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趣味の、自己満ブログです。 不公平と矛盾する世の中は、 小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく。 人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…

流れ雲のブログ:信じれば真実、疑えば妄想

流れ雲のブログ
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2021/09/06

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  • 貧者の一灯・歌物語

    昭和44年(1969)4月にビクターから発売。森進一の最大のヒットで、シングル盤を250万枚以上売ったといわれます。同年の日本レコード大賞の最優秀歌唱賞と日本有線大賞を受賞しました。雑誌『平凡』が公募して最優秀賞を受けた歌詞に、なかにし礼が補作したもの。各聯の末尾に港町名を並べる構成が印象的。地理の勉強になります。港町とはいうものの、横浜や神戸のような多機能な大海港ではなく、漁港がほとんど。輸送や観光などにも使われていますが、漁業の町という印象が先立ちます。いずれも太平洋側の港町で、日本海側の港町は入っていません。日本海側にも、境港のような大漁港があるのですが。船乗りの男を追いかけて、北から南まで港町を渡り歩くという筋立て。酒場などで稼いでは、次の港町に向かうのでしょうか。こ深い恋心なのかわかりませんが、...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    8畳に川の字で寝ていた「三婆」加藤:今年は、美空ひばりの生誕85周年。亡くなってから33年になります。お袋は明るい人でしたから、湿っぽくならない話題で、付き人だったお二人と一緒に思い出を語りたいと思います。関口範子さん(82)は昭和36年から、ひばりさんが亡くなるまで28年にわたって付き人を務めた。辻村あさ子さん(72)は昭和48年から、齋藤千恵子さん(84)も、昭和41年からの付き人だ。加藤和也さん(51)は、ひばりさんの弟・哲也さんの子として生まれ、7歳のとき養子となった。16歳でひばりプロダクション副社長に就任。翌年から社長となり、現在に至る。関口範子さんは、お袋の付き人を28年間務めてもらいました。辻村あさ子さんは、自宅で掃除や料理の担当。僕は幼稚園のときから、毎日お弁当を作ってもらったね。もう1...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    魚腸剣の秘策草地を駆け抜ける馬に引かれた戦車群に導かれ、歩兵たちは長柄の矛を持ち、我先にと走った。このようなとき、なかなか怖じ気づいて逃げ出そうとする者はいない。誰もが逃げるより戦う方が生き残る確率が高いと考えているからだ。敵を倒して生き残る確率は五割。二人目の敵にも勝ち、生き残る確率はさらにその半分となる。それがさらに三人目、四人目と続くと確率は限りなく小さくなるわけだが、誰もがその極めて小さい確率に自らの命を賭けるのである。逃げ出せば、途中で食料が無くなる恐れがあるばかりか、行き先もない。逃亡はどのような状況であろうとも許されず、見つかった場合には死罪となるからだ。また、一般の民衆もそれを許さないので、あえて匿ったりしないものである。つまり、彼らは戦って勝つしかなかった。しかしもちろん負ける者は存在す...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    私は中学生の時、A県にある空襲の跡地を母親と訪問しました。そこは第二次大戦終結の8月15日、アメリカ軍によって最後の空襲を受けた場所です。私はこの出来事を中学校の宿題の作文で題材にするため、取材をしようと思いついたのです。お寺の住職さんに案内をして頂き、境内にある墓地へ向かうと…そこには爆弾によって穴の開いた墓石や、一部が欠けた墓石が沢山存在していたのです。それだけでなく、戦前からあったという六地蔵も、首が吹き飛ばされた無残な姿で残っていました。想像していたよりも酷い惨状にショックを受けた私達に、住職さんはアメリカが投下した爆弾の破片を見せながら、当時の話をしてくれました。被爆し傷ついた人たちは、近くの学校やこのお寺に避難してきたということでした。当時中学生だった住職さんは、重度のやけどを負い瀕死の我が子...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    死を待つセミは何を見るセミの死体が、道路に落ちている。セミは必ず上を向いて死ぬ。昆虫は硬直すると脚が縮まり関節が曲がる。そのため、地面に体を支えていることができなくなり、ひっくり返ってしまうのだ。死んだかと思ってつついてみると、いきなり翅(はね)をばたつかせてみたりする。最後の力を振り絞ってか「ジジジ……」と体を震わせて短く鳴くものもいる。別に死んだふりをしているわけではない。彼らは、もはや起き上がる力さえ残っていない。死期が近いのである。仰向けになりながら、死を待つセミ。彼らはいったい、何を思うのだろうか。彼らの目に映るものは何だろう。澄み切った空だろうか。夏の終わりの入道雲だろうか。それとも、木々から漏れる太陽の光だろうか。ただ、仰向けとは言っても、セミの目は体の背中側についているから、空を見ているわ...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    旅の途中の弘法大師が、川で洗濯をしている美しい娘に出会いました。娘は大師ににっこり微笑むと、「お坊さま、こんにちは」と、頭を下げました。「はい、こんにちは」大師も頭を下げると、ふと小さな声で、「可愛らしい娘さんじゃが、おしい事に、寿命はあと三年か」と、一人言を言ったのです。「えっ?」それを聞いた娘は、びっくりです。娘はあわてて家へ帰ると、お父さんとお母さんにその事を話しました。するとお父さんとお母さんは、青い顔で娘に言いました。「それは大変!早くそのお坊さんを追いかけていって、『どうか寿命を、もっとのばして下さい』と、お頼みしてくるんだ!」そこで娘は、大師の後を追いかけてお願いしました。「もしもし、お坊さま!どうか、わたしの命をもう少しのばしてくださいませ!」すると大師は、困った顔で言いました。「うーむ、...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    コインロッカーで発見2018年の1月、歌舞伎町にあるマンガ喫茶の一室で、25歳の風俗嬢が赤ん坊を産み落とした。彼女は119番することなく、その赤ん坊を自らの手で口を塞いで殺害。その後、しばらくマンガ喫茶に放置した後、ラブホテル街にあるコインロッカーに遺棄。出産から約3カ月後の5月末に、コインロッカーから腐敗した遺体が発見された…。日本では毎年のように、若い女性がマンガ喫茶、公園、電車、自宅トイレなどで赤ん坊を産んで殺害、あるいは遺棄するという事件が起きている。2019年には空港のトイレで出産した赤ん坊を都内の公園に埋めたとして23歳の就活中の女性が逮捕され、2020年には20歳の専門学校生が公衆便所で出産した赤ん坊を公園の植え込みに遺棄して逮捕された。2021年にも、26歳の女性が浴槽で赤ん坊を産んでから...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・特別編

    いまも日本に蔓延る違法薬物。なかでも覚醒剤は高額で取引され、その利益の一部はヤクザのもとへと流れ込んでいる。ワタナベゲンの正体1935年。韓国で生まれた渡辺は、終戦で引き揚げた後、慶応高校卒業、慶応大学法学部へと進学した。クラスメイトだった昭和の大俳優・石原裕次郎が中退すると、後を追うように、彼も中退。日本経済新聞社記者になり、図らずしてフィリピン政府高官・バルバ(マルコス大統領の義理の弟)と知り合った。大新聞の肩書きにフィリピン政府のパイプ。傍からみたらエリート街道そのものだったろう。だが精鋭もギャンブルにのめり込むまでの話だった。パチンコや麻雀に飽き足らず、ヤクザが仕切る違法賭博場にまで手を出した。博打三昧の生活を求めて大阪・中央区の大手先物取引会社「西田三郎商店(※現在は閉業)」に転職までしたのであ...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    魚腸剣の秘策子仲は内心の戸惑いを意識せざるを得なかった。「具体的には、なにを……」「……宴の席で、王には魚の料理を供しようと思っている。その魚料理を運ぶのが、君の役目だ」「運ぶだけですか」「いや」「しつこいようですが……では、いったいなにを……」「あらかじめ魚の腹の中に細工を施し、匕首あいくちを隠すようにしておく。君は王にその魚を供するふりをして……王を刺し殺すのだ」「…………!」光は、子仲に刺客となれ、と言っているのである。しかも今回は佞臣などという小物ではなく、王が相手なのだ。生半可の心構えでは決断できることではなかった。「私に王を殺せと……近いうちに……その機会はいつ訪れるのでしょうか」「現在、王は公子二人を将軍として国外に派遣し、そのため王都は守りが薄くなっている。戦局はまだ具体的な動きが見られな...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    私の両親はウインタースポーツが好きな事から、幼い頃からしばしばスキーへ連れて行ってもらっていました。子供の頃の旅行の記憶なので、すごく楽しい思い出が多いです。ただ1つだけ、毎回どうしても慣れない怖いことがありました。それは夜の宿です。どのスキー場にも宿泊施設の1つや2つ、普通はあるものです。泊まっていくお客さんも多いことですし、そういった施設を建てることは非常に理にかなっているとは思います。しかし辺境の地に無理やり設置された宿も少なくありません。ですから幼い私にとって、古びた宿は何とも言えない不気味な恐怖がありました。トイレへ行く時は毎回誰かについて行ってもらったりしたものです。大人になってからこの話題をした所、両親からこんな話を聞きました。今から30年ほど前、まだ私の両親が新婚だった頃。2人でよく各地の...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    コインロッカーで発見2018年の1月、歌舞伎町にあるマンガ喫茶の一室で、25歳の風俗嬢が赤ん坊を産み落とした。彼女は119番することなく、その赤ん坊を自らの手で口を塞いで殺害。その後、しばらくマンガ喫茶に放置した後、ラブホテル街にあるコインロッカーに遺棄。出産から約3カ月後の5月末に、コインロッカーから腐敗した遺体が発見された。小河真里(仮名)は、1999年に5人きょうだいの次女として生まれた。父親は単身赴任で家を空けていることが多く、きょうだいとはあまりうまくいっていなかったという。そのせいか、高校時代から煙草や酒に手を出すようになった。卒業後、短大へ進学して美容の勉強をしたが、彼女は学業にあまり関心を抱くことができず、友達と一緒に風俗店でアルバイトをはじめた。これによって金ができたこともあったのだろう...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    むかしむかし、ある長者の家に、とても気立てが良く、美しい娘がいました。娘はみんなに可愛がられて育ちましたが、でも新しいお母さんがやって来てから娘の運命が変わりました。新しいお母さんにはみにくい娘がいた為、自分の娘よりもはるかにきれいな娘が憎かったのです。そこで新しいお母さんは、美しい娘を毎日いじめました。お父さんはその事を知っていましたが、せっかく来てくれた新しいお母さんには何も言いませんでした。そして新しいお母さんに言われるままに、お父さんは娘に家を出て行けと言ったのです。娘が家を出て行く日、新しいお母さんもお父さんも、娘が家を出て行くのを見送ろうともしませんでした。でもただ一人、最後まで娘に優しかった乳母だけが娘を見送り、目に涙をためながら出て行く娘に言いました。「お嬢さま。あなたさまは、とても器量よ...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    老老介護のはてに、悲惨な事件に発展してしまうケースは後を絶たない。77歳の元看護師・日出美(仮名)が起こした事件、彼女は夫の勉を施設に預けるべきだっただろう。だが、元看護師の自分がなんとかするのだという責任感から、なかなかその決断に踏み切ることができなかった。2階に暮らす長男家族もまた、日出美が介護をしているのをいいことに、積極的に手伝おうとはしなかった。…「死んで楽になりたい」こうした日々の中で、日出美はらうつ病を発症する。介護をしようとすると、突然体が動かなくなる。理由もなく涙があふれて止まらなくなる。少し前の記憶が抜け落ちる……。典型的なうつ病の症状だった。医療知識があった日出美は、自分の身体の異常に気づいていた。だが、それを受け入れることは、夫を見捨てることになる。なんとかがんばらなければ。彼女は...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    花岡優平さん(作曲家、シンガーソングライター/70歳)秋元順子が歌うヒット曲「愛のままで…」は今も中高年に大人気。作詞&作曲を手がけたのは今月古希を迎えたばかりの花岡優平さんだ。グループサウンズ全盛の中学時代に聴いたザ・カーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」が音楽への扉を開いた一曲だという。僕は大分・別府の出身です。音楽との出合いは5、6歳の頃。叔母がアメリカの軍人と結婚したのですが、2人が付き合っていた頃によくウチに来て、キューバのマンボとかペレス・プラードのレコードを持ってきて聴かされました。ところが、そんな生活も小学2年の時、両親の離婚で一変します。僕と弟が父に引き取られ、3年後には父が再婚して子供も2人でき、僕と弟は家族の輪から外れた感じになって。自我に目覚めたのはその頃。5年生の時に合唱団に入って...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    虹の橋に旅立った数か月後、看取った飼い主も安らかに逝った…愛犬との同伴入居第1号として、田中久夫さん(仮名、90歳代男性)とダルメシアンのアミちゃんが入居したのは、2012年の秋のことでした。アミちゃんを置いていけない、ということを理由に老人ホーム入居を拒んでいた田中さんでしたが、「さくらの里山科」にアミちゃんと一緒に入れると言われても、最初は入居を拒み続けていました。住み慣れた家から離れたくない、という思いは認知症でも変わらなかったのです。「入居してもいい」と気持ちが変わったのは寒さのためでした。秋になり、だんだん寒くなってきたところで、「ホームに行けば暖かいから」と勧められると、とうとう首を縦に振ったのです。認知症のために暖房が使えず、食事もきちんと取れていなかった田中さんの生活は、「さくらの里山科」...貧者の一灯・特別編

  • 貧者の一灯・漢の韓信

    魚腸剣の秘策「呉が出兵したと?」奮揚は、事態が風雲告げていることを実感した。呉との国境から遠く離れたこの申の地にも使者が往来し、包胥の屋敷の扉を激しく叩いた。「急いで事態に対応せねばならぬ。応戦するのだ」包胥は奮揚にそう告げると、そそくさと身支度を始めた。郢に急行し、軍を編成しようというのである。「国民が皆、喪に服している間に攻撃を加えるとは、呉王はなかなかしたたかな戦略を立てたものだ。しかしその軍は強いかというと、実はそうでもないと私は見ている。越境して敵地奥深くに侵入し、包囲されもせずにその勢いを維持し得るほど強力な軍隊を、呉が持っているという話は聞いたことがない」「では、迎撃は可能か」奮揚は、血が沸き上がるような興奮を覚えた。生粋の軍人としての血。侵略者を撃退するという使命感。それらはいずれも五年前...貧者の一灯・漢の韓信

  • 貧者の一灯・妄想物語

    10年以上前の話です。当時、私は実家暮らしをしていました。小学生の頃からずっと住んでいる、住み慣れた一戸建ての家です。腰を悪くして休職していた私は、1日の大半を2階の自分の部屋で過ごしていました。そんなある日の昼下がり、いつものように部屋で休んでいると、玄関のドアが開いたような音が聞こえました。その日、両親は夕方まで仕事の予定で、誰かが帰ってくるはずのない時間帯です。ドアの音は気のせいだと思いそのまま横になっていたのですが、しばらくすると1階で人が歩く足音と気配を感じました。「…まさか誰か侵入者?」神経を研ぎ澄まして、1階へ意識を集中させます。するとその足音は、私がいる2階へ上がってきたのです。思わぬ異常事態に、私は何かただならぬ雰囲気を感じていました。足音はゆっくりと、確実に近づいてきます。私は怖さから...貧者の一灯・妄想物語

  • 貧者の一灯・一考編

    村と村、或いは人里と神域、或いは鬼のいる場所などの境界に置かれ、境を示していました。ある旅人がたまたまこの村に紛れ込んで山の中で幣(ぬさ)に出会うと、その旅人はその先に行くことができませんでした。鉄条網のようにトゲもなく壁のように聳えてもいないのですが、日本人は決してこの幣を越えて進めなかったのです。神社の祭壇の前にも祓幣が置かれているのですが、日本では「白」く「素」であるものに神が宿っていると考えられていたからです。そして、邪な心を持っていると幣を見て恐れおののき、神社に入るのが怖くなったものでした。かつて日本中いたる所にごく普通に見られた御幣(ごへい)。それは基本的にある「境」を作りだしているものでした。村の境に懸けられた御幣や縄は結界を表し、村の中に住む者にはその先には鬼や妖怪や魔物が住み着いている...貧者の一灯・一考編

  • 貧者の一灯・歴史への訪問

    むかしむかし、琵琶湖(びわこ)の北部にある竹生島(ちくぶしま)の弁天さまは、美しい満月の晩になると琵琶湖の魚たちを集めて歌と踊りの会を開いていました。弁天さまのかなでる琵琶の音に合わせて上手に歌ったり踊ったりした魚には、素晴らしいごほうびが出るのです。さて、一番最初に現れたアユたちは、月明かりの中で銀色の姿をキラキラさせるだけで歌も踊りもしません。アユは自分の姿がきれいなので、弁天さまはそれだけでごほうびをくれるだろうと思ったのです。二番目に現れたフナたちは、久しぶりに仲間が集まったので、おしゃべりばかりしていました。三番目のコイたちもパクパクさせているだけで、歌も踊りもちっとも上手ではありません。がっかりした弁天さまは、琵琶をひくのをやめて言いました。「誰か、もっと上手なものはおらぬのか?」すると琵琶湖...貧者の一灯・歴史への訪問

  • 貧者の一灯・THEライフ

    祖母と私がお互いの存在に圧迫され、がんじがらめになっていたのはもう40年以上も前の事なのに、今もまだ、小さな針が時折私の心をチクリと指す。あの頃のことでよく思い出すのは、祖母の炊いてくれた白いご飯。お店をやっていた時の癖で、祖母はいつもたくさんのご飯を炊く。二人ではなかなか食べ切ることができず、たくさん炊いたご飯を何日もかけて食べる。夏の暑い時期など、ご飯がどんどん酸っぱい匂いになっていく。けれど祖母はその匂いに気がつかない。私は酸っぱい匂いが気になって食が進まない。祖母はその様子を見て不機嫌になりやがて泣く。あんたは優しくないと。こういう時、いつも私は困った顔をして下を向くしかなかった。この時期、祖母と同様、私も疲れていた。人の思いの大きさに、人の落胆の大きさに。牛久に来て一番変わったのは祖母だった。新...貧者の一灯・THEライフ

  • 貧者の一灯・歌物語

    静かに心に染みこんでくる反戦歌です。出だしは普通のフォークソングのようですが、1番の終わりから2番へ、さらに最後のフレーズへと進むにつれて、反戦・非核の思いがどんどん盛り上がってきます。「八月六日の朝」「人間のいのち」という言葉が重く胸に響きます。これが"歌謡曲の女王"美空ひばりが創唱した歌だということに驚く人もいると思いますが、彼女はほかに2曲反戦歌を歌っています。この歌と同じく松山善三・佐藤勝のコンビで作られた『八月五日の夜だった』と、戦没学徒兵・宅島徳光の遺稿に彼女自ら補筆し、船村徹が作曲した『白い勲章』です。この3曲の歌唱には、父親の出征と、横浜大空襲を命からがら生き延びたという彼女の幼少時の戦争体験が反映されているのでしょう。『一本の鉛筆』は、彼女の歌のなかでは売れなかった部類に属すると思います...貧者の一灯・歌物語

  • 貧者の一灯・特別編

    今日は、長崎市に原爆が投下された日です。己のごとく人を愛する長崎の原子爆弾が落とされた場所のすぐ近くに、如己堂という小さな家がいまもあります。如己堂(にょこどう)とは、己の如く隣人を愛せよ”という意味如己堂とこの家に住んでいた永井隆博士は意外に外国でも知られているのです。わたしが勤めていた長崎市の学校に、オーストラリアからのふたりの高校生がきたときのことです。彼らに、「長崎のどこにいちばん行きたいですか」と聞くと、すぐに「ニョコドウ」と答えました。彼らは、ここに住んでいた永井隆という人のことをオーストラリアの学校で習い、尊敬していたからです。永井隆博士は心から平和を願い、平和をうったえた人です。平和は、人を愛することからはじまるという考えをもち、まず自分から身をもって実行するように努力しました。永井博士が...貧者の一灯・特別編

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