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  • 娘からの返事

    少し前のブログに、立志にあたる娘に手紙を書いた事を書いた。 kodoketter.hatenablog.com そして、数日後娘の手紙に対するリアクションについて書いた。 kodoketter.hatenablog.com そしてそして、そんな娘から返事が届いた。 「お酒をやめたのは偉いけど、タバコもやめられるように頑張って下さい。」 と。 ・・・何かがおかしいと感じたけれど、僕はそんな家族が好きだ。

  • 生きているという事

    大それたことだけれど、生きているって素晴らしい。生きているって素晴らしいって思えるって素晴らしい。当たり前のようで全然当たり前じゃない素晴らしさを噛み締めながら生きていく。

  • 不思議なこと

    2ヶ月ほど前、何もかもがイヤになり断酒を辞めてしまおうという思いを別のブログに書きなぐった事があった。そのブログに、心を落ち着かせてくれるようなコメントを頂いた。それはブログにコメントをいただいた初めての経験だった。結果的にそのコメントによって、今の私が存在している。そのコメントが予知していた今がある。コメントをいただいた方はブログを書いているわけではないので感謝を伝える術は無いけれど、感謝申し上げます。

  • 休日の午後

    のんびりと、おもいおもいの行動をしている二匹のネコを視界の片隅にとらえながら、以前息子から誕生日祝いか何かでもらったコーヒー牛乳が注がれたコップをテーブルに置いて本のページをめくっていく。今の僕の休日の少し贅沢な過ごし方。

  • 仕切り直し。

    仕切り直すということは、人生において素晴らしいことの結構上位に来ることだと思う。過去に引っ張られず、今まで生きてきた中で一番年長者であるタイミングで物事を見つめ直し、改め、直す。そしてそれができるタイミングである、今が未来を見据えると一番若いときでもある。仕切り直して、新しい自分で明日を迎える。

  • 気づかされた言葉

    あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない。エレノア・ルーズベルト

  • ありがとう。

    先日、娘に立志にあたっての手紙を書いた。どうやら今日が立志式だったようだ。娘が帰ってくると、「手紙読んだよ。ありがとう。」と、言ってくれた。僕は近しい人に程、「ありがとう」という言葉をかけるのが苦手だ。それをさらりと娘に言われたことで、なんだか気恥ずかしくなった。そして、すこし遅れて暖かな気持ちがやって来た。

  • 何気ない日常。

    夕食を終え寛いでいるとき、猫が猫砂を派手にこぼしながら用をたす。嫁「お父さん、トイレ取って!」猫に若干ながら迷惑そうな視線を浴びせられながらも速やかに猫砂の掃除をする。掃除を終え手を洗おうとキッチンに行くと、米研ぎをしていた娘に娘「手は洗面所で洗って!」と迷惑そうにピシャリと言われる。すごすごと洗うことを遮られた両手を行き場なく、胸の位置へ留め、ぐったりとしたキョンシーのような格好で洗面所に行くと、洗い物をしていた嫁に嫁「キッチンで洗って!」キッチンに行くと・・・娘→嫁→🐈→(--;)いつかこんな日常も思い出になる。

  • 娘への手紙

    娘が立志にあたり手紙を書くことになった。漢字が苦手な僕はブログで下書きを書いたのでそのままあげておくことにする。まるへおそらくまるに改まった手紙を書くことは初めてだと思うけれど、立志という事で、お父さんはまるに今手紙を書いています。 まずはいつも元気でいてくれてありがとう。まるの元気な姿を見て、お父さんは時々癒されています。さて“立志”という言葉を調べると、志を立てること。将来の目的を定めて、これを成し遂げようとすること、とあります。お父さんも今のまるの年に学校で立志式をしましたが、あまりピンと来なかったことを覚えています。ただなんとなく、これからの高校受験などを考えて、頑張らなければいけない…

  • 日記のようなもの。

    僕がブログを始めたきっかけは断酒だった。 一日一日をシラフで過ごしていくために、自分を俯瞰して見られるようになるためブログを始めた。そして断酒が当たり前になって来るにつれ、回りの人達に苛立つことが多くなり、その感情を吐き出すためにこのブログを別に始めることにした。このブログを始めたのと同時期に、本を読む習慣を再び始めた。以前はよく読んでいたけれど、アルコールによって遠退いていたものを、断酒によって引き戻したことになる。そしてこれからしばらくはアウトプットの場としてこのブログを書いていこうと思う。

  • 雪を降らせるのも溶かすのも、自分次第。

    自分に余裕がないとき、物事がうまくいかないとき、僕は回りの人を知らず知らずのうちに傷つけている。それは口数が少なくなったり、表情がぎこちなかったり、そんなに大それたことではないけれど、確実にそれらのおこないは、回りの人たちの心に、しんしんと降る雪のように、静かに積もっていく。そうすることが、無意識ではあるけれど、自分という存在を保つためにしていることだということを、僕は知っている。そんなちっぽけな自分は、どこかにしまって、雪を溶かす太陽のような人になりたいと思う。

  • ふと思った事。

    今日、仕事で嫌な事があった。 家に帰ってきて、その事をボーッと考えていて、ふと思った。 今、きっと僕は死んだ魚のような目をしているだろうな。と。 そしてまた、ふと思った。でも別に黒目が無くなった訳ではないので、死んだ魚の目には似ていないだろうな。と。 またまたふと思った。そもそもこの例え、魚に失礼じゃないかな。と。 最後にふと思った。こんなことを考えていられるうちは、まだまだ頑張れそうだな。と。にほんブログ村

  • マーケティングで重要視される商品の差別化について。

    先日、奥さんとノートパソコンを買いにいって炊飯器を手に帰ってきた話を書いたけれど、たまにお店にいくと色々な発見がある。例えば、商品の差別化について。現在僕は自称マーケターとしてblogを書いているけれど、正直マーケティングについて考え始めたのはつい最近の事であり、匿名性であることをいいことに、好き勝手書き殴っているだけのただのおじさんです。そんなただのおじさんが、価値を伝えることの大切さと大変さについて考えるようになってから、おそらくはじめての改まった買い物が前回の事だった。だからただのおじさんは(しつこい)前回の買い物をいつものbusinessの立場からconsumerという逆の立場にたって…

  • 今日から仕事初め。

    自分にできることを一つ一つ、ただ行うだけ。

  • マーケターvs電気やさん

    昨日奥さんと、ノートパソコンを買うために電気やさんへ出掛けた。この時期、年に一度の年賀状の作成に辺り、スマホとプリンターのみでの効率の悪さにうんざりし、いい加減パソコンを買おうという話になっての延長上の行動だ。今の時代、ネットで欲しいものを見つけて完結させることが出来るけれど、たまには誰かと一緒に、何かを買うことを目的として出掛けるのも悪くはない。自宅から、車で10分程度走らせた場所にある電気やさん(家電量販店)は、規模のわりには比較的空いており、入り口近くの場所にスムーズに駐車することができた。僕が子供の頃は、この手の規模のお店にいくことはとてもワクワクする事だったけれど、そのワクワクと引き…

  • 自由に生きたい。

    たくさんの人がいて、その人の数だけたくさんの考え方がある。そこにはもしかしたら法則のようなものはあるかもしれないけれど、何が正しいか何て考えることにきっと意味はないと思う。たぶん、何が正しいか?の向こう側には誰かが居るから。今年はなるべく、誰かを気にせず過ごして行きたい。にほんブログ村

  • 課題の分離について考える。

    前回、僕にはたくさんのボールが回ってくることについて書いたけれど、これを課題の分離、という側面から考えてみる。一つ一つのボールについて、くるくると転がしながら色々な角度から見つめてみると、そのいくつかのボールは僕が持つべきものではないことに気がつく。その結果、体育館の倉庫にあるボールを入れるかごにそれぞれを仕分けしていく。僕はバスケ部だからバスケットボールはこっちのかご、サッカーボールはあっちのかご、うちにラグビー部はないからきっとこのラグビーボールは隣の学校のもの。そこでひとつ問題がおこる。仕分けしているところにサッカー部員がやって来て、サッカーボールを指差して、「これはバスケットボールだよ…

  • 利用されるという思いの後ろにあるもの。

    僕にはどういうわけかたくさんの仕事が回ってくる。仕事の進捗を任されている状態のことを、“ボールを持つ”と言うけれど、気づけば僕の回りには皆に見放されたたくさんのボールが転がっている。それらのボールは、ひどいときには一つの会議で、4つ位僕の手元や足元に補充される。それは時には会議が始まる前から僕の前に置いてあったり、あらぬ方向からプロ顔負けのスルーパスでピタリと僕の足元に吸い寄せられたりと方法は様々あるけれど、そのボールを前に進めなければならない役割が僕であるということはいつも一致している。 さて、問題はそれらのボールをどうするかと言うこと。以前までの僕はあまりにもたくさんのボールにあわてふため…

  • 実際の光と影と職場の光と影との違いについて。

    光と影。太陽から降り注ぐ、光を身体中に浴びるとき、人は自分の後ろにある、影の存在なんて気にもとめない。太陽の日差しは暖かく、活力を与えてくれる。光を浴びているだけでくよくよと悩んでいたことがなんだかとてもちっぽけに思えて、頑張る勇気を与えてくれる。そんなとき、影の存在なんて気にもとめない。 仕事をしているとき、僕の心に影を落とすような言葉を投げ掛けてくる人がいる。自分のことを棚にあげて、無責任な言動を繰り返し、じっとりとした影を落としていく人がいる。そんな人がいると気持ちは何だか沈んでしまい、なにも手につかなくなってつまらないことばかりを考えてしまう。そんなとき、近くに光が存在していることにつ…

  • ロボットみたいな生き方について。

    情報が溢れ変える今の時代、大抵のことはネットを通じて知ることができる。そしていつのまにかネットで知ることが当たり前になって、次第に自分の考えよりもネットで知り得た情報の信頼度が高くなっていく。気づけば、いや、気づかぬうちにネットの中の情報に踊らされ、それなしでは生きていけなくなっている。何かあるとネットで調べずにはいられなくなり、求める情報にたどり着けないと、ひどく不安に感じてしまう。そこには自分の考えというものは存在しない。そんなロボットみたいな生き方。好きじゃない。僕は人間だもの。自分で考え、生きていきたい。にほんブログ村

  • 価値を提供し、対価を得るプロフェッショナルなマーケター

    僕の家にはネコというプロフェッショナルなマーケターが2匹いる。(ネコという名前ではない。)どんなに疲れていても、癒しと言う価値を僕に与えてくれ、カリカリという対価を手に入れる。(カリカリという名前ではない。)これは、ネコが長い年月をかけて人に好かれる(人が価値と感じる)方法を本能的に手に入れた結果。その無意識的なノウハウに基づいて、一日の大半を寝て過ごしながらもカリカリに困ることのない猫生を送っている。しかもトイレの掃除までさせてしまうあたりは、尊敬に値する存在である。にほんブログ村

  • ぽちぽちと。

    仕事から帰り、お風呂に入り、コーヒー牛乳を飲みながら(酒は半年前にやめた。)、スマートフォンを開いてぽちぽちとボタンを右手の親指で押していく。ぽちぽちぽちぽちぽち“お” の文字を打ちたい時は、親指を遠くまで伸ばして、 “あ” のところを5回も押さないといけないからちょっとたいへん。 ぽちぽちぽちぽちお気に入りは “な” かな?ちょうどいい場所にあって一回押すだけ。なななにでも待ち時間が短いと “に”になってしまう。疲れたので今日はここまで。にほんブログ村

  • 自称マーケターとしての昨日の出来事の考察

    昨日、ある家族が夕食をとるため、すき家に入っていく様子を見てほっこりした。という内容の記事を書いた。kodoketter.hatenablog.com今日は自称マーケターとして、昨日のことを僕なりに振り返ってみる。こういう何気ない、日常で感じたことを見つめ直す機会を持つことは結構大切なことだと僕は思うから。ちなみに僕は田舎の小さな建築会社で働く、しがない何でも屋さんであり、blogというアウトプットの場が匿名性である事をいいことに、好き勝手書かせてもらっているだけなのでいろいろ大目に見てやってください。 昨日僕は『情緒的価値に出会えた気がした』と書いたけれど、最近 “価値” についていろいろと…

  • 情緒的価値に出会えた気がした夜

    娘を塾へと送り届け、交差点に差し掛かろうとした時、不意に信号機が青から黄色へと色を変え、僕は少し慌てながらもゆっくりとブレーキを踏んだ。 停止線から30㎝程前に停止した車体から僕は、何気なしに目に写った左前方のすき家の店内を眺めた。奥の座席には仕事帰りらしい20歳位の女性が、一人でたくましくどんぶりを掻き込んでいる姿が目に留まったが、その他には客の姿は居なかった。 右手前方に横断歩道を歩く数人の人影を感じ目を向けると、子供連れの女性がすき家に向かって道路を横断しているところだった。 何気ない光景だったが、子供の数が四人、中学生くらいの男の子と、小学校低学年位の女の子が二人、母親は背中に一歳位の…

  • ありがとうのなくなる日

    プレゼン資料をメールで送るようになって、面談後のお見送りの時に発していた 「ありがとうございました。」 を言わなくなった。 コンビニで買い物をするとき、支払いの自動化により手渡しでお釣りをもらうことがなくなり 「ありがとう。」 を言わなくなった。 部下との仕事のやり取りが電子化され、やりきってもらった後に 「ありがとう。助かったよ。」 と言わなくなった。 たくさんの「ありがとう。」の言葉が、便利さという “価値の追及” によって失われていく。 価値の追求によって、大切な価値が失われていくことを、どげんかするのもマーケターの価値。 にほんブログ村

  • 孤独さの本質。

    これまで僕は自称マーケターとして、回りのことをほのかにディスりながら、自分が孤独であることを書き連ねてきた。それはまるで、30㎝キューブ水槽の中のピンポンパールが和金を煙たがっているようなものだ。水槽の外のはとても広く、突然変異で肺と足でも手に入れない限りは、ピンポンパールも和金も知るよしもない世界。僕は自分が金魚であることを知っている。もちろん金魚には金魚の魚生があるだろう。でも、30㎝キューブ水槽のなかで僕のヒレの方が綺麗だとか泳ぐのが上手いだとか、そんな話をしているうちに転覆病にかかってしまうことを恐れている。それは仕事に関わらず、家庭であっても同じ事。 でも、足は無理でも肺呼吸位だった…

  • 価値を伝えるということ。

    『価値とは何か?』中小企業でマーケティングの仕事をしていると様々な場面で孤独に直面することがある。その中でもこの問いは確実にベスト3にランクインされる問いになるだろう。その孤独さたるや焼肉屋でいきなり冷麺を注文することにも匹敵する。 その“価値”については、マーケティング的に言うと類する言葉として、“ベネフィット”“ニーズ”“機能的価値”“情緒的価値”“メリット”etc・・・様々有るけれど、別に専門的なことを議論したいわけではなく、あまりにも安易な意見が飛び出すことに愕然としてしまう。例えば苦戦を強いられている商品が有ったとする。そうすると、HP上の価格表記を「もっと大きくしてくれ。」や、「赤…

  • 孤独なマーケターは自分のみに有らず

    前回の中小企業のマーケターの可能性の続き。時に回りと話が噛み合わず、孤独になってしまうことが中小企業でマーケティングという分野を担っている部署の悩みになりがちだが、この悩みをマーケティングの観点から考えると、案外チャンスととらえることができる。それはよく見聞きする3C分析で言うところの、Competitorについて。Competitorは競合を意味する言葉だが、競合とされる会社のマーケター(居るとすると)もまた、孤独な戦いを強いられている可能性が非常に高い。それは同業者が集まる研修会のような場所でも垣間見ることができるし、他社サイトを見れば一目瞭然となる。それはせっかく魅力的なProductを…

  • 中小企業におけるマーケターの可能性

    前回までのblogで、僕と会社側との考え方の解離についての愚痴を吐き出させてもらった。人の愚痴を見聞きすることは苦痛以外の何物でもないことくらいはいくら自称とはいえ一企業のマーケターとしては、充分にわかってはいる。それでも吐き出さずには自分を保つことが危うくなっていたので匿名であることを良いことに、このblogを立ち上げ吐き出させてもらった。もしもたまたまこのblogが目に留まって気分を害された方がいらっしゃったとしたらごめんなさい。その害された気分は何処かのblogか何かで吐き出してもらえればと思う。そのようにして負の連鎖が繰り返されていき、その連鎖を解消しようと挑戦する人に、新しいビジネス…

  • 孤独なマーケターが生まれた理由

    僕が『孤独なマーケター』というタイトルでblogを書こうと思った訳を書いておこうと思う。それは、とにかく日々の業務が孤独であり、その孤独感や会社では決して通じることのない僕の考えをどこかに発散させなければ僕の身が持たないと思ったからだ。王さまの耳がロバの耳であることを自分の中だけに留めておくことができずに井戸に向かって叫んだ理髪師と心境は似ている。理髪師の仕事は、王さまの髪を切ること。 僕の仕事は会社の売上目標を達成させること。この辺で理髪師のことは脇に置いておくとして、もう少し僕の仕事をチャンキングすると、毎月顧客から決められた数の反響を得ることにある。この反響数が目標に対してどうなっている…

  • 孤独なマーケターの歴史

    孤独なマーケターとしてblogを書くにあたり、避けては通れないことがある。それはマーケターとしての黒歴史。黒歴史とは、「今となっては恥ずかしい、できればなかったことにしたい過去などを意味する表現」とある。これまたこれから愚痴る内容にぴったりな表現だと我ながら思う。マーケターたる者、例え自称であっても表現はぴったりのものをチョイスしなければならない。小学生の時の水泳帽子のように。 僕のマーケターとしての黒歴史は、今の会社に入社した20年前に時代は遡る。僕はアラフォーサラリーマンで今の会社に入社したのが20年前だから、転職の経験はない。そういうことだ。その20年前。マーケティングにおけるプロモーシ…

  • 孤独なマーケター、アウトプットに活路を見出す。

    「活路を見出す」とは、「命が助かる方法を見つける、窮地から逃れるやり方を発見する」とある。今の僕にピッタリの言葉だ。活路を見出だすことができなければ、僕はいつかきっと、社会という理不尽はブラックホールに吸い込まれ、存在自体がなかったことになってしまうだろう。そんなことは御免なので、blogと言う個人が特定されない匿名の場でアウトプットする事で活路を見出すことにした。言い換えると、安全な場で愚痴をこぼして生き永らえようという姑息な手段に打って出たと言うことができる。 僕の仕事は戸建住宅販売の営業。住宅の営業というとなんだか勝手に胡散臭さを感じるので、このblogでは自称マーケターというスタンスで…

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kodoketterさん
ブログタイトル
孤独なマーケター
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