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噬嗑録 https://shu-koushi.hatenadiary.com/

東洋思想、特に儒学について書いています。 現在は論語をメインとしていますが、易やその他の経書も織り交ぜながら、分かりやすい記事を心がけています。 読んでいただけますと幸いです。

周黄矢
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2021/08/10

  • 信を失った者の末路

    儒学では信を重んじる。 信が重要、これは当たり前と言えば当たり前である。しかし当たり前すぎて、なぜ大切かと言われるとよく分からないものでもある。 なぜ信は重要なのか。信を失えばどうなるのか。 信とはなにか 論語の教え 益軒先生曰く 信を失った者はどうなるか 人にして恒なければ 天下に身の置き所がなくなる 信足らざれば… まとめ 信とはなにか 荻生徂徠先生は信を以下のように解く。 信なる者は、行ひ言に爽(たが)はず、符節を合するが若きなり。 (信とは、行動と言語があたかも割符を合わせるようにぴったりと一致することである) 「信」はにんべんに言うと書く。人の言葉に嘘があってはならない。人の言葉はす…

  • 孔子の教えは男尊女尊である

    最近、何かと男女の問題がさわがしい。ツイッターなどでも、そういった発言やニュースをよく見る。 私は、現代の男女の問題について学んだことがない。しかし、儒学を通して男女の関係について考えることも多い。 孔子は男尊女卑ではない。男尊女尊であった。今回はこのことについて書いていきたい。 孔子は男尊女卑か 詩経と女性の徳 邪無し 孔子は男尊女尊である 伯魚への教え 詩を学ばねば話にならぬ 些細な事に学問が現れる 詩で人情を知る 周南召南をやらねば学問は進まない 周南と召南 牆に面するとは 孔子の牆は数仞 周南召南は治国平天下の門 孔子の男尊女尊主義 女子の解釈 孔子の真意は 安井息軒先生曰く 広瀬淡窓…

  • 子路に関する覚書

    先日、久々に弟とお酒を飲んだ。といっても一ヶ月半ぶりくらいに。 大変よいお酒だった。 色々話したが、途中、子路について話すことがあった。 何も準備して話したわけではなかったが、話すうちに子路のことが一層よく分かった気がする。 お酒を飲みながらのことで、そのうち忘れてしまうかもしれないので、ここに書きつけておこうと思う。 きっかけは、「何のために学ぶか」という話になったこと。 自分が話したことを思い出しながら書いてみたい。 俺がなんで学問するかといえば、まあ簡単に言ったら、学問して強くなりたいというのが一番やね。 これは孔子も、「学問するのは強くなるためだ」と言うとる。 学問したら強くなるのが道…

  • 孔子廟のこと

    先日、ハノイの孔子廟を訪ねた。現地の言葉では「文廟」という。 廟というものに初めて足を踏み入れ、色々と勉強になることもあったので、ここにまとめておく。 廟は祖先や個人の霊を祀る場所。文廟では孔子を学問の神様として祀る。 特に「宗廟」という場合、祖先を祀る廟を指す。天子・諸侯・大夫・士はそれぞれ決められた数の廟を建てて祖先を祀る。これは孝経を読んでも良く分かる。 宗廟には様々な礼があるが、第一には祀る者の配置である。ここには厳格な順序がある。 中庸に曰く、宗廟の礼は昭穆を序する所以なり。 宗廟の礼、つまりご祖先を正しく配してお祀りすることには、世代の別を明らかにする意義がある。 天子は七廟、諸侯…

  • なぜ長生きすべきか

    あけましておめでとうございます。 今年も昨年同様、気の向いた時にブログを書きます。 よろしくお願いします。 さて先日の話。 野見山曉治という画家の展覧会に行った。この人は私と同郷の人で、炭鉱経営者の子であったという。だから初期の作品には炭鉱を描いたものがある。炭鉱夫の苦労をまざまざと描いた絵も観た。 私の家系も炭鉱である。父方は会社の方、母方は炭鉱夫の方。母方の祖父は寡黙な人で、炭鉱の辛い話を一度も聞いたことがない。 母の話では、北陸の方から九州へ流れてきたらしい。無学であったが、命を削りながら炭鉱で働き、多くのお金をもらい、若くして家も持った。 祖母はこの祖父と再婚した。私の母は祖母の連れ子…

  • 天とは何か

    論語里仁篇にこうある。 仁者は能く人を好(よ)みし、能く人を悪(にく)む。 (仁者は好むべき人を好み、悪むべき人を悪む) この章句については以前もブログに書いたが、あれは考えが足らなかった。 天というものをよく分からずに書いたから、つまらない内容であったと思う。 今も天が分かったとは言えないが、以前よりは分かるようになった。 天についてよく考えながら、再び書いてみたいと思う。 天を考える 天とは何か 元と仁 天に吉凶禍福なし 仁者にも吉凶禍福なし 仁者に差別なし 地の徳を考える 地の徳は空虚・消極 地の徳と君子の修養 地の徳を体する 易で論語が分かる 天を考える この章句もそうだが、孔夫子の言…

  • 「立つ」とは何か ―孔夫子三十の境地―

    儒学をやっていると、志について考えることが多い。 孔夫子の志はどこにあったか、またその志によってどのように人格を形成していったか。これを深く考えていくと、論語の読み方が正しくなるように感じる。 いくつか気づくことがあったので、簡単にまとめてみる。 道に志し、徳に據る 孔夫子の志 徳に據って立つ 「立つ」とは 雷天大壮 気力が弱ければ道から外れる 若者が政治に関わる是非 潜龍勿用 一人前になる 孔子の言葉は油断がならぬ 道に志し、徳に據る 論語述而篇にこうある。 道に志し、徳に據(よ)り、仁に依(よ)り、芸に游(あそ)ぶ。 そもそも「志」は心の志向するところをいう。「こころざし」の『ざし』は「ま…

  • 微生高は正直者か諂う者か

    面白いツイートがあった。論語公冶長篇、微生高(びせいこう)に関するもの。 たしかに、この章句の解釈は難しい。孔子の真意がどこにあるか見えにくい。 ひとつ、私なりに考えてみたいと思う。 微生高は正直か 主な解釈 前章と絡めて解く 伯夷と叔斉の人物 微生高を責める解釈 微生高を誉める解釈 直躬之直とは 人情を離れては信もなし 微生高は直躬之直ではない 伯夷叔斉との共通点 直不必美徳 解釈が定まらない 「名を竊む」は酷 理想的な対応は 案外鈍かったか まとめ:分からぬで良い 微生高は正直か この章句は以下の通り。 子曰く、孰(たれ)か微生高を直(ちょく)と謂ふ。或ひと醯(けい)を乞ふ。諸を其の鄰に乞…

  • なぜ君子は争わぬか

    論語八佾篇に「君子無所争」とある。 君子は争わないという。 分かりそうで分からない、分かる気がするが腑に落ちない。そんな気分が常にあった。 しかし今日、ようやく腑に落ちた。 私自身の考えをまとめるためにも、記事にする。 君子無所争 君子は礼を重んじる 射とは 弓射の作法 分かりにくいところ 「射」に注目する 一般的な意味 「身+矢」から「身+寸」へ 礼儀の重視 射を競うとは 詩経の示唆 四黄既駕 両驂不猗 不失其馳 舎矢如破 君子に礼儀あり、礼儀あれば争わず 君子無所争 この章句は以下の通り。 子曰。君子無所争。必也射乎。揖譲而升下。而飲。其争也君子矣。 子曰く、君子は争ふ所無し。必ずや射(し…

  • 骨を折ること

    「骨を折る」という言葉がある。苦労を厭わないことである。 骨折り損のくたびれ儲けなどという言葉もあるから、骨を折るといえば嫌なことのように思われる。 私は、骨を折るという言葉がなんとなく好きであった。 最近、晋の文公重耳のことを調べていて思う所もあったので、記事にする。 「骨を折る」ということ 鉄門の荒稽古 立ち切りの様子 禅の苦しさ 昔の人は骨を折った なぜ「骨を折らねばどうもならん」か 剣法の極意とは 郭偃曰く 教えるところは同じ 文公の骨折り 骨折りを嫌った夷吾 骨を折ると折らざると 骨を折らねば仁もなし 「骨を折る」ということ 公田先生の先生は根本通明先生と渡辺南隠老師であった。 南隠…

  • 小人への対し方

    以前、DMで質問を受けた。 小人に腹が立つことが多いが、どうすればよいかという質問であった。 私なりに例など用いてお答えしたが、十分ではなかったと思う。 その後も1ヶ月ほど色々考えて、ある程度満足できる結論に至った。 質問と答え 質問 回答 なぜ気にしないのか 新たな気づき 元は一ということ 君子を志して小人になる理由 そもそも小人とは 君子の儒と小人の儒 孔夫子が悪んだ小人 小型の小人を悪まず 大型の小人を悪む 現代の小人も同じ 君子のこころ 南隠老師の話 韋応物『幽居』 まとめ 質問と答え 質問 質問の内容を簡単にまとめると、以下の通りである。 小人、私利私欲、自らのことしか頭になく、自己…

  • 子路が恐れたもの

    人から評価されること、良い評判がたつこと、名声を得ること。 このようなことについて、儒学ではどう考えるか。 高く評価され、名声を得ると、それなりにお金なども入ってくる。 それ自体は悪くない。受け取って良いし、受け取るべきである。 義があって利を得るなら何も悪いことはない。むしろ、義があるのに利を避けるのは不自然である。孔夫子は、利を見ては義を思え、取るべき(義)ものは取れ、取るべきでない(不義)ものは取るなと仰った。 不義の利が悪いのである。10の仕事に対し15の利益を取るのは不義であって、悪い。 身の丈に合わない評価を受け、実際以上の名声を得ることも不義である。 それを特に恐れたのが子路であ…

  • 徳とは何か

    儒学では、よく「徳」ということを云う。 徳について、誰でもなんとなくイメージを持っているものだが、改めて「徳とは何か」ということを考えると、いまひとつピンと来ない。 当たり前すぎて、あれこれと考えることがないから、分るようで分からない。 しかし、これをあいまいにするのではなく、はっきりと知っておくことで儒学の物の見方・考え方が一層よくわかる。 徳得也 孟子曰く 中庸に曰く 崇徳とは 徳を崇くする法 循環で崇くなる 進徳修業 四十で憎まれるようでは終わり リンカーンの話 まとめ 徳得也 まず、徳は得と通ずる。徳、得也。徳とは得ることである。 もちろん、仁義礼智信といった徳は天からいただいたもので…

  • 愛について

    ツイッターのDMにて、質問を受けた。 問答の流れで、特に「愛」ということを考えた。 これまで、仁についてはしばしば触れてきたが、愛にはあまり触れてこなかった。 これは、愛は仁に内包されるもので、仁がわかれば愛も分かるからである。 しかし、仁と愛を一つとする見方、また儒学における愛の考え方について、疑問を抱く人も多いのではないか。 仁や愛という大きなものを知るのに、参考くらいにはなると思うので、DMの文章をそのまま(目立つ乱れは整えて)ブログにする。 多少忙しかったこともあり、十分に書けなかった部分もあるため、その点も追記したい。 敬天愛人とは何か 天を相手にすること 天を敬うとは 敬天と愛人は…

  • 肩こって学問進む

    曲礼に曰く、立つに跛(ひ)すること毋れ。 跛は偏ること。立つに跛すること毋れとは、片足に重心を預けて立ったり、(壁に寄りかかるなどして)片足で立つなということ。 立毋跛、これは簡単な教えである。何も難しいことはない。早くから実践してきた。 こういう教えがあるから、儒教は小さなことをあれこれやかましい、窮屈であると思う人も多い。 しかし今日、立毋跛が含む教えが極めて大きいことを悟った。 1.潜在的な関心 2.礼を考える 2-1.立毋跛はなぜ悪い 2-2.礼は敬なり 2-3.礼と法の違い 2-4.為政篇に曰く 2-5.日常の心掛け 2-6.君子は独りを慎む 2-7.立毋跛が含むもの 3.肩こりを考…

  • 机上の空論に陥らぬために

    先日ツイッターにて、孔孟の思想は机上の空論ではないか、という発言を見た。 孔子は実践を重んじた。机上の空論であることを嫌った。 しかしよくよく考えると、机上の空論に陥りやすいことも事実であり、机上の空論で満足する者、いわゆる口舌の徒も大勢いる。 実践を重んじる学問をやって、机上の空論で終わってしまう。これはなぜであろう。色々考えてみた。 なぜ机上の空論になるか 小を積んで大を成す 土地を知るには 地図だけで考えると間違う 地道に歩き回る 土地を知る順序 机上の空論を避けるには 「切に問う」とは 司馬遷曰く 切に問うた孔夫子 切に問うて近く思ふ 仁其の中に在り 博学と活殺 仁も不仁も志に由る 子…

  • 儒学的文章についての覚書

    筆写していて、ふと思った。私の書く文字は、一文字一文字ではそれなりに納得できても、一枚書き上げてみると、どうも汚い。 なぜであろうと考えた。すると、漢字と平仮名の書き分けを意識せず、どちらも同じ気分で書いているから悪いのだと気づいた。 漢字と平仮名で陰陽があるではないか。もちろん、こんなのは当たり前のことだが、別に意識したことはなかった。毎日毎日筆写しながら勉強して、その筆写ということに、陰陽の別を何ひとつ見出してこなかったわけだ。 初めて気づいて、色々考えてみた。日本語を書くにあたっては、陰陽を意識すべきではないか。単に日本語を筆記するという意味でも、日本語を以て文章を編むという意味でも。 …

  • 革命の是非

    中国の歴史には度々「革命」ということがある。 孔子は革命についてどうお考えであったか。 論語には、革命について明確に述べた文章がない。少なくとも、孟子ほどにはっきりと、「徳がなく、民を苦しめるような者は討ってよい」といったことは仰っていない。 ブログで何度か書いたことだが、孔子は革命を肯定しなかった。否定的であったともいえないが、肯定的ではなかったと私は思う。 これまで、そう思う理由を詳しく述べたことがなかったので、ここで簡単にまとめておきたい。 論語八佾篇に曰く 韶とは 舜は善美を尽くす 武王は善を尽くさず 湯王、桀を討つの乱 天道天理とは 仁と五倫 湯王の自覚 武王、紂を討つの乱 武王の大…

  • 性善説に関する追記 / 独学について思うこと

    以前、性善説と性悪説について書いた。 今回はその追記と、最近考えたことについて。 性善説のこと 益軒先生曰く 伊川先生曰く 独学について 孔子を師とする 陰陽相和すること 独学の弊 柔に学び剛に考える 孔子を師として 性善説のこと 見方によって性善説にもなるし性悪説にもなるが、しいて言えば孔夫子は性善説であったろうと思う。 そう思う理由について、私なりにひとつのたとえ話をした。 shu-koushi.hatenadiary.com 植物の種には生育発展すべき本性がある。 適切な土地に播種し、水や肥料をやり、気候にも問題がなければ必ず芽が出て実を結ぶ。これが種の持つ本性であって、仁もこれと同じい…

  • 酔中独言:義弟のこと

    独りでお酒を飲みながら、過去の写真を見ていた。 あまり写真は撮らない。ちょっと上にスクロールすると、すぐ1年以上前になる。 サーッと上に行くと、6年前、弟と遊んだ時の写真が出てきた。クリスマスの日、男二人で昼から飲んだときのもの。 弟は私と違って器用な奴だから、私を招くに当たって用意周到。その夜に飲むお店もきちんと予約していた。 私は気が急く方だ。夕方から予定があるなら、その日の午前中からソワソワするし、だいぶ早く到着して時間を持て余す。 その日も昼頃には到着。お店の予約は当然夕方からであったから、駅で落ち合い、ラーメン屋で飲んだ。餃子にビール。 時間を潰して居酒屋へ。何を食べたか、ひとつも覚…

  • 日々どれくらい勉強すべきか

    質問をいただいた。 質問箱に書ける文字数は2500文字が最大らしい。 超過してしまったので、ブログでお答えします。 質問の内容は以下の通り。 例えばきっかけをつかむために、まずは5分や10分から始めるというなら、大いに結構だと思います。いきなり何時間もやるのは難しいでしょうが、続けるうちに1日1時間でも2時間でもできるようになります。 あるいは、時間があれば5分でも10分でもやる、というのも良いでしょう。実際の学習量は、5~10分よりずっと多くなるはずです。 これらの場合、積極的な姿勢で5分10分を学ぶのですから、大変良いと思います。 しかし、同じ5分10分でも、消極的な姿勢を以てするならば悪…

  • なぜ儒教では婚礼を重んじるか

    近思録に関する質問をいただいた。 これは、なかなか難しい問題である。儒学が男女の礼、婚礼をどうとらえるか、ここが分からなければ混乱する。 実際、質問者は「これは不仁ではないか」と疑問を抱いている。 極く基本的なことから、詳しく解説してみたい。 節について 節操は本 節とは 婚礼の重さ 婚礼は礼の始まり 婚礼は本 夫婦の象は「恒」 夫婦の節を守ること 夫婦節を守って天下平らかなり 寡婦の出ぬ仁政 寡婦が困窮しない政治 王者の感化で寡婦が減る 明君の「好生」 寡婦が困窮しない まとめ 苦節は悪い 現代でも婚礼は大事 節について 寡婦とは、普通「夫を失い(先立たれ)、再婚していない女性」を指す。 広…

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