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噬嗑録 https://shu-koushi.hatenadiary.com/

東洋思想、特に儒学について書いています。 現在は論語をメインとしていますが、易やその他の経書も織り交ぜながら、分かりやすい記事を心がけています。 読んでいただけますと幸いです。

周黄矢
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2021/08/10

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  • 趁無窮

    日本画家の横山大観。この人の師は岡倉天心だが、天心が大観に与えたのは「趁無窮」の三文字であった。 趁無窮、無窮を趁(お)ふ。 同じ「おう」でも漢字は色々だ。最も一般的なのは追。逐の字もある。しかし趁はあまり見ない。詩の中ではしばしばみるが。 なぜ天心は「趁」と書いたのか。本当のところは分らないけれども、私なりに考えてみた。 追・逐・趁 無窮を追えるか 無窮を逐えるか 孔子の徳は無窮 道は無窮 道は履むもの 趁無窮 追・逐・趁 徂徠先生『訳文筌蹄』に曰く、 追・・・あとから追いかけ追い付くなり。 逐・・・大抵追と同じ、物を追う意あり、追い退くる意あるなり。ついてゆく意はなきなり。 趁・・・追いか…

  • 克己復礼の実践について

    般若心経を日に百回読誦。この習慣を続けるうち、集中力が極度に高まる感覚が増えた。 回数を重ねるごとに徐々に入り込んでゆく。集中力が高まってくる。 例えば、目を開いているのに目を閉じたようになる。 部屋は薄っすら明るい。目が開いていればモノが見えるのが道理だ。しかし真っ暗になり、線だけになる。一点を見つめて目を閉じると残像がしばらく見えるが、あんなふうに見える。 見ているはずのものが見えなくなる。確かに見えているが、脳がその刺激を受けなくなっている。これはおそらく集中力によるものだろう。 似たことは誰にでもある。極度に集中していたら、見えているはずのものが見えなくなる。 視覚だけではない。五感は…

  • 蜀はなぜ滅んだか

    論語・泰伯篇に曾子の死に際を描いている。曾子曰く、 鳥の将に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言ふや善し。 鳥が死ぬときの声はいかにも哀れである。しかし人間は違う。正しきを以て終わるは人の道。正しき人が死ぬとき、その言葉は哀しいばかりでなく善なるもの、正しい教えを含む。 劉備の遺言について色々考えていくと、蜀が滅んだ理由が少しわかった。 私は三国志に詳しいわけではないが、儒学の方面から、拙い考えをまとめてみたい。 1.劉備の遺言 1-1.善悪と知 1-2.劉備は義の人 2.なぜ蜀は滅んだか 2-1.曹操の遺言と覇道 2-2.劉備は王道か 2-2-1.大義と小義 2-2…

  • 睡眠と陰陽のはなし

    最近、睡眠を陰陽の理で考えると、色々と得るところがあったのでまとめてみたい。 ツイッターでお付き合いのある人の中には、睡眠に悩みを抱える人もいるようだ。参考になればよいと思う。 睡眠の意義 睡眠と陰陽 1.静 2.柔 3.暗 4.再び静 5.再び柔 陰陽の理は科学的 惰眠・昼寝を戒める 最後に 睡眠の意義 寝るべき時に寝られぬと、翌日の体調が優れず、仕事や勉強にも差し支える。 眠るのは極く良いことで、なんだか調子が悪いと感じているとき、睡眠がうまくいっていないことが多い。 どうも気が振るわないと思ったときは、気力が枯渇しているのである。枯渇しているものを振るおうと思っても無理がある。なぜ枯渇す…

  • 礼を愛しむ心

    礼記を筆写していて、ひとつ気づいたことがある。 論語八佾篇、告朔の餼羊のはなし。 八佾第三 愛と惜 告朔とは 羊を去るはなぜ悪い 告朔の礼が含むもの 暦を奉ずるは天を奉ずること 告朔の本質 五牲の尊卑 五牲は相為に用ゐず 相応の礼 礼を愛しむ心 非礼を重ねる 先づ其の礼を去つ 「礼記をお読みなさい」 八佾第三 論語八佾第三にこうある。 子貢、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰く、賜や、爾は其の羊を愛(お)しむ、我は其の礼を愛しむ。 告朔の儀礼には羊(餼羊=生きた羊)を捧げたが、子貢はそれを辞めにしたいと思った。 孔子が仰る。 「子貢よ、お前は羊が惜しむが、私は礼が惜しい」 愛…

  • なぜ孔子は御を執ったのか

    論語について新たに思うことあり、考えながら書き、書きながら考え、まとめてみたい。 子罕第九に曰く 私的な解釈 なぜ礼を執らぬ 六芸ではなく技を執る なぜひとつだけ選ぶか なぜ御を選ぶのか 射の意義 古の射 射て諸侯と為る 射の廃れ 君子仁人の射ではない 戦を慎む 御の意義 御するとは 車馬を御すれば家事も御す 御で導く まとめ 子罕第九に曰く 論語子罕第九にこうある。 達巷党の人曰く、大なる哉孔子。博く学びて名を成す所無しと。子之を聞き、門弟子に謂ひて曰く、吾何をか執らん。御を執らんか、射を執らんか。吾は御を執らん。 ある村の人が言う。 「孔子は本当に偉い人だ。学問が非常に博く、名のつけようが…

  • 国家の盛衰と政事に関する覚書

    論語について気付いたことの覚書。 富まさん、教えん 先王の道 伍子胥の嘆き 貧にして怨む無きは難し 食・兵・信 三章句の解釈は 富まさん、教えん 論語憲問篇。孔子が衛に行き、冉有がお供をした。衛に入り、孔子が仰る。 孔子「衛は人が多いな」冉有「人が増えた上には、何を加えましょうか」孔子「豊かにしよう」冉有「ではその後は?」孔子「人々を教育しよう」 先王の道 これは孔子独自の説ではない。孔子は「述べて作らず、信じて古を好む」で、先王の道を重んじ、独自の説を立てることをしなかった。 礼記にこうある。 曠土無く、游民無く、食節あり、事時あり、民咸其の居に安んじて、事を楽しみ功に勧み、君を尊び上に親し…

  • 勝つと打つとはどちらが先か

    昨日、古い映画や音楽に対して「残ったものは凄い」という内容のツイートをした。 一夜明けて、酔いの醒めた頭で改めて考えると、色々思うところがあった。 これについて(と思われる)フォロワーのツイートを読んでも、考えさせられるところがあった。 考えをまとめてみようと、ブログに3時間ほど書きまくった。 テーマがややこしいから、話が逸れに逸れて、途中から剣道の話になった。 読み返してみると、「残ったものは良いかどうか」ということに関しては、よく分からなくなった。 しかし剣道のくだりは面白く書けたので、本題は全部削除して、剣道のくだりだけを残した。 考え方の癖 打つが先か、勝つが先か 男谷下総守と島田虎之…

  • 無違考

    論語為政篇、孔子と孟懿子の問答。 孟懿子が問う。 「孝とは何でしょうか」 孔子がお答えになる。 「無違(違ふこと無し)」 この「違うことなし」とは、何に違うことがないというのか。 その帰路、御者の樊遅と孔子の会話。 「孟懿子が私に孝を尋ねた。だから私は『違ふこと無し』と言ったよ」 樊遅が「どういうことです」と聞き返すと、孔子曰く、 生けるには之に事ふるに礼を以てし、死するには之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす。 万事、礼を以てせよということだ。 この章句について、ひとつ思うところがあった。 そもそも、なぜ孟懿子が孔子に弟子入りしたかといえば、父(孟僖子)の遺言による。 昭公七年、孟僖子…

  • 簡易と安易と覚悟のはなし

    ツイッターにつらつらと書いたら長文になった。 ツイッターで長文は読みづらいので、ブログにまとめて記載します。 1.簡易と安易の違いは 1-1.安易な学問 1-2.簡易な学問 1-3.悩みについて 2.覚悟について 2-1.時限り場限り 2-2.「いざ」とはいつか 2-3.覚悟は自分でするもの 3.葉隠にみる覚悟 3-1.死方に片付く 3-2.生方に片付くは腰抜け 3-3.死方に片付けば恥なし 3-4.根本通明先生曰く 1.簡易と安易の違いは 繋辞伝に、こんな言葉がある。 乾は易を以て知(つかさ)どり、坤は簡を以て能くす。 易は容易であること、簡は煩雑でないこと。天道はそういうものだという。 何…

  • 根本通明先生と剣術のはなし

    老子、根本先生、剣術、刀剣、森鴎外、島田虎之助。そういうものを思うままに、ごちゃごちゃと話してみたい。 老子第六十九章のこと 根本先生曰く 先生の鍛錬 根本先生の刀剣趣味 書生に刀を贈る 鴎外に刀を贈る 根本先生と剣術 蛇を斬る 島田虎之助のこと 老子第六十九章のこと 老子は争いを忌む。自分から仕掛けない。 相手から当たってきて、やむを得ず争う。やむを得ず争う中にも、自分からはなるべく仕掛けず、相手の出方によって上手く対処しやっつける。 「行いて行く無し、執るに兵無し」とは、老子第六十九章にある言葉。敵に応じてこちらも進み、兵(武器)を執ることがあるが、どこまでも積極的な気分がない。 根本先生…

  • 食・兵・信の軽重に就いて

    顔淵篇の章句について質問があった。 論語の章句の中でも疑問を抱きやすい所であると思う。私自身、考えを整理するのに良い機会でもある。 そこで、DMで個別にお答えするのではなく、記事にします。 書き下し文と大意 大意 質問の内容 好生は政治の根本 大切な点 孔子の考え 信がなければ経済は成り立たない 農本主義と資本主義 農業にも信 信を棄てれば混乱を極める 立て直しも困難 信を取れば 結論 書き下し文と大意 問題の章句は以下の通り。 子貢、政を問ふ。子曰く、食を足し、兵を足し、民をして信ぜしむ。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、此の三者に於いて何をか先にせん。曰く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已む…

  • 公田先生はなぜ占わなかったのか

    公田連太郎先生の座右の書は、呻吟語であった。 今回は呻吟語のお話しです。 教えの四等級 仮の例え 論語の活用は様々 第一等としての論語 第二等としての論語 第三等としての論語 第四等としての論語 公田先生はなぜ占わなかったのか 公田先生と占い 南隠老師の影響 公田先生の興味 呻吟語に当てはめる まとめ 教えの四等級 呻吟語では、教えの等級を四つに分けている。簡単に書くと以下の通り。 第一等は、自然(為す所無くして為ること)を説く。 第二等は、当然(性分の尽くすべき所、職分の為すべき所)を説く。 第三等は、不可不然(そうでなければならないこと)を説く。是非とか毀誉の話。 第四等は、不敢不然(そう…

  • 訳文筌蹄

    荻生徂徠先生は独学の人である。 父が罪を得て江戸を放逐され、母の故郷に身を寄せた。高名な儒者に弟子入りすることができず、十三年間にわたって独学した。 師がなかったため、何でも自分で調べた。四書大全などは寺から借りた。筆写も随分やったらしい。この辺はうろ覚えだが。 漢字についても色々調べ、メモし、まとめていった。誰よりも漢字に詳しくなった。 江戸に出て私塾を開くと、「漢字を巧みに教える先生がいる」と話題になったとか。 このとき徂徠先生は、自分で作った漢字字典を用いたわけだが、後にそれを弟子が編纂。『訳文筌蹄』という字典ができた。 訳文筌蹄はたいへん良い字書である。どうもしっくりこないとき、訳文筌…

  • 訳文筌蹄

    荻生徂徠先生は独学の人である。 父が罪を得て江戸を放逐され、母の故郷に身を寄せた。高名な儒者に弟子入りすることができず、十三年間にわたって独学した。 師がなかったため、何でも自分で調べた。四書大全などは寺から借りた。筆写も随分やったらしい。この辺はうろ覚えだが。 漢字についても色々調べ、メモし、まとめていった。誰よりも漢字に詳しくなった。 江戸に出て私塾を開くと、「漢字を巧みに教える先生がいる」と話題になったとか。 このとき徂徠先生は、自分で作った漢字字典を用いたわけだが、後にそれを弟子が編纂。『訳文筌蹄』という字典ができた。 訳文筌蹄はたいへん良い字書である。どうもしっくりこないとき、訳文筌…

  • 過ちを見て内に自ら訟むる者は顔回なり

    過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。間違いは是非とも改めるべきである。 当たり前のことで、極く簡単な道理だ。 しかし難しいといえばこれくらい難しいこともない。 改めるというのは、単に姿勢の上だけではない。同じ過ちを繰り返さないようになって、初めて改めたといえる。 そのためには内面的に真剣な努力を重ねる必要があり、これが大変に難しいのである。 過ちを見て内に自ら訟むる 二つの解釈 耳目聡明とは 人を知るは易し 己を知るは難し 顔回の偉さ 孔門中顔回のみ 子貢の顔回評 嘆きと戒めの言葉 顔回を偲ぶこころ 過ちを見て内に自ら訟むる 論語公冶長篇に曰く、 子曰く、やんぬるかな、吾れ未だ能く其の過ちを見て…

  • 続・微生高は正直者か諂う者か

    論語公冶長篇に登場する人物に、微生高(びせいこう)という人がいる。 これは色々と議論の多い章句で、大体のことは以前記事にした。 shu-koushi.hatenadiary.com この記事でははっきりと結論を出せなかったが、最近論語徴を読んで、非常に納得がいった。 そこで再び記事にする。 微生高は正直か 二通りの解釈 批判的な解釈 肯定的な解釈 論語徴の解釈 1.微生高は郷人 2.微生高はご近所さん 3.戯れの言葉 4.この章句の意味 孔門の学風 微生高への教誨 孔子の教育法 相手によって教える 子夏の話 微生高の場合 なぜ直接言わぬか 孟懿子との問答 孔子の真意 樊遅に告げさせる 間接的に…

  • 「狂」ということ

    「狂」という言葉がある。 狂は狂う。狂人といえば頭のおかしい人にも使うから、あまり良い意味とはいえない。 儒学では、狂を良い意味で用いることもあれば、悪い意味で用いることもある。これを混同すると大変な間違いになる。 悪い意味での「狂」 聖と狂の分れ目 聖は敬、狂は怠 孔子の教えとは 孔子の説いたこと 仁とは 人は天から生まれる 太極から天地が生まれる 天地から万物が生まれる 人は万物の霊 善の意味 仁とはどんな徳 先王の道は大仁 孔子の志 良い意味での「狂」 素質としての狂 狂簡は仕立ててこそ 狂の良し悪し 松陰先生の狂 維新の志 切に嘱す 重い重い言葉 桂小五郎のこと まとめ 悪い意味での「…

  • 信を失った者の末路

    儒学では信を重んじる。 信が重要、これは当たり前と言えば当たり前である。しかし当たり前すぎて、なぜ大切かと言われるとよく分からないものでもある。 なぜ信は重要なのか。信を失えばどうなるのか。 信とはなにか 論語の教え 益軒先生曰く 信を失った者はどうなるか 人にして恒なければ 天下に身の置き所がなくなる 信足らざれば… まとめ 信とはなにか 荻生徂徠先生は信を以下のように解く。 信なる者は、行ひ言に爽(たが)はず、符節を合するが若きなり。 (信とは、行動と言語があたかも割符を合わせるようにぴったりと一致することである) 「信」はにんべんに言うと書く。人の言葉に嘘があってはならない。人の言葉はす…

  • 孔子の教えは男尊女尊である

    最近、何かと男女の問題がさわがしい。ツイッターなどでも、そういった発言やニュースをよく見る。 私は、現代の男女の問題について学んだことがない。しかし、儒学を通して男女の関係について考えることも多い。 孔子は男尊女卑ではない。男尊女尊であった。今回はこのことについて書いていきたい。 孔子は男尊女卑か 詩経と女性の徳 邪無し 孔子は男尊女尊である 伯魚への教え 詩を学ばねば話にならぬ 些細な事に学問が現れる 詩で人情を知る 周南召南をやらねば学問は進まない 周南と召南 牆に面するとは 孔子の牆は数仞 周南召南は治国平天下の門 孔子の男尊女尊主義 女子の解釈 孔子の真意は 安井息軒先生曰く 広瀬淡窓…

  • 子路に関する覚書

    先日、久々に弟とお酒を飲んだ。といっても一ヶ月半ぶりくらいに。 大変よいお酒だった。 色々話したが、途中、子路について話すことがあった。 何も準備して話したわけではなかったが、話すうちに子路のことが一層よく分かった気がする。 お酒を飲みながらのことで、そのうち忘れてしまうかもしれないので、ここに書きつけておこうと思う。 きっかけは、「何のために学ぶか」という話になったこと。 自分が話したことを思い出しながら書いてみたい。 俺がなんで学問するかといえば、まあ簡単に言ったら、学問して強くなりたいというのが一番やね。 これは孔子も、「学問するのは強くなるためだ」と言うとる。 学問したら強くなるのが道…

  • 孔子廟のこと

    先日、ハノイの孔子廟を訪ねた。現地の言葉では「文廟」という。 廟というものに初めて足を踏み入れ、色々と勉強になることもあったので、ここにまとめておく。 廟は祖先や個人の霊を祀る場所。文廟では孔子を学問の神様として祀る。 特に「宗廟」という場合、祖先を祀る廟を指す。天子・諸侯・大夫・士はそれぞれ決められた数の廟を建てて祖先を祀る。これは孝経を読んでも良く分かる。 宗廟には様々な礼があるが、第一には祀る者の配置である。ここには厳格な順序がある。 中庸に曰く、宗廟の礼は昭穆を序する所以なり。 宗廟の礼、つまりご祖先を正しく配してお祀りすることには、世代の別を明らかにする意義がある。 天子は七廟、諸侯…

  • なぜ長生きすべきか

    あけましておめでとうございます。 今年も昨年同様、気の向いた時にブログを書きます。 よろしくお願いします。 さて先日の話。 野見山曉治という画家の展覧会に行った。この人は私と同郷の人で、炭鉱経営者の子であったという。だから初期の作品には炭鉱を描いたものがある。炭鉱夫の苦労をまざまざと描いた絵も観た。 私の家系も炭鉱である。父方は会社の方、母方は炭鉱夫の方。母方の祖父は寡黙な人で、炭鉱の辛い話を一度も聞いたことがない。 母の話では、北陸の方から九州へ流れてきたらしい。無学であったが、命を削りながら炭鉱で働き、多くのお金をもらい、若くして家も持った。 祖母はこの祖父と再婚した。私の母は祖母の連れ子…

  • 天とは何か

    論語里仁篇にこうある。 仁者は能く人を好(よ)みし、能く人を悪(にく)む。 (仁者は好むべき人を好み、悪むべき人を悪む) この章句については以前もブログに書いたが、あれは考えが足らなかった。 天というものをよく分からずに書いたから、つまらない内容であったと思う。 今も天が分かったとは言えないが、以前よりは分かるようになった。 天についてよく考えながら、再び書いてみたいと思う。 天を考える 天とは何か 元と仁 天に吉凶禍福なし 仁者にも吉凶禍福なし 仁者に差別なし 地の徳を考える 地の徳は空虚・消極 地の徳と君子の修養 地の徳を体する 易で論語が分かる 天を考える この章句もそうだが、孔夫子の言…

  • 「立つ」とは何か ―孔夫子三十の境地―

    儒学をやっていると、志について考えることが多い。 孔夫子の志はどこにあったか、またその志によってどのように人格を形成していったか。これを深く考えていくと、論語の読み方が正しくなるように感じる。 いくつか気づくことがあったので、簡単にまとめてみる。 道に志し、徳に據る 孔夫子の志 徳に據って立つ 「立つ」とは 雷天大壮 気力が弱ければ道から外れる 若者が政治に関わる是非 潜龍勿用 一人前になる 孔子の言葉は油断がならぬ 道に志し、徳に據る 論語述而篇にこうある。 道に志し、徳に據(よ)り、仁に依(よ)り、芸に游(あそ)ぶ。 そもそも「志」は心の志向するところをいう。「こころざし」の『ざし』は「ま…

  • 微生高は正直者か諂う者か

    面白いツイートがあった。論語公冶長篇、微生高(びせいこう)に関するもの。 たしかに、この章句の解釈は難しい。孔子の真意がどこにあるか見えにくい。 ひとつ、私なりに考えてみたいと思う。 微生高は正直か 主な解釈 前章と絡めて解く 伯夷と叔斉の人物 微生高を責める解釈 微生高を誉める解釈 直躬之直とは 人情を離れては信もなし 微生高は直躬之直ではない 伯夷叔斉との共通点 直不必美徳 解釈が定まらない 「名を竊む」は酷 理想的な対応は 案外鈍かったか まとめ:分からぬで良い 微生高は正直か この章句は以下の通り。 子曰く、孰(たれ)か微生高を直(ちょく)と謂ふ。或ひと醯(けい)を乞ふ。諸を其の鄰に乞…

  • なぜ君子は争わぬか

    論語八佾篇に「君子無所争」とある。 君子は争わないという。 分かりそうで分からない、分かる気がするが腑に落ちない。そんな気分が常にあった。 しかし今日、ようやく腑に落ちた。 私自身の考えをまとめるためにも、記事にする。 君子無所争 君子は礼を重んじる 射とは 弓射の作法 分かりにくいところ 「射」に注目する 一般的な意味 「身+矢」から「身+寸」へ 礼儀の重視 射を競うとは 詩経の示唆 四黄既駕 両驂不猗 不失其馳 舎矢如破 君子に礼儀あり、礼儀あれば争わず 君子無所争 この章句は以下の通り。 子曰。君子無所争。必也射乎。揖譲而升下。而飲。其争也君子矣。 子曰く、君子は争ふ所無し。必ずや射(し…

  • 骨を折ること

    「骨を折る」という言葉がある。苦労を厭わないことである。 骨折り損のくたびれ儲けなどという言葉もあるから、骨を折るといえば嫌なことのように思われる。 私は、骨を折るという言葉がなんとなく好きであった。 最近、晋の文公重耳のことを調べていて思う所もあったので、記事にする。 「骨を折る」ということ 鉄門の荒稽古 立ち切りの様子 禅の苦しさ 昔の人は骨を折った なぜ「骨を折らねばどうもならん」か 剣法の極意とは 郭偃曰く 教えるところは同じ 文公の骨折り 骨折りを嫌った夷吾 骨を折ると折らざると 骨を折らねば仁もなし 「骨を折る」ということ 公田先生の先生は根本通明先生と渡辺南隠老師であった。 南隠…

  • 小人への対し方

    以前、DMで質問を受けた。 小人に腹が立つことが多いが、どうすればよいかという質問であった。 私なりに例など用いてお答えしたが、十分ではなかったと思う。 その後も1ヶ月ほど色々考えて、ある程度満足できる結論に至った。 質問と答え 質問 回答 なぜ気にしないのか 新たな気づき 元は一ということ 君子を志して小人になる理由 そもそも小人とは 君子の儒と小人の儒 孔夫子が悪んだ小人 小型の小人を悪まず 大型の小人を悪む 現代の小人も同じ 君子のこころ 南隠老師の話 韋応物『幽居』 まとめ 質問と答え 質問 質問の内容を簡単にまとめると、以下の通りである。 小人、私利私欲、自らのことしか頭になく、自己…

  • 子路が恐れたもの

    人から評価されること、良い評判がたつこと、名声を得ること。 このようなことについて、儒学ではどう考えるか。 高く評価され、名声を得ると、それなりにお金なども入ってくる。 それ自体は悪くない。受け取って良いし、受け取るべきである。 義があって利を得るなら何も悪いことはない。むしろ、義があるのに利を避けるのは不自然である。孔夫子は、利を見ては義を思え、取るべき(義)ものは取れ、取るべきでない(不義)ものは取るなと仰った。 不義の利が悪いのである。10の仕事に対し15の利益を取るのは不義であって、悪い。 身の丈に合わない評価を受け、実際以上の名声を得ることも不義である。 それを特に恐れたのが子路であ…

  • 徳とは何か

    儒学では、よく「徳」ということを云う。 徳について、誰でもなんとなくイメージを持っているものだが、改めて「徳とは何か」ということを考えると、いまひとつピンと来ない。 当たり前すぎて、あれこれと考えることがないから、分るようで分からない。 しかし、これをあいまいにするのではなく、はっきりと知っておくことで儒学の物の見方・考え方が一層よくわかる。 徳得也 孟子曰く 中庸に曰く 崇徳とは 徳を崇くする法 循環で崇くなる 進徳修業 四十で憎まれるようでは終わり リンカーンの話 まとめ 徳得也 まず、徳は得と通ずる。徳、得也。徳とは得ることである。 もちろん、仁義礼智信といった徳は天からいただいたもので…

  • 愛について

    ツイッターのDMにて、質問を受けた。 問答の流れで、特に「愛」ということを考えた。 これまで、仁についてはしばしば触れてきたが、愛にはあまり触れてこなかった。 これは、愛は仁に内包されるもので、仁がわかれば愛も分かるからである。 しかし、仁と愛を一つとする見方、また儒学における愛の考え方について、疑問を抱く人も多いのではないか。 仁や愛という大きなものを知るのに、参考くらいにはなると思うので、DMの文章をそのまま(目立つ乱れは整えて)ブログにする。 多少忙しかったこともあり、十分に書けなかった部分もあるため、その点も追記したい。 敬天愛人とは何か 天を相手にすること 天を敬うとは 敬天と愛人は…

  • 肩こって学問進む

    曲礼に曰く、立つに跛(ひ)すること毋れ。 跛は偏ること。立つに跛すること毋れとは、片足に重心を預けて立ったり、(壁に寄りかかるなどして)片足で立つなということ。 立毋跛、これは簡単な教えである。何も難しいことはない。早くから実践してきた。 こういう教えがあるから、儒教は小さなことをあれこれやかましい、窮屈であると思う人も多い。 しかし今日、立毋跛が含む教えが極めて大きいことを悟った。 1.潜在的な関心 2.礼を考える 2-1.立毋跛はなぜ悪い 2-2.礼は敬なり 2-3.礼と法の違い 2-4.為政篇に曰く 2-5.日常の心掛け 2-6.君子は独りを慎む 2-7.立毋跛が含むもの 3.肩こりを考…

  • 机上の空論に陥らぬために

    先日ツイッターにて、孔孟の思想は机上の空論ではないか、という発言を見た。 孔子は実践を重んじた。机上の空論であることを嫌った。 しかしよくよく考えると、机上の空論に陥りやすいことも事実であり、机上の空論で満足する者、いわゆる口舌の徒も大勢いる。 実践を重んじる学問をやって、机上の空論で終わってしまう。これはなぜであろう。色々考えてみた。 なぜ机上の空論になるか 小を積んで大を成す 土地を知るには 地図だけで考えると間違う 地道に歩き回る 土地を知る順序 机上の空論を避けるには 「切に問う」とは 司馬遷曰く 切に問うた孔夫子 切に問うて近く思ふ 仁其の中に在り 博学と活殺 仁も不仁も志に由る 子…

  • 儒学的文章についての覚書

    筆写していて、ふと思った。私の書く文字は、一文字一文字ではそれなりに納得できても、一枚書き上げてみると、どうも汚い。 なぜであろうと考えた。すると、漢字と平仮名の書き分けを意識せず、どちらも同じ気分で書いているから悪いのだと気づいた。 漢字と平仮名で陰陽があるではないか。もちろん、こんなのは当たり前のことだが、別に意識したことはなかった。毎日毎日筆写しながら勉強して、その筆写ということに、陰陽の別を何ひとつ見出してこなかったわけだ。 初めて気づいて、色々考えてみた。日本語を書くにあたっては、陰陽を意識すべきではないか。単に日本語を筆記するという意味でも、日本語を以て文章を編むという意味でも。 …

  • 革命の是非

    中国の歴史には度々「革命」ということがある。 孔子は革命についてどうお考えであったか。 論語には、革命について明確に述べた文章がない。少なくとも、孟子ほどにはっきりと、「徳がなく、民を苦しめるような者は討ってよい」といったことは仰っていない。 ブログで何度か書いたことだが、孔子は革命を肯定しなかった。否定的であったともいえないが、肯定的ではなかったと私は思う。 これまで、そう思う理由を詳しく述べたことがなかったので、ここで簡単にまとめておきたい。 論語八佾篇に曰く 韶とは 舜は善美を尽くす 武王は善を尽くさず 湯王、桀を討つの乱 天道天理とは 仁と五倫 湯王の自覚 武王、紂を討つの乱 武王の大…

  • 性善説に関する追記 / 独学について思うこと

    以前、性善説と性悪説について書いた。 今回はその追記と、最近考えたことについて。 性善説のこと 益軒先生曰く 伊川先生曰く 独学について 孔子を師とする 陰陽相和すること 独学の弊 柔に学び剛に考える 孔子を師として 性善説のこと 見方によって性善説にもなるし性悪説にもなるが、しいて言えば孔夫子は性善説であったろうと思う。 そう思う理由について、私なりにひとつのたとえ話をした。 shu-koushi.hatenadiary.com 植物の種には生育発展すべき本性がある。 適切な土地に播種し、水や肥料をやり、気候にも問題がなければ必ず芽が出て実を結ぶ。これが種の持つ本性であって、仁もこれと同じい…

  • 酔中独言:義弟のこと

    独りでお酒を飲みながら、過去の写真を見ていた。 あまり写真は撮らない。ちょっと上にスクロールすると、すぐ1年以上前になる。 サーッと上に行くと、6年前、弟と遊んだ時の写真が出てきた。クリスマスの日、男二人で昼から飲んだときのもの。 弟は私と違って器用な奴だから、私を招くに当たって用意周到。その夜に飲むお店もきちんと予約していた。 私は気が急く方だ。夕方から予定があるなら、その日の午前中からソワソワするし、だいぶ早く到着して時間を持て余す。 その日も昼頃には到着。お店の予約は当然夕方からであったから、駅で落ち合い、ラーメン屋で飲んだ。餃子にビール。 時間を潰して居酒屋へ。何を食べたか、ひとつも覚…

  • 日々どれくらい勉強すべきか

    質問をいただいた。 質問箱に書ける文字数は2500文字が最大らしい。 超過してしまったので、ブログでお答えします。 質問の内容は以下の通り。 例えばきっかけをつかむために、まずは5分や10分から始めるというなら、大いに結構だと思います。いきなり何時間もやるのは難しいでしょうが、続けるうちに1日1時間でも2時間でもできるようになります。 あるいは、時間があれば5分でも10分でもやる、というのも良いでしょう。実際の学習量は、5~10分よりずっと多くなるはずです。 これらの場合、積極的な姿勢で5分10分を学ぶのですから、大変良いと思います。 しかし、同じ5分10分でも、消極的な姿勢を以てするならば悪…

  • なぜ儒教では婚礼を重んじるか

    近思録に関する質問をいただいた。 これは、なかなか難しい問題である。儒学が男女の礼、婚礼をどうとらえるか、ここが分からなければ混乱する。 実際、質問者は「これは不仁ではないか」と疑問を抱いている。 極く基本的なことから、詳しく解説してみたい。 節について 節操は本 節とは 婚礼の重さ 婚礼は礼の始まり 婚礼は本 夫婦の象は「恒」 夫婦の節を守ること 夫婦節を守って天下平らかなり 寡婦の出ぬ仁政 寡婦が困窮しない政治 王者の感化で寡婦が減る 明君の「好生」 寡婦が困窮しない まとめ 苦節は悪い 現代でも婚礼は大事 節について 寡婦とは、普通「夫を失い(先立たれ)、再婚していない女性」を指す。 広…

  • 礼とはなにか

    礼について質問を受けた。 質問は以下の通り。 質問者は「礼=作法・法律」と解釈している。これも間違いではないが、この見方に偏るならば現代的な解釈であって、礼の本質がわからなくなる。 本人が仰る通り、極く初学者向けにお話しする必要があるように思う。 できるだけ細かい話は避け、なるべく簡単にお話ししてみたい。 根本的な部分はくどいくらいにお話しすることになるかと思う。 そもそも礼とは 礼の形は大小色々 礼に立ち返るとは 礼は人を尊ぶ 内部の礼も外部の礼も同じこと 徳はひとつで考える そもそも礼とは まず、もっとも基本的な部分をお話ししたい。 礼とはなにか。極く簡単にいうと、「人が人として為すべき行…

  • 無窮を考える

    今回も、質問への回答。 質問者は、現在近思録を学習中とのことで、以下の質問をいただいた。 近思録を元にした質問ではあるが、これは論語子罕篇に関する問答である。 論語の本文を見ながら考えていきたい。 伊川先生曰く 論語の本文 伊川先生の解釈 無窮の歩み 本当に「知った」といえるか 順序を考える 順と逆 順序を守らぬは怠り 順序を守らねば徳を損なう 道の本体とは 君子終日乾乾、夕惕若 怠りの弊 真面目と不真面目 道は無窮 まとめ 伊川先生曰く 質問にあるのは、程伊川先生と門人の問答である。書き下し文と訳は以下の通り。 子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如くなるか、と。道の体の此の如くなるを言ふ…

  • 論語の建て前

    先日、以下の質問に対して、①だけお答えして②③は後日、とした。 shu-koushi.hatenadiary.com この質問は、ロシアのウクライナ侵攻を受けたものであったという。 あまり触れたくない内容ではあるけれども、再度考えてみたところ、やはりお答えすべきであったと思う。 特に、「暴力には暴力で」という考え方は危うい気がします。 論語の建て前 孔子の慎み 怪力乱神を語らず 怪を語らず 力を語らず 乱を語らず 神を語らず 戦について 斎を慎む 疾を慎む 戦を慎む 権道を考える 権道とは 孔子と権道 権道に拠らねば無道 中人の権道は誤る 孔子の慎みを思う まとめ 論語の建て前 まず前提として…

  • 報われない努力について

    以下のような質問を受けた。 努力が報われぬ不幸について、である。 質問を受けてから。随分と日が経ってしまった。 ①はすぐにでもお答えできたが、②③に向かい合うのに時間を要したためである。 このような話題は、書きたくありません。 私の場合であれば、親や兄弟が凶事に見舞われた場合を想定するのであって、考えていると胸がムカムカして気持ち悪くなってくる。中々、文章を書くどころではない。 したがって②③については、簡単にお話しできる機会を待つとして、とりあえず①だけお答えします。 陳蔡の災難 暗君・霊公 軍事にも通じた孔子 孔子の去就 陳蔡に窮する 七日食わず 子路の慍り 子路を諭す 仁者・智者も窮する…

  • 志を考える

    儒学ではよく「志」ということがいわれる。志とは何か。 今日、これを色々に考えていた。なんとなく見えてきたものがあるので、考えをまとめながらこれを書いていきたい。 ごく普通の意味からいえば、志とは心の動き、向かうところである。「志向」というが、この意味である。 論語に、「父在せば其の志を観る」とある。 父の心の向かうところを、言葉に出さぬでも汲み取って良きに計らう、それが子たるの道である。 ここの「志」は、単に心の動き、方向の意味である。 一般には、志といえば願望・宿願、もっと言えば夢といった意味に用いられる。 「少年よ大志を抱け」の「志」はこれである。 この志も、心の動き・方向で考えるならば「…

  • 目を保つ良法

    視力の低下に関するツイートを見た。 学者はたくさんの活字を読む。毎日毎日、長時間読む。すると眼が疲れる。 最近はパソコンやスマホなどの機器で文字を読むことも多い。単に紙の本を読むより目が疲れるだろう。 そのような生活を続けて年を取ると、目が見えなくなる。失明に近い状態になる人もいる。 すぐに思いつくのは、大漢和辞典を編纂した諸橋轍次先生である。 無理を重ねた結果、右目を失明、左目も光を感じるだけ、といったほどに悪くされた。 学問する者は、視力の低下をある程度まで受け入れる必要があるだろう。 しかし、視力が低下すれば生活が不便だ。私も極端に悪く、眼鏡なしでは生活できない。 また、失明は恐ろしい。…

  • 性善説と性悪説

    儒学では、性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)がしばしば問題になる。 孟子や荀子を読み、どちらが本当であるか迷い、孔子はどうであろうかと論語をひもとく。 しかし論語の教えは、性善説とも性悪説とも断じかねる、どちらとも取れる言葉が多く、ますますわからなくなる。 性善説・性悪説のどちらが正しいか、これは結局のところ視点の違いで、考えようによってどちらでもあり得る。 しかし私は、強いてどちらかといえば論語の説く所は性善説であると思うし、孔子はそのようにお考えであったろうと思う。 だから私は、性善説に賛成である。 性善説・性悪説に関して質問を受けたことでもあるし、今回はこれを考えてみたい。 …

  • 下学して上達す

    論語を読む際に気を付けたいのは、何を材料に教えているか、あるいは教える相手が誰であるかによって、教え方が変わることである。 特に、結局は同じことを教えていても、弟子の性格や学問の程度によって教え方が異なり、矛盾していると思われるものもある。 もちろん、距離的にかなり遠いと思える教えもある。 これはこれで疑問になる。 孔子の道は一以て貫く、ならばこの開きはどう解するべきか、という疑問が起こってくる。 今回は、そのことについてお話しします。 弟子の戸惑い 質問への回答 未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん 我を知る者は其れ天か 再び質問へ 易のことは別の機会に 弟子の戸惑い 教えに矛盾が起きることにつ…

  • 短気は学問で治るか

    質問箱で、面白い質問をいただいた。 こんな質問である。 孔子も怒る 君子は争ふ所無し 短気は学問で治る 孔子も怒る 質問に「孔子は怒らなかった」とあるが、これは間違いだろう。孔子も怒った。ただ、怒るべき場合にだけ、怒るべきように怒った。 八つ当たりのように怒ることはなかった。 100怒るべきところで50しか怒らなかったり、200も怒ったりすることがなかった。 これが中庸(ちゅうよう)であり、聖人の偉さである。 このことについては、以前も書いたことがある。 shu-koushi.hatenadiary.com 勘違いされやすいが、どんなことにも全く怒らないのは中庸ではない。 喜怒哀楽を表さずにい…

  • 一以て之を貫く

    孔子に発する儒学の体系は時代と共に広がった。特に朱子の影響が大きいように思う。 それらを広く学んでいくと、結局何が大切なのか分からなくなる。 朱子学から入ると、特にこの傾向が顕著になる気がしている。 最も大切なのは孔子の言葉であり、論語である。 「儒学とは結局何が大切か」これを知るには、論語において孔子が「私の道はこうである」と断言したことについて、深く理解する必要がある。 孔子がそのように仰った章句が里仁(りじん)篇と衛霊公(えいれいこう)篇にあるが、今回はツイッターで受けた質問もあるし、里仁篇を取り上げる。 一以て之を貫く 一貫した教え 曾子という人物 「唯」とは 忠恕で貫く 「一」の意味…

  • 仁と礼楽

    仁と礼の関係について質問を受けた。 今回は、八佾(はちいつ)篇の章句を取り上げる。 八佾第三より 論語の読み方 一般的な解釈 仁と礼楽の関係 季孫と八佾の舞 下にして上を侵すは不仁 「如何せん」 私の解釈 質問への回答 八佾第三より 今回取り上げるのは、八佾篇の以下の章句である。 子曰く、人にして不仁ならば礼を如何(いかん)せん。人にして不仁ならば楽を如何せん。 論語の読み方 論語を読む場合、孔子がどのような場面で教えを垂れているかを考えることが大切と思う。 ある章句を考えるとき、それを単体で考えるだけではごく表面的な見方しかできない。曲解に陥る危険もあるだろう。 論語の一部分だけを摘まんだ要…

  • 孝経講話02 開宗明義章第一 章の大意、経書の読み方

    前回、序文として、孝経を理解する上で妨げになっていると思われることをいくつかお話しした。 孝経講話 序文 - 噬嗑録 今回からさっそく本文に入っていく。 章の大意 経書の読み方 論語 大学 易経 その他 開宗明義章の大きさ 章の大意 孝経の第一章は「開宗明義(かいそうめいぎ)章」である。 この章の内容は、「開宗明義」の四文字にて分かる。 開・・・ひらく、明らかにしてゆくこと 宗・・・むね。もと、根本、主なること 明・・・あきらかであること 義・・・ことわり、意義 開宗は、根本を明らかにしてゆくこと。 明義は、開宗によって意義が明らかになること。 開宗明義は、孝の根本を明らかにすべく説き、そして…

  • 孝経講話 序文

    これから、孝経(こうきょう)についてお話ししようと思う。 本文に入る前に、孝経を読むにあたっての心構えをお話しする。 もっとも、孝経は哲学的な内容を述べたものではなく、むしろ簡単なものである。難しいと感じる人もいるが、難しいものではない。身構える必要もない。 ただ、理解の妨げになる原因が二つ三つ考えられるので、それをまずお話ししたい。 理解の妨げ 忠と孝の関係 孝が忠より重くなった 本来は忠孝両全 当たり前の道徳 人間であって禽獣ではない 灯台下暗し 理解を深めて孝を為すべし 孝は古い道徳ではない 道徳は恒なり 孝が廃れた 理想論で片づけるなかれ 理解の妨げ 孝経は、いうまでもなく「孝」を教え…

  • 知らざるを知らずと為せ

    論語には、一般にもよく知られる言葉が少なくない。 以下の為政篇の章句もその一つである。 子曰く、由(ゆう)、女(なんぢ)に之を知るを誨(おし)へんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。 この章句について質問も受けたので、今回はこれを取り上げる。 子路の性格 孔子の誨え 「誨える」とは 知っていることは知っている 知ったかぶりを叱られる 知らざるを知らずと為せ 仲尼閑居して子路侍せり 健全な学問のために 質問への回答 子路の性格 この章句を理解する前提として、子路(しろ)という人がどのような性格の人であったかを知っておく必要がある。 子路といえば、孔門三千人の弟子の…

  • 論語と孟子の関係について

    ツイッターで論語に関する質問を募集したところ、さっそく以下の質問が寄せられた。 伊藤仁斎先生の論語古義では、 「孟子七篇の書物は論語の註釈である。だから孟子の意味が分かって初めて論語の意義を明らかに出来る。」 とあります。 この仁斎先生の意見に対してのお考えをお聞かせください。 論語古義は未読であるので、この部分(訳)だけを読んで思うところを率直に述べてみる。 仁斎先生の意見はその通りと思う。 しかし、考え方の向きによって、解釈を大きく誤りそうな感じもする。 訳が不親切ではないかと思う。 「孟子の意味が分かって初めて論語の意義を明らかに出来る」の解釈には、 孟子が分かれば論語も分かる 孟子さえ…

  • 筆写の方法を詳細に

    ツイッターで交流のある数人の方が、筆写に取り組んでいるという。 筆写は私にとって唯一にして最高の方法なので、その方たちの取り組みも「大変良いこと」と思う。 以前、筆写について聞かれた際には、あまり詳しくお話ししなかった。 質問した人が筆写に取り組むことを想定していなかったからだ。 しかし、今やそうではない。 筆写に取り組むうえで大切なこと、特に健康面への配慮、そのための環境づくりや道具選びなどを詳しくお話ししようと思う。 なぜ筆写するか 筆写は体を悪くする 腱鞘炎 筆写が続かない理由 道具選びと環境づくりで筆写は続く 道具篇 紙 厚みがある 引っかかりが少ない 他とは違う実感 使い分け ペン …

  • 孔子の理想とする「よろこび」とは

    「よろこぶ」という漢字を色々調べていると、大変面白い気づきがあった。 この漢字を知ると、論語がもっとよく分かる。 君子のよろこびがどんなものであるか分かる。 色々気づいたことが消えないうちに書いている。 書きながら気づくこともあろう。 ごちゃごちゃとした文章になるかもしれない。 喜・悦・説 悦は説なり 楽は説びより大きい 自分一個の小さなよろこび 説びの往来とは ひとつの気づき 往来を楽しむ 説びの往来にも尊卑あり 徳があれば説びは往来する 無口な西郷さん 西郷さんの偉さ 偉くないのが偉い 西郷さんの説び 由らしむべし、知らしむべからず 徳があれば説びは往来する 理想は慶び 慶びとは 易経の教…

  • 詩を学ぶは、心の動きを知るにあり

    今年は詩経を学んでいる。 たいていは論語について記事を書くが、今回は思うところもあって、詩経のお話。 毛詩とは 本文 序 第一章 第二章 第三章 解釈 第一章 出自北門 北門より出づ 憂心殷殷 憂ふる心殷殷たり 終寠且貧 終に寠にして且つ貧なり 莫知我艱 我が艱を知る莫し 以下三句 第二章 王事適我 王事我に適く 政事一埤益我 政事一ら我に埤益す 我入自外 我外より入れば / 室人交徧讁我 室人交々徧く我を讁む 以下三句 第三章 王事敦我 王事我に敦し 政事一埤遺我 政事一ら我に埤遺す 我入自外 我外より入れば / 室人交徧摧我 室人交々徧く我に摧る 以下三句 詩を学ぶは、心の動きを知るにあり…

  • 組織は人材をいかに遇するべきか~孔子が斉を去った理由~

    何日か前、こんなニュース記事を見た。 www.itmedia.co.jp これに対し、「やりがい搾取」などとして、ツイッターで酷く叩かれていたようだ。 孔子なら、この問題をどうお考えになるだろうか。 孔子の逸話や言葉から、私なりにこの問題を考えてみたい。 景公の手厚いもてなし 微子第十八 章句の意味 「待」の解釈 魯の三桓とは もうひとつの狙い 私的解釈①:厚遇の背景 私的解釈②:不仁を犯さぬため 賢君は賢を尊び不肖を賤しむ 留まれば乱をもたらす 私的解釈③:賢を尊ぶも用いざるは非礼 詩経に曰く 文武両道の賢人 君公の非礼 まとめ 景公の手厚いもてなし 組織に仕えることについて、孔子は色々な言…

  • 「朋有りて遠方より来る」の戒め

    以前「学びて時に之を習ふ、亦た説ばしからずや」について記事を書いた。 shu-koushi.hatenadiary.com ずいぶん間が開いたが、今回はこれに続いて 朋(とも)有りて遠方より来る、亦た楽しからずや。 について書く。 大まかな解釈 前回の内容 朋友とは 学ぶと朋友ができるわけ 「遠方より来る」で深める 近所はもとより 狂簡は理想ではない 近きが先、遠きは後 近くから遠くへの理想 私の解釈 まとめ 大まかな解釈 この章句は、以下の三段から構成されている。 ①学びて時に之を習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。 ②朋有りて遠方より来る、亦た楽しからずや。 ③人知らざるを慍らず、亦…

  • 好学考

    先日ツイッターで、論語に関する質問をいただいた。 「好学」に関する質問である。 私自身、新たに気づくこともあり、ありがたいことだった。 質問は、以下の通りである。 『論語』学而編の「子曰く、君子は食飽かんことを求る無く、居は安からんことを求る無く、事に敏にして言を慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂ふ可きのみ」という文なのですが、孔子はなぜ食住を欲しないことを君子の条件に上げているのでしょうか。やはり世俗の欲求が強いと、孝悌を思う気持ちが薄れてしまうからでしょうか。 鋭い質問と思う。 また、漠然とした質問をポンと投げかけるのではなく、「自分はこう思うが、どうか」とあるのが良い。 どこで戸惑って…

  • 宰我昼寝考

    孔門十哲の一人で、言語に優れているとして子貢と並んで挙げられた人物に宰我(さいが)(宰予(さいよ))がいる。 今回は、宰予の昼寝について考察する。 宰我について 孔門の問題児 心酔する宰我 子路との違い 宰我の悪いところ 宰我の剛情さ 孔子は怠惰を嫌った 真面目な弟子を評価した なぜ顔回は愛されたか 心が通い合う師弟 孔門の隆盛と師弟愛 それぞれ異なる教育方針 宰我が昼寝で叱られた理由 本文 諸説紛々 私的解釈 宰我について 十哲に入るくらいだから、優れた人物に違いない。 しかし、論語からは全くそれが見えてこない。 孔門の問題児 とにかく、いいところがない。 哀公を煽って叱られたり、 三年の喪…

  • 私の先生

    私の先生は・・・ 小杉放庵の書簡 地蔵さまが好き 地蔵さまに倣った公田先生 在野を貫かれた公田先生 学者ではなく学生 地位・肩書は関係ない 学究ではなく求道を 私の先生は・・・ 私の先生は、公田連太郎先生である。 もちろん、たくさんの人から学んできた。 孔子にはたくさん学んできたし、儒学徒ならば当たり前である。生涯にわたって教えを乞うだろう。 古い時代の聖人賢人には、尊い先生がたくさんおられる。 公田先生を教えられた根本先生は、先生の先生であるから大先生(おおせんせい)といえる。 色々な先生がいていいと思うし、それがまともであろうし、優劣をつけるのでもない。 しかし、小倉鉄樹翁が「おれの師匠は…

  • 鮮血淋漓の学問がしたい~古写本論語の重要性~

    論語には、色々な本がある。 もちろん、元はお弟子たちが作った唯一のものがあったが、長い歴史の中で様々なものが生まれた。 中には意味が通じないものや、解釈の疑わしいものがあるから、儒学を学ぶうえで障害になりやすい。 ではどうするか。 一冊にこだわらず、色々な人の解説した論語を読んでみるのが良い。 特に、日本の古写本論語(こしゃほんろんご)を底本にしたものを読むと、驚くほど理解が進む。 論語の問題点 誤写が生じる 戦禍に見舞われる 散逸しやすい性質 長い歴史の中で混乱に陥る 古い写本を学ぶべし 古写本論語とは 日本伝来以降の中国論語の混乱 古写本論語の純粋性 古写本論語で蒙を啓く 古写本論語で理解…

  • 「士」に関する問答

    ツイッターをやっているが、さほど意味を見出していない。 勉強などしていて、深く感じるところがあると書く。 ほとんど独り言のようなもので、誰かに意見を求めるでもなく、自分で感じたままに書いている。 理解を促そう、人にもわかってもらおうといった意識は薄く、誰かに疑問を呈されることを前提としていない。 数日前にツイッターで発言した内容について、思いがけず質問をいただいた。 自分では全く疑問のないことばかりツイートするが、そこへ疑問を投げかけられ、再度よく考える機会を得た。 興味深いやり取りであったが、発言が切れ切れになるツイッターではまとまりが悪く、言い尽くすことも難しい。 自分なりにまとめておきた…

  • 時習と喜び

    論語には有名な言葉がたくさんある。 通読したことがない人でも、しばしば論語の名句を知っている。 そのひとつが、論語の冒頭の章句、「学びて時に之を習う」である。 子曰く、 ①学びて時に之を習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。 ②朋(とも)有りて遠方より来る、亦た楽しからずや。 ③人知らざるを愠(いか)らず、亦た君子ならずや。 原書では①~③をまとめて一つの章句とする。 しかし、この章句は大変重要なものであり、下手に要約などすると却って本意を損なう。 それを避けるため、まずここでは①を取り上げる。 師について学ぶべし 師につかず学ぶは例外 学問が捗らない 曲解に陥りやすい 現人に教えを請わぬ…

  • やりたいこと

    私には、明確な人生計画がない。 そういったものを立てたところで、天命と異なれば実現には至らない。 まだ天命の自覚がない。ならば計画はなくて当然であって、極く自然なことと思っている。 漠然とした理想はある。 住むならば田舎の平屋で、山の麓が良い。 周囲に人がいない、ぽつんとした一軒家が良い。 自動車もほとんど通らず、鳥や虫の声、雨の音、木々が風に吹かれる音などがよく聞こえるのが良い。 庭は広いのが良い。家庭菜園にしたい。 自分で食べるためにも野菜を作るが、食べるよりずっと多く作る。 それを食べに、山から鹿や猪が来るようなのが良い。 粟や稗、黍なども作り、実ったら庭に散らかしておく。鳥がやってくる…

  • 儒家と菜食主義

    ツイッターで、菜食主義に関する発言を目にすることがある。 菜食主義については、数冊の本を読んだだけで、それほど多くの知識はない。 また、私は肉が大して好きなわけではない。 もちろん、食えば美味しいと思う、嫌いでない。 強いて肉を食べなくても困らないという程度で、強いて避けようともせず、菜食主義とは遠い。 これまで、菜食主義についてあまり深く考えたことがなかったが、良い機会なのであれこれ考えてみる。 儒教に肉は欠かせない 祭礼と肉 肉を捧げるは毎朝のこと 夜も肉を捧げる 大きなお祭りは肉も豊かに 神様のお下がりをいただく 菜食主義になりえない 喪中の肉食 肉食は体を養う 動物の命をどうみるか 仁…

  • 克己復礼にみる孔門の気骨

    論語の有名な言葉に「克己復礼(こっきふくれい)」がある。 論語を読んだことがない人でも、この言葉は聞いたことがあるのではないか。 克己し、復礼し、仁に至る。 最近、このことをあれこれ考えていた。 自分なりに結論を得たので記事にする。 顔淵の問い 入門当初の問答か 克己とは 己とは 克己は克身なり 欲望は身に起こる 仁とは天稟の精神 復礼とは 礼は自ら復るもの 復礼はどうするか 礼で防ぐ 孔門の気骨 復礼の厳しさ 非礼から目を背けぬ ツイッターの真価とは 顔淵の問い 論語顔淵篇の冒頭で、顔淵(がんえん)が孔子に問う。 「どうすれば仁になれるでしょうか」 孔子は、 「己に克(か)ち、礼に復(かえ)…

  • 牛のけつ

    儒学をやっていると、なにぶん古い時代のことであるから、色々なことについて「果たしてそれは事実であったか」という問題が出てくる。 例えば、舜(しゅん)が実在したかどうかを問題にする人がいる。 このようなものは儒学の本質にはあまり関係のないことだが、とかく問題にしたがる人がいる。 以前、私もこれを意識しないではなかった。 そういう人を「牛のけつ」という。 明治の禅僧に南隠(なんいん)という人がいる。 公田連太郎先生はこの人に禅を学ばれた。 公田先生は若いころ、漢学を根本通明先生に、禅を南隠禅師に学ばれた。終生この二人を師と仰ぎ、晩年に至っても先生の書斎には根本先生・南隠禅師の写真が掲げてあったとい…

  • ブログの更新頻度について

    ブログに対する姿勢を改めることにした。論語を読んでいて、今の書き方は正しくないと思ったのだ。 これまで、ともかく書くことが大切と思って、そこそこ良いペースで書いてきた。 しかし、学んださきから書きまくるのは、軽率な気がしている。深く考えず、咀嚼するのを待たずに書くのだから、重厚な文章にはならないだろう。 大いに積み重ねて、そこから小出しにするような書き方をしたい。厳しく考え、自分で「このことは書いて良い」と思ってから書くようにしたい。 そう考えると、あまり書けることがなくなった。まだ積み重ねが足りないのだろうと思う。 学問の積み重ねは、砂をサラサラこぼして山を作っていくようなものといわれる。こ…

  • 甥に道理を教える

    我が甥は小学1年生。 数日前、甥と話しているときに、学校の荷物の話になった。 「ランドセル、重いか」「まあまあ」「軽いほうがいいか」「うん」「でも持たないけんのやけえ、しょうがないわな」 「でも重いの嫌やもん」 「お前は道理の分からんやつやな」 もしかすると、想像以上に重いのかもしれないと思った。 「まあ、ランドセル見せてみい」 持ってみると、それほど重くない。 しかし中を見てみると、ぎっしり詰まっている。 「これ、全部使うんか」「うん」「嘘やろ、時間割見せてん」 やはり必要ないものまで入っていた。 「これも、これも、これもいらんやろ」 ランドセルの中から翌日不要なものを出していく。 「いつも…

  • 仲弓の「南面の才」を作る三要素

    孔門四科十哲の一人に、仲弓(ちゅうきゅう)という人物がいる。 姓は冉(ぜん)、名は雍(よう)、字は仲弓。 論語の第六篇、雍也(ようや)の雍とは冉雍仲弓を指す。 孔子は仲弓を、一国を治めるに足ると評した。 これは、仲弓が不佞(ふねい)であり、敬(けい)に居り、簡(かん)を行ったことによる。 不佞の人 佞とは 佞は不仁の種 不佞の仲弓 不佞で結構 雍や南面せしむべし 敬に居て簡を行う才 敬とは 簡とは 仁政とは敬に居て簡を行うこと 敬に居て敬を行う 簡に居て簡を行う 簡に居て敬を行う 一身の修養を考える 不佞の人 仲弓は孔門の中、徳行において顔回に並ぶとされた人物である。 孔子が仲弓を褒めた章句は…

  • 理想は「可もなく不可もなし」

    「可もなく不可もない」 良くも悪くもない、無難、平凡といった意味で用いる。 なんとなく、見下した気分のある言葉だ。 可>可もなく不可もなし>不可 良い>普通>悪い 可もなく不可もなし、これは悪くないが、まだ足りないといった感じに用いられる。 少なくとも、可もなく不可もないことを理想的とは思わない。 しかし、孔子は「可もなく不可もなし」を理想とされた。 孔子の理想 孔子の批評 孔子は可にも不可にも偏らぬ 天道に従うゆえに 「可もなく不可もなし」を夢見た公田先生 最晩年のお言葉 一貫不惑の先生 孔子の理想 「可もなく不可もなし」は、論語微子(びし)第十八の言葉である。 この章句の解釈は複雑で、今回…

  • 孔門の人々

    論語について書くうちに、それぞれのお弟子を詳しくお話しする機会も出てきた。 弟子の人物やエピソードを知ることは、論語の理解に役立つ。 整理のために、特定のお弟子を取り上げた記事をここにまとめる。 四科十哲 徳行 顔回 言語 子貢 政事 文学 十哲以外のお弟子 四科十哲 孔子のお弟子のうち、特に優れた十人のお弟子を「孔門十哲」という。 また、この十人を徳行、言語、政事、文学の四科に分けて「四科十哲」ともいう。 徳行 顔回 shu-koushi.hatenadiary.com 冉伯牛 閔子騫 仲弓 言語 子貢 shu-koushi.hatenadiary.com 宰我 政事 子路 冉有 文学 子夏…

  • 怒りを遷さず、過ちを犯さず。亜聖・顔回の真骨頂

    孔子の一番弟子は顔回(がんかい)である。 聖人に近い人物であり、敬意をもって顔子(がんし)と称されることも多い。 孔子は聖人、聖人に連なる大賢人であるとして、顔回や孟子を亜聖(あせい)という。 なぜ顔回が亜聖といわれるか。 顔回の真骨頂はどこにあるのか。 今回はこれを記事とする。 孔子の一番弟子 顔回の人となり 学を好む顔回 怒りを遷さぬ顔回 一般的な解釈 怒りを遷さぬは中庸の道 過ちを弐せぬ顔回 中庸こそ顔回の真骨頂 「好学」は過程ではなく結果 孔子の一番弟子 姓は顔(がん)、名は回(かい)、字は子淵(しえん)。 顔淵(がんえん)との呼称は、姓と字を合わせたものである。 三国志で関羽に斬られ…

  • 弁才縦横、商才抜群、子貢は瑚璉なり

    孔子のお弟子の中でも、異彩を放つ人物といえば子貢(しこう)である。 顔回、曾参、子路など色々な人物がいるが、子貢は特に変わった趣のある人物である。 今回は、子貢を取り上げる。 子貢の人物 弁舌の人 子貢の商才 金持ちな君子 子貢は瑚璉なり 君子は器ならず 子貢の才能を褒める 私的解釈:孔子の戒め 周は二代に監みて 当時の子貢は中庸を得ぬか 子貢の人物 子貢は、孔子の弟子の中でも特に優れていた。 子貢は字(あざな)、姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)。 弁舌の人 弁舌に優れ、孔門十哲の一人に数えられた。 左伝には、子貢が外交官として活躍した内容が散見される。 史記の仲尼弟子列伝になると一層華やか…

  • 鳥の声を解した公冶長

    論語公冶長第五の冒頭に、公冶長(こうやちょう)なるお弟子の話が出てくる。 公冶長という人の記録はほとんどなく、どのような人であったか分からない。 公冶長は鳥の声を理解したといわれる。 私も鳥は好きだから、公冶長について色々調べて見ると、大変面白かったので記事とする。 孔子曰く 孔子の人物評価 公冶長のはなし 公冶長が捕らえられた経緯 無罪放免となる 動物の声を聞く人々 夷隷・貉隷 獣医 介の葛盧 まとめ 孔子曰く 子、公冶長を謂ふ。妻(めあ)はす可きなり。縲絏(るいせつ)の中に在りと雖も、其の罪に非ず。以て其の子を之に妻はす。 孔子が公冶長について仰った。 「公冶長なら、我が娘をやってもよいだ…

  • 親の年齢を知る孝行

    親孝行というものは、頭では大切に思っていても、いざ実践となると難しい。 そんなふうに思われがちである。 しかし、親孝行などというものは、ごく当たり前のことである。 当たり前に理解でき、当たり前に実践できるものだ。 要は、考え方ひとつである。 孝行は簡単 親の年齢を知ること 親の年齢を知る孝行 次なる孝行への足掛かり 誕生日プレゼントは大きな孝行 親に心配をかけるは不孝 病気は仕方ないけれど 親の心配を減らす孝行 義理事に広げる 孝行は身近にある 孝行は簡単 孔子は、孝行を幼いころからの心がけとして教えた。 言い換えれば、幼い子供でも十分に実践できることとして教えたのだ。 孔子は、実践困難なこと…

  • DaiGoの騒動に思う

    時事を論ずることはあまり好きではないし、個人に対して色々意見を言いたくはない。 しかし、メンタリストDaiGoの騒動には、儒学的にも色々と思うところがあり、ひとつ文章を書いてみたいと思う。 「知」について思うこと 知は五常のひとつだが 知識より見識、理想は胆識 見識がなければ軽薄に 慎んで知を練ること 謝罪動画を少しだけ観て 道理の分からぬ人間の多さ 便乗して正義を振りかざす人々 過失と仁・不仁 過失に仁を観る 孔子の人物鑑定法 不仁ゆえの過失 仁ゆえの過失 どちらも中庸ではないが 許さず責める不仁 鄭伯の明 「知」について思うこと まず、事の発端となった発言。 DaiGoがホームレスや生活保…

  • 悪衣悪食を恥ずる恥

    悪衣は粗末な衣服。 悪食は粗末な食べ物。 そういうものを恥に思うのは、恥である。 ややこしい表現だが、恥に思うこと自体、恥である。 孔子曰く 士とは 偽物の多きこと 悪衣を恥ずる恥 子路の道心 一狐裘三十年 悪食を恥ずる恥 疏水の味を知るべし 公田先生のはなし 基準は志の有無 総括 孔子曰く 論語里仁篇に曰く、 士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議するに足らざるなり 孔子は、道に志しながら悪衣悪食を恥ずる人間を嫌った。 そんな人間は、ともに語るに足らぬと仰った。 士とは 士は事であり、事に任ずるを士という。 学問や道徳を身につけ、そこで初めて出仕する人を士という。 士として立った以…

  • 孔子の悲哀

    論語の章句のうち、大変好きな言葉であるけれども、解釈に疑問が残る言葉がある。 里仁第四の、 朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり である。 一般的な解釈 私の疑問 諸橋先生の優れた解釈 悲哀の言葉だ 根本先生の解釈 仁は高尚なものではない 孔子晩年の悲哀 根本先生晩年の悲哀 一般的な解釈 一般的には、 朝方に人としての正しい道を聞くことができたならば、その日の晩に死んでも良い と解釈する。吉田賢抗先生・金谷治先生・諸橋轍次先生の解釈は全てこの解釈である。 人生の目的は、道の実践と体得にある。 それさえ成し得たならば、すぐに死んでも良い。 孔子の道を求める烈しさがよくわかり、私はこの言葉が好きであ…

  • 富貴・貧賤・君子・小人

    君子と小人 君子とは 小人とは 小人は悪に傾く 君子と小人の違い 富貴に対する態度 富貴は誰でも欲しいもの 富貴そのものに善悪はない 南隠禅師禅師の言葉 道理に合わねば捨ててしまう 貧賤に対する態度 道理に合わぬ貧賤 貧賤から去るは仁から外れる 総括 君子と小人 論語など、儒学の経書を読んでいると「君子」「小人」という言葉がよく出てくる。 君子とは 簡単に言えば、君子とは人格者である。 立派な人、徳のある人を意味する。 学問のある人を君子と呼ぶこともある。 儒学という学問は、己を修めるところから始まり、やがて天下を治めることを目指すものである。 学問があれば修養もあるべきであって、だから学問の…

  • 噬嗑録

    これまで、ブログのタイトルを『周黄矢のブログ』のまま放置してきた。 特に良い名前も思い浮かばなかったからだ。 しかしこのタイトルはあんまりだ。 何か良い名を考えようと思った時、私の日記帳が目に入った。 私は、日記帳を『噬嗑記』と名付けている。 噬嗑(ゼイコウ)とは、易の火雷噬嗑から採ったものである。 噬は噛むこと。 嗑は合うこと。 噬嗑とは噛んで合うことである。 口の中にあるものを噛み砕き、上の歯と下の歯がかっちり噛み合うことである。 口に入れた食物をしっかりと噛み砕き、上歯と下歯を噛み合わせて咀嚼する。 よく噛んだ後、食物を嚥下する。 それが栄養になり、活力になる。 「噬嗑は亨(トオ)る」…

  • 暦のはなし

    以前、弟に三国志のドラマであるスリーキングダムズを勧めた。三国志のことをあまり知らないと言っていたので、このドラマなら間違いないだろうと思って勧めたのだ。 案の定ハマり、短期間のうちに一気に観たようだ。 ドラマを勧めてみて、感じたことがある。 以前に比べて、会話の幅が確かに広がったように思う。 例えば先日、暦について話した。 私は最近本をどしどし捨てている。 本をすぐに買ってしまう癖があるが、後になってつまらなかったと思うものも多い。 書店で買えばそのようなミスも少ないが、ネットで買うとミスが増える。 買うべきでない本を買ってしまった場合、そのままにしておくよりも捨てたほうが良いのではないか。…

  • 異端を攻めよ

    先日、弟とお茶会をしていて、ひとつ気付いたことがある。 私は古い学問や伝統・文化が好きで、保守的な人間であると思っていた。 しかし、意外にそうではない一面があることを認識した。 求めるは同じ味か、違う味か 広く学ぶことの是非 異端の害 孔子曰く 根本先生曰く 新解釈「異端を攻(セ)めよ」 心中の賊を鏖殺せよ 求めるは同じ味か、違う味か まず、飲み物。 弟はネスカフェのアイスコーヒーと、水を用意していた。 私はほうじ茶、紅茶、トマトジュースである。 紅茶は、名前も覚えていないが、トロピカルな雰囲気のものを買った。 好きで買ったのではない。飲んだことがなかったし、レモンティーやアップルティーという…

  • 元亨利貞で学問す

    昨日、弟と長時間にわたって話し込む中で、筆写についても色々と話し、自分自身、考えるところもあった。 弟には、私がなぜ筆写するかということについて、もう少し詳しく話したかったが、それは避けた。 易などと絡める必要があるが、それを弟に口頭で説明しても、おそらく難しいからである。 そこで、以前書いた文章の整理も含め、今一度、筆写について自分の考えをまとめてみたい。 これを以て、筆写についてさらに述べなくてもいいような、そんな文章を書きたい。 筆写を始めた経緯 勝海舟の例 福沢諭吉の例 筆写を始める 長い時を経て 筆写の利点 丁寧に学習できる 気の抜けた学習に陥らない 筆写は元亨利貞 筆写を始めた経緯…

  • 日本神話にみる努力の在り方

    同じ意味で使われる言葉に対し、こだわりを持つことがある。 どちらを使っても、それを聞く人や読む人の意識に差が出ないような些細な違い。 自分だけがその違いを意識しているのだから、自己満足である。 しかし、そういうこだわりをひそかに持っておくことは、悪いことではないと思う。 積み重ねる/積み上げる 積み上げるとは 積み重ねるとは 重職心得箇条における「重」 漢字「重」の成り立ち 修理固成 積み重ねる/積み上げる 最近、ひとつこだわりが増えた。 「積み重ねる」「積み上げる」の区別である。 私は、学問や努力を継続することを「積み重ねる」という。 このほかの表現を意識したことはなかった。 ツイッターをは…

  • 一陰一陽の応用

    一陰一陽は易の真髄 陰と陽の関係 一陰一陽の視点 天地の関係 男女の関係 一陰一陽の学 一陰一陽は易の真髄 易経の繋辞伝で、孔子は、 一陰一陽之謂道(一陰一陽、これを道と謂う) と仰った。 私は公田先生の『易経講話』で易を学んだが、公田先生はこの句を大変注目しておられる。易の真髄であるとまで言った。 『易経講話』の構成は、 1.易経の概説 2.序卦伝 3.周易六十四卦 4.繋辞伝 である。全五冊。 先生は、周易六十四卦の解説を四冊目で終えられた。ここまで二千ページを超える。 そして五冊目、ようやく「一陰一陽之謂道」に触れ、 「長い間、易について、お話を続けておるが、それは皆、ただこの一句をお話…

  • 夷狄の君有るは・・・

    古注と新注 古注「如かざるなり」 新注「如くならざるなり」 君臣が有れば礼義もあるか 下剋上の常態化に礼義なし 太子申生の例 陽虎の例 孔子の志から考える 孔子の嘆きから考える 総括 古注と新注 論語の章句には、解釈によって意味が大きく異なるものがある。 例えば、八佾の篇に、 子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也 という章句がある。 この章句は、「不如」の捉え方によって意味が真逆になる。 専門家の意見も割れている。 古注「如かざるなり」 古いほうの解釈では、 夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かざるなり →夷狄に君主があるのは、中国で君主がないのには及ばない (中国の方が優れている) とする。 「夷狄…

  • 腹中の書 壺中の天

    ツイッターをやって良かったこと、良くなかったこと、どちらかといえば良くなかったことが多いように思う。 それだけに、良かったと思えることを大切にしたい。 勉強熱心を笑う風 私の学生時代 勉強熱心を笑う者なし 常識ある友人たち 人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う 浩然の気を持つべし 徳孤ならず 腹中有書 壺中有天 腹中有書 壺中有天 曾晳の壺中天 親との隔絶もあるが 味のある学問 「老」ということ 勉強熱心を笑う風 学生のツイートには考えさせられる。 自分の学生時代を思い返すこともある。 あの時、自分はああであった、こうであった、あそこで誤った、などなど。 卒業してから随分経つ。 過去の…

  • 俚諺を儒学で解すると(2)二度あることは三度あるか

    ことわざにおける矛盾 繋辞伝に曰く 火天大有の卦 天祐とは 人の助け 天とは 道理に基づけば ことわざにおける矛盾 よく矛盾を指摘されることわざに、 ・二度あることは三度ある ・三度目の正直 がある。 二度あることは三度ある、これは一度目・二度目と連続した結果が三度目にも起こることである。 つまり三回とも同じ結果になるということ。 多くの場合、失敗に用いられる。 三度目の正直、これは一度目・二度目と連続した結果とは異なる結果が得られること。 多くの場合、三度目にようやく成功することを指す。 「二度あることは三度ある」が正しければ、結果は三度全て同じであるべきであって、「三度目の正直」は嘘になる…

  • 剣の呼吸で孝行す

    孝行が軽視されがちな現代においても、孝行という徳を完全に否定し去る人は少ない。 そういう考えもないではないが、異端であって取るに足らない。 多くの人が、こんな時代においても、孝行は美徳だと思っている。 子が為す孝行を、真っ向から否定し攻撃する人はいない。 否定的に感じても、実際に否定・攻撃することはない。 大多数の人が孝行に肯定的であることを知っているからだ。 そこを攻撃すると、多数を敵に回し孤立する。 だから、否定的な見解を胸の内に秘めておく。 逆に、例えば子が親を虐待するとか、殺すとか、そういったことは大罪とされる。 「親は他人だ。自分は自分の人生を生きる」などの考えもあるが、親を全く赤の…

  • 俚諺を儒学で解すると(1)果報は寝て待て

    ことわざは、良いものだと思う。 先人の知恵だ。 しかし、ちょっと見るとわけのわからないものも多い。 嘘を言っていると評されることわざも少なくない。 私は、否定的に解されることわざも、どこか真実を含んでいると思う。 儒学で解すると、そう思えることが多々ある。 ブログで、そういうものを取り上げると楽しかろうと思い、書いてみることとした。 こういう文章は初めてなので、考えをまとめつつ書く。 冗長になると思うけれども、お許しください。 果報は寝て待て 仏教的解釈 怠惰な印象 儒学で解すると 需の卦で考える 待つ姿勢の問題 顔子の姿勢 少正卯の姿勢 志を得た顔子 「果報は寝て待て」は正しい 果報は寝て待…

  • 理想的学徒

    学徒はいかにあるべきか、どのような姿勢で取り組むべきか。 論語を読むと、これがよくわかる。 孔門の先輩方の姿勢は、学徒の理想的なものである。 曾子の姿勢 子路の姿勢 過ちの指摘を喜んだ子路 子路の愚直さ 良き先輩として 汎く衆を愛した子路 顔子の姿勢 聡明に溺れぬ顔子 魯鈍は幸い 曾子の姿勢 私の中で、理想的学徒の筆頭は曾子である。 学問においては、日々学び続けることはもとより、学んだことを日常生活で実践することが重要である。 心がけの良い人は、机上の学問に止まることを嫌い、実践を心がける。 禅でも、坐ることは当たり前の修行で、それ以上に常住坐臥、日常生活での応用を重んじる。 曾子は、日常での…

  • 筆写方法の大幅な改善と効果

    筆写の方法を大幅に改善した。 これまでの方法は、 ・ルーズリーフ(マルマンのジウリス、A4サイズ、7mm罫) ・縦書きするために横長の状態で使用 であった。 具体的には、こんな書き方である。 これまでも、必要に応じて少しずつ改善してきた。 しかし、高校時代に筆写を始めてから現在まで、方法自体はほとんど変わらない。最初から最後まで、ただ書き写すだけである。 万年筆を使うこと、紙やインクにこだわること、ノートではなくルーズリーフを使うことなど、道具は色々変えてきたが。 私が筆写するのは主に経書であり、筆写には写経に似た側面が多分にある。 したがって、一文字ずつ丁寧に書くが、それを読み返すことは想定…

  • 論語読みの論語知らず

    根本先生の論語講義を筆写している。 ようやく曾子三省の章句に至ったが、ここで大変なショックを受けた。 私は、論語を繰り返し読んできた。筆写もやった。 暗唱できる章句も多く、曾子三省も私にとってなじみ深い。 しかし、何の意味もなかった。 私は曾子の三省をほとんど実践していないことに気づいたのだ。 例えばこの一カ月、三省を実践した日がどれだけあったか。 おそらく数日だろう。覚えてもいない。 論語読みの論語知らずになりたくない、論語読みの論語知らずは馬鹿である。 そう思ってきたが、自分がまさにその馬鹿であった。 易における君子終日乾乾、夕に惕若たりということも、全く実践できていなかった。 時間をかけ…

  • 真面目考

    昨日、ツイッターのフォロワーの質問箱で真面目について取り扱うものがあった。 フォロワーの方は、 「真面目とはどのような人でしょうか」 という質問に対し、 「自分で決めたことをやりきる人だ」 と答えておられた。これは良い回答だと思った。 「間抜け」という言葉がある。 ボンヤリしている、間が抜けている、締まりがないことだ。 言い換えると不真面目である。 対義語は間に締まりがあること、つまり間締め、真面目である。 この「真面目」ということをごく平易に言えば、自分で決めたことを習慣的にやり続ける人をいうのだ。 例えば、華厳教の凝念。 鎌倉時代の仏教学者だが、この人は膨大な著作を遺している。 自分で決め…

  • 身内の死に思うこと

    先日、叔父が亡くなった。70歳であった。 叔父はタバコが好きであった。 最後に会った時はチェリーを吸っていた。 結構、強いやつを長い間吸い続けてきたのだ。 それが原因だろう、肺がんで亡くなった。 肺がんが発覚したとき、すでにステージ4であったという。 入院後、わずか2週間で亡くなった。 元々レスキュー隊員であり、体は頑健であった。 引退後も登山と絵を趣味にしていたのに、脆いものだと思う。 現在、祖母も入院している。 昨年、脳梗塞で倒れて入院し、一時危うかったが奇跡的に持ち直した。 それから1年半、入院を続けている。 厳しい闘病生活ではなく、穏やかな入院生活を送っている。 祖母はもうすぐ100歳…

  • ブログをはじめました。

    先日、ツイッターでもお伝えした通り、ブログを始めた。 ブログを始めた主な理由は、ツイッターは長文の投稿が難しいことである。 140文字程度に分割されるため大変読みにくく、読みやすさを意識すると各ツイートの文字数調整に苦労し、内容とは無関係なところで労力を要する。無駄な時間を費やすこととなる。 また、ツイッターはなぜか編集できない。これも不便に思っていた。 私は文章を生業としている。それなりにこだわりもあるし、誤字脱字は気になる。 あとになって説明が足りなかった、あるいは冗長であったと思うことも多い。 編集できないことがストレスであった。 弟から、私にはブログが良いと言われたことも大きい。 私は…

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