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趣味の、自己満ブログです。 不公平と矛盾する世の中は、 小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく。 人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…

流れ雲のブログ:信じれば真実、疑えば妄想

流れ雲のブログ
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2021/09/06

1件〜100件

  • 貧者の一灯・漢の韓信シリーズ

    第二章:呉の興隆兵法家五宮中の百八十名の美女たちが庭へ連れてこられた。孫武はこれを仮想の兵士に見立て、二つの隊にわけた。そして特に闔閭の寵愛の深い二人をそれぞれの隊長に任じたうえで、全員に鉾ほこを持たせた。孫武は彼女たちに問いかける。「お前たちは皆、自分の胸と左右の手、そして背中を知っているな?」女たちは口々に答えた。「存じています!」かしましい女たちの声。物見台の上からその様子をうかがっていた闔閭は面白そうに笑みを浮かべた。だが孫武は真剣な表情を崩さない。「私が前と言ったら、お前たちは自分たちの胸を見ろ。そして左と言ったら左手を、右と言ったら右手を見るのだ。後ろと言ったら、後ろを向け。わかったか?」「わかりました!」女たちの黄色い声が庭全体に広がった。その陽気に溢れた空気の中、ひとり孫武は斧やまさかりな...貧者の一灯・漢の韓信シリーズ

  • 貧者の一灯・妄想物語

    私が小学生だった時、母方のおじいちゃんが緊急入院してしまいました。私と弟と父母の家族総出で病院へ駆けつけると、おじいちゃんはベッドで酸素呼吸器を付け、話かけても全く反応がありません。それは小学生の私ですら、もうおじいちゃんは助からないのではないかと思ってしまう状態でした。しばらくすると母が、私と弟を連れて一旦家へ帰る事になりました。父だけ病室に残り、もしも何あれば直ぐに連絡すると言って別れました。普段であればもうとっくに寝ている深夜でしたから、帰宅すると私達はいつの間にか寝てしまいました。翌朝、日が昇り始めた頃に私は自然と目が覚めました。目覚まし時計でもなかなか起きない私が、普段より短い睡眠なのにスッキリと起きてしまったのです。まだ寝たいのになと思って寝返りをうち、隣に寝ている弟の方を見て、私は思わず悲鳴...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    「舞妓は“子ども”なので『わからしまへん』と返すしかない」「未成年への飲酒の強要や、セクハラに対して声を上げることで花街を変えたい。その気持ちは舞妓時代からありました。でも花街の誰かに相談しても『大変やな。でもこういうもんやから、あんたが我慢しよし』と言われて終わってしまう……。だからいつか外に出て、花街の実態を伝えようと思っていました。今、こうしてたくさんの反響をいただいて、この問題が議論されていることで、当時のつらかった自分も報われる思いです。一方で、改めて花街の“体質”を思い知らされたことも事実なんです」そう語るのは、衝撃的な告発をツイッターに投稿した元舞妓、桐貴清羽さん(きりたかきよは・23)だ。《当時16歳で浴びるほどのお酒を飲ませられ、お客さんとお風呂入りという名の混浴を強いられた。これが本当...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    むかしむかし、川場温泉というところはとても水不足で、温泉どころか普段の飲み水にも困っていました。ある日の事、旅の途中の弘法大師がこの地を訪れて、一人の老婆に水を頼みました。「すみません。長旅でのどが渇いて困っております。どうか水を、めぐんで頂けないでしょうか?」すると老婆は、にっこり笑って、「はい。それではこれをどうぞ」と、貴重な水を、大師に差し出したのです。「ありがたい。これは、おいしそうだ」大師はそれをゴクゴクと飲み干すと、老婆に尋ねました。「見たところ、このあたりでは水に不自由しておるようだが」「はい。確かに水にも不自由しておりますが、このあたりは食べ物が悪いせいか、脚気(かっけ)になる者が多くいて困っております。もしここに温泉がわいたら、どんなにか役に立つでしょうね」「なるほど、温泉ですか。・・・...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・歌物語

    「世は歌につれ」名前を名乗って正式に会ったことはない。しかしながら、かなりのことは知っているし歌も聴いている。なんといっても「俺はぜったい!プレスリー」(作詞:やまだあつし作曲:山鉄平)「俺は田舎のプレスリーと「俺ら東京さ行くだ」(作詞作曲:吉幾三)「テレビも無ェラジオも無ェ自動車もそれほど走って無ェ」である。この二つの歌には度肝を抜かれた。演歌では当時めずらしいシンガーソングライターである(いまは小田純平などがいる)。僕は小学校入学時に青森県弘前市、小学校高学年で青森市郊外と、2度に渡って都合5年ほど、青森県に住んでいるので、津軽弁の理解には困らない。昔、原子力船むつの母港をめぐって青森の漁民大会を取材したとき、漁師の津軽弁がわからなくて往生している東京のメディアの連中に通訳してあげたこともある。吉幾三...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    警視庁捜査二課は9月11日、詐欺などの疑いで東京都北区の「王子北口内科クリニック」院長、船木威徳容疑者(51)を逮捕した。「容疑は、札幌市の50代女性ら3人に、ワクチンを接種したとする虚偽の書類を作成し、自治体から接種の業務委託料を詐取したというものです。女性らはワクチン接種には後ろ向きだったものの、『接種したことにしないと、何らかの不利益を被ると考えた』と話しています。船木らは、偽の証明書を『なんちゃって証明』と呼んでいました」発覚のきっかけは、クリニックで接種を受けた患者らが「(接種で高まるはずの)抗体価が低い」「副反応がない」などと、北区に相談したこと。警察にも情報提供がなされ、今回の逮捕へと繋がった。「クリニックには13都道府県、約230人分の接種記録が残っていましたが、船木は調べに対し、『ワクチ...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・韓信シリーズ

    第二章:呉の興隆兵法家四「ならば自分でそれを世に説くのだ。立派な説を持ちながら、隠者のように過ごして何になろう。君の現状は、陰でくどくどと愚痴を並べる若者のそれと変わらない。行動するのだ。君のその知識で、身を立てろ」伍子胥は、口酸っぱく孫武を説得した。そればかりでなく、孫武の意志を無視した形で、闔閭にしきりに推挙した。その回数は、実に七度に及ぶ。「それほどまでに貴公が言うのであれば、一度会ってみて、その話を聞こう。連れてくるがいい」闔閭はさほど期待していない様子で、そう伍子胥に告げた。まあ、会ってみるだけなら構わない、とでも言いたそうな表情である。伍子胥は喜色をあらわにして、そのことを孫武に伝えた。だが、相変わらず孫武の態度は素っ気ない。「どうしても王の御前に行けというのであれば、君の顔を立てて行くことに...貧者の一灯・韓信シリーズ

  • 貧者の一灯・一考編

    鳥類も子育てをする。卵を産んでも「ひなを育てる」という大切な仕事が残されている。鳥類や哺乳類が「老いること」ができるのは、子育てをすることと無関係ではないのだ。人間はとにかく覚えることが多い人類は他の動物とは大きく異なる進化を遂げ、文明を切り拓いた。二足歩行をすることも、人類を発展させただろう。火を使うことも、人類を発展させただろう。言葉を操ることも、人類を発展させただろう。ところが、驚くべきことに……、じつは「おばあちゃんがいる」ということも、人類を発展させたと言われている。これはいったい、どういうことなのだろう。子育てをするとは言っても、多くの哺乳類が1年くらいで子育てを終える。長くても、せいぜい数年程度である。これに対して、人間は育児期間がとても長い。現在では、成人になるのに18年。もっとも成人した...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    お寺の和尚さんはうれしくなって、鳥が巣をはなれている間に、竹ざおの先にえさをつけて巣に入れてやったりしていました。やがてメスのコウノトリが二個の卵をうんで、卵をあたためはじめました。ある日の事、和尚さんが用事で出かけた留守に、二人の小僧さんがこんな相談をしました。「なあ、コウノトリの卵って、どんな味がするんだろう?どうだ、食べてみようか?和尚さんには、卵はヘビに襲われたと言えばいいさ」「うん、そうしよう」そして二人は松の木に登って、卵を一個とってきました。そして鉄びんを火鉢にかけて、グツグツとゆではじめたのです。まもなく卵はゆであがり、さあ食べようというときに、早くに用事を済ませた和尚さんがお寺に戻ってきたのです。「いま帰ったぞ。・・・おや?二人して、何をしておるのじゃ?」「いや、その、これは・・・」二人...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・特別編

    『涼宮ハルヒ』『ひだまりスケッチ』『コードギアス』後藤邑子さんインタビュー大ヒットアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)の朝比奈みくる役などで知られる声優・後藤邑子さんは、2000年代のアイドル声優ブームの渦中にいたひとり。薬の副作用で20kgも太った思春期そのときの喜びは?後藤すごくうれしかったです。ただ、薬の副作用で顔も体もむくんで、ニキビだらけになっていたし、私の不摂生もあってのことですが、入院前よりも20kg太っていたんです。それまで着ていたSサイズのセーラー服が入らなくなっていて、親戚のお姉ちゃんからLサイズをおさがりでもらいました。最初に登校する日は、みんなからどう見られるのか、想像するのも嫌でした。思春期には、つらいですね。後藤15歳でしたからねぇ。せっかく復学できたのに、家では「学校に行...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信シリーズ

    第二章:呉の興隆兵法家「何を研究している学者なのか?」「……兵です。彼は軍事を学問として成立させようとしているのです」この時代……軍事の勝敗は、大きく天運に左右されるという考え方が浸透しており、そこに学問の入り込む余地はなかった。学者の範疇ではなく、卜占ぼくせんを行う者のそれであり、それを研究するということ自体が、おおいに当時の常識とは異なることであった。「変人のやることだな。余に役立つ人物を推挙するつもりであれば、別の者を探したほうがいい。おそらく、その者は余にとって不必要であろう」闔閭はにべもない態度で伍子胥の言を封じた。しかし、伍子胥には諦めた様子はない。「まあ、そう結論を急がずに。きっと、彼は大きく世を変える男です。また、彼は出自もしっかりしていて、斉の大夫である田でん家を先祖に持っています」「ふ...貧者の一灯・漢の韓信シリーズ

  • 貧者の一灯・妄想物語

    シャーマンや巫女、実力のある霊媒師など、神や霊と交信する人たちは必ず「長髪」である。髪の毛は多くの情報をキャッチしたり、不思議なエネルギーを蓄えることができる。自然と共にくらす自然崇拝の民インディアンは皆長髪で、近代文明の中で育った人たちと比べて第六感が鋭く、追跡者として神秘的な能力を持っていた。ベトナム戦争のときには、インディアンの中でも特に追跡者としての能力が高いインディアンが兵に加えられた。しかし、インディアンを登用した作戦は散々なもので失敗に終わる。高い能力を持っていたはずのインディアンたちの力がまったく発揮されなかったからだ。作戦が失敗した理由をインディアンに尋ねると「軍隊式の髪型(短髪)にしたら、何も感じ取れなくなった。」と、インディアン達は答えた。能力に髪の長さが関係するとは思えなかった軍上...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    「おばあちゃん」こそが人類の発展に寄与した昆虫や魚は卵を産むとすぐに力尽きる。しかし、人間の女性は、閉経して生殖能力を失っても寿命が残されている。これはなぜか。稲垣栄洋教授は「哺乳類には子育てという大仕事が残っている。子に生きていくための知恵を教えるために、人間は長い寿命を手に入れたのだろう」という。目覚ましい発展を遂げているAI最近では、人工知能(AI)の発達がめざましい。ついには、人間に勝つことはありえないと言われた囲碁や将棋の世界でも、人間を打ち負かすほどになってしまった。それを可能にしたのが、AIの「ディープラーニング」である。それまでは、人間がAIに将棋を教えていた。たとえば、人間が作り出した最高の囲碁や将棋の定石をコンピューターにインプットしていくのである。定石というのは、それまでの研究によっ...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    長野県にある善光寺(ぜんこうじ)というお寺の本堂が焼けたのは、今から七百年ほど前の三月二十二日と言われています。すぐに新しい本堂をつくる事が決まりましたが、本堂の本柱は高くて丈夫で太い立派な木の幹でなければなりません。そこであちこちの山を探して、やっと高くて丈夫で立派で太い木を見つけました。その木をきこりたちが切り倒し、きれいに枝葉を払い落としましたが、ここまで大きいと運ぶのが大変です。大木に何本もなわをかけて、何十人もの力持ちがかけ声をかけあいながら少しずつ山の尾根づたいに引き出しましたが、やっと四、五百メートルほどひいたところで、うっかり大木を谷底へ落としてしまったのです。「しっ、しまったー!」谷底は深く、どうしても引き上げる事が出来ません。「これほどの木は、そうあるものではない。このまま善光寺の本堂...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    フェミサイドか?東京都立川市のホテルで、白昼男女2人が殺傷される事件が起きた。警視庁に身柄を確保され、殺人未遂容疑で逮捕されたのは、19歳の少年。動機に判然としない点も多く、被害者となった派遣型風俗店の従業員を差別視するような趣旨も供述した。ネット上では女性を狙った「フェミサイド」ではないかという指摘も上がる。少年はなぜ、無関係の女性を巻き込んだ凶行に走ったのか。無理心中を図ったか「盗撮です。早く来てください」1日午後3時半過ぎ、立川市曙町のホテル。一室に入った派遣型風俗店従業員の女性(31)から男性従業員(25)に電話があった。男性が駆け付けると部屋から出てきた少年に突然、腹部を刺された。現場には血の付いた刃渡り約20センチの包丁が残され、男性は5階の廊下、女性は室内で血だらけで倒れていた。女性の傷は胸...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    清水博正は2007年3月、NHKのど自慢のチャンピオンが競い合うグランドチャンピオン大会で優勝している。いつもの日曜日のように書き物をしながらテレビののど自慢を歌だけ聴いていた。えっ、と思った。男なのか女なのか、若いのか中高年なのか、想像力を破壊してしまう声だ。画面を見て驚いた。詰め襟の高校生。神野美伽の「雪簾」(作詞荒木とよひさ作曲岡千秋)という難しい歌を、神野美伽とはまったく違う趣で歌っている。群馬県立盲学校の高校1年生で16歳だという。ゲスト歌手の堀内孝雄の涙を拭う仕草が見えた。この時の司会者が旧知の仲の宮本隆治だった。チャンピオンがまだ発表にならないうちに、宮本にメールした。「いま歌った高校生をプロ歌手にするのがこれからのあなたの仕事」。たしかそんな内容だった。不思議な声だった。上手いとか綺麗な声...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    『涼宮ハルヒ』『ひだまりスケッチ』『コードギアス』後藤邑子さんインタビュー大ヒットアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)の朝比奈みくる役などで知られる声優・後藤邑子さんは、2000年代のアイドル声優ブームの渦中にいたひとり。当時、声優がキャラクターを演じながら、歌って踊るイベントが注目を集め、アニメ人気との相乗効果により、一大ブームへと発展した。キャラクターソングがCDランキングの上位を占め、彼女自身も武道館のステージにも立った。そんな人気絶頂の2012年、彼女は緊急入院し、無期限の活動休止を発表。病名は「全身性エリテマトーデス」。いわゆる“難病”である。医師からは余命を宣告されながらも、病床からブログを通じてポジティブなメッセージを発信し続けた。およそ2年の入院生活を経て、奇跡的に声優業にカムバック。...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    魚腸剣の秘策公子光は自宅の地下室に鎧武者を隠して、王に行幸を願い出た。自宅には酒宴の用意がすでにされてあった。「光のやつが余を宴に……?」呉王僚は、言いながらそれに赴くかどうか迷った。僚と光との間は、決して良好とは言えない。彼らはどちらも、自分自身を正統な世継ぎだと認識しているうえに、お互いにそのことを知っているのである。いままでそれが問題化しなかったのは、両者が存外謹み深く、表立って自分の意志を表明することがなかったからに過ぎない。「王族同士の諍いさかいがあることが楚に知れたら、それを原因につけ込まれることになろう。ただでさえ、このたびの出兵が失敗に終わりそうな状況だからな。行くしかあるまい」僚は側近を相手にそのように話し、誘いを受けた。しかし僚は警戒心をあらわにし、宮殿から光の邸宅に至るまでの道に、自...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    私は男性なのですが、恥ずかしながら物心付いた時から小学6年生までずっと人形が大好きでした。その人形は、まるでアメリカのアニメに出てきそうなアヒルのデザインで、随分と気に入っていた記憶があります。確か当時は名前も付けていて、これほどまで愛着を持った人形は後にも先にもなかったです。ところが思春期に入ると、やはり段々とそうした自分の趣味を恥ずかしく思うようになりました。中学1年生の頃には初めて好きな女の子もでき、その子のことを考えると人形と常に一緒にいる自分が気持ち悪くなってしまったのです。そこで処分をしようと思い立つのですが、今までの人生を共に過ごしてきた大切な相棒です。抵抗感は拭えません。そうしていつしかその人形は、部屋の片隅で捨てられないまま放置され、中途半端に存在する形となっていました。それから数ヶ月後...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    現代は「弱肉強食」だが、地球38億年の歴史を振りかえると、強者はたびたび全滅してきた。「むしろ生き延びてきたのは、時代の敗者である弱きものたち。それらが逆境を乗り越え、進化して常に新しい時代を作ってきた」という。弱肉強食が生物界の掟だが、強者がたびたび全滅したワケ地球の歴史を振り返ると、色々なことがあった。うれしいときもあった。苦しいときもあった。しかし、生命はしぶとく生き延びてきた。そうだ、生き延びたものが勝ちなのだ。世の中は弱肉強食だが、地球の歴史はどうだっただろう。地球に生命が生まれてから、最初に訪れた危機は、海洋全蒸発とスノーボール・アース(全球凍結)であった。これは、地球規模の大異変である。地球に生命が生まれたころ、直径数百キロメートルという小惑星が地球に衝突した。そのエネルギーで、すべての海の...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・THEライフ

    居場所のない少年少女たちがたむろする東京・歌舞伎町の通称「トー横」で、「ハウル」と名乗っていた男が16歳の少女にみだらな行為をしたとして、警視庁に逮捕された。男は、少年少女たちに食事を振る舞い、良き相談相手のようだった。支援者としての「夢」まで語っていたが、少女を毒牙にかけていた。表と裏の顔を使い分けていたハウルの正体とは…。本名・年齢明かさず「俺、児童養護施設作るのが夢なんですよ」真冬の寒さが身にしみる昨年末の深夜、取材していた記者に紫色の長髪の男はそう語った。炊き出しや清掃活動などをするボランティア団体「歌舞伎町卍(まんじ)会」の総会長で、「ハウル・カラシニコフ」と名乗った。本名や年齢は明かさなかった。トー横は、歌舞伎町にある複合施設「新宿東宝(とうほう)ビル」の「横」から名付けられた。数年前から交流...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    昭和44年(1969)4月にビクターから発売。森進一の最大のヒットで、シングル盤を250万枚以上売ったといわれます。同年の日本レコード大賞の最優秀歌唱賞と日本有線大賞を受賞しました。雑誌『平凡』が公募して最優秀賞を受けた歌詞に、なかにし礼が補作したもの。各聯の末尾に港町名を並べる構成が印象的。地理の勉強になります。港町とはいうものの、横浜や神戸のような多機能な大海港ではなく、漁港がほとんど。輸送や観光などにも使われていますが、漁業の町という印象が先立ちます。いずれも太平洋側の港町で、日本海側の港町は入っていません。日本海側にも、境港のような大漁港があるのですが。船乗りの男を追いかけて、北から南まで港町を渡り歩くという筋立て。酒場などで稼いでは、次の港町に向かうのでしょうか。こ深い恋心なのかわかりませんが、...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    8畳に川の字で寝ていた「三婆」加藤:今年は、美空ひばりの生誕85周年。亡くなってから33年になります。お袋は明るい人でしたから、湿っぽくならない話題で、付き人だったお二人と一緒に思い出を語りたいと思います。関口範子さん(82)は昭和36年から、ひばりさんが亡くなるまで28年にわたって付き人を務めた。辻村あさ子さん(72)は昭和48年から、齋藤千恵子さん(84)も、昭和41年からの付き人だ。加藤和也さん(51)は、ひばりさんの弟・哲也さんの子として生まれ、7歳のとき養子となった。16歳でひばりプロダクション副社長に就任。翌年から社長となり、現在に至る。関口範子さんは、お袋の付き人を28年間務めてもらいました。辻村あさ子さんは、自宅で掃除や料理の担当。僕は幼稚園のときから、毎日お弁当を作ってもらったね。もう1...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    魚腸剣の秘策草地を駆け抜ける馬に引かれた戦車群に導かれ、歩兵たちは長柄の矛を持ち、我先にと走った。このようなとき、なかなか怖じ気づいて逃げ出そうとする者はいない。誰もが逃げるより戦う方が生き残る確率が高いと考えているからだ。敵を倒して生き残る確率は五割。二人目の敵にも勝ち、生き残る確率はさらにその半分となる。それがさらに三人目、四人目と続くと確率は限りなく小さくなるわけだが、誰もがその極めて小さい確率に自らの命を賭けるのである。逃げ出せば、途中で食料が無くなる恐れがあるばかりか、行き先もない。逃亡はどのような状況であろうとも許されず、見つかった場合には死罪となるからだ。また、一般の民衆もそれを許さないので、あえて匿ったりしないものである。つまり、彼らは戦って勝つしかなかった。しかしもちろん負ける者は存在す...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    私は中学生の時、A県にある空襲の跡地を母親と訪問しました。そこは第二次大戦終結の8月15日、アメリカ軍によって最後の空襲を受けた場所です。私はこの出来事を中学校の宿題の作文で題材にするため、取材をしようと思いついたのです。お寺の住職さんに案内をして頂き、境内にある墓地へ向かうと…そこには爆弾によって穴の開いた墓石や、一部が欠けた墓石が沢山存在していたのです。それだけでなく、戦前からあったという六地蔵も、首が吹き飛ばされた無残な姿で残っていました。想像していたよりも酷い惨状にショックを受けた私達に、住職さんはアメリカが投下した爆弾の破片を見せながら、当時の話をしてくれました。被爆し傷ついた人たちは、近くの学校やこのお寺に避難してきたということでした。当時中学生だった住職さんは、重度のやけどを負い瀕死の我が子...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    死を待つセミは何を見るセミの死体が、道路に落ちている。セミは必ず上を向いて死ぬ。昆虫は硬直すると脚が縮まり関節が曲がる。そのため、地面に体を支えていることができなくなり、ひっくり返ってしまうのだ。死んだかと思ってつついてみると、いきなり翅(はね)をばたつかせてみたりする。最後の力を振り絞ってか「ジジジ……」と体を震わせて短く鳴くものもいる。別に死んだふりをしているわけではない。彼らは、もはや起き上がる力さえ残っていない。死期が近いのである。仰向けになりながら、死を待つセミ。彼らはいったい、何を思うのだろうか。彼らの目に映るものは何だろう。澄み切った空だろうか。夏の終わりの入道雲だろうか。それとも、木々から漏れる太陽の光だろうか。ただ、仰向けとは言っても、セミの目は体の背中側についているから、空を見ているわ...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    旅の途中の弘法大師が、川で洗濯をしている美しい娘に出会いました。娘は大師ににっこり微笑むと、「お坊さま、こんにちは」と、頭を下げました。「はい、こんにちは」大師も頭を下げると、ふと小さな声で、「可愛らしい娘さんじゃが、おしい事に、寿命はあと三年か」と、一人言を言ったのです。「えっ?」それを聞いた娘は、びっくりです。娘はあわてて家へ帰ると、お父さんとお母さんにその事を話しました。するとお父さんとお母さんは、青い顔で娘に言いました。「それは大変!早くそのお坊さんを追いかけていって、『どうか寿命を、もっとのばして下さい』と、お頼みしてくるんだ!」そこで娘は、大師の後を追いかけてお願いしました。「もしもし、お坊さま!どうか、わたしの命をもう少しのばしてくださいませ!」すると大師は、困った顔で言いました。「うーむ、...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    コインロッカーで発見2018年の1月、歌舞伎町にあるマンガ喫茶の一室で、25歳の風俗嬢が赤ん坊を産み落とした。彼女は119番することなく、その赤ん坊を自らの手で口を塞いで殺害。その後、しばらくマンガ喫茶に放置した後、ラブホテル街にあるコインロッカーに遺棄。出産から約3カ月後の5月末に、コインロッカーから腐敗した遺体が発見された…。日本では毎年のように、若い女性がマンガ喫茶、公園、電車、自宅トイレなどで赤ん坊を産んで殺害、あるいは遺棄するという事件が起きている。2019年には空港のトイレで出産した赤ん坊を都内の公園に埋めたとして23歳の就活中の女性が逮捕され、2020年には20歳の専門学校生が公衆便所で出産した赤ん坊を公園の植え込みに遺棄して逮捕された。2021年にも、26歳の女性が浴槽で赤ん坊を産んでから...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・特別編

    いまも日本に蔓延る違法薬物。なかでも覚醒剤は高額で取引され、その利益の一部はヤクザのもとへと流れ込んでいる。ワタナベゲンの正体1935年。韓国で生まれた渡辺は、終戦で引き揚げた後、慶応高校卒業、慶応大学法学部へと進学した。クラスメイトだった昭和の大俳優・石原裕次郎が中退すると、後を追うように、彼も中退。日本経済新聞社記者になり、図らずしてフィリピン政府高官・バルバ(マルコス大統領の義理の弟)と知り合った。大新聞の肩書きにフィリピン政府のパイプ。傍からみたらエリート街道そのものだったろう。だが精鋭もギャンブルにのめり込むまでの話だった。パチンコや麻雀に飽き足らず、ヤクザが仕切る違法賭博場にまで手を出した。博打三昧の生活を求めて大阪・中央区の大手先物取引会社「西田三郎商店(※現在は閉業)」に転職までしたのであ...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    魚腸剣の秘策子仲は内心の戸惑いを意識せざるを得なかった。「具体的には、なにを……」「……宴の席で、王には魚の料理を供しようと思っている。その魚料理を運ぶのが、君の役目だ」「運ぶだけですか」「いや」「しつこいようですが……では、いったいなにを……」「あらかじめ魚の腹の中に細工を施し、匕首あいくちを隠すようにしておく。君は王にその魚を供するふりをして……王を刺し殺すのだ」「…………!」光は、子仲に刺客となれ、と言っているのである。しかも今回は佞臣などという小物ではなく、王が相手なのだ。生半可の心構えでは決断できることではなかった。「私に王を殺せと……近いうちに……その機会はいつ訪れるのでしょうか」「現在、王は公子二人を将軍として国外に派遣し、そのため王都は守りが薄くなっている。戦局はまだ具体的な動きが見られな...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    私の両親はウインタースポーツが好きな事から、幼い頃からしばしばスキーへ連れて行ってもらっていました。子供の頃の旅行の記憶なので、すごく楽しい思い出が多いです。ただ1つだけ、毎回どうしても慣れない怖いことがありました。それは夜の宿です。どのスキー場にも宿泊施設の1つや2つ、普通はあるものです。泊まっていくお客さんも多いことですし、そういった施設を建てることは非常に理にかなっているとは思います。しかし辺境の地に無理やり設置された宿も少なくありません。ですから幼い私にとって、古びた宿は何とも言えない不気味な恐怖がありました。トイレへ行く時は毎回誰かについて行ってもらったりしたものです。大人になってからこの話題をした所、両親からこんな話を聞きました。今から30年ほど前、まだ私の両親が新婚だった頃。2人でよく各地の...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    コインロッカーで発見2018年の1月、歌舞伎町にあるマンガ喫茶の一室で、25歳の風俗嬢が赤ん坊を産み落とした。彼女は119番することなく、その赤ん坊を自らの手で口を塞いで殺害。その後、しばらくマンガ喫茶に放置した後、ラブホテル街にあるコインロッカーに遺棄。出産から約3カ月後の5月末に、コインロッカーから腐敗した遺体が発見された。小河真里(仮名)は、1999年に5人きょうだいの次女として生まれた。父親は単身赴任で家を空けていることが多く、きょうだいとはあまりうまくいっていなかったという。そのせいか、高校時代から煙草や酒に手を出すようになった。卒業後、短大へ進学して美容の勉強をしたが、彼女は学業にあまり関心を抱くことができず、友達と一緒に風俗店でアルバイトをはじめた。これによって金ができたこともあったのだろう...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    むかしむかし、ある長者の家に、とても気立てが良く、美しい娘がいました。娘はみんなに可愛がられて育ちましたが、でも新しいお母さんがやって来てから娘の運命が変わりました。新しいお母さんにはみにくい娘がいた為、自分の娘よりもはるかにきれいな娘が憎かったのです。そこで新しいお母さんは、美しい娘を毎日いじめました。お父さんはその事を知っていましたが、せっかく来てくれた新しいお母さんには何も言いませんでした。そして新しいお母さんに言われるままに、お父さんは娘に家を出て行けと言ったのです。娘が家を出て行く日、新しいお母さんもお父さんも、娘が家を出て行くのを見送ろうともしませんでした。でもただ一人、最後まで娘に優しかった乳母だけが娘を見送り、目に涙をためながら出て行く娘に言いました。「お嬢さま。あなたさまは、とても器量よ...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    老老介護のはてに、悲惨な事件に発展してしまうケースは後を絶たない。77歳の元看護師・日出美(仮名)が起こした事件、彼女は夫の勉を施設に預けるべきだっただろう。だが、元看護師の自分がなんとかするのだという責任感から、なかなかその決断に踏み切ることができなかった。2階に暮らす長男家族もまた、日出美が介護をしているのをいいことに、積極的に手伝おうとはしなかった。…「死んで楽になりたい」こうした日々の中で、日出美はらうつ病を発症する。介護をしようとすると、突然体が動かなくなる。理由もなく涙があふれて止まらなくなる。少し前の記憶が抜け落ちる……。典型的なうつ病の症状だった。医療知識があった日出美は、自分の身体の異常に気づいていた。だが、それを受け入れることは、夫を見捨てることになる。なんとかがんばらなければ。彼女は...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    花岡優平さん(作曲家、シンガーソングライター/70歳)秋元順子が歌うヒット曲「愛のままで…」は今も中高年に大人気。作詞&作曲を手がけたのは今月古希を迎えたばかりの花岡優平さんだ。グループサウンズ全盛の中学時代に聴いたザ・カーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」が音楽への扉を開いた一曲だという。僕は大分・別府の出身です。音楽との出合いは5、6歳の頃。叔母がアメリカの軍人と結婚したのですが、2人が付き合っていた頃によくウチに来て、キューバのマンボとかペレス・プラードのレコードを持ってきて聴かされました。ところが、そんな生活も小学2年の時、両親の離婚で一変します。僕と弟が父に引き取られ、3年後には父が再婚して子供も2人でき、僕と弟は家族の輪から外れた感じになって。自我に目覚めたのはその頃。5年生の時に合唱団に入って...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    虹の橋に旅立った数か月後、看取った飼い主も安らかに逝った…愛犬との同伴入居第1号として、田中久夫さん(仮名、90歳代男性)とダルメシアンのアミちゃんが入居したのは、2012年の秋のことでした。アミちゃんを置いていけない、ということを理由に老人ホーム入居を拒んでいた田中さんでしたが、「さくらの里山科」にアミちゃんと一緒に入れると言われても、最初は入居を拒み続けていました。住み慣れた家から離れたくない、という思いは認知症でも変わらなかったのです。「入居してもいい」と気持ちが変わったのは寒さのためでした。秋になり、だんだん寒くなってきたところで、「ホームに行けば暖かいから」と勧められると、とうとう首を縦に振ったのです。認知症のために暖房が使えず、食事もきちんと取れていなかった田中さんの生活は、「さくらの里山科」...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    魚腸剣の秘策「呉が出兵したと?」奮揚は、事態が風雲告げていることを実感した。呉との国境から遠く離れたこの申の地にも使者が往来し、包胥の屋敷の扉を激しく叩いた。「急いで事態に対応せねばならぬ。応戦するのだ」包胥は奮揚にそう告げると、そそくさと身支度を始めた。郢に急行し、軍を編成しようというのである。「国民が皆、喪に服している間に攻撃を加えるとは、呉王はなかなかしたたかな戦略を立てたものだ。しかしその軍は強いかというと、実はそうでもないと私は見ている。越境して敵地奥深くに侵入し、包囲されもせずにその勢いを維持し得るほど強力な軍隊を、呉が持っているという話は聞いたことがない」「では、迎撃は可能か」奮揚は、血が沸き上がるような興奮を覚えた。生粋の軍人としての血。侵略者を撃退するという使命感。それらはいずれも五年前...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    10年以上前の話です。当時、私は実家暮らしをしていました。小学生の頃からずっと住んでいる、住み慣れた一戸建ての家です。腰を悪くして休職していた私は、1日の大半を2階の自分の部屋で過ごしていました。そんなある日の昼下がり、いつものように部屋で休んでいると、玄関のドアが開いたような音が聞こえました。その日、両親は夕方まで仕事の予定で、誰かが帰ってくるはずのない時間帯です。ドアの音は気のせいだと思いそのまま横になっていたのですが、しばらくすると1階で人が歩く足音と気配を感じました。「…まさか誰か侵入者?」神経を研ぎ澄まして、1階へ意識を集中させます。するとその足音は、私がいる2階へ上がってきたのです。思わぬ異常事態に、私は何かただならぬ雰囲気を感じていました。足音はゆっくりと、確実に近づいてきます。私は怖さから...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    村と村、或いは人里と神域、或いは鬼のいる場所などの境界に置かれ、境を示していました。ある旅人がたまたまこの村に紛れ込んで山の中で幣(ぬさ)に出会うと、その旅人はその先に行くことができませんでした。鉄条網のようにトゲもなく壁のように聳えてもいないのですが、日本人は決してこの幣を越えて進めなかったのです。神社の祭壇の前にも祓幣が置かれているのですが、日本では「白」く「素」であるものに神が宿っていると考えられていたからです。そして、邪な心を持っていると幣を見て恐れおののき、神社に入るのが怖くなったものでした。かつて日本中いたる所にごく普通に見られた御幣(ごへい)。それは基本的にある「境」を作りだしているものでした。村の境に懸けられた御幣や縄は結界を表し、村の中に住む者にはその先には鬼や妖怪や魔物が住み着いている...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    むかしむかし、琵琶湖(びわこ)の北部にある竹生島(ちくぶしま)の弁天さまは、美しい満月の晩になると琵琶湖の魚たちを集めて歌と踊りの会を開いていました。弁天さまのかなでる琵琶の音に合わせて上手に歌ったり踊ったりした魚には、素晴らしいごほうびが出るのです。さて、一番最初に現れたアユたちは、月明かりの中で銀色の姿をキラキラさせるだけで歌も踊りもしません。アユは自分の姿がきれいなので、弁天さまはそれだけでごほうびをくれるだろうと思ったのです。二番目に現れたフナたちは、久しぶりに仲間が集まったので、おしゃべりばかりしていました。三番目のコイたちもパクパクさせているだけで、歌も踊りもちっとも上手ではありません。がっかりした弁天さまは、琵琶をひくのをやめて言いました。「誰か、もっと上手なものはおらぬのか?」すると琵琶湖...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    祖母と私がお互いの存在に圧迫され、がんじがらめになっていたのはもう40年以上も前の事なのに、今もまだ、小さな針が時折私の心をチクリと指す。あの頃のことでよく思い出すのは、祖母の炊いてくれた白いご飯。お店をやっていた時の癖で、祖母はいつもたくさんのご飯を炊く。二人ではなかなか食べ切ることができず、たくさん炊いたご飯を何日もかけて食べる。夏の暑い時期など、ご飯がどんどん酸っぱい匂いになっていく。けれど祖母はその匂いに気がつかない。私は酸っぱい匂いが気になって食が進まない。祖母はその様子を見て不機嫌になりやがて泣く。あんたは優しくないと。こういう時、いつも私は困った顔をして下を向くしかなかった。この時期、祖母と同様、私も疲れていた。人の思いの大きさに、人の落胆の大きさに。牛久に来て一番変わったのは祖母だった。新...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    静かに心に染みこんでくる反戦歌です。出だしは普通のフォークソングのようですが、1番の終わりから2番へ、さらに最後のフレーズへと進むにつれて、反戦・非核の思いがどんどん盛り上がってきます。「八月六日の朝」「人間のいのち」という言葉が重く胸に響きます。これが"歌謡曲の女王"美空ひばりが創唱した歌だということに驚く人もいると思いますが、彼女はほかに2曲反戦歌を歌っています。この歌と同じく松山善三・佐藤勝のコンビで作られた『八月五日の夜だった』と、戦没学徒兵・宅島徳光の遺稿に彼女自ら補筆し、船村徹が作曲した『白い勲章』です。この3曲の歌唱には、父親の出征と、横浜大空襲を命からがら生き延びたという彼女の幼少時の戦争体験が反映されているのでしょう。『一本の鉛筆』は、彼女の歌のなかでは売れなかった部類に属すると思います...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    今日は、長崎市に原爆が投下された日です。己のごとく人を愛する長崎の原子爆弾が落とされた場所のすぐ近くに、如己堂という小さな家がいまもあります。如己堂(にょこどう)とは、己の如く隣人を愛せよ”という意味如己堂とこの家に住んでいた永井隆博士は意外に外国でも知られているのです。わたしが勤めていた長崎市の学校に、オーストラリアからのふたりの高校生がきたときのことです。彼らに、「長崎のどこにいちばん行きたいですか」と聞くと、すぐに「ニョコドウ」と答えました。彼らは、ここに住んでいた永井隆という人のことをオーストラリアの学校で習い、尊敬していたからです。永井隆博士は心から平和を願い、平和をうったえた人です。平和は、人を愛することからはじまるという考えをもち、まず自分から身をもって実行するように努力しました。永井博士が...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・妄想物語

    これは私が、まだ小学生だった頃の話です。父の仕事の都合で、私達家族は新しい土地へ引越しをすることになりました。正直私は友達と離れるのが嫌で嫌でたまらなかったのですが、当時5歳の弟にとっては幼稚園の友達と別れるということはそれはもう大ショックだったようで、引越し前は友達と離れたくないと大泣き。引越してからは口数も少なくなり、黙って家で1人遊ぶだけ。新しい幼稚園にも行こうとしませんでした。そんな弟に対して、母は何とか気晴らしにならないかと弟と近所を散歩してみたり、買い物に連れて行ったりと付きっきりです。私も母に協力して、お姉ちゃんとしてできるだけ弟の面倒を見るように心掛けていました。そんな中、弟が唯一気に入ったのが近所の児童公園へ行くことでした。そこは引越し先の家からも近い小さな公園です。滑り台が一つある他は...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    なぜ世の中には、男と女がいるのだろうか。「生物がオスとメスにわかれている理由は、異業種交流会にたとえるとわかりやすい。業種ごとに違う色のリボンをつけていたほうが、交流が効率的に進むのと同じだ」だという…。「なぜ、男と女がいるの?」と子供に聞かれたらどう答えるか男と女がいるがために、私たちは相当のエネルギーと時間を費やしている。子どもの頃から異性を意識して、男子はカッコつけてみたり、女子はかわいくおしゃれをする。思春期の頃は、好きな人のことを思って、眠れぬ夜を過ごしたり、何度も何度も書き直してラブレターを書いたりする。バレンタインデーやホワイトデーともなれば、お金も必要だ。恋をすれば、勉強が手につかなくなったり、部活に集中できなかったりする。大好きなアイドルのテレビにくぎ付けになったり、コンサートに出掛けた...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    このお地蔵さんには不思議な力があり、おできや、やけどをした人がお参りに行くと、お地蔵さんは自分の体の同じところに、やけどやおできをあらわして治してくれるというのです。ある日の事、顔の左のほっぺたがスイカの様にはれあがった大工さんが、お地蔵さんの話を聞いてやってきました。大工さんのほっぺたは、町の色々な医者に診てもらっても治らず、口もきけないほどの痛みに苦しんで、このお地蔵さんにすがりにきたのです。「お地蔵さま、どうかお助けください。このままでは死を覚悟して、顔の半分を切り落とすしかありません」大工さんが一生懸命お祈りをすると、ほんの少し、痛みが引いたような気がします。それから次の日も、またその次の日も、大工さんは熱心に手を合わせました。そして、八日目の事です。大工さんがふと、お地蔵さんの顔を下から見あげる...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    祖母光子の経営していた小料理屋がいよいよダメになり、長く住んでいた新橋の店を売ることになりました。東京で3人で暮らすとお金がかかるからと、母教子は東京に残って昼夜働き、私と祖母は、かつて私が住んでいた茨城県牛久町に引っ越すことになりました。そう。私の育ての母久子が住んでいる懐かしの牛久です。母教子と離れて暮らすことは悲しかったけれど、牛久は私の大好きな町だし、何より育ての母の近くで住めることがとても嬉しかったのを覚えています。私と祖母は、牛久駅から歩いて10分。当時の県営住宅。昔の長屋みたいなもので六畳二間という間取りの家に住むことになり、東京に残る母教子は、お店を畳む少し前に偶然当たった品川の都営住宅に住むことになりました。今思えば、なぜ離れ離れに暮らすことになったのか不思議です。品川の都営住宅の間取り...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    歌詞に「新宿駅裏」とあることから、ここで居酒屋を営んでいた女性が店仕舞いすることになり、その最後の一夜を歌った作品です。しょんべん横丁は、青梅街道から新宿駅北端に至る線路際の商店街。30×100メートルほどの狭い空間に、小さい店がびっしり建ち並んでいます。洋服店やチケット店もありますが、大半が焼鳥・もつ焼き店、居酒屋、ラーメン店、一般食堂などです。新宿駅の西側は、今では超高層のビジネスビルやシティホテル、デパート、大型電器店が建ち並び、先端的なビル街になっていますが、その片隅にあって、昭和20年代~30年代の雰囲気を色濃く留めているのが、しょんべん横丁です。商店会では「思い出横丁」と呼び、その名前の看板も掲げていますが、時の流れに取り残されたかのようなたたずまいを愛する古手の常連たちは、愛着をもってしょん...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    化粧品やサプリメントに含まれる「アンチエイジング物質」は、その多くが植物由来だ。なぜ植物はそうした成分を持っているのか。「それは自ら動くことのできない植物ならではの生存戦略だ」という。老化を防ぎ、美容を維持する「アンチエイジング物質」老化を防ぎ、若返りを図ることを「アンチエイジング」という。エイジング(加齢)にアンチ(対抗)しているという意味だ。そして、そのような抗老化の効果がある物質をアンチエイジング物質という。世の中には、さまざまなアンチエイジング物質があふれている。このアンチエイジング物質の重要な効果が、「抗酸化」である。私たちの体は、酸素呼吸をして生命活動を行っている。しかし酸素は、物質を酸化させて錆さびつかせてしまうものでもある。そして、酸素呼吸を行う生命活動の中で発生する活性酸素は、さらに酸化...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    愛憎それから五年の月日が経った。呉王僚は、隣国の楚に侵攻する計画を着々とたてている。伍子胥は畑を耕しながら市井に潜伏し、復讐の時機をうかがっている。子仲は名を専諸と変え、公子光のもと、指令を待ち続けていた。楚では嬴喜の産んだ太子が軫と名付けられ、六歳となった。包胥はその後見人として、母子を心の面で支え続けている。奮揚と紅花はその包胥を心で支え、そして彼と彼女はお互いを心の面で支えあった。政治的緊張が続いた五年間であったが、幸いにもこの間にその緊張の糸が切れる事態は発生せず、人々の暮らしは、表面上平和であった。しかしその後、糸は突然切れたのである。この年、楚王は崩御した。突如心音を乱し、その太った体を悶絶させながら倒れた姿を、人々は茫然と眺めた。誰も王に何が起きたかを瞬時に理解できず、それがある種の急性の病...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    私は高校卒業後、進学の為に地元を離れて都心へと移り住みました。当然ながら住んでいる周辺に知り合いがおらず、それでも慣れてきてからは学校の友達とよく遊ぶようになっていきました。進学してから半年ほど経った頃でしょうか。私と同じく進学で都心へ移り住んだ地元の友達から、久々に会わないかという連絡がきました。地元の友達と会うのは久々だったので、会う日をとても楽しみにしていました。そして地元の友達との約束の日、友達の他に地元が一緒のAもいました。Aとは一応顔見知りで、同じ中学校に通っていたのですが、あまり話したことがありません。それでも地元の話で盛り上がり、Aとはすぐ仲良くなりました。それからAと私は2人で遊ぶことも増えていき、1ヶ月に数回は会う程の仲になりました。Aも都心へ進学して私と住んでいる地域は近いのですが、...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    たとえ同い年でも、10歳年上でも、それまで普通に暮らしていた伴侶がなんの予告もなしに大病を患うのは、信じられないし、信じたくないはずだ。しかし振り返ってみると、前兆めいたものはたしかにあった。ノートパソコンが重くて耐えられなかった異変の第1段階は、息子が生まれて半年が過ぎた2018年の5月にやってきた。妻がとにかくグッタリするようになったのだ。朝起きて、子供の保育園の準備をして、登園させると、すぐさまグデ~と横になる。だが、その不調が大腸がんに繋がるなにかしらの前兆であったとは、つゆにも思わなかった。息子が夜泣きを繰り返す授乳期のアレコレで疲労困憊しているだけだと彼女も俺も信じていた。間もなく、ガクンと体力が落ちる第2段階が。ライターである彼女が取材から帰ってくると「カバンを持っていられなかった……」「ノ...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    その近くの二俣(ふたまた)という村に、与三次(よさじ)という若者と母親が住んでいました。ある日の事、この与三次の家に、やさしい働き者の嫁さんが来ました。嫁さんは蓮如上人の教えをうけて、毎日、吉崎御坊(よしざきごぼう)へお参りに通っていました。そのうち与三次も、嫁さんと二人仲よく吉崎御坊に通うようになりました。ところが母親は信心(しんじん→神や仏を思う気持ち)のない人だったので、おもしろくありません。嫁さんが、母親に信心をすすめると、「ふん!なにを言っているんだい。信心したって、腹はふくれないよ!そんなひまがあったら、もっと働き!だいたい、お前という嫁は・・・」と、母親は嫁さんをいじるのでした。ある日、与三次は急な用事が出来て、吉崎御坊へ行けなくなりました。嫁さんは仕方なく、一人で吉崎御坊へお参りに行きまし...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    「元看護師殺人事件」の結末実は、日本ではコロナ禍がはじまって以降、老老介護に関する殺人事件が増えていると言われている。「責任感が強い人ほど追いつめられる」という。その家は二世帯住宅になっていた。1階には70代の両親が暮らしており、2階には長男家族が住んでいた。家の持ち主は1階の両親だ。77歳になる日出美(仮名、以下同)は元看護師。社交的で近所付き合いも良かった。夫の勉は、日出美より5歳下だった。同じ病院で医療事務の仕事をしており、どちらかといえば生真面目なタイプだ。そんな夫婦が老老介護を余儀なくされたのは定年後のことだった。「死んで楽になりたい」こうした日々の中で、日出美はうつ病を発症する。介護をしようとすると、突然体が動かなくなる。理由もなく涙があふれて止まらなくなる。少し前の記憶が抜け落ちる……。典型...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    石原裕次郎は、昭和53年(1978)に舌下潰瘍の手術をして以降、次々と疾患が発見され、入退院を繰り返しました。昭和61年(1986)5月、高熱のため慶應義塾大学病院に入院、7月に退院してから、翌年4月までハワイで療養しました。この療養中に制作されたのが、『北の旅人』『想い出はアカシア』『わが人生に悔いなし』『俺の人生』の4曲。作詞・作曲は、前の2曲が山口洋子と弦哲也、あとの2曲がなかにし礼と加藤登紀子。制作されたといっても、すでに日本と行き来する体力がなかったため、オアフ島のドルフィン・スタジオで録音されたそうです。昭和62年(1987)4月、体調不良のため急遽帰国、慶應義塾大学病院へ入院したものの、恢復することなく、同年7月17日に死去しました。享年52歳。けっきょく、上記の4曲が彼の最後の作品となって...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    「あたしは笑って死ぬ。そうするんだって決めているんだ」医師が患者さんに治療を勧めるときの定番フレーズが「治療しないとたいへんなことになります」です。私はいろいろな意味で、このフレーズが腑に落ちません。まず、「たいへんなこと」とは、つまり「死ぬこと」もしくは「苦しいこと」になります。そもそも、治療をすれば死なないのでしょうか。いいえ。治療してもしなくても、人は必ず死にます。むしろ、治療することで命が短くなることもあります。また、治療すれば苦しいことが起きないのでしょうか。いいえ。むしろ、治療すると患者さんは副作用や後遺症で苦しむこともあります。それなのに、なぜ医師の多くが「治療しないとたいへんなことになります」と言うのかというと、じつは病院の医師のほとんどは、治療しなかったときどうなるか知らないからです。病...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・一考編

    モテる男の代名詞 そんな伊集院の『週刊文春』の連載「悩むが花」を私は愛読している。人生相談風エッセイだが、たとえば最新の1月14日号では、58歳の中小企業の社長が「経験豊富な」伊集院に若い女性の口説き方を尋ねる。 それに対して伊集院は冗談まじりに答えた後で「最後に、こういう相談で、わしに対して経験豊富と言うのはやめてくれるか。わしにも家庭があるんだから」と答える。 モテる男の代名詞のような伊集院と最初に会ったのは1992年の春だった。『京都新聞』の講演でである。私は当時47歳。5つ下の伊集院が42歳。その後まもなく、『サンサーラ』という雑誌の対談で再会したが、その対談のリードに私はこう書いている。伊集院さんは優男だとばかり思っていたので、ガッチリした長身に、まずびっくりした。そして、実にいい感じなのである...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    むかしむかし、あるところに、一人の犬飼いがいました。犬飼いとは、狩りで使う猟犬を育てる仕事です。ある日の事、犬飼いがお気に入りの犬を連れて池のそばを通ると、犬が急に吠え出したのです。「こら、いったいどうした?・・・あっ!」見ると、美しい娘が池で水浴びをしているではありませんか。「こんな美しい娘、今まで見たことがない。あれはきっと、うわさに聞いた天女(てんにょ)だな。天女なら、きっとどこかに羽衣(はごろも)を脱いでいるはず」犬飼いは、犬に命じました。「早く、あの天女の羽衣を探し出せ」さて、しばらくして天女が池からあがってきましたが、どうした事か大切な羽衣がどこにも見当たりません。犬飼いが、羽衣を隠してしまったからです。羽衣がなければ、天女は天へ戻れません。「どうしよう・・・」天女が困っていると、犬飼いが現れ...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    「元看護師殺人事件」の結末実は、日本ではコロナ禍がはじまって以降、老老介護に関する殺人事件が増えていると言われている。これまで私はこうした老老介護が引き起こした事件をいくつも取材してきた。その中で感じるのは、「責任感が強い人ほど追いつめられる」ということだ。元看護師が引き起こした老老介護の果ての殺人事件から考えてみたい。姐さん女房としての生き方その家は二世帯住宅になっていた。1階には70代の両親が暮らしており、2階には長男家族が住んでいた。家の持ち主は1階の両親だ。77歳になる日出美(仮名、以下同)は元看護師。社交的で近所付き合いも良かった。仕事場では看護師のリーダー格、プライベートでもたくさんの人たちと交友があった。夫の勉は、日出美より5歳下だった。同じ病院で医療事務の仕事をしており、どちらかといえば生...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    昭和44年(1969)9月25日に発売されて大ヒットした『新宿の女』に続く2枚目のシングル。昭和45年(1970)2月5日にRCAのレーベルで日本ビクターから発売。すぐにヒットし、オリコンチャート1位を獲得、売り上げは公称110万枚を記録しました。同年7月5日に発売されたアルバム『女のブルース』も、オリコン1位を16週連続で維持しました。演歌には陽の演歌と陰の演歌とがありますが、藤圭子の歌は典型的な陰の演歌です。陰の演歌は、悲嘆、未練、寂しさ、失意、あきらめ、傷心、愁い、孤独、怨みといった陰の感情を表現したもので、演歌の主流といってよいでしょう。陰の演歌にかぎりませんが、作曲家は歌詞から浮かんだ曲想を形にし、歌手は歌詞や曲を自分の感性で解釈して表現します。作曲家が作詞家の意図を正確に理解するとはかぎらず(...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    個性をすりつぶし、わからない状態で混ざり合うのではなく、食感、色、味わいなど、それぞれの個性を生かしつつ、混ざり合うことが真の共生社会につながるという。全盲の金メダリスト河合純一氏の言葉です。河合氏は生まれつき左目の視力がなく、15歳で全盲になりました。パラリンピックの競泳で92年バルセロナ大会を皮切りに、6大会連続出場して日本人最多21個のメダルを獲得。現在は日本パラリンピック委員会の委員長の重責を担う。個性を互いに生かし合える社会を理想とし、差別や偏見のない真の共生社会の実現を目指す。「オリンピックは“平和の祭典”とよく言われますが、パラリンピックは“人間の可能性の祭典”です」という。競技レベルを単純に比較するとオリンピックが「主」で、パラリンピックは「従」というイメージになります。しかし、違う目標を...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    愛憎亡命者の子孫という彼の立場が、流れに沿って生きる道を選択させたのである。「これよりこの専諸を公子様の臣下として扱っていただきたい。彼は、…きっと公子様のお役に立つことになりましょう」伍子胥は、公子光にそのように子仲を紹介した。それを受けた公子は、無言ながらも満面の笑顔をみせたのである。それは、彼が明らかになにかを意図している証であった。このとき子仲の心には、公子が言外に「よし!」と言っている声が確かに聞こえたように思えたのであった。そして子仲は、しばらくの間、伍子胥と別れることとなった。伍子胥は太子建の息子である勝とともに、本当に畑を耕して暮らすこととなったのである。そして、時は流れていった。「あれ以来、包胥どのは足しげく王妃さまのもとを訪れ、その話し相手をしているらしい。ひねもす王妃と談笑しては、そ...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    これは今から10年以上前、まだ私が中学生だった頃の話です。あと数日で夏休みが終わるというある日、弟と私は母の運転する車で近所の市民プールへ連れて行ってもらいました。はっきりと覚えてはいませんが、残り少ない夏休みを満喫するため、弟と2人で母にせがんだのでしょう。そしてプールに到着。母はプールサイドに居て、私と弟だけがプールに入って遊んでいました。しばらく遊んでいると誰かから名前を呼ばれ、声のした方向を振り向くと、そこには同じ中学の同級生が1人立っていました。その子(仮にNさんとします)とは特に仲が良かったわけではなく、同じクラスになったこともありません。私の友達がNさんと小学校が同じで、何度か喋ったことがあるくらいでした。「偶然だね。」と声をかけると、Nさんは「私も一緒に遊んでいい?」と聞いてきました。もち...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    「女心を知り尽くしていらっしゃるんですね」のっけから檀はからかい口調だった。「女性と話すときに全然緊張とかなさらないでしょう…」思いもよらぬジャブを食らって、「女姉妹の真ん中で育ちましたから」と返すのが精一杯。“辛口評論家”とか呼ばれて恐がる人が多いのに、何度か会っているとはいえ、彼女には微塵もそんな気配はない。「まあ、女心を知り尽くしていらっしゃるんですね。モテますでしょう」と二の矢を放たれて、私は早々に受け身にまわっていた。「全然、男性でモテるといえば伊集院静」と躱(かわ)したつもりだったが、檀は伊集院の「別れの夜湯豆腐だけが音を立て」という句を紹介し、「あやうい男女の別れの句。こんなご経験がおありなのでは?」と突っ込んでくる。「ないですよ!」とムキになって否定すると、「ホントかしら?」と揶揄する。「...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    むかしむかし、きっちょむさんと言う、とんちの上手な人がいました。ある日の事、きっちょむさんは町のとうふ屋に行って、とうふを一丁買いました。その帰り道、たくさんのドジョウをつかまえた若者たちがドジョウをなべに入れて、これからドジョウ汁を作ろうとしているところに出会いました。なべの中をのぞいてみると、おいしそうなドジョウがたくさん泳いでいます。(うまそうな、ドジョウだな。何とかして、あのドジョウを手に入れたいが。・・・そうだ!)名案を思いついたきっちょむさんは、若者たちに頼みました。「すまんが、このとうふも、ついでに煮てもいいかな?」「ああ、煮るぐらい、勝手にすればいい」「それは、すまん事で」おしゃべりに夢中な若者たちは、きっちょむさんの悪だくみに気づきません。きっちょむさんがとうふを入れてしばらくすると、な...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    単身赴任帰りの夫が結婚当時とまるで別人に。人生100年時代において、「老後ライフ」の設計は大切。夫の定年を老後の始まりと捉え、共通の趣味を見つけたり、旅行の計画を立てたりしようと考えている人もいるのでは…「指図ばかり!」と突然キレてこの地に住んで三十余年、ついに町内会長の大役が回ってきました。私の住む地区では、特別な事情がないかぎりお役を受けなくてはなりません。定年退職した夫に切り出すと、「おれがやる」とすんなり引き受けてくれたのですが、夫は2年前まで大阪で単身赴任生活を送っていたので、ご近所の人の顔も名前もわからないまま。月2回の会合に顔を出し、なんとか仕事をこなして半年が経ちました。今年の夏のある日、夫から「**団地の役員宅に届け物に来たんだけど、どうやら間違えて別のお宅に置いてきたらしい。ここがどこ...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    テレビ東京で8年間、おもに政治問題を取り上げる報道番組を週1回、土曜日の午前中に生放送でやってきた。回数にして408回…ゲストの総数は500人ぐらいになるだろう。スタッフが事前に先方と打ち合わせをしたところ「政治的な話題はNG」という。先方は封切り直前の映画「アウトレイジ」だけを話題にしてほしいということだった。おもに政治をテーマにする番組なのに政治はNGだとすると、さてどうしたものかと思案した。…ビートたけしは意外なことにかなり歌を歌っている。代表的なのは「浅草キッド」(作詞作曲:ビートたけし)「お前と会った仲見世の煮込みしかないくじら屋で夢を語ったチューハイの泡にはじけた約束は」。この歌に出てくる「おまえ」と呼びかける相方はビートきよしではなく「マーキー(あるいははハーキー)」と呼ばれていた芸人のこと...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    伊賀崎俊さんは大学生だった2003年当時、駅ホームから転落した男性を救助したものの、実は耳が聞こえない「聴覚障害」を持っていました。その行動力には当時から絶賛の声が相次いでいましたが、伊賀崎俊さんのその後の人生もまさに行動力にあふれる魅力的なものとなっていました。それは、2003年9月のことでした。ホーム転落「俺が助ける」というタイトルで「読売新聞2004年1月3日付け関西版掲載の記事」で当時の様子が紹介されています。助けられてきた人生22歳の決断『財貨を失うのはいくらかを失うことだ、名誉を失うのは多くを失うことだ、勇気を失うのは、すべてを失うことだ。』そんな言葉がある。社会が、人が委縮し、無力感さえ漂う時代。だからこそ、勇気を奮い起こしたい。命を賭(と)して立ち向かう、新たに事を起こす、静かに信念を貫く...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    愛憎伍子胥と熊勝、そして専諸(子仲)は、危機を脱し呉への道を急いだ。しかしその途中で三人揃って流感にかかるなど、道中は困難を極めた。ときには物乞いをして空腹を満たしたこともあるくらいである。しかしどうにか彼らは呉に入国することに成功した。このとき彼らを迎えたのは公子光こうという人物で、その立場は将軍である。当時の呉王と僚とは従兄弟いとこの関係にあり、光の方が年長であったにも関わらず、よく王に仕えている印象であった。その彼が、王に一行を紹介したのだった。「君たちは、楚に追われてこの呉に入国したと聞くが、そのような時流に逆らう生き方は、可能なのだろうか?」公子光は初対面の際、そのようなことを彼らに聞いた。質問の真意は定かではなかったが、伍子胥は一団を代表して答えを示した。「人の縁にうまくすがることができれば、...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    一番追突事故が多い車の色は青。少ない車の色は黄。車体カラーは黄色や赤がよい。ある保険会社が、過去どのような車が事故に遭っているか、メーカー、排気量、形状など様々な視点から集計を行った。車体カラー別での統計で、追突事故による被害は、青が最も多く25%も占める結果となった。他の色はほとんどが10%未満ということを考えると、青の車は圧倒的に追突される可能性が高いということになる。人の目の中には、水晶体と呼ばれる部分がある。水晶体は、遠くのものを見るとき厚くなり、近くを見るとき薄くなる。この水晶体の動きは、色を見るときにも起こる。黄を中心に、青くなるにつれ厚くなり、赤くなるにつれ薄くなる。色によって光の波長が違い、色の波長によってピントが異なる。これを色収差といい、色収差を解消するために、水晶体の厚みでピントを調...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    「今日中に連絡がほしい」 菅原文太から、こう留守電が入っていたのは11月12日の夕刻だった。会食を終えて電話すると、本人が出て、「16日の会津での講演会に行けなくなったので、代わりに行ってくれないか」と言う。幸い、日曜日のその日は空いていたので、「わかりました。いいですよ」と答えると、ホッとしたように、「行ってくれる」と、なごやかな声になった。それが最後のやりとりだった。それから2週間余りの11月28日に菅原は亡くなったからである。仙台一高の新聞部一年後輩に井上ひさし会津での講演は、仙台一高で菅原の一年後輩だった憲法学者の樋口陽一との対談で、冒頭、菅原から次のようなメッセージが読み上げられた。「ことの外思い出の多い会津をお訪ねすることを楽しみにしていましたが、転んで腰を打ち、長く座っていることが苦痛なので...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    ある冬におきた火事は強い北風にあおられて、百二十をこえる町が焼けてしまったのですが、この大火事でも無事だった家がありました。それは麻布(あざぶ)という町の山崎(やまざき)という侍の屋敷で、まわりの家々が全部焼けてしまったのに、この屋敷だけはどこも焼けずにすみました。これは、それにまつわるお話です。ある夜、この屋敷の池に住んでいるカエルたちが、屋敷の夜まわりにやってきた使用人を池に引きずりこんで殺してしまいました。この話を聞いた屋敷の主人が、大変怒って言いました。「明日になったら、池のカエルを一匹残らず殺してしまえ!」その夜、白い衣をまとった小さな太った老人が、主人の夢枕に立ちました。「われは、古くからこの池に住んでおるカエルの精だ。池に引き込んでわれらが殺したあの男は、何も悪さをしていないカエルの子を踏み...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    ある正月の事、この酒屋の店先に見慣れないおじいさんが立っていて、酒屋をじっとながめていましたが、そのうちに大きく頷くと、店の中へと入っていきました。「すまんが、酒を一升くれんか」「はい、ただいま」店の小僧が、一升徳利を差し出すと、「おお、これこれ、いい香りじゃ」と、おじいさんはそのお酒を、ゴクリゴクリと一気に飲み干しました。そしておじいさんは、満足そうに目を細めると、「ごちそうさん。うまい酒であった」と、そのまま店を出て行きました。そしてしばらくしてから、おじいさんに酒代をもらうのを忘れた事を気づいた小僧が、あやまりながら店の主人にこの話をすると、主人は笑いながら小僧を許してくれました。「よいよい、正月早々、楽しい話ではないか。それにしても、そんなにうまそうな飲み方をするお方なら、わしも会ってみたいのう」...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    掲示板でもTwitterでもFacebookでもどこでも不毛な議論は起きている。実はネット以外の場所でも議論が成立するというのはすごく難しいんじゃないだろうか。インターネット上では、正解なんてあるはずもない問題について「誰の意見が正しいか」という議論が延々と続くことがあります。しかしこういったやりとりは、本当に無意味です。なぜなら意見には「正しい意見」なんて存在しません。「間違った意見」もありません。あるのは、私の意見、彼の意見、あの人の意見、などだけです。だから正解のない問題について、自分とは異なる意見を述べる人がいても「おまえの意見は間違っている!」などと詰め寄る必要はありません。その人の意見は間違っているのではなく、「あなたの意見と異なる」だけです。世の中にはさまざまな人がおり、みんなそれぞれ違う意...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    松井須磨子は、明治19年(1886)3月8日、長野県松代に生まれ、上京して、早稲田大学教授・島村抱月が主宰する劇団「文芸協会」の俳優養成所に入りました。その間、妻子ある師・島村抱月と恋愛関係に入ったことで、世の非難を浴び、文芸協会から追放されます。しかし、それに屈することなく、同じく早大を追われた抱月とともに、劇団「芸術座」を結成、以後、女座長として毎公演主役を演じました。それらの公演では、須磨子が劇中歌を歌うのが特色で、とくに『復活』で歌われた『カチューシャの唄』や、『その前夜』の『ゴンドラの唄』、『生ける屍』の『さすらいの唄』は、大評判になりました。これらの歌を作曲したのが、長野県から上京して、抱月の書生になっていた中山晋平でした。中山晋平は、これらの作曲によって一躍有名作曲家となり、以後『船頭小唄』...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    政治記者は「権力と付き合え」1999年春、私は政治部へ着任した。時は小渕恵三政権である。自民、自由、公明の連立政権が動き始めていた。小泉純一郎政権から安倍晋三政権へ至る清和会支配が幕を開ける前夜、竹下登元首相が最大派閥・平成研究会(小渕派)を通じて隠然たる影響力を残していた時代である。私は新聞記者6年目の27歳。政治や経済は無知であった。そればかりか初めての東京暮らしで右も左もわからなかった。政治部の恒例で着任初日は政治部長に挨拶し昼食をともにする。駆け出し政治記者が政治部長と直接話をすることなどこの時くらいである。政治部長は若宮啓文さんだった。朝日新聞を代表するハト派・リベラル派論客で、のちに社説の責任者である論説主幹や主筆となる。韓国紙に連載するなど国際派でもあった。父親は朝日新聞政治部記者から鳩山一...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    「お前は、かつて俺に剣を突きつけて前向きに生きるよう促したはずだ。晋という大国の君主が我らになにかを期待しているのであれば、それに従って行動するのが筋というものではないか。当然、見返りがあるはずだからな」そう言うと、それ以上子仲の話には取りあおうとしなかった。子仲の胸は不安で満たされた。「子胥どのは、どう思います?」質問された伍子胥は、冷酷に言い放った。「やりたいようにやらせておけばいいさ。実を言うと私は少し幻滅しているのだ。私の父が精魂込めて育成した男が、あんなに子供っぽい奴だとはな」「それは、ある程度仕方のないことではないかと思いますが……。子胥どのは太子を見捨てるおつもりですか」「なにもそういうつもりで言ったわけではない。太子の尻拭いこそが、我々の役目だと言いたかっただけだ」伍子胥の言葉は、野卑な表...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    20代の頃、体験した話。親友の1人が失恋をして、かなり不安定な状態だった時がありました。彼女の両親がいくら励ましても塞ぎ込んでいくばかり。恋愛に振り回されるタイプではなかったので、尚更心配になります。確かに彼女の表情は暗く、まるで別人のようになっていました。オシャレさんだったのにほとんどメイクもせず、お風呂にも入らないで引き籠る始末です。そこで、家族ぐるみの仲良しである私にお願い出来ないかということで、彼女の家へ泊まる事になりました。私が泊まって彼女が元気になるのか分かりませんでしたが、少しでも良くなればと協力したのです。私が行くと彼女は少し元気になったようで、両親はかなり喜んでくれました。夕食の後、彼女の部屋でこれまでの話を聞きました。「彼は、私よりもあの子を選ぶって言うのよ。私の方がずっと彼を愛してる...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    お笑いコンビ“ピース”の又吉直樹が書いた小説『火花』がバカ売れした。又吉とは、あるテレビ番組を収録するスタジオで一緒になり、不気味なほどに動かないし、しゃべらない若者だなと思った。相方の綾部が片時もじっとしていないのと、あまりに対照的だったからかもしれない。あるとき又吉は、免許証の写真を見た後輩から、「全然キモくないですよ」と言われたという。キモい、キモくないという話は何もしていなかったのに、こう言われたのである。「やり場のない暗い感情を書きなぐるノート」確かに、又吉にはそんな感じさえある。しかし、お笑いはもちろん、ものを書くのにも、キモいと思われるほどの暗さは必要なのだろう。『火花』を読んで私は、又吉に感じていたディープさをさらに深めた。それは又吉のエッセイ集『第2図書係補佐』の冒頭に、好きな本として『...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    一人娘だった為、娘が年頃になると隣村から婿さんをむかえました。二人は村でも評判の、大変仲の良い夫婦となりました。ところが婿さんは美しい嫁さんのそばに少しでも長くいたいので、なかなか畑仕事に行きません。そこで町の絵師(えし→絵描き)に嫁さんの絵姿(えすがた)をかいてもらい、仕事をする時はそれを竹ざおにつけて畑に立てておく事にしたのです。そんなある時、大風が吹いて来て嫁さんの絵姿が飛ばされてしまいました。絵姿は空にのぼって、見えなくなってしまいました。さて、この絵姿が落ちたのは、遠い京の都の殿さまの屋敷の庭先でした。なんと!この世にこれほど美しい女がおるとは。お前たち、この絵の女がどこにおるか探してまいれ」殿さまはそう言って、絵姿の美女を探し出すよう命じました。そして絵姿の美女を見つけると、殿さまはすぐに京の...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    江戸時代に中国から日本に伝わった「陰騭録」という書物があります。これは「徳と罪」「因果の二法」について書かれた本です。著者は中国の明の時代の高級官僚で袁了凡という人です。袁了凡は若い頃、運命論者でした。ある高僧に出会って、運命論者から運命開拓者に変わりました。「陰騭録」の「陰」とは、「ひそかに」という意味です。そして「騭」は、「定める」という意味です。つまり、「天は人間の日々の善悪の行いをひそかに照覧して、禍福の運命を定める」ということです。「陰騭録」の第一章には袁了凡の実体験が書かれています。昔、中国では「科挙」という官吏登用試験があり、それに合格することが人生の大目標でした。この試験に合格する最終順位が、その後の地位をすべて決定していました。そういう特別な試験だったので、当時の人々はみんな科挙に受かり...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    昭和44年4月、新聞社へ入った僕は大阪勤務を命じられ、寮生活を始めた。古い寮には同期生10人ほどが6畳と3畳の一部屋に2人一組で住んだ。初めての関西勤務だが、さしたる楽しみもない。殺風景な部屋でのテレビもラジオもない生活。そのうち別の部屋に住むS君がステレオを買った。ステレオはあるがレコードがない。僕が買おうと申し出て。LPレコードを一枚購入した。森進一である。「望郷」(作詞:橋本淳作曲:猪俣公章)「女心の故郷は忘れたはずの男の胸よ」とか「港町ブルース」(作詞:深津武志作曲:猪俣公章)「背のびして見る海峡をきょうも汽笛が遠ざかる」「女のためいき」(作詞:吉川静夫作曲:猪俣公章)「死んでもお前を離しはしないそんな男の約束を」など初期の歌が入っているアルバムだったと思う。毎晩のようにS君の部屋で森進一を聴きあ...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    キャリア官僚の話に興味が持てない私は1994年に京都大学法学部を卒業し、朝日新聞に入社した。バブル経済は崩壊していたものの、その余韻が残る時代だった。数年後にやってくる就職氷河期の「失われた世代」や現在の「コロナ禍世代」と比べれば、気楽な就職活動の時代であった。当時の京大生のご多分に漏れず、学業に熱心とは言い難い生活だった。就活中の1993年は自民党が衆院選に敗北して下野し、細川連立内閣が発足した戦後政治史の重要な年である。京大キャンパスのある衆院京都1区(当時は中選挙区制)からは、のちに民主党代表となる前原誠司氏が日本新党から出馬して初当選した。だが、私にはこの衆院選の投票に行った記憶がない。新聞も購読していなかった。母子家庭で仕送りがなく、奨学金とアルバイト代で辛うじて学生生活を送っていたというのは言...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・一考編

    ジャーナリストの筑紫哲也、悪役が似合う個性派俳優の成田三樹夫、そして美輪明宏が同じ1935年生まれである。筑紫と成田は既に亡くなり、いま、美輪だけが健在で、艶然と微笑んでいる。大晦日の「紅白歌合戦」で美輪が歌った「ヨイトマケの唄」は、特に若者たちに衝撃を与えた。美輪が作詞作曲のそれは、 ♪父ちゃんのためなら エンヤコラ  母ちゃんのためなら エンヤコラ  も一つおまけに エンヤコラと始まる。姉さんかむりで、泥にまみれながら、土方として働く母親の姿に励まされたという歌だが、美輪の圧倒的な存在感は、とりわけ若者の全身を揺さぶったのである。電気ショックを与えられたと言ってもいいだろう。「あまりの反応のすごさに、逆にこちらが衝撃を与えられました」と美輪は笑っていた。歌い終わったとたん、ネットに火がついた。悪口しか書かれ...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・THEライフ

    テレビ番組の街頭インタビューの定番スポットと言えば、お年寄りならとげぬき地蔵のある巣鴨、若者なら渋谷か原宿、そしてサラリーマン、とくにほろ酔い加減の人に聞くなら新橋だろうか。そんな飲食店が密集した「サラリーマンの街」新橋に、24時間営業のインドアゴルフ練習場がオープンした。「GOLBA24」で、完全個室4室とVIPルーム1室。周りは飲食店やカラオケ店などがひしめく繁華街のど真ん中のビルにある。なぜコンビニのような「24時間営業」にしたのだろうか。運営するゴルフパラダイスの河嶋勉会長は「都市部を含めて、生活が多様化してきて、フリーな時間が夜中や朝方という人も多い。実際に朝方に練習をしている人が目につきます」と言う。人がいるのは8時間、あとはマシンでカバー店を24時間開けるとなると、人件費もかかりそうだが、同社では...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    発売から1年ほどはあまり売れませんでしたが、その後軽音楽の桜井潔のステージ演奏が評判になり、それがレコードの元歌に逆流して空前のヒットとなりました。この歌の大ヒットもあって、昭和30年代ぐらいまでは、多くの人がジャガタラお春の名前は知っていました。しかし、それ以降に生まれた世代では、彼女のことを知らない人が大部分ではないでしょうか。寛永(1624~1645)に入ると、徳川幕府はキリシタン弾圧を強化するとともに、外国との交流を急激に狭め始めました。寛永13年(1636)には、ポルトガル人をポルトガルの植民地・マカオへ追放、さらに寛永16年(1639)には、オランダ商館員を除くオランダ人をオランダの植民地・ジャワ島のバタヴィアに追放しました。いずれも、日本人女性との間にできた子や孫が含まれていました。バタヴィアは今...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    安藤さんは、なんと48歳、無一文で、インスタントラーメンの開発に乗り出したのです。それまでは様々な会社の社長や信用組合の理事長を務めていたのですが、その信用組合が破産。その負債を負い、無一文となりました。ただ自宅が残っただけです。このままでは、人生、敗北・・・。48歳の安藤さんは、インスタントラーメンの開発にこれからの人生を賭けることにしたのです。彼は裏庭に掘っ立て小屋を立て、来る日も来る日も、インスタントラーメン開発の研究を続けました。いまでは当たり前ですが、お湯をかければ食べられるラーメンなんて、これまで誰も考えつかなかったことです。モデルもないし、作り方なんて、誰も知りません。ですから、考えて考えて、実験を重ねて重ねて、研究し続けました。失敗を繰り返し、挫折を味わい、1日睡眠が3~4時間の日が続きました。...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    「つきましては」子産は特有の柔和な表情で、伍子胥に向けて語り出した。子仲についてはもはや説得不要、と考えているのかもしれない。「太子さまを含め、あなた方には晋国に赴かれることをお勧めします。なにぶん私どもの国は楚に近く、彼らからあらゆる干渉を受けやすい。あなた方が、故国である楚を捨てる決心をなさったのであれば、もうひとつの強国である晋に渡るのがもっとも安全な選択でしょう。そうなされば、私も口添えがしやすいというものです」伍子胥は子産のその言葉に、ありがたくもないとでも言いたそうな表情で応じた。「我々には決定権がない。太子に言ったらどうだ」「確かにそうかもしれませんが、太子を導いているのは、あなた方お二人でしょう。中でも、子胥どのの意志は強そうだ。ひと目見ただけでわかります」このとき伍子胥は苦笑いを浮かべた。彼の...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・森羅万象

    アムロジピンなどジヒドロピリジン系で有名な副作用で、機序別分類では以前は薬物毒性型でしたが、最近では薬理作用型に分類されています。①歯肉肥厚とは歯茎が腫れてくる副作用で、口の中が痛み、食事がしにくくなります。局所的な副作用のため軽度の副作用分類になりますが、患者さんのQOLに大きな影響を与える副作用でもあります。ある医療系団体の副作用モニター情報(319)#1を見ますと、1年3カ月間でのアムロジピンの副作用報告が130件あり、そのうち皮疹15件、歯肉肥厚15件、めまい・たちくらみ10件、ほてり10件、その他となっており、歯肉肥厚が決してまれな副作用ではないことが示されています。また2症例が紹介されており1例はアムロジピンの中止後4カ月で治癒、もう1例は中止後に歯科受診して歯肉部切除により治癒とあります。いったん...貧者の一灯・森羅万象

  • 貧者の一灯・妄想物語

    その中の一人で、私の気持ちとしては親友という感じではなったのですが、好きなアーティストが一緒だったことから意気投合してよく一緒にいたA子という友達がいました。A子の外見は性格も外見も華やかなタイプではなく、物静かな感じで、その割に自分と同じアーティストが好きなんだと、最初は意外に思ったものです。ほどなくして私には彼氏ができました。彼氏ができたら、お互いに話そうねということは何となく女友達同士、話をしていたと思います。ただ、私は彼氏を自慢する子やそのような行動が好きでなく、彼氏ができてもとりあえずは黙っていました。私は彼氏ができたことによって行動が変わるタイプでもなかったので、言わなければたぶん彼氏ができたことは誰にも気づかれなかったはずです。そんなときに、同じ仲間の女の子友達から「妊娠したかもしれない」という相...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・森羅万象

    「やりたいことがあるけど時間がない」「仕事や勉強が間に合わず時間が足りない」。そのようなとき、「眠らないで済むなら……」と考えることがありますよね。古今東西を問わず、睡眠研究者も長年「短時間睡眠法」に取り組んできました。短時間睡眠生活を目指す一番シンプルな方法として、睡眠時間を徐々に短くする実験がいくつか行われています。例えば、普段7時間眠っている人の場合、30分短くして6時間半睡眠で数日過ごし、その次は6時間睡眠で数日過ごし、と進めていくわけです。ところが、多くの場合、ある程度まで睡眠時間が短くなった段階で蓄積した眠気のために堪こらえきれなくなって「爆睡」してしまい、その翌日からは元の睡眠時間に戻ってしまいます。このように、計画的にゆっくりと睡眠時間を削っても、短時間睡眠のまま安定した生活を続けることはできま...貧者の一灯・森羅万象

  • 貧者の一灯・妄想物語

    当時、大学生だった私はオートバイに乗って、付き合っていた彼女と色々な所へ旅行するのが楽しみでした。これはその時に体験した話です。旅行のルールとして、学生でお金に余裕がありませんでしたので、なるべく費用がかからない場所へ出向いて1泊をします。宿は予約などせずに、現地で見つけたラブホテルか旅館へ素泊まりです。この何が起きるか分からない感じがまた、たまりません。都心から離れた地域の長く延びる国道を通って、その通り沿いにある滝を見学。素晴らしい眺めで心が洗われるようでした。滝の上には広めの駐車場があり、そこの休息所で何気なく会話したタクシーのおじさんから、良い情報を聞きました。「ここらには旧道というのがあるんだよ。そっちもすごく綺麗だから、良かったら通ってみるといいよ。」教わった道を探して突き進むと、日が暮れました。そ...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・番外編

    オビラプトルは、ラテン語で「卵泥棒」という意味である。オビラプトルの化石が最初に発見されたのは、1923年のことである。その化石は、モンゴルのゴビ砂漠で発見された。この地域は、角竜(つのりゅう)のプロトケラトプスの卵の化石が多く発見されることで知られている。オビラプトルの化石は、卵が並べられた巣の中で発見された。そのため、オビラプトルは、プロトケラトプスの卵をエサにするために巣に近づいてきたまま化石になったと考えられたのである。しかも、オビラプトルの口は、オウムのくちばしのような形をしていて硬い物を嚙(か)み砕きやすいようになっており、卵を割って食べると考えられていたのである。恐竜の中には、現在の鳥のように、卵を抱いて子育てをしていたものがいたとされる。卵は、恐竜の親にとっては大切な存在である。その大切な卵を親...貧者の一灯・番外編

  • 貧者の一灯・一考編

    葉書には「水俣問題はまだまだ先が見えないのに私だけ賞などもらっていいのだろうかと考えてしまいます」とある。いつか夫婦ぐるみのつきあいとなっていたが、2012年の6月11日に原田が77歳で亡くなってまもなく、妻の寿美子は一切家を出なくなった。いや、出られなくなったといった方がいいだろう。私も原田ほど深い笑顔の人に会ったことはないが、妻にとってはとてつもない喪失感だったのである。 しばらくしてようやく話せるようになった寿美子は「私は夫の宝くじに当たった」と言い、「もう一度、原田と話したいの」と繰り返した。 家にこもりきりになったのも“当選くじの夫”を失ったからである。 何度もそう言う寿美子に娘たちは、「お願いだからやめて」と頼んだらしい。 恥ずかしかったからだというが、私は冗談まじりにツレアイに「そのくらい言ってみ...貧者の一灯・一考編

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