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  • 2月7日であろう 〜生命のスープ〜

    究極的には、わたしが幸せになる方法だなんて推しといちゃいちゃするか、ハイパー美味しいお味噌汁を飲むことなのだ。おみおつけ、と言い換えても良い。シンプルが良い。わたしはずっとシンプルの正体が何であるかを追い回していて、シンプルであることは幸せを模る"わく"のようなものだと捉えている。シンプル自体に実態はなくて、そこに何かがハマって初めて幸せになるのだ。そのひとつがおみおつけであり、おつゆと言い換えても良い。今日は仕事で外出の日でしたが、お昼ごはんで立ち寄った定食屋さんのお味噌がハイパー美味しかった。すごい食べたことない味がした。複雑な旨みで、全然シンプルじゃなかった。ナチュラルウッドのテーブルに…

  • 2月6日であろう 〜ビジネスのうみそ〜

    今日はどうしても朝早く会社に行かないといけなくて、しかもわたしがお客さんに色々説明をしないといけない立場でもあった。朝からハイパーメカプレーリードッグなみにバタバタと準備して、ハイパーメカプレーリードッグなみのスピードで電車に乗り込む。雪の影響は特にはなかった。電車の中で説明の手順をおさらいする脳みそ。これが良くなかったのです。通勤時間のブログは半日課になりつつありますが、ぐうの音も出ないほどのビジネス脳みそになりまして、全く言葉が出てこない。全部相対性理論と、たくさんの円周率と、むかし一回だけ本で読んだことがあるうんかかんか理論しか出てこない。語尾も「であるからして〜」って、なんかロジカルな…

  • 2月5日です間違いありません 〜飲み会〜

    今日は東京雪でしたので、前々から予定されていた飲み会はきっと中止になって、なんなら危ないから早く帰りなさいみたいなムーブになるんだろうなぁと思っていて浮き足だっていました。気がついたら飲み屋に連れて行かれてました。この世に神はいないんだなって思いました。イエス・キリストは役立たずです。半地下の個室の飲み屋さんで、上司達が雪見酒ですね、なんて言ってるわけですよ。窓ないけどなぁって思いながら、りんごサワーを飲んでいました。でも生姜のスープのお鍋は大変おいしかったです。上司がずっとゴマだれが無いことに憤慨しておりましたので、その度にわたしはメニューに書いてある、当店の生姜スープへのこだわりについて朗…

  • 2月1日であろう 〜物語りが生まれるとき〜

    久しぶりにゲームにハマっています。 パルワールドというゲームなのですが、非常にインテリジェンスに他社の大人気ゲームをパクられている豪胆な作りなのです。それでも愛らしいパルたちがブロイラーのようにコッココッコとひしめく光景は、パクリを超えた並行世界を構築し、わたしの琴線を引き裂くのに充分な加速度を有しておりました。パルたちはプログラミングされた世界で文字通り生きておりまして、生きることは物語りを生むことと同義なわけです。0と1の羅列が生み出す感情の機微。やっぱりゲームは人生の師だなって気付かされます。 わたしの拠点にいるタマコッコ。初めて来たときから、延々に木箱の上から動きません。他のパルたちが…

  • 1月31日であろう再び 〜短歌の日(短縮版)〜

    言葉がふつふつと湧いては消える。サイダーの泡みたいだなぁ、と書こうとして、いや気取りすぎてるしありきたりな表現だな、と思って消すのですが事実サイダーの泡みたいに言葉がふつふつと湧いては消えるので、事実じゃんと思ってやっぱり書いた。このブログは事実で構成されているのです。しかし言葉ってやつぁ、本当ねこ🐈みたいに擦り寄ってくるくせに、欲しいときにはやっぱりねこ🐈みたいに自由に、優雅に、わたしの前から姿を消すのだ。いつか言葉の鍵尻尾にAppleタグを付けて、居場所を特定してやろうと思う。ふつふつふつふつ。まだ言葉は繋がらない。触れると弾ける。ぱちぱちぱちぱち。祝福するなよう、言葉の出ないわたしを。 …

  • 1月31日であろう 〜会話劇〜

    「最近ポエムを書くことにハマっててさ」 「へぇ、ポエム」 「そう、ポエム。乳首について唄うポエムなんだよね」 「わたしは新手のセクハラを受けてるの?」 「違うよ、全然セクシャルじゃあなくって、もっとアンフォメルでポエトリーなんだ」 「そうなんだ。アンフォメルなんだね」 「そう、とってもアヴァンギャルドなんだ」 「何のお話なんだっけか?」 「乳首ポエムを唄うお話だよ」 「なんだかアヴァンギャルドだね」 「でしょう?乳首はみんなに等しく付いているんだからね」 「セクハラだし、もう帰っていいかな」 「待って、実は乳首ポエムを書いて欲しいんだ」 「わたしに?」 「そう、キミに」 「乳首ポエムだなんて、…

  • 1月30日であろう 〜二律背反の恐怖とハッシュタグと〜

    楽しいことは楽しい。頭痛が痛いのと同じくらいあたりまえの感情。でもわたしの「楽しい」の感情の裏には明確な恐怖がついてまわる。黒ごまくらいの小さな種だけど、そこにある以上はゼロではなくて、ああこれが楽しめなくなったとき、わたしは死ぬなあ、みたいな致死量をはらんだ恐怖なわけです。恐怖はスパイスなんだろうか。楽しいの中にツーンと辛いわさびみたいに、楽し味を引き立てているのだろうか。楽しいは純度100%楽しさで作られていて、それがエンタメの正しい在り方なのであれば、わさびを乗っけているのはやっぱりわたしなのだ。たぶんわたしはエンタメを信じきれていないんだろうなと思う。メンヘラ思考そのものだけど、わたし…

  • 1月29日であろう 〜圧迫鍋卓〜

    今週のお題「最近おいしかったもの」 最近、圧力鍋を買いました。 たまにチャーシューだとか角煮だとか何らかの塊肉を煮込んだ時、我が家の食卓で決まった話題として、圧力鍋があったらもっとほろほろになるのかなぁ、という会話がある。でも決して、圧力鍋を買おうとかそういうお話にはならず、季節の時候というか、今日はいちだんと寒いねえ、といった感覚の共有みたいな話題。そうだねえ、きっとほろほろだねえって名前だけ知ってるあこがれの先輩みたいなほろほろさんに想いを馳せるものの、圧力鍋が我が家にくることは無かったのですが、家電量販店に買い物に行ったとき、何かのスイッチが入ったのか、はたまた月の導きか、ついでに圧力鍋…

  • 1月26日であろう 〜パルワールドのうた〜

    久しぶりにゲームしたい願望が強いので、歌います。 嗚呼〜パルワールドがしたい〜♪ 嗚呼〜パルワールドがしたい〜♪ みんなは〜ポケモンのパクリ〜だって、いうけど〜ポケモンは〜たくさんいる〜か〜ら〜しょうがない〜じゃん〜♪ わたしは〜キャプペンが好き〜♪ ちいさきものが〜もぞもぞ動くのが〜好き〜♪ やりたい〜けれ〜ど〜パソコンがないの〜♪ 調べたら〜xboxというやつでも動く〜みたいで〜 近くのGEOに行ったら〜置いてなくてさ〜店員さんにも聞いたら〜「xboxって何ですか?」って言われた〜〜よ〜〜〜♪ 知らん〜わたしも知らん〜♪ xboxは〜ま〜ぼろ〜し〜〜♪ 嗚呼〜パルワールド、嗚呼〜♪ xbo…

  • 1月24日であろう 〜切り札〜

    前の会社の先輩に急に飲みに誘われて、丁重にお断りしたら丁重にためにならないお説教を交えた追撃のお誘いが来て、いぬも食べないような押し問答が続いたのであった。ここまで美しいモラハラをするのであれば逆に面白いかも知れない、と思って飲みに行くことにしたのですが、行ったこともないような駅で待ち合わせを指定されて、すぐに後悔した。遠すぎるよ。 当日、1年ぶりくらいに合う先輩と社会人たる儀式的な季節の時候を交えたウェットな挨拶を済ませて、オシャレな居酒屋に連れていって貰った。何でも好きなものを食べなさい、と言われたので、牛タンビーフシチューを2つ頼んだら笑われた。俺はそんなにお腹空いてないから2人分頼まな…

  • 1月23日であろう 〜お腹いたいの術〜

    今週のお題「急に休みになったら」 何が言いたいかというと、まあまあオトナなわたしは急な休みだって作れるのだ。昔見たニンジャのアニメみたいに、こう指をしゃしゃしゃーってして、土煙が舞って稲光が鳴ってオトナにスマートに「休み」がぼわんと産まれる。わたしはこの術の名前に、忍法おなか痛いの術と名付けた。要は、めちゃくちゃ迫真の演技で上長に電話してお休みをもぎ取るわけですが、白鳥が水の中をかくように、当人の努力(忍法)なんて外の世界には見えないものなのです。大事なのは、わたし今日は元からお休みですよ?そんな忍法なんて使ってませんよ?なんて仕草でしゃなりしゃなりと休みを謳歌することなんだと思う。 そういう…

  • 1月22日であろう 〜マイティちから〜

    ぴしゃごろん。 3歳になる我が子の映画館デビューをしなければ、と天啓のようないかずちを受けて、休日は映画館に行くことにした。わたしはゴリゴリのアクション映画が好きなので、子どもにエクスペンダブルズとパウパトロールどっちが観たい?と聴いたらパウパトロール!という回答がありましたので、パウパトロールなのであります。 https://www.pawpatrol-movie.jp パウパトロール ザ・マイティムービーという映画なのでありますが、大変面白かった。普段から我が子に付き合い、パウパトロールは観ていたのですが、いつものほのぼのとしたトラブル解決は一切無くて、いつ人が死んでもおかしくないトラブル…

  • 1月19日であろう 〜楽園のお話〜

    今週のお題「一生モノ」 わたしがはてなブログを始めたきっかけは些細なもので、あこがれである。とても素晴らしい日記を書くニートブロガーがいらっしゃって、わたしもこんな文章が書きたい!と、夢と希望にあふれたスタートであった。ニュアンスとしては、暖炉の前でひげを蓄えたおじいさんがロッキングチェアをゆらゆらゆらゆら、篝火みたいにゆれながらニートのお話をしてくれて、わたしはその芳醇な物語に舌鼓を打ち、陶酔し、笑い、怒り、涙して、ねぇねぇおじいちゃん、それで?そのニートはどうなっちゃうの!?と、たまらなくニート求めて、篝火のおじいちゃんは暖かな眼差しを向けて、さぁ今日はもう遅いから寝なさい、と諭すのだ。こ…

  • 1月18日であろう 〜歩くような速さで〜

    というわけで、日記を再開したわけですが、何にせよ大層な空白期間があるわけで、まずはリハビリなわけですよ。でも文章を書くリハビリなんて文章を書くしかないわけで、わたしの心の中にいる大文豪先生が、ただひとこと「書け」と叱咤激励しており、天邪鬼なわたしの本体は、書けと言われたら書く気失いますよ?と、子供じみた交渉を行うも、空虚なお芝居は真冬の放射冷却をよりビビットにするだけであって、静謐な無。わたしは一息で世界をリセットすると、また歩き始めるのです。目的地のないお散歩。秋のどんぐりみたいに、そこら中に落ちているいい感じの言葉を拾っては、磨いて、湯掻いて、調理して。ああ、わたしの1日の始まりってこうだ…

  • ひかり

    要は「てんけい」というものなのだろう。 わたしがブログを消さないでいたこと、わたしが物語を辞めないでいたこと、ニートの奔流の中で、まるでそれらを指揮するタクトの様にチャミスルをふるい、わたし自身もニートの一部であることと摂理みたいな諦めと、ニートを拒絶する魂の歪み、二律背反のこころで踊り続けた結果、結局何も分からずにこうしてぽかーんと、あんぐりと、言葉にならない何かがペタペタと貼り付けられて感情を構築していく様は懐かしいような、夏休みの最終日に終わらない宿題を無心で手を付ける焦燥。のような。焦燥。焦燥。呪い。シャケ。カフェモカ。たぶんなんでもいいのだ。わたしにとって、文章を書くということは。お…

  • 11月21日であろう 〜ニャオハ〜

    わたしはニャオハに決めたのです。ニャオハの最終進化予想で心を奪われたわたしは、ポケモンセンターでニャオハのぬいぐるみを購入することで、ニャオハに対する正の感情を育んでおりました。 でもまだニャオハ出来ていないのです。我が子はサンタさんがニャオハをプレゼントしてくれると、その曇りなきまなこを輝かせ、来るべき日を心待ちにしているのです。それをわたしがニャオハしたいがために、ニャオハを購入して我が物顔でニャオハを見せつけることは情操教育的にNGであり、ニャオハが目指す秩序からは最も遠いところに位置するわけでございますので、わたしはニャオハしたい欲を抑え、心の篝火を見つめ、ニャオハ立つな!ニャオハ立つ…

  • 11月18日であろう 〜肉の食べ方を忘れた人たち〜

    ">お久しぶりです。 ">本業がひじょうにたいへんすごく忙しくて、文章とわたしの人格が混ざり合ってバターになってしまうことを無意識に避けていたのか、ブログのことをすっかり忘れてしまっていた。 ">でも、きちんとココを思い出して、お久しぶりです。なんて、おしゃまに畏まった挨拶をすると、私の中でそういう儀式が必要だったのかと思ったりもする。人の精神構造はなんともラビリンス。自分を書き残す旅は、これからもゆるうく続くのであります。 "> ">このお肉はどうやって召しあがるのかしら? ">物干し竿みたいな祭壇に干されたキュウリブタを前にして、思わずマリーアントワネットみたいな口調になる。上品な口調とは…

  • 10月10日であろう 〜コしか書けない〜

    わたしが日記を書くことはわたしだけのためであり、究極的にはわたしだけが分かれば良いのですが、何かと読みやすいので日本語で書いている。こう書くとわたしは日本語以外も嗜んでいるようにミスリードされるけど、そんなことは無いです。仕事柄、ちょろっとプログラミング言語は書けるけど。じゃあわたしだけ分かるということは、新しい「わたし語」を作ることに相違ありませんでして、じゃあわたし語って何だよとなりますと、カタカナのコだけで構成される言語なのでございます。この斬新な言語は、コに使われる3つの棒の長さで母音の強弱を表しまして、棒の揺らぎで子音を種別するのです。棒をなみなみにしたらアッハルです。早速書いてみた…

  • 10月8と9日であろう 〜人間との自然な距離感〜

    結局キャンプに行った。うらめしそうに予約キャンセルしたキャンプ場の天気を見ていたら、土日なら雨が降らない予報に変わっていたのです。でも自分から予約キャンセルしたキャンプ場の天気を欠かさずチェックしていて、天気が晴れだと分かったとたんに再度予約するだなんてとんだメンヘラストーカーではないかと思い直し、でもやっぱり行きたいなあという感情の破壊と再生を100万回繰り返して、やっぱり行こう!となった。幸いキャンプごっこはする予定だったので、準備自体は出来ている。ウキウキで寝ようとして、こりゃ明日が楽しみすぎて寝られませんなぁファファファと思った瞬間には寝た。 キャンプ場には人間しかいなかった。見渡す限…

  • 10月6日であろう 〜楽しいの根底にある恐怖〜

    最近急に寒くなったように、繁忙期というのも急に来るものなのである。そんなわけで、いっそがしい毎日を送っている。そうなると、楽しみにしていたキャンプごっこも少し億劫になってくる。見たい動画も加入しているサブスクサービスに溜まっているけど、なかなか見れないでいる。積み娯楽状態。多分なんだけど、何もしない時間を求めて、そして何もしない時間の価値が上がっているのだろうなと思う。そうなると、この貴重な時間を使って、様々な楽しいであろう行為をしたときに、楽しめなかったらどうしようという、どうしようもなくつまらない恐怖心がねばねばと足元に湧いてきて、娯楽に向かう足が止まってしまう。よっくないね。良くないんだ…

  • 10月4日であろう 〜くるくる回るあさ〜

    今週のお題「マイルーティン」 やっぱりルーティンなんて大それたものはないなぁ、と思う。そして、ルーティンがないということだけで、何だか正しい教育を受けていないオトナのように感じてしまう。ルーティンってどこで売っているんだろうか?大きく括るとたぶん人生はルーティンをつなぎ合わせて作られているわけで、わたしにもわたし自身が気付いていないマイルーティンがあるはずなのに、全然ルーティンの支配下に居る気がしません。 今週の題目を見てから、何となくルーティンを意識して暮らして見たけどルーティンのルの字もない。良いなぁ、ルーティン。意地でも探してやろうと躍起になっていると、ルーティンらしきタネを見つけた。わ…

  • 10月3日であろう 〜ぞうさん〜

    どうやら初キャンプの予定日は風も強くて雨も降るらしいので、泣く泣くキャンプ場をキャンセルした。キャンセル料金が5,000円かかるらしく、ルールなので仕方ないなと思う反面、何でただの原っぱのキャンセルで5,000円も取られるんだ、という悪しき感情がふつふつと沸騰している。そういう悪しき感情に囚われていると全ての物事に難癖をつけたくなってしまうわけで、お風呂に入りながら見ていた音楽番組で中高生に人気であろうバンドが織り成す、そのせつない歌詞に共感の嵐が吹き荒れるバズ曲が薄っぺら過ぎて、これが深いのなら童謡にある「ぞうさん」の方がまだ愛を的確に表現しているなと思った。昔流行った香水とかもそうだけど、…

  • 10月1から2日にかけてであろう 〜旅に関する11つの俯瞰的解釈〜

    ・わたしは○○歳である。そしてわたしは、わたしの生が周期したことによる影響で、この旅を終える頃には○○歳になる可能性がある。 ・月を表現したギターリフで目が覚める。そうしてわたしは草津に旅立つ。 ・ソフトクリームは美味しい。道中のBGMであるスピッツにとてもマッチする。 ・草津の宿について1番にしたことは、温泉卓球ならぬ温泉に入る前に一汗かくため卓球をすることである。汗はかかなかった。 ・湯畑を見た。みんな湯畑を背に写真を撮っていた。わたしはあみあみの排水溝から湯気がでる風景に夢中だった。美しく整備された湯畑よりも、わたしの足元にごうごうと流れる名もなき源泉を愛らしいと思った。わたしの手に持つ…

  • 9月29日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 ファミリーマートさんを覗いたら、チョコあ〜んぱんみたいなパンが発売されていた。もう誕生日はこれで良いと思った。わたしが購入したとき、見た目はこんなにふっくらしてなかったけど、温めればこうなるんだろうか?とりあえず色々実験したいから箱で買いたい。お菓子と同じくゴマみたいなのが散りばめられた可愛らしいきつね色はまさにチョコあ〜んパンで、なんだかデジャヴを感じる。ちなみに食べるとそんなにチョコあ〜んパンじゃない。チョコあん…

  • 9月28.22222222日であろう 〜パイの実みたいなデニッシュ〜

    ファミリーマートさんから、パイの実みたいなデニッシュが発売された。もう誕生日はこれで良いと思った。わたしが購入したとき、見た目はこんなにふっくらしてなかったけど、温めればこうなるんだろうか?とりあえず色々実験したいから箱で買いたい。でこぼこした可愛らしいきつね色はまさにパイの実で、でも食べるとそんなパイの実じゃない。たぶんデニッシュ生地がふかふかしすぎてサクサクじゃないからなんだろう。でもわたしはパイの実を食べているので、頭をかしげて表面のきつね色を見るとやっぱりパイの実なわけで、やったー!と思ってかじるとあんまりパイの実じゃないので脳がバグる。でも昔の人も、地球はパイの実みたいに平べったい地…

  • 9月28日であろう 〜脳みそ全部しごと〜

    脳に遊びがない。今あたまの中が全部仕事で埋め尽くされており、パイの実ひとつ入る隙間もない。時間もない。暇もない。まるで吉幾三さんの歌みたいな状況になってしまった。みんなどうやって生きてるんだろ、とさえ思う。余暇の部分が生きるなんだから、全部やることならそれは生きてないわけでそれはもうロボットです。わたしゃあロボットです。自宅から会社までウォータースライダーで繋がっていればいいのに。朝起きて、寝ぼけた状態で5キロくらいの長さのハシゴ登って、水着に着替えて、ウォータースライダーで30分くらいで会社に着くんですよ。水のせせらぎは副交感神経をうんちゃかんちゃしてくれるので、ストレスなく出勤できる。流れ…

  • 9月26日であろう 〜恋のほうれん草〜

    会社の後輩君に彼女ができたらしい。 先輩がアドバイスに乗ってくれたおかげです!と、はにかみながら伝える彼の顔はそりゃあもう何かの本でみた蘭の花のように咲き誇っておりまして、わたしは本当に何もしていないのだけど、そういう返答も無粋な気がして、じゃあ今度スタバでも奢ってね、と伝える。三連休の最初の日からお付き合いを始めたらしく、付き合いたての休日というのは、ふたりにとっての甘美なパイの実そのもので、それはもう夢のような時間であろうことは想像するに難しくなく、夜はずっと会話しながら一緒にスプラトゥーン3をやっていて寝落ちしたんです!というエピソードトークがなんだかいやらしい行為に聞こえてしまう。そう…

  • 9月25.195日であろう 〜実家の食生活〜

    実家では栄養素という概念がおおよそ抜け落ちており、久しぶりに会った我が子とその孫をもてなす食事の初手がセブンイレブンのソースカツ丼であったため、わたしは戦慄した。ぶぶ漬けを出す京都人の感覚なのだろうか。我が子はソースカツ丼を美味しそうに食べていて、わたしも食べると凄い美味しかった。両親と同居している妹と妹の旦那さんと一緒にハイキューを見ながら食べるソースカツ丼は、大学時代に友人のアパートで開催される宅飲みみたいな感覚を思い出される。味噌汁も出されてそれもまたセブンイレブンであり、とても美味しいなめこ汁であった。次の日は朝から用事を済ませて、晩御飯時に帰ってきたのですが色々食べてきたのでお腹は空…

  • 9月25日であろう特別編 〜美しい死〜

    わたしの実家は中途半端な田舎でして、3泊4日の帰省ツアーをしておりました。中途半端な田舎の何が良いかって、住宅街でクルマも通らなければニンゲンも歩いていない。周りの家には確かにニンゲンが住んでいるんだろうけれど、おおよそ生の気配が感じられない。いつも閉まっているラーメン屋さん、29年間歳をとらない近所の鯉。みずのあぶく。鳥と、草はなと、雲の息づかいしか聞こえないけれど、確かに根付く文明社会が何だか途轍もなく荒廃した世界観で、SFチックな舌触りなのである。だあれも居ない。家の前に出て、新鮮なSFの世界を味わう。地元の天然水を使った瓶サイダーを飲みながら観る入道雲は、チーズとワインみたいな美味しい…

  • 9月21日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 わたしの豆カンも古くなってきたし、ここらで新しい豆カン、すなわち新スーパー黒豆カンに切り替えようかなぁ!と思ったけども、まだまだわたしの豆カンも現役だし、そんな高性能な新スーパー黒豆カンは使いこなせないよなって思ったけども、でもなぁ、新スーパー黒豆カンってイイよなぁ。新スーパー黒豆カンを持っている生活を想像したら最先端の「よさみ」が体中を駆け巡る。新スーパー黒豆カンを買いました!使用感レビューブログを書けるなら、こん…

  • 9月20日であろう 〜飲酒の日〜

    仕事に行く前にジンジャエールをクイっと飲もうとしたら間違えて白ワインを飲んでしまってむせました。朝から飲酒だなんてすげぃロックンロール!って思ったのがこの日のスタートであり最高到達点でありました。電車に飛び乗ってブログを書き、無味無臭のお仕事を片付け、お昼にはお手製のお弁当を食べて、午後にはやっぱり無味無臭の仕事とzoom会議をこなし、顔あわせですと聞いていたのでカメラをONにしていたのだけどわたし以外全員カメラがOFFで、デジタル赤面してしまう。この頬の赤らみも0と1の信号で出来た羞恥心に彩られているのだなぁと感じて、とりあえずわたしだけカメラをONにして話し続けた。わたしは立派な社会人味を…

  • 9月19日であろう 〜夢うつつの幻〜

    トイレに行く夢をみてガバッと起き上がり、あぁ助かった、夢の中でトイレに行く夢を見るだなんて危うくお漏らしをするところだったぁと思ってトイレに行ったところでまたガバッと起きる。どうやら、トイレに行く夢を見て危機一髪の夢を見たようだ。夢がループしている。今は夢?それとも現実?ぼうこうだけが真実を物語っており、おそるおそるトイレに入ってもガバッとならないのでたぶん大丈夫であろう。 しかし、我ながらけったいな夢を見たと思う。まだ油断はできない。これは夢かもしれない。現実のわたしは排泄物の海で健やかなる惰眠を貪っているかもしれない。これが夢かもしれないなら、今のうちに楽しいことをしておかないともったいな…

  • 9月15日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 こんなダルメシアンもいるんだね。人型のダルメシアンは、犬型のダルメシアンよりも随分とお値打ち価格であった。よく見たらダルメシアンじゃないように見えないような、、、でもそんなわけないか。これはダルメシアンだ。

  • 8月14日であろう 〜とげとげタマシー〜

    子どもがお絵かきにハマっている。画用紙いっぱいに機関車トーマスの絵を描いていて、上手にトーマス描けてるね、と言うと我が子は「違うよ、これはタマシイだよ」と答える。わたしは「ほぅ」と唸り声。急に人生の果てにある哲学の話をされて、ほぅしか出ないオトナのわたしの、お菓子の包装紙のような薄っぺらい人生観はひどく軽薄であり、それでも山を越え谷を越えてきたわたしの人生は包装紙に包まれたパイの実のようにでっぷりとした恒星であり、タマシイを描いている我が子の太陽系を構成するための、くるくる回る惑星なのだった。トーマスと呼ばれていたはずのタマシイは、確かにトーマスでもあってタマシイでもあった。どちらも同じくらい…

  • 8月13日であろう 〜心のさび〜

    つかれた。 疲れはわたしの身体から色々なものを掠奪し、精神の自由に干渉する。最初はあいをうばわれた。あいを奪われたわたしは、コーヒーショップでちょっと高いカフェモカを飲んでも、本屋さんで夢枕獏の「仰天・俳句噺」を購入しても琴線は揺れず。琴線はやっぱり感情をならす弦楽器で、あいが弾き語っているのだね。あい居ないと何もできないじゃん、と思って連絡先を探すけどわたしはあいの連絡先を知らないのだ。自分のあいなのに、あいについてこれっぽっちもわかっていない。パイの実が64層でサクサク美味しいのはわかるのに、あいはついてはわからないのだ。それもこれも疲れが悪い。疲れは色々な良くないことを気づかせる。なんて…

  • 8月11日であろう 〜パンの住処〜

    小麦には神さまが宿っている。 お米一粒にも7人の神さまがぎゅうぎゅうにシェアライスしていますが、小麦にもたくさんの神さまが住んでいて、その中でもいちばん権力があり、高待遇なひとり部屋を確保されているのが大麦神の「でるめる様」であります。 でるめる様は、特にパンに対する待遇を向上させるためのパン労働組合を立ち上げておりまして、我が家におかれましても、パンをオーブンで温めた時によりふっくらとさせたいから、パンスチーマーを買ってたもれ〜、とおじゃる丸みたいな語尾で要求してきます。陶器で出来た食パン型のパンスチーマーは、水に浸けてオーブンに入れると蒸気を放ち、パン達のお肌がカサカサにならないようにケア…

  • 9月8日であろう(閑話休題)

    ブログというか日記のルールを変えます。 どにちはあそんだりねたりおうちのことをしますので、閑話休題は金曜日! ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 道端でマット?を脚立にのせて乾かしているのが、なんだか子馬の兄弟みたいで大変可愛らしいの一枚。シュミラクラホースと名付けましょう。主食はダイソン。大きくなると、毛がふさふさになって足も伸びる。脚立あつかいすると喜ぶ。じめんタイプ。

  • 9月7日であろう 〜火吹き子〜

    下の子の口まわりが何だか全てを破壊し尽くすオレンジのニュアンスで、近づいてみると小さな炎を吐いていた。呼吸するたびにゆらめくそれは、あまりにも美しい明確な殺意で、人々のまわりを明るく照らす殺意とは真逆の希望的何かであった。わたしの子は口から火を吹きながら、プラレールの線路を組み立て、電車で寿司を運ぶことを生業にしている。最近じょうずにおしゃべり出来るようになってきたのだけど、今日は言葉を発すると、ぼうぼうと口元の炎がにわとりみたいにがなり、それにかき消されてうまく声が聞こえない。自身のおかれた状況を知ってか知らずか、我が子は、ぼうぼう言いながら線路を指差し、何かをわたしに訴える。わたしは線路の…

  • 9月6日であろう 〜美食ブロガーとみかんゼリーと〜

    これは!なんと!!(ぴしゃごろん) わたしの脳天にいなずまが走る。ひとくち食べただけでこの世の摂理がわかってしまう、圧倒的に美味しいみかんゼリーです。嗚呼、なんて美味しいみかんゼリーなのだろうか。凄いみかんがゴロゴロしていて、まるで本物のみかんを食べているような錯覚。なんていうか、すじこくらい美味しい。わたしは、すじこが大好きであるからして、すじこくらい美味しいというのは最大限の賛辞である。みかんを取り囲むゼリー状のゼリーが乱反射して、みかんの世界観をキュビズムで光る波打ち際のルナティックなやつでさぁ。とにかく、これは美味しいみかんゼリーでした。 今週のお題「おすすめブログ紹介」 商品を紹介で…

  • 9月5日であろう 〜努力する猫とPUMAのサコッシュ〜

    猫をみょーんと長くして、マフラーみたいに巻いているおじさまがいた。たぶん何処ぞの王族なんだとお見受けします。猫はとてもリラックスした様子でみょーんとしている。ファッションとは自己の表現であって、時には寒い時期でも薄着をして、あっつい時期には厚着をして、そういう超個人的な良いベクトルの虚栄心の上に立っている美であるんだけども、いま我慢してるのはどちらかというとみょーんとしている猫ちゃんであって、ほんとうは水を掻く白鳥のような努力を課しているのではないかと心配になると、わたしの疑念に呼応するようにおじさまは胸ポケットからちゅーるを取り出してペロペロさせていて、これ資本主義だ!!ってなった。やっぱり…

  • 9月4.525日であろう 〜今日から夏よ〜

    人それぞれ、夏を始める儀式があると思う。 海に行くでも、BBQをするでも、フェスに行くでも、何かしらの儀式的な夏スイッチが脳内にあって、それをONにして初めて夏。OFFのままだと、ただの高温多湿なあっつい期間なだけで、夏に昇華されないのです。昇華ってのがすでに夏っぽい。アガれば全部夏なのかっていうときっとそうではなくで、風景がいつもより色濃く、ビビットになることなんだと思う。秋のパープルな夕暮れより、入道雲がもくもくの青空で飲むジンジャエールの方がビビットでしょう。 わたしはここ最近、何だかずっとあっつい期間だなぁって思っていた。フェスも行ったし、海でBBQもした。なんならプールも行った。知ら…

  • 超9月1日であろうハイパー 〜冬眠から目覚めたくま〜

    人類の悪意みたいなものを石英みたいに固めてたその中で、ミノムシみたいに縮こまっておりました。その空間はいわゆる普遍的な人間活動と呼ばれるペンペン草も生えない荒れ果てた荒野と、無職/ニートと呼ばれる肥沃な大地とのちょうと[はざま]でありまして、わたしはそこから目を光らせ、人類の悪意を見つけては恐ろしくなり、みのを石英で強化させ、自身と向き合うという大義名分を掲げてはヨギボーのような柔らかくふわふわとした甘えを溜め込んでおりました。次第にわたしは目を閉じて[はざま]の観測さえも怠惰するとたちまち肥大したヨギボーは意志を持ち、反乱よろしくわたしごとみのの外に追いやろうとするものですから、悪意の石英が…

  • 9月1日であろう

    また書くかぁ。

  • 8月11日であろう 〜わたくし怒りのシロタ株〜

    石器時代からの友人が、ヤクルト1000を愛飲しはじめて早3ヶ月が経過したらしい。ヤクルト1000を飲み始めてからというもの、ストレスが感じなくなり、感情はアンファンタジァとなって、乳酸菌シロタ株が体内をドドドと大立ち回するようになり、乳酸菌シロタ株はカウボーイが投げ縄をする要領でバッタバタと悪玉菌を粛清を繰り返すディストピア体内社会を形成したわけで、それを善とすべくヤクルト1000と僕という怪しげなパワーポイントを流布したいから久々にオシャレなカッフェでもいかへん?なんて連絡が来たもんだから、ヤクルト1000こえーって返信をしたら、ヤクルト1000が売っている自動販売機の写真を送ってくるBOT…

  • 8月9日であろう 〜おいとま〜

    なつやすみにはたくさんのことがあった。そのことを書こうかな、と思ってブログを開いたけど「甘栗」のふた文字で手が止まってしまう。書きたいことはたくさんあるけど、書けない。それとも、書きたくない?ちょっと考えて、きっとまだわたしの脳内はなつやすみなのだろうと思う。まだなつやすみなのだから、なつやすみを思い出して、ほくそ笑んで、アルバムを整理する必要がないんだろうな。既に日常がカンカン照りで降り注いでいるのに、なんとも夢心地である。ためしにリビングで踊ってみると、陽気なステップは全くもってなつやすみであることの証明であって、手にしたクイックルワイパーはフローリングを乱反射させ、わたしのなつやすみたる…

  • 8月8日であろう 〜箇条書きの日〜

    いやデンプァが無さすぎるよ。そう思うのは、デンプァに毒されている証拠なのでしょう。マリーアントワネットちゃんは、パンが無ければケーキを食べたらいいんだとほざいておりまして、デンプァがないなら星を見て、新しい星座を作ろうと思い立ったが吉日。デンプァのない国ならではの楽しみ方で、わたしは人生を謳歌してみせると意気揚々と夜の野を砂浜を駆けていた時、パニーニくらいのサイズの蛾が飛んできて本当に死んでしまって一目散に逃げ帰りベッドの中で妄想三半規管を育むことしか出来ずにおりました。・船が沈没しかけて、バケツで水をかいていたときに何だかトムとジェリーみたいだなぁって思って笑ってしまった。人は死が近づくとこ…

  • 超閑話休題 〜ヴァケーション特別編1〜

    わたしは夢。夢の中で短歌を誦じる。うたはゆめ。ゆめはうた。わたしはさかな。今朝の朝食の短歌朝はパン パンだよパンだ 美味しいなズンドコドコドコ ズンドコドコドコおやすみなさい。

  • 7月29日であろう ~カチカチすいみんやく~

    おはようの反対。「おやすみなさい」っていうのは、自分を讃えるための言葉だ。私の中では、美味しいごはんを振る舞う時の「めしあがれ」の類いだと思っている。ふかふかの布団に、ちょっと固めのまくら。さりさりとしいてて、エアコンでよく冷やされたシーツ。お気に入りのインディーズ・バンドのTシャツ。(パジャマ) しゃかいのあらなみにもまれ、今日を生き抜いた自分のからだを、限界まで甘やかすフルコース。私がいちばん自由になれる時間でもある。自由な私は、入眠前に強い光を目にすることは良くないことと知りつつ、ついついスマートフォンをいじってしまう。別に見たいわけでもない、無味無臭のネットニュースだとかが目に飛び込ん…

  • 7月28日であろう 〜夏のPARCO〜

    生理現象というものに真摯に向き合った人類は、トイレというセーフティハウスを作成することに成功した。私がPARCOのトイレに入ると、即なんとも言えない違和感を感じる。トイレには不釣り合いな銀色の円柱形がひとつ。トイレットペーパーホルダーの上部には、ウォールナットの小さな天板が貼り付けられていて、小物を置くテーブルの役割りも兼ねている。そこに、何故かサーモス社製の銀色のタンブラーが置いてあった。氷が溶けにくいやつ。今年の夏のPARCOはこういう感じで行くんだろうか?わたしの夏は、とけにくい。みたいなキャッチフレーズ。それとも、とけないで、夏。の方が行くのかな? こしを下ろして一考。いや、けんにょう…

  • 7月27日であろう 〜わたしの記憶と、肥後もっこすと〜

    記憶にぽっかりと三日月みたいなあなが空いていて、その穴は私の約2日間の軌跡みたいなものを鋭利に切り取るためのあなであった。わたしの2日間はそんな月みたいに高尚なものでは決して無くて、月を模したクッキー型みたいな空っぽの日常だったように思える。でも空っぽは可能性を示唆している吉夢であって、クローゼットの一角を開けているのは、まだ見ぬ素敵な洋服に出会うための願望だったりする。わたしはおそるおそる三日月型のあなに入る。あなの縁は記憶のバリみたいなものがあって、触れるとチクチクする。1年ぶりに冷たいプールに入るようなザワザワした感覚でもある。 わたしの記憶の海は、おおよそがシャボン玉で出来ていて、鈍色…

  • 7月25日であろう 〜ワダシ〜

    イマ・スゴッイィ・イゾガジィニッギ・ア・ドデ・カグ

  • 7月24日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。宇宙みたいなカレーを食べた。スパイスは様々な惑星の味で、口の中でビックバン。カレーは銀河の最小単位で、クミンは銀河の共通貨幣だった。カレーのせせらぎ、カルダモンの森、サフランライスの布団でおやすみ。

  • 7月23日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。今日は石壁と一体となる術を学んだ。わたしのこころは岩となり、等間隔に配置されたからだがしぜんのうねりの一部となる。でも人間は考える葦なので、あしだけ残ってしまった。それでも人の目を欺くには充分であった。

  • 7月22日であろう 〜もちもちもっちり〜

    体調が悪かったので、自分を甘やかすためにローソンでどら焼きを買った。わたしはあんこが嫌いなので、生クリームのどら焼きにする。ちなみに、あんまんのあんこなら食べられる。あれは飛ぶよ。なんか入ってるよ。でも普通なあんこは食べられないメランコリー。帰り道、年中七夕祭りの家を見つけた。塀からはみ出る笹の葉にはカラフルな短冊がかけられていて、ものすごい達筆な字で、身長が170cmを超えますようにとかかれていた。達筆具合からお爺ちゃん判定なのですが、夢があって良いなぁと思った。いや、七夕を過ぎても描かれた夢は、きっと目標なんだな。わたしが闇医者ならハイパー骨延長しゅじゅつをしてあげるのだけど、たぶんそうい…

  • 7月21日 〜思考のお片付け〜

    わたしのブログはいちおう日記ブログなので、後で書くときに困らないよう、メモをつける習慣がついた。写真を撮ったり、その時に感じたことを書きなぐったり、記憶のかたちはさまざまだけど、これはきっと善の習慣のような気がしている。なんというか、ちゃんと頭の中なかにアパートが出来たというか、想い出になりきれてないふわふわとしたまっくろくろすけみたいなヤツらに名前を付けられるというか、無重力だったわたしの頭に秩序と法が生まれたのです。それぞれ記憶には4畳半くらいの部屋があたえられて、風呂トイレは別であって、24時間営業のスーパーが徒歩5分の快適な生活が記憶たちに約束されるのだ。家賃は記憶のメモ紙を1枚と、揖…

  • 7月20日であろう 〜おばあちゃん〜

    2年ほど前からおばあちゃんは実家からさほど遠くない施設で暮らしてる。本当は施設で暮らす必要なんて無かったけれど、転んで骨折してしまってから、うまく歩けなくなってしまった。実家をリフォームして暮らせるように計画もしていたけれど、そんなの良いよとその時だけはひょいひょい歩いて自分から施設に行ってしまった。とても元気で強い人だった。その時はちょうどコロナ禍ということもあって、地元に帰っても東京から来た人は施設のルールで面会出来ずに、母親にスマートフォンを持たせてテレビ電話で話をしていた。ひ孫の顔も見せると名前をいつも間違えていたけれど、とても喜んでいた。息子もおばあちゃんではなく、おおばあちゃんとす…

  • 7月19日であろう 〜ダサいバンドTシャツ〜

    今週のお題「二軍のTシャツ」 二軍のTシャツとは、部屋着のことですね。 わたしはインディーズバンドが猛烈に好きだった時期があって、よく小さな箱にひとりでふらっと遊びに行って新しい曲を発掘してはフフーフとご満悦しておりました。気に入ったバンドには敬意を表して音源買ったり、バンドTシャツを買ったりしていたのですが、このTシャツ達がまたダサい。まるで、しまむらに売れ残っているようなダサTシャツ達をかき集めたトーナメント戦で勝ち残った一番のダサTシャツみたいなものがインディーズバンドのTシャツだと言っても過言ではないくらい。グッズ購入はお布施のようなものなのでダサくても正直気にならないのですが、謎サコ…

  • 7月18日であろう 〜罠師のありかた〜

    下の子といっしょに陽気なパンダのYouTubeを見ていると、突然イタチのような素早さでわたしの元から離れてリモコンをカチカチカチカチやりだした。すると、Amazonプライム経由で急にJスポーツとやらが契約完了された。一切の無駄がない、明確な契約作業であった。屈強な男性が自転車のペダルを回す映像が流れて唖然とする。下の子はパンダが映らなくなり、怒りをあらわにすると、リモコンを放り投げてルンバを歩行機代わりに高速移動を始める。ぞうきんがけのようなスタイルで縦横無尽に動く我が子。テレビでは屈強な男性が自転車のペダルを回す映像が流れている。どうやらJスポーツは2,000円の契約料金らしい。天文学的な数…

  • 7月17日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。あっつい夏。空にはネズミ型の雲。チーズ型の雲は見当たらないから、たぶんもうネズミが食べたんだろうね。電線を伝って散歩する野ネズミならぬ空ネズミ。かじっちゃダメだぞ。

  • 7月16日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。大仏だってあっついのだ。出家しようと解脱しようと、通気性を重んじる心が大事なのだ。なんだか工事現場の人たちが着る空調服のようにも見える。神よ、涼しみたまへ。

  • 7月15日であろう 〜短歌の日〜

    わたしの169の趣味のひとつに、短歌がある。 que.digital.asahi.com サラダ記念日で有名な俵万智さんとの短歌イベントがあるのです。(有名な作品だと「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ」など) 本日まで投稿を募集しているのですが、このサイトに応募する前に、短歌のシャドーボクシングをすることにする。小気味よいフットワークでシュッシュと短歌をしたためて、蝶のようにあれして蜂のようにあれするのだ。今日はファミコンの日で、ホッピーの日で、いちごの日みたいなので、それぞれと相対します。 ファミコン ぴこぴこと あいくるしい たかちょうし わがこのいとま わたしのいとま…

  • 7月14日であろう 〜はみ出る宇宙〜

    夕方。近所にあるお気に入りのパン屋の帰り道。神さまが空の色を塗り間違えたみたいな、オレンジとパープルのコントラストであった。たぶん、オレンジとパープルの間にあるものが宇宙なんだろうな。ここのパン屋さんのベーグルは美味しいから、細目でまだ売っているかを見張っているのだろう。ベーグルは土星の環に似ているので、宇宙でも需要があるに違いない。土星のサービスエリアとかで売っていれば宇宙人もいれぐいだ。 歩道にはすこしの水たまりが残っていて、そこもたぶん宇宙と繋がっている。ひとつ、ふたつ、みっつ。その中に、明確な宇宙へのポータルが不思議を乱反射させていた。目を奪われる。本当に宇宙がはみ出しているじゃないか…

  • 7月13日であろう 〜柔らかくパキパキと鳴る金属〜

    結婚して10周年の節目を、錫婚式と呼ぶらしいよ。 そんなことを言うなりペリカンのカタチをした可愛らしいコーヒードリッパーを渡される。若くして結婚したけれどそうか、もう10年も経つのか。わたしの感慨はさかなになって、25.5畳のリビングを照れ隠しのように飛んで跳ねて揺蕩う。ああ、好きだなぁ。10年いっしょにいるんだものな。普段はそんな愛のキャッチボールなんてしないんだから、直球しかもう愛がわからない。わたしは力一杯弓を引き、好きだなぁの矢を放つ。縦横無尽に放たれる矢は、光の速さで家中に突き刺さり白無垢の壁を穴だらけにした。その矢は照れでできており、矢が琴線に触れたのか、はたまた同じ気持ちであった…

  • ひかり

    気を失っていた、んだと思う。だけども意識は確かにあって、矛盾した俯瞰が一本の光の柱を道標に私のいちばん柔らかい部分に降りてきた。そのひかりは明確な殺意を持ってわたしの頬をやさしく撫でると、全ての無職やニートやごくつぶし達の無意識とも呼べる意識の集合体と重なる。連なる。世界は瞬きの度に縮こまり、感情の単位はクリオネだった。たくさんのクリオネが揺蕩う。わたしはクリオネ達に名前を付けるけど、瞬きの度に忘れてゆく。感情は結局感情のままで、わたしは結局無職をニートをごくつぶしをやめられないのかと悟りのような光の柱の道標を明確に否定。それは肯定ではなく、世界をひとつで表現するためのただの言葉であった。それ…

  • 降臨

    我が名は、ギガクンニ・時貞。 全てのニートを観測するもの也。 陸の世界には陸のまものが、海の世界には海のまものが住んでると言い伝えられていて互いの世界はそうして不干渉を続けていたんだけども安土桃山の遺跡で発掘された超時空スクーターベスパ🛵があれば互いの世界を行き来できることをラスティ・ブルーノから聞いたギガクンニ時貞は帝の命によりそれを探しに行くんだその時に時空流起に巻き込まれて現代の世に流れ着いて日銭を稼ぐためにvtuberになったんだよ。 起きていても半分寝ている感じ。ただ起きているだけで何もしていない。ひたすら無気力。 メリハリのない生活 - 30代ニートのブログ ひきこもりを脱出し…

  • な、なががつ、3に つであろギギ…

    ギギ、ギ無

  • 7月2日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。ここ最近の異常なあっついにより、我が家のフローリングからスイッチが生えてきた。スイッチをオンにすると涼しげなブルーのライトが点灯した。部屋はあっついままだった。

  • 7月1日であろう 〜闘いの記録〜

    朝の重力がちょっとだけ和らいだ新しいせかいで、私は優雅に飲むヨーグルトを飲む。ゆらり、カーテン。 そこで、刺激臭。まただ。 朝は厳かであるべきだ。美味しい飲むヨーグルト。カーテンからの木漏れ日。スマートフォンから流れる日食なつこ。風景がビビットになって、たのしみが増す。でも刺激臭が鼻につく。窓から見える小さな庭には、茶黒いうんこが鎮座していた。うんこ。 ウチの近所には野良猫が多くて、おそらくそれによるものだろう。今日のうんこは、無印良品に売っているバームクーヘンくらいのサイズだ。猫にしてはデカすぎる気もするけど、とにかく家をトイレにされるのは面白くない。コロナウイルスの次はうんこ。人間の歴史は…

  • 6月30日であろう 〜村娘ファンタジア〜

    目の前を歩いてきたお嬢さんの服装が随分と異世界な町娘スタイルで可愛らしかったのでわたしの異世界転生スイッチがONになってしまって、すぐさまSpotifyで「ザ・なつやすみバンド」のファンタジアを再生する。 するとたちまち世界はほんの少しビビッドになって、あらゆるものがキラキラした魔を宿す。意識は現実を理解しながら正しく否定して、あいまいになったそれらに妄想のテクスチャを縫い合わせる。するとだんだんアスファルトを踏む感触がふあふあしてきて、おそらくスーパーを目指していたであろうわたしは目的さえも見失ない、立ち止まり、再考する。 そうだ、明日はカーマの日だからパネの実と葡萄酒を市で買って、それから…

  • 6月29日であろう 〜ファンの役割〜

    どんな世界にも「すき」と「きらい」がある。わたしが最近ハマっている『Vtuber』の界隈にも、その絶対的な2択はもちろんあって、色々なSNSで、彼ら/彼女らは「すき」と「きらい」の渦中にある。いわゆる「きのこ・たけのこ戦争」みたいなものが毎日のように起きていて、それだけ世に浸透してきている、と言えば耳障りは良いのかもしれないけど、やっぱり自分の好きな方々を交流する場が、紛争地帯みたいになってしまうのは非常にロシアな気分になってしまう。きらいならきらいでそこで完結してしまえばいいのに、どうして「きらい」から「アンチ」に進化してしまうのだろうか? Vtuber好きなら一度は耳にしたことがあると思う…

  • 6月28日であろう 〜起きて5秒の思考戦〜

    夜職の友人がいて、時々わたしが絶対寝てるであろう時間帯(深夜2時とか)に連絡をしてくることがある。何してる?といった無味無臭の質問が多くて、たぶん酔っ払っているのでこういう水みたいな何でもないやり取りを本能的に求めているのだと思う。もしかして本人的には返答なんてどうでも良くて、日常と非日常のコントラストを眺めているだけなのかも。大抵は気が付かないまま寝ているか、メッセージをみて力尽きてしまうのだけど、たまには相手に「なんじゃそりゃ」と思わせたい。水のはずがチャミスルだったみたいな、びっくり感とナナメウエの返答だけが、物語を作るのだ。なんだけど、いつ来るかもわからない、ましてや寝起き5秒で気の利…

  • 6月27日であろう 〜モノを落とすということ〜

    唐突に鶏皮の話をする人が居たとして、わたしは鶏皮については焼き鳥か、鶏皮ポン酢くらいしか話すことがない。そう考えると、彼ら(鶏皮)または彼女ら(鶏皮)について、恥ずかしながらわたしは何も知らなかったのだ。鶏皮のことを知らない。なんだかそれが、まるで正しい教育を受けていなかったように思えてきて、鶏皮と、恐らく鶏皮が凝着しているであろうモモ肉に対して、鶏皮を繋ぎ止めていた一個の生命に対して、想いを馳せる。嗚呼、鶏皮。鶏皮。要は、道端に落ちている落とし物のお話。 ピカソのらくがき 落とし物、というとネガティブなイメージが付きまとうけれど、私のイメージは逆で「ピカソのラクカギ」みたいな美しいものだと思…

  • 6月26日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 大きなかぶ完結編。 ふたたびカブと向き合い、家族のために立ち上がったおじい。しかしねこはだめだ。これが悪手だった。いぬがねこを呼んできたので完全に心が折れてしまったのだ。空は知らずに青く照り、カブはすくすく育ちましたとさ。

  • 6月25日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 絵本を整理していたら、大きなかぶに魅せられてしまった。かぶの抜けないおじいの哀愁。男は背中で語るのだ。おばあの慰めも、今は届かない。

  • 6月24日であろう 〜ふかふかのりんご〜

    #好きだった給食 わたしの地元はいわゆる「りんごが有名な県」で、特に田舎の方は、どこの家庭も大抵は親戚がりんご農家だったりとか、何かしらのりんご関係者と繋がりがあった。だもんで、子どもの頃は毎日のようにりんごを食べておりました。当時一緒に住んでいたおじいもご飯時には、一日一個のりんごは万病を遠ざけるんじゃ、と毎日毎日ハト時計みたいに教えてくれて、わたしはその教えを忠実に受け止めて毎日毎日シャクシャクシャクシャクりんごをかじっていた。シャクシャクシャクシャク。そして、唐突に飽きた。 毎日りんごシャクシャインの儀は、小学生のわたしからりんごのありがたみを奪い、蜜に舌を飽きさせてしまうのに充分すぎる…

  • 6月23日であろう 〜日記欲〜

    日記欲が止まらない。 だれに向かって、何のためにか、わたしにも分かりませんがきっとこれは私にとって大事なことなのだと直感する。理解は出来てはいない。他人の日記を読むのも楽しい。なんていうか、さんまの”わた”みたいな、クセになる味だ。人間というエンタメは、上っ面だけでは物足りない。日記はなんだかその物足りない部分が垣間見える気がする。普段からグミばかり相手取るわたしは、そのドロドロとしたわたの部分に安心する。グミ人間にも内臓ちゃんとあるなって。日常に無い苦味が、でっぷりとしたガワにマッチした良い味わいになる。でもたまにドーナッツみたいな人間もいて、そういう人は日記を読んでもよくわからない。甘そう…

  • 6月21日であろう 〜王の余韻〜

    子どもの誕生日から一夜明け、あじさいの色が美しく映える6月の朝。我が子は未だに王冠を被って、本日の主役!と書かれたタスキを着けている。どちらもダイソーで買った当日を賑やかすためのアイテムだったけど、大層お気に召したらしい。昨日は甘々の甘で、考えつく限りの傍若無人で酒池肉林であった「王の体験」を引きずっているのだろう。朝からぐるぐるストロー付きのタンブラーにオレンジジュースを入れて、ソファーにふんぞりかえってトムとジェリーを見ている。よく見ると、わたしのサングラスまで引っ張り出して装着していて、昨日より随分とパリピ感があった。昨日であれば、かしずいて巨大な葉っぱで仰いであげても良いのだけれど、王…

  • 6月21日であろう 〜いそがしい焼肉〜

    近所にある焼き肉屋さんはとても美味しくてリーズナブルでもあり、さらにはからくり屋敷でもあった。 以前、この店に子どもを連れてきた時、誤って掘り炬燵の下にコップを落とした時があった。幸い、中身は何も入っていなかったのですが、落とした瞬間に何故か掘り炬燵の側面がカバの口みたいにパッカリと空いて、コップを飲み込んでしまった。その後、何事もなかったかのようにカバの口は閉じられてしまい、店員さんにそのことを伝えると、ウフフと笑って代わりのコップを出してくれた。きっとこの焼き肉屋さんでは、そういったからくりが横行していて、慣れっこなのだろう。子どもは忍者の家みたいだと喜んでいて、わたしも盆と正月がいっぺん…

  • 6月20日であろう 〜スケスケのドメイン〜

    今週のお題「わたしのドメイン」 パンティの人気上位3つを当てる千鳥さんの番組をケタケタ笑いながら見ているとき、何気なく開いたはてなブログのお題が「わたしのドメイン」であるからして、ドメインを知らないわたしは、パンティの刷り込み効果により雛鳥のごとくドメインが原初のセンシティブなワードで大淫靡であると認識した。ふんだんにレースをあしらったスケスケのドメインは、あろうことか人間のいちばん柔らかな心情を濫がわしく全世界に露呈させ、ドバイにある超ど級の建築物みたいに、人類の恥部意識感覚体をかき集めて作られた非常にけったいなマグニチュード58.0クラスの激しい愛欲が身体をちぎらんとする程に込み上げてきて…

  • 6月19日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 光と影。激と静。表裏一体ツインネコ。めちゃくちゃ威嚇されたけど写真は撮らせてくれる、慈愛と観念のツインネコ。ふたつの花弁は、ツユクサのような美しさであった。

  • 6月18日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 クソデカプチプチを見つけた。きっと巨人の梱包材なのだろう。それとも地底には小人族がいて、わたしたちを梱包するために開発した兵器がこのクソデカプチプチなのかもしれない。ふみ心地はあんまり良くなくて、デカすぎるプチプチはプチプチしがいが無いという学びを得た。

  • 6月17日であろう 〜賞味期限の魔女〜

    「年上の後輩のおばちゃんが、賞味期限切れたお菓子ばかりくれるんだけど魔女なのかな?」 友人からLINEが来て、そりゃあ魔女案件だね、とわたしは返す。でも魔女だから、負の賞味期限なのかもしれない。なんてったって、相手は魔女なのだから、俗人が定義した数字ではなく、ちゃんとお菓子と対話してそのお菓子が究極的に美味しくなる瞬間を魔術的に見極めた結果、単に賞味期限という数字を超えてしまっているだけで、むしろそこから善の賞味期限が始まるに違いない。善の賞味期限は人知を超えたスーパーフードの指標なのだ。 「でも、グミなんだよ?」 賞味期限の切れたグミはいやだなぁ。やっぱり賞味期限って大事だ。魔女がくれるお菓…

  • 6月16日であろう 〜なんでもない日〜

    今日はどうやら和菓子の日らしい。朝の情報番組が美味しそうな和菓子を美味しくいただいているのをみて、わたしも負けじとパイの実をかじる。和菓子の日にせめてもの敬意を払い、飲み物はあっついお茶にする。わたしはあんこが苦手なのだけど、何故和菓子を美味しそうと感じたのだろうか。少し意識が宇宙に飛んで、流石は和菓子の日だなって思った。 そもそも今日は何の日なんだろうか。インターネットで調べてみると、今日は手羽トロの日らしい。要は手羽元から骨を完全に取り除いた美味しいに特化したモードが手羽トロらしい。さっきパイの実を食べたのにもうお腹が空いてくる。冷凍庫を開けたらチンするやきとりが入っていたけど流石にやめた…

  • 6月15日であろう 〜ペンギンのゆくえ〜

    子どもがマインクラフトというゲームをしていた。レゴブロックみたいに世界を想像するゲームで、せっせと牧場みたいなものを作っている。どんな牧場を作っているのか聞いてみたところ、人間牧場を作っているらしい。牧場の柵にはスイッチが設けられており、押すと火矢が発射される仕組みで、悪いどろぼうが来たときに作動させるらしい。その説明のあいだに、無実の3人が火矢で死んだ。 これは良くない!と思った。わたしが知らぬ間に、我が子は独自のイカゲームを構築しているではないか!この世界観は20年早い。まっとうな道へ導かねばならない。我が子にはまだ、人間社会を構築するものが愛であると信じていて欲しい。とりあえず今度の休み…

  • 6月14日であろう 〜本棚と成長〜

    今週のお題「本棚の中身」 はじまりは、確かベタに「ももたろう」だったと思う。次がカラスのパン屋さん。子どもが生まれたときに、ロココ調の大変可愛らしい、ちいさな本棚を買った。少しずつ絵本を増やそうと思っていたら、その話を聞いた父が絵本30冊セットを買ってきて、いきなり半分以上埋まって笑ってしまった。現在、その本棚は寝室に置いていて、子どもが寝る前に好きな本を一冊選んで、それを読むことが我が家のナイトルーティンになっている。けれど毎日ローテーションで繰り返し読んでいると、子どもなりに一軍と二軍の絵本に別れてきて、一軍の絵本ばかり読むようなった。特にストーリーと言うよりは、イソップ物語に出てくる妙に…

  • 6月13日であろう 〜シンデレラ・ステップ〜

    いつもはベッドに入ると5分で入眠出来るのですが、今日は中々寝付けなかった。ひつじを数えるような早さで、自分の寝れない理由を考えてみる。すると、5ひつじ目くらいで人間力が低下していることに気がついた。これは良くない。人間力の低下は生命力の低下であるからして、何か楽しいことをしないと生ける屍になって地球破壊願望に苛まれてしまう。全てを憎んで、たぶんきっとおそらくたぶん、わたしは大変イライラしてしまう。では楽しいこととは何だろうか?考えて、1ひつじ目でコンビニをくわえた羊が脳を横切る。反射的に何故コンビニなのか考えようとしたけれど、無粋な行為と思い止まる。何年わたしはわたしをやってきていると思ってい…

  • 6月12日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。 ダイコンが余っていたので、大根おろしスープを作った。はじにあった大根のかたまりが何だかうさぎの形に見えたので、のりで顔を作ったらうさぎ大根温泉になった。わたしもたまには温泉宿でのんびりしたいものである。

  • 6月11日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。旅行のお土産を持って、友達が家に遊びに来てくれた。何でも、高名なお寺で売っている呪いの藁人形らしい。嫌われているのだろうか?もし誰かに使うことがあるのなら、その時は愛でころしたいな。ブスッと。

  • 6月10日であろう 〜表現の限界〜

    たすけて。ルンバがベッドの下から出てこなくなった。這いつくばって、ベッドの下から手を伸ばすけど、もう少しというところで手が届かない。なんどやっても届かない。というか、ルンバが意志を持ち始めた。手が届かないギリギリのところでUターンするようになった。壁ないじゃん、そこに。わたしの手を華麗に回避するルンバ。届かない。押してダメなら引いてみろ作戦も試してみたけど、よほど居心地が良いのだろう。同じところをクルクル回って喜びを表現している。なんていうか、急に表現の限界を感じた。何故なら、このルンバとの格闘は10分は続いていたのです。手を伸ばす、届かない、手を伸ばす、Uターンするを20回はした気がする。途…

  • 6月9日であろう 〜きらきら〜

    日記なのだから、当日の「できごと」を書いて然るべきなのかもしれない。そっちの方が、なんとなく生きている。文書に血が通っている。けれど新鮮な「できごと」を調理するのではなく、記憶の冷蔵庫から冷やっこい「上野」を取り出す。上野はまだ霜が付いておらずつるつるとしていて気持ちが良く、わたしは安堵感を覚える。だから、目を閉じる。五感の一つを閉じて始める追憶の旅。わたしの上野の追憶の旅。 上野動物園では、長い足でヘビを踏みつける鳥が飼育されている。長い足でヘビを踏みつける鳥は、ヘビだけじゃなくて小型の哺乳類や昆虫など幅広い動物をその長い足で踏みつけるらしい。長い足でヘビを踏みつける鳥は、まるでバレリーナの…

  • 6月8日であろう 〜寿司職人が来るよ〜

    商店街を散歩するのが好きだ。 おそらく商店街の重鎮であろう、お肉屋さんのメンチカツをオヤツ代わりにかじりながら歩いていると、なんだか自分が物語の一部になれる気がする。自分の何気ない散歩が、虎の威を借りる狐みたいに「さくひん」に昇華されて、少し心地が良い。普通の昼下がりが、淡い昼下がりになるみたいな、そんな小洒落た背景に。 美しいみどり色したクリームソーダがディスプレイされた喫茶店の前を通ると、貼り紙を見つける。まさか閉店?こんなにクリームソーダが似合う喫茶店なんて、他にはないのに。勝手に絶望を感じて貼り紙を覗き込んでみると。 「○月×日 15時〜 寿司職人が来ます!」 えぇ!?あの寿司職人🍣が…

  • 6月7日であろう 〜お題に気付かされた日〜

    今週のお題「夏物出し」 子どもが産まれてからというもの、夏には田舎に帰ることが我が家の風習になっていた。それまでは、自分の予定を優先させていたので、少なくとも毎年決まった時期に帰省することは無かったように思える。特に実親と仲が悪かったという訳ではないけど、「子はかすがい」という言葉は夫婦間だけではなく、親子の間も取り持つ言葉なのかも知れない。ドアを開けた時の両親の笑顔と、照れ臭そうにちいさく挨拶をする我が子の距離感は確かに愛と呼ばれるもので、その距離感は、わたしと両親の積み重ねて来た弛み無いアンサーのように思える。 せっかくの帰省なので、着るものは親子ともに気を使う。普段から子どもの洋服は買い…

  • 6月6日であろう 〜マリオBダッシュ理論〜

    ブログを始めて早いこと1か月が経過しようとしている。 色々な方のブログを拝見させて頂いて思ったのは、投資ブログだとか、アフィリエイトブログだとか、オカネモチになるためのブログが多いなぁ、ということ。みんな、オカネモチになってどういうことをするのだろう?勿論、お金は必要不可欠だし、我々人間はお金に生かされている身分なので、批判的なことを言うつもりは無い。お金大好き。わたしだって札束のお風呂に入りながらパイの実と飲むヨーグルトで人生に乾杯をしたいくらいの、ささやかな願望はある。オカネモチブログを書いている人たちは、何が欲しくてブログを書いているのだろうか。そりゃお金なんだけど、そのお金で何を手に入…

  • 6月5日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。やはり有名的のホットケーキはひと味もふた味も違うところか、38味はちがう気がする。ハリケーンの様に襲い掛かる美味。しかもカリモフであるからして、えらい。ほんともう、大変えらいホットケーキである。「ほんともう」と「フォンドボー」は似ている。ほんともう、ため息が出るほど美味しい。

  • 6月4日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。灼熱の太陽の下、ゾウの系譜について学んだ。ゾウのすぐとなりマンモス!ゾウのすぐとなりマンモス!ってなった。石器時代が江戸時代くらいに感じて、帰りにパンダせんべいを買った。パンダせんべいを買ったのは嘘。

  • 6月3日であろう 〜なんちゃら高原から愛を込めて〜

    朝起きると開口一番、「しにたーい。」と呪詛みたいな言葉が、脊髄反射的に放たれる時がたまにある。もちろん、本当に命を絶ちたいとかではなくって、やけどを負った舌がピリピリして食べる際に若干のストレスを感じることとか、お気に入りのソーシャルゲームの新しいガチャイベントで、モーニング爆死したことだとか、第一次猫糞害戦争が勃発していることだとか、そういう直視できない事実に対して、私のこころが均衡を保つための、防衛本能みたいな「しにたーい。」なのだ。 そんな自販機みたいな軽口で、自分の中にたまった”うみ”をほんの少し掻き出して、なまりのような体にムチを打ち、ベッドから這い出てキッチンへ向かう。残りの"うみ…

  • 6月2日であろう 〜失うということ〜

    カモノハシがカレーを食べてガァガァとがなる夢を見て、カモノハシが本当にガァガァと鳴くかどうかは分からないけど、何となく天啓を受けた気持ちになる。天啓は、わたし自身も気付かない深層心理を引きずりだして、使い魔であるカモノハシでわかりやすく教えてくれるのだ。じゃあもう今日は天啓カレーじゃん。そう気付くや否や、つま先から天辺までピシャゴロンと雷に撃たれて、カレーのことしか考えられなくなる。天啓ピシャゴロンカレーが食べたい。近所のスーパーに向かい、さっさとカレーの材料を仕入れる。天啓にはなかったけど、どうしても豪華絢爛天啓ピシャゴロンカレーにしたかったので、お惣菜コーナーでカニクリームコロッケを買う。…

  • 6月1日であろう 〜インスタント酒場・蜃気楼〜

    この人たちは何にならんでいるのだろうか? おじいちゃんの箸の色みたいな雑居ビルから伸びる人の列。気になってビルの周辺を探ってみるけど、美味しそうなホットケーキを出しそうなカフェも、超ニッチ個展も開いてなさそうだ。並んでる人達のジャンルも様々で、老若男女の見本市のようだった。行列の正体を明かそうとも考えたけれど、不思議は不思議のままが良いなと思い直してスマートフォンを仕舞う。たちまち行列は背景に戻り、大きな二枚貝が見せる蜃気楼のように、わたしの意識をけむに巻くのだ。 行列の誘惑を超えて、さすまた柄のガードレールがある道を歩く。人通りは少なく、クルマもさほど通っていないようで、閑静な住宅街という表…

  • 5月31日であろう 〜愛のあいさつ〜

    現実世界において、人の第一印象は3秒で決まる、と誰かが言っていたような気がする。現実世界にはよくある、「仕方のないこと」のひとつだ。でもネットの出会いは、ポイフルの「がわ」みたいに固着して大切な部分を隠してしまう。シュレティンガ―の挨拶。あまーい「がわ」の中に入っているのは、ヒトなのか、グミなのか?そんなことを考えて、結局ヒトでもグミでも、堅苦しいことは全部すっ飛ばして、初手で好きなものを語るということが相手に対する誠意なのかなって、思ったりもする。よくお見合いの場(私は経験がないけれど、伝承によれば)で、「ご趣味は?」なんて聞くらしい。相手の好きなものを聞くことは、それすなわち人生について聞…

  • 5月30日であろう 〜洗濯機というコンテンツ〜

    洗濯機がおそらく故障した。 脱水完了後に洗濯物をびちゃびちゃにするヤンチャなヤツになってしまったのである。家族は買い替えダァ!と紅のテンションなのですが、必ずそうなるわけでもなくて、7回に1回くらいの確率でびちゃびちゃになる。つまり1週間に一度は手動で再脱水操作が必要なわけですが、わたしとて人の親。これは非行の始まりなだけで、ちゃんと向き合えばわかってくれる、訳も聞かずに故障判定するだなんて、じゃあこの子は誰に愛してもらうのだ、とふがふがしていた矢先に週5で洗濯物をびちゃびちゃにしやがる様になったので仏のわたしも紅のテンションで買い替えダァ!とほら貝を鳴らし、非行洗濯機との決別を選択した。洗濯…

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