体力、健康、親の介護、自分の仕事――再び会うためには、越えなければならないハードルがいくつもあります。冷静に考えれば、健康に旅ができる時間は、あとせいぜい20年ほど。そして、10年ぶり、20年ぶりに会ったこの友人たちとは、あと1回、2回会えるかどうかなのです。
イギリス情報ブログ「ふわりいぎりす」から片足スピンオフのジゴロッキーです。改名「はる」でよろしくお願いします。人生100年時代を皆さんと一緒に考えていきたいです。
劇場の扉が開き、幕が上がる。そして、あの幻想的なオルガンの音が鳴り響く。長いこと待ち望んだ瞬間が、ようやく訪れようとしている。
ロンドンは「歩く人々に優しく、車に乗る人には冷たい街」なのだ。
犬が私に与えてくれたもの。それは単なる1時間の散歩ではなく、自由な時間だった。デバイスに支配されることなく、情報の波から離れて、ただひたすら歩き続ける。
羽田から飛ばないBA ETAを申告し忘れてイギリス行きをキャンセル
Xさんのイギリス旅行は完全にキャンセルされ、友人の旅もスタートからつまずいた形となった。これには本人も「もうロンドンはやめておこうか」と思わず呟いたそうだ。それでも、リベンジをしたい気持ちはどこかにあるらしい。
月10%という高金利はさすがに非現実的だし、私自身の財布が持たないだろう。でも、その時になったら、また新しい方法を考えればいい。
高級ブランドアウトレットに朝早くから来てみると. . . ビスタービレッジ:ブランドと現実の交差点
私自身は買い物をする気になれなかった。ただ、車の中で紅茶を飲みながら、通り過ぎていくショッピングバッグと、それを抱えた人々の表情を眺める。それだけで、十分にこの場所の「魔法」に触れることができたのだ。
待ち合わせの時間になっても、彼女は一向に姿を見せなかった。もっとも、急ぎの用事ではないし、遅刻くらいで目くじらを立てるような私ではない。待つ間、空気を吸い込み、風の音に耳を澄ませながらグラストンベリーの風景を楽しんでいた。そして、彼女が到着したのは約20分遅れ。ツアーは完全にプライベートなものだったから、遅刻の影響は特に問題にはならなかった。彼女は悠然と現れ、微笑みながら挨拶をした。東京で中小企業を率いる50代の女性社長。その肩書きが示すように、彼女の佇まいにはリーダーシップと芯の強さが感じられた。今回の旅は、彼女が希望者を募って企画した社員旅行で、参加者は3人。彼女と、初めてイギリスを訪れるという2人の部下だった。グラストンベリーへ向かう車内では、窓の外を流れる風景に部下たちが感嘆の声を漏らし、初めて触れる異国の空気に心を弾ませていた。その姿を見て、彼女もどこか満足げに頷いていた。グラストンベリーのパワースポット今回の目的地は、イギリス屈指のパワースポットであるグラストンベリー。アーサー王伝説や聖杯伝説の舞台とされるこの地には、グラストンベリートーやチャリスウェル、修道院跡といった神
これからの季節に、私は自分自身の新しい挑戦を探したいと思う。今年は私にとって節目の年でもある。何かを始めるのに遅すぎることなど決してない。季節の移ろいがそう教えてくれるように、自分の中の小さな「変化の芽」を大切に育てていきたい。
孫が犬を残しこの世を去る 今日を生きる96歳 誕生日を迎える
犬が繋いだこの出会い。犬を散歩に連れて行きながら、彼女の話を聞き、そして彼女の96年の人生のほんの一部を共有する。そんな時間が私にとっても心地よいものになっている。
1月の東ヨーロッパは、普段の忙しさを離れて自分の感覚を取り戻すにはちょうど良い。冷たい風に吹かれながら街を歩き、心の中に静かな温かさを取り戻す。それが冬の旅の醍醐味ではないだろうか。
ただの運動不足解消ではなく、何かもっと深い人と犬との繋がりを背負うような感覚だ。そして、それを私がほんの少し支えている。
先月、友人の一人が亡くなった。ビルダーとして生きてきた彼は、がんという病に一年余りの闘病の末、静かに幕を下ろした。彼がその病を知らされたとき、すでに転移は進んでおり、残された時間は限られていた。幾度か手術を試みたものの、がんの進行の速さには抗えなかった。時間との戦いイギリスの医療制度――NHS(国民保険サービス)は無料で利用できることで知られている。だが、その裏には巨大なウェイティングリストが存在している。診察や手術の順番を待つ時間は、しばしば生命そのものを左右する。そして、その現実を友人の死を通して改めて実感することとなった。実際に聞いた話では、がんが見つかったある人は、手術まで半年を待たねばならないという状況にあるそうだ。昨年の12月、彼はがんの診断を受け、1月には臓器摘出の必要性が告げられた。だが、実際の手術が予定されているのは5月だ。半年という月日。その間に抱える不安と恐怖は計り知れない。誰が時間を手に入れるのか一方で、王室のキャサリン妃が昨年がん治療を受けた際、手術から化学療法の終了までの流れは迅速だった。そして、秋には元気な姿を見せている。影響力や資源の違いが、命を守る速さ
年齢を重ねるほど、理想と現実のギャップは広がる。新しい仕事への挑戦と年齢的な限界。
お金はただの道具だ。それ自体に価値があるわけではない。大切なのは、それを使って自分の人生をどう彩るかだと思う。
離職2回 子供の誕生日を迎えると思うこと コロナの2年は大きすぎる
誕生日を迎えた子どもたちはまた新たな年齢に進み、自分たちの歴史を一歩ずつ刻んでいく。それを見届けることが、私にとって何よりの喜びだ。
結局、大学は目的ではなく、手段にすぎない。何を学ぶかよりも、どう生きるかを考えることが大切だ。それを私は息子に伝えたい。
家庭内の居場所がなくなってきた時に思うこと 元サラリーマン40代男性
私が変わるためには、まず自分を再発見しなければならない。そうでなければ、だらしない父親像に自らを閉じ込めてしまうことになるのだ。
96歳といえば、1929年生まれ。第二次世界大戦が始まる10年前にこの世に生を受けた計算になる。彼女は子供時代に戦争を経験し、その後の目まぐるしい世界の変化をくぐり抜けてきた。そんな彼女が、今ここで犬と一緒に私を待っている。その事実に、なんとも言えない感慨を覚える。
知っていると言わないと申し訳ないが、それほど知らない でも本当は知っていることなのかもしれない
問題となるのは、「検索」では補えない領域だ。たとえば、文脈や話し手の微妙な意図、あるいは肌感覚でしか理解できない背景といったもの。どれだけ効率的な検索アルゴリズムが存在しようと、それらを完全に掴むことは難しい。
もう少しの辛抱だ。暗黒の世界から抜け出す日は、もう遠くない。その時が来たら、私は再び光の中を歩き出し、新しい季節に向けて、ゆっくりと心を開いていくのだろう。
その猫はある静かな午後、眠るように息を引き取った。家族は猫が大好きだったおもちゃを一緒に持たせ、庭の片隅に埋めた。子供たちもその姿を見送り、小さな手を合わせて「天国で元気に遊んでね」とつぶやいたという。
イギリスの住宅事情について語るなら、まずは中古住宅市場の活発さに触れなければならない。イギリスでは、取引される住宅の約8割が中古だと言われている。築100年のレンガ造りの家が普通に存在し、それがまた現役でしっかりと建ち続けている。地震がほとんどないという地理的条件がそれを可能にしているのだ。そんな中古住宅を購入するとき、ほぼ間違いなく必要になるのがビルダーだ。日本でいうところの大工職人に相当するが、イギリスでは彼らを「ビルダー」と呼ぶ。だが、良いビルダーを見つけるのは容易ではない。誰もが友人知人に「どこか良いビルダーを知らないか」と聞いて回る。そして、その答えが得られるまでには、往々にして時間がかかる。ポーランドから来たビルダー私の家でも10数年前、一人のビルダーを見つけた。それはポーランド人の男性で、彼は住み込みで仕事を請け負い、朝7時から夜9時まで黙々と働くタイプだった。夕食は一緒に食べることが多く、いつしか2週間もすれば家の中は驚くほど見違えるものになった。バスルーム、キッチン、各部屋のフローリング、壁紙、玄関――すべてが彼の手によって魔法のように生まれ変わった。私が仕事から帰る
大学に入る頃には「もう野球は二度とやらない」と固く心に決めていた。無理を続けた結果、スポーツそのものが遠い存在になってしまったのだ。
ジャックとの散歩は、責任感と自由のちょうど良いバランスを保ちながら、自分にとっても豊かな時間を提供してくれている。
「忘れない」ということ、それ自体が人間にとって大切な行為だ。Xさんはそのことを、息子の誕生日を通して私たちに教えてくれている。
その道筋をどう歩むかは、自分自身の選択にかかっている。そしてその選択の中に、Xさんのような新しい自由と喜びがあることを願いたい。
「お前がしっかりしつけをしないから、娘はこんなことになるんだ」と子育てを拒否する父
子供が家を出るー親子の関係とはどうあるべきか。それを問い直しながら、次の世代へと希望を託すのだ。
夫婦関係というのは、不思議なものだ。長く一緒にいればいるほど、わかったつもりで通り過ぎてしまうことが増える。でも時には、こうしたカードゲームのような小さなきっかけが、新しい風を吹き込むこともある。
2025年、新年明けましておめでとうございます! 新年のスタートは. . . 過去を振り返るという選択 プレッシャーを手放す 自分らしいスタートを切る で、始めたいと思います 今年もよろしくお願いします
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体力、健康、親の介護、自分の仕事――再び会うためには、越えなければならないハードルがいくつもあります。冷静に考えれば、健康に旅ができる時間は、あとせいぜい20年ほど。そして、10年ぶり、20年ぶりに会ったこの友人たちとは、あと1回、2回会えるかどうかなのです。
イギリスには「イレブンプラス(11+)」と呼ばれる中学受験制度があります。これは、主にグラマースクール(選抜制の公立中高一貫校)への入学を希望する児童を対象とした選抜試験です。試験は年によって異なりますが、通常は小学6年生が始まる9月頃から10月末までに実施され、その結果は翌年の3月初旬に発表されます。
あと何年、日本に帰れるだろうか。あと何回、この気持ちを味わえるのだろうか。
今回は、私が実際に試した「イギリスから日本への長距離フライトで時差ボケを最小限に抑える方法」についてお話しします。
イギリスの小学校では、Year 6(日本でいう小学6年生)になると、5月に「SATS(Standard Assessment Tests)」という全国統一の学力テストを受けることになります。
かつて「海外で働くこと」は、多くの日本人にとって憧れだった。とりわけロンドンやニューヨークのような国際都市での駐在は、エリートの証であり、昇進への近道とさえ考えられてきた。しかし今、その価値観は大きく変わりつつある。
私がある受託会社と契約した際、最初は「業務委託だから自由にやっていい」と言われました。しかし、蓋を開けてみると、マニュアルを渡され、その通り作業することを指定されました。さらに、「事後報告書」と称して、毎回のようにレポート提出が義務付けられました。
1945年5月8日は、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の終結を記念する戦勝記念日(VEの日)です。2025年はその80周年にあたり、この重要な節目を記念し、平和を改めて考えるための様々なイベントがロンドン各地で計画されています
ロンドン郊外の静かな住宅街に、1930年代に建てられた私の家が佇んでいる。
ロンドンで暮らす私は、日本米の値段を通じて、日本のいまを遠くから見ている。
国土の約70%が農地に使われているにもかかわらず、農業が国内総生産(GDP)に占める割合は、わずか1%にも満たない
親の温もりも、家族の食卓もない。夜中に目が覚めても、誰も背中をさすってはくれない。それでも、子どもたちは自分の力で立っていかなければならない。孤独と向き合うこと、そしてそれを乗り越えること。それが、ここでの最初の試練だ。
ギリス人だって行列をつくるのだ。いいものを求めて、静かに、整然と、長い時間をかけて待つのだ。 でも、私はと言えば──たぶん、やらない。
「あの頃、パパが作ってた料理、意外と悪くなかったな」と口にしてくれる日が来ることを、私はどこかで信じている。
イギリスで会社を作るというのは、思っていたよりもずっと簡単だった。
10代の脳を守るために、我々にできることは
海外のマラソン大会にはまったく関心がない。
イギリスの高齢者の中で、自宅を売って賃貸へ移る人は年々増加しているという。
住宅型認知症ケアの費用はイギリス全体で週£1,449、ロンドンでは£1,756。彼の母親が入所した周辺の施設では、週£1,700から£1,900程度が相場だという。 毎月ではなく、「毎週」の金額だ。 それはつまり、年間で£90,000を超えることもあるという現実。
庭ごみや家具、電子機器にDIY廃材まで、実に多種多様なゴミを、区民であれば無料で引き取ってくれる場所だ。
長い結婚生活。片付けが問題で破局を迎えるのは悲しい。 この問題は真剣に考えていきたいものである。
小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。無職生活561日目を迎えた。(リンク⇨560日目の記事)フランスのパリとイギリスのロンドンはユーロスターでユーロトンネルを通って2時間30分でたどり着くロンドンから弾丸ツアーで早朝に出て、パリを1日楽しみ、夜に帰ってくるイギリス人も多い。そんなパリは近いようだが、ロンドンと比べると、もちろん言葉や文化は大きな違いだが、治安の良さも違う。ロンドンでは路上生活者が、このインフレで若干増えたように思えるが、彼らは悪いことはしない。ただ地面に座って小銭をお願いしている。しかし、パリに行くと様子がガラッと変わる。娘との旅行を楽しみで親子2人でパリを訪れたX氏は、人通りの多いハイストリートで、スリにあった。それもわからないように抜き取られるなら相手の顔も知らずに、お金がなくなるだけで済んだことだった。しかし、X氏は顔を見てしまい、しかも財布の抜き取りに失敗したスリがバッグを堂々と開けようとし
私は今はそれを信じてとにかく書き続けるしかないと思っている。 いつかこのブログ読んでくれますように。
「みんなのお喋りがうるさくて2時間しか寝れなかった!!!」 (でしょうね。そりゃそうなるわ)とパパは思った
航空会社側も、もちろん2度と同じ事故が起きないように努力はするものの、天災のような乱気流の事故は防ぎようがないこともある。
早くこの苦しみから解放されたい。
日本は徐々に若い世代にも円安の恩恵を受けて、裕福になってきている。
私は驚いた。「水を5リットル持ってきたの?」と、驚きのあまり、2度聞きしたいために、同じ答えを求めた。
ネットフリックスで宣伝を見るのは、すぐ慣れて、「宣伝がなかった時代は懐かしいなぁ」と思える時が間近に迫っているのである。
娘が夢中になって長い間懇願していたのが水筒
小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。無職生活552日目を迎えた。(リンク⇨551日目の記事)今日は娘の学校へ授業参観に来た。授業参観といっても、15分程度の内容で、子供たちがどんなことを自分のノートに書き綴っているかを見せる会だった。机はグループで分けられテーブルに子供たちが座っていて、その隣の席は空いている。自分の親が来ると隣に座って各教科のノート、5冊ぐらいを順番に見せてくれる。周りを見ると、他の親たちも自分の子供の書いたノートを見せられている。そこには先生がパソコンからプリントアウトした授業に必要な内容がカラフルに説明されて、子供たちはそれを切り取って、自分のノートに貼り、勉強した内容などを手書きで書いてある。あれ?教科書はどこ?と、娘に問いかけると大きな「?」が現れた。「パパ何を言ってるんだ?」と娘の反応であった。向いに座った地元のお母さんに昔は教科書あったよねって聞くと、いや私の時も学校の時は教科書なかっ
とりあえず、目標が立てられない子供にはイギリスのAレベルを受けさせ、ゆっくりと将来を考えて欲しい。
孤独と孤立は別で、孤立して誰も助けてくれる人がいなくなるのは、本当に辛い。しかし、孤独であっても、自分の信念を貫いて生きれば、人はついてくるのである。
facebookで大量のメッセージをもらって、一言で「みなさん....ありがとう」とまとめて言うのも嫌いなので、本当に祝ってくれる友達だけがいれば、それでいいのかなと思った。
あまりにも値段が違いすぎて、本当は300ポンドも高いのかもしれないが、そんな心配は簡単に打ち消すぐらいその前の提示価格に比べると格安だったので、その値段で承諾した。
銀行側によるファインプレーで私は被害を免れた。
離婚は今まで築き上げた家族の絆を断つことで、それは簡単ではない。
この年で無職で何やってるんだろう。 それともこれが第2の人生で、神様が「何かを成し遂げろ」と警告を促してくれているのか?
子供は何歳になったら携帯電話を持たせるかの質問は、スマートフォンを持たせるのはお勧めできないが、連絡手段としてガラケーのようなものを持たせるのであればそれは賛成である。
2007年6月29日の初代iPhoneの発明から17年が経とうとしている。