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毎日(朝・晩)坐禅を自宅でして、師事した西嶋先生の「中論」を紹介しています。

悠村隆道
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2021/05/22

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  • 中論・2-10頌 行く人と行くという動きと行くという現実の行い

    第十頌 行く人と行くという動きと行くという現実の行い西嶋先生の訳行く人と行くという動きとのどちらか一方が行くという考え方は、両方とも拘り過ぎている。行くという現実の行いが現にないならば、行く人も行くという動きも行くという現実の行いも単なる願望に過ぎない。中論を勉強していますもしも「行く人」または「行くという動き」のどちらか一方が「行く」という行為であると考えるならば、「行く人」または「行くという動...

  • 中論・2-9頌 行くという動きと行くという現実の行い

    第九頌 行くという動きと行くという現実の行い西嶋先生の訳行くという動きがほんの僅かでも行くということが、将来といえどもどうしてあり得よう。行くという動きは行くという現実の行いがない限り、この宇宙の中に現れて来ることが絶対にない。中論を勉強しています「行く」という動きを感じるのは認識である、その頭で考えた認識がほんの僅かでも「行く」という現実の行いをする事は将来といえどもどうしてあり得ようか。「行く...

  • 中論・2-8頌 行く行かないという動きと行くという現実の行い

    第八頌 行く行かないという動きと行くという現実の行い西嶋先生の訳行くという動きが行くのではないのと同じように、行かないという動きも当然行くということがない。行くという動きと違う動きが行かないという動きであって、(行くという動きと行かないという動きの他に)三番目のものが行くということも実際には決してあり得ない。中論を勉強しています「行く」という動きそのものと現実に行くという事実とは同じではない、そし...

  • 中論・2-7頌 行為をする人と現実の行い

    第七頌 行為をする人と現実の行い西嶋先生の訳行くという行為をする人が視野に入っていない場合も、行いという現実の行いが現実の世界に姿を現して来ることが不可能である。行くという現実の行いに関連して、具体的に行為を行う人が現実的でないならば、将来といえども一切のものの存在する可能性がない。中論を勉強しています行くという行為をする人に対して我々が無視をしている場合、行くという現実の行いが現実の世界に姿を現...

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