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  • リベルテ

    私は何を手に入れたいと思い続けてきたのかをやっと思い出したその名は自由リベルテ

  • ほめてほしいってこと

    秋から取り掛かっていたことに、身も心もへとへとになりながら、何とかけりを付けた。正月明けの二週間は毎日が目まぐるしく、やることだらけだった。自分の決心を迷いながら、本当にやり遂げられるのだろうかと思いながら、体の不調は続いたけれど、何とか決着をつけた今週は少しずつ体調も戻ってきた。少しずつ妥協をし、関連先には少しばかりの心づけをした。人生のベストいくつかに入るような案件だったけど、その件について話をするのだけど、もうすこし、「よくやったね、たいへんだったね」と言ってほしいものだ。本当に本当に大変だったのだ。私は、あちらもこちらも考えながらよくやった。そんなこと、きっと私だけのことなんだけどね。そうなんだけどねほめてほしいってこと

  • 井上尚弥に捧ぐ

    試合が始まった。前の試合の時に書いたもの。今度も試合を見られる幸せを感じながら、王者に捧ぐーーーー昨夜、井上尚弥の試合を見た。地上波で放映されないのは、日本国民にとっては残念だけど、何はともあれリアルタイムで見せてくれたLeminoさん、ありがとうございます。ボクシングの王者は昨夜もやはり、王者の試合であった。王者の仕事は「時の支配」であり、「場の支配」である。多くの人は、対戦相手を支配することと思っているかもしれないが、王者は人に勝とうとしているのではない。であるからこそ、王者は王者であるのだ。藤井君しかり、平野君しかり、である。人に勝とうと思っている人は結局、人との戦いの中でしか戦えない。王者が時と場とに戦いを挑んでいるからこそ、私を惹きつける。気負いなく見つめ、先を読み、狙いをすますこと。浄らかな戦...井上尚弥に捧ぐ

  • 秋に巡る

    秋の繁忙期が過ぎて、ちょっとだけ、浴びに行く。まずは高山の日下部民藝館の落合氏の展示。民藝や古いお家でやろうとすると、結局こうなってしまうのかな。既視感のあるものが多かった。AIの答える仏像というものが見たくて行ったのだけど、それは端正なお方ではあったが。仏はやはり人の頭の中に描くものであるのだろう。日下部民藝館。その昔の民芸運動というものは、幾分お大尽の、君たちのことも私にはわかるのだという趣味的なものであったのだろう。再発見されなくとも民藝はそこにあり続けているのであり、滅びるものも滅びぬものもまた、民藝であり続けるはずだからね。金沢の国民文化祭に伴う特別展にぎりぎり駆けつける。若冲は二つしか来ていなかったけど、天皇さんにささげられた数々の宝物を見た。兼六園あたりはさまざまに博物館美術館があるというこ...秋に巡る

  • 王者の帰還

    昨夜、井上尚弥の試合を見た。地上波で放映されないのは、日本国民にとっては残念だけど、何はともあれリアルタイムで見せてくれたLeminoさん、ありがとうございます。ボクシングの王者は昨夜もやはり、王者の試合であった。王者の仕事は「時の支配」であり、「場の支配」である。多くの人は、対戦相手を支配することと思っているかもしれないが、王者は人に勝とうとしているのではない。であるからこそ、王者は王者であるのだ。藤井君しかり、平野君しかり、である。人に勝とうと思っている人は結局、人との戦いの中でしか戦えない。王者が時と場とに戦いを挑んでいるからこそ、私を惹きつける。気負いなく見つめ、先を読み、狙いをすますこと。浄らかな戦いを見ることは人としてこの上ない喜びであり、またその時を味わいたくて戦いを見に行くのだ。昨夜もそん...王者の帰還

  • 稚き地点

    あまりに不調が続くので、その意味を考えてみる。自分に起こる出来事は、偶然のものであって本来、必然に有する意味はないと私は思っている。が、意味付けをする意味はあると持っている。なぜ、今、私にこれが起こっているのか。古の言葉で書かれた碑文を解読するように、あれやこれやを繋げてみるのだ。こう読み解けば、こういう分岐が見えてくると考えてみる。あれからこれまでの長い間、私は何に囚われてきたのか。変えたい道を変えないのは、きっと変えないでいる自分が好きなのだ。変わらない自分でいたいのだ。変えてしまうと自分でいられるかがわからず怖いのだ。稚日女尊から始まったいろいろを私はそう読み解いてみた。だから、もう一度、変わる前の私へと、囚われる前の私の地点へと行ってみよう。それは稚き日の私であり、そこから、もう一度生きてみろとい...稚き地点

  • 鳥羽の女神の伊射波神社

    先日、旅行割最後の機会と思い、特に選ぶでもなく鳥羽のホテルに宿泊することとした。所在地の地図を見てみると近くの岬の中に神社がある。伊射波神社、万葉仮名の神社だ。これはこれは行かねばならぬ。鳥羽一の宮に比定されているが、最も行くのが大変な一の宮とのこと。下の駐車場から、アップダウンある道を1キロ以上行かねばならぬらしい。宿泊翌日、安楽島舞台の駐車場に行くと地域の皆さんは茅の輪作りの最中だった。行くのは大変ですかと聞くと、1人の方が乗せていってくださるとのこと。途中は慣れない人ではとても踏破できぬ山道が続くが、花、草木の話をしながら案内してくださる。確かに確かに、登ってくるのは大変だ。だが、数組の老若男女のカップルとすれ違う。夏至のこの時期、鳥羽は太陽を讃える。夫婦岩も伊雑宮も、赤崎神社も太陽が最も盛んな夏至...鳥羽の女神の伊射波神社

  • くじらとルッキズム

    捕鯨の町のドキュメンタリーを見る。手書きの捕鯨反対の紙を港で掲げる女性がインタビューされている。動物だから、かわいそうだから、自分ができることをしようと思う、というような考えを語っていた。であるのに、私は彼女の密集したまつげエクステンションが気になってしまう。鯨イルカ保護とは全く関係ないのに、彼女はまつエクをする女性なのね、と思ってしまった。いやいや、彼女の主張と行動を考えよう、とするのだが、ああいう人がああいう行動をするんだね、一昔前の環境保護の人ってノーメイクが多かったのに、今時はこういう流れなのね、と考えてしまう。次に映ったのは、イルカクジラ飼育者を目指す女性だった。その中で、飼育トレーニングをしている女性は、この仕事は化粧をしなくて済むところもよいと語った。化粧をするにしてもしないにしても、女とは...くじらとルッキズム

  • 岐阜を知る人は

    緑が新しくひらひらしている日に渓谷に行く。もう何度も来ているが、知る人ぞ知る岐阜の隠れた絶景渓谷は、雪解け水を轟かせて佇つ。目も眩む谷底は、翡翠色に澄んで魚影さえ見えそうだ。川浦と書いてカオレと読ませるこの渓谷は、呼び名の不思議も私を幻惑する。とっておきの場所がある、変わらずある、私のリストにある幸せよ。今日はショッピングモールに鯉のぼりを見た。この色合いはもしや、と思っていたらちゃんとプレートがつけられていた。なかなかに高価なものなので、こんな間近に郡上本染が見られて、なんて幸せだろ。気に入ったものを心のリストに書き込む。それを身に巻きつけて暮らすことのささやかな幸せを緑きらめく今日思う。岐阜を知る人は

  • おシャレなせいかつ

    矢野顕子とMISIAの対談を見ていて、急に突然むくむくおシャレなくらしをしたくなった。ってことで、はてさておしゃれな生活ってなんでしょ、って考えるよね。ずっとずっと前、ちょっと私はおシャレなくらしをしていたな。その心はフレイバーティーだし、なにはともあれリーフで飲むお茶だな。アールグレイとかローズティーとかミントティーとか、食器を季節ごとに入れ替えるとかね。そして花を買う。茶器はもちろん玻璃の王様、HARIOだね。高校や大学のころはお茶をちゃんと飲んでいた。紅茶喫茶みたいのに友達と行ったり、デパートの食料品売り場で紅茶缶や、量り売りの日本茶を買ってた。考えようによってはいやったらしいかんじだけど、茶葉やコーヒー豆をゆっくり蒸らして飲んでいた。ケイトグリーナウェイを見ていた頃だね。目についた気に入るものを周...おシャレなせいかつ

  • 誕生日の夜に

    唐突な危険に、私は走っていた。周りの崖からは大粒の石や土がばらばらと降りかかり、土煙の中で景色がかすんだり見えたりしていた。左下には急流が流れ、周りの人は大声で何か叫びながら、とにかく逃げていた。まだ、地面は揺れを繰り返していた。石を飛ばす崖も、眼下の急流もおさまらぬ揺れが造り出したものであるのかもしれない。見も知らぬ人々が、とにかくここから逃げろと叫んでいる。でも、土埃でかすんで、いったいどこが安全な場所なのか、わからない。人が走る方へ、少しでも地面に近い所へ走り下りていこうとするが、よろけてまっすぐ進めない。隣の人が私の手を握り、かすんだ大気から引っ張り出すようにしてくれた。その人は知っている人のようでもあり、私を助けてくれる理由もない人のようでもある。日が暮れたのかあたりは暗くなってきた。やっと平ら...誕生日の夜に

  • upper

    魔改造の夜を見ながら、考える。そもそも日本は何を間違えたのか。これまで日出る国は落日を経験しては来なかった。日の出前というのはあったにしろ、日没する時を知らない。そもそも日本は間違えているのか。何十年か前、アジア諸国の物価を知り、あの国ではヌードル一杯100円以下なんだな、発展途上の国だしねと思ったのと真逆のことが今、この国で起こっている。円のように企業も国も負け負けだし、これはもう、国として終わってるってことじゃないのって思っちゃう。快適で安い食事のできる国って、国内民にとってほんとにいいことなんだろうか。技術立国のお掃除ロボットもコードレス掃除機も高機能ドライヤーも羽根無し扇風機もスマートフォンも外国製だし。頭脳も技術もこの国を捨てて流出しているし。まだ子どもだった時、世の中のいろいろがわからなかった...upper

  • 観音悔過

    一年に一度の、十一面観音の御開帳に行く。観世音の口は慈悲の息を吐こうとし、足は衆生を救おうと踏み出している。闘いまみれの修羅道を救う十一面観音。闘いまみれの私は、跪いてこうべを垂れて、叱られに、救われに、拝む。仏像は相対するものではなく、見上げるお方である。そうしてこの一年の悔過とこれからの一年の正しい行いを祈る。今年の御開帳は誰とも話さず、ただ悔過をし、拝んで、帰ろうと決めていた。蘊蓄やら講釈やらを考えず、ただ祈って帰るべきだと、今年は決めていた。わたしってば、こんなにいろんな観音様を巡ってきたのよ、だのなんだの言いたくなるんだから、それはもう、やめよう、と思った。十一面観音の前には多くの拝観者が、あずまの言葉で像の造作装飾をほめたたえ、聖林寺と似ているなどと時に歓声を上げてペンライトの灯りを当てている...観音悔過

  • 中止、延期、失敗

    昨日、H3初号機は飛ばなかった。中止だの失敗だの、世の中は喧しいが、このロケットに関わっているのは三菱重工業。先日MRJ(MSJ)からの撤退を発表したばかりだ。かの飛行機は何度もの延期を経て中止となった。ものづくり日本にとって、悲しい出来事だ。あれは中止だったのか、失敗だったのか。撤退であるのだから失敗なのだろう。国家の資金を注ぎ込んだ飛行機の「失敗」だろう。発電を含め多くの主要インフラに深く関わる企業だ。それを忘れてはならない。中止、延期、失敗

  • 歌姫

    仕事はあるし納税もしているし家族もいるし車も運転するし町内会費も払っているしワクチンも打ってるしマイナポイントももらったし持ち家もあるし三食食べているし何十年も生きてきたし履歴書は隙なくきれいに書けるし西国は三十三ヶ所まわったし外国にも行ったことあるしブラインドタッチもフリック入力もできるけどあたしはとってもひとりぼっちなのでひとりぼっちでうたをきくのさねえ、うたってよ、ディーバまず、「傀儡唄」そして、やさぐれGLIMSPANKY「闇に目を凝らせば」あいみょん「裸の心」AI「アルデバラン」島津亜矢「望郷じょんがら」とながして椎名林檎「子守唄」宇多田ヒカル「automatic」もいれとこうそしてやっぱり、EGO-WRAPPIN「老いぼれ犬の口笛」歌姫

  • 希望の星

    井上尚弥のドキュメンタリーを見た。これまで、たぶんデビュー戦から彼の試合をずっと見てきた。ここにも彼のファイトについて何度か書いてきた。初めて試合を見た時、パンチを出す彼は笑みを浮かべていた。今は思う。それは仕留めるてやるぜ、とかいうのではなく、きっと一瞬を見極めたことへの笑みであったのだろうと。井上尚弥の罪は、他のボクシングの試合がつまらなくて見られなくさせてしまうことだろう。強くて美しい。強くても美しくないもの、美しくても強くないものは、結局つまらない。強くて美しいものは、新しい世界がまだまだそこら中にあるのだと教えてくれる。同じような思いを平野歩夢を見る時に感じる。もっと上のものを見続ける。負ける日があったとしても戦い続ける。戦いは勝つためだけれど、相手の誰かと戦うというより、その刹那と戦っている彼...希望の星

  • 切ない匣

    心に、体に、寂しさがあって切なさがあって、心の中に、体の中に、寂しい場所があって、切ない場所があって、時々、寂しい切ないお話でそこを埋めたくなる。切ない寂しいものを感じることでしか、そこを満たすことができない。うまいお話で上手に騙されて、寂しい切ない思いを塞ぎたくなる匣いっぱいになるまで、ぴったりとくっつくまで。乾いているのか、湿っているのか。しっかり塞いでも、またしばらくすると、そこが埋めてくれとうずきだす。切ない匣

  • 薄汚れた処も

    幼い頃、母は自転車で30分ばかりの、母が「在所」と呼ぶ母の実家に事あるごとに私を連れて通った。母と私二人の実家からの帰りはいつも暗くなってからだった。その堤防道路の途中には神社があり、怖くて怖くて母の背中で目をつぶってしがみついた。子どもの頃はよく怖い夢を見た。派手な隈取りをした歌舞伎役者が粗末な舞台から私を睨み、見る見るうちに口が真っ赤に裂けていく。街は薄汚れていた。未舗装路の真っ黒な水溜り。用水路に立ち込める薬剤混じりの湯気。奥まった小屋の映画館。銭湯で見た刺青の背中。畦道の神に供えられた編み藁の上の赤飯の握飯。薄汚くて怖くてよくわからない匂いがしている、今の子が大人になって子どもの時を思い出した時、こんな清潔そうな街をどう思い出すのだろうか。街の思い出など、残っているのだろうか。ああ、そうか。この国...薄汚れた処も

  • 貴の美 俗の美

    美を見る目のほとんどを決めるのは出自であり、成育歴である。それは不都合ながら、差別ではなく真実であろう。お育ちのよくない方の美はお育ちのよくない美である。残念ながら、いろいろを見るたびにそう思う。伊東忠太が築地本願寺を設計することとなったのも、貴族的お育ちの、あの大谷探検隊の方であったし、武相荘もやはり野に有って貴族的である。せめて親の代からのお大尽でなければ養われぬ、判ずる目がある。聞こえぬ音がある、見えぬ色がある。強靭な精神力を持ってせねば、育ちに養われた感覚の+-の軸を動かすことは難しい。世襲を悪しき旧習とする人もいるが、子のうち曝されねば手にできぬものはあるのだ。それは血のつながりということではない。この国の今までを見ても、血のつながらぬものに跡を継がせるということは今の私たちが思うほど避けられて...貴の美俗の美

  • トーキョー名建築巡り 美あるいは俗

    諸用あり、お江戸に参り、建築巡礼。目黒、朝香宮邸東京都庭園美術館。アールデコの館。ラリックやら宮のために公がお造り申し上げた幻のように端正なおうち。同じく目黒、雅叙園百段階段。笑けてくるほどの過剰な、どこか廓の楼閣の迷宮のお茶屋めいた宴室の色々。最上階の鏑木清方で息をつく初代当主は商いで得た金でこれを造り、また成功を収めた。商売人の建てた楼。そして、伊東忠太の築地本願寺。どなたが彼に信心の器を注文したのか。築地場外の喧騒は見えるが聞こえず、異国伝来の南無阿弥陀仏を異国様な生き物が静かに、あるいはさざめきながら守っている。伊東忠太の本堂が手を広げて帝都を守っている。再び目黒雅叙園、渡風亭創業当時を移築したという、絢爛な酒席。今宵は酉の市。大鳥神社も市がたつ。雅叙園と酉の市、似ているんだね。岩崎弥太郎の明治生...トーキョー名建築巡り美あるいは俗

  • 唯、識るのみの者

    三蔵法師玄奘はガンダーラに向かい、その地に滞在し、世親の書いた唯識三十頌を持ち帰り漢訳した。運慶の世親は興福寺の国宝殿に眉をしかめて唯識ることを考えながら、今も立つ。運慶若き日のうら若き円成寺大日如来像、老いてからの老熟の興福寺無著世親像、どちらも運慶の中で特に惹かれる像である。西遊記の印象か、玄奘法師を昔話ほどの遠い時代の僧かと思っていたが、遣隋使遣唐使の時代の方で、遣唐使道昭は玄奘から教えを受けている。考えてみれば、西遊記の化け物も唯見えたものなのかもしれない。三島の「豊饒の海」は唯識であるのだが、以前読んだにも関わらず、記憶にない。しかし、宇多田はそれを読み、唯識三十頌を写経しているとのことである。「鎌倉殿の十三人」で、慈円が後鳥羽の請願で一字金輪の真言を唱えていた。他の全てを無力化する真言だ。そし...唯、識るのみの者

  • K先生とI先生

    先生と呼ばれる職業教師、医師、政治家、弁護士などなど旧統一教会の報道が連日される中、K先生を久しぶりにテレビで拝見した。昔々、オウム真理教、旧統一教会などの報道以来である。なんだか、旧知の人にあったような、懐かしい気持ちになったが、私がこれらのカルト教団は過去のものと思っている中でも、彼はずっと関わり続けていたことを初めて知った。幾星霜という言葉があるが、いくつもの朝と夜、彼は途切れることなく向き合ってきたのだと知った。私たちは忘れやすく、日々に取り紛れやすい。そんな中で対峙し続ける人がいるということは、残念ながら、見えづらいものである。変わらず同じものに取り組むことは、簡単なことではない。そんな人がいてくれるから、私たちは今、あの教団の今までを知ることができる。彼が投げだしていたなら、隠されてしまったこ...K先生とI先生

  • 平均律上のバッハ(再捧)

    テレビでバッハをやっていた。昔書いたバッハのことと、私はやはり同じ気持ちだ。心挫けるとき、バッハが私の上にあることは幸運だ。私は、ただただ音楽を聴くだけの人でピアノお稽古もしたことはないし、初めてのクラシック体験は百科事典の付録のソノシートで聞いたシューベルトの「野ばら」だった。だから、バッハのこともよく知らない。バッハという人はエピソードを語られない人だ。モーツアルトもベートーベンもシューベルトも大音楽家といわれる人を描いた映画は数あるが、バッハの人生を映画にしたというのを聞いたことがない。彼がどんな暮らしをし、どんな恋をし、どんな名誉を得、どんな失望を味わったかを、私は知らない。しかし、時々バッハという人について考える。私にとってバッハとはそういう人だ。わたしの想像の中でモーツァルトは口から音符を吹い...平均律上のバッハ(再捧)

  • 郡上REFRAIN

    気もそぞろに夕ご飯を済ませ、車に乗ってさあ出発だ。着いた頃には駐車場も少し空き帰り始めているからだ。浴衣でもそうでなくても、げたでもそうでなくても構わない。振りを覚えていてもそうでなくても構わない。輪の中でも、離れていても構わない。勝手にすればよい。櫓の老人の音頭はずっとリフレイン。疲れたら、湧き水の水路で一休み、手も足も水につけてほてりを鎮める。不思議なことに、日付が変わるころにいつも、通り雨が降る。好き蓮の人々は着物を濡らして一層熱く踊る。浴衣がぬれ、湯気が出て。音頭は止まらない。みんなみんなぐるぐる回って一緒のものになる。そうそう、異国のジャングルのお話にあったようにね。踊り疲れて帰途に着くころ、薄白く朝が明ける。繰り返しの熱狂は、八雲立つ出雲八重垣妻ごめに八重垣作るその八重垣を多摩川にさらす手作り...郡上REFRAIN

  • 逆の時代 誘

    昔のことを否応なく思い出した。学校から駅に向かう長い下り坂で、ほこりっぽい学校掲示板の前で、バスターミナルで、あの頃は大きな駅にあった待合室で、私は宗教の勧誘にあった。学校を出てからは、訪問勧誘だったり、仕事の用で行ったのに結局宗教の話しかしてもらえなかったこともあったし、深夜のスーパーで話しかけられたこともあった。たいてい「悩み事はないですか」と声をかけられるのだけど、生きていて、悩みごとのない人などいるはずもない。「神様の大切な言葉を伝えます」というものもあった。「拝ませてください」だの、「早起きして、気持ちのよい人生を送りませんか」だのというのもあった。「家庭円満は女が男を大切にすること」なんて余計なお世話だと思うようなものもあった。「家がうまくいかないのはあなたのせい」と言われても私の何を知ってい...逆の時代誘

  • 逆の時代 暗

    元総理(前回”前総理”としたが、元が正しいですね)が襲われ死亡した事件から、20日余りがたとうとしている。この事件について、「暗殺」「テロ」とする記事を目にすることがあるが、違和感が否めない。暗殺やテロは政治的背景があり、対象者のイデオロギーに異を唱えるものである。今回の襲撃は果たして、そのような政治的なものであったかと言えば、否であるからだ。暗殺やテロとする人は、たぶん、政治的対立による犠牲と考えたいのであろう。それ故に国葬も当然であると考えたいのであろう。しかし、明らかになっていたように、前総理が宗教団体の広告塔ともいえる行動をとってきたことへの抗議であり、「私憤」であった。それを、イデオロギーの犠牲になったということにしてしまってはいけない。前総理は個人としては愛すべきキャラクターであったのだろうが...逆の時代暗

  • 逆の時代

    これまで、「逆」はどちらかというとポジティブイメージで使われることが多かった気がする。「逆転」「逆襲」「逆玉」。耐えていたものが巻き返し挽回する、のような明るいもの。いくら逆境に有っても、その生き方次第では報われることがあると信じられていたのだろう。さて、今はというと「逆切れ」「逆恨み」が横行する世になってしまった。本人にとっては正当な理由であろうが、なかなか理解しがたい思考の展開がみられる。というのが、前総理が襲撃された事件を知り考えたことであり、ネガティブな「逆」の時代について考えてみようとしていた。しかし、事件の顛末が明らかになるにつれ、彼の行動が「逆切れ」「逆恨み」でなく、理解しがたい思考の展開でなく、他人事でなく、誰もが陥っていたかもしれぬ問題や苦悩を含んでいるのではないかと思われてきた。もう、...逆の時代

  • 足挫きて御前を思ふ

    1月に挫いた足がなかなか治らない。人を呼び止めようと思って走っても追いつかない。階段を上るのはよいが、下りが両足でできない。砂利道が歩けない。正座ができない。ちゃんとお医者に行ったけど、いろいろ試してみたけど、不自由は続く。そんな日々の中、これは小萩と同じじゃないかと思う。説教節に出てくる(女奴隷、下女)は「小萩」といくつかのお話の中で名付けられている。説教節とは中世に職能民が寺社などで語った、流浪先の風土に絡めた神仏の縁起とご利益である。知られたところでは山椒大夫、小栗判官、弱法師、浄瑠璃姫物語、道成寺(日高川)などがある。屋外で語られたお話は、やがて浄瑠璃となり、文楽となり、歌舞伎となった。山椒大夫の兄弟とともに働く下女、小栗判官で照手姫が美濃赤坂で働いた時に呼ばれた名は「小萩」である。折口信夫によると、彼...足挫きて御前を思ふ

  • 春と茶碗

    春はお茶碗まつり。以前は美しいものを買いたくて欲しくてお茶碗祭りが近づくと気もそぞろになった。もうそんな熱は無くなったけど、お茶碗祭りは心が躍る。多治見市之倉幸兵衛窯に行く。薬味入れに良さそうな盃を一つ。今はそれで満足だ。足るを知るというわけではないけれど、わたしが持たなくても美しいものは変わらず美しいのだと、今は思う。そして、久しぶりの虎渓山永保寺へ。美しい鎌倉室町の屋根。計算上手そうな江戸の屋根とは異なる。夢窓国師の名のように夢の窓から見たようなお堂と池と観月橋、花狭間。終わりの桜の舞う中を川まで出てみる。虎渓に残りの花弁が降っている。わたしが訪れようと訪れまいと千有余年そこにあり続けるあなたがた。人のように自在に動けるわけでない建物は、人が作ったものであるのに、立ち続けるうちに自然物のようになり。そこにあ...春と茶碗

  • かく語りき

    ウクライナ大統領のスピーチはよく考えられたものだったなあ。映像としてイメージしやすいキーワードが随所に配置され、私たちの記憶に残っている過去の情景、におい、音を喚起するものだった。東日本の、原発事故の、津波の、あの寒い朝の地下鉄の記憶、テレビの画面、絶望の思い出。思考のみでなく、五感にも訴える。このような話の何分の一かでもできる人が私たちの周りにもいたらなあと思わせるものだった。彼の述べた内容の是非は簡単には言えるものではないけれど、スピーチとして素晴らしいものであった。この他国の非常時について、多くの識者が意見を述べている。それを聞くと、ああこの人はそういうスタンスの人だったのねということがはっきりする。ウクライナのことを語っているのに、右の人は結局右の主張、左の人は結局左の主張をしているからだ。同じ出来事を...かく語りき

  • 梅とステーキ

    めっちゃめんどくさい仕事を依頼され、頭の仲がめっちゃばぁになっています。少しやっては、寝転がり仕事のばかやろぉとつぶやき、いろんな誘惑に負けそうになりながら、全然進まないけど、とにかくやろうと思いながらも、こんなとこに入力してるってことは、つまり、やれてないということです。はぁ。昨日は友達と、それこそ一年ぶりかで会って、大縣神社の梅を見て、ステーキ食べてやったぜ。まったく、この感染症のせいで、誰とも会えないし、ご飯もいけないし、仕事してもリセットできないし、神社もお寺もいけないので、身の内は穢れ塵芥澱だらけです。大縣神社は姫宮で知る人ぞ知る、小縣神社との対の奇祭のお宮さんです。奉納された姫岩なんてのもあるのだけど、夫婦で放送禁止的な岩を奉納するって、なんともはや五穀豊穣なことです。そうです。ウクライナの人も、コ...梅とステーキ

  • Parsley, sage, rosemary and thyme

    ここ数日スカボローフェアを思い出している。Tellhertomakemeacambricshirt,Parsley,sage,rosemaryandthyme,Withoutnoseamnorfineneedlework,Andthenshe'llbe縫い目のないシャツを作る、涸れた井戸でシャツを洗う、いばらでシャツを乾かす、海辺に1エーカーの耕地を探す、羊の角で地を耕す、革の鎌で刈り取るなんと理不尽な要求。それは真実の愛、atrueloveofmineなのだろうか。真実の愛はそんな実現不可能なものか。PサイモンのCanticleは続ける。Andtofightforacausethey'velongagoforgotten理由も忘れた戦いをしているのだと。東西の大国がこの戦いに、表面上は乗っていないのが過去の戦...Parsley,sage,rosemaryandthyme

  • 旧ソ猫を We Shall Be Released

    雨音の激しい深夜、テレビで映画「チョコレートドーナツ」を観た。こんなに雨が降るなんて、もう春がやってきたんだな。映画の最後、歌っていた。anydaynowweshallbereleasedあるべき場所に誰もがあるべきである。そのためには戦わなくてはならないのか。戦わなくとも、あるべき場所が許される世界というのは不可能なのか。私たちが捉われているものは何か。外の世界にも自分のうちのもある捉われ。自由というのはメビウスの帯のようで、自由を求めておこなったことが、いつしか自分を不自由にする。自分の自由を求めて選んだことが他者を不自由にする。そこはそれ、折り合いをつけていくのが肝要なのだろうが、折り合いをつけることで、これ、と思っていたものが見えなくなる。そこの大統領も主席もみんな自分も他者もbereleasedしちゃ...旧ソ猫をWeShallBeReleased

  • 旧ソ猫を噛む 追記

    理不尽で謀略の人であるおじに対抗するには、おじの家人であるおばからしか、方法はないのかもしれない。おじの飴と鞭のなかにいる人であっても、家人の支持がなければ、孤立するはずなのだろう。家族の問題でも状況を変えていくには時間と数えきれぬ葛藤が必要であり、朝目覚めると問題が寛解しているなんてあり得ない。どうしても従いたくないことなのに従わざるを得ないというのは、人の尊厳を踏みにじることだ。選択の余地もなく、説得の会話もなければ、それが蹂躙というものだ。そんな時に名ばかりのものであれ、会って話すことは徒労なのだろうか。もう十分苦しんだのだから、という審判が下されることはなく、天は沈黙し、音のない街に爆音が響く。かつての、息もできぬほど苦しかった時も、誰ももう十分だとは言ってくれなかった。誰が誰にもう十分だといえばその声...旧ソ猫を噛む追記

  • 旧ソ猫を嚙む

    今日は3.1111年目の日だ。ここから東北は遠く、街と原発の映像を見た時の喪失感、無力感、絶望感は消えない。失われたものすべてに手を合わせ祈るだけだ。破壊された街を、また見ることになった今日の異国の映像。例えば、親戚のおじさんは強権的な人で、理屈の通らぬ人であったとしよう。昔は反社会的な仕事もしていたらしい。おじさんの子である従姉妹はいとこの家を自分の資金を出して改修し、家財も買いそろえた。おじの理不尽な振る舞いに、いとこは独立したいと思って当然である。何年も自費を投じてきたものも自分のものとしたい。が、おじは育ててやった恩は返さないのか、親子ではないのか、水臭い。この家は俺のものだ、いやなら全部残して出て行け、といいとこに暴力をふるう。おじの妻であり、いとこの母であるおばは、生計をおじに委ねているためにいとこ...旧ソ猫を嚙む

  • ナショナルnational

    もうすぐパラリンピックが始まる。その前に北京の開会式閉会式について思ったことを二言三言。中華の十二節、若葉のそよぎ、飛ぶ柳は美しかった。春節にやってきた世界の祭りを唄う。そうきたか、そうでなくっちゃね、と思ったよ。で、その続きは、ね。Appleのような、UNIQLOのような、Googleのような、Coca-Colaのような、MUJIのような、CM見てるような既視感。おしゃれなものを作ろうとするとこうなってしまうのだな。自らの文化をしめしながら、創造することのなんと困難なことよ。他と違うということを違う人に向けて伝えることの、なんと困難なことよ。いつしか自分も借り物の目で自分のものを見ているのだな。張芸謀でさえ、そこから抜け出せないのだな。正直なとこ、どんなすごいもの見せられるのかとビビってたんだけど、ショウジキ...ナショナルnational

  • 春に問う

    まずいぜ。張芸謀の開会式、勝負は見えている。そうして私は、国を愛するということを考えている。始まったな、開会式。私たちは自国を愛して、開会式にプレゼンテーションできたのか。私たちは国を愛しているのか。国を愛すとは何か。本当に祖国を愛すとは何か。直角の行進なんかでもなく、高揚感あふれる楽曲の中の国旗掲揚なんかではもちろんなく、国と国土と故郷を愛すとは何かを今、考えている。あの夏の開会式にそれがなかったのは言わずもがなであるが、では、国を愛すとは、どういうことか。統制されぬこの国のまま、国を愛しことを示さねばならなかったのに、な。春に問う

  • 君は私に告げる

    中学1年の秋の夕暮れ、学校北のコンクリートブロック塀のところに、ちょっと来てよと同級生に呼び出された。同性の彼女と一体私はどれだけ仲が良かったか、どれだけ話をしたか、私は覚えていない。日没前の空は青と紺が混じりあい、少し冷たくなりかけた空気は淋しくて、帰る場所がわからなくなりそうで、悲しくて懐かしい時間だった。その子は、もうこの学校には来ないんだ、と言った。転校するんだよね、と言った。それはたぶん、明日なり明後日なりには皆に告げられることだろう。私は、もう会えないんだね、と答えた。それ以外に言うべき言葉も気持ちも持っていなかったからだ。泣いて別れを惜しむほどの仲でもないはずだし、でも、寂しい思いをしているという顔をしなければ彼女に悪いと思った。他の人に言ってないんだけどね、と彼女は続けた。それでも私は、彼女が私...君は私に告げる

  • happy

    わたしは、わたしたちはちっぽけな微力な人間で、天下国家をどうこうすることはできない。たとえ、王様でも大統領でも武将でも大司祭でも老師でもそれは変わりない。理不尽な大災害、理不尽な事件に、本当は立ち尽くす存在だ。では、生まれてきたとは何か、生きているとは何か、できることは何か。ちっぽけな私は小さなhappyを、送らねば。忘れ物を教えたり、落とし物を拾ったり、売り場でありがとうと言ったり、よくできたねと声をかけたり、めんどくさい人をめんどくさいと思いながらも捨てなかったり、ごちそうさまと言って店を出たり、君は優しい人だよといったり。1つのhappyは世界を動かすものではないけれど、いくつもいくつも送ったいつかは、芽を出す一粒の麦となることもある。いつか忘れてしまった時に送られたhappyが、戦争やら無差別な自他殺の...happy

  • N先生のこと

    N先生。N先生をテレビで見るのは、正直楽しく、興味深かった。N先生の会見が頻繁に報道されるようになったのは、要職に就かれた時からだ。発言がいわゆる、上から。目つきも悪い。お前らみたいな馬鹿に何がわかるのだ、言うこと聞いてればいいんだよ感に溢れていた。頭のいい私たちが決めてるんだけど文句あるのか感。パワハラっぽいよね。うんうん。それはそうだよね。N先生は関西無双の名門N高校から、天下のT大に進学、キャリアになられたお方。並の頭脳ではないというのは自他ともに認めるところだ。皆なんて頭の回転が遅いのだ、イライラするぜ、胃が痛いぜと思っておられたことであろう。よくあるお詫び会見で逆切れする社長にも似ている。きっと、キャリアのお仕事の時もこのような口調で叱咤しイラついて部下や関係者に接していらっしゃったのでしょう。そうし...N先生のこと

  • 看護と文化と

    しばらく、締め切りに追われる仕事が続き、無為の罪悪感からは解放されていたが、追い立てられる日々に、いったい何に向かっているのだろうと思うこと度々。そんな締め切りロードも終わった久々締め切りのない土曜、別々の場所で、看護の話と、文化の話を聞いて話して考えた。看護の話はナイチンゲールについて。ナイチンゲールは「白衣の天使」と呼ばれ、滅私、慈愛の人と思われているが、実は医療計画を立て、看護施設の整備を訴え、ネゴシエイトし、運営したというもの。調べてみると、ナイチンゲールは統計学者として認知されていた。傷病兵の統計をとり、医療環境の整備がいかにされるべきかを統計を使って国に訴えた。「かわいそうな人を助けましょう」だけではだめだということをよく知っていた。方針を決める時、それも未経験の事態の中で、指針になるのは、やはり統...看護と文化と

  • 荒野な末路

    最近のwebニュースの記事を読んでいると、(悲惨なおひとりさまの末路)(田舎暮らしの末路)(家を売った人の末路)というようなものが結構ある。そんな末路を迎えないためにあーしましょう、こーしましょう、ってことなんだろうが、webニュースの書き手たちにはどうしてこういうイメージが持ってしまっているのだろうか。そもそもこういうものを書いてる人々はどんな人だろう。書き手は、(末路)の年齢に近くはない、若年壮年の人と推測する。その人たちにとって晩年は地雷だらけの、危険をくぐり抜けねば安全地帯にたどり着けぬ、至る所、荒野・戦地であるのだろうか。殺伐とした人生の砂漠を、リスクを避けつつ戦い抜かねばならぬというイメージなのだろうか。おひとりさま、田舎暮らし、家を売る、などなどを決めた人は早計だったかもしれぬが、それまでとは違う...荒野な末路

  • 亡国の

    慶応義塾大学は在京の有名私大である。法学部、商学部の偏差値は72.5。一流私大と呼ばれ、歴史と実績を有している。多くの政治家、経済人、マスコミ、広告代理店と、我が国の中心となる人材の出身大学である。私は最近、この大学に対する今までの自分の認識は正しかったのかと思い始めた。一般入試科目は以下の通りである。法学部、商学部2教科(400点満点)【地歴】世B・日Bから1(100)【外国語】コミュ英I・コミュ英II・コミュ英III・英語表現I・英語表現II(独・仏選択可)(200)【小論文】(100)商学部には下記の方式もある3教科(400点満点)【地歴】世B・日B・地理Bから1(100)【数学】数I・数A(場合の数と確率・図形の性質・整数の性質)・数II・数B(数列・ベクトル)(100)【外国語】コミュ英I・コミュ英I...亡国の

  • 一言だけ言うよ

    でんつー、退屈一言だけ言うよ

  • それとこれとは

    区別すべきではないかと思うものがいくつかある。一緒くたにしていいのか、それとこれとは話は別でしょ、むしろ、論点のすり替えとなってしまうよ、それとも揚げ足取りをしたいの?と思うもの。このオリンピック、本当にやれるのだろうかと思った。世の中にもそう思った人はたくさんいた。「安全安心」とやらを担保しながら、外国から選手なり、観客なり、関係者なりを受け入れることなんてできるのか、と思ったから、多くの人は開催に好意的ではなかった。反対であったともいえる。でも、それはオリンピックをやりたくないからでも、日本に来てほしくないからでも、この期に及んでスポーツやるなんておかしいと思っているわけでもないはずだ。穏やかな気持ちで、手放しで応援しながら開催したいという気持であったのだ。結局、ご存知のようにオリンピックは開催されることに...それとこれとは

  • 負けの日

    オリンピックは勝つ人がいれば、当然負ける人もいる。国を背負った人、声援を受けた人、期待をされた人、自分だけ負けだった人、負けた人は今日、どんな一日を過ごすのだろう。最近、私は仕事を減らされた。負けだ。私の仕事は請負のようなものなので、出来次第で仕事が増減する。減らされるということは、発注先のお気に召さぬことがあったということである。認められなかった、承認されなかったということだ。今までも、そんな評価にさらされながら仕事をしてきた。幸運なことに、仕事が減ってすぐさま生活に困ることはないが、自分に「×」がつけられたような気がしてしまう。「敗戦」である。仕事の量で私が何者かが変わるわけではないが、それでも、自分の価値がないような気がしてしまう。役に立つ人材であるということが自分の評価であると思ってしまう。なかなかその...負けの日

  • うつろの器

    美しい花火美しいドローンの市松と地球美しい木遣島唄戦争だけでなく平和の祭りもメディアで見る時代となりもはや最先端やあやあ我こそは、と名乗る人はいない、無観客ってことです空(うつろ)の器に祭りは進む世界の皆さん日本人の私はオリンピックが来るのを拒んでいるわけではない日本人の私は日本人やらでいっぱいの会場のオリンピックを見たかったよ。そうそう、こどもだってみられる時間のやつをね祭りに怒っているのではなく、私たちのものと思えない祭りを悲しんでいるのだうつろの器

  • 上級と貴族と利権と腐敗と格差と分断と

    上級と貴族と利権と腐敗と格差と分断と既得権益とかおともだちとか電通とか慶應義塾とかテレビ局とか閨閥とか学閥とか二世とかネトウヨとかリベラルとか大衆なんてこんなもんとなめられるとか持たざる者の繰り言と見下されるとか黙ってればわからぬだろうと誤魔化されるとかじゃあ、クビにしますよと脅されるとか死にたくなければ打ちなさいと強いられるとか死んでもいいなら打てばいいじゃんと嘲笑われるとか弱いやつが負けるのは弱いせいと決めつけられるとかそんなの綺麗事と分かったような口振りされるとかほら、もっと感動しろよ、安いお涙頂戴を見せられるとか貧しいバカは子々孫々どこまていっても貧しいバカとかあいつらにはどうせわからないってことよ、とか上級と貴族と利権と腐敗と格差と分断と

  • 殖産と倫理

    多分、10余年のことだけど「渋沢家三代」という本を読んだ。そのころは宮本常一が再評価されていて、同じ著者佐野眞一氏による「旅する巨人」が話題になっていたころだったと思う。渋沢栄一と、放蕩の息子と、後継となった孫の三代の話。栄一は女にはだらしないが、経済と倫理を兼ね備えた人だ。特筆すべきは彼が財閥なんぞという小っちぇことを目指してはいなかったことだ。栄一の子はどんなにか苦しかったであろう。栄一はやはり、子には越えられぬ偉大な父であった。栄一が正座をして後継を頼んだ孫は学者肌の人だった。それ故、のちに宮本常一などの民俗学のパトロンとなる。廃嫡の父(栄一の子)と、偉大な祖父(栄一)との間で彼の学究の思いは、そんな形で実現された。今年の大河は、渋沢家の話ゆえ、楽しみにしていた。が、今までは正直つまらなかった。ここにきて...殖産と倫理

  • 甘い覚え書き

    以前ここに書き込んでいた時から10年が経った。あの大震災、それから新型コロナウィルス。今まで想像もしなかった光景をその間に見た。想像力なんて、経験の範囲をなかなか出られないものだ。10年前の自分と今の自分と何が変わったから再び書き始めたのかわからないが、あの時書かなくなってしまったのは、自分の言葉に飽きてしまったからだな。なんだかちょっと反響を期待して書くなんて事が、いやらしく思えてしまったのだ。だから、新しく書くにあたって、個人的な覚え書きにしようと思った。ウケを狙った、オチのある文を書くことから逃れたかったのだ。でも、あの頃がちょっと懐かしくもある。誰にも何も言われない独り言も、寂しいものだな、なんて勝手な言い草だけどね。それは無い物ねだりというものだな。でも、無いものはねだりたくなる、ってのが人情というの...甘い覚え書き

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