中論・2-6頌 行くという動作と現実の行い
第六頌 行くという動作と現実の行い西嶋先生の訳行くという動きを二つに分けることは拘りであり、行くという現実の行いを二つに分けることも執着である。何故ならば、もしも行くという動きが視野に入っていない場合には、行くという現実の行いがこの現実の世界に現れて来る可能性が断ち切られてしまっているのであるから。中論を勉強しています行くという動きを認識と動作の二つに分ける事は拘りである、行くという今現在の行いを...
2025/03/30 19:00
2025年3月 (1件〜100件)
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