chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 志賀山越4.

    少し間が空くと、どこまで行ったか分からなくなる「京都へ、京都から」ですが、やや想い出話のような3回が終わった荒神口志賀山越、いよいよ本格的に地図青矢印に沿う志賀越道(シガゴエミチ)を進みます。荒神橋を渡ってすぐ、稲盛財団記念館の北西の角に、青●印の牧畜場記念碑が判りにくくありました(右の黒いほうです)。1872(明治5)年、地方公共団体が作った牧場としては第1号の官立京都牧畜場が、北海道や岩手県ではなく、こんな場所にあったのですね。と言うことは、鴨川を越えたこの辺り一帯は、明治の初め頃までは何もないだだっ広い田舎と言うか原野だったのですかね。地図青矢印の如く、ここからちょっと北上してすぐに、京都では異質な感じの斜めの道に入ります。これが昔からの道志賀越道、もう完全に洛外と言うことで、田んぼ(原野)の中...志賀山越4.

  • 4Kテレビ

    パリオリンピックが始まりましたが、テレビ欄のパリオリンピックを必ずパラリンピックと読んでしまう私です。14年ぶりの買い替えで、4Kテレビ55型を買いました。有機テレビは10万円ほど高いので諦め、展示品で安くなってますよの一言で買った、液晶の4Kテレビです。早速開会式を録画で観ましたが、録画機は4Kでないので、残念です。4Kテレビを買った理由は、NHKBSが変な番組改正で、4Kでしか観れない番組が増えたせいも有ります。本当の4Kの写り具合は、こんなもの、まあ鮮明ではありますね。撮ってる写真機の解像率は、4Kより上なのかどうか知りませんが。WOWOWばかり観てる人生なので、これぐらいの贅沢は許しています。4Kではないですが、綺麗で鮮明な画面で観ても、競馬は獲れませんね。せめて阪神は鮮明画面の元で勝ってほしいで...4Kテレビ

  • フーク命日

    本日7月26日(金)は、フークの命日です。ほっておいた台所出窓に置いてる骨壺と遺影の周りも、少し掃除しました。満1歳になってたフークは、残念ながら盲導犬の試験に合格できなかったので、落第生を育てるには適してる我が家に、2002年1月に引き取られました。1歳4ケ月ぐらいの写真ですが、その頃から右股関節はちょっと悪かったようですね。どちらかと言えば猫派であった私たちを、すっかり犬好きにしてしまったフークは、奈留島にも一緒に行ってくれて、島では島内一賢い犬のレッテルも貼ってもらい、皆様に可愛がられ、私も「犬先生」と子供から呼ばれるようになっていました。奈留島の奈留病院官舎の定位置ソファーで、いつものように丸まって全裸で眠るフークです。福江島の富江に連れて行った頃には、もうあまり車にも乗らず、官舎の庭や近くを散歩...フーク命日

  • 時の娘

    最近はWOWOWで録画した映画やラグビー・ゴルフを観るのだけが、楽しみになってる感が有ります。「ロスト・キング500年越しの運命」、500年以上も行方不明だったイングランド王リチャードⅢ世(1452~1485)(在位1483~1485)の遺骨を、歴史好きの一介の主婦が発見すると言う、実話を基にした映画です。私は世界史は全くちんぷんかんぷん(日本史で言えば頼朝と信長どっちが古いか分からないぐらい)の人間ですが、シェクスピアの「リチャードⅢ世」で兄の忘れ形見の幼い王子を殺害し、王となった醜い容姿の残忍な王として描かれたこともあってか、英国人にとっては悪人のレッテルを張られた王として有名なようです(日本でいえば明智光秀?)。私の家の階段に沿って作られた本棚は、ほぼほぼ私の35歳から55歳の間ぐらいに読んだ、海外...時の娘

  • 後祭

    祇園祭はもう終わったと思われてる方もいらっしゃると思いますが、後祭(アトマツリ)や他の神事はまだ残ってます。昨日土曜日は月2回の家内のデイの日、街道写真の取り残した撮影や麻雀のついでに、7月24日巡行の後祭の山鉾をちょっと見てきました。三条通りに何で有るのと思いましたが、2022年から巡行を再開した鷹山で、鉾建ての最中でした。私の育った家から一番近い山鉾になってたのですね今までは一番近かった北観音山も、鉾建ての真っ最中。そろそろ夏休みに入ってたのか、引き初めをしたこともあったような気がします。麻雀の時間も迫ってたので、このまだ何も飾り付けられてない浄妙山の前だけ自転車を押して足早に通り抜けました。麻雀しながら、友達に曳山(ヒキヤマ)と舁山(カキヤマ)があると教えられました。祇園祭も山鉾の再興などありました...後祭

  • 豪華?な朝食

    今日は朝からもう暑いのでクーラーをつけなければなりません。1.昨日初めてパックに入ってる生野菜のサラダを買いましたが、夕食に出し忘れたので、朝に回しました。サクランボとみかんも入ってますが生野菜ですよ。2.休日には時々家内が作ってくれたフレンチトースト、これは出来合いのフレンチトーストですが、蜂蜜はかけ足しました。3.スクランブルエッグは作りました。家内はマヨネーズとケチャップをかけます。4.朝のコーヒーはちゃんといれたてです。5.ヤクルト1000はヤクルトレディが持って来てる分で、家内はこれで薬を飲みます。野菜サラダが付くだけで、いつもより豪華そうな朝食になりました。スクランブルエッグは全部食べましたが、サラダとフレンチトーストは半分ぐらい、私の計算ですがこれでカロリーは280Kcal・タンパク質は16...豪華?な朝食

  • 70.祇園ちご餅

    本日(17日)は祇園祭の山鉾巡行、曇り空で蒸し暑いですが、これくらいの方が木村君は楽ですかね。今年の祇園祭は、何も予定がなかったので、このブログを書き上げたら巡行のテレビ中継を観るぐらいです。ブログネタに困ったら続けていた「菓子珊珊(サンサン)」山下恵光著をもじった「菓子たくさん」、70回目になりました。祇園祭にちなんで、「祇園ちご餅」です。一包み三本入り、竹の皮風の紙で包み三色の短冊で飾ってあります。三本の串に刺された可愛いお餅です、一包み540円。稚児の御位貰いの帰りに、八坂神社の門前の茶屋で、稚児が一堂に味噌だれをつけた餅をふるまい、そのちご餅が疫を除き福を招くと評判になったようです。本家若狭屋(江戸時代創業)から別れた1893(明治26)年創業の三条若狭屋のご主人が、大正初期にこのちご餅のことを知...70.祇園ちご餅

  • 志賀山越3.

    いよいよ荒神口界隈を抜けて、賀茂川に架かる荒神橋(コウジンバシ)を渡ります。向こうの山が比叡山です。(比叡山とブログでよく書くようになって、やっと比叡山と漢字で書けるようになりましたが、いつまで覚えてられるか自信ありません)橋のたもとの河原に、2本の溝は有る敷石が敷いてありました。江戸時代まで立派な橋がない頃は、こんな風に河原の土手から川の中まで、こんな車石を敷き詰めて、この石の上を重い荷車や牛車を通していたようです。荒神橋の欄干の一部にも、車石を模したのか、こんなデザインの欄干も有りました。1914(大正3)年に立派な橋になり、つい最近耐震補強して、更に丈夫な橋になってます。荒神橋の上から上流を眺めます。私の在学中と違って、立派な建物に変わった京都府立医科大学の校舎や病院が目につきますが、私はこの河...志賀山越3.

  • 志賀山越2.

    荒神口周辺は、大学・研修医・修練医の10年ほどはホームグランドでしたので、「荒神口食堂」「天狗」などの食堂や麻雀荘「しかま」(どう書いたか覚えてません)、喫茶店の「リバーバンク」「しあんくれーる」など、甘い甘いようでほぼ苦かった青春の思い出多い場所です。最近WOWOWで観た映画「ヒポクラテスたち」監督大森一樹。私より数年下ですが、入学した時には高校時代に撮って賞を貰った、パラパラページをめくる映画で有名だった大森一樹君、学内の図書館でその映画を観ました。その後は本当の監督になって、「ヒポクラテスたち」は私より5年ぐらい下の医学生達の生活する映画でしたが、荒神口など懐かしい場所が出てきていました。ゴジラなどの大手の映画も撮って活躍してましたが、数年前に死んでいたことを今回知って、驚いています。それなりに通に...志賀山越2.

  • SIXPAD

    サッカーのロナウド選手が宣伝していたSIXPAD、巻きつけてるだけであんな腹筋の体に成りたかったですが、同じSIXPADでもこれは三浦雄一郎さんや最近は加山雄三さんが宣伝する、足の筋肉を動かずにずっと座ったままで鍛えるFootFitLiteです。昨年秋に家内が退院して来た時に、リハビリに良いかなと思い、丁度バーゲンだったので横の近代的竹踏み器も付いていたので買いました。電気で筋肉がピクつくのを家内は好まないので、私がその後ずっと続けています。効果の方はもひとつ判定不能ですが、まあ最近は散歩もしてないし通勤も車なので、テレビ観る時や寝る前に、気持ちも良いしマッサージ感もあるので続けています。唯一判ったことは、これを始めてからこむら返りで足がつることが無くなったことです。こむら返りがよく起こる人には、少し高い...SIXPAD

  • 帽子をかぶって

    家から地下鉄一駅の北山駅までは、家内との植物園散歩で乗りましたが、最近は通勤も車なので、本格的に京都市営地下鉄に乗ったのは8ヶ月ぶりぐらいです。マスクの人は1割ぐらい、エスカレーターで歩く人も見なくなりましたが、久しぶりの乗車にICOCA使用も緊張します。向かいの窓に映る帽子姿の自分をパシャリ。家内が月に2回の土曜日デイに行ってくれるので、地下鉄山科駅まで乗って、旧東海道を歩きます。山科駅近くの道端の道標には、大津札ノ辻まで1里半(約6㎞ですか)。家内は帽子好きですが、私は帽子をかぶる習慣が有りません(中学の制帽もほとんど被らず仕舞いでした)。この日は曇り空でしたが、日差しが差してくると、登山帽の威力がよく分かりました。確かにもう日本は、帽子か日傘が必要になる国になりましたね。とぼとぼと旧東海道を写真を撮...帽子をかぶって

  • 志賀山越1.

    続いて京の七口の一つ荒神口(コウジングチ)から滋賀県に抜ける、志賀山越(シガヤマゴエ)(私としては普段使ってる山中越(ヤマナカゴエ)の方が馴染みが有りますが)の回に移ります。地図は又、増田潔「京の古道を歩く」からの無断掲載ですが、荒神口から青矢印の経路です。写真で左右に走る河原町通りと前後の荒神口通りの交差する、ここが荒神口です。私には大学や研修医・修練医時代におなじみの交差点ですので、この辺から出発します。その前に荒神口通りを少し西に行った所にある、最近新しい校舎になった鴨沂高校(オウキコウコウ)を紹介します。1872(明治5)年に開校、1923(大正12)年に京都第1高等女学校、1948(昭和23)年京都府立鴨沂高等学校になった、私の出身京都市立堀川高校より名門です。最近は成績や人気に陰りが見え...志賀山越1.

  • 大原街道17.

    今は367号線となっている本道とクロスするようになってる旧道を、進みます。この辺りの山間の細長い集落が、八瀬童子と言われる人々の住居、本来の八瀬だと思います。八瀬(矢背)の地名の由来になってる、ちょっと疑問符の付く、第40代神武天皇の矢傷を治したと言う竃(かま)風呂の実物が有りました。まるで大きなお饅頭ですね。このかま風呂は、青木・青松葉を焚き、頃合いを見て火を引き塩水を撒いて、菰を敷いて中に入る蒸し風呂です。正面のこの小さな入り口から暗い中に入るのは(今は補強の柱が入っていますが)、小さなサウナでは時々恐怖感が出てくる閉所恐怖症の私には、入ってゆったりすることなどは無理でしょうね。前述の平八茶屋にも、これより大きく開放的なかま風呂が有り、食事した人は入れましたが、私は入りませんでした。祭神として菅原道真...大原街道17.

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、島の医者になってさんをフォローしませんか?

ハンドル名
島の医者になってさん
ブログタイトル
島の医者になって、た頃もあった
フォロー
島の医者になって、た頃もあった

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用