので、着るものは親子ともに気を使う。普段から子どもの洋服は買い…

  • 6月6日であろう 〜マリオBダッシュ理論〜

    ブログを始めて早いこと1か月が経過しようとしている。 色々な方のブログを拝見させて頂いて思ったのは、投資ブログだとか、アフィリエイトブログだとか、オカネモチになるためのブログが多いなぁ、ということ。みんな、オカネモチになってどういうことをするのだろう?勿論、お金は必要不可欠だし、我々人間はお金に生かされている身分なので、批判的なことを言うつもりは無い。お金大好き。わたしだって札束のお風呂に入りながらパイの実と飲むヨーグルトで人生に乾杯をしたいくらいの、ささやかな願望はある。オカネモチブログを書いている人たちは、何が欲しくてブログを書いているのだろうか。そりゃお金なんだけど、そのお金で何を手に入…

  • 6月5日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。やはり有名的のホットケーキはひと味もふた味も違うところか、38味はちがう気がする。ハリケーンの様に襲い掛かる美味。しかもカリモフであるからして、えらい。ほんともう、大変えらいホットケーキである。「ほんともう」と「フォンドボー」は似ている。ほんともう、ため息が出るほど美味しい。

  • 6月4日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。灼熱の太陽の下、ゾウの系譜について学んだ。ゾウのすぐとなりマンモス!ゾウのすぐとなりマンモス!ってなった。石器時代が江戸時代くらいに感じて、帰りにパンダせんべいを買った。パンダせんべいを買ったのは嘘。

  • 6月3日であろう 〜なんちゃら高原から愛を込めて〜

    朝起きると開口一番、「しにたーい。」と呪詛みたいな言葉が、脊髄反射的に放たれる時がたまにある。もちろん、本当に命を絶ちたいとかではなくって、やけどを負った舌がピリピリして食べる際に若干のストレスを感じることとか、お気に入りのソーシャルゲームの新しいガチャイベントで、モーニング爆死したことだとか、第一次猫糞害戦争が勃発していることだとか、そういう直視できない事実に対して、私のこころが均衡を保つための、防衛本能みたいな「しにたーい。」なのだ。 そんな自販機みたいな軽口で、自分の中にたまった”うみ”をほんの少し掻き出して、なまりのような体にムチを打ち、ベッドから這い出てキッチンへ向かう。残りの"うみ…

  • 6月2日であろう 〜失うということ〜

    カモノハシがカレーを食べてガァガァとがなる夢を見て、カモノハシが本当にガァガァと鳴くかどうかは分からないけど、何となく天啓を受けた気持ちになる。天啓は、わたし自身も気付かない深層心理を引きずりだして、使い魔であるカモノハシでわかりやすく教えてくれるのだ。じゃあもう今日は天啓カレーじゃん。そう気付くや否や、つま先から天辺までピシャゴロンと雷に撃たれて、カレーのことしか考えられなくなる。天啓ピシャゴロンカレーが食べたい。近所のスーパーに向かい、さっさとカレーの材料を仕入れる。天啓にはなかったけど、どうしても豪華絢爛天啓ピシャゴロンカレーにしたかったので、お惣菜コーナーでカニクリームコロッケを買う。…

  • 6月1日であろう 〜インスタント酒場・蜃気楼〜

    この人たちは何にならんでいるのだろうか? おじいちゃんの箸の色みたいな雑居ビルから伸びる人の列。気になってビルの周辺を探ってみるけど、美味しそうなホットケーキを出しそうなカフェも、超ニッチ個展も開いてなさそうだ。並んでる人達のジャンルも様々で、老若男女の見本市のようだった。行列の正体を明かそうとも考えたけれど、不思議は不思議のままが良いなと思い直してスマートフォンを仕舞う。たちまち行列は背景に戻り、大きな二枚貝が見せる蜃気楼のように、わたしの意識をけむに巻くのだ。 行列の誘惑を超えて、さすまた柄のガードレールがある道を歩く。人通りは少なく、クルマもさほど通っていないようで、閑静な住宅街という表…

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