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  • 行業果報という不可思議

    阿難白仏 我不疑此法 但為将来衆生 欲除其疑法 故問斯義 (無量寿経巻上) 阿難、仏に申して言う。「我、この法を疑わず。ただ将来の衆生のために、その疑惑を除か…

  • わたしの場合

    僧侶になったが、わたしの場合ということがある。矜持とかではなく、他の人には当てはまらないからで、分かっていなければ、何をしているのかがブレてしまうこと。他の宗…

  • 阿弥陀仏の十九の光の名

    阿弥陀仏の光を讃える呼び名、現代のインド人も部分的に共通する名前を持つ人が多い。 是故無量寿仏。号無量光仏◦無辺光仏◦無碍光仏◦無対光仏◦焰王光仏◦清浄光仏◦…

  • 生命の前には価値も無価値もない

    母がたおれて以来、意識があるように目は動いているが 身体はもちろん声も出せない。 何もいいこともない、いつまで続くのか分からないこんな時間に価値などあるのか …

  • 脳と心と体にいい習慣

    人にありがとうを伝える起床したら白湯を飲む朝に日光を浴びる散歩の時間を作る鏡にポジティブな言葉を伝える20分の入浴で浸かって流す15分のフィエスタ12時間断食…

  • 偏袒右肩長跪合掌

    無量寿経の冒頭にあるこのシーン。 尊者阿難 承仏聖旨 即従座起 偏袒右肩 長跪合掌 而白仏言「爾の時に、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして、光顔巍巍とまします。尊…

  • おじいさんの言葉

    あのな、もし仏教して得々とした顔で人より偉くなったと思うようになるなら せんほうがマシやで。ほんまに仏道を歩んでいる人間は、誰かより優越になることはないんや。…

  • 本当のところ三宝に帰依したか

    仏教徒は三宝に帰依する。これは宗派問わず共通している。 ただこの三宝というのが、個々人でかなりな違いがある。 宗派によっては、仏が違うし、教義も異なる。僧に至…

  • どこかにある光明なのか

    吉川英治「宮本武蔵」地の巻に光明蔵という章があった。 姫路城の開かずの間に三年間幽閉される身となった武蔵に、 沢庵房が言い残した言葉、和漢の書籍だけはいくらで…

  • 光をさえぎるもの

    阿弥陀仏のことを無碍光如来(Amitābha)という。 南無阿弥陀仏は、帰命無碍光如来ということでもある。 無碍の光とは、遮られない光なのだが、すごい光なのだ…

  • 無我でない他力はあやかりか

    「我欲手伝う仏おわざす」という池田勇諦師のご法話で、はっきり言い切られた通り、 そういう仏も神秘的な力もありはしない、がそれがあるのですよという宗教の方が多い…

  • 嬉しいと感じるとき

    喜び、歓び、慶び、悦び、つまり嬉しいということなのだが、 喜びは喜びでしょ、で終わっている現代人の私には、文章を書く教養で漢字を変えていても、 日常的にここま…

  • 般若波羅蜜多

    般若波羅蜜多(プラギニャパーラミター)प्रज्ञापारमिता Prajñāpāramitā はPrajñā(般若=智慧)pāramitā(波羅蜜多=完成…

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