あれは、雪が降った数日後のことでした。 仕事から帰ると、庭に僅かに残った雪で、 あるがキノコを作って待っていてくれたことがありました。 私は、キノコのモチーフが大好きで、 キノコの置物を幾つか部屋に飾っています。 私がキノコが好きだからと、 あるは、キノコの形を作ってくれたようです。 このあるの作品は、『ユキノコ』と名付けられました。 もし出来れば、私のコレクションに新しく加えたいくらいに、 とても可愛く仕上がっていました。 あの日のあるは、 消えてしまうからこそ、 より美しく感じることのできる作品を、 プレゼントしてくれたのだと思います。 もう此処に、あのユキノコはありませんが、 消えてしま…
ゲーム機に夢中だったあるですが、 やがて、カードゲームにも興味を持つようになり、 友達と遊びに出掛ける時は、 ゲーム機とカードゲームを持って出掛けるというスタイルへと変わっていきました。 あるに教えてもらいながら、 一緒にカードゲームで遊んでみたことがありましたが、 なんというか、ルールが難しすぎるように思いました。 何度説明されても、どうもついていけないのです。 こんな私とは真逆に、みーくんは、 自分のカードまで購入し始めて、 あるとのカードゲームの時間を楽しみました。 振り返ってみれば、あるが興味を持ったものに、 ついて行けない部分が出てきたのは、あの頃からだったのだと思います。 カードゲ…
バケツに出来た丸い氷を持って、 嬉しそうに笑うあるの写真と、 割れた氷を持って、 ガッカリ顔のあるの写真を見つけました。 この写真を眺めながら思い出していたのは、 丸い氷を持って写真を撮った後で、 冷たさのあまりに氷を落としてしまって、 ガッカリなあるの声でした。 えぇ?割れちゃったよ!と。 自然が作り出してくれた氷。 それは、子供にとって、 季節がくれた宝物であるとも言えるのかも知れません。 バケツの中に出来た氷を見つけて嬉しそうだったあるの姿も、 割れてしまった氷にガッカリしてしまったあるの姿も、 どちらもとても可愛かった姿でした。
私はビールが苦手なのですが、 実は、ビールには強い憧れがありました。 一度でいいから、 やってみたいことがあったのです。 ビールを一口飲んで、口の周りに泡をつけながら、 普段は口にしない愚痴なんかを吐き出してみる。 例えばテレビドラマのワンシーンなんかにありそうなあの感じを、 サラリーマン風に演出してみたかったのです。 あれは、ビールのように泡立つ子供用の飲み物を、 あると一緒に飲んでみた日のことでした。 折角ですので、出来るだけ口の周りにいっぱいの泡をつけてみます。 そうして、 こんな私の言葉に、 あるは、 私が突然始めたサラリーマンごっこに乗ってくれました。 こんなふうに、雰囲気に合わせる…
あれは、とても風の強い日のことでした。 仕事をしながら、気になっていたのは、 学童保育を卒業し、 放課後には、必ず友達と遊びに出掛けるようになったあるのことでした。 とても風の強い日というのは、 予期せぬものが飛んできてしまう可能性もあります。 それが思わぬ怪我へと繋がってしまうこともあるのかも知れません。 もし出来れば、遊びには行かずに、 家の中でお留守番をしていてくれたらと、 こんな気持ちであるに電話をしてみたのですが、 分かった! じゃぁ気を付けて遊ぶね! こんな元気な声が返ってきてしまったのです。 あるの声を聞きながら、 思い出していたのは、自分の子供時代のことでした。 子供だった頃の…
あるね、馬に乗ってみたいの こんなあるの言葉から、 乗馬体験の出来るレジャー施設へと遊びに行ったのは、 夏休みのことでした。 あの日、初めて馬に乗ったあるが見せてくれた最高の笑顔は、 大切な宝物。 美味しいものをたくさん食べたことも、 施設にあるアトラクションで遊んだことも、 楽しかった思い出です。 さて、あの日は、たくさんの馬たちを見る機会でもありましたが、 そこで出会ったのは、 私の前髪とそっくりな前髪をした馬でした。 みーくんと、ある。 大爆笑ですよ。 私の前髪と同じだと。 そうして、名前の明記がなかったその子に、 勝手にえみりぃと名付けて、 写真を撮っていたみーくんの笑顔も、大切な思い…
普段から仕事が忙しかったみーくんですが、 震災後から更に仕事が忙しくなっていきました。 あの頃のみーくんはお休みなど、ほぼ皆無。 多忙を極めていたみーくんですが、 仕事が早く終わった日に、みーくんが大切にしていたのは、 夕方のあるとの時間でした。 まだ明るい時間に帰ることが出来た日のみーくんは、必ず、 あるを連れて近所の公園へと出掛けて行きました。 暗くなって、ボールが見えなくなるまで、 キャッチボールの時間です。 辺りが暗くなると、 やがて聞こえる2人の楽しそうなただいまの声も、 もうすぐご飯だよとキッチンから声を掛けながら見つけた、 2人の笑顔も大切な宝物。 どんなに忙しくても、 あるとの…
子供がひとりで、誰もいない家に帰っていることを、 周囲に知られることは、 とても怖いことであるのかも知れません。 家に誰もいないことを悟られないために、 玄関を開けたら、大きな声で、 ただいまと声を出すことが、防犯対策に繋がるのだと、 こんな話を聞いたことがありました。 どのくらいの期間、それを実行してくれていたのかは、 私には確認する術はありませんでしたが、 あるには、玄関を開けたら必ず、ただいまと声を出すようにと教えていました。 これから子育てをする方や、 まだ小さなお子様を育てていらっしゃる方が、 このブログを読んでくださっているとしたのなら、 将来、役に立つ情報であるのかも知れないと思…
小学校へ上がってからのあるは、学童保育でお世話になっていましたが、 学童保育は、3年生で卒業となります。 4年生からは、学校が終わったら、 自分で帰宅して、鍵を開けて家に入ることになりますが、 学校から帰ったあるが、 そのまま家の中で過ごすことなど、まず有り得ないでしょう。 ランドセルを家に置いたら、そのまま遊びに出掛ける。 こんな流れが日常となるのだと思いました。 学校が終わってからのあるが何処にいるのか、 分からないことも、きっと増えてくるのでしょう。 念のため、あるに携帯電話を持たせよう。 私たちがこう決断したのは、 あの、3.11の地震があったからでした。 あの地震では、私たちが住むこ…
あれは、私の誕生日の夜のことでした。 お風呂を出て、スキンケアのために、 化粧品の入った箱を開けると、箱の内側に、 付箋に書かれた、あるからのメッセージを発見しました。 日を田と書き間違えて、 「おたんじょう田おめでとう」になっていました。 このサプライズを急遽思いついたあるは、 急ぎすぎて、漢字を間違えてしまったそうです。 なんだか笑ってしまいますが、 こんなところもあるの可愛いところ。 あの日の付箋は、今でも、私の大切な宝物です。
初めて、あるをバッティングセンターへと連れて行ったのは、 あるが何歳の頃だっただろう。 初めてバッティングセンターへ行った日に、 みーくんがあるにバットの振り方を教えていた姿は、 今でもよく覚えている大切なワンシーン。 あるの成長と共に、どんどん遊びの幅が広がり、 みーくんの楽しみも少しずつ増えていったのだと思います。 球技が苦手な私は、見ているだけでしたが、 楽しそうな2人を見ていた時間も、大切な思い出。 いつの頃からか、外出をすると、 バッティングセンターへ寄るのが、 我が家の中での当たり前となっていきました。 あるが少しずつ上達していく姿を、 愛おしく見守ったのも、大切な思い出の時間です…
あれは、あるが何年生の冬だっただろう。 この辺りでは滅多に降らないほどのたくさんの雪が降り、 家族3人で、とても大きな雪だるまを作って遊んだ日がありました。 あんなに大きな雪だるまを作ったのは、初めてのこと。 たくさん降った雪に大興奮だったあるの姿は、とても可愛かった姿でした。 雪だるまを作って楽しんだ後の私たちは、 まだ誰も踏んでいない雪に家族3人の手形をとりました。 あの日撮った手形の写真は、私のお気に入りの1枚。 みーくんの手形が1番大きくて、 真ん中のあるの手形が1番小さくて。 それまでに撮ったことのない家族3人の形を写真に収めることが出来たのも、 素敵な思い出です。
あるが小学生になってからのクリスマスや誕生日には、 ゲームをプレゼントすることがとても増えました。 少しずつ、ゲームの種類も増えて、 家族でゲームを楽しむ時間も増えていきました。 それはとても楽しい時間ではありましたが、 私は、格闘技系も、乗り物を操縦するものも得意ではなく、 いつでも、家族最下位。 それでも私が上達しようなどとは考えていなかったのは、 ある王子が私を立派に守ってくれていたからなのもありましたが、 恐らく私は、家族でゲームを楽しむ時間が好きなのであって、 ゲーム自体はあまり好きではなかったからなのかも知れません。 ですが、あるが小学3年生の時に欲しがったゲームをきっかけに、 私…
あるが小学校へ上がる前に、 ななかぜ家式勉強法を編み出した我が家。 お陰様で、小学生になってからのあるは、 勉強での躓きもなく、順調な様子でしたが、 小学3年生になった頃から、少しずつ、 算数の勉強法を考えなければならないと感じるようになりました。 そうして、少し大きくなった子向けの、 ななかぜ家式勉強法を新たに編み出しました。 こちらのやり方は至ってシンプルです。 分からない問題があったら、隣に座って一緒に確認する、です。 どんなに忙しくても手を止めて、 あるの隣に座り、解き方を一緒に確認します。 私は、解き方は教えません。 一緒に確認するだけです。 というのも、私が子供だった頃、 勉強が出…
キッチンに、こんな棚があったらいいな。 こんな私の声に、みーくんとあるが、 2人で力を合わせて棚を作ってくれた日がありました。 色は白がいいな。 こんな私のリクエストに応えて、 白のペンキで色を塗って、素敵な棚を作ってくれました。 木を切ったり、ネジ止めなど、 危険な作業中の間のあるは、みーくんの応援を。 そして、色を塗る工程になると、あるの出番です。 みーくんとあるの楽しそうな声を聞きながら、 食事の準備をしたのも、私の大切な思い出。 庭にいる2人の姿をそっと見守りながら、 いつの間にか、 立派にお手伝いが出来るようになったあるの姿に成長を感じたことも、 大切な思い出です。 www.emib…
あるは、ファーがついたものに目がありません。 ぬいぐるみでも、お布団でもなく、 私の持ち物についているファーが大のお気に入り。 冬になると、私のアイテムは、ファーたちに囲まれますが、 ファーがついた私の持ち物全てに、 スリスリしていたあるも、可愛かった姿でした。 いつの頃からか、出掛ける度に、 先に靴を履いたあるが、 私のブーツの中に手を入れて、 ファーの感触を楽しむという工程が生まれました。 あるがファーの感触を楽しみ尽くすまで、 ブーツを履くことが出来なかったのも、なんだか笑ってしまう思い出です。
あるが小学3年生の秋に、私の妹が結婚しました。 相変わらず、 お祝いごとにはプレゼントを贈ることを忘れないある。 小さな頃は、よく飛ぶ飛行機があるにとっての最高級品の贈り物でしたが、 この頃になると、 あるにとっての最高級品の贈り物は、バルーンアートでした。 贈り物の内容にも、成長を感じます。 結婚式の前日には、準備に大忙し。 2人の笑顔を思い浮かべながら、 贈り物を準備するあるの姿は、可愛かった姿でした。 そして、 結婚式当日に、新郎新婦へ贈り物を渡すと、 とても喜んでくれた2人の姿を、 嬉しそうに見つめていたあるの笑顔もまた、 とても可愛かった姿でした。 emiblog8.hateblo.…
あれは、何年生の運動会だっただろう。 朝から暑い雲に覆われて、今にも雨が降り出しそうな天気の中、 運動会が開催された年がありました。 案の定とでも言うべきか、あの年は、午後から雨が降り、 急遽、午後の部を別な日に延期するという形がとられました。 午後の部は、平日に行われることになったため、 私は、観に行くことが出来ませんでしたが、私の母が観に行ってくれました。 あの日は、 友達の活躍を自分のことのように喜ぶあるの姿があったのだと、 こんな話を聞きました。 その姿を自分の目で見ることは出来ませんでしたが、 あるは、 誰かの幸せを心から喜べる子に育ってくれたのだと、 胸が熱くなったのも、今でも忘れ…
毎日の宿題の中で、最も印象的だったのは、教科書の朗読です。 あるが小学校に上がると、毎日、あるが教科書を朗読する声を聞きながら、 家事をしていたことも、今では懐かしい思い出。 そんな朗読の時間の中、一度だけ、 漢字を読み間違えたのは、あるが小学3年生の頃だったと思います。 「案の定」を自信を持って、大きな声で、「あんのてい」と読んだある。 勉強不足と言えばそれまでですが、 あの時のあるの、自信満々の「あんのてい」も、 私にとっての今でも忘れられない可愛かったポイントなのです。
梅雨明けからお盆前辺りまで。 海水浴に相応しい期間は、とても短いように感じます。 あるを初めて海に連れて行ったのは、まだ小さかった頃のこと。 あれから、何度も海に連れて行く機会はあったものの、 海水浴の時期に連れて行くことがなかなか出来ずに、 漸く、水着を着て、海で遊ぶことが出来たのは、 小学生になってからのことでした。 浮き輪をつけて、波に乗せてあげると、大興奮。 あの日の笑顔も大切な宝物。 砂浜で遊ぶこととも、 波打ち際で遊ぶこととも全く違う景色を知り、 最高の笑顔を見せてくれたあの日のあるも、とても可愛かった姿でした。
例えば、理科の授業で使う透明半球。 それから体育の授業や運動会なんかで使うカラーコーン。 これらを頭に被ってみたくなるのは、 小学生の特徴とも言えるのでしょうか。 どんなに時代が変わっても、私たちの時代と変わらないものがあり、 そんな変わらないところを見つけると、懐かしさと共に、 何故だか、嬉しさにも似た感情を見つけました。 遊び方や使う言葉。 時代と共に様々に変化していきますが、 こうして自分の子供時代と比べてみると、 どんな時代の子も、 共通の道筋を辿って成長するものなのかも知れません。 大人になってから、もう一度、 透明半球を頭に被ってみた日の私は、小学生だった頃を思い出しながら、 そん…
手帳を見返してみると、 あるが小学3年生くらいになった頃から、 頻繁に映画館へと足を運ぶようになっていた記録が残っていました。 小さな頃は、お絵かきやボール遊び、おままごとなんかを通して、 あるが少しずつ出来るようになったことに、 喜びを感じる遊び方が多かったように思いますが、 成長と共にマナーを覚え、本当に様々に遊びの幅が広がりました。 こうして振り返ってみると、 「遊んであげる」から、「一緒に遊ぶ」へと徐々に変わっていったのは、 小学校へ上がってからだったのだと思います。 今度、この映画、観に行かない? いいよ!あるも観たいと思っていたんだよね パパはこっちも観たいな じゃぁ、両方観に行こ…
ある。 思えば私は、キミが生まれた日から、 キミを抱っこすることも、 手を繋ぐことも、 ずっと当たり前だと思っていたよ。 抱っこが大好きだったキミは、 少し歩くとすぐに疲れて、抱っこをせがんでいた筈なのに、 一歩、外に出れば、 手を繋ぐことが当たり前だった筈なのに、 いつの間にか、 自分から抱っこを卒業し、 手を繋ぐことも、卒業していったね。 それに気付いた日は、 ほんの少しだけ寂しかったけれど、とても嬉しかったよ。 キミは、いつの間にか、 こんなに大きくなっていたんだなって。 生まれた日から、毎日、 たくさん、抱っこをさせてくれてありがとう。 そして、 たくさん、手を繋いでくれてありがとう。…
眠くなると、テーブルの下に潜り込んで、 そこから静かにテレビを観ていたのは、幼かった頃のあるですが、 随分と成長しても、そんなところは何も変わりません。 これは、私が晩御飯の支度をしている間によく見られる光景でした。 あの頃よりも、少し窮屈そうにしている様子に、 あるの成長を感じながら、 同時に、 幼い頃と変わらないその姿に、愛おしい気持ちを見つけました。 大きくなっても、変わらないところを見つけるのもまた、 子育ての楽しいところであるのかも知れません。 emiblog8.hateblo.jp
忘れもしません。 あの事件は、あるが小学2年生のクリスマスイブの夜に起きたのです。 あるは成長と共に、 少しの物音で起きてしまうことが増えました。 あるが生まれてからの私たちは、毎年、クリスマスイブの夜に、 2人であるの枕元にへプレゼントを運んでいましたが、 2人でプレゼントを運ぶよりも、 1人の方が物音が出難いだろうという観点から、 私がプレゼントを置くという大役をいただいたのですが、 枕元にプレゼントを置いた時に、 ラッピング袋が出した僅かな音に、あるが起きてしまったのです。 私、思わず自分の布団へダイブして、 わざとらしい大きないびきまでもを演出し、 「ママは今、寝ていますよ」を全力でア…
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