病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
今朝の朝日新聞・声の欄に、「どう思いますか子との同居」という特集がありました。先ず、このテーマの言いだし者の声(おせっちゃんが適当に編集しました。以下すべて)今年正月夫を送った86歳の女性の声夫の最後は子どもたちにも支えてもらいながら、10年近く介護した。諸手続きが終わった頃、長男が一緒に住もうかと言ってきましたが、即断で断りました。息子はなぜ?と納得がいかない様子。あなたから言うと、ひいばあちゃん・祖父母・お父さんと見送り続けた。やっと自由な時間ができた。一人にしておいて、と頼んだのです。夫と母を送って、今一人暮らしを満喫・81歳女性父を失って、母が寂しいだろうと夫と子供を連れて母と同居した。母は幸せそうだった。4年ほどの介護の末夫が亡くなった。同時期、母の介護も加わった。母も亡くなった。嫁と孫たちが同...子との同居・・どう思いますか
昨日、夫の90歳・節目の年の祝いを報告いたしましたが、今日見ると、とんだ大間違い。書く時、なんだか変と思いつつ書きましたが、・・・九十歳は卒寿でした「傘」の略して、真ん中の人人人人を略して書くところから「八十の祝い」をこう表現するようになったのでしょう。肝腎の90歳は「卒寿」。「卒」を「卆」と略字を当てて「卆」寿です。もう一度繰り返しますが、「九十歳」は卒寿でした。とんだところで間違いました。ごめんなさい。今日は、穴を掘って身を隠します。恥じ入っております。とんだ間違いをしました
私ども夫婦もびっくりするほどの年になりました。夫は誕生日を迎え、齢90歳。何とはるかな人生と思うけれど、また、何とあっという間に過ぎた年月とも思うのです。今、歳相応というのか、病を得ていますが、どうにか身の回りの動きはできる程度です。昔の人は上手く表現したもんだと感心しますが、いわゆる傘寿のお祝いの年です。白寿・百才はまだ遠いことですし、この折り目にお祝をしてやらねばと思いました。血縁も、皆年寄りです。招き招かれの行き来ができる状態ではありません。女房、子ども、孫でささやかにと思いました。お盆休みを取ったばかり、、勤めを休んでまで・・・とは言えません。結局、夫婦が(私ども夫婦)・近辺に住んでいる息子K一家(K・M・孫R)を呼んで、ウナギでも取ろうかということになりました。そこにライン。もう幾度もブログに登...夫、傘寿の祝い
昨日、私の足指が動いていなくて、それが原因で足裏が固く凝り固まり、しびれなど不具合を起こしているのではないか、体操で改善しましょう、と指導されたことは書きました。早速意識して動かしています。心なしか、しびれは軽減しているような気がします。その私の足指の話から、こうした症状が出ている人が多いというお話を聞きました。「要は、運動不足なのですが、今、小学生にまでその不具合は広がってきているのです」「小学生の運動不足?ゲーム、スマホ。塾通いその他いろいろ・・・遊びが足りないのですね」「確かにそれらが原因になっています。でも、その足を守る運動靴が原因になっていることが言われます」「メーカーは商売のために改良に改良を重ねます。確かにこの改良で、選手の記録が伸びていることもあります。でも靴に守られ過ぎて、肝心の足を退化...K先生のお話から
「おせっちゃんは整形の先生のおっしゃることを守って、「あるく」を守って暮らされたからでしょうね、脚が細~くなることなく筋肉を保っておられるから、良かったですね」先生から褒められてちょっと誇らしく思ったことでした。「でも、もう何年というほど気を付けていますのに、こむら返り様の激痛や、もうこれ以上は歩きたくないと立ち往生したくなるほどのだるさがあるのはどうしたことでしょうか」「腿から下、特に膝から下が固いのですよ。筋肉はしなやかに柔らかくなくっては・・・。マッサージで緩めてもいきますけれど、自分でも教えた体操はやってください」「その進め方が難しいのです。良く分からないのです。脹脛や膝の裏の筋など延ばすように気を付けてやりますし、スクワットもやっています。ただ、少しやり過ぎたかなと思うと決まって、こむら返りなど...下肢の不具合・・快方へ向かう3
隔週くらいに通い始めました。その間の家庭での様子を話す。マッサージを施し、私が訴えるところを治療するべく悪いところを見つけてくださるようです。家庭でできる体操を教えてもらって帰宅します。2・3か月経った頃、先生のお考え。おせっちゃんの不具合は、必ずしも圧迫骨折をしたところの狭窄による神経の痛みだけではないと思います。痛みで、行動が少なくなり、筋肉が弱っていて、ぼくが教えた体操によって負担がかかり、いわゆる筋肉痛が起こっていることがあります。もう一つは狭窄による神経の痛みです。貧乏ゆすりのような変な動きなどは、こちらの不具合だと思います。背骨を触ってみると、ほんの少しですが曲がっています。この曲がりが、狭窄を上乗せしているように思います。マッサージで間借りを直すようにし、筋肉をつけて、がっしりと固めましょう...下肢の不具合・・快方に向かう2
5年も6年も整形にかかっても埒が明かず、医者も、私もマンネリになり、飽きてきました。おまけに、骨折直後から痛みと戦うため、薬をしこたま飲んだのが原因かどうかは分かりませんが、飲むと眩暈がしたり、フラフラしたり、かえって病気になるような気がしてきました。整形の病院長が息子さんに診察を引き継ぐ状態になられたのを機会に、通院を止めました。私の勝手な薬の副作用との考えですが、飲み薬は全て辞めました。(別の内科医にはかかっていて、血圧降下の薬をもらっています)。こうした思い切ったことは、公園で仲良くなったワンちゃん友達がマッサージの良い先生を紹介してくださったことで、しばらくはそちらにかかろうと決心したからなのです。新しい先生・・K先生・・は初日に、今までの経過、今悩んでいること、どこが、何が辛いか、など1時間も丁...圧迫骨折による下肢の不具合、治ってきました
よく覚えませんが、こんなクイズに出会いました。ニュースショーか何かの合間のお楽しみに、若い女性アナウンサーに出された質問だったと思います。「チャーハンとピラフはどう違いますか」チャーハンも、ピラフも目には浮かびますがその違いをきちんと解説することが私にはできませんでした。聞かれた女性も、同じ場にいた人たちも戸惑っていました。さて、お分かりですか?チャーハンは、炊きあがったお米(ご飯)に具材を入れて、炒めて仕上げたもの。ピラフは、生のコメと、具材を混ぜ、水を足して、熱を加えて仕上げるもの、だそうです。ふ~ん、そうだったのか?恥を幾度も書き立てるようですが、おせっちゃんは料理が得意ではありません。その嫌いな原因の一つがカタカナ文字など外国語の料理の名前、材料の名まえ、調理法、基本がさっぱり知識の中に無いことで...チャーハンとピラフ
真っ白な白髪で登場されて、びっくりしました。話し合いの中で徹子さんも触れていらっしゃいましたが、いわゆるグレイヘアーではなくまさに白髪です。個性的とも思われるお顔だと印象を持っていましたが、白髪と年齢を積んだお顔とマッチして美しかった。ああ、これはビデオで見たから収録の時期は分かりません。時々ふるさと福岡県大川市方言を交えての話も興味深かった。中で、亡くなったお母様の話は、面白いと感じました。どうも以前、お母様と一緒に出演なさったことがあったらしい。お母様は徹子ファンで、いわゆる舞い上がり状態だった。出演に当たっていろいろ家族で話し合っていたが、その中には、思わずお母様が陣内さんを平手打ちにしたこともあったらしい。それがいざ本番となると(ここからは陣内さんのジェスチャーと声色)「いいえ、私はそんなことはし...自分を飾る・・・陣内孝則
昨日書きましたように、我が家の墓は、夫の好みであれよあれよという間に建ってしまいました。これはこれで安心なのでしょうか。本籍地には・・・山口県の片田舎ですが・・・急坂の細い道を、息を切らせて登ったところに先祖代々の墓がありました。舅姑が無くなった時点で、いわゆる「墓じまい」をし、本籍地も今住んでいるところに変更しました。ですから、末っ子のわが家は仏になった両親の仏事をすることもなく、初代は夫ということになり、建てたままで、まだ空の墓です。その墓を建てる前の家族の話。特に私の考え。お墓、お墓というけれど、今、夫とともに入るのはいや、私は私で建てるという考えの人が多いと言います。これでは狭い国土がお墓だらけになりませんか。世話をする人がいなくなった時そのお墓はどうなるの?当時私はそんなことを考えていました。平...昨日に続いてお墓について
昨日の夕方のニュースショウ、お墓を求める人たちの話でした。4年ぶりに自由に旅行ができると多くの人が、殊の外の暑さをものともせず多くの人が繰り出したようでしたね。バスツアーが一つ出発しました。お墓さがしツアーです。都心に近い、風格のあるビル。お寺めいた名前。これはお墓の集合ビル。番号のボタンを押せば、我が家のお墓が目の前に回ってくる。他にも、広い公園の中のお庭、その踏み石の下が掘れるようになっていて仏になった人の遺骨(遺体)が埋められるようになっている。白布に包むだけで土葬するから、自然に返るのだそうだ。また、いわゆる樹木草、遺体の上に樹を植える。などなど。このツアーの最後のコースは、船に乗る。沖に出て、お骨を灰状に粉にし、海にまく散骨。などなど。解説によれば今、お墓探しがはやっているのだそう。一つには、都...最近のお墓事情
6号・7号の進行方向を気にして落ち着かなく暮らしました。東京は少々ゲリラ雨があったくらいで無事。喜んではいけない。東京が無事ということはどこか離れたところが被害を受けているということ。今暑さの中、残していってしまった台風の片付けに明け暮れしていらっしゃる皆さんには、どうぞ熱中症などにお気を付けて・・・というよりほかに声なし。ただ祈るのみ。昨日ニュースの中で、「このまま酷暑の晴れが続けば、東京は水不足になる。ダムは普段の3分の1ほどの水しかない」と伝えていました。線状降水帯、とか、雷雨とか、ゲリラ雨とかの言葉。茶色い濁流を見ていた身にはただ口をあんぐり状態だった。出来るものならあの濁流をダムに引き込みたい思い。全く、いろいろな災害があるもの。程よい雨がダムに降り注ぐことを祈ります。さて、息子Kのこと。ついで...Kその後3行方不明の巻
台風の動きを心配しながら夏休みをのんびり過ごしました。何処に行くわけでもなく、何をするわけでもなく。まあ、ばあさんは混雑の中に出て行くよりお家でのんびりがふさわしいのかもしれない。またぼつぼつとと書いていくつもりです。気儘に休みもします、お目についた時はどうぞお立ち寄りくださいませ。本当に体力気力がなくなりました。夕食の支度をし、食べ、夫に薬を間違えないように揃えて飲ませ、洗い物を済ませると、ぐったり。テレビを見ているつもりがそのまま夢の世界に「寝落ち」してしまうのです。あまり若者言葉を好まないのですが、この寝落ちの「落ちる」感覚が、全くそのとおりと真似ているのです。ハッと目覚めたらテレビが一人しゃべっていました。これは私も良~く知っている吉永小百合さんです。お相手はお笑いの松本人志、途中からだけれどこれ...寝落ちから覚めて・・・吉永小百合と松本人志
夏季休業中ですが、載せたい写真が在りますので・・・月初めにお見せするマイカレンダーの写真を提供してくださる伊藤信男さん(自然写真家)から、素敵な暑中見舞いのハガキをいただきました。殊の外の酷暑の夏の疲れをそっと拭ってくれるような、爽やかな、涼やかな写真入りです。少しでも涼しさを感じていただければ、幸いです。スキャンでお届けいたします。伊藤さんに私はこんなお返事を出しました。若かりし頃にオーロラを観に行ったアイスランドの氷滝(スコウガホス)の写真です。オーロラもしっかり見て帰りました。またの機会にお見せいたしましょう。夏休み中ですが・・・
Kの行き先を阻んだ6号が九州の西を北上しています。のろのろと、雨風を荒らしながら俺様のお通りだと肩を怒らせていくようです。その軌跡を追うように7号が東日本も襲うようです。一月前頃だったでしょうか、パソコンのご機嫌を損ねてブログを休み休みアップしたばかりですが、この暑さに、少々ばてました。お盆過ぎまでしばらくお休みいたします。いいえ、特に体を悪くしているわけではありません。お休み明けには再び駄文でお目を汚すことと思います。皆様、どうぞご自愛くださいまして、爽やかな秋を迎えるまでお元気でお過ごしくださいませ。夏休みとります
岩国市を走り終えたところで、ラインに一言あったきり、何の連絡もなし。私の、今夜は寝ないで一晩走り続けるのかの問いにも返事はない。翌日(7日)午後4時53分、「今小倉」の一言。小倉は、夫の転勤で家族一緒に引っ越して、5年間住んだところ。Kが小倉に姿を現すのを待ってくれて、中学時代の人たちが集まってくれるとのこと。一息つくのかしら。「暑さに加えて台風の横暴、荒れなければいいけれど・・・」(おせっちゃん)「長崎の式典は出来そうにもないね」(Ma)「行けるところまで行くのかな?本部が中止命令を出すのかな?」(おせっちゃん)「台風、長崎に行っても帰れなくなるかもだし、いっつもの様に式典もないし、途中で打ち切りました」(K。8日午前9時33分)「お疲れ!。明日、明後日は飛行機も鉄道もストップしそうだね」(Ma)「どこ...Kその後2
台風6号のゆるゆる行進に気がもめること。6日は、広島平和公園での慰霊の会を静かに共にし、平和を祈りました。祈ることは当然のことでありますが、実際の原水爆を世界から無くする誓いはなかなか難しいことのようです。いつか、若いころ読んだチボー家の人々の場面を紹介ました。、誰もが願っていることで、双方の兵士が同時刻に武器を捨てさえすれば済む、と物語中の人物が言っており、おせっちゃんもそうだとうなずきながらも実行はできないことを思い知るのです。広島・長崎間を走るKは暑さの中を走っていることでしょう。同じ6日に、むすめMaの娘が泊まりに来ました。お友だちに会っておしゃべりをするのが目的のようです。お昼に荷物を置きにより、すぐ出かけていきました。娘Maとおせっちゃんのラインでの話。「さきほど、、Mちゃん出かけました。夜遅...Kのその後と孫のMちゃん
昨年もピースマラソンについては書きましたが、我が家では大きな行事になっていますので、書いておきます。Kはウルトラマラソンにはまっています。普通の42キロなにがしのマラソンより距離が長いのです。いろいろのコースがあって、大会が開かれているようですが、ピースマラソンというのは広島から長崎を走るのです。そのコースを何人かグループで参加する人たちと、Kのように一人で完走する人があるようです。広島に原爆の落とされた6日、爆撃の時間に行われる黙祷に参加、鎮魂の思いを抱いて、広島を出発します。それから、7日・8日と長崎に向け走り、9日11時、長崎眼鏡橋に仲間が集まり平和公園まで行進し黙祷に参加するのです。3泊5日、特に決まった休憩もなく走るのです。Kは今回で6回目の参加でしょうか。一人部門で2回完走していると思います。...今年も息子K、ピースマラソン
4年ぶりの旅行をと楽しみにして出かけたかたがた、沖縄で足止め、帰るに帰れない状態になられました。ずっと後になってから、あの時は・・・と思い出すにはこれまた愉快なことかもしれませんが、お気の毒としか言いようがありません。この6号台風、のろのろと停滞して、被害を大きくしたかと思えば、来た道を帰るように再び東に向かうようです。行き合わせたかたがた、体調に気を付けて、下さいませ。昨日でしたか、空港で待つより仕方ない家族に、インタビューを試みたテレビ番組がありました。「今、何が望みですか」2年生くらいの女の子。「家に帰りたい」インタビュー前まで泣いていたのでしょうか、目が真っ赤です。「お家がそんなにいいの?帰りたいのどうして?」「ぴーちゃん・・・」また涙が出てきました。思うに、ワンチャンか、猫ちゃんか、それとも小鳥...折り返す台風6号
世界中を混乱の渦に巻き込んだ、新型コロナウイルスの感染も、やや不安は残すものの5塁まで格下げに漕ぎ着け、マスクその他も各自の自覚と自由に任されることになりました。我慢していた鬱屈が一時に湧き上がるように、各地の夏祭りは盛大のようです。長岡花火大会、隅田川の花火、老人二人直接出かけることは無理とあきらめ、テレビ指定席で眺めたことでした。おおきく、高く広がる花火。硝煙の匂い腹の底まで響く爆発音、思わず掛け声をあげたくなるほどの高ぶりです。いいもんですねえ!日本の夏はこうでなくっちゃ!!テレビ桟敷で結構満足したのでした。きっと、30年ほど前に隅田川迄見に行った本物を覚えていて、それがテレビでの何割引き化の迫力を埋めてくれたのでしょう。その夜遅くのニュースショー、翌日のモーニングショー、盛り上がった花火の映像とと...各地、花火大会
夫が勤めていた時、お給料は確か10日振込だったと思います。その時の感覚が身について、今でも月初めにひと月の締めをします。落第主婦で細々した家計簿はつけませんけれど、夫からこれだけはおせっちゃんの裁量で自由に使ってもいいよと渡される額でやりくりし、締めの日に残った分が私のお小遣いになるという仕組みで我が家は動いています。何年か前、生協に加盟して配達もお願いしていますが、この支払の振り出しが月初め5日です。それで今は5日締めですることになりました。ああそれから、電気代、ガス代も生協扱いにしています。このところ、気になっていること。今回、生協への支払い額がいくらになっているのやら。エアコンずっとつけっぱなしだもんなあ。まさか私の小遣い分が残らないどころか、それを突き抜け、足りませんよお、と言われるのではないかし...今月は…足りるかな?
昨日テレビでアナウンサーがこんな話をしていました。「一番最近に雨傘を持って出かけたのは何日前?」「う~ん、10日前かなあ」「記録によると、雨らしい雨が降ったのは7月2日だそうですよ」それから猛暑続きだったんですね。お昼を終えた頃から、一天俄かに搔き曇り、遠雷が聞こえてきて、黒雲からぽつりぽつり、それがざ~っと襲って来て、雷近づき、・・・。少しは涼しくなったか?雷好きなおせっちゃんには物足りない。8月も、写真は伊藤信男さんのものです。透き通った翅が濃くなった緑と調和し、夏を演出しています。下の写真は露草。今日の様ににわか雨でもあったのでしょうか、水玉が涼しさを味わわせてくれます。田舎で、野性的に育った私は、夏の日照りをものともせず、長い竹の柄を付けた布製の網をもって蝉取りに明け暮れしたのでした。虫かご一杯、...8月のマイカレンダーお見せいたします
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病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び
病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び