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趣味の、自己満ブログです。 不公平と矛盾する世の中は、 小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく。 人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…

流れ雲のブログ:信じれば真実、疑えば妄想

流れ雲のブログ
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神戸市
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2021/09/06

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  • 貧者の一灯・妄想物語

    これは私が、まだ小学生だった頃の話です。父の仕事の都合で、私達家族は新しい土地へ引越しをすることになりました。正直私は友達と離れるのが嫌で嫌でたまらなかったのですが、当時5歳の弟にとっては幼稚園の友達と別れるということはそれはもう大ショックだったようで、引越し前は友達と離れたくないと大泣き。引越してからは口数も少なくなり、黙って家で1人遊ぶだけ。新しい幼稚園にも行こうとしませんでした。そんな弟に対して、母は何とか気晴らしにならないかと弟と近所を散歩してみたり、買い物に連れて行ったりと付きっきりです。私も母に協力して、お姉ちゃんとしてできるだけ弟の面倒を見るように心掛けていました。そんな中、弟が唯一気に入ったのが近所の児童公園へ行くことでした。そこは引越し先の家からも近い小さな公園です。滑り台が一つある他は...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    なぜ世の中には、男と女がいるのだろうか。「生物がオスとメスにわかれている理由は、異業種交流会にたとえるとわかりやすい。業種ごとに違う色のリボンをつけていたほうが、交流が効率的に進むのと同じだ」だという…。「なぜ、男と女がいるの?」と子供に聞かれたらどう答えるか男と女がいるがために、私たちは相当のエネルギーと時間を費やしている。子どもの頃から異性を意識して、男子はカッコつけてみたり、女子はかわいくおしゃれをする。思春期の頃は、好きな人のことを思って、眠れぬ夜を過ごしたり、何度も何度も書き直してラブレターを書いたりする。バレンタインデーやホワイトデーともなれば、お金も必要だ。恋をすれば、勉強が手につかなくなったり、部活に集中できなかったりする。大好きなアイドルのテレビにくぎ付けになったり、コンサートに出掛けた...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    このお地蔵さんには不思議な力があり、おできや、やけどをした人がお参りに行くと、お地蔵さんは自分の体の同じところに、やけどやおできをあらわして治してくれるというのです。ある日の事、顔の左のほっぺたがスイカの様にはれあがった大工さんが、お地蔵さんの話を聞いてやってきました。大工さんのほっぺたは、町の色々な医者に診てもらっても治らず、口もきけないほどの痛みに苦しんで、このお地蔵さんにすがりにきたのです。「お地蔵さま、どうかお助けください。このままでは死を覚悟して、顔の半分を切り落とすしかありません」大工さんが一生懸命お祈りをすると、ほんの少し、痛みが引いたような気がします。それから次の日も、またその次の日も、大工さんは熱心に手を合わせました。そして、八日目の事です。大工さんがふと、お地蔵さんの顔を下から見あげる...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    祖母光子の経営していた小料理屋がいよいよダメになり、長く住んでいた新橋の店を売ることになりました。東京で3人で暮らすとお金がかかるからと、母教子は東京に残って昼夜働き、私と祖母は、かつて私が住んでいた茨城県牛久町に引っ越すことになりました。そう。私の育ての母久子が住んでいる懐かしの牛久です。母教子と離れて暮らすことは悲しかったけれど、牛久は私の大好きな町だし、何より育ての母の近くで住めることがとても嬉しかったのを覚えています。私と祖母は、牛久駅から歩いて10分。当時の県営住宅。昔の長屋みたいなもので六畳二間という間取りの家に住むことになり、東京に残る母教子は、お店を畳む少し前に偶然当たった品川の都営住宅に住むことになりました。今思えば、なぜ離れ離れに暮らすことになったのか不思議です。品川の都営住宅の間取り...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    歌詞に「新宿駅裏」とあることから、ここで居酒屋を営んでいた女性が店仕舞いすることになり、その最後の一夜を歌った作品です。しょんべん横丁は、青梅街道から新宿駅北端に至る線路際の商店街。30×100メートルほどの狭い空間に、小さい店がびっしり建ち並んでいます。洋服店やチケット店もありますが、大半が焼鳥・もつ焼き店、居酒屋、ラーメン店、一般食堂などです。新宿駅の西側は、今では超高層のビジネスビルやシティホテル、デパート、大型電器店が建ち並び、先端的なビル街になっていますが、その片隅にあって、昭和20年代~30年代の雰囲気を色濃く留めているのが、しょんべん横丁です。商店会では「思い出横丁」と呼び、その名前の看板も掲げていますが、時の流れに取り残されたかのようなたたずまいを愛する古手の常連たちは、愛着をもってしょん...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    化粧品やサプリメントに含まれる「アンチエイジング物質」は、その多くが植物由来だ。なぜ植物はそうした成分を持っているのか。「それは自ら動くことのできない植物ならではの生存戦略だ」という。老化を防ぎ、美容を維持する「アンチエイジング物質」老化を防ぎ、若返りを図ることを「アンチエイジング」という。エイジング(加齢)にアンチ(対抗)しているという意味だ。そして、そのような抗老化の効果がある物質をアンチエイジング物質という。世の中には、さまざまなアンチエイジング物質があふれている。このアンチエイジング物質の重要な効果が、「抗酸化」である。私たちの体は、酸素呼吸をして生命活動を行っている。しかし酸素は、物質を酸化させて錆さびつかせてしまうものでもある。そして、酸素呼吸を行う生命活動の中で発生する活性酸素は、さらに酸化...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    愛憎それから五年の月日が経った。呉王僚は、隣国の楚に侵攻する計画を着々とたてている。伍子胥は畑を耕しながら市井に潜伏し、復讐の時機をうかがっている。子仲は名を専諸と変え、公子光のもと、指令を待ち続けていた。楚では嬴喜の産んだ太子が軫と名付けられ、六歳となった。包胥はその後見人として、母子を心の面で支え続けている。奮揚と紅花はその包胥を心で支え、そして彼と彼女はお互いを心の面で支えあった。政治的緊張が続いた五年間であったが、幸いにもこの間にその緊張の糸が切れる事態は発生せず、人々の暮らしは、表面上平和であった。しかしその後、糸は突然切れたのである。この年、楚王は崩御した。突如心音を乱し、その太った体を悶絶させながら倒れた姿を、人々は茫然と眺めた。誰も王に何が起きたかを瞬時に理解できず、それがある種の急性の病...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    私は高校卒業後、進学の為に地元を離れて都心へと移り住みました。当然ながら住んでいる周辺に知り合いがおらず、それでも慣れてきてからは学校の友達とよく遊ぶようになっていきました。進学してから半年ほど経った頃でしょうか。私と同じく進学で都心へ移り住んだ地元の友達から、久々に会わないかという連絡がきました。地元の友達と会うのは久々だったので、会う日をとても楽しみにしていました。そして地元の友達との約束の日、友達の他に地元が一緒のAもいました。Aとは一応顔見知りで、同じ中学校に通っていたのですが、あまり話したことがありません。それでも地元の話で盛り上がり、Aとはすぐ仲良くなりました。それからAと私は2人で遊ぶことも増えていき、1ヶ月に数回は会う程の仲になりました。Aも都心へ進学して私と住んでいる地域は近いのですが、...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    たとえ同い年でも、10歳年上でも、それまで普通に暮らしていた伴侶がなんの予告もなしに大病を患うのは、信じられないし、信じたくないはずだ。しかし振り返ってみると、前兆めいたものはたしかにあった。ノートパソコンが重くて耐えられなかった異変の第1段階は、息子が生まれて半年が過ぎた2018年の5月にやってきた。妻がとにかくグッタリするようになったのだ。朝起きて、子供の保育園の準備をして、登園させると、すぐさまグデ~と横になる。だが、その不調が大腸がんに繋がるなにかしらの前兆であったとは、つゆにも思わなかった。息子が夜泣きを繰り返す授乳期のアレコレで疲労困憊しているだけだと彼女も俺も信じていた。間もなく、ガクンと体力が落ちる第2段階が。ライターである彼女が取材から帰ってくると「カバンを持っていられなかった……」「ノ...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    その近くの二俣(ふたまた)という村に、与三次(よさじ)という若者と母親が住んでいました。ある日の事、この与三次の家に、やさしい働き者の嫁さんが来ました。嫁さんは蓮如上人の教えをうけて、毎日、吉崎御坊(よしざきごぼう)へお参りに通っていました。そのうち与三次も、嫁さんと二人仲よく吉崎御坊に通うようになりました。ところが母親は信心(しんじん→神や仏を思う気持ち)のない人だったので、おもしろくありません。嫁さんが、母親に信心をすすめると、「ふん!なにを言っているんだい。信心したって、腹はふくれないよ!そんなひまがあったら、もっと働き!だいたい、お前という嫁は・・・」と、母親は嫁さんをいじるのでした。ある日、与三次は急な用事が出来て、吉崎御坊へ行けなくなりました。嫁さんは仕方なく、一人で吉崎御坊へお参りに行きまし...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    「元看護師殺人事件」の結末実は、日本ではコロナ禍がはじまって以降、老老介護に関する殺人事件が増えていると言われている。「責任感が強い人ほど追いつめられる」という。その家は二世帯住宅になっていた。1階には70代の両親が暮らしており、2階には長男家族が住んでいた。家の持ち主は1階の両親だ。77歳になる日出美(仮名、以下同)は元看護師。社交的で近所付き合いも良かった。夫の勉は、日出美より5歳下だった。同じ病院で医療事務の仕事をしており、どちらかといえば生真面目なタイプだ。そんな夫婦が老老介護を余儀なくされたのは定年後のことだった。「死んで楽になりたい」こうした日々の中で、日出美はうつ病を発症する。介護をしようとすると、突然体が動かなくなる。理由もなく涙があふれて止まらなくなる。少し前の記憶が抜け落ちる……。典型...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    石原裕次郎は、昭和53年(1978)に舌下潰瘍の手術をして以降、次々と疾患が発見され、入退院を繰り返しました。昭和61年(1986)5月、高熱のため慶應義塾大学病院に入院、7月に退院してから、翌年4月までハワイで療養しました。この療養中に制作されたのが、『北の旅人』『想い出はアカシア』『わが人生に悔いなし』『俺の人生』の4曲。作詞・作曲は、前の2曲が山口洋子と弦哲也、あとの2曲がなかにし礼と加藤登紀子。制作されたといっても、すでに日本と行き来する体力がなかったため、オアフ島のドルフィン・スタジオで録音されたそうです。昭和62年(1987)4月、体調不良のため急遽帰国、慶應義塾大学病院へ入院したものの、恢復することなく、同年7月17日に死去しました。享年52歳。けっきょく、上記の4曲が彼の最後の作品となって...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    「あたしは笑って死ぬ。そうするんだって決めているんだ」医師が患者さんに治療を勧めるときの定番フレーズが「治療しないとたいへんなことになります」です。私はいろいろな意味で、このフレーズが腑に落ちません。まず、「たいへんなこと」とは、つまり「死ぬこと」もしくは「苦しいこと」になります。そもそも、治療をすれば死なないのでしょうか。いいえ。治療してもしなくても、人は必ず死にます。むしろ、治療することで命が短くなることもあります。また、治療すれば苦しいことが起きないのでしょうか。いいえ。むしろ、治療すると患者さんは副作用や後遺症で苦しむこともあります。それなのに、なぜ医師の多くが「治療しないとたいへんなことになります」と言うのかというと、じつは病院の医師のほとんどは、治療しなかったときどうなるか知らないからです。病...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・一考編

    モテる男の代名詞 そんな伊集院の『週刊文春』の連載「悩むが花」を私は愛読している。人生相談風エッセイだが、たとえば最新の1月14日号では、58歳の中小企業の社長が「経験豊富な」伊集院に若い女性の口説き方を尋ねる。 それに対して伊集院は冗談まじりに答えた後で「最後に、こういう相談で、わしに対して経験豊富と言うのはやめてくれるか。わしにも家庭があるんだから」と答える。 モテる男の代名詞のような伊集院と最初に会ったのは1992年の春だった。『京都新聞』の講演でである。私は当時47歳。5つ下の伊集院が42歳。その後まもなく、『サンサーラ』という雑誌の対談で再会したが、その対談のリードに私はこう書いている。伊集院さんは優男だとばかり思っていたので、ガッチリした長身に、まずびっくりした。そして、実にいい感じなのである...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    むかしむかし、あるところに、一人の犬飼いがいました。犬飼いとは、狩りで使う猟犬を育てる仕事です。ある日の事、犬飼いがお気に入りの犬を連れて池のそばを通ると、犬が急に吠え出したのです。「こら、いったいどうした?・・・あっ!」見ると、美しい娘が池で水浴びをしているではありませんか。「こんな美しい娘、今まで見たことがない。あれはきっと、うわさに聞いた天女(てんにょ)だな。天女なら、きっとどこかに羽衣(はごろも)を脱いでいるはず」犬飼いは、犬に命じました。「早く、あの天女の羽衣を探し出せ」さて、しばらくして天女が池からあがってきましたが、どうした事か大切な羽衣がどこにも見当たりません。犬飼いが、羽衣を隠してしまったからです。羽衣がなければ、天女は天へ戻れません。「どうしよう・・・」天女が困っていると、犬飼いが現れ...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    「元看護師殺人事件」の結末実は、日本ではコロナ禍がはじまって以降、老老介護に関する殺人事件が増えていると言われている。これまで私はこうした老老介護が引き起こした事件をいくつも取材してきた。その中で感じるのは、「責任感が強い人ほど追いつめられる」ということだ。元看護師が引き起こした老老介護の果ての殺人事件から考えてみたい。姐さん女房としての生き方その家は二世帯住宅になっていた。1階には70代の両親が暮らしており、2階には長男家族が住んでいた。家の持ち主は1階の両親だ。77歳になる日出美(仮名、以下同)は元看護師。社交的で近所付き合いも良かった。仕事場では看護師のリーダー格、プライベートでもたくさんの人たちと交友があった。夫の勉は、日出美より5歳下だった。同じ病院で医療事務の仕事をしており、どちらかといえば生...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    昭和44年(1969)9月25日に発売されて大ヒットした『新宿の女』に続く2枚目のシングル。昭和45年(1970)2月5日にRCAのレーベルで日本ビクターから発売。すぐにヒットし、オリコンチャート1位を獲得、売り上げは公称110万枚を記録しました。同年7月5日に発売されたアルバム『女のブルース』も、オリコン1位を16週連続で維持しました。演歌には陽の演歌と陰の演歌とがありますが、藤圭子の歌は典型的な陰の演歌です。陰の演歌は、悲嘆、未練、寂しさ、失意、あきらめ、傷心、愁い、孤独、怨みといった陰の感情を表現したもので、演歌の主流といってよいでしょう。陰の演歌にかぎりませんが、作曲家は歌詞から浮かんだ曲想を形にし、歌手は歌詞や曲を自分の感性で解釈して表現します。作曲家が作詞家の意図を正確に理解するとはかぎらず(...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    個性をすりつぶし、わからない状態で混ざり合うのではなく、食感、色、味わいなど、それぞれの個性を生かしつつ、混ざり合うことが真の共生社会につながるという。全盲の金メダリスト河合純一氏の言葉です。河合氏は生まれつき左目の視力がなく、15歳で全盲になりました。パラリンピックの競泳で92年バルセロナ大会を皮切りに、6大会連続出場して日本人最多21個のメダルを獲得。現在は日本パラリンピック委員会の委員長の重責を担う。個性を互いに生かし合える社会を理想とし、差別や偏見のない真の共生社会の実現を目指す。「オリンピックは“平和の祭典”とよく言われますが、パラリンピックは“人間の可能性の祭典”です」という。競技レベルを単純に比較するとオリンピックが「主」で、パラリンピックは「従」というイメージになります。しかし、違う目標を...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    愛憎亡命者の子孫という彼の立場が、流れに沿って生きる道を選択させたのである。「これよりこの専諸を公子様の臣下として扱っていただきたい。彼は、…きっと公子様のお役に立つことになりましょう」伍子胥は、公子光にそのように子仲を紹介した。それを受けた公子は、無言ながらも満面の笑顔をみせたのである。それは、彼が明らかになにかを意図している証であった。このとき子仲の心には、公子が言外に「よし!」と言っている声が確かに聞こえたように思えたのであった。そして子仲は、しばらくの間、伍子胥と別れることとなった。伍子胥は太子建の息子である勝とともに、本当に畑を耕して暮らすこととなったのである。そして、時は流れていった。「あれ以来、包胥どのは足しげく王妃さまのもとを訪れ、その話し相手をしているらしい。ひねもす王妃と談笑しては、そ...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    これは今から10年以上前、まだ私が中学生だった頃の話です。あと数日で夏休みが終わるというある日、弟と私は母の運転する車で近所の市民プールへ連れて行ってもらいました。はっきりと覚えてはいませんが、残り少ない夏休みを満喫するため、弟と2人で母にせがんだのでしょう。そしてプールに到着。母はプールサイドに居て、私と弟だけがプールに入って遊んでいました。しばらく遊んでいると誰かから名前を呼ばれ、声のした方向を振り向くと、そこには同じ中学の同級生が1人立っていました。その子(仮にNさんとします)とは特に仲が良かったわけではなく、同じクラスになったこともありません。私の友達がNさんと小学校が同じで、何度か喋ったことがあるくらいでした。「偶然だね。」と声をかけると、Nさんは「私も一緒に遊んでいい?」と聞いてきました。もち...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    「女心を知り尽くしていらっしゃるんですね」のっけから檀はからかい口調だった。「女性と話すときに全然緊張とかなさらないでしょう…」思いもよらぬジャブを食らって、「女姉妹の真ん中で育ちましたから」と返すのが精一杯。“辛口評論家”とか呼ばれて恐がる人が多いのに、何度か会っているとはいえ、彼女には微塵もそんな気配はない。「まあ、女心を知り尽くしていらっしゃるんですね。モテますでしょう」と二の矢を放たれて、私は早々に受け身にまわっていた。「全然、男性でモテるといえば伊集院静」と躱(かわ)したつもりだったが、檀は伊集院の「別れの夜湯豆腐だけが音を立て」という句を紹介し、「あやうい男女の別れの句。こんなご経験がおありなのでは?」と突っ込んでくる。「ないですよ!」とムキになって否定すると、「ホントかしら?」と揶揄する。「...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    むかしむかし、きっちょむさんと言う、とんちの上手な人がいました。ある日の事、きっちょむさんは町のとうふ屋に行って、とうふを一丁買いました。その帰り道、たくさんのドジョウをつかまえた若者たちがドジョウをなべに入れて、これからドジョウ汁を作ろうとしているところに出会いました。なべの中をのぞいてみると、おいしそうなドジョウがたくさん泳いでいます。(うまそうな、ドジョウだな。何とかして、あのドジョウを手に入れたいが。・・・そうだ!)名案を思いついたきっちょむさんは、若者たちに頼みました。「すまんが、このとうふも、ついでに煮てもいいかな?」「ああ、煮るぐらい、勝手にすればいい」「それは、すまん事で」おしゃべりに夢中な若者たちは、きっちょむさんの悪だくみに気づきません。きっちょむさんがとうふを入れてしばらくすると、な...貧者の一灯・歴史への訪問

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