病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
先日(1月26日だったかな?)パソコン教室の休憩時間のおしゃべり会で、こんなことが話題にありました。すでに私が筆頭の85歳、次が10歳若い方、また次は干支で数えるほど違った方々ですが・・・、皆すでに子育ては終わった年代なのです。それでもちょっとしたことで、子どもと意見が合わなかったり、孫の教育でお嫁さんと意見が合わなかったり、それなりに、波乱はあるようです。まあ、こんなことで、愚痴を言い合える仲間がいて、貶すまな板に載せる子・孫がいること、幸せなことです。とそんなことが切っ掛けで、子・孫育て、この歳になっても難しいと思うわね・・・から始まって話が続きました。「子供って、生まれて時、既に性格として生きていく道すっじを持っているのかしら?それとも導けば変わるものかしら?」と疑問を投げかけた人がいました。少なく...持って生まれたものか、教育か
昨日、嫁ぐ前夜の豊かな幸せに感じ入った詩人の言葉を書きました。わが家にも、初々しい喜びを、はち切れそうな若さで伝えてくれた娘(息子の嫁になる人)が来てくれました。わが家は、娘Mと息子K、に恵まれていました。時はちょうど、皇室で、皇子お二人が結婚なさる、喜びに満ちた年のことでした。春のある夜、Kは、それからすぐに上司のお供でアメリカに出張することになっていましたがその出発までに、式を挙げておきたいというのです。この案にはまずMiちゃんのご両親が反対でした。大事な娘を嫁に出すのに、そんな慌ただしさは反対だ。、アメリカから帰ってにしなさい、ということのようでした。わが家は特に反対はしませんが、姉のMaがまだ一人でいます。「逆転の結婚ははやりだよ~」とKは言い、「Maもそんなのどっちでもいいよ~」とのんきでした。...Miちゃんを迎える日
昨年末、ブログ冬休み中の言葉。細やかな情緒など持ち合わせない私。日々単純に飯炊きババアをやっていると涙など縁なく暮らす日々です。そんな私が、この日の折々を読み終わったら、なぜか涙ぐんでいる自分を発見しました。今日は、そのままお伝えしたく、スキャンして載せます。この女性、明日お嫁に行く、ひかえめの女性の身体全体から立ち上る幸せ感を感じて、頼まれて襟足を剃る役を感謝して受け入れたのです。これ以上付け加える言葉がないほどその時間が私を包んできたのです。私が書くのは蛇足に過ぎませんが、この若い女性、もしかしたら、親御さんを早くに失い、質素な生活を、それでも力いっぱい誠実に生きてきた人だろう。真摯に歩む人は運が開ける。やはり生きることに真剣な誠実な青年に巡り合ったのだろう。特に派手な披露をする人もいない。ただ二人の...折々のことば・・・石垣りん
つい最近のことです。徹子の部屋に、ひと昔、ふた昔、今の若者から言わせると、昭和の人という人が再放送されていました。「入江たか子」という女優さんです。私が、文化から遠い、田舎で育ったからか、生活に余裕がなく、映画など見に行かなかったからか、近い時代を生きた人なのに、よく知らない女優さんでした。何でも高貴なお生まれの方のようですが、子供を抱えて苦労もなさった人のようです。仕事のためならと、少しも自分を卑下することなく、化け猫役もなさり、それを「苦労とは思わなかった」とおっしゃっていました今日の話に関係ありませんが、私が結婚して、今の場所に住み始めた時、最寄りの電車の駅の北側、小高いところに新しいお家が建っていました。線路が南側ですから、とても日当たりがよく、立派な家に見えました。夫が「化け猫役の入江たか子の家...やって止めるか、止めて食べるか
『心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間を作り上げている』・・・松岡亮子昨年末から長々とブログをさぼった時の「折々のことば」です。児童文学者はこんなことを言っていると、解説の鷲田清一氏は書いています。子どもたちにサンタクロースの話をするのは、「見えないものを信じる能力を養うためだと」。サンタの話を聞いた子供の中には、サンタがいなくなってもサンタのいた空間は残る。「不思議の住める」この空間は、「のちに一番崇高なものを宿すかもしれない」そんな心の場所なのだと。私が子どもだったころは、少なくとも私のふるさとの村ではクリスマスを祝い、心にサンタクロースを住まわせた子供も家族もいなかったと思う。でも、そんな不思議が住む心の場所はあったと思います。遠浅の澄み切った瀬戸...折々のことば・・・松岡亮子(児童文学者)
今冬一番の低温が攻め寄せるとの予報に恐れをなしていましたが、今朝も、それほどと思わずに生きながらえました。自分のことよりも、能登半島の方々の生活を思いやって、なにか自分が悪いことをしているような、申し訳なさを感じてしまいます。どうぞ、お身体にお気をつけて下さい。永らく、中高生の「私の折々のことば」をお借りして、ブログを続けましたが、今日は、朝日新聞朝刊一面の定位置から切り取ったものを載せます。美術家の、横尾忠則さんの言葉です。『健康でいたい、そのためには何をすればいいか、という課題は全てストレスになります。・・・健康を害しています』解説者・鷲田清一氏は、横尾さんの言葉を引用していらっしゃいます。おせっちゃんもそれをそのままご紹介します。歳がいくと、目はかすみ、耳は遠くなり、すぐに息が切れる。ハンディキャッ...折々のことば・・・横尾忠則
『お金よりも、見てほしいねん。いろいろな人に』・・・父の言葉・・・Z会賞の中学生原爆ドームと、広島平和記念資料館を見学した。資料館は中学生以下は無料だ。私は思わず「やすっ」と言ってしまった。その私に父が言った言葉。見学後戦争の恐ろしさに震え、頭から離れなかった。その時、父の言葉の意味がやっと分かった。わが家の話です。子供が高校生の時だったかな。沖縄に家族旅行をしました。観光に先立てて、平和を祈ることから始めようとの約束だった。戦火から身を隠した”がま”。子供と同じ年ほどの生徒たちの資料館、亡くなった子供の写真。子供たちの顔が変わっていった。食い入るように遺影を見ては、涙ぐんでいるようだった。母親が子どもに伝えておかなくてはいけないことをまず第一にしたこと、意義のある家族旅行だったと思いました。(おせっちゃ私の折々のことば5
『理由は無いよ、したいだけ』・・・人生を変えてくれた親友・・・朝日中高生新聞賞中学部門小学4年生の時、髪を茶色に染めた自由奔放な女の子に出会った。染めた理由を訊いたらこの言葉が返ってきた。したいことを言いだせない私にはまぶしかった。今私は、リレーのアンカーや、クラスの代表など、したいことができるようになっている。彼女は、今、私の大親友だ。おせっちゃん婆さんがそんな時代、生徒手帳というものがあり、校内郊外での行動が事細かに規制されていました。よく言われることですが、野球部の部員は、丸坊主でなければいけない、というのだった。長髪なんぞ、たるんどる!という精神論でした。女の子は、セーラー服のスカート丈が膝上(下)何センチでなければならない。前髪は、眉毛にかかってはいけない、などなど、事細かに決められていました。...私の折々のことば4
時々このブログに登場する、孫H君が昨日来ていました。彼は、老いたじいじばあばの様子を見るためか、それとも上昇しているホテル代を浮かせたいからか、少しの暇を見つけては、訪ねてくれます。昨日は、勤め先のお正月休みが取れたからと、来てくれたのでした。例によって、高いところの作業、重いもの、その他手伝うことあったらするよ~と言ってくれました。初めから、夕ご飯、何でもいいから食べさせてもらえると嬉しい、ということだったのです。夕方になりました。「今日、夜中の最終電車迄おらせてもらえるかな。最終で羽田に行き、明日の朝いちばんの早朝飛行で台湾に行ってくる」とのこと。一人旅行だとのこと。勿論いいよいいよということで、私には、サッカーの名解説者になってくれました。「台湾」ということで思い出して私の思い出話を始めました。舅が...孫・H君に教えられた
『人生はアイスクリームのよう。急いでなめると頭が痛むよ』・・小学生時代の同級生・・栄光ゼミナール賞友人が詩に書いた言葉。人生急ぎ過ぎるとストレスがふえる。この言葉はより豊かな人生を楽しむための指針となっている。以来、人生のアイスクリームをゆっくり味わいながら進むように努力している。そうだね。あまりに先へ先へと急げば、途中の道端に、見逃すものも多いかもしれないね。余裕をもっていろいろなことを味わう余裕が必要かもしれないね。あなた方はまだお若い。広く、視野を広げる時間が必要なのでしょうね。でも婆さんはこんなことを思い出しました。「光陰矢の如し、月日は人を待たず」。何もできないうちに、日が暮れ、週が進み、月が走り去り、一年が過ぎてしまうのよ。思い残すことがないように、有意義に暮らすには、急がねばならないこともあ...私の折々のことばコンテスト3
私がブログネタとして勝手に使わせてもらっている新聞記事に「折々のことば」・解説者鷲田清一さんという朝日新聞のコラム記事があります。人生いろんな道を究めていく人を中心に、その人の発した言葉を取り上げています。そのコラムにちなんで、この時期、中・高校生の心に響いた言葉のエピソードを作文にしたコンテストが行われているのです。1月5日の朝日新聞に、入賞者とその言葉が載せられていました。z世代とか名づけられて私共昭和世代とはかけ離れた考えもしばしばあり、びっくり婆さんになることも多いのですが、また同じ感動に嬉しくなることもあります。今日から、少しの間、入賞者の作文に触れてみたいと思います。ブログ記事の作文は、おせっちゃんが勝手に短く切り取ってしまったところもあります。お許しを。★最優秀賞・中学生部門『今日一番楽しか...私の折々のことばコンテスト
毎年成人の日にはサントリーが彼の詩(若者に与える詩)を大きく載せます。成人式を4回も迎えるほど生きた私にも、気合を入れてくださり、励ましてくださる詩で、ほとんど毎年、ブログに使わせていただいた。今年は、彼は亡き人の世界へ旅立っていた。この詩は、まだ生きていらっしゃる10月に自筆で書き置かれたものだそうです。彼は私の母校・山口県立防府高等学校の後輩です。一度もお会いしたこともない方だが、誇りに思っていた。サントリーが詩の終わりに、長年の功績を書いていた。若者たちの可能性を信じ、2000年から新成人に向けて厳しく、温かいエールを送り続けてくださった伊集院静さんへ心より感謝と敬意を表します。親愛なる伊集院静さんの残した言葉を大切にしながら歩み続けますとの言葉を添えた。誇り新成人おめでとう。今日から君は新しい道を...伊集院静さんの最期の言葉
新年を祝ったとばかり思っていたが、今日はもう1月の半ばです。なんとも駆け足の毎日です。私のふるさと語で言うと、1月15日は「どんど焼き」の日です。住んでいる東京では何というのでしょうか。お正月、年神さまをお迎えするために、飾り付けた正月の縁起物をしまい。松などは焚き上げて始末をするのです。わが家の属する町会はD八幡様が氏神様ですが、ここでは氏子たちのためのどんど焼きはしないようです。お隣の氏神様のH神社が「お焚き上げ」と表現して、15日10時からと案内をしていました。神様は、地図の線引きで差別はなさらないだろうと、我が家は住み始めてすぐから、このH神社に持って行くことにしています。昨年は15日が、確か大雪だったか冬の嵐だったか、出かけるのをあきらめたのでした。1年間、ビニール袋という仮住まいで、お過ごし願...火起こし…原始人になれない
つい先日、阿川さんのことは「さ・し・す・せ・そ」で書きましたが、同じ出演で、もう一つ私の記憶に刻まれた言葉がありました。今週はこの言葉で笑って(もしかしたら寂しいことかもしれませんが)閉めましょう。佐和子さんの父上は猛烈な怒り爆発人物だったようです。父上亡き後、佐和子さんがその思い出話を書かれて、私も読んでブログに書きましたけれど、その爆発ぶりはなかなかのものでした。妻である佐和子さんの母上は、結婚してすぐ「お前は着物が似合う、というか、しか似合わない、俺の前では着物で過ごせ。洋服は許さん」と命じられ、佐和子さんの記憶では、守り通した人だったようです。93歳まで生きて、天寿を全うされたのだそうです。晩年は、認知症を患われ、佐和子さんは病院に付き添うことがあったようです。その病院での話です。医者は母上がその...医者の言葉・・・阿川佐和子・徹子の部屋
お正月(1月1日)、まだ、大事件は起こってなくて、のんびりと息子家族が来るのを待っていました。孫娘が結婚し、外地に暮らしていますので、お客は3人です。お屠蘇をいただき、私の手作りのお節と、お雑煮、で今年一年の無事を祈るのが決まりです。2日・3日は箱根マラソンをテレビで見るのが恒例です。今年は、まさかと思う青学の頑張りでした。区間賞を取った青年、記録を出した若人、誇らしげにインタビューに答えます。今年そこで、不思議なことに気がつきました。走る若人は、インタビューに答えるのに、「無茶苦茶」という言葉を使わないのです。これは、監督の指導でしょうか。なら、ますます尊敬しちゃう。今世の中は、無茶苦茶が無茶苦茶多いのです。普通の青年だけではありません。言葉で生きていると思われるアナウンサーまでが,無茶苦茶というという...「無茶苦茶」という言葉
年末最後の徹子の部屋はタモリと決まっています。彼にかかっては、真面目な話も、笑い話も、広い彼の知識に裏付けられながら、どこかすっとぼけた、思わず笑って許して、心が軽くなる話題になるのです。今回も、自分の売り出しの頃の話、物まね、声帯模写、真似て歌う楽しさ、30分、年末のせわしなさを忘れて笑いました。終わり近くになって、タモリは面白いことを言いました。「最近の若者の話し方に僕はヨーデル話法と名付けているのですよ。特に若い男性社員に多いような気がします」「顕著なのは、商品などの売り込みをする社員言葉です」「売り込むべき商品の性能の説明などで顕著です。ここぞという時、急に声が高くなり、早口になるのです。(ここで声帯模写)」「そこがヨーデルに似ていると思うのです。可笑しいほどみんなやるんですよ」ここから先は、おせ...ヨーデル話法・・・タモリさん
冬休み明けには、その間に得た知識で。「徹子の部屋」・・・阿川佐和子さんお二人、日頃から仲良しらしく、話が弾んでいました。阿川さんは、最近出版した、会話を盛り上げる方法を話していました。半分笑いながら、「殿方は、この、さしすせそで、相槌を打てば、大抵上機嫌になってくださるようですよ」とのこと。さ・・・さすがぁ!し・・・信じられな~い!!す・・・すばらしい!!せ・・・センスいい!!そ・・・そのとおり!!なるほど、まず相手をいい気分におだてるか。自分の話が尊敬されて、受け入れられたと思うと人は(男性は)、自分が偉くなったような気がして、話に弾みがついてくるか。会話がポンポンと弾むようになればしめたもの、インタビューは成功するのだろうか。なるほどなるほど。(おせっちゃん)相手を満足させる「さ・し・す・せ・そ」
今日からまた少しずつ書いていこうと思います。よろしくお願いいたします。まず小手調べの小さな写真から。小さな小さな写真です。小さな画面に大きな大きな、物が入っています。ほとんどの日本人が、誇りをもっているものです。堂々と、冬の青空にどっかりと場所を占めています。そうです、富士山です。そうなんです。私が、ウオーキングをする世田谷区立羽根木公園からは、富士山が見えるのです。ふるさと山口県から、本籍も移して、世田谷区民として暮らし始めたのはコロナ前だったと思います。今でも、ふるさとは・・・と聞かれると、山口の風景と両親の顔が思い浮かぶのですが、もうそこには籍もありません。東京人になたのですね。ビルが、どこも高くなっています。富士山の見える場所がだんだん減ってしまっています。それでも2月には梅まつりで賑やかになる、...冬眠から覚めることにしました
新しい年を穏やかに迎えたと思っていたら、なんと大地震。神様、何をお怒りですか。お静まり下さい。北陸の方々に、正月早々に悲しみを背負わさないでください。関東に暮らす私も、心からお願いいたします。ご被害に会われました方々、寒さに加えての避難所暮らしなど、どうぞお大事になさってくださいませ。遅れながらも、新年のご挨拶をさせていただきます。こんな時ですが、年賀状らしき画像でご挨拶いたします。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。そして、今年もマイカレンダーを月初めに見て頂きたく、載せます。朝焼けの富士に,手製の辰で、誤魔化しました。手抜きですね。お許しを。神様。お静まりを!
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病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び
新年を祝ったとばかり思っていたが、今日はもう1月の半ばです。なんとも駆け足の毎日です。私のふるさと語で言うと、1月15日は「どんど焼き」の日です。住んでいる東京では何というのでしょうか。お正月、年神さまをお迎えするために、飾り付けた正月の縁起物をしまい。松などは焚き上げて始末をするのです。わが家の属する町会はD八幡様が氏神様ですが、ここでは氏子たちのためのどんど焼きはしないようです。お隣の氏神様のH神社が「お焚き上げ」と表現して、15日10時からと案内をしていました。神様は、地図の線引きで差別はなさらないだろうと、我が家は住み始めてすぐから、このH神社に持って行くことにしています。昨年は15日が、確か大雪だったか冬の嵐だったか、出かけるのをあきらめたのでした。1年間、ビニール袋という仮住まいで、お過ごし願...火起こし…原始人になれない
つい先日、阿川さんのことは「さ・し・す・せ・そ」で書きましたが、同じ出演で、もう一つ私の記憶に刻まれた言葉がありました。今週はこの言葉で笑って(もしかしたら寂しいことかもしれませんが)閉めましょう。佐和子さんの父上は猛烈な怒り爆発人物だったようです。父上亡き後、佐和子さんがその思い出話を書かれて、私も読んでブログに書きましたけれど、その爆発ぶりはなかなかのものでした。妻である佐和子さんの母上は、結婚してすぐ「お前は着物が似合う、というか、しか似合わない、俺の前では着物で過ごせ。洋服は許さん」と命じられ、佐和子さんの記憶では、守り通した人だったようです。93歳まで生きて、天寿を全うされたのだそうです。晩年は、認知症を患われ、佐和子さんは病院に付き添うことがあったようです。その病院での話です。医者は母上がその...医者の言葉・・・阿川佐和子・徹子の部屋
お正月(1月1日)、まだ、大事件は起こってなくて、のんびりと息子家族が来るのを待っていました。孫娘が結婚し、外地に暮らしていますので、お客は3人です。お屠蘇をいただき、私の手作りのお節と、お雑煮、で今年一年の無事を祈るのが決まりです。2日・3日は箱根マラソンをテレビで見るのが恒例です。今年は、まさかと思う青学の頑張りでした。区間賞を取った青年、記録を出した若人、誇らしげにインタビューに答えます。今年そこで、不思議なことに気がつきました。走る若人は、インタビューに答えるのに、「無茶苦茶」という言葉を使わないのです。これは、監督の指導でしょうか。なら、ますます尊敬しちゃう。今世の中は、無茶苦茶が無茶苦茶多いのです。普通の青年だけではありません。言葉で生きていると思われるアナウンサーまでが,無茶苦茶というという...「無茶苦茶」という言葉
年末最後の徹子の部屋はタモリと決まっています。彼にかかっては、真面目な話も、笑い話も、広い彼の知識に裏付けられながら、どこかすっとぼけた、思わず笑って許して、心が軽くなる話題になるのです。今回も、自分の売り出しの頃の話、物まね、声帯模写、真似て歌う楽しさ、30分、年末のせわしなさを忘れて笑いました。終わり近くになって、タモリは面白いことを言いました。「最近の若者の話し方に僕はヨーデル話法と名付けているのですよ。特に若い男性社員に多いような気がします」「顕著なのは、商品などの売り込みをする社員言葉です」「売り込むべき商品の性能の説明などで顕著です。ここぞという時、急に声が高くなり、早口になるのです。(ここで声帯模写)」「そこがヨーデルに似ていると思うのです。可笑しいほどみんなやるんですよ」ここから先は、おせ...ヨーデル話法・・・タモリさん
冬休み明けには、その間に得た知識で。「徹子の部屋」・・・阿川佐和子さんお二人、日頃から仲良しらしく、話が弾んでいました。阿川さんは、最近出版した、会話を盛り上げる方法を話していました。半分笑いながら、「殿方は、この、さしすせそで、相槌を打てば、大抵上機嫌になってくださるようですよ」とのこと。さ・・・さすがぁ!し・・・信じられな~い!!す・・・すばらしい!!せ・・・センスいい!!そ・・・そのとおり!!なるほど、まず相手をいい気分におだてるか。自分の話が尊敬されて、受け入れられたと思うと人は(男性は)、自分が偉くなったような気がして、話に弾みがついてくるか。会話がポンポンと弾むようになればしめたもの、インタビューは成功するのだろうか。なるほどなるほど。(おせっちゃん)相手を満足させる「さ・し・す・せ・そ」
今日からまた少しずつ書いていこうと思います。よろしくお願いいたします。まず小手調べの小さな写真から。小さな小さな写真です。小さな画面に大きな大きな、物が入っています。ほとんどの日本人が、誇りをもっているものです。堂々と、冬の青空にどっかりと場所を占めています。そうです、富士山です。そうなんです。私が、ウオーキングをする世田谷区立羽根木公園からは、富士山が見えるのです。ふるさと山口県から、本籍も移して、世田谷区民として暮らし始めたのはコロナ前だったと思います。今でも、ふるさとは・・・と聞かれると、山口の風景と両親の顔が思い浮かぶのですが、もうそこには籍もありません。東京人になたのですね。ビルが、どこも高くなっています。富士山の見える場所がだんだん減ってしまっています。それでも2月には梅まつりで賑やかになる、...冬眠から覚めることにしました
新しい年を穏やかに迎えたと思っていたら、なんと大地震。神様、何をお怒りですか。お静まり下さい。北陸の方々に、正月早々に悲しみを背負わさないでください。関東に暮らす私も、心からお願いいたします。ご被害に会われました方々、寒さに加えての避難所暮らしなど、どうぞお大事になさってくださいませ。遅れながらも、新年のご挨拶をさせていただきます。こんな時ですが、年賀状らしき画像でご挨拶いたします。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。そして、今年もマイカレンダーを月初めに見て頂きたく、載せます。朝焼けの富士に,手製の辰で、誤魔化しました。手抜きですね。お許しを。神様。お静まりを!
今年最後はきちんとまとめて、冬休みに入るつもりでした。出来るような気がしていました。いわゆる病気ではないのでしょうが、気力体力が無くなりました。気温の急激な変化、汗ばむほどの一日から、真冬の寒さ、お天気も急変、いわゆるお天気病・気象病の自立神経が暴れているのかもしれません。ばあさん、無理はやめようと弱気になりました。お許しください。昨日今年最後のパソコン教室に行き、仕上がったカレンダーを持って帰りました。おいおい月初めにお目にかけます。その1月のデザインで賀状は仕上げました。今日は朝から、昨日出来上がったA3の壁掛けカレンダーを流用して、2Lの卓上カレンダーを作り増し、学生時代からのボーイフレンド(じいじフレンド)に送ってやりましょう。年末の主婦仕事、最小限にカットすることにしました。年明け間もなく、家の...冬休みにします。
やっと取れた美容院の予約、今日行ってきました。金曜日に、予約電話した時、断る口調が何だか変、と思ったのでしたが、マダムが災難に巻き込まれていたのでした。「火傷しちゃってね。今写真見せるわ」スマホの写真。右足の指の付け根が大きな水膨れ。半透明の凸凹の水膨れで、見るからに痛そう。「どうしたのよ、尋常ではないわね」「パーマのお客様に、サービスのコーヒーを入れていたの。ちょっとお客様の方に神経が行って、カップを外して熱湯をかけてしまったのよ」「それでどうしたの」「どうって、お客様はパーマが途中だし、火傷みたいだけど、ちょっと見には赤くなっているだけなのよ。やめるわけにはいかないわよ、痛みをこらえて続けました」「夕方、最後のお客様を済ませて、患部を見てびっくり。赤みが増し、腫れて来て、痛みは増すばかり」「それで」「...美容師さんの災難
13日のブログにマッサージの先生から教えられた、耳たぶ刺激法を書きました。半信半疑ながら思い出すと耳たぶを引っ張ったりしていました。これは効いてる!!とまでは確信が持てませんが、昨日からの急激な温度下降、お天気の崩れにいつもほど害が出ていません。次に書くような影響はありましたが、いつもの悪影響とは違うようです。実は昨日は、とても忙しい日でした。急に寒くなったということで、まだ出していなかった冬物衣料を夏秋ものと交換したのです。夫と二人分、結構手間がかかりました。門前は、落葉に埋まっていました。わが家の楓の木の葉です。中腰で履く作業は、最後には涙が出そうになるほどに腰に来ました。午後、電車一駅離れた美容院が予約してありました。正月迎えに、パーマネントをかけてもらいに。引き続き、夫の薬のストックが無くなりかけ...内耳を刺激‥・自律神経の調整・・効くかな?
木曜日のパソコン教室でカレンダーを仕上げ、今日は自分の力で年賀状作成をしました。途中でインクが切れて、渋谷まで往復という余分が入り、ブログ投稿がこんな時間になってしまいました。今夜から、宛名書きです。さてそんなわけでネタがない。どうしよう。夕食の片づけをして、ごみを捨てるのに、カラス対策で、古新聞に包んで捨てる約束になっていますのでやっていましたら目につきました。他人様のもので誤魔化しますが、お許しを。笑って今週を締めましょう。朝日新聞に、「いわせて、もらお」という、投書の笑い話のコーナーがあります。これが私は好きなのです。というわけで、下に2・3紹介します。★一字の違い・・・大学生の娘は最近、ダイエット目的でご飯を少なめにしている。「食べるのををがまんしていると『拒食症』になるよ」と注意したら「食品売り...週末を明るく
先日来気に掛かりながら後回しにしていた仕事を、午前中やり終えました。「なにしたの?」声が聞こえるような気がします。そうです、台所の物入れの中の整理です。劣等生主婦が、年末いよいよ追い詰められたのです。台所に、半間の押し入れがあります。棚も何もないので、使い勝手は悪く、目につかないように不用品などを入れておく、劣等生がますます劣等婆さんになる原因の押し入れです。気になっている段ボール箱から取り掛かります。扉があるからいいようなものの、引っ越しに使った古い段ボールに、あふれんばかりのビニール袋です。どうしてこうなったのよ!!何年前だったでしょう?地球温暖化の原因になる、ビニール袋(代表的にはお店で入れてくれるレジ袋)を廃止しようというお達しが発せられました。主婦の大多数の人が「困ったな。ゴミ捨てはどうするのよ...まだまだ余地があります
めずらしく、英語の言葉のご紹介です。横文字に全く弱い私にも、どうにか読み取れる言葉でした。Aperson'sbacktellsmemorethanthefront.「人の背中は正面より多くのものを私に語ってくれる」と解説者の鷲田清一氏は約してくれています。また、ソール・ライター氏は米国の写真家だと。背中は自分では見ることができず、無防備に晒されるほかないもの。でも正面の顔だって実は同じだ。顔はよりによって自分だけが見ることができない。そんな顔から他人は情報をたっぷり得る。怖いこと。日本には、後ろ姿で教えるという考え方がある。私が親になって、自分の子供に対するころ、子育ての疲れで常にイラついて、叱ることが多い母親を演じてしまっていた。そんな時、先輩の親から、幾度も幾度も、「子供は見ているんだから」と何度も諭...折々のことば・・・ソール・ライター
圧迫骨折の尻尾がなかなか退治できないで苦しんでいることはあちこちに書いたりしています。もはや痛みやむくみ、だるさ、ひいては眩暈など、本当に原因が圧迫骨折なのかも定かには分からなくなっています。どうも、痛み止めの薬がその原因になっているような気もするし、見てくれていた整形医は、高齢でご自分が倒れられたり、リハビリの若者は退職してしまうしで、通院をやめてしまいました。薬も思い切って内科医でもらう降圧剤のみを飲むまでに減らしました。その代りに、公園でワンちゃんを通じて知り合った方の推薦で、マッサージ師にかかり始めたことはすでに話しましたね。新しく掛かり始めたKマッサージ先生は、2週間に一度行き、その2週間の様子を話し、気になる症状に効く治療を受け、次の2週間、自分で体操をするように習って帰るペースです。K氏は薬...お天気病・気象病に対して・・・効くかな?
わが家では夫が現役のころの必需品だった日経新聞をそのまま取っています。老化の進んだ夫は、それでも朝食時に食べながら目を通します。人間の習慣というものはなかなか変わらないものですね。私はほとんど読みません。読むとしても、主婦向けの投書とか、有名人のエッセイとか、そんなものです。日曜日朝刊は朝日新聞を読んだ後、昼食づくりまでに少し時間が空きました。そこで日経をめくったのです。先に述べたように主婦感覚での目です。新刊本の大きな広告が目に飛び込みました。「厨房の哲学者」。その横に、私の頭にも入ってくる強い言葉。でも、私は本文を読んだわけではありません。ただ、広告の大きな文字が目に入っただけです。それでもなんだかメモしたくなったのです。切り取りました。そして今、ブログ記事として書いておくのです。もしお目にとまって、...新刊本の広告から・・運命に従え
9月のことだったでしょうか、異常な暑さに加えて、収まったかに思えたコロナがあちこちで少しずつ、再び三度・・・8波と言っていましたっけ・・・勢力を伸ばし始めた恐れが伝えられていました。ワクチンの追加接種、少し間に合いかねているのではないかと、心配事が一つ増えたような気がしていました。世田谷区からは、予約受付の報せが来ました。それを受け取った時には、まだ蔓延の方角への勢力はそれほどではなく、6回目をやったのは7月だったと思うよ、ちょっと早すぎるのではないか、少し様子を見ようと思ったことでした。かかりつけの医者にも相談しました。そうだねえ、もう少し間を開けたほうがいいかもしれないね。うちでも接種を引き受けることになっているけれど、まだ詳しい予定は言ってきていないよ。とのこと。足弱の夫を連れていくのは難しいし、先...コロナワクチン(7回目)接種ご報告
午前中リハビリに出かけた夫を待ちながら、テレビの大下容子ワイドスクランブルを見ていました。千年の伝統を持つ地域の祭りが来年の祭りで終止符を打つという話題が取り上げられました。岩手県、大石市の「蘇民祭」です。何年前でしょうか、その祭のポスターに地元の青年が、締め込み姿・胸毛強力・顔鬚だらけ・激しい行事参加に大声を出しているのであろう口。それはそれは迫力満点、野性を取り戻したような男の姿が吠えているポスターでした。この迫力と野生が、あまりに激しすぎる、不快な感情を持つ人もいるのではないかと問題になり、駅に掲示するのを拒まれたことで、賛否両論全国区で有名になった祭でした。それから時は流れ(1000年に比べれば短い時ですが)、日本はますます老齢化が進んできました。地方の農村では若者が少なく、高齢者社会にますます進...高年齢化⇒伝統の祭りが消える
昨日(12月5日)の「折々」は面白く読めました。老人の健康の秘訣というか、開き直りというか。『健康でいたい。そのために何をすればいいか、という課題は全てストレスになります。ーーー健康を害しています』横尾忠則歳がいくと、目も耳も息も、ハンディキャップだらけだ。健康を取り戻そうとするのは、そもそも老いる体への反逆。そこで「ハンディこそ僕の自然体」と思うことにした。目的など掲げず、シンプルに「快食快便快眠」、そして絵を描くこと。きっと横尾氏もいろいろやってみた挙句、老いの老いていくスピードには勝てないと投げ出されたに違いない。やけっぱちに達した結論が、「快食快便快眠」と自分のこよなく好む絵を描くことだけでこの先生きていこう!と思い定められたのでしょう。とは言いながらやっぱり未練はあって、体操など試みたりはしてい...折々のことば・・・横尾忠則
土曜日、おせっちゃんの「折々のことば」として、物事を極めた人の美しさを書きました。生きてきた長い道のりですが、その折々に感動を覚えたこと、数々ありました。今日はそこから連想的に思い出した一瞬のことを書いておきます。ブログにろくでもない、拙い文ですが、思い出をつづっています。書いてみるとそれは戦後の貧しい、そして、片田舎の生活が多いのに気がつきます。私の人格の大本はここにあるからでしょう。駅弁大学と揶揄される田舎の大学ですが卒業して、3年間、教職につきました。教えるという立場より、学生の続きをやっているような、プロ意識の全くない3年間でした。結婚しました。夫が勤務している福島まで、山口から移動するのが、新婚旅行でした。主婦らしく振舞うこともぎこちない田舎娘でした。様子を見に、舅が訪ねてきました。東京に連れて...空気が変わる
11月23日に、幸田文さんの「くろうとはどの道の人も、みなあと片付けがうまい」という言葉をご紹介いたしました。幸田文さんの文章が、高校の国語の教科書にあり、露伴との父娘の厳しくも暖かな生活のありさまが心に残ったことを書きました。その授業を受け持ってくださったM先生の現代国語は、私のだいすきな時間でした。そんなことで、文さんの言葉を書いてから、しばらく、その言葉に惹きつけられていました。そして、こんな言葉を自分の言葉にしてしまいました。「その道を究めた人の身のこなしは、美しい」魚を食べた後始末を厳しく指導してくださった、お茶の先生。お点前の流れるような動作は。お辞儀一つも、どこか違う。今年は各種のスポーツで、日本の強さが際立ちましたね。最高の動作こそが最高の結果を生むのでしょうか、最高の動作あってこその最高...折々のことば・・・おせっちゃん