私は何を手に入れたいと思い続けてきたのかをやっと思い出したその名は自由リベルテ
矢野顕子とMISIAの対談を見ていて、急に突然むくむくおシャレなくらしをしたくなった。ってことで、はてさておしゃれな生活ってなんでしょ、って考えるよね。ずっとずっと前、ちょっと私はおシャレなくらしをしていたな。その心はフレイバーティーだし、なにはともあれリーフで飲むお茶だな。アールグレイとかローズティーとかミントティーとか、食器を季節ごとに入れ替えるとかね。そして花を買う。茶器はもちろん玻璃の王様、HARIOだね。高校や大学のころはお茶をちゃんと飲んでいた。紅茶喫茶みたいのに友達と行ったり、デパートの食料品売り場で紅茶缶や、量り売りの日本茶を買ってた。考えようによってはいやったらしいかんじだけど、茶葉やコーヒー豆をゆっくり蒸らして飲んでいた。ケイトグリーナウェイを見ていた頃だね。目についた気に入るものを周...おシャレなせいかつ
唐突な危険に、私は走っていた。周りの崖からは大粒の石や土がばらばらと降りかかり、土煙の中で景色がかすんだり見えたりしていた。左下には急流が流れ、周りの人は大声で何か叫びながら、とにかく逃げていた。まだ、地面は揺れを繰り返していた。石を飛ばす崖も、眼下の急流もおさまらぬ揺れが造り出したものであるのかもしれない。見も知らぬ人々が、とにかくここから逃げろと叫んでいる。でも、土埃でかすんで、いったいどこが安全な場所なのか、わからない。人が走る方へ、少しでも地面に近い所へ走り下りていこうとするが、よろけてまっすぐ進めない。隣の人が私の手を握り、かすんだ大気から引っ張り出すようにしてくれた。その人は知っている人のようでもあり、私を助けてくれる理由もない人のようでもある。日が暮れたのかあたりは暗くなってきた。やっと平ら...誕生日の夜に
魔改造の夜を見ながら、考える。そもそも日本は何を間違えたのか。これまで日出る国は落日を経験しては来なかった。日の出前というのはあったにしろ、日没する時を知らない。そもそも日本は間違えているのか。何十年か前、アジア諸国の物価を知り、あの国ではヌードル一杯100円以下なんだな、発展途上の国だしねと思ったのと真逆のことが今、この国で起こっている。円のように企業も国も負け負けだし、これはもう、国として終わってるってことじゃないのって思っちゃう。快適で安い食事のできる国って、国内民にとってほんとにいいことなんだろうか。技術立国のお掃除ロボットもコードレス掃除機も高機能ドライヤーも羽根無し扇風機もスマートフォンも外国製だし。頭脳も技術もこの国を捨てて流出しているし。まだ子どもだった時、世の中のいろいろがわからなかった...upper
一年に一度の、十一面観音の御開帳に行く。観世音の口は慈悲の息を吐こうとし、足は衆生を救おうと踏み出している。闘いまみれの修羅道を救う十一面観音。闘いまみれの私は、跪いてこうべを垂れて、叱られに、救われに、拝む。仏像は相対するものではなく、見上げるお方である。そうしてこの一年の悔過とこれからの一年の正しい行いを祈る。今年の御開帳は誰とも話さず、ただ悔過をし、拝んで、帰ろうと決めていた。蘊蓄やら講釈やらを考えず、ただ祈って帰るべきだと、今年は決めていた。わたしってば、こんなにいろんな観音様を巡ってきたのよ、だのなんだの言いたくなるんだから、それはもう、やめよう、と思った。十一面観音の前には多くの拝観者が、あずまの言葉で像の造作装飾をほめたたえ、聖林寺と似ているなどと時に歓声を上げてペンライトの灯りを当てている...観音悔過
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私は何を手に入れたいと思い続けてきたのかをやっと思い出したその名は自由リベルテ
秋から取り掛かっていたことに、身も心もへとへとになりながら、何とかけりを付けた。正月明けの二週間は毎日が目まぐるしく、やることだらけだった。自分の決心を迷いながら、本当にやり遂げられるのだろうかと思いながら、体の不調は続いたけれど、何とか決着をつけた今週は少しずつ体調も戻ってきた。少しずつ妥協をし、関連先には少しばかりの心づけをした。人生のベストいくつかに入るような案件だったけど、その件について話をするのだけど、もうすこし、「よくやったね、たいへんだったね」と言ってほしいものだ。本当に本当に大変だったのだ。私は、あちらもこちらも考えながらよくやった。そんなこと、きっと私だけのことなんだけどね。そうなんだけどねほめてほしいってこと
試合が始まった。前の試合の時に書いたもの。今度も試合を見られる幸せを感じながら、王者に捧ぐーーーー昨夜、井上尚弥の試合を見た。地上波で放映されないのは、日本国民にとっては残念だけど、何はともあれリアルタイムで見せてくれたLeminoさん、ありがとうございます。ボクシングの王者は昨夜もやはり、王者の試合であった。王者の仕事は「時の支配」であり、「場の支配」である。多くの人は、対戦相手を支配することと思っているかもしれないが、王者は人に勝とうとしているのではない。であるからこそ、王者は王者であるのだ。藤井君しかり、平野君しかり、である。人に勝とうと思っている人は結局、人との戦いの中でしか戦えない。王者が時と場とに戦いを挑んでいるからこそ、私を惹きつける。気負いなく見つめ、先を読み、狙いをすますこと。浄らかな戦...井上尚弥に捧ぐ
秋の繁忙期が過ぎて、ちょっとだけ、浴びに行く。まずは高山の日下部民藝館の落合氏の展示。民藝や古いお家でやろうとすると、結局こうなってしまうのかな。既視感のあるものが多かった。AIの答える仏像というものが見たくて行ったのだけど、それは端正なお方ではあったが。仏はやはり人の頭の中に描くものであるのだろう。日下部民藝館。その昔の民芸運動というものは、幾分お大尽の、君たちのことも私にはわかるのだという趣味的なものであったのだろう。再発見されなくとも民藝はそこにあり続けているのであり、滅びるものも滅びぬものもまた、民藝であり続けるはずだからね。金沢の国民文化祭に伴う特別展にぎりぎり駆けつける。若冲は二つしか来ていなかったけど、天皇さんにささげられた数々の宝物を見た。兼六園あたりはさまざまに博物館美術館があるというこ...秋に巡る
昨夜、井上尚弥の試合を見た。地上波で放映されないのは、日本国民にとっては残念だけど、何はともあれリアルタイムで見せてくれたLeminoさん、ありがとうございます。ボクシングの王者は昨夜もやはり、王者の試合であった。王者の仕事は「時の支配」であり、「場の支配」である。多くの人は、対戦相手を支配することと思っているかもしれないが、王者は人に勝とうとしているのではない。であるからこそ、王者は王者であるのだ。藤井君しかり、平野君しかり、である。人に勝とうと思っている人は結局、人との戦いの中でしか戦えない。王者が時と場とに戦いを挑んでいるからこそ、私を惹きつける。気負いなく見つめ、先を読み、狙いをすますこと。浄らかな戦いを見ることは人としてこの上ない喜びであり、またその時を味わいたくて戦いを見に行くのだ。昨夜もそん...王者の帰還
あまりに不調が続くので、その意味を考えてみる。自分に起こる出来事は、偶然のものであって本来、必然に有する意味はないと私は思っている。が、意味付けをする意味はあると持っている。なぜ、今、私にこれが起こっているのか。古の言葉で書かれた碑文を解読するように、あれやこれやを繋げてみるのだ。こう読み解けば、こういう分岐が見えてくると考えてみる。あれからこれまでの長い間、私は何に囚われてきたのか。変えたい道を変えないのは、きっと変えないでいる自分が好きなのだ。変わらない自分でいたいのだ。変えてしまうと自分でいられるかがわからず怖いのだ。稚日女尊から始まったいろいろを私はそう読み解いてみた。だから、もう一度、変わる前の私へと、囚われる前の私の地点へと行ってみよう。それは稚き日の私であり、そこから、もう一度生きてみろとい...稚き地点
先日、旅行割最後の機会と思い、特に選ぶでもなく鳥羽のホテルに宿泊することとした。所在地の地図を見てみると近くの岬の中に神社がある。伊射波神社、万葉仮名の神社だ。これはこれは行かねばならぬ。鳥羽一の宮に比定されているが、最も行くのが大変な一の宮とのこと。下の駐車場から、アップダウンある道を1キロ以上行かねばならぬらしい。宿泊翌日、安楽島舞台の駐車場に行くと地域の皆さんは茅の輪作りの最中だった。行くのは大変ですかと聞くと、1人の方が乗せていってくださるとのこと。途中は慣れない人ではとても踏破できぬ山道が続くが、花、草木の話をしながら案内してくださる。確かに確かに、登ってくるのは大変だ。だが、数組の老若男女のカップルとすれ違う。夏至のこの時期、鳥羽は太陽を讃える。夫婦岩も伊雑宮も、赤崎神社も太陽が最も盛んな夏至...鳥羽の女神の伊射波神社
捕鯨の町のドキュメンタリーを見る。手書きの捕鯨反対の紙を港で掲げる女性がインタビューされている。動物だから、かわいそうだから、自分ができることをしようと思う、というような考えを語っていた。であるのに、私は彼女の密集したまつげエクステンションが気になってしまう。鯨イルカ保護とは全く関係ないのに、彼女はまつエクをする女性なのね、と思ってしまった。いやいや、彼女の主張と行動を考えよう、とするのだが、ああいう人がああいう行動をするんだね、一昔前の環境保護の人ってノーメイクが多かったのに、今時はこういう流れなのね、と考えてしまう。次に映ったのは、イルカクジラ飼育者を目指す女性だった。その中で、飼育トレーニングをしている女性は、この仕事は化粧をしなくて済むところもよいと語った。化粧をするにしてもしないにしても、女とは...くじらとルッキズム
緑が新しくひらひらしている日に渓谷に行く。もう何度も来ているが、知る人ぞ知る岐阜の隠れた絶景渓谷は、雪解け水を轟かせて佇つ。目も眩む谷底は、翡翠色に澄んで魚影さえ見えそうだ。川浦と書いてカオレと読ませるこの渓谷は、呼び名の不思議も私を幻惑する。とっておきの場所がある、変わらずある、私のリストにある幸せよ。今日はショッピングモールに鯉のぼりを見た。この色合いはもしや、と思っていたらちゃんとプレートがつけられていた。なかなかに高価なものなので、こんな間近に郡上本染が見られて、なんて幸せだろ。気に入ったものを心のリストに書き込む。それを身に巻きつけて暮らすことのささやかな幸せを緑きらめく今日思う。岐阜を知る人は
矢野顕子とMISIAの対談を見ていて、急に突然むくむくおシャレなくらしをしたくなった。ってことで、はてさておしゃれな生活ってなんでしょ、って考えるよね。ずっとずっと前、ちょっと私はおシャレなくらしをしていたな。その心はフレイバーティーだし、なにはともあれリーフで飲むお茶だな。アールグレイとかローズティーとかミントティーとか、食器を季節ごとに入れ替えるとかね。そして花を買う。茶器はもちろん玻璃の王様、HARIOだね。高校や大学のころはお茶をちゃんと飲んでいた。紅茶喫茶みたいのに友達と行ったり、デパートの食料品売り場で紅茶缶や、量り売りの日本茶を買ってた。考えようによってはいやったらしいかんじだけど、茶葉やコーヒー豆をゆっくり蒸らして飲んでいた。ケイトグリーナウェイを見ていた頃だね。目についた気に入るものを周...おシャレなせいかつ
唐突な危険に、私は走っていた。周りの崖からは大粒の石や土がばらばらと降りかかり、土煙の中で景色がかすんだり見えたりしていた。左下には急流が流れ、周りの人は大声で何か叫びながら、とにかく逃げていた。まだ、地面は揺れを繰り返していた。石を飛ばす崖も、眼下の急流もおさまらぬ揺れが造り出したものであるのかもしれない。見も知らぬ人々が、とにかくここから逃げろと叫んでいる。でも、土埃でかすんで、いったいどこが安全な場所なのか、わからない。人が走る方へ、少しでも地面に近い所へ走り下りていこうとするが、よろけてまっすぐ進めない。隣の人が私の手を握り、かすんだ大気から引っ張り出すようにしてくれた。その人は知っている人のようでもあり、私を助けてくれる理由もない人のようでもある。日が暮れたのかあたりは暗くなってきた。やっと平ら...誕生日の夜に
魔改造の夜を見ながら、考える。そもそも日本は何を間違えたのか。これまで日出る国は落日を経験しては来なかった。日の出前というのはあったにしろ、日没する時を知らない。そもそも日本は間違えているのか。何十年か前、アジア諸国の物価を知り、あの国ではヌードル一杯100円以下なんだな、発展途上の国だしねと思ったのと真逆のことが今、この国で起こっている。円のように企業も国も負け負けだし、これはもう、国として終わってるってことじゃないのって思っちゃう。快適で安い食事のできる国って、国内民にとってほんとにいいことなんだろうか。技術立国のお掃除ロボットもコードレス掃除機も高機能ドライヤーも羽根無し扇風機もスマートフォンも外国製だし。頭脳も技術もこの国を捨てて流出しているし。まだ子どもだった時、世の中のいろいろがわからなかった...upper
一年に一度の、十一面観音の御開帳に行く。観世音の口は慈悲の息を吐こうとし、足は衆生を救おうと踏み出している。闘いまみれの修羅道を救う十一面観音。闘いまみれの私は、跪いてこうべを垂れて、叱られに、救われに、拝む。仏像は相対するものではなく、見上げるお方である。そうしてこの一年の悔過とこれからの一年の正しい行いを祈る。今年の御開帳は誰とも話さず、ただ悔過をし、拝んで、帰ろうと決めていた。蘊蓄やら講釈やらを考えず、ただ祈って帰るべきだと、今年は決めていた。わたしってば、こんなにいろんな観音様を巡ってきたのよ、だのなんだの言いたくなるんだから、それはもう、やめよう、と思った。十一面観音の前には多くの拝観者が、あずまの言葉で像の造作装飾をほめたたえ、聖林寺と似ているなどと時に歓声を上げてペンライトの灯りを当てている...観音悔過
昨日、H3初号機は飛ばなかった。中止だの失敗だの、世の中は喧しいが、このロケットに関わっているのは三菱重工業。先日MRJ(MSJ)からの撤退を発表したばかりだ。かの飛行機は何度もの延期を経て中止となった。ものづくり日本にとって、悲しい出来事だ。あれは中止だったのか、失敗だったのか。撤退であるのだから失敗なのだろう。国家の資金を注ぎ込んだ飛行機の「失敗」だろう。発電を含め多くの主要インフラに深く関わる企業だ。それを忘れてはならない。中止、延期、失敗
仕事はあるし納税もしているし家族もいるし車も運転するし町内会費も払っているしワクチンも打ってるしマイナポイントももらったし持ち家もあるし三食食べているし何十年も生きてきたし履歴書は隙なくきれいに書けるし西国は三十三ヶ所まわったし外国にも行ったことあるしブラインドタッチもフリック入力もできるけどあたしはとってもひとりぼっちなのでひとりぼっちでうたをきくのさねえ、うたってよ、ディーバまず、「傀儡唄」そして、やさぐれGLIMSPANKY「闇に目を凝らせば」あいみょん「裸の心」AI「アルデバラン」島津亜矢「望郷じょんがら」とながして椎名林檎「子守唄」宇多田ヒカル「automatic」もいれとこうそしてやっぱり、EGO-WRAPPIN「老いぼれ犬の口笛」歌姫
井上尚弥のドキュメンタリーを見た。これまで、たぶんデビュー戦から彼の試合をずっと見てきた。ここにも彼のファイトについて何度か書いてきた。初めて試合を見た時、パンチを出す彼は笑みを浮かべていた。今は思う。それは仕留めるてやるぜ、とかいうのではなく、きっと一瞬を見極めたことへの笑みであったのだろうと。井上尚弥の罪は、他のボクシングの試合がつまらなくて見られなくさせてしまうことだろう。強くて美しい。強くても美しくないもの、美しくても強くないものは、結局つまらない。強くて美しいものは、新しい世界がまだまだそこら中にあるのだと教えてくれる。同じような思いを平野歩夢を見る時に感じる。もっと上のものを見続ける。負ける日があったとしても戦い続ける。戦いは勝つためだけれど、相手の誰かと戦うというより、その刹那と戦っている彼...希望の星
心に、体に、寂しさがあって切なさがあって、心の中に、体の中に、寂しい場所があって、切ない場所があって、時々、寂しい切ないお話でそこを埋めたくなる。切ない寂しいものを感じることでしか、そこを満たすことができない。うまいお話で上手に騙されて、寂しい切ない思いを塞ぎたくなる匣いっぱいになるまで、ぴったりとくっつくまで。乾いているのか、湿っているのか。しっかり塞いでも、またしばらくすると、そこが埋めてくれとうずきだす。切ない匣
幼い頃、母は自転車で30分ばかりの、母が「在所」と呼ぶ母の実家に事あるごとに私を連れて通った。母と私二人の実家からの帰りはいつも暗くなってからだった。その堤防道路の途中には神社があり、怖くて怖くて母の背中で目をつぶってしがみついた。子どもの頃はよく怖い夢を見た。派手な隈取りをした歌舞伎役者が粗末な舞台から私を睨み、見る見るうちに口が真っ赤に裂けていく。街は薄汚れていた。未舗装路の真っ黒な水溜り。用水路に立ち込める薬剤混じりの湯気。奥まった小屋の映画館。銭湯で見た刺青の背中。畦道の神に供えられた編み藁の上の赤飯の握飯。薄汚くて怖くてよくわからない匂いがしている、今の子が大人になって子どもの時を思い出した時、こんな清潔そうな街をどう思い出すのだろうか。街の思い出など、残っているのだろうか。ああ、そうか。この国...薄汚れた処も
美を見る目のほとんどを決めるのは出自であり、成育歴である。それは不都合ながら、差別ではなく真実であろう。お育ちのよくない方の美はお育ちのよくない美である。残念ながら、いろいろを見るたびにそう思う。伊東忠太が築地本願寺を設計することとなったのも、貴族的お育ちの、あの大谷探検隊の方であったし、武相荘もやはり野に有って貴族的である。せめて親の代からのお大尽でなければ養われぬ、判ずる目がある。聞こえぬ音がある、見えぬ色がある。強靭な精神力を持ってせねば、育ちに養われた感覚の+-の軸を動かすことは難しい。世襲を悪しき旧習とする人もいるが、子のうち曝されねば手にできぬものはあるのだ。それは血のつながりということではない。この国の今までを見ても、血のつながらぬものに跡を継がせるということは今の私たちが思うほど避けられて...貴の美俗の美
諸用あり、お江戸に参り、建築巡礼。目黒、朝香宮邸東京都庭園美術館。アールデコの館。ラリックやら宮のために公がお造り申し上げた幻のように端正なおうち。同じく目黒、雅叙園百段階段。笑けてくるほどの過剰な、どこか廓の楼閣の迷宮のお茶屋めいた宴室の色々。最上階の鏑木清方で息をつく初代当主は商いで得た金でこれを造り、また成功を収めた。商売人の建てた楼。そして、伊東忠太の築地本願寺。どなたが彼に信心の器を注文したのか。築地場外の喧騒は見えるが聞こえず、異国伝来の南無阿弥陀仏を異国様な生き物が静かに、あるいはさざめきながら守っている。伊東忠太の本堂が手を広げて帝都を守っている。再び目黒雅叙園、渡風亭創業当時を移築したという、絢爛な酒席。今宵は酉の市。大鳥神社も市がたつ。雅叙園と酉の市、似ているんだね。岩崎弥太郎の明治生...トーキョー名建築巡り美あるいは俗
緑が新しくひらひらしている日に渓谷に行く。もう何度も来ているが、知る人ぞ知る岐阜の隠れた絶景渓谷は、雪解け水を轟かせて佇つ。目も眩む谷底は、翡翠色に澄んで魚影さえ見えそうだ。川浦と書いてカオレと読ませるこの渓谷は、呼び名の不思議も私を幻惑する。とっておきの場所がある、変わらずある、私のリストにある幸せよ。今日はショッピングモールに鯉のぼりを見た。この色合いはもしや、と思っていたらちゃんとプレートがつけられていた。なかなかに高価なものなので、こんな間近に郡上本染が見られて、なんて幸せだろ。気に入ったものを心のリストに書き込む。それを身に巻きつけて暮らすことのささやかな幸せを緑きらめく今日思う。岐阜を知る人は
矢野顕子とMISIAの対談を見ていて、急に突然むくむくおシャレなくらしをしたくなった。ってことで、はてさておしゃれな生活ってなんでしょ、って考えるよね。ずっとずっと前、ちょっと私はおシャレなくらしをしていたな。その心はフレイバーティーだし、なにはともあれリーフで飲むお茶だな。アールグレイとかローズティーとかミントティーとか、食器を季節ごとに入れ替えるとかね。そして花を買う。茶器はもちろん玻璃の王様、HARIOだね。高校や大学のころはお茶をちゃんと飲んでいた。紅茶喫茶みたいのに友達と行ったり、デパートの食料品売り場で紅茶缶や、量り売りの日本茶を買ってた。考えようによってはいやったらしいかんじだけど、茶葉やコーヒー豆をゆっくり蒸らして飲んでいた。ケイトグリーナウェイを見ていた頃だね。目についた気に入るものを周...おシャレなせいかつ
唐突な危険に、私は走っていた。周りの崖からは大粒の石や土がばらばらと降りかかり、土煙の中で景色がかすんだり見えたりしていた。左下には急流が流れ、周りの人は大声で何か叫びながら、とにかく逃げていた。まだ、地面は揺れを繰り返していた。石を飛ばす崖も、眼下の急流もおさまらぬ揺れが造り出したものであるのかもしれない。見も知らぬ人々が、とにかくここから逃げろと叫んでいる。でも、土埃でかすんで、いったいどこが安全な場所なのか、わからない。人が走る方へ、少しでも地面に近い所へ走り下りていこうとするが、よろけてまっすぐ進めない。隣の人が私の手を握り、かすんだ大気から引っ張り出すようにしてくれた。その人は知っている人のようでもあり、私を助けてくれる理由もない人のようでもある。日が暮れたのかあたりは暗くなってきた。やっと平ら...誕生日の夜に
魔改造の夜を見ながら、考える。そもそも日本は何を間違えたのか。これまで日出る国は落日を経験しては来なかった。日の出前というのはあったにしろ、日没する時を知らない。そもそも日本は間違えているのか。何十年か前、アジア諸国の物価を知り、あの国ではヌードル一杯100円以下なんだな、発展途上の国だしねと思ったのと真逆のことが今、この国で起こっている。円のように企業も国も負け負けだし、これはもう、国として終わってるってことじゃないのって思っちゃう。快適で安い食事のできる国って、国内民にとってほんとにいいことなんだろうか。技術立国のお掃除ロボットもコードレス掃除機も高機能ドライヤーも羽根無し扇風機もスマートフォンも外国製だし。頭脳も技術もこの国を捨てて流出しているし。まだ子どもだった時、世の中のいろいろがわからなかった...upper
一年に一度の、十一面観音の御開帳に行く。観世音の口は慈悲の息を吐こうとし、足は衆生を救おうと踏み出している。闘いまみれの修羅道を救う十一面観音。闘いまみれの私は、跪いてこうべを垂れて、叱られに、救われに、拝む。仏像は相対するものではなく、見上げるお方である。そうしてこの一年の悔過とこれからの一年の正しい行いを祈る。今年の御開帳は誰とも話さず、ただ悔過をし、拝んで、帰ろうと決めていた。蘊蓄やら講釈やらを考えず、ただ祈って帰るべきだと、今年は決めていた。わたしってば、こんなにいろんな観音様を巡ってきたのよ、だのなんだの言いたくなるんだから、それはもう、やめよう、と思った。十一面観音の前には多くの拝観者が、あずまの言葉で像の造作装飾をほめたたえ、聖林寺と似ているなどと時に歓声を上げてペンライトの灯りを当てている...観音悔過
昨日、H3初号機は飛ばなかった。中止だの失敗だの、世の中は喧しいが、このロケットに関わっているのは三菱重工業。先日MRJ(MSJ)からの撤退を発表したばかりだ。かの飛行機は何度もの延期を経て中止となった。ものづくり日本にとって、悲しい出来事だ。あれは中止だったのか、失敗だったのか。撤退であるのだから失敗なのだろう。国家の資金を注ぎ込んだ飛行機の「失敗」だろう。発電を含め多くの主要インフラに深く関わる企業だ。それを忘れてはならない。中止、延期、失敗
仕事はあるし納税もしているし家族もいるし車も運転するし町内会費も払っているしワクチンも打ってるしマイナポイントももらったし持ち家もあるし三食食べているし何十年も生きてきたし履歴書は隙なくきれいに書けるし西国は三十三ヶ所まわったし外国にも行ったことあるしブラインドタッチもフリック入力もできるけどあたしはとってもひとりぼっちなのでひとりぼっちでうたをきくのさねえ、うたってよ、ディーバまず、「傀儡唄」そして、やさぐれGLIMSPANKY「闇に目を凝らせば」あいみょん「裸の心」AI「アルデバラン」島津亜矢「望郷じょんがら」とながして椎名林檎「子守唄」宇多田ヒカル「automatic」もいれとこうそしてやっぱり、EGO-WRAPPIN「老いぼれ犬の口笛」歌姫
井上尚弥のドキュメンタリーを見た。これまで、たぶんデビュー戦から彼の試合をずっと見てきた。ここにも彼のファイトについて何度か書いてきた。初めて試合を見た時、パンチを出す彼は笑みを浮かべていた。今は思う。それは仕留めるてやるぜ、とかいうのではなく、きっと一瞬を見極めたことへの笑みであったのだろうと。井上尚弥の罪は、他のボクシングの試合がつまらなくて見られなくさせてしまうことだろう。強くて美しい。強くても美しくないもの、美しくても強くないものは、結局つまらない。強くて美しいものは、新しい世界がまだまだそこら中にあるのだと教えてくれる。同じような思いを平野歩夢を見る時に感じる。もっと上のものを見続ける。負ける日があったとしても戦い続ける。戦いは勝つためだけれど、相手の誰かと戦うというより、その刹那と戦っている彼...希望の星
心に、体に、寂しさがあって切なさがあって、心の中に、体の中に、寂しい場所があって、切ない場所があって、時々、寂しい切ないお話でそこを埋めたくなる。切ない寂しいものを感じることでしか、そこを満たすことができない。うまいお話で上手に騙されて、寂しい切ない思いを塞ぎたくなる匣いっぱいになるまで、ぴったりとくっつくまで。乾いているのか、湿っているのか。しっかり塞いでも、またしばらくすると、そこが埋めてくれとうずきだす。切ない匣
幼い頃、母は自転車で30分ばかりの、母が「在所」と呼ぶ母の実家に事あるごとに私を連れて通った。母と私二人の実家からの帰りはいつも暗くなってからだった。その堤防道路の途中には神社があり、怖くて怖くて母の背中で目をつぶってしがみついた。子どもの頃はよく怖い夢を見た。派手な隈取りをした歌舞伎役者が粗末な舞台から私を睨み、見る見るうちに口が真っ赤に裂けていく。街は薄汚れていた。未舗装路の真っ黒な水溜り。用水路に立ち込める薬剤混じりの湯気。奥まった小屋の映画館。銭湯で見た刺青の背中。畦道の神に供えられた編み藁の上の赤飯の握飯。薄汚くて怖くてよくわからない匂いがしている、今の子が大人になって子どもの時を思い出した時、こんな清潔そうな街をどう思い出すのだろうか。街の思い出など、残っているのだろうか。ああ、そうか。この国...薄汚れた処も
美を見る目のほとんどを決めるのは出自であり、成育歴である。それは不都合ながら、差別ではなく真実であろう。お育ちのよくない方の美はお育ちのよくない美である。残念ながら、いろいろを見るたびにそう思う。伊東忠太が築地本願寺を設計することとなったのも、貴族的お育ちの、あの大谷探検隊の方であったし、武相荘もやはり野に有って貴族的である。せめて親の代からのお大尽でなければ養われぬ、判ずる目がある。聞こえぬ音がある、見えぬ色がある。強靭な精神力を持ってせねば、育ちに養われた感覚の+-の軸を動かすことは難しい。世襲を悪しき旧習とする人もいるが、子のうち曝されねば手にできぬものはあるのだ。それは血のつながりということではない。この国の今までを見ても、血のつながらぬものに跡を継がせるということは今の私たちが思うほど避けられて...貴の美俗の美
諸用あり、お江戸に参り、建築巡礼。目黒、朝香宮邸東京都庭園美術館。アールデコの館。ラリックやら宮のために公がお造り申し上げた幻のように端正なおうち。同じく目黒、雅叙園百段階段。笑けてくるほどの過剰な、どこか廓の楼閣の迷宮のお茶屋めいた宴室の色々。最上階の鏑木清方で息をつく初代当主は商いで得た金でこれを造り、また成功を収めた。商売人の建てた楼。そして、伊東忠太の築地本願寺。どなたが彼に信心の器を注文したのか。築地場外の喧騒は見えるが聞こえず、異国伝来の南無阿弥陀仏を異国様な生き物が静かに、あるいはさざめきながら守っている。伊東忠太の本堂が手を広げて帝都を守っている。再び目黒雅叙園、渡風亭創業当時を移築したという、絢爛な酒席。今宵は酉の市。大鳥神社も市がたつ。雅叙園と酉の市、似ているんだね。岩崎弥太郎の明治生...トーキョー名建築巡り美あるいは俗