「禅の旅zenno-tabi」では「禅」を元に、人が生きるとはどういう事なのか、どのように生きれば人はより良く生きられるのかを考え、旅のように探求していく事を目的としております。
托鉢とは修行僧が、自身の最低限の糧を得るために「食糧」や「浄財」を集める事をいいます。ただ「托鉢」の目的はそれだけではありません。というのも、信者や布施をしてくださった方に功徳を積ませる意味もあるからです。
「典座」というのは禅宗の修行道場において、修行僧、及び雲水の食事をつかさどる役職のことを言います。つまり食料の調達、調理、給仕まですべてを司る責任者の事をこの「典座」といい、その「典座」が率いる寮舎のことを「典座寮」と呼びます。
「参堂」とは、「禅」の修行道場で「修行僧」及び、「雲水」がお堂に参じることを言います。
朝課とは「雲水さん」たちが毎朝行う、お勤めのことです。「朝課諷経(ちょうかふぎん)」と呼ばれたりもします。
禅にまつわる「言葉」のエッセイ。 今回は第2弾といたしまして、「行脚(あんぎゃ)」についてをお送りいたします。 筆者のつたないつぶやきとして、楽しんでいただければ幸いです。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します
本記事では道元禅師の生涯について解説していきます。ただひたすらに坐禅をする事(只管打坐)が、「悟りである」と説かれた道元禅師。また世界的名著と呼ぶにふさわしい『正法眼蔵』や『普勧坐禅儀』を記された道元禅師。そんな現代においても多大な影響を及ぼす道元禅師のご生涯をご紹介します。
雲水とは、雲自水由(うんじすいゆう)、行雲流水(こううんりゅうすい)、浮雲流水(ふうんりゅうすい)の略称です。
本記事をもちまして、この『普勧坐禅儀』の講話は第「50回目」を迎えます。 ここまで連載してこれたのも、日々このblogをチェックしてくださる皆様のおかげです。 心より御礼申し上げます。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke
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