器としての匣または筺としての我
これまで私は私という器を作って育ててきたのだな。いろいろな言葉、いろいろな実、いろいろな絵を入れて。いろいろな喜び、いろいろな悲しみ、いろいろな驚き、いろいろな憤りを入れて。そうして匣としての私は今は容れ物となっている、と、なろうとしている、の間くらいの感じ。知らぬ事柄を世の中の学問の力借りて、少しだけ整理しながら箱に入れてきたこれまでの私。これとこれは関係ありとシナプスを繋ぎながら。大人になって色々を見聞きする間に、学問を超えた関係にも繋がりがあるのだとわかってきて、それは楽しい驚きだ。理科と社会、数学と文学、経済と人脈、羨望と諦念、などなどをね。今は器を開放している。なんでもはいっておいで、という状態になってきている。これまでの中で、これが一番面白い。私はただ、いくつかの要素やら繋がりの入っている器に...器としての匣または筺としての我
2024/05/15 21:19