病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
今年最後はきちんとまとめて、冬休みに入るつもりでした。出来るような気がしていました。いわゆる病気ではないのでしょうが、気力体力が無くなりました。気温の急激な変化、汗ばむほどの一日から、真冬の寒さ、お天気も急変、いわゆるお天気病・気象病の自立神経が暴れているのかもしれません。ばあさん、無理はやめようと弱気になりました。お許しください。昨日今年最後のパソコン教室に行き、仕上がったカレンダーを持って帰りました。おいおい月初めにお目にかけます。その1月のデザインで賀状は仕上げました。今日は朝から、昨日出来上がったA3の壁掛けカレンダーを流用して、2Lの卓上カレンダーを作り増し、学生時代からのボーイフレンド(じいじフレンド)に送ってやりましょう。年末の主婦仕事、最小限にカットすることにしました。年明け間もなく、家の...冬休みにします。
やっと取れた美容院の予約、今日行ってきました。金曜日に、予約電話した時、断る口調が何だか変、と思ったのでしたが、マダムが災難に巻き込まれていたのでした。「火傷しちゃってね。今写真見せるわ」スマホの写真。右足の指の付け根が大きな水膨れ。半透明の凸凹の水膨れで、見るからに痛そう。「どうしたのよ、尋常ではないわね」「パーマのお客様に、サービスのコーヒーを入れていたの。ちょっとお客様の方に神経が行って、カップを外して熱湯をかけてしまったのよ」「それでどうしたの」「どうって、お客様はパーマが途中だし、火傷みたいだけど、ちょっと見には赤くなっているだけなのよ。やめるわけにはいかないわよ、痛みをこらえて続けました」「夕方、最後のお客様を済ませて、患部を見てびっくり。赤みが増し、腫れて来て、痛みは増すばかり」「それで」「...美容師さんの災難
13日のブログにマッサージの先生から教えられた、耳たぶ刺激法を書きました。半信半疑ながら思い出すと耳たぶを引っ張ったりしていました。これは効いてる!!とまでは確信が持てませんが、昨日からの急激な温度下降、お天気の崩れにいつもほど害が出ていません。次に書くような影響はありましたが、いつもの悪影響とは違うようです。実は昨日は、とても忙しい日でした。急に寒くなったということで、まだ出していなかった冬物衣料を夏秋ものと交換したのです。夫と二人分、結構手間がかかりました。門前は、落葉に埋まっていました。わが家の楓の木の葉です。中腰で履く作業は、最後には涙が出そうになるほどに腰に来ました。午後、電車一駅離れた美容院が予約してありました。正月迎えに、パーマネントをかけてもらいに。引き続き、夫の薬のストックが無くなりかけ...内耳を刺激‥・自律神経の調整・・効くかな?
木曜日のパソコン教室でカレンダーを仕上げ、今日は自分の力で年賀状作成をしました。途中でインクが切れて、渋谷まで往復という余分が入り、ブログ投稿がこんな時間になってしまいました。今夜から、宛名書きです。さてそんなわけでネタがない。どうしよう。夕食の片づけをして、ごみを捨てるのに、カラス対策で、古新聞に包んで捨てる約束になっていますのでやっていましたら目につきました。他人様のもので誤魔化しますが、お許しを。笑って今週を締めましょう。朝日新聞に、「いわせて、もらお」という、投書の笑い話のコーナーがあります。これが私は好きなのです。というわけで、下に2・3紹介します。★一字の違い・・・大学生の娘は最近、ダイエット目的でご飯を少なめにしている。「食べるのををがまんしていると『拒食症』になるよ」と注意したら「食品売り...週末を明るく
先日来気に掛かりながら後回しにしていた仕事を、午前中やり終えました。「なにしたの?」声が聞こえるような気がします。そうです、台所の物入れの中の整理です。劣等生主婦が、年末いよいよ追い詰められたのです。台所に、半間の押し入れがあります。棚も何もないので、使い勝手は悪く、目につかないように不用品などを入れておく、劣等生がますます劣等婆さんになる原因の押し入れです。気になっている段ボール箱から取り掛かります。扉があるからいいようなものの、引っ越しに使った古い段ボールに、あふれんばかりのビニール袋です。どうしてこうなったのよ!!何年前だったでしょう?地球温暖化の原因になる、ビニール袋(代表的にはお店で入れてくれるレジ袋)を廃止しようというお達しが発せられました。主婦の大多数の人が「困ったな。ゴミ捨てはどうするのよ...まだまだ余地があります
めずらしく、英語の言葉のご紹介です。横文字に全く弱い私にも、どうにか読み取れる言葉でした。Aperson'sbacktellsmemorethanthefront.「人の背中は正面より多くのものを私に語ってくれる」と解説者の鷲田清一氏は約してくれています。また、ソール・ライター氏は米国の写真家だと。背中は自分では見ることができず、無防備に晒されるほかないもの。でも正面の顔だって実は同じだ。顔はよりによって自分だけが見ることができない。そんな顔から他人は情報をたっぷり得る。怖いこと。日本には、後ろ姿で教えるという考え方がある。私が親になって、自分の子供に対するころ、子育ての疲れで常にイラついて、叱ることが多い母親を演じてしまっていた。そんな時、先輩の親から、幾度も幾度も、「子供は見ているんだから」と何度も諭...折々のことば・・・ソール・ライター
圧迫骨折の尻尾がなかなか退治できないで苦しんでいることはあちこちに書いたりしています。もはや痛みやむくみ、だるさ、ひいては眩暈など、本当に原因が圧迫骨折なのかも定かには分からなくなっています。どうも、痛み止めの薬がその原因になっているような気もするし、見てくれていた整形医は、高齢でご自分が倒れられたり、リハビリの若者は退職してしまうしで、通院をやめてしまいました。薬も思い切って内科医でもらう降圧剤のみを飲むまでに減らしました。その代りに、公園でワンちゃんを通じて知り合った方の推薦で、マッサージ師にかかり始めたことはすでに話しましたね。新しく掛かり始めたKマッサージ先生は、2週間に一度行き、その2週間の様子を話し、気になる症状に効く治療を受け、次の2週間、自分で体操をするように習って帰るペースです。K氏は薬...お天気病・気象病に対して・・・効くかな?
わが家では夫が現役のころの必需品だった日経新聞をそのまま取っています。老化の進んだ夫は、それでも朝食時に食べながら目を通します。人間の習慣というものはなかなか変わらないものですね。私はほとんど読みません。読むとしても、主婦向けの投書とか、有名人のエッセイとか、そんなものです。日曜日朝刊は朝日新聞を読んだ後、昼食づくりまでに少し時間が空きました。そこで日経をめくったのです。先に述べたように主婦感覚での目です。新刊本の大きな広告が目に飛び込みました。「厨房の哲学者」。その横に、私の頭にも入ってくる強い言葉。でも、私は本文を読んだわけではありません。ただ、広告の大きな文字が目に入っただけです。それでもなんだかメモしたくなったのです。切り取りました。そして今、ブログ記事として書いておくのです。もしお目にとまって、...新刊本の広告から・・運命に従え
9月のことだったでしょうか、異常な暑さに加えて、収まったかに思えたコロナがあちこちで少しずつ、再び三度・・・8波と言っていましたっけ・・・勢力を伸ばし始めた恐れが伝えられていました。ワクチンの追加接種、少し間に合いかねているのではないかと、心配事が一つ増えたような気がしていました。世田谷区からは、予約受付の報せが来ました。それを受け取った時には、まだ蔓延の方角への勢力はそれほどではなく、6回目をやったのは7月だったと思うよ、ちょっと早すぎるのではないか、少し様子を見ようと思ったことでした。かかりつけの医者にも相談しました。そうだねえ、もう少し間を開けたほうがいいかもしれないね。うちでも接種を引き受けることになっているけれど、まだ詳しい予定は言ってきていないよ。とのこと。足弱の夫を連れていくのは難しいし、先...コロナワクチン(7回目)接種ご報告
午前中リハビリに出かけた夫を待ちながら、テレビの大下容子ワイドスクランブルを見ていました。千年の伝統を持つ地域の祭りが来年の祭りで終止符を打つという話題が取り上げられました。岩手県、大石市の「蘇民祭」です。何年前でしょうか、その祭のポスターに地元の青年が、締め込み姿・胸毛強力・顔鬚だらけ・激しい行事参加に大声を出しているのであろう口。それはそれは迫力満点、野性を取り戻したような男の姿が吠えているポスターでした。この迫力と野生が、あまりに激しすぎる、不快な感情を持つ人もいるのではないかと問題になり、駅に掲示するのを拒まれたことで、賛否両論全国区で有名になった祭でした。それから時は流れ(1000年に比べれば短い時ですが)、日本はますます老齢化が進んできました。地方の農村では若者が少なく、高齢者社会にますます進...高年齢化⇒伝統の祭りが消える
昨日(12月5日)の「折々」は面白く読めました。老人の健康の秘訣というか、開き直りというか。『健康でいたい。そのために何をすればいいか、という課題は全てストレスになります。ーーー健康を害しています』横尾忠則歳がいくと、目も耳も息も、ハンディキャップだらけだ。健康を取り戻そうとするのは、そもそも老いる体への反逆。そこで「ハンディこそ僕の自然体」と思うことにした。目的など掲げず、シンプルに「快食快便快眠」、そして絵を描くこと。きっと横尾氏もいろいろやってみた挙句、老いの老いていくスピードには勝てないと投げ出されたに違いない。やけっぱちに達した結論が、「快食快便快眠」と自分のこよなく好む絵を描くことだけでこの先生きていこう!と思い定められたのでしょう。とは言いながらやっぱり未練はあって、体操など試みたりはしてい...折々のことば・・・横尾忠則
土曜日、おせっちゃんの「折々のことば」として、物事を極めた人の美しさを書きました。生きてきた長い道のりですが、その折々に感動を覚えたこと、数々ありました。今日はそこから連想的に思い出した一瞬のことを書いておきます。ブログにろくでもない、拙い文ですが、思い出をつづっています。書いてみるとそれは戦後の貧しい、そして、片田舎の生活が多いのに気がつきます。私の人格の大本はここにあるからでしょう。駅弁大学と揶揄される田舎の大学ですが卒業して、3年間、教職につきました。教えるという立場より、学生の続きをやっているような、プロ意識の全くない3年間でした。結婚しました。夫が勤務している福島まで、山口から移動するのが、新婚旅行でした。主婦らしく振舞うこともぎこちない田舎娘でした。様子を見に、舅が訪ねてきました。東京に連れて...空気が変わる
11月23日に、幸田文さんの「くろうとはどの道の人も、みなあと片付けがうまい」という言葉をご紹介いたしました。幸田文さんの文章が、高校の国語の教科書にあり、露伴との父娘の厳しくも暖かな生活のありさまが心に残ったことを書きました。その授業を受け持ってくださったM先生の現代国語は、私のだいすきな時間でした。そんなことで、文さんの言葉を書いてから、しばらく、その言葉に惹きつけられていました。そして、こんな言葉を自分の言葉にしてしまいました。「その道を究めた人の身のこなしは、美しい」魚を食べた後始末を厳しく指導してくださった、お茶の先生。お点前の流れるような動作は。お辞儀一つも、どこか違う。今年は各種のスポーツで、日本の強さが際立ちましたね。最高の動作こそが最高の結果を生むのでしょうか、最高の動作あってこその最高...折々のことば・・・おせっちゃん
ウオーキングに行く区立の公園、紅葉・黄葉、樹々たちの最後の華やぎが美しい。いつもの周回路が工事中通りぬけ禁止で、一寸近道になるけれど、5月には鯉のぼりが団体で泳ぐ広場を通り抜けました。いつも歩く時には、この銀杏並木は美しいと思うのですけれど、いざカメラを向けると光線がうまく当たらず,撮るのをやめていたのです。このアングルが気に入りました。空の、まだ秋めいた雲も。並木道を挟んだ広場は、ユリの木の場所ですが、いつもは大きな葉が、次第に色づき、そして保育園児が競争で拾う大きな落葉になる見事な広場なんですが、今年は、あまりその過程を楽しませてくれることなく、早々と散り落ちました。銀杏並木を見ていると、同じ並木の木なのに、早々黄色に染まった樹がある一方、仲間に遅れて青々している木もあります。これも個性か、と思いなが...黄落
今日から12月です。師走ですよ~!!残暑とも言えそうな夏から続く高気温があったりして、師走とはどうしても思われません。いつもの追いかけられるような切迫感は無く、のんびりしているうちにどんどん日にちが経っています。今朝壁掛けカレンダーの最後の一枚に替えましたが、のんびりした気持ちとは真反対に、なんと速く過ぎ去る一年と思うことです私が子どものころは、クリスマスなんていう物は家庭にありませんでした。正真正銘の明治人の両親は、「あんな耶蘇教の祭り」と言っていました。そんなわけで12月のカレンダーは、題材に困ります。お見せするものは下3分の1はいつもの写真家伊藤信男さんのものです。上のクリスマスツリーは、どこか忘れましたが、印刷物にあったものをスキャンしておいたものです。組み合わせが唐突のようですね。全体を赤クリス...12月のマイカレンダーお見せいたします
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病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び
病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び