令和7年2月25日(火曜)午前5時 米川正利さんがお亡くなりになりました。 沢山の方々がお別れにいらっしゃっておりました。 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 残りの絵とお話は 落ち着きましたらなんらかの方法で 公開したいと思います。
標高1280m長野県八ヶ岳蓼科山麓から諏訪湖界隈一帯在住。 北八ヶ岳黒百合ヒュッテの米川正利さんの絵本制作のお話や、自身の身近な事や人や出来事を記録して残していきます
冷山 北八ヶ岳には冷山(2193m)と呼ばれる山があります。 現在は「れいざん」と呼んでいますが、前は「つめたやま」と言っていました。ちょっと変わった呼び名の山です。 あまり登山者は登らない森林に覆われ、登山道もはっきりしていない山ですが、古くから大変貴重な山だったのではと思われます。 この山からは縄文人が使用していた石器の黒曜石が産出され、山麓には黒曜石の大露頭が沢山あります。日本でも数少ない石器の最終地になっていて、近くには黒曜石を細工していただろう冷山遺跡と呼ばれる場所もあります。 大露頭にも古代人が採集したのではと思われるような岩頭の後もあります。 八ヶ岳の山麓には沢山の縄文
山小屋に長く入っていると、時々誰もいない所に行きたい時もある。 そんな時、いつも行く場所を決めている。 おにぎり持って、2人だけ、誰も誰も知らない秘密の場所。 お花が咲いていて、ぽかぽか天気で気持ちもぽかぽかになります。 解説 米川です。 八ヶ岳は可愛らしい花をはじめとした高山植物が四季折々咲いています。 山小屋での仕事の合間に、山を歩くと夢のような美しい景色に幾度となく出会います。小屋番をしていた頃も、小屋番を息子に譲った後も、啓子さんと一緒によく行きました。 おにぎり持っていったり、珈琲をいれていったり、お弁当をたべて、とても幸せな時間、場所は秘密です。 Saitouです。
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令和7年2月25日(火曜)午前5時 米川正利さんがお亡くなりになりました。 沢山の方々がお別れにいらっしゃっておりました。 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 残りの絵とお話は 落ち着きましたらなんらかの方法で 公開したいと思います。
2ヶ月ぶりに三井の森別荘地を過ぎ北八ヶ岳天狗岳黒百合ヒュッテさんまでの登山口のぎりぎり最後まで車で行くことができる唐沢鉱泉さんの宿に行ってきました2024年4月18日午後。 4月20日から唐沢鉱泉さんは24年度の営業を始めます。お風呂が今日は特に泡が肌につくから温泉はいってらっしゃいと宿の奥様がお話くださったのですが、バタバタしていたのでまた今度ぜひ来ますと言って今回は入浴しませんでした。 登山道は、越冬のあとで、道はがたがた、路肩も大きく削られていましたが、唐沢鉱泉さんがダンプや機械で直していましたので、もうすぐ安心して車で登れるでしょう。 タイヤ交換をどうしようかと悩んでいたのです
春の雨降る八ヶ岳裾野 もうすぐ春 山まだ雪2024年3月25日 黒百合ヒュッテ登山口まで車は渋の湯さんは月曜定休日駐車場使えません 唐沢鉱泉さん登山口は市営駐車場ありますが4月19日まで唐沢鉱泉さん休業、道の整備は不確実 年間通して登山道は駐車禁止です 救急時車両通れません imasaito1280m
八ヶ岳連峰の最南端の西岳に並んであるのが編笠山(あみがさやま)です。標高2524m。 西岳と同じように裾野が広く美しい傘型のこんもりとした美しい山です。 権現岳、赤岳、阿弥陀岳の荒々しい山と比べ、とても優しい山です。 山頂は火山岩の積み重なった山で、岩の間には高山植物のココモモやガンコウランなどが見られます。 山からは正面に赤岳、阿弥陀岳、権現岳、八ヶ岳連峰、遠くには富士山、南北中央アルプス、眼下には諏訪盆地、甲府盆地と広がりすばらしい展望です。 解説 「信州ウソくらぶ」新聞に掲載。「信州ウソくらぶ」は、長野県県職員OB有志による機関紙(月間)新聞です。 Saitouです。「北八ヶ
八ヶ岳の最南端に西岳があります。標高2398m。 西岳は里から見ると編み笠山と並び丸い美しい山です。この山も平安時代から修験道の山として多くの人達が登っていました。 八ヶ岳の修験道は地区ごと分かれていましたが、南八ヶ岳では赤岳を中心とした修験道場と権現岳を中心とした道場に分かれていました。 西岳は権現岳の道場に属していて古くから神聖な山でした。今でも昔の修験者の住んでいたと言われる岩穴や修行したと言われる場所が何か所か地名として残されています。 頂上の半分は樹林ですが南西目はハイマツ帯になっています。展望は素晴らしく権現岳がまじかにあり、遠くは富士山、甲斐駒岳、中央アルプス、北アルプス
絵は世界の美術館より。光まぶしい世界をどのような気持ちで見ているのでしょう。数百年も前の絵がいまだに人を魅了する世界、すごいと思います。対して人間の生きる時間の短さ儚さを感じます。 2024年1月1日元旦、世の中は地震でパニック状態となっていた日、一本の電話がありました。従妹が死んだという知らせ。自宅で急死です。 訳わからずに家に向かうと、まだ生きているような寝顔でお母様が目を覚ましてと何度も言っていました。 昨年8月に会社の健康診断で異常値が見つかり病院にかかったところ白血病の診断。白血病も今は治る時代、骨髄移植を提案されたそうですが従妹は痛いのは嫌だと断ったそうです。入院期間も短く
米川さんの絵本を出版することを目指しこのnoteを始めましたが、どうしてもどこか納得できない気持ちや安定しない感情がありました。そして、最近では本の形にこだわる必要もないと感じるようになりました。ヘッダーでお借りした画像「なんで?」そのものですね。概算費用もすでに把握していました。おおよそ100万円ほど。もともと利益を求めているわけではないので、自己資金でこれくらいなら出してもいいかなと用意もできていました。米川さんのご親戚の方に出版関係の方がいらっしゃり米川さんが相談された時、超有名人もなければ損益とれんらいから出版などしないよと言われたと悲しそうに米川さんはお話されましたが、私とし
北八ヶ岳にあります。「にゅう」と言うちょっと変わった名前の山です。標高2352m。 天狗岳と中山の稜線から北東に離れた場所にある小さな岩峰です。 「にゅう」の山名の由来は「にゅうーっと出ているから」とか「昔、稲刈りの時に刈穂を積み上げて作った「にょう」に似ているから」とか「女性の乳房の様に見えるから」などあります。 佐久地方では同じ形の山が2つ並んで見えるところから近年になって呼ばれるようになったようです。 小さな山ですが、展望もよく、北八ヶ岳の山々を一望することができ、白駒池や雨池も眼下に見えます。 また北八ヶ岳で唯一の富士山を見られる山として知られています。 稜線から外れているので
八ヶ岳連峰のほぼ中央に天狗岳があります。標高2646m。 私の小屋の目の前にある山です。私が何十年もずっと見つめてきた大好きな山です。天狗岳の名前の由来は、遠くから眺めて天狗の顔に似ているからとも言われています。東天狗岳と西天狗岳の双耳峰になっていて、ほぼ標高は同じですが、三角点は西天狗にあります。東天狗は頂上付近が露出していて赤い岩になっているので赤天狗、西天狗は頂上までハイマツに覆われているので青天狗とも呼ばれています。 八ヶ岳連峰は南八ヶ岳はアルペン的山容で岩場も多く男性的、北八ヶ岳は深い森と池が点在していて女性的と私は思っています。 この南北を象徴するような山が天狗岳で、東天狗
北八ヶ岳に縞枯山(しまがれやま)があります。標高2403m。 この山は他の山とは変わっていて、山の樹木が縞に枯れている現象で、遠くから眺めるとはっきり見ることができます。 この現象は北風の強い日本海側の山ではよく見られるそうですが、特に北八ヶ岳では鮮明に見る事ができます。 縞枯れの原因としては、冬の冷たいから風によるもの、高山体の針葉樹の世代交代によるもの、シラビソやダケカンバの植生の育林の環境による変化など幾つかの説はありますが解明はされていません。 50年、100年の周期で変化しているとも言われています。 日本国内ではちょっと変わった山です。 解説 「信州ウソくらぶ」新聞に掲載
阿弥陀岳(あみだだけ) 付加2で紹介した赤岳の西側にあり諏訪側に突き出している独立峰。標高2805m。 赤岳と共に山容の厳しい雄峰です。頂上は意外と広いですが周囲は切り立った岸壁となっています。八ヶ岳の稜線から外れて西側に飛び出しているため、八ヶ岳連峰を横から眺めるのには良い山です。 特に赤岳、横岳、硫黄岳などの山々の岩峰をみるには最高の山と言えます。茅野市側から眺めると阿弥陀岳が前面にあり、赤岳が裏側に隠れるため、両山が重なり、間違って見られることもあります。 平安時代末期から山岳信仰の対象として開山の歴史があり、修験道の山として修行者が入る様になり、それぞれの仏に似た岩峰に名前を
付加3につづき、やはり2つの同じ名前があり混同しやすい山の紹介です。 三ツ頭(みつがしら)も、南八ヶ岳と北八ヶ岳にあります。 南八ヶ岳の三ツ頭 標高2580m。山梨県の権現岳から南東に伸びている尾根上のピークで、編笠山からみてもかなり高く感じる山です。 この山頂が三つに分かれていて、主の尾根と南東と南西とに尾根が伸びています。すぐ隣には前三ツ頭と呼ばれる山もあり同様な地形になっています。 山梨県側から見る赤岳を頂点は「甲斐国志」とも呼ばれます。 ちなみに江戸時代の古書には、八ヶ岳の呼称について「槍ガ岳、権現ガ岳、小岳、朝姑岩、風ノ三郎岳、編笠山、ミツ頭其ノ余種々ノ呼称アリ」と書かれ
八ヶ岳には2つの横岳があります。1つ目は赤岳の北側にあり険しい岩峰が連なる南八ヶ岳連峰唯一の高山植物群生地。横に長く峰が連なるから横岳と呼ばれます。標高2825m。 2つ目は北八ヶ岳にあり、北横岳とも呼びます。北八ヶ岳の名前の由来は諸説ありますが、南八ヶ岳の横岳にうなんでつけられた名前とか、古来から紙の山と称されている諏訪富士・蓼科山の横に控える山だからとか言われています。標高2480m 南八ヶ岳の横岳(よこだけ) 硫黄岳側から数える各峰は修験者の多かった江戸時代から横岳と呼ばれていました。台座の頭、奥の院(横岳の主峰)、三又峠、石尊峰、鉢岳、日ノ岳、二十三夜峰、地蔵ノ頭とあり、稜
赤岳は八ヶ岳の主峰です。山頂は山梨県と長野県にまたがり、北峰と南峰に分かれています。 赤岳の名前の由来としては、山頂は山体を構成する溶岩と集塊岩が互層した成層構造で山頂近くの山腹全体が酸化鉄のため赤褐色を呈することからとも、また「赤」という色は神性を有する為に主峰に相応しく名付けられたとも言われています。 山頂には赤岳神社が祀られています。祭神は国常立命、金山彦命、正力不動王です。室町時代から御柱祭事が行われ、山岳信仰として中世には諏訪一体の人々に神体山として崇められていました。 赤岳講は佐久側には少なく諏訪側は圧倒的に多いようです。かつては苦しい山麓歩きが続き、あえぎあえぎの登山でし
冷山 北八ヶ岳には冷山(2193m)と呼ばれる山があります。 現在は「れいざん」と呼んでいますが、前は「つめたやま」と言っていました。ちょっと変わった呼び名の山です。 あまり登山者は登らない森林に覆われ、登山道もはっきりしていない山ですが、古くから大変貴重な山だったのではと思われます。 この山からは縄文人が使用していた石器の黒曜石が産出され、山麓には黒曜石の大露頭が沢山あります。日本でも数少ない石器の最終地になっていて、近くには黒曜石を細工していただろう冷山遺跡と呼ばれる場所もあります。 大露頭にも古代人が採集したのではと思われるような岩頭の後もあります。 八ヶ岳の山麓には沢山の縄文
山小屋に長く入っていると、時々誰もいない所に行きたい時もある。 そんな時、いつも行く場所を決めている。 おにぎり持って、2人だけ、誰も誰も知らない秘密の場所。 お花が咲いていて、ぽかぽか天気で気持ちもぽかぽかになります。 解説 米川です。 八ヶ岳は可愛らしい花をはじめとした高山植物が四季折々咲いています。 山小屋での仕事の合間に、山を歩くと夢のような美しい景色に幾度となく出会います。小屋番をしていた頃も、小屋番を息子に譲った後も、啓子さんと一緒によく行きました。 おにぎり持っていったり、珈琲をいれていったり、お弁当をたべて、とても幸せな時間、場所は秘密です。 Saitouです。
普段気をつけていても ちょっとした事で大怪我をすることがある。 何でもないような所で転んで足を骨折したり、 腰を捻ったりして動けなくなったことが沢山ある。 ちょっとした心のひずみかもしれないね。 解説 2023年8月お盆を過ぎ、八ヶ岳はお昼を過ぎると落雷と豪雨となる天候が続きます。 雲については以下をお読みいただきぜひ登山に活かしてください。 また軽装での登山は危険です。 先日唐沢鉱泉さんにSaitouがおりましたところ、かなりお疲れの表情をされた方が山から下りてきて声をかけてきました。 渋の湯口のバス停までこれから行きたいですが道はどうやって行ったらよいでしょう?と、かな
いではく 北国の春 北国の春、すきま風、他、沢山の作詞した作詞家は幼い頃からの親友で、時々酒を交わす仲だ。幼い頃からの仲で会話も無いし話も無いが、ただ顔を合わせてお互いが好きな酒を飲み交わすだけ。これで何時も終わってしまう。 それでお互いが満足している。 解説 Saitouです。米川さん宅にてお話をしていると、よく「明日友人来るんでね、飲むんですよぉ」と嬉しそうにお話しされます。「知ってる? いではく」。何度か聞いていても、もともとの私の習性が個人名などはあまり関心がないため曖昧な笑顔で過ごしておりましたが、ある時、また「明日友人が来るんですよぉ。呑み友達」と嬉しそうにお話された
内閣府の国民の祝日によると、山の日は 「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日だそうです。 各「国民の祝日」について - 内閣府 www8.cao.go.jp 猛暑続く2023年の夏は、八ヶ岳も登山者が多くなってきました。 八ヶ岳は、 山麓の人々が何時も仰ぎ見て崇拝する山。南八ヶ岳は男性的で岩稜帯が多く高山植物が豊富で全国でも注目されている。北八ヶ岳は森と苔が美しい。南八ヶ岳の赤岳、北八ヶ岳蓼科山は古くから登られていた。交通網もも良いので四季を通して誰もが気楽に登れる。(米川正利) 下記の米川さんの絵本校正中にも詳しく書いてあります。 八ヶ岳は一
たてしなやま。 八ヶ岳の一番北にある山。 「諏訪富士」とか「女の神山」とも呼ばれる。 見ているととっても美しい山。 でも登ると険しい山。 だから日本百名山のひとつ。 解説 米川です。 蓼科山は、八ヶ岳連峰の北端に山容を見せています。遠くから見ると富士山に見える事から「諏訪富士」とも「女の神山」とも呼ばれます。 見ているのには美しい山ですが、登ると険しい山です。 三男が蓼科山荘をやっています。 Saitouです。 蓼科、私もSNSなどでの自己紹介には蓼科山の中に生息中などと書いていますが、厳密には我が家の庭に立つと蓼科山が背後に大きく見える所に住んでいます。周辺一帯皆同じです。
春の雨降る八ヶ岳裾野 もうすぐ春 山まだ雪2024年3月25日 黒百合ヒュッテ登山口まで車は渋の湯さんは月曜定休日駐車場使えません 唐沢鉱泉さん登山口は市営駐車場ありますが4月19日まで唐沢鉱泉さん休業、道の整備は不確実 年間通して登山道は駐車禁止です 救急時車両通れません imasaito1280m
八ヶ岳連峰の最南端の西岳に並んであるのが編笠山(あみがさやま)です。標高2524m。 西岳と同じように裾野が広く美しい傘型のこんもりとした美しい山です。 権現岳、赤岳、阿弥陀岳の荒々しい山と比べ、とても優しい山です。 山頂は火山岩の積み重なった山で、岩の間には高山植物のココモモやガンコウランなどが見られます。 山からは正面に赤岳、阿弥陀岳、権現岳、八ヶ岳連峰、遠くには富士山、南北中央アルプス、眼下には諏訪盆地、甲府盆地と広がりすばらしい展望です。 解説 「信州ウソくらぶ」新聞に掲載。「信州ウソくらぶ」は、長野県県職員OB有志による機関紙(月間)新聞です。 Saitouです。「北八ヶ
八ヶ岳の最南端に西岳があります。標高2398m。 西岳は里から見ると編み笠山と並び丸い美しい山です。この山も平安時代から修験道の山として多くの人達が登っていました。 八ヶ岳の修験道は地区ごと分かれていましたが、南八ヶ岳では赤岳を中心とした修験道場と権現岳を中心とした道場に分かれていました。 西岳は権現岳の道場に属していて古くから神聖な山でした。今でも昔の修験者の住んでいたと言われる岩穴や修行したと言われる場所が何か所か地名として残されています。 頂上の半分は樹林ですが南西目はハイマツ帯になっています。展望は素晴らしく権現岳がまじかにあり、遠くは富士山、甲斐駒岳、中央アルプス、北アルプス
絵は世界の美術館より。光まぶしい世界をどのような気持ちで見ているのでしょう。数百年も前の絵がいまだに人を魅了する世界、すごいと思います。対して人間の生きる時間の短さ儚さを感じます。 2024年1月1日元旦、世の中は地震でパニック状態となっていた日、一本の電話がありました。従妹が死んだという知らせ。自宅で急死です。 訳わからずに家に向かうと、まだ生きているような寝顔でお母様が目を覚ましてと何度も言っていました。 昨年8月に会社の健康診断で異常値が見つかり病院にかかったところ白血病の診断。白血病も今は治る時代、骨髄移植を提案されたそうですが従妹は痛いのは嫌だと断ったそうです。入院期間も短く
米川さんの絵本を出版することを目指しこのnoteを始めましたが、どうしてもどこか納得できない気持ちや安定しない感情がありました。そして、最近では本の形にこだわる必要もないと感じるようになりました。ヘッダーでお借りした画像「なんで?」そのものですね。概算費用もすでに把握していました。おおよそ100万円ほど。もともと利益を求めているわけではないので、自己資金でこれくらいなら出してもいいかなと用意もできていました。米川さんのご親戚の方に出版関係の方がいらっしゃり米川さんが相談された時、超有名人もなければ損益とれんらいから出版などしないよと言われたと悲しそうに米川さんはお話されましたが、私とし
北八ヶ岳にあります。「にゅう」と言うちょっと変わった名前の山です。標高2352m。 天狗岳と中山の稜線から北東に離れた場所にある小さな岩峰です。 「にゅう」の山名の由来は「にゅうーっと出ているから」とか「昔、稲刈りの時に刈穂を積み上げて作った「にょう」に似ているから」とか「女性の乳房の様に見えるから」などあります。 佐久地方では同じ形の山が2つ並んで見えるところから近年になって呼ばれるようになったようです。 小さな山ですが、展望もよく、北八ヶ岳の山々を一望することができ、白駒池や雨池も眼下に見えます。 また北八ヶ岳で唯一の富士山を見られる山として知られています。 稜線から外れているので
八ヶ岳連峰のほぼ中央に天狗岳があります。標高2646m。 私の小屋の目の前にある山です。私が何十年もずっと見つめてきた大好きな山です。天狗岳の名前の由来は、遠くから眺めて天狗の顔に似ているからとも言われています。東天狗岳と西天狗岳の双耳峰になっていて、ほぼ標高は同じですが、三角点は西天狗にあります。東天狗は頂上付近が露出していて赤い岩になっているので赤天狗、西天狗は頂上までハイマツに覆われているので青天狗とも呼ばれています。 八ヶ岳連峰は南八ヶ岳はアルペン的山容で岩場も多く男性的、北八ヶ岳は深い森と池が点在していて女性的と私は思っています。 この南北を象徴するような山が天狗岳で、東天狗
北八ヶ岳に縞枯山(しまがれやま)があります。標高2403m。 この山は他の山とは変わっていて、山の樹木が縞に枯れている現象で、遠くから眺めるとはっきり見ることができます。 この現象は北風の強い日本海側の山ではよく見られるそうですが、特に北八ヶ岳では鮮明に見る事ができます。 縞枯れの原因としては、冬の冷たいから風によるもの、高山体の針葉樹の世代交代によるもの、シラビソやダケカンバの植生の育林の環境による変化など幾つかの説はありますが解明はされていません。 50年、100年の周期で変化しているとも言われています。 日本国内ではちょっと変わった山です。 解説 「信州ウソくらぶ」新聞に掲載
阿弥陀岳(あみだだけ) 付加2で紹介した赤岳の西側にあり諏訪側に突き出している独立峰。標高2805m。 赤岳と共に山容の厳しい雄峰です。頂上は意外と広いですが周囲は切り立った岸壁となっています。八ヶ岳の稜線から外れて西側に飛び出しているため、八ヶ岳連峰を横から眺めるのには良い山です。 特に赤岳、横岳、硫黄岳などの山々の岩峰をみるには最高の山と言えます。茅野市側から眺めると阿弥陀岳が前面にあり、赤岳が裏側に隠れるため、両山が重なり、間違って見られることもあります。 平安時代末期から山岳信仰の対象として開山の歴史があり、修験道の山として修行者が入る様になり、それぞれの仏に似た岩峰に名前を
付加3につづき、やはり2つの同じ名前があり混同しやすい山の紹介です。 三ツ頭(みつがしら)も、南八ヶ岳と北八ヶ岳にあります。 南八ヶ岳の三ツ頭 標高2580m。山梨県の権現岳から南東に伸びている尾根上のピークで、編笠山からみてもかなり高く感じる山です。 この山頂が三つに分かれていて、主の尾根と南東と南西とに尾根が伸びています。すぐ隣には前三ツ頭と呼ばれる山もあり同様な地形になっています。 山梨県側から見る赤岳を頂点は「甲斐国志」とも呼ばれます。 ちなみに江戸時代の古書には、八ヶ岳の呼称について「槍ガ岳、権現ガ岳、小岳、朝姑岩、風ノ三郎岳、編笠山、ミツ頭其ノ余種々ノ呼称アリ」と書かれ
八ヶ岳には2つの横岳があります。1つ目は赤岳の北側にあり険しい岩峰が連なる南八ヶ岳連峰唯一の高山植物群生地。横に長く峰が連なるから横岳と呼ばれます。標高2825m。 2つ目は北八ヶ岳にあり、北横岳とも呼びます。北八ヶ岳の名前の由来は諸説ありますが、南八ヶ岳の横岳にうなんでつけられた名前とか、古来から紙の山と称されている諏訪富士・蓼科山の横に控える山だからとか言われています。標高2480m 南八ヶ岳の横岳(よこだけ) 硫黄岳側から数える各峰は修験者の多かった江戸時代から横岳と呼ばれていました。台座の頭、奥の院(横岳の主峰)、三又峠、石尊峰、鉢岳、日ノ岳、二十三夜峰、地蔵ノ頭とあり、稜
赤岳は八ヶ岳の主峰です。山頂は山梨県と長野県にまたがり、北峰と南峰に分かれています。 赤岳の名前の由来としては、山頂は山体を構成する溶岩と集塊岩が互層した成層構造で山頂近くの山腹全体が酸化鉄のため赤褐色を呈することからとも、また「赤」という色は神性を有する為に主峰に相応しく名付けられたとも言われています。 山頂には赤岳神社が祀られています。祭神は国常立命、金山彦命、正力不動王です。室町時代から御柱祭事が行われ、山岳信仰として中世には諏訪一体の人々に神体山として崇められていました。 赤岳講は佐久側には少なく諏訪側は圧倒的に多いようです。かつては苦しい山麓歩きが続き、あえぎあえぎの登山でし
冷山 北八ヶ岳には冷山(2193m)と呼ばれる山があります。 現在は「れいざん」と呼んでいますが、前は「つめたやま」と言っていました。ちょっと変わった呼び名の山です。 あまり登山者は登らない森林に覆われ、登山道もはっきりしていない山ですが、古くから大変貴重な山だったのではと思われます。 この山からは縄文人が使用していた石器の黒曜石が産出され、山麓には黒曜石の大露頭が沢山あります。日本でも数少ない石器の最終地になっていて、近くには黒曜石を細工していただろう冷山遺跡と呼ばれる場所もあります。 大露頭にも古代人が採集したのではと思われるような岩頭の後もあります。 八ヶ岳の山麓には沢山の縄文