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  • 5月31日であろう 〜愛のあいさつ〜

    現実世界において、人の第一印象は3秒で決まる、と誰かが言っていたような気がする。現実世界にはよくある、「仕方のないこと」のひとつだ。でもネットの出会いは、ポイフルの「がわ」みたいに固着して大切な部分を隠してしまう。シュレティンガ―の挨拶。あまーい「がわ」の中に入っているのは、ヒトなのか、グミなのか?そんなことを考えて、結局ヒトでもグミでも、堅苦しいことは全部すっ飛ばして、初手で好きなものを語るということが相手に対する誠意なのかなって、思ったりもする。よくお見合いの場(私は経験がないけれど、伝承によれば)で、「ご趣味は?」なんて聞くらしい。相手の好きなものを聞くことは、それすなわち人生について聞…

  • 5月30日であろう 〜洗濯機というコンテンツ〜

    洗濯機がおそらく故障した。 脱水完了後に洗濯物をびちゃびちゃにするヤンチャなヤツになってしまったのである。家族は買い替えダァ!と紅のテンションなのですが、必ずそうなるわけでもなくて、7回に1回くらいの確率でびちゃびちゃになる。つまり1週間に一度は手動で再脱水操作が必要なわけですが、わたしとて人の親。これは非行の始まりなだけで、ちゃんと向き合えばわかってくれる、訳も聞かずに故障判定するだなんて、じゃあこの子は誰に愛してもらうのだ、とふがふがしていた矢先に週5で洗濯物をびちゃびちゃにしやがる様になったので仏のわたしも紅のテンションで買い替えダァ!とほら貝を鳴らし、非行洗濯機との決別を選択した。洗濯…

  • 5月29日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。前日、モツァレラチーズの洗礼を受けて心に三日月型の傷を負いましたが三日月の傷はより大きな満月で癒すことが出来ることを幾多の夜を超えてわたしは学びを得ていましたので満月型の二階建てホットケーキを作りましたところ大層柔らかく気絶するほどラグジュアリーでしたのでぐんぐん活力が芽生えそれはもうぐんぐんグルトの様相。つまり美味しかったです。

  • 5月28日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。もう5月も終わるし、ここらでいっちょモツァレラチーズでも作ってみんなをいっちょ驚かしてやるかぁいっちょやるかぁと息巻いて55分後には立派な岩が出来ました。無味無臭の白い岩。チーズ道は果てしなく長い。

  • 5月27日であろう 〜飛空艇でしか行けない場所〜

    いまから、古い雑居ビルとかにある、足場が何もなくて絶対外から入れないだろのドアの話をします。 こんなやつ。 RPG(ろーる・ぷれいんぐ・げーむ) 私は子供のころから、冒険(空想)が好きだった。今思うと、環境がそうさせたのだろう。私の故郷は結構な田舎だった。田舎を田舎のまま楽しむためには、空想が必要だったのです。近所の林で拾った木の棒を、伝説の剣にする妄想力。きれいな木の実はポーションが作れるし、塀に張り付いている巨大なイモムシは今でも本気であくまの使いだと思っている。雪が降ればそこはステージ5の3に早変わり、手に持つ伝説の剣は、魔法の氷をエンチャントしてサイキョーになるものなのだ。 こういった…

  • 5月26日であろう 〜マンガのニュアンス〜

    朝ご飯で食べたバナナがたまたま悪魔の実だったのか、子どもの笑い声がゼハハになってしまった。黒ひげみたいだね。子どもの属性が闇になってしまうのは本懐ではないけれど、ドフラミンゴの笑い声よりはましと思うことにする。これが親心というものであろう。わたしもホロホロホロと笑うと、何それ?へんだね!と言われた。今日は大変ネガティブな1日になりそうである。しかし、子どもはワンピースを見たことが無いはずなのに、なんで急にゼハハ。なんで急にゼハハ選手権でも流行っているのだろうか。4歳の世界観は侮れない。 そう思った矢先、下の子がたいこのバチを横に咥えてピッキャピッキャと笑っている。ピーカみたいだね。わたしが、禰…

  • 5月25日であろう 〜暦の上では夏ですが〜

    隣のヒョウ柄ばあさんが結構な声量でTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」を歌うもんですから、スーパーの精肉売り場はさながらライブ会場のようでした。 ニューノーマルと逆光するこのスタイルは、まさに「夏」。暦の上で今現在は夏であるわけで、よく分からないけど夏ってこうだよなぁと妙に納得して、胸がすくような気持ちになる。私に足りなかったものはコレなんだと思い知らされる。最近太り気味な家族のために、ヘルシーな鶏ひき肉を買おうと思っていたけれど、なんとなく豚の生姜焼きが作りたくなって、夏はやっぱりこうじゃないとなぁ、夏バテしないように高カロリーが大事なんだよなぁ、なんて言い訳も全て夏のせいにする。 そんな…

  • 5月24日 〜ぼくのかんがえたさいきょうのあそび〜

    今週のお題「何して遊んだ?」 「ぼくのかんがえた、ゲームであそびたいです。」 子供がそういうもんですから、私は手を止め、それに付き合うことにする。聞くと、まだゲームの名前は考え中。既に友達とやったことがあるのか、手慣れた様子でフローリングに宇宙みたいな色のおはじきを並べてゆく。その小さな手で作られる銀河系は、真ん中に「風」と書かれているお気に入りのウルトラマンバッジを鎮座させることで完成するらしい。並べながらルールを説明していたのだけど、私が聞き取れない言語で説明していたので、よくわからない。わかっているのは、銀河の中心は風、ということだけだ。 子供がおはじきを指ではじく。銀河系が変わる。うち…

  • 5月23日であろう 〜紙拾いの君〜

    駅の改札は人人人人。ごうごうとうなり声をあげる奔流は、出社ラッシュという時間帯のせいなのか、はたまた人間の気質みたいなものなのか、何も迷わず、ただ改札口に向かって流れてゆくだけだった。わたしは駅の出入り口に併設されている小さなドーナツショップで朝ドーをかましていた。本来なら、この優雅で甘美な時間を楽しむべきなんだろうけど、駅においてはこの奔流こそが、人間が嗜むべき行為に思えてしまい、ドーナツが喉につっかえてしまう。窓から見える情景は、わたしに謎の嫌悪感を与えていく。奔流に対して、チラシを配るお姉さんが居る。どうやら近くに新しい居酒屋がオープンしているようだった。お姉さんは笑顔でチラシを配ってい…

  • 5月21日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。落とし物って良いですよね。決して交わらないであろう風景の一部たる人達が見せる隙。何だ風景じゃなくて、ちゃんと人間なんだなぁという安心感を得られる。アスファルトに固着している人間の残滓が、何だかとても愛おしくて、いとおかしなのです。漫画雑誌の1ページ。落とし主はきっと、人間に希望を抱いてる。

  • 5月20日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。商店街を歩いていたら、ポンチョを見つけた。どちらかと言えば「はんてん」とか、「どてら」とかの名前の方がしっくりくるのですが、ポンチョと名乗っていることが何だか背伸びしているみたいで大変可愛らしい。いや、どてらじゃないし!俺ポンチョだし!みたいな強がりを感じるのです。

  • 5月20日であろう 〜停止する日〜

    脳が有給をくれというので、上司たるわたしは承認のハンコを押して脳を有給にした。するとたちまち脳はスリープモードに移行して、脳のシワが無くなっていき、ゆでたまごみたいにツルッツルになった。気絶するほどアンチエイジングである。シナプスの辺りにはご丁寧に脳が手配した交通整理のバイトが雇われ、脳に信号が届く前に「本日は有給だから、迂回してくれませんかねー」と優しく、確固たる意志で諭す。ちなみに給料はパイの実4粒。三半規管も、脳だけずるくない?とご立腹なのですが、三半規管まで有給を取られると寝たきり生活になってしまうので、順番で有給を取らせることを約束する。肝臓は沈黙している。であるからして、わたしの頭…

  • 5月19日であろう 〜食欲とわたし〜

    ベーグルに何かを挟もうと思ったら、それまで隠れていたわたしの食欲がふつふつと湧き上がり、自分がお腹が空いていたことに気づかされた。気づいているのは自分自身のようで、本当は食欲と共通の友人である別人格のわたしが、ふたりの仲を取り持つために肩をゆすって、食欲が暴れているのを教えてくれているのかも知れない。別人格はいつだって、わたしに良い生活のヒントをくれるのだ。ねぇ、ベーグルに何かを挟んだ方が良いんじゃない?その方が食欲も喜ぶと思うよ?別人格体に諭されたわたしは、早速食欲に話を聞きに行く。食欲の部屋は萌葱色のドアが目印となっていて、ドアノブに掛けてあるプレート状の看板には、達筆な字で「食欲」と書か…

  • 5月18日であろう 〜バーバリアンは揶揄をする〜

    どうにもこうにもわたしの中のバーバリアンが肥大化している。わたしにもこんな好戦的な側面があったのかと気付かせてくれるバーバリアンは筋骨隆々であり、奥二重であり、4年前に自分の村を滅ぼしたダークナウマン象の象牙をこんぼうとして装備している。口癖は揶揄してぇー、であるからして、わたしもバーバリアンに引っ張られてしまう。揶揄してぇー。揶揄したいけど、どうすれば揶揄できるのか。揶揄するからには、相手にキチンと「あれ?いま揶揄されてない?」と認識してほしい。わたしのバーバリアンを認めてほしいという、浅ましい感情がある。でないと、揶揄る意味が薄れてしまう。ちょっと揶揄しにいかない?とフランクに宣言するべき…

  • 5月17日であろう 〜機敏に動ける日。シュンシュンイタチ物語〜

    朝、風切り音のようなもので目が覚める。ねぼけまなこでスマートフォンに手を伸ばし、時刻を確認するとアラームがなるちょうど1分前。何だか文明に勝った気がして気分がよい。今日はいつもより機敏に動けそうな正しい予感さえ覚えて、ベッドからシュンと起き上がる。風切り音。寝間着のまま、ペットの真っ青なザリガニが住んでいる水槽までゆく。ブルーベリーみたいに綺麗なコバルトブルーをしていて、お気に入りトンネルの中でスヤスヤ眠っている様だった。今日のわたしは文明だけでなく、野生よりも早起きらしい。水槽のふたをシュンと開け、ザリガニのエサをシュンと投げ入れる。風切り音。非常に良いペースで、生活のタスクをクリアしてゆく…

  • 5月16日であろう 〜トリックアート山下清を探して〜

    トリックアートみたいな山下清をイオンで見かけました。わたしは多分、はてなブログ住人の中でいちばん山下清について詳しくない。唯一知っていることは、彼は裸の大将をなりわいにしていて、白いランニングシャツでおにぎりを頬張ることがしばしばある、というくらいである。そんな薄い知識だけでも、白いランニングシャツやおにぎりを頬張るだけで山下清が連想されるということは普段みている動画等で、山下清のサブリミナル広告でも流れているのだろうと邪推していまう。後世に正しい山下清を伝えようとしている団体のことをGoogleで調べたけれど何もヒットしなかった。たぶん、そういうことなのだろう。トリックアート山下清は、いみじ…

  • 5月15日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。いつもと違う公園は、当たり前の様に新しい出会いがあった。おそらく雛?な、童顔カラスがぽつりと鎮座している。よく見ると、おそらく親カラスであろうカラスが、木の上からじぃっと雛を見守っていた。その距離感は、愛と呼ばれるものだった。わたしもいつか、この心を学びたいものである。

  • 5月14日であろう(閑話休題)

    ニートであろうと無職であろうと有職者であろうと脛かじりであろうと、神は人間を休ませるために土日祝日を作られたので、こどももおとなもおじいさんもおばあさんも一回休みの閑話休題です。近所のダックスフント公園で土盛が出来ていたのですが、よく見るとこれアリの巣を作るためにあり達が掘り出した土なんですよ。せっせと土を運んで巣作りに勤しむあり達を見ているとなんだか死にたくなりますねぇ。愛おしいんですがねぇ。たまたまメロンパンを持っていたので、ビスケット部分を砕いてあげたら巣に持ち帰っておりました。わたしも社会に貢献できた気分になり、誇らしい気分でした。誇らしい気分でした。

  • 5月13日であろう

    本日は曇天の空模様であり、5月にしては肌寒くあり、お日柄は悪く、お身体だけはセルフご自愛しているものの、こころは分離しておりますので、まあるいこころがさんかくけいになってしまったりしております。そのためなのか、昨晩は大変淫靡な夢を見てしまいたいそうふがふがした状態であるわけで、そうした乱れは寝乱れにつながるわけでございまして、小鳥の囀りで起床致しますと、わたくしめの頭髪においては、さしずめ外国のとうもろこし畑のような、大層牧歌的な御寝癖がにょきにょきと生え揃ったのでございます。本日は、どうしても諸用で7時42分の電車に乗らなければならないため、この頭髪フロリダコーンウォールを直ぐにでもやっつけ…

  • 5月12日であろう

    「だからあなたは、働きながらニートになればいいんだよ」なるほど、とわたしは思った。何がなるほど、なのかは自分でも分からないけれど、友人Aの言葉で妙な納得感を得てしまう。テトロミノで構成された、わたしだけの「ニート感」がパチパチと小気味良く積み上げられていって、答えに辿り着いたような錯覚に陥る。この陥る、というステータスもなんだかニート感にあっていて、カフェ・モカにパイの実の食べ合わせのように、奇跡的なマリアージュを生んだ。なるほど、とわたしは思った。「ようは、精神的ニートってこと」こころの在り方を友人Aは伝えてゆく。諭すように。テトロミノはニート感を超えてそのまま新しい世界観の構成に取り掛かり…

  • 5月11日であろう

    夕暮れ時、スーパーからの帰り道はちょっと高いタマゴの黄身みたいに濃淡なオレンジで、エコバッグからはみ出ているブロッコリーのコントラストが私のおなかを「ぐぅ」と鳴らした。帰り道に公園の側を通る。日中は子供たちが賑やかに遊んでいるこの場所も、オレンジ色の風景の一部になってしまっていて、私は飲み込まれまいと少し歩調を早くする。公園の「はじ」には、まだ風景になっていないところもいくつかあって、中学生くらいの男子がふたり、キャッチボールをしていた。足元にある、真四角で大きなナイロン素材のバッグが部活帰りを教えている。パシッという音だけが、メトロノームみたいに規則性を奏でて、そのリズムを頼りに木の影でオジ…

  • 5月10日であろう

    久しぶりに街を歩いていた。街にはたくさんの人間で溢れかえっていた。たくさんの人間はなんだか誇るように早足で、みんな何かしらの有職をしてるように見えた。有職は人を機敏にするのかも知れない。すれ違う人達からは、シュンシュンと速そうな風切り音が聞こえる。わたしはそのうねりに圧倒されて、動けなくなりそうになる。ゆっくりと視界が俯瞰されいく。早すぎて残像が生まれているのだろうか、もしかしたら、わたしだけがもたもた取り残されて、もう既にこの街に漂っているのは有職者達の残滓なのかも知れない。夜の都心で、テールランプの気分だ。わたしはまだ、無職にもニートにも、それから にもなれないでいる。横断歩道を歩いていた…

  • 5月9日であろう

    ニートとは、無職とは、誰の何を指すのことばなのだろうか。わからない。でもわたしの中心には確かにそのことばたちがクリオネのようにふわふわと泳いでいる。でもやっぱりわからない。インターネットで調べても、わたしがニートなのか、無職なのかを教えてくれる文献は見つからなかった。わからない。村上春樹は昔、羊をめぐる冒険を執筆した。わたしは羊と鼠から、感情のるつぼを確かに学んだ。では誰が、わたしのなかのクリオネ達を、ニートを、無職を教えてくれるのだろうか。糖分が足りないのだろうか。考えことをするときは、美味しいドーナッツが必要なのだ。羊男も大好きだしね。私はダックスフント公園まで散歩をして"あばら骨ベンチ"…

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