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  • 大原街道11.

    地図はやはり「京へと続く街道あるき」からの無断借用です。この地図の左端ぐらいが、今の我が家。1・2・3・4の番号順に、大原街道(若桜街道)を進みます。1.大原街道が北山通を横切る角にある双鳩堂(ソウキュウドウ)さん、島に行く前ぐらいまでは古い店構えだったのですが、最近新しく建て替えられていました。古いと言っても明治13年創業ですので、江戸時代の大原街道には無かったお店です。名物はこの「鳩もち」、これから行く三宅八幡のお使い鳩をかたどったお菓子で、以前私のブログ「菓子たくさん」でも紹介済みです。北山通を越えてすぐの三叉路の少し先に、東赤山道の道標を見つけました。明治17年建立、6丁(650ⅿ)東に行ったら、平安京の鬼門を守る、紅葉が綺麗な赤山禅院に至ります。2.先の三叉路を左にとって、再び川端通りに合流し...大原街道11.

  • 大原街道10.

    地図赤線の大原街道(若桜街道)に沿って、明治末までは無かった琵琶湖疏水支線をまたいで北上します、琵琶湖疏水支線を越えると、そこにもう賀茂波爾神社(カモハニジンジャ)(赤の宮神社)です。下鴨神社の境外摂社で、波爾は高野川がかって埴川(ハニガワ)と呼ばれていたことに由来するとも言われていますし、江戸時代には赤宮稲荷大明神と呼ばれ、稲荷社ともされていて、鳥居が朱塗りにされていたので、赤の宮と呼ばれていたこともあったようです。境内には波爾井(ハニイ)清水と呼ばれる御神水があって、今もこの湧き水は豊富な水量が有ります。さらにもう少し街道を進み、曼殊院道と交差する角に、明治25年建立の「比叡山無動寺大弁財天道六十八丁」の大きな道標が立っています。ここから曼殊院を通って雲母坂(キララザカ)を上り比叡山の上まで6...大原街道10.

  • 京都府立植物園

    本日日曜日朝、家内を誘って植物園まで一駅、地下鉄に乗って散歩に行ってきました。帰りに近くでランチする予定でした。それほど暑さもなく、休み休みゆっくり歩いてバラ園まで。バラは気持ち悪いぐらい満開、色々ありますが赤いバラと白いバラがやはり一番バラらしい。さつき展もやってました、「さつきとツツジはどう違うのですか」とおじさんに質問したら、「同じようなものですが、咲く時期が違いますし、交配していろんな色の花を咲かすのがさつきです」と答えてくれました。盆梅・盆桜・盆皐月と、同行の人はどこにでもいるんですね。花しょうぶも満開ですかね。さすが植物園、ドクダミもあちこちで群生してましたが、我が家の庭のドクダミの方が花は大きかったです。花も綺麗ですが、今の季節は新緑も気持ちいいです。家内に従って、休み休み歩き、新緑に浸るよ...京都府立植物園

  • 庭の花

    最近メール交換頻回のメール友達と言うかメール親戚の小母様と、庭の手入れや草花の話などで盛り上がっています。それで今回の私のブログはいつもとは趣の違うブログになりました。(これは花水木さんのブログではありませんよ)ドクダミがはびこってるので、それを抜き始めてますが、簡単に抜けると思って楽しんでいたら、「地下茎で増えるので追いかけっこに負けないように」と、メールで指示も貰いました。ドクダミを写真で一輪アップにすると、綺麗で凛とした花なんですがね、抜いてると手に匂いが残ります。今まではあまり庭に出ることはなかったですが、家の管理もしなくてはならなくなり、庭に出てますが、小さな庭もよくよく見てみたら、野草と言うか雑草と言うか、いやいや家内が育てた花の残りか、可愛い花が咲き乱れるほどではないですが、有りますね。結構...庭の花

  • 大原街道9.

    「そすいさんぽ」の地図を借用。左の川が賀茂川、右の川が高野川です。赤線に沿って疏水は流れています。青点線が今歩いてる大原街道、左の青線が前回の鞍馬街道になります。そして今丁度、琵琶湖疏水の疏水分線である白川疏水道の青〇印にいることになります。その青〇に立って東を向いての写真です。明治以降の大原街道は、疎水分線をまたぐことになり、疎水の水は東(画面奥)から西へ流れています。ここからもう少し西に流れた分水は、高野川の下をサイフォンの原理で越えて、松ヶ崎浄水場に琵琶湖の水を送ってましたが、現在は高野川の下を流れる水路は無くなって、直接この水は高野川に流れてしまうそうです。したがって、高野川の西にある松ヶ崎浄水場には、今は琵琶湖の水は到達してないので、琵琶湖疏水分線は今ではここで終了です。=琵琶湖疏水分線=滋賀県...大原街道9.

  • 大原街道8.

    写真の地図は、また竹内康之さんの「京へと続く街道あるき」からの無断借用です。下方の出町柳から赤→とは逆に、やや高野川から離れるように大原通に沿って北上します。1908(明治41)年に竣工した鐘ヶ淵紡績(鐘紡)京都工場の跡地が、大原通が北大路に達する前に見えてきました。赤レンガの建物の一部が残されて、公園になっています。1975年に閉鎖された工場跡は、1978(昭和53)年に、川崎清さん設計の公団東大路高野住宅として生まれ変わりました。工場があったことは知りませんが、公団が出来たのは、私たちが松ヶ崎に引っ越してきた頃なので、憶えています。今では日本に沢山の外資系ホテルが有りすぎるぐらいですが、日本初のホリデイインがこの高野川沿い✖に出来たのは、1973(昭和49)年私が働きだした年です。泊ったことは有りませ...大原街道8.

  • 徳島旅行

    8ヶ月ぶりの一泊旅行。娘夫婦と孫二人と私たち夫婦の6人で、婿さんの運転での旅です。助手席に座っていたら、たとえ高速道路でも、首を回して周囲の景色もゆっくり眺められ、天気も良かったですし、良いドライブです。鳴門の渦潮の観潮船を大鳴門橋通過の時に眺めていたら、肝心のブログ特派員としての写真撮影を忘れていたことに気づきましたが、時すでに遅し、もう四国に上陸寸前の、この小鳴門海峡に架かる撫養橋(ムヤバシ)通過の写真しかありません。徳島への旅は、家内の母親(92歳)の見舞いと言うか、家内よりしっかりしてる義母に家内を見舞ってもらう為の旅でした。一泊しての帰りは雨、大鳴門橋通過時も雨でした。明石海峡大橋通過時も雨、対岸の神戸も霞んでいました。10歳年下の義弟が、父の日に息子から贈られた「THEFIRSTSLAMDU...徳島旅行

  • 69.日向夏 鶴乃子

    今回もゆで玉子は完璧に殻が剥けました?でもこれは鶏の玉子ではなく鶴の玉子です。今回は割ってみても卵でしたが、本当は宮崎県産日向夏を使用した餡をふんわり生地で包み込んだ季節限定(5月~8月)「日向夏鶴乃子」です。明治38年創業の博多の老舗石村萬盛堂の名物お菓子鶴乃子の一つですが、爽やかな酸味と香りの夏の風味と言うことです。1個100~130円ぐらい、フワフワっとマシュマロよりも柔らかく食べられて、好きです。69.日向夏鶴乃子

  • 68.ごまたまご・チョコたまご

    最近はゆで玉子はほとんど作らず、目玉焼きばかり。それも蓋はせずに、ゆっくり弱火や余熱で目玉焼きを作ってますので、黄身は黄色いまま綺麗ですが、これで黄身はほぼまだ液体ですので、啜って食べてます。久しぶりにゆで玉子を作って、完璧に殻を剥いてみました??茶色いのもあるので、バレましたね。完璧に剥けたゆで玉子ではなく、黒ゴマのペーストと黒ゴマ餡をカステラ生地で包んでホワイトチョコでコーティングした「ごまたまご」と、ココアスポンジでキャラメル餡とチョコフィリンクを包み込みキャラメルの香りを添えたダークチョコで仕上げた「チョコたまご」です。舌を噛みそうな材料で出来てるややこしそうなお菓子ですが、東京の定番土産の様です。東京玉子本舗銀座たまやさんの「ごまたまご・チョコたまご」、1個170円ぐらいですかね。断面では完全に...68.ごまたまご・チョコたまご

  • ゴールデンウイークはいつもと同じ

    今年のゴールデンウイークは、3連休3日空いて4連休が世間の流れでしたが、私は毎週4連休なので、全くゴールデンウイークの恩恵は受けない年になりました、と言うか毎週がゴールデンウイークの私です。4月26日(木)、連休前の仕事場の庭の枝垂れ桜は完全に緑で、隣の柳や楓と区別がつかないようになってました。ゴールデンウイーク前半の4連休は、道の駅巡りや近所の散歩だけで済んでしまいました。写真の比叡山も緑みどり、もう山笑うの季節は過ぎてしまったことになるんですかね。いろんな道の駅では、3日とも早い昼を食べて混まない間に帰ってきましたが、草津の道の駅の「コロッケうどん」は意外と美味しかったです。後半の4連休は、娘夫婦に連れて行ってもらい、奈良の息子宅まで孫も一緒にドライブ。阪神はゴールデンウイーク中4勝3敗1引き分け2回...ゴールデンウイークはいつもと同じ

  • 大原街道7.

    ゴールデンウイークはなんということなく過ぎて行ってます。ブログはいよいよ地図青点線大原街道を行きますが、文字通り大原通を行きます。大原口から賀茂川に架かる出町橋を渡り鴨川デルタも散策した後、高野川に架かる河合橋を渡ります。川が合流する所にある橋だから河合橋か、なるほどと一人納得してましたが、近くにある下鴨神社の摂社河合神社から付けられたようでした。河合橋、大正7年(1918)に建築家武田五一設計の立派な橋です。最近拡張整備されて、京阪出町柳駅から下鴨神社へ行く観光客が歩きやすくなりました。河合橋を渡ると、京阪電車・叡山電車の出町柳駅です。高野川左岸に沿って北上するとすぐ、京都府下鴨警察署です。最初の免許更新は、まだここで出来たような気がします。御蔭橋(ミカゲバシ)の通りを右折し、すぐに左折して、何とな...大原街道7.

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